コンセプトの誤用乱用
前々回の話題の補足になるかと思います。
エゴとか、投影とか、(先入&固定)観念だとか
毒親とか、…
あくまで外側から自分の型枠を
認知/理解するためのコンセプトです。
ところがコレが、まんまとそのエゴの手に渡って
他人を批評するツールとして
やたらと利用されているように感じます。
その場合、自分の型枠を外すことはおろか
かえってそれを増強することになります。
「それはアナタ自身の投影だよ~!」
「それはアナタの側の先入観です」
それを発する口は自己主張や自己保身の大好きな
エゴに使われた証し。
そうでなければ、指摘をせずに
気づかないかな?と思うだけ。
自分のエゴは他人のエゴに過敏なのです。
エゴとか、投影とか、(先入&固定)観念だとか
毒親とか、…
あくまで外側から自分の型枠を
認知/理解するためのコンセプトです。
ところがコレが、まんまとそのエゴの手に渡って
他人を批評するツールとして
やたらと利用されているように感じます。
その場合、自分の型枠を外すことはおろか
かえってそれを増強することになります。
「それはアナタ自身の投影だよ~!」
「それはアナタの側の先入観です」
それを発する口は自己主張や自己保身の大好きな
エゴに使われた証し。
そうでなければ、指摘をせずに
気づかないかな?と思うだけ。
自分のエゴは他人のエゴに過敏なのです。
「自分」を出し惜しみ?
ふと思いついたお金の話です。
お金はエネルギーの象徴だとよく言われますよね。
使い方よりも、お金というコンセプトそのものに
その人の「自分」がモロに表現されるようです。
自分の価値や能力だと思っているものと
重ね合わせてみてください。
それを得るための方法を探したり
その構築にせっせと励んだり
頑なに守ったり、保ったり
不本意に出してしまうことに
不安や恐れを感じたり
隠したり、ないフリをしたり
小出しにしたり(笑)
はたまたあるフリをしたり
無理にせがまれると腹が立ったり
惜しげなく出したり
それを楽しんだり
他者のそれを拝借したり
(そのツケを払ったり?^^;)
代価を要求したり
競ったり、奪い合ったり
自分や誰かのために使ったり
上手に使えなかったり…
「自分」自身の扱い方(?)と
共通するところがありませんか?
なるべく出さないようにコツコツ貯める。
持っていることを隠したり、大っぴらにせず
なるべく好きに使わないようにと教育されて
きた人も多いように思います。
(その割にタカが外れるとスゴイとか)
ある種日本の文化的なものも感じますね。
今現在のお金に対するあり方を見ると
今現在自分とどう向き合っているかが
見えてくるかもしれません。
意識が向き過ぎてコントロール過剰だったり
反対に無関心だったりしていませんか?
解放して流れにまかせることへの抵抗が強い
という点でも共通しているように思います。
お金はエネルギーの象徴だとよく言われますよね。
使い方よりも、お金というコンセプトそのものに
その人の「自分」がモロに表現されるようです。
自分の価値や能力だと思っているものと
重ね合わせてみてください。
それを得るための方法を探したり
その構築にせっせと励んだり
頑なに守ったり、保ったり
不本意に出してしまうことに
不安や恐れを感じたり
隠したり、ないフリをしたり
小出しにしたり(笑)
はたまたあるフリをしたり
無理にせがまれると腹が立ったり
惜しげなく出したり
それを楽しんだり
他者のそれを拝借したり
(そのツケを払ったり?^^;)
代価を要求したり
競ったり、奪い合ったり
自分や誰かのために使ったり
上手に使えなかったり…
「自分」自身の扱い方(?)と
共通するところがありませんか?
なるべく出さないようにコツコツ貯める。
持っていることを隠したり、大っぴらにせず
なるべく好きに使わないようにと教育されて
きた人も多いように思います。
(その割にタカが外れるとスゴイとか)
ある種日本の文化的なものも感じますね。
今現在のお金に対するあり方を見ると
今現在自分とどう向き合っているかが
見えてくるかもしれません。
意識が向き過ぎてコントロール過剰だったり
反対に無関心だったりしていませんか?
解放して流れにまかせることへの抵抗が強い
という点でも共通しているように思います。
コンセプトの功罪
たとえばメンタルな分野ですと
アダルトチャイルドやインナーペアレント
欲求の五段階に自己実現
3つのナンチャラ
5つのステージ
…まぁなんでもいいのですが^^;
それまで自己同一化して見えなかった問題を
新しいコンセプト(概念)というツールを得ることで
客観的に理解したり、気づいたりすることができます。
問題からいったん視点の距離を置くことができただけで
気持ちが解放されたりすることも少なくありません。
ところが中には、新たな概念という枠組みに
自分を押し込めてしまう場合があります。
たんに自分(と、ともすると他者)を縛る道具を
入れ替えるだけ。
大抵の概念は、多次元を絵にして表現する以上に
簡略されているわけですから、自分の問題を
寸分違わず説明できるものではありません。
それをツールとして、心が整理できて納得したり
診断や病名などを得ることによって気が楽になるという
ブレークスルーやマイルストーンに使う場合は良しとして
その概念にとらわれることで、縛りを再構築すると
苦悩はさらに増すばかりとなり得ます。
果ては妄信者や教祖さまにもなれるかも?(爆)
新しい概念を別の鎖としてではなく
鎖を断つ道具として用いることができるか?
そこのところが肝心要なのだと思います。
アダルトチャイルドやインナーペアレント
欲求の五段階に自己実現
3つのナンチャラ
5つのステージ
…まぁなんでもいいのですが^^;
それまで自己同一化して見えなかった問題を
新しいコンセプト(概念)というツールを得ることで
客観的に理解したり、気づいたりすることができます。
問題からいったん視点の距離を置くことができただけで
気持ちが解放されたりすることも少なくありません。
ところが中には、新たな概念という枠組みに
自分を押し込めてしまう場合があります。
たんに自分(と、ともすると他者)を縛る道具を
入れ替えるだけ。
大抵の概念は、多次元を絵にして表現する以上に
簡略されているわけですから、自分の問題を
寸分違わず説明できるものではありません。
それをツールとして、心が整理できて納得したり
診断や病名などを得ることによって気が楽になるという
ブレークスルーやマイルストーンに使う場合は良しとして
その概念にとらわれることで、縛りを再構築すると
苦悩はさらに増すばかりとなり得ます。
果ては妄信者や教祖さまにもなれるかも?(爆)
新しい概念を別の鎖としてではなく
鎖を断つ道具として用いることができるか?
そこのところが肝心要なのだと思います。