エリック・クラプトン
実は、僕はエリック・クラプトンと誕生日が同じである。
その事実を知ったのは、かれこれ10年ぐらい前になると思うが、あるエピソードがある。
僕らの結婚式の立会人は、80年代に一世を風靡した「H2O」というデュオの一人だった「赤塩正樹」夫妻だが、彼の言葉で印象に残っていることがある。
彼と知り合ったのは、僕が学生の頃なので、もう20年以上も前のことになる。最近、昔のことを思い出す度に、年を取ったことを再認識させられて、少々ガッカリしてしまう。
いつだったか、彼が、「クラプトンは年を取るに連れて、どんどん良くなるよね」と言っていたことを思い出す。
エリック・クラプトンを知らない人のために簡単に解説すると、クラプトンは「ギターの神様」と言われたほどにギターが上手かったわけだが、ロックギタリストの場合、50才を過ぎるとさすがに衰えるというか、往年の切れ味はなくなると思うが、クラプトンの場合、それがどんどん良くなっていくと言うのだ。
また、こんな話しもある。
田坂広志さんのメルマガで読んだ話しだったと思うが、彼らの「顔」を見せないで、年齢が大きく異なる3人のバイオリニストにバイオリンを弾いてもらい、子供達にどの人が最も「若い」かを当ててもらったところ、最も年上のバイオリストのことを「最も若い」と全員が回答したそうである。物理的な年齢ではなく、「感受性」が年齢を決めるのかもしれない。
ところで、今日の午後、こんなシーンに遭遇した。
渋谷のある交差点で信号待ちをしていた時、僕の前に、自転車で書類を配達する「Bicycle Messenger」の男性がいた。
彼はロードレーサータイプの自転車に乗っており、信号が変わると同時に、筋肉を躍動させて走り去っていった。彼の後ろ姿をみていて、ああいう「躍動感」は若さゆえであり、今の僕には望むべくも無いだろうなと思った。少々物悲しいものがあった。
精神的にはいつまでも若くいることができても、やはり、肉体は確実に衰えていく。そのことは止めようもない。女の人の気持ちが少し分かるような気がした。
人生は短い。だからこそ、刹那的という意味ではなく、今を楽しみたい。
その事実を知ったのは、かれこれ10年ぐらい前になると思うが、あるエピソードがある。
僕らの結婚式の立会人は、80年代に一世を風靡した「H2O」というデュオの一人だった「赤塩正樹」夫妻だが、彼の言葉で印象に残っていることがある。
彼と知り合ったのは、僕が学生の頃なので、もう20年以上も前のことになる。最近、昔のことを思い出す度に、年を取ったことを再認識させられて、少々ガッカリしてしまう。
いつだったか、彼が、「クラプトンは年を取るに連れて、どんどん良くなるよね」と言っていたことを思い出す。
エリック・クラプトンを知らない人のために簡単に解説すると、クラプトンは「ギターの神様」と言われたほどにギターが上手かったわけだが、ロックギタリストの場合、50才を過ぎるとさすがに衰えるというか、往年の切れ味はなくなると思うが、クラプトンの場合、それがどんどん良くなっていくと言うのだ。
また、こんな話しもある。
田坂広志さんのメルマガで読んだ話しだったと思うが、彼らの「顔」を見せないで、年齢が大きく異なる3人のバイオリニストにバイオリンを弾いてもらい、子供達にどの人が最も「若い」かを当ててもらったところ、最も年上のバイオリストのことを「最も若い」と全員が回答したそうである。物理的な年齢ではなく、「感受性」が年齢を決めるのかもしれない。
ところで、今日の午後、こんなシーンに遭遇した。
渋谷のある交差点で信号待ちをしていた時、僕の前に、自転車で書類を配達する「Bicycle Messenger」の男性がいた。
彼はロードレーサータイプの自転車に乗っており、信号が変わると同時に、筋肉を躍動させて走り去っていった。彼の後ろ姿をみていて、ああいう「躍動感」は若さゆえであり、今の僕には望むべくも無いだろうなと思った。少々物悲しいものがあった。
精神的にはいつまでも若くいることができても、やはり、肉体は確実に衰えていく。そのことは止めようもない。女の人の気持ちが少し分かるような気がした。
人生は短い。だからこそ、刹那的という意味ではなく、今を楽しみたい。
ドブ川の匂い
今日の午後3時過ぎ、僕が社外取締役を務めるラソナでの経営会議を終えて、渋谷区役所の恵比寿出張所に向かうために明治通りと並行して流れるドブ川を渡った。季節柄か、橋の上を通ると生臭い匂いがした。
その匂いは一般的には良い匂いではないと思うが、僕はその匂いを嗅いで、子供の頃のことを思い出した。それは、近所のドブ川で「ザリガニ獲り」をしていた時に、いつも嗅いでいた匂いだった。そして、その瞬間、悠生(僕らの子供)のことを思い出した。
あと数年もしたら、一緒に野外で遊ぶようになるのかと思うと、言葉には表せない感情が沸き上がってきて、胸が詰まった。悠生が生まれなかったら、その川を渡っても、その「匂い」には気づかなかったと思う。
子供の頃は、毎日遅くまで、日が暮れるのも忘れて遊んでいて、一日がとても長く感じられたことを思い出した。あれから、30年もの時間が経過しているにも係らず、なぜか、つい昨日のような気がする。
年齢は43才になっているが、僕はその頃に感じた「感情」を今も鮮明に覚えている。精神年齢が変わっていないのかもしれない。
20代の時に勤めていたODSというコンサルティング会社の社長に、「あなたは理想主義者だ。あなたが40才になっても、今と変わらずにいることが出来たら、その時、僕は初めてあなたを尊敬する」という「嫌み」を言われたことがある。その時は、それが「嫌み」だとは気づかないほどに精神的に幼稚だった。
しかし、結果的には、僕は、その時と何も変わっていない気がする。
話しは変わるが、昨日、2001年から通っている代官山にある「セラピア」というリラクゼーションのお店に行った。以前は毎週必ず通っていたが、今は諸事情により毎週は通えないが、それでも月に2~3回のペースで通っている。そこの鈴木さんという人に整体でお世話になっているのだが、彼がこんなことを言っていた。
「(以前の)平石さんの身体は、何か『怒っている』のがヒシヒシと伝わってきましたが、今はそういうものが無くなって、不思議と力が抜けていますね」。
確かに、あの頃は色々なことが大変で、常に精神的に「緊張」を強いられていたし、自分らしさを出せていないところが多々あった。人間の身体とは正直なもので、精神的なストレスが身体にも表れるということだろう。
子供が生まれ、インタースコープを退任し、新しい会社を立ち上げている最中で、経済的には極めて不透明な状況にあるにも係らず、今の方が、精神肉体ともにリラックスしているということなのだろう。
それで、ドブ川の匂いで子供の頃のことを思い出したのかもしれない。
ドブ川を渡りながら、もうひとつ、思い出したことがある。それは、「ヒート」というハリウッド映画のワンシーンだ。
ご覧になった方も多いと思うが、「ヒート」は「アル・パチーノ」と「ロバート・デニーロ」の共演によるものだ。
僕が思い出したシーンというのは、警察との銃撃戦で負傷したヴァル・キルマーが、警察に追われているのを承知の上で妻と子供が警察に匿われている家の近くにやってきて、子供を抱きながらベランダに立っていた妻の顔をみて、何とも表現できない嬉しそうな表情を見せたシーンだ。そして、妻は「囮(おとり)」として、わざとベランダに立って(立たされて)いたのだが、夫の顔を見て目に涙を浮かべながら、右手の人差し指を右に振り、「これは囮(おとり)捜査よ」と教えたシーンだ。
そこには、切ない「家族の愛情」が描かれていて、それが「ヒート」という映画を単なるアクション映画に終わらせていない所以だと思う。
以前のポストにも書いたが、電通の和田さんという女性が、「平石さん、子供を産むのを諦めてまでする仕事は無いよ」と言ったことや、ここ数年親しくしている、ある欧州系の著名企業の社長を退任し、苦労しながら自分でビジネスを立ち上げている米国人が、「自分にとって仕事はとても大切なものだが、家族に勝るものはない」と言っていたことの意味が、今は実感として理解できる気がする。
悠生は残念なことに、僕の産みの両親とも、妻の両親とも会うことは適わないわけだが、もし、双方の両親が生きていたらと思うことがある。
年齢的にギリギリのところで子供を授かった僕らは、幸せである。
そして、その悠生のためにも、「3度目の起業」を絶対に成功させたいと思う。
追伸:サッカー日本代表の初戦は残念だった。最後まで諦めずに頑張って欲しい!!!
