「頑張る」の表裏
なんだかむやみに「頑張って」と
いえなくなった昨今
その言葉が負のプレッシャーになるのは
その人にとって「頑張る」の意味が
苦しみに耐える、我慢する、期待に応える…
ということだから。
夢中になる、打ち込む、熱中する、極める…
という意味もあるんだと
そう受けとる人もいるんだと
したら?
言葉より
それを発する人、受けとる人の
真(心)意が大切なのだと思う。
一番大切にしていいよ(^_-)
愛され(たことの)ない苦しみ
大切だと思われたことのない苦しみ
不安や罪悪感、自己満足のためにしか
与えられたことのない苦しみ
その苦しみ、渇愛を癒す方法は
私を愛して、大切に思って欲しいと
願い、求め、祈り、叫ぶことではないよ
自分が愛することの喜び
誰かを大切だと思う喜び
相手の存在をありのまま受け容れ、認め
その生を分かち合う喜び
を知ることしかない
そんな対象がいないって?
いるよ。
誰にでも必ず一人
切り離すことのできない人
…自分自身
こんな自分を愛するのは難しいって?
だったら他の人にとってはなおさら
まず自分から自分を大切にしてみる
そうすると、大切にしたい人が現れる
そのうちに自分を大切に思ってくれる人が
現れるよ
正解があり得ないなら、誤解しかないよね。
個人と全体は非二元、つまり一元だという
話を最近よく目にします。
「個人と全体、それぞれが部分に見えるが
じつは一体である」とは、よくいうけれど
そういうことだけではありません。
変化し、それぞれにカタチを成す(ように
見える)物事と
表裏一体のソレとの関係が一元なのだと
いうこと。
同じソレの多様な実相。
それぞれの(ように見える)「私」も
その内側に生み出される(ように見える)
恐れも、苦しみも、痛みも、悲しみも
その変化の様相に過ぎません。
今となっては、対称(代)名詞の不要な視点で
世界を見ることは難しいけれど。
自分を認識し、それを保とうとするために
雲がわけば、雨の日もあるはずなのに
晴れた日にも長く重い傘を持ち歩き
いつのまにか
念のため、さして歩くようになったせいで
光まで遮って薄暗くなってしまったよね。
評価や意味づけはそれぞれでも、そんな変化の
流れのベクトルや傾向性はたしかにあります。