フェルメール(通称Johannes Vermeer, 1632-1675)の現存作品は稀少です(37作品と言われています)。
名画は名画ゆえに数奇な運命を辿ることがあります。
「Der Spiegel」を覗いていると、興味深い記事がありました。
「絵画芸術」(または「画家のアトリエ」「画家とモデル」Die Malkunst, 1666-67)をめぐる紛争に関する記事です。
タイトルは「Cold Case im Kunstpalast」(Der Spiegel, 2023/9/2, S.108-111)
「絵画芸術」はウィーンの美術史博物館に所蔵されています。
しかし、その所有権については長年紛争の種になってきました。
記事は今年の2月から6月にアムステルダムで行われたフェルメール展で起こったちょっとした事件から始まります。
フェルメール作品の多くを集め、彼の本国で開催された展覧会ですが、この「絵画芸術」はオランダに来ませんでした。出典を取りやめたオーストリア側公式の理由は「作品保護」ということでしたが、記者は大いに疑っています。
「絵画芸術」があるはずだったガランとした部屋で記者は英語で声をかけられました。
「この絵は、一種の未解決事件(a Cold Case)なのさ」
名前は明かしていませんが、この人物はオーストリアの元貴族。共和国になったオーストリアですが貴族だった資産家一族どうしで濃密な付き合いがあります。この元貴族の男性は、ヒトラーと別の元貴族が絡む事情を説明しました。
「絵画芸術」はボヘミアの元貴族C家が所有していました。この名画を見初めたヒトラーはこれを手に入れようとC家に圧力をかけました。C家はユダヤ系だったのです。
絵画や建築に執心で若いころ画家志望だったこの独裁者は、いわゆる「総統美術館」の創設を企てていました。結局、「総統閣下、これなら接収したも同然でございます」と係に言われるような安価で「絵画芸術」はヒトラーの手に移ります。
戦後、ナチスに接収された絵画などは、アメリカ軍などの活動で多くが返還されました。「絵画芸術」も、ナチスのコレクションから接収され、オーストリア政府に帰属し、美術史博物館に入ります。しかし、これに異を唱える人々がいました。オランダ政府と例のC家です。
実は、オーストリア政府はナチス絡みで絵画を押収された苦い過去がありました。エゴン・シーレのコレクションで有名なレオポルト美術館が所蔵していた「ヴァリー・ノイツェル」像がニューヨークに貸し出されたとき、アメリカの検察はこの作品を押収してしまいます。ユダヤ系の富豪からナチスが接収したという事実が理由とされています。
その後長きにわたって訴訟が続いていますが、オーストリアはこの事件をきっかけに「美術品返還法」を制定し、ナチスによる接収作品の返還について法的な手続きを調えることになりました。今回の「絵画芸術」のケースでも同じことが起こることを当局が恐れたのではないかという推測が成り立ちます。
一方のC家もまた、「絵画芸術」の所有権を主張しています。ただ、司法と当局側の見解では、C家は「正規」の取引で自主的に絵画を手放したのであって、ナチスの「被害者」とは言えないとのことです。返還を求めている人物は、当該一族のあいだで評価の分かれる人物で、C家は一枚岩ではないようです。当人も認めていますが、ユダヤ系ではあってもそれほど迫害にはあっていないようです。記事でもC家当事者の「被害者性」の薄さ(多分に記者の主観も入っていますが)を指摘しています。ただ、C家当事者は、もし返還された場合は美術史博物館に寄贈すると述べています。目指すべきは「正義」の実現であって、市民から絵画を採り上げる意図はないということなのでしょう。
記事ではC家も個人も実名で報じています。かなりプライヴァシーに踏み込んだ記事になっています。本人の確認をとったうえなのでしょうが、(元)貴族に対する態度に、また(元)貴族自身の意識にも、「公共的」なイメージが見て取れます。それは美術品についても同様です。
「美」はいったい誰のものか・・・
「美」の公共性という問題について考えさせてくれる記事でした。
記事でも少し触れられていたアメリカ軍の特殊部隊「Monuments Men」
ナチスに奪われた美術品を奪還するのがミッション。
それを題材にした映画が「ミケランジェロプロジェクト」
20年前(2004年)の春
美術史博物館とレオポルト美術館に行ったことがあります。
懐かしい思い出です。
美術史博物館の正面階段(2004年4月6日撮影)
レオポルト美術館(2004年4月6日撮影)
地下鉄のムゼウム・クヴェルティア駅から上がるとすぐにあります。
思い出に浸って書いた記事