その匂いは一般的には良い匂いではないと思うが、僕はその匂いを嗅いで、子供の頃のことを思い出した。それは、近所のドブ川で「ザリガニ獲り」をしていた時に、いつも嗅いでいた匂いだった。そして、その瞬間、悠生(僕らの子供)のことを思い出した。
あと数年もしたら、一緒に野外で遊ぶようになるのかと思うと、言葉には表せない感情が沸き上がってきて、胸が詰まった。悠生が生まれなかったら、その川を渡っても、その「匂い」には気づかなかったと思う。
子供の頃は、毎日遅くまで、日が暮れるのも忘れて遊んでいて、一日がとても長く感じられたことを思い出した。あれから、30年もの時間が経過しているにも係らず、なぜか、つい昨日のような気がする。
年齢は43才になっているが、僕はその頃に感じた「感情」を今も鮮明に覚えている。精神年齢が変わっていないのかもしれない。
20代の時に勤めていたODSというコンサルティング会社の社長に、「あなたは理想主義者だ。あなたが40才になっても、今と変わらずにいることが出来たら、その時、僕は初めてあなたを尊敬する」という「嫌み」を言われたことがある。その時は、それが「嫌み」だとは気づかないほどに精神的に幼稚だった。
しかし、結果的には、僕は、その時と何も変わっていない気がする。
話しは変わるが、昨日、2001年から通っている代官山にある「セラピア」というリラクゼーションのお店に行った。以前は毎週必ず通っていたが、今は諸事情により毎週は通えないが、それでも月に2~3回のペースで通っている。そこの鈴木さんという人に整体でお世話になっているのだが、彼がこんなことを言っていた。
「(以前の)平石さんの身体は、何か『怒っている』のがヒシヒシと伝わってきましたが、今はそういうものが無くなって、不思議と力が抜けていますね」。
確かに、あの頃は色々なことが大変で、常に精神的に「緊張」を強いられていたし、自分らしさを出せていないところが多々あった。人間の身体とは正直なもので、精神的なストレスが身体にも表れるということだろう。
子供が生まれ、インタースコープを退任し、新しい会社を立ち上げている最中で、経済的には極めて不透明な状況にあるにも係らず、今の方が、精神肉体ともにリラックスしているということなのだろう。
それで、ドブ川の匂いで子供の頃のことを思い出したのかもしれない。
ドブ川を渡りながら、もうひとつ、思い出したことがある。それは、「ヒート」というハリウッド映画のワンシーンだ。
ご覧になった方も多いと思うが、「ヒート」は「アル・パチーノ」と「ロバート・デニーロ」の共演によるものだ。
僕が思い出したシーンというのは、警察との銃撃戦で負傷したヴァル・キルマーが、警察に追われているのを承知の上で妻と子供が警察に匿われている家の近くにやってきて、子供を抱きながらベランダに立っていた妻の顔をみて、何とも表現できない嬉しそうな表情を見せたシーンだ。そして、妻は「囮(おとり)」として、わざとベランダに立って(立たされて)いたのだが、夫の顔を見て目に涙を浮かべながら、右手の人差し指を右に振り、「これは囮(おとり)捜査よ」と教えたシーンだ。
そこには、切ない「家族の愛情」が描かれていて、それが「ヒート」という映画を単なるアクション映画に終わらせていない所以だと思う。
以前のポストにも書いたが、電通の和田さんという女性が、「平石さん、子供を産むのを諦めてまでする仕事は無いよ」と言ったことや、ここ数年親しくしている、ある欧州系の著名企業の社長を退任し、苦労しながら自分でビジネスを立ち上げている米国人が、「自分にとって仕事はとても大切なものだが、家族に勝るものはない」と言っていたことの意味が、今は実感として理解できる気がする。
悠生は残念なことに、僕の産みの両親とも、妻の両親とも会うことは適わないわけだが、もし、双方の両親が生きていたらと思うことがある。
年齢的にギリギリのところで子供を授かった僕らは、幸せである。
そして、その悠生のためにも、「3度目の起業」を絶対に成功させたいと思う。
追伸:サッカー日本代表の初戦は残念だった。最後まで諦めずに頑張って欲しい!!!
Vivien というニックネームの女性
彼女と初めて会ったのは、6/1(木)に実施した弊社が主催したトークセッション後の懇親会の会場だった。
彼女は中国人で、金融関係の会社に勤めているそうだ。とても流暢な日本語に、僕はびっくりした。また、学生の頃に留学生として来日したらしいが、留学先がなんと僕の出身校の「東海大学」だそうで、それにも驚いた。
後にも先にも、彼女にお会いしたのはその時だけであるが、とても艶やかな感じの方だったので、そのオーラに圧倒されたというか、その時は、彼女の「繊細さ」や「芯の強さ」に気づく余裕はなかったが、彼女がドリームビジョンで運営しているSNSで書いてくれている日記を読んで、その「知的さ」と「芯の強さ」に心を動かされた。
まず、彼女の日本語のレベルはお世辞抜きに素晴らしい。
僕は学生の頃、留学をしたいと思っていたので何となく理解できるが、母国語が通じない外国で暮らすというのは並大抵のことではないし、とても勇気のいることであり、誰にでも出来ることではないと思う。現に僕は未だに出来ていない。
話しは変わるが、ニューヨークやロサンゼルスやサンフランシスコ等に出張した際に、一緒に行った人達に連れられて「ピアノバー(日本で言うクラブ)」に行ったことが何度かあるが、必ずと言ってよいほど、日本人の留学生が働いている。
彼女達の中には、それなりの学力レベルの大学に通っている人もいるが、よく見かけるパターンは、まともな英語を話せず、日本人コミュニティに浸っている人達だ。確かに現実は厳しいと思うが、いったい何をしにわざわざ異国の地まで、それも高いお金を払ってきているのだろうか?と思う。
その点で、Visienさんは、日本語以外に英語も流暢に話せるらしく、その努力は素晴らしい。
彼女のことで何より感動したのは、SNSで書いている日記だ。
日々の仕事の中で自分が感じている矛盾や葛藤を、飾らない言葉で本心を綴っていると思われるが、問題意識が高く、尚かつ、それを彼女にとっての「外国語である日本語」で書いているということだ。
「日本語」を通じて、彼女の心模様がリアリティを伴って、こちらに伝わってくる。
果たして、僕がこのBlogで書いていることを、そのレベル感を保ったまま、英語で書けるか?と言うと、正直、自信がない。書けたとしても、物凄い時間がかかるだろう。
彼女の日記に書いてあることで印象に残っているのは、母国のことを思う(心配する)ことと、今働いている会社の上司のことだ。
その上司の方は、歌手を目指してトレーニングに励んでいたそうであるが、色々な事情により、その「夢」は諦めたらしい。しかし、現在の仕事に情熱を傾け、そして、とても謙虚な姿勢で働いているそうだ。アルバイトからスタートしたが、社長の信頼を勝ち得て、20代の若さで支店長になったそうである。その方のことを「尊敬している」と書いている。
中でも印象に残っているのは、その上司の方は「夢は破れた」かもしれないが、きっと現状に甘んじているはずはなく、違う何か(次の夢なのでしょう)に向かって頑張っていると思うと書いていたことだ。きっと、ステキな方なのだろうと思う。
そして、Vivienさんのようなステキな方が、ドリームビジョンのSNSで日記を書き、日々、頑張っていると思うと、とても嬉しくなった。Vivienさんのような人のためにも、そして、彼女に負けないように、頑張ろうと思った。
彼女から、「勇気」をもらったような気がする。
彼女は中国人で、金融関係の会社に勤めているそうだ。とても流暢な日本語に、僕はびっくりした。また、学生の頃に留学生として来日したらしいが、留学先がなんと僕の出身校の「東海大学」だそうで、それにも驚いた。
後にも先にも、彼女にお会いしたのはその時だけであるが、とても艶やかな感じの方だったので、そのオーラに圧倒されたというか、その時は、彼女の「繊細さ」や「芯の強さ」に気づく余裕はなかったが、彼女がドリームビジョンで運営しているSNSで書いてくれている日記を読んで、その「知的さ」と「芯の強さ」に心を動かされた。
まず、彼女の日本語のレベルはお世辞抜きに素晴らしい。
僕は学生の頃、留学をしたいと思っていたので何となく理解できるが、母国語が通じない外国で暮らすというのは並大抵のことではないし、とても勇気のいることであり、誰にでも出来ることではないと思う。現に僕は未だに出来ていない。
話しは変わるが、ニューヨークやロサンゼルスやサンフランシスコ等に出張した際に、一緒に行った人達に連れられて「ピアノバー(日本で言うクラブ)」に行ったことが何度かあるが、必ずと言ってよいほど、日本人の留学生が働いている。
彼女達の中には、それなりの学力レベルの大学に通っている人もいるが、よく見かけるパターンは、まともな英語を話せず、日本人コミュニティに浸っている人達だ。確かに現実は厳しいと思うが、いったい何をしにわざわざ異国の地まで、それも高いお金を払ってきているのだろうか?と思う。
その点で、Visienさんは、日本語以外に英語も流暢に話せるらしく、その努力は素晴らしい。
彼女のことで何より感動したのは、SNSで書いている日記だ。
日々の仕事の中で自分が感じている矛盾や葛藤を、飾らない言葉で本心を綴っていると思われるが、問題意識が高く、尚かつ、それを彼女にとっての「外国語である日本語」で書いているということだ。
「日本語」を通じて、彼女の心模様がリアリティを伴って、こちらに伝わってくる。
果たして、僕がこのBlogで書いていることを、そのレベル感を保ったまま、英語で書けるか?と言うと、正直、自信がない。書けたとしても、物凄い時間がかかるだろう。
彼女の日記に書いてあることで印象に残っているのは、母国のことを思う(心配する)ことと、今働いている会社の上司のことだ。
