小心者の平和運動
小心者なのでコソッと…(^。^)
たとえ反対するのだとしても
その意識のベクトルとエネルギーを
戦争という概念にフォーカスしない方がいい
その気持ちこそが
戦争へと突き進むそれと
似通ってはいないだろうか?
それを見抜けない時点で同じ次元にいる類友
皆がそれを過去の人達の習性なのだと
認識するくらいが適当なのだと思う
「今」平和な社会であることを大前提として
意思や、気持ち、あり方、行動を決定できるか
どうか?
現実を見てないって?
現実は見るものではなく、起こってくるもの
意識と現実
どっちが主体で、どっちが反映か
決め(させ)るのは
現実なのか、意識なのか。
すでに過去である現実に主導権を渡すの?
自分メガネを知る
親(世間)の目線(価値観、評価)で
物事を、自分を見ていることに気づく。
そこが自分と向き合う原点です。
その(親の)目線や枠組みで
自分を知ろうとしても
物事は歪み、反転して見えるだけで
迷いと絶望は増すばかり。
その枠組みを外せば
受け取り
喜び
感謝して
満足する
手放し
悲しみ
満足して
感謝する
今、この刹那にしか
起こりえないことがわかります。
ごくシンプルな生きている実感です。
たとえその枠組みが
幸福のメガネであったとしても
外さないと見えないもの。
本質の違い
腹が立たないことと
怒らない(怒りを見せない)ことは
まったく違うよね。
問題ない(気にならない)ことと
問題にしない(我慢する)ことは
まったく違うんだよね。
外側の平静を保つために
その動揺を内に留めることではなく
その揺らぎの実体を見抜くことで
揺るぎなくなる
内なる安定を築いていくことが
外側の平静を生むようになる。
そのベクトルを勘違いしてしまうと
果ては間逆の現象に辿り着く。