その上司の方は、歌手を目指してトレーニングに励んでいたそうであるが、色々な事情により、その「夢」は諦めたらしい。しかし、現在の仕事に情熱を傾け、そして、とても謙虚な姿勢で働いているそうだ。アルバイトからスタートしたが、社長の信頼を勝ち得て、20代の若さで支店長になったそうである。その方のことを「尊敬している」と書いている。
中でも印象に残っているのは、その上司の方は「夢は破れた」かもしれないが、きっと現状に甘んじているはずはなく、違う何か(次の夢なのでしょう)に向かって頑張っていると思うと書いていたことだ。きっと、ステキな方なのだろうと思う。
そして、Vivienさんのようなステキな方が、ドリームビジョンのSNSで日記を書き、日々、頑張っていると思うと、とても嬉しくなった。Vivienさんのような人のためにも、そして、彼女に負けないように、頑張ろうと思った。
彼女から、「勇気」をもらったような気がする。
THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)
今日はドリームビジョンの事業戦略会議を行った。
メンバーは、ドリームビジョンの3人と、学生時代にインタースコープでインターンをしていた2人、そして、創業メンバーである安田くんの幼なじみの友人の計6人だった。
ここ3ヶ月は、ドリームビジョンの理念を曲げることなく、どのようなビジネスモデルが考えられるか?ということを、現在の我々が得られる範囲の情報をもとに、議論を重ねてきたが、今日は我々内部で策定したビジネスモデル(ドラフト)をベースにして、その成功確率を高めるにはどうすればよいか?また、我々が見えていないオポチュニティはないか?といった点に関して議論をした。
結果的には新たな事業機会というものは見出せなかったが、我々が策定した事業内容をどうすればテイクオフさせることができるか?という点で、有意義な議論ができたと思う。
やはり、それなりのレベルで尚かつ持っている知見が異なる人間が集まって議論をすると、自分たちだけでは見えなかった視点を提供してもらうことができ、新たなアプローチを考えられることを再認識した。そういう意味で、土曜日にも係らず集まってくれたメンバーには、心からお礼を申し上げたい。
ところで、会議を終えて、保育園に悠生を迎えに行き、慌ただしく帰宅すると、ポストに「THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)」という雑誌(見本誌)が入っていた。
今日は、妻が大学院の授業で遅くなる日だったので、僕が保育園に迎えに行き、悠生を連れて帰ってきた後、妻が今朝、出掛ける前に用意しておいてくれた「説明書」をもとに、悠生に「離乳食」を食べさせた。そんなこともあり、とても慌ただしい一日だった。
ところで、「THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)」は、ホームレスの人だけが「販売員」になれる「雑誌」である。200円の販売価格のうち、110円が「販売員(ホームレス)」に支払われる仕組みになっている。
僕のような人間は、こういう「社会的意義のある事業」に弱い。自分でも「やりたい」と思ってしまう。
でも、実際には着手しないだろう。
具体的に言うと、その事業がもたらす「社会的価値(結果)」や「意義(結果)」には強く惹かれるものの、自分がそのための「苦労(プロセス)」をするか?というと、しないだろうということだ。
何故なら、それはとても大変な仕事であり、その労力と社会的価値の割に「(僕が望むレベルの)利益を生まない」ということを、理解できるようになったからだ。
以前であれば、その「矛盾」や自分自身の「本質」を理解できておらず、ややもすると「霞を食ってでも」的なところが多々あったが、ここ10年間で、自分にとっては物凄い苦労(貧乏)と、その逆にそれなりの経済的メリットも享受し、陽と陰の両方を経験したことによって、「理想と現実」ということを、遅まきながら理解したからだろう。
そして、資本主義のメリットを享受したいという意識が、僕の心の中にあるからだと思う。
インタースコープ時代は、良くも悪くも「(最先端)イノベイティブ」なことを指向してきた。
しかし、ドリームビジョンでは、理念や思想の上ではイノベイティブであり続けたいと思っているが、社会的ニーズが確認できているもので、尚かつ、成功確率がある程度読めるもの以外は、実際にビジネスとして取り組むことはしないだろうと思う。インターネットリサーチで言えば、マクロミル的戦略を取ると思う。
マクロミルの優れているところは、リサーチという極めて「属人的スキル」に依存する事業を、そのサービス領域を「限定」することで、業務フローを徹底的に「標準化」し、システム化することで、アウトプットレベルの「均質化」を実現したことだ。
ドリームビジョンは、その理念を考えた時、I.T.を徹底活用しサービスをコモディティ化する、逆に言えば、コモディティ化できる事業「だけ」に取り組むということはしないし、できないと考えているが、社会に対して影響力を行使できる会社になるためには、何らかの形で「コモディティ化」を考える必要があると思っている。
今日の会議での議論と、THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)を手に取っての思索と、慌ただしい子育てにより、そんなことを考えた一日だった。
ところで、僕の周囲には何故か、金融業界に転じる人が増えている。
村上ファンド等の問題はあるにしても、ファイナンシャルなメカニズムの点においても、世の中は確実に変わってきていると感じている。
僕自身も近い将来、何らかのやり方で、ファイナンシャルなビジネスに取り組みたいと考えている。その根底には、やはり、「大きな利益を上げられる可能性がある」という理由があることは否定できないと思う。
今日の会議に出席いただいた外部メンバーの皆さん、本当にありがとうございました。
これからもドリームビジョンを宜しくお願いします。
メンバーは、ドリームビジョンの3人と、学生時代にインタースコープでインターンをしていた2人、そして、創業メンバーである安田くんの幼なじみの友人の計6人だった。
ここ3ヶ月は、ドリームビジョンの理念を曲げることなく、どのようなビジネスモデルが考えられるか?ということを、現在の我々が得られる範囲の情報をもとに、議論を重ねてきたが、今日は我々内部で策定したビジネスモデル(ドラフト)をベースにして、その成功確率を高めるにはどうすればよいか?また、我々が見えていないオポチュニティはないか?といった点に関して議論をした。
結果的には新たな事業機会というものは見出せなかったが、我々が策定した事業内容をどうすればテイクオフさせることができるか?という点で、有意義な議論ができたと思う。
やはり、それなりのレベルで尚かつ持っている知見が異なる人間が集まって議論をすると、自分たちだけでは見えなかった視点を提供してもらうことができ、新たなアプローチを考えられることを再認識した。そういう意味で、土曜日にも係らず集まってくれたメンバーには、心からお礼を申し上げたい。
ところで、会議を終えて、保育園に悠生を迎えに行き、慌ただしく帰宅すると、ポストに「THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)」という雑誌(見本誌)が入っていた。
今日は、妻が大学院の授業で遅くなる日だったので、僕が保育園に迎えに行き、悠生を連れて帰ってきた後、妻が今朝、出掛ける前に用意しておいてくれた「説明書」をもとに、悠生に「離乳食」を食べさせた。そんなこともあり、とても慌ただしい一日だった。
ところで、「THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)」は、ホームレスの人だけが「販売員」になれる「雑誌」である。200円の販売価格のうち、110円が「販売員(ホームレス)」に支払われる仕組みになっている。
僕のような人間は、こういう「社会的意義のある事業」に弱い。自分でも「やりたい」と思ってしまう。
でも、実際には着手しないだろう。
具体的に言うと、その事業がもたらす「社会的価値(結果)」や「意義(結果)」には強く惹かれるものの、自分がそのための「苦労(プロセス)」をするか?というと、しないだろうということだ。
何故なら、それはとても大変な仕事であり、その労力と社会的価値の割に「(僕が望むレベルの)利益を生まない」ということを、理解できるようになったからだ。
以前であれば、その「矛盾」や自分自身の「本質」を理解できておらず、ややもすると「霞を食ってでも」的なところが多々あったが、ここ10年間で、自分にとっては物凄い苦労(貧乏)と、その逆にそれなりの経済的メリットも享受し、陽と陰の両方を経験したことによって、「理想と現実」ということを、遅まきながら理解したからだろう。
そして、資本主義のメリットを享受したいという意識が、僕の心の中にあるからだと思う。
インタースコープ時代は、良くも悪くも「(最先端)イノベイティブ」なことを指向してきた。
しかし、ドリームビジョンでは、理念や思想の上ではイノベイティブであり続けたいと思っているが、社会的ニーズが確認できているもので、尚かつ、成功確率がある程度読めるもの以外は、実際にビジネスとして取り組むことはしないだろうと思う。インターネットリサーチで言えば、マクロミル的戦略を取ると思う。
マクロミルの優れているところは、リサーチという極めて「属人的スキル」に依存する事業を、そのサービス領域を「限定」することで、業務フローを徹底的に「標準化」し、システム化することで、アウトプットレベルの「均質化」を実現したことだ。
ドリームビジョンは、その理念を考えた時、I.T.を徹底活用しサービスをコモディティ化する、逆に言えば、コモディティ化できる事業「だけ」に取り組むということはしないし、できないと考えているが、社会に対して影響力を行使できる会社になるためには、何らかの形で「コモディティ化」を考える必要があると思っている。
今日の会議での議論と、THE BIG ISSUE JAPAN (ビッグイシュー日本版)を手に取っての思索と、慌ただしい子育てにより、そんなことを考えた一日だった。
ところで、僕の周囲には何故か、金融業界に転じる人が増えている。
村上ファンド等の問題はあるにしても、ファイナンシャルなメカニズムの点においても、世の中は確実に変わってきていると感じている。
僕自身も近い将来、何らかのやり方で、ファイナンシャルなビジネスに取り組みたいと考えている。その根底には、やはり、「大きな利益を上げられる可能性がある」という理由があることは否定できないと思う。
今日の会議に出席いただいた外部メンバーの皆さん、本当にありがとうございました。
これからもドリームビジョンを宜しくお願いします。
21才の経営コンサルタント
それは、ドリームビジョンでインターンとして働いている山田くんという大学生のことだ。米国ネブラスカ州立大学に通う学生で、大学を休学してドリームビジョンで働いてくれている。
彼は、特に経営コンサルタント志望というわけではないが、経営分析的スキルが高く、僕が「ああしたい、こうしたい」ということをシャープな視点で分析をし、常に的確なアドバイスをくれる。まさしく、経営コンサルタント的な仕事をしてくれている。
仕事という意味では、彼は金融に興味があり、ドリームビジョンでインターンとして働きながら、土日は金融関係のスクールに通っている。いつだったかは、僕が持っていたある銘柄(株式)の財務状況を分析し、「そろそろ手放した方がいいと思いますよ」とアドバイスをくれた。そのアドバイスを受け入れ、その数日後にその銘柄を売却したところ、見事にその2~3週間後から、その銘柄は下降トレンドを辿っていった。
そんな彼が昨日、僕が社外取締役を務めるラソナとの合同懇親会で、僕に言った言葉が印象に残っている。おそらく、一生忘れないと思う。
彼が言った言葉とは、「今日から(ようやく)ビジネスになりましたね。今までは『理念先行』でしたから(ビジネスになっていなかった)」というひと言だ。
大学生ながら、なんと凄いことを言うやつだと思った。
話しは変わるが、通称「Joi」で知られている伊藤穣一氏が、彼の書籍だったかインタビュー記事だったかで、最近のネットビジネスは30才前後の起業家が勢いがよく、世代交代が進んでいるというようなことを言っていて、その中で、「アマゾンのジェフ・ベゾスの偉いところは、自分から若い人間の話しを聞きに行き、熱心にメモを取っているところだ」と言っていた。そういう姿勢がなければ、やっていけないという意味だ。
そのとおりだと思う。
ベゾスと自分を同列に扱うのは甚だおこがましい話しで恐縮だがが、僕はインタースコープの頃から、大学生の人達と一緒に仕事をし、彼らから多くを学んできた。
こちらは起業家なり経営者で、相手は学生だというような考えは一度も抱いたことがない。
僕ぐらいの能力の持ち主は履いて捨てるほどいるわけで、その中で、僕がこうして何とかやってこれたのは、そういう姿勢があったからだと思う。
それにしても、山田くんの優秀さには脱帽である。将棋の羽生善治さんがいう「高速道路」の話しを、実感として感じている。ラソナの2人のインターンも、めちゃくちゃ優秀である。
ところで、明日は、外部の人々を招いてドリームビジョンの事業戦略会議を開催するのだが、僕以外の人は全員、20代である。
僕の役割はグランドデザインを描いて、その実現フィールドを造ること、そのために必要な資金を調達すること、そして、それなりの人脈を活用して事業の枠組みをデザインしていくことであり、そこで実際にプレーするのは、20代の人達だと考えている。
今日も、慶応大学に通う3年生とドリームビジョンのスタッフとで食事会をしてきたが、そこで繰り広げられる会話は、年齢や属性の差を感じさせないレベルである。
ドリームビジョンも近い将来、そういう優秀な学生の人達が就職したいと思う会社にしたい。
彼は、特に経営コンサルタント志望というわけではないが、経営分析的スキルが高く、僕が「ああしたい、こうしたい」ということをシャープな視点で分析をし、常に的確なアドバイスをくれる。まさしく、経営コンサルタント的な仕事をしてくれている。
仕事という意味では、彼は金融に興味があり、ドリームビジョンでインターンとして働きながら、土日は金融関係のスクールに通っている。いつだったかは、僕が持っていたある銘柄(株式)の財務状況を分析し、「そろそろ手放した方がいいと思いますよ」とアドバイスをくれた。そのアドバイスを受け入れ、その数日後にその銘柄を売却したところ、見事にその2~3週間後から、その銘柄は下降トレンドを辿っていった。
そんな彼が昨日、僕が社外取締役を務めるラソナとの合同懇親会で、僕に言った言葉が印象に残っている。おそらく、一生忘れないと思う。
彼が言った言葉とは、「今日から(ようやく)ビジネスになりましたね。今までは『理念先行』でしたから(ビジネスになっていなかった)」というひと言だ。
大学生ながら、なんと凄いことを言うやつだと思った。
話しは変わるが、通称「Joi」で知られている伊藤穣一氏が、彼の書籍だったかインタビュー記事だったかで、最近のネットビジネスは30才前後の起業家が勢いがよく、世代交代が進んでいるというようなことを言っていて、その中で、「アマゾンのジェフ・ベゾスの偉いところは、自分から若い人間の話しを聞きに行き、熱心にメモを取っているところだ」と言っていた。そういう姿勢がなければ、やっていけないという意味だ。
そのとおりだと思う。
ベゾスと自分を同列に扱うのは甚だおこがましい話しで恐縮だがが、僕はインタースコープの頃から、大学生の人達と一緒に仕事をし、彼らから多くを学んできた。
こちらは起業家なり経営者で、相手は学生だというような考えは一度も抱いたことがない。
僕ぐらいの能力の持ち主は履いて捨てるほどいるわけで、その中で、僕がこうして何とかやってこれたのは、そういう姿勢があったからだと思う。
それにしても、山田くんの優秀さには脱帽である。将棋の羽生善治さんがいう「高速道路」の話しを、実感として感じている。ラソナの2人のインターンも、めちゃくちゃ優秀である。
ところで、明日は、外部の人々を招いてドリームビジョンの事業戦略会議を開催するのだが、僕以外の人は全員、20代である。
僕の役割はグランドデザインを描いて、その実現フィールドを造ること、そのために必要な資金を調達すること、そして、それなりの人脈を活用して事業の枠組みをデザインしていくことであり、そこで実際にプレーするのは、20代の人達だと考えている。
今日も、慶応大学に通う3年生とドリームビジョンのスタッフとで食事会をしてきたが、そこで繰り広げられる会話は、年齢や属性の差を感じさせないレベルである。
ドリームビジョンも近い将来、そういう優秀な学生の人達が就職したいと思う会社にしたい。
自分を見失うとき。
何年ぶりだろうか?
ある年齢以上の人であれば誰でも知っていると思うが、老舗の「金庫」メーカーである「クマヒラ」の創業家のお嬢さん(三代目かな?)の熊平さんという方と久しぶりに会った。たまたまふたりとも恵比寿に移り住んできたこともあり、恵比寿にあるイタリアンレストランで食事をした。
熊平さんとは、「頭の体操」という本で有名な多湖輝先生を介して知り合った。1997年のことなので、そろそろ10年になる。そう思うと感慨深いものがある。
実は熊平さんは、僕の2度目の起業にあたるインタースコープを創業する際に出資もして頂き、一時期は取締役にもなって頂いていた。
久しぶりに熊平さんと会って話したことは、熊平さんが今、どんな仕事をしているのか?と、僕が新しく始めた会社で何をしようとしているのか?だった。
知り合った頃からそうだが、熊平さんは、組織を改革するためのコンサルティングやモチベーションの高い組織を創るための研修を請け負ったりしている。経営や組織改革という領域におけるイノベイティブなことが好きで、とても強い意志とパッションを持った人だ。彼女と話すと、いつも学ぶことが多い。
僕らがインタースコープを創業した2000年頃も、熊平さんからは色々なアドバイスを頂いていたが、その時は「理屈」の上では分かっていたが実際には分からなかったことが、今は「皮膚感覚」というか、「実感」を伴って理解できる(している)という話しをした。
今日(6/7)の熊平さんとの話しで印象に残ったことは、2つ。
そのうちのひとつは、「どうして、マーケティング(コンサルティング)の仕事を辞めてしまったの?もったいない」と言われたことだ。
更にいうと、自分自身でその「理由」を掘り下げていないと、これから僕がやろうとしている、他人の「自己実現」や「気づき」を支援することはできないよというアドバイスだ。確かにそうだなと思い、その場で、改めて何故、僕がマーケティングコンサルティングの仕事をやめようと思ったのか?その「理由」なり「動機」を分析し始めた。
色々と理由はあるが、結論は、そのこと以上にやりたいと思うことがあったから、ということだ。決して、マーケティングコンサルティングの仕事が嫌いになったわけではない。
事実として、ドリームビジョンとして手掛けていこうと思っている事業にも、マーケティングコンサルティング的なことや事業企画開発支援的な要素は色濃く注入されることになる。
僕は何かのキッカケがあってマーケティングコンサルティングに興味を持ったわけではなく、学生の頃からそういう「志向性」があった。因みに、卒業論文は、「マガジンハウスと光文社の比較~その戦略と編集内容~」というような内容だった。
ふたつ目は、組織改革や個人のイノベーションを行う場合、その組織風土や人々のタイプの「アセスメント(評価)」を行うが、そのベースには「ユング」等の心理学を使うらしく、その評価尺度が参考になったことだ。ドリームビジョンの事業にも取り込めそうだと思う。
そのアセスメントの尺度とは、
1. 外交的 v.s. 内向的
2. 概念志向 v.s. ディティール志向
3. 論理的判断 v.s.自分や相手の信条や感情に基づく判断
4. 計画性 v.s.柔軟性
という4つだそうだ。
僕は、「外交的」「概念志向」「自分や相手の信条や感情に基づく判断」「柔軟性」だ。
脳医学的には検証されていないらしいが、いわゆる典型的な「右脳」タイプ」だ。
物議を醸し出すといけないので結果は書かないが、インタースコープ共同創業者の山川さん、大谷さんや杉本さんなどの僕が親しくしている創業経営者を分析してみると、なかなか腑に落ちる結果になっていた(笑)。
組織で仕事をする場合、当然のことながら、相手は自分とは異なるので、相手の行動を自分の立場(尺度)で判断すると、どうしても「理解できない」ことやギャップが発生してしまったり、自分の言わんとすることが「逆の意味」で伝わってしまったりする。組織を活性化したり、意思の疎通を図るためには、まずは、そのことを理解する必要があるということである。
ところで、今日のBlogのタイトルである「自分を見失うとき」であるが、熊平さんとの会話とは直接は関係ない。ただ、彼女との会話をしながら、何故、自分がインタースコープを退任しようと思ったのか?何故、マーケティングコンサルティングの仕事を辞めようと思ったのか?どうして、ドリームビジョンを始めたのか?という一連の「問い」に対して自問自答することで、自分という「人間性」を「再確認」できたのは、特に、この時期においては大きかった。
「自分を見失いかけていた」という意味では、ライブレボリューションの増永さんから、プレジデントビジョンの取材を受けた時は、実は、そういう状況だった。
しかし、増永さんの取材に答えていくうちに本来の自分を再確認することができて、心の中のもやもやが一気にクリアになり、低下気味だったモチベーションが回復したことを覚えている(増永さん、ありがとうございました)。
彼の取材を受けても、その時点では、僕の知識や能力やスキルは何も変化していない。
しかし、「考え方」や「意識」は確実に変わった。そのことにより、僕は大きく変わったと思う。何より、それからは、悩まなくなった。
そのような自分の体験から、ドリームビジョンとして提供していこうと思っていることは、テクニカルなことではなく、「気づき」なのである。
人間を変えるのは、「思い」や「気づき」や「気持ち」だと思う。
追伸:熊平さんのご子息は、中学3年生になったそうだ。最後に会った時は、小学校の中学年だったので、それこそ、別人のようになっているだろう。時の経つのは速い。人生は短い。
ある年齢以上の人であれば誰でも知っていると思うが、老舗の「金庫」メーカーである「クマヒラ」の創業家のお嬢さん(三代目かな?)の熊平さんという方と久しぶりに会った。たまたまふたりとも恵比寿に移り住んできたこともあり、恵比寿にあるイタリアンレストランで食事をした。
熊平さんとは、「頭の体操」という本で有名な多湖輝先生を介して知り合った。1997年のことなので、そろそろ10年になる。そう思うと感慨深いものがある。
実は熊平さんは、僕の2度目の起業にあたるインタースコープを創業する際に出資もして頂き、一時期は取締役にもなって頂いていた。
久しぶりに熊平さんと会って話したことは、熊平さんが今、どんな仕事をしているのか?と、僕が新しく始めた会社で何をしようとしているのか?だった。
知り合った頃からそうだが、熊平さんは、組織を改革するためのコンサルティングやモチベーションの高い組織を創るための研修を請け負ったりしている。経営や組織改革という領域におけるイノベイティブなことが好きで、とても強い意志とパッションを持った人だ。彼女と話すと、いつも学ぶことが多い。
僕らがインタースコープを創業した2000年頃も、熊平さんからは色々なアドバイスを頂いていたが、その時は「理屈」の上では分かっていたが実際には分からなかったことが、今は「皮膚感覚」というか、「実感」を伴って理解できる(している)という話しをした。
今日(6/7)の熊平さんとの話しで印象に残ったことは、2つ。
そのうちのひとつは、「どうして、マーケティング(コンサルティング)の仕事を辞めてしまったの?もったいない」と言われたことだ。
更にいうと、自分自身でその「理由」を掘り下げていないと、これから僕がやろうとしている、他人の「自己実現」や「気づき」を支援することはできないよというアドバイスだ。確かにそうだなと思い、その場で、改めて何故、僕がマーケティングコンサルティングの仕事をやめようと思ったのか?その「理由」なり「動機」を分析し始めた。
色々と理由はあるが、結論は、そのこと以上にやりたいと思うことがあったから、ということだ。決して、マーケティングコンサルティングの仕事が嫌いになったわけではない。
事実として、ドリームビジョンとして手掛けていこうと思っている事業にも、マーケティングコンサルティング的なことや事業企画開発支援的な要素は色濃く注入されることになる。
僕は何かのキッカケがあってマーケティングコンサルティングに興味を持ったわけではなく、学生の頃からそういう「志向性」があった。因みに、卒業論文は、「マガジンハウスと光文社の比較~その戦略と編集内容~」というような内容だった。
ふたつ目は、組織改革や個人のイノベーションを行う場合、その組織風土や人々のタイプの「アセスメント(評価)」を行うが、そのベースには「ユング」等の心理学を使うらしく、その評価尺度が参考になったことだ。ドリームビジョンの事業にも取り込めそうだと思う。
そのアセスメントの尺度とは、
1. 外交的 v.s. 内向的
2. 概念志向 v.s. ディティール志向
3. 論理的判断 v.s.自分や相手の信条や感情に基づく判断
4. 計画性 v.s.柔軟性
という4つだそうだ。
僕は、「外交的」「概念志向」「自分や相手の信条や感情に基づく判断」「柔軟性」だ。
脳医学的には検証されていないらしいが、いわゆる典型的な「右脳」タイプ」だ。
物議を醸し出すといけないので結果は書かないが、インタースコープ共同創業者の山川さん、大谷さんや杉本さんなどの僕が親しくしている創業経営者を分析してみると、なかなか腑に落ちる結果になっていた(笑)。
組織で仕事をする場合、当然のことながら、相手は自分とは異なるので、相手の行動を自分の立場(尺度)で判断すると、どうしても「理解できない」ことやギャップが発生してしまったり、自分の言わんとすることが「逆の意味」で伝わってしまったりする。組織を活性化したり、意思の疎通を図るためには、まずは、そのことを理解する必要があるということである。
ところで、今日のBlogのタイトルである「自分を見失うとき」であるが、熊平さんとの会話とは直接は関係ない。ただ、彼女との会話をしながら、何故、自分がインタースコープを退任しようと思ったのか?何故、マーケティングコンサルティングの仕事を辞めようと思ったのか?どうして、ドリームビジョンを始めたのか?という一連の「問い」に対して自問自答することで、自分という「人間性」を「再確認」できたのは、特に、この時期においては大きかった。
「自分を見失いかけていた」という意味では、ライブレボリューションの増永さんから、プレジデントビジョンの取材を受けた時は、実は、そういう状況だった。
しかし、増永さんの取材に答えていくうちに本来の自分を再確認することができて、心の中のもやもやが一気にクリアになり、低下気味だったモチベーションが回復したことを覚えている(増永さん、ありがとうございました)。
彼の取材を受けても、その時点では、僕の知識や能力やスキルは何も変化していない。
しかし、「考え方」や「意識」は確実に変わった。そのことにより、僕は大きく変わったと思う。何より、それからは、悩まなくなった。
そのような自分の体験から、ドリームビジョンとして提供していこうと思っていることは、テクニカルなことではなく、「気づき」なのである。
人間を変えるのは、「思い」や「気づき」や「気持ち」だと思う。
追伸:熊平さんのご子息は、中学3年生になったそうだ。最後に会った時は、小学校の中学年だったので、それこそ、別人のようになっているだろう。時の経つのは速い。人生は短い。
ホームレス
ドリームビジョンのオフィスは、渋谷にある。
最近、よく通る道の角に「ホームレス」と思われる若い女性が座っている。
以前の僕だったら、「ホームレス=なんで働かないんだ!!!」で片付けていたと思うが、最近は、「彼女は何故?こういう生活をしているんだろう?」と、その背景に意識を向けるようになった。
だいぶ苦労をしてきたので(まだまだ足りないという説もあるが)、少しは大人になったのか?様々な生き方を受け入れるようになったのか?その理由は自分でも整理できれいないが、そんなふうに考えるようになった。
最近見かける女性であれば、マクドナルドのバイトだろうが、ビラ配りだろうが、やれる仕事はたくさんあるはずだし、狭いながらもアパートを借りるぐらいの収入は得ることができるだろう。にも関らず、自分の「意志」でホームレス生活をしているとしたら、そこには何らかの理由があるとしか思えない。物事には必ず、「因果関係」がある。
そんなことを考えた。
ところで、何故、僕は好き好んで「3度も起業」をしたのか?大変な苦労である。でも、そこにも明確な「因果関係」がある。
続きは、またにしよう。
最近、よく通る道の角に「ホームレス」と思われる若い女性が座っている。
以前の僕だったら、「ホームレス=なんで働かないんだ!!!」で片付けていたと思うが、最近は、「彼女は何故?こういう生活をしているんだろう?」と、その背景に意識を向けるようになった。
だいぶ苦労をしてきたので(まだまだ足りないという説もあるが)、少しは大人になったのか?様々な生き方を受け入れるようになったのか?その理由は自分でも整理できれいないが、そんなふうに考えるようになった。
最近見かける女性であれば、マクドナルドのバイトだろうが、ビラ配りだろうが、やれる仕事はたくさんあるはずだし、狭いながらもアパートを借りるぐらいの収入は得ることができるだろう。にも関らず、自分の「意志」でホームレス生活をしているとしたら、そこには何らかの理由があるとしか思えない。物事には必ず、「因果関係」がある。
そんなことを考えた。
ところで、何故、僕は好き好んで「3度も起業」をしたのか?大変な苦労である。でも、そこにも明確な「因果関係」がある。
続きは、またにしよう。
心が疲れるとき。
今週末は、実家から「母親」と弟が上京してきていた。
また、それに合わせて東京に住んでいる末弟夫妻と彼らの子供が遊びにきていて、賑やかな週末だった。
その合間を縫って「原稿」も書き終えて、何よりだった。
ときどき、心が疲れる時がある。
言いようもない不安やプレッシャーに潰されそうになる時がある。
そういう時、今の母親の姿は、僕の心を「やわらかく」してくれる。
実は、今の母親は正確には「養母」である。
ある時、父がまだ生きている時、僕が履歴書だったか何かの家族欄に「母」と書いたら、「『養母』と書くのが正しい」と言ったことがある。
今の母は、産みの母が亡くなった2年後に、父と再婚をして、僕らの「養母」になった人である。
僕が、17才の時だったと思う。
3人兄弟の一番下の弟は、まだ10才だったこともあり、最初は父の再婚に反対をしていた。
しかし、当時の担任の先生や周囲の大人達に相談をし、何故、父が再婚をするのか?その理由を説明されたらしく、すぐに「賛成(了承)」をした。実弟ながら涙ぐましく思った。
その末弟であるが、今となっては、産みの母親の記憶は曖昧になり、今の母親が「実の母親」になっている。今の母親と「共有してきた時間」が、そうさせたのだろう。
実は、今の母親も「養母」に育てられた人だ。そして、最初に結婚した夫も、その人との間に生まれた子供も、不幸にして亡くしてしまっている。尚かつ、2番目の夫(僕らの父)も亡くしてしまった。
そんな苦労をしてきている人なので、僕らの気持ちがわかるのだろう。
僕も次男も、彼女に対しては、言葉にできないものを感じている。
ある時、そんな話しを僕の女友達にしたことがある。すると彼女は、「それは平石さんのお父様が素晴らしい人だったからでしょう」と言っていた。たしかに、そのとおりだと思う。
その「母親」が、いつだったか、僕にこう言ったことがある。
「どんなに辛いことがあっても、自然に咲く花を美しいと思える心があれば、人間は生きていける」。
とても深く、きれいな言葉だと思った。
その「母」は、僕たち3人兄弟の子供達(孫達)を、心から可愛がってくれる。
そんな母親に、僕らは「勇気と自信」をもらってきた。
心が疲れた時、彼女のことを思い出すのは、きっと「必然」なのだろう。
月曜日から湿った話しで恐縮だが、何かの参考になれば幸せである。
また、それに合わせて東京に住んでいる末弟夫妻と彼らの子供が遊びにきていて、賑やかな週末だった。
その合間を縫って「原稿」も書き終えて、何よりだった。
ときどき、心が疲れる時がある。
言いようもない不安やプレッシャーに潰されそうになる時がある。
そういう時、今の母親の姿は、僕の心を「やわらかく」してくれる。
実は、今の母親は正確には「養母」である。
ある時、父がまだ生きている時、僕が履歴書だったか何かの家族欄に「母」と書いたら、「『養母』と書くのが正しい」と言ったことがある。
今の母は、産みの母が亡くなった2年後に、父と再婚をして、僕らの「養母」になった人である。
僕が、17才の時だったと思う。
3人兄弟の一番下の弟は、まだ10才だったこともあり、最初は父の再婚に反対をしていた。
しかし、当時の担任の先生や周囲の大人達に相談をし、何故、父が再婚をするのか?その理由を説明されたらしく、すぐに「賛成(了承)」をした。実弟ながら涙ぐましく思った。
その末弟であるが、今となっては、産みの母親の記憶は曖昧になり、今の母親が「実の母親」になっている。今の母親と「共有してきた時間」が、そうさせたのだろう。
実は、今の母親も「養母」に育てられた人だ。そして、最初に結婚した夫も、その人との間に生まれた子供も、不幸にして亡くしてしまっている。尚かつ、2番目の夫(僕らの父)も亡くしてしまった。
そんな苦労をしてきている人なので、僕らの気持ちがわかるのだろう。
僕も次男も、彼女に対しては、言葉にできないものを感じている。
ある時、そんな話しを僕の女友達にしたことがある。すると彼女は、「それは平石さんのお父様が素晴らしい人だったからでしょう」と言っていた。たしかに、そのとおりだと思う。
その「母親」が、いつだったか、僕にこう言ったことがある。
「どんなに辛いことがあっても、自然に咲く花を美しいと思える心があれば、人間は生きていける」。
とても深く、きれいな言葉だと思った。
その「母」は、僕たち3人兄弟の子供達(孫達)を、心から可愛がってくれる。
そんな母親に、僕らは「勇気と自信」をもらってきた。
心が疲れた時、彼女のことを思い出すのは、きっと「必然」なのだろう。
月曜日から湿った話しで恐縮だが、何かの参考になれば幸せである。
見えている世界が違う。
元F1レーサーの中島悟さんが現役の頃だったと思いますが、とても印象深い言葉を残しています。
「こういうことを言うと誤解をされるかもしれませんが、(アラン)プロストの走りは想像がつきます。でも、セナの走りは想像がつかないんです。どんな世界を見ているのか、想像がつかないんです(だから、セナと同じようには走れない)」。
大のセナファンだった僕は、その言葉を聞いて単純に嬉しく思ったのと、中島悟さんが言っていることの意味を何となくですが、理解できるような気がしました。
その中島さんの話しを、つい先日、思い出しました。それは、6月1日に行ったマネックス証券の松本さんとの対談をしている時です。
僕の周りには、自分で創業した会社を上場させた「起業家(創業経営者)」がたくさんいます。
誤解を恐れずに言えば、見ている世界を想像できる人もいます。しかし、松本さんと話しをしていて、感じたことは、「この人が見ている世界は僕には想像がつかない」ということです。
敢えて言えば、理論的に想像することは僕にもできます。しかし、「皮膚感覚で理解することはできないだろうな、それも一生」と思いました。まさしく、「I have realized my limitation.(自分の限界を悟った)」です。
ストレートに言えば、人間としての出来が違う。持って生まれたものが違うのです。改めてそう思いました。
昔の僕(血気盛んで世の中が見えていなかった頃/笑。今もそうかもしれませんが・・・)だったら、かなりのショックを感じたかもしれません。でも、一昨日はそうは思いませんでした。
・・・ここまで書いて、また、別の言葉を思い出しました。それは、僕が20代の頃に勤めていたODSという会社の創業者(当時の社長で今もご健在です)の山口さんが僕に言った言葉です。
「林(その当時の僕の上司)は、大したもんだな。人間、バカなのは、たいしてハンディにならないが、自分がバカだということを知らないのは、物凄く大きなハンディになる。それをあなたに分からせようとしたのかどうかは分からないが、あなたにそう言ったのはたいしたもんだなあ」。
要するに、林さんという当時の僕の上司は、僕に対して「お前は自分のことを世界一バカだと思え」と言ったのです。
ODSの山口さんが僕に言いたかったことは、「自分の能力の限界を知っていれば、自分では分からない、判断できないことがあれば、そのことを判断できる人に助言を求めるだろうし、その方の意見に耳を傾けることができる。しかし、自分の能力の限界を知らなければ、そういう判断自体ができない」ということだったのだと思います。
僕の大好きなゴルフで言えば、自分の「飛距離や実力」を自覚していれば、無謀なチャレンジをして、池にボールを打ち込むことはしないだろうということです。
その頃の僕は、コンサルティング会社に入ったはいいが、まるで仕事ができずに、日々、悩んでいました。今にして思うと、あの頃は完全に「自律神経失調症(拒食症)」だったと思います。体重が今よりも10キロも少なくて、食欲が殆どなく、たったひとつのロールパンとポテトサラダとコーンスープのランチセットを全部食べることが出来ませんでした。自分でも不思議でした。
松本さんは中学か高校の時、物理で「世界的な功績」を残すことはできないだろうと悟ったそうです。それ故に、物理学の世界に進むことはしなかったそうです。
僕は、中学や高校時代、そんなスケールのことを考えたこともなかったし、自分ができるとも思いませんでした。当時、バンドをやっていた僕が思っていたことは、日比谷の野外音楽堂で、満員の観客のもとでコンサートができて、観客の方から心からのアンコールをもらえたら、その場で死んでもいい(今にして思うと恥ずかしい話しです/笑)ということぐらいでした。そのことも、なかなか実現できることではないのは事実ですが・・・。
30才でゴールドマンサックスの最年少パートナーになった人なのですから、冷静に考えれば、当たり前のことかもしれません。松本さんの人間性の良さ故、僕のような人の話しも聞いてくれるので、そういうことを考えなかっただけなのでしょう。
ひとつだけ、僕が自分自身のことで自信を深めることができたことがあります。
それは、僕がドリームビジョンを始めようと思った「理由」のことです。
そして、そのことを決して忘れずに、ドリームビジョンを経営していこうと思います。
僕にとって「2番目の起業」だったインタースコープは、自分自身の成功をドライビングフォースにして創った会社でした。
もちろん、そこには、当時は海のものとも山のものとも分からない「インターネットリサーチ」という手法は必ず、社会の役に立つし、きっとそれが「デファクトスタンダード」になる日が来るという「信念」がありました。だからこそ、統計の権威と言わる諸先生達に扱き下ろされても、直接に罵倒を浴びせられても、平気でした。でも、そこに私利私欲が無かったと言ったら、それは嘘になります。
一方、先日のBlogにも関連することを書きましたが、ソフトバンクの孫さんが日経新聞のインタビューの中で、「若者が一攫千金を夢見てチャレンジすることを否定してはいけない。それが活力になる」と言っています。そして、僕もそう思います。しかし、本当に世の中から認められ、永く続く会社を創るためには、そういう次元では創れないだろうとも思います。
しかし、人間は「途中」で変わることができます。僕もそうありたいと思っています。
これから書く内容は、僕が松本さんには敵わないと思っていることの理由とは異なるし、僕が松本さんに「透明感」や「崇高さ」を感じている理由とは違うのですが、まさしく「今現在」の僕が直面している現実に関連するテーマだった故に、僕にとっては、とても印象に残っていることです。
それは、創業経営者の「シェア」に対する考え方です。
今現在の僕が直面している現実とは、この先、ドリームビジョンの創業経営者として、自社に対する「シェア(持株比率)」をどの程度にするか?どうやって保つか?ということです。
その背景には、ある「トラウマ」があります。
僕はインタースコープにおいては、創業経営者でありながら、自分のシェアを大きく失いました。
これは本心ですが、自分のシェアではなく、インタースコープの事業を伸ばすために必要な資金を調達することの方が当然、大切だし、そのためであれば、自分のシェアには拘らない、そう考えて経営をしてきました。しかし、結果的には、自分の理想とする経営はできなかったし、自分で納得のいく結果も残せませんでした。
でも、それは、シェアの問題ではなく、自分の「能力」と「ドライビングフォース」に問題があったと思っています。
松本さんが僕の「これからの人生において成し遂げたいことは何か?」という質問に対して、一言一句は覚えていませんが、「特に、そういうものはありませんが、これだけは『したくない』と思っていることがあります。自分の『操』を失ってしまったら、頑張れなくなってしまいますから」と答えているのを聴きながら、自分の心の奥底にある、あることを思い出していました。
今日のBlogでは、そのことを書くつもりはありませんが、それは、僕にとって、「2度と起こしてはいけない間違い」です。そのことを、改めて考えていました。
僕がドリームビジョンという会社を通じて、世の中に「実現」させていこうと思っている「理念」は、僕の私利私欲ではなく、社会的に極めて有意義であり、より良い社会の実現に通じることだと思っています。そして、そのことは、弊社の「企業理念」として明文化しています。
松本さんがSONYと折半出資でマネックスを創った時、「証券会社」という、人々のお金を扱う極めて「公共性」が高い事業を行う会社において、ある特定の個人や法人が大きなシェアを持っていることは好ましくないという理由で資本政策も考えたし、必ず、株式公開をさせる(パブリックカンパニーにする)ということを「投資契約」に盛り込んだそうです。
松本さんは、「会社(ベンチャー企業)というのは、最初は創業者と同じ(一心同体)ですよね。でも、成長していくと共に、だんだんと少しずつ、分かれていくじゃないですか。タイミングを間違うと会社が存続しなくなってしまいますが、徐々に『親離れ、子離れ』が必要だということです」と言っていました。
このことは、僕もそう考えているし、特に、違和感を覚えはしませんでした。
しかし、松本さんが、「自分自身は『民主的なプロセス』を経て選ばれた人間(経営者)ではない(自らの意志で事業を興した創業者という意味)し、人間は年を取ると必ず、間違いを起こす。なので、必要以上に高いシェアを持っていることは必ずしも良いことではない(むしろ危険である)」と言っていたことは、こうして、夜中にBlogに書くほどに、僕の脳裏に強烈に刻印されました。
この話しは、たかがBlogに書くようなレベルの話しではないし、僕レベルの人間が論じられるような話しでもありません。そのぐらい「奥が深い」話しです。
ソフトバンクの孫さんが、vodafoneを買収するに際して、ご自身のシェアの問題もあり、増資での資金調達には限界があるという話しが新聞等に出ていましたが、それは、「これだけの大勝負ができるのは、孫さんのような人だからであり、その孫さんが経営のトップとして采配を振るうためにも、ある程度のシェア(資本の論理)を保つことが必要である」ということだと思います。そして、それは事実だと思います。
しかし、より多くの人が「共鳴」する「崇高な理念」を持ち、それが「よい良い社会の実現」に寄与することであり、それを実現するには「その人でなければいけない」何かを持っていれば、「資本の論理」に依拠する必要はないのかもしれません。
しかし、難しいのは、その会社のステイクホルダーが、必ずしもそういう判断をできるとは限らない、ということです。リスクが高いことであれば、その事業の社会的価値がいかに高かろうが、自分たちの利益を優先して、その判断を否定する可能性もあるからです。
松本さんは、こうも言っていました。
「市民、顧客、株主、従業員(社員)というのが会社のステイクホルダーであり、『経営者』はステイクホルダーではないのです。それらのステイクホルダーのために存在しているのが、経営者なのです。にも関らず、経営者の『居心地』がいいことを優先して経営の意思決定がなされていることが多い」というようなことを言っていました。
考えさせられる話しです。
松本さんは、身体中からエネルギーが溢れ出ているような人ではありません。しかし、その内面には、確固とした「信念」があり、揺るぎない「強い意志」を持っている人です。僕も、そんな人になれたらと思います。
そして、社員の人達は、経営者のことをよく見ています。
いくら口先で偉そうなことを言っても、このBlogで偉そうなことを書いても、行動が伴わなければ、評価はされません。
その厳しい視線を常に意識して、頑張っていこうと思います。
まだまだ、煩悩を捨てきれるとは考えていませんが・・・。
追伸:もうひとつ、松本さんが「(企業にとって)有事の時」に関する話しをしていましたが、それに関しては記憶が曖昧なので、内容を確認してから書きたいと思います。
「こういうことを言うと誤解をされるかもしれませんが、(アラン)プロストの走りは想像がつきます。でも、セナの走りは想像がつかないんです。どんな世界を見ているのか、想像がつかないんです(だから、セナと同じようには走れない)」。
大のセナファンだった僕は、その言葉を聞いて単純に嬉しく思ったのと、中島悟さんが言っていることの意味を何となくですが、理解できるような気がしました。
その中島さんの話しを、つい先日、思い出しました。それは、6月1日に行ったマネックス証券の松本さんとの対談をしている時です。
僕の周りには、自分で創業した会社を上場させた「起業家(創業経営者)」がたくさんいます。
誤解を恐れずに言えば、見ている世界を想像できる人もいます。しかし、松本さんと話しをしていて、感じたことは、「この人が見ている世界は僕には想像がつかない」ということです。
敢えて言えば、理論的に想像することは僕にもできます。しかし、「皮膚感覚で理解することはできないだろうな、それも一生」と思いました。まさしく、「I have realized my limitation.(自分の限界を悟った)」です。
ストレートに言えば、人間としての出来が違う。持って生まれたものが違うのです。改めてそう思いました。
昔の僕(血気盛んで世の中が見えていなかった頃/笑。今もそうかもしれませんが・・・)だったら、かなりのショックを感じたかもしれません。でも、一昨日はそうは思いませんでした。
・・・ここまで書いて、また、別の言葉を思い出しました。それは、僕が20代の頃に勤めていたODSという会社の創業者(当時の社長で今もご健在です)の山口さんが僕に言った言葉です。
「林(その当時の僕の上司)は、大したもんだな。人間、バカなのは、たいしてハンディにならないが、自分がバカだということを知らないのは、物凄く大きなハンディになる。それをあなたに分からせようとしたのかどうかは分からないが、あなたにそう言ったのはたいしたもんだなあ」。
要するに、林さんという当時の僕の上司は、僕に対して「お前は自分のことを世界一バカだと思え」と言ったのです。
ODSの山口さんが僕に言いたかったことは、「自分の能力の限界を知っていれば、自分では分からない、判断できないことがあれば、そのことを判断できる人に助言を求めるだろうし、その方の意見に耳を傾けることができる。しかし、自分の能力の限界を知らなければ、そういう判断自体ができない」ということだったのだと思います。
僕の大好きなゴルフで言えば、自分の「飛距離や実力」を自覚していれば、無謀なチャレンジをして、池にボールを打ち込むことはしないだろうということです。
その頃の僕は、コンサルティング会社に入ったはいいが、まるで仕事ができずに、日々、悩んでいました。今にして思うと、あの頃は完全に「自律神経失調症(拒食症)」だったと思います。体重が今よりも10キロも少なくて、食欲が殆どなく、たったひとつのロールパンとポテトサラダとコーンスープのランチセットを全部食べることが出来ませんでした。自分でも不思議でした。
松本さんは中学か高校の時、物理で「世界的な功績」を残すことはできないだろうと悟ったそうです。それ故に、物理学の世界に進むことはしなかったそうです。
僕は、中学や高校時代、そんなスケールのことを考えたこともなかったし、自分ができるとも思いませんでした。当時、バンドをやっていた僕が思っていたことは、日比谷の野外音楽堂で、満員の観客のもとでコンサートができて、観客の方から心からのアンコールをもらえたら、その場で死んでもいい(今にして思うと恥ずかしい話しです/笑)ということぐらいでした。そのことも、なかなか実現できることではないのは事実ですが・・・。
30才でゴールドマンサックスの最年少パートナーになった人なのですから、冷静に考えれば、当たり前のことかもしれません。松本さんの人間性の良さ故、僕のような人の話しも聞いてくれるので、そういうことを考えなかっただけなのでしょう。
ひとつだけ、僕が自分自身のことで自信を深めることができたことがあります。
それは、僕がドリームビジョンを始めようと思った「理由」のことです。
そして、そのことを決して忘れずに、ドリームビジョンを経営していこうと思います。
僕にとって「2番目の起業」だったインタースコープは、自分自身の成功をドライビングフォースにして創った会社でした。
もちろん、そこには、当時は海のものとも山のものとも分からない「インターネットリサーチ」という手法は必ず、社会の役に立つし、きっとそれが「デファクトスタンダード」になる日が来るという「信念」がありました。だからこそ、統計の権威と言わる諸先生達に扱き下ろされても、直接に罵倒を浴びせられても、平気でした。でも、そこに私利私欲が無かったと言ったら、それは嘘になります。
一方、先日のBlogにも関連することを書きましたが、ソフトバンクの孫さんが日経新聞のインタビューの中で、「若者が一攫千金を夢見てチャレンジすることを否定してはいけない。それが活力になる」と言っています。そして、僕もそう思います。しかし、本当に世の中から認められ、永く続く会社を創るためには、そういう次元では創れないだろうとも思います。
しかし、人間は「途中」で変わることができます。僕もそうありたいと思っています。
これから書く内容は、僕が松本さんには敵わないと思っていることの理由とは異なるし、僕が松本さんに「透明感」や「崇高さ」を感じている理由とは違うのですが、まさしく「今現在」の僕が直面している現実に関連するテーマだった故に、僕にとっては、とても印象に残っていることです。
それは、創業経営者の「シェア」に対する考え方です。
今現在の僕が直面している現実とは、この先、ドリームビジョンの創業経営者として、自社に対する「シェア(持株比率)」をどの程度にするか?どうやって保つか?ということです。
その背景には、ある「トラウマ」があります。
僕はインタースコープにおいては、創業経営者でありながら、自分のシェアを大きく失いました。
これは本心ですが、自分のシェアではなく、インタースコープの事業を伸ばすために必要な資金を調達することの方が当然、大切だし、そのためであれば、自分のシェアには拘らない、そう考えて経営をしてきました。しかし、結果的には、自分の理想とする経営はできなかったし、自分で納得のいく結果も残せませんでした。
でも、それは、シェアの問題ではなく、自分の「能力」と「ドライビングフォース」に問題があったと思っています。
松本さんが僕の「これからの人生において成し遂げたいことは何か?」という質問に対して、一言一句は覚えていませんが、「特に、そういうものはありませんが、これだけは『したくない』と思っていることがあります。自分の『操』を失ってしまったら、頑張れなくなってしまいますから」と答えているのを聴きながら、自分の心の奥底にある、あることを思い出していました。
今日のBlogでは、そのことを書くつもりはありませんが、それは、僕にとって、「2度と起こしてはいけない間違い」です。そのことを、改めて考えていました。
僕がドリームビジョンという会社を通じて、世の中に「実現」させていこうと思っている「理念」は、僕の私利私欲ではなく、社会的に極めて有意義であり、より良い社会の実現に通じることだと思っています。そして、そのことは、弊社の「企業理念」として明文化しています。
松本さんがSONYと折半出資でマネックスを創った時、「証券会社」という、人々のお金を扱う極めて「公共性」が高い事業を行う会社において、ある特定の個人や法人が大きなシェアを持っていることは好ましくないという理由で資本政策も考えたし、必ず、株式公開をさせる(パブリックカンパニーにする)ということを「投資契約」に盛り込んだそうです。
松本さんは、「会社(ベンチャー企業)というのは、最初は創業者と同じ(一心同体)ですよね。でも、成長していくと共に、だんだんと少しずつ、分かれていくじゃないですか。タイミングを間違うと会社が存続しなくなってしまいますが、徐々に『親離れ、子離れ』が必要だということです」と言っていました。
このことは、僕もそう考えているし、特に、違和感を覚えはしませんでした。
しかし、松本さんが、「自分自身は『民主的なプロセス』を経て選ばれた人間(経営者)ではない(自らの意志で事業を興した創業者という意味)し、人間は年を取ると必ず、間違いを起こす。なので、必要以上に高いシェアを持っていることは必ずしも良いことではない(むしろ危険である)」と言っていたことは、こうして、夜中にBlogに書くほどに、僕の脳裏に強烈に刻印されました。
この話しは、たかがBlogに書くようなレベルの話しではないし、僕レベルの人間が論じられるような話しでもありません。そのぐらい「奥が深い」話しです。
ソフトバンクの孫さんが、vodafoneを買収するに際して、ご自身のシェアの問題もあり、増資での資金調達には限界があるという話しが新聞等に出ていましたが、それは、「これだけの大勝負ができるのは、孫さんのような人だからであり、その孫さんが経営のトップとして采配を振るうためにも、ある程度のシェア(資本の論理)を保つことが必要である」ということだと思います。そして、それは事実だと思います。
しかし、より多くの人が「共鳴」する「崇高な理念」を持ち、それが「よい良い社会の実現」に寄与することであり、それを実現するには「その人でなければいけない」何かを持っていれば、「資本の論理」に依拠する必要はないのかもしれません。
しかし、難しいのは、その会社のステイクホルダーが、必ずしもそういう判断をできるとは限らない、ということです。リスクが高いことであれば、その事業の社会的価値がいかに高かろうが、自分たちの利益を優先して、その判断を否定する可能性もあるからです。
松本さんは、こうも言っていました。
「市民、顧客、株主、従業員(社員)というのが会社のステイクホルダーであり、『経営者』はステイクホルダーではないのです。それらのステイクホルダーのために存在しているのが、経営者なのです。にも関らず、経営者の『居心地』がいいことを優先して経営の意思決定がなされていることが多い」というようなことを言っていました。
考えさせられる話しです。
松本さんは、身体中からエネルギーが溢れ出ているような人ではありません。しかし、その内面には、確固とした「信念」があり、揺るぎない「強い意志」を持っている人です。僕も、そんな人になれたらと思います。
そして、社員の人達は、経営者のことをよく見ています。
いくら口先で偉そうなことを言っても、このBlogで偉そうなことを書いても、行動が伴わなければ、評価はされません。
その厳しい視線を常に意識して、頑張っていこうと思います。
まだまだ、煩悩を捨てきれるとは考えていませんが・・・。
追伸:もうひとつ、松本さんが「(企業にとって)有事の時」に関する話しをしていましたが、それに関しては記憶が曖昧なので、内容を確認してから書きたいと思います。
村上ファンド
America Marketing Association 主催の「Marketing on the Internet」というカンファレンスに出席したことがある。2001年3月末から4月1日にかけて開催(だったと思う)されたもので、社団法人日本マーケティング協会が企画したツアーだった。
その時に一緒だったメンバーの何人かとは、今も親交が続いており、先日も、僕も「3度目の起業」をお祝いしてくれるということで、集まってくれた。
このメンバーで集まると、何かしら「記憶に残るフレーズや言葉」が出てくる。
「温かいお金、冷たいお金、ゆるいお金」というのが、先日の会合で生まれたキーワードだった。
インタースコープの時もそうだが、今回(ドリームビジョン)の起業に際しても、僕のことを応援してくれて、お金を出してくれるという人が何人かいる。とてもありがたいことだ。
ある日、その中のある人に、当然の礼儀として、道半ばにしてインタースコープを退任することになった理由を説明をした。眺望のよい日本料理レストランでランチを食べながら話しをした。
その時に彼に言われたことは、「平石さん、僕だけでなく、インタースコープに出資した人達(平石さん関係者)は、平石さんに『夢』を託したんですよ。ご理解されているとは思いますが、そのことだけは改めて言っておきます」いうことだった。そして、彼は今も尚、以前と変わらず、僕のことを支援してくれている。
何とも言えない(申し訳ない)気持ちでいっぱいになった。
さて、話しを今回のテーマである「温かいお金、冷たいお金、ゆるいお金」に戻そう。
その彼が出資してくれているのは間違いなく、「温かいお金」である。そのことの「重み」は、この先の人生を歩んで行くに際して、改めて考える必要があると思っている。2度と「不義理」をしてはいけない。絶対に。
では、「冷たいお金」というのは、どういうお金だろう?
話しは脱線するが、僕は「日本生命」のコマーシャル(現在、流れているもの)が好きだ。時々、涙が出てくる。「愛情はお金では買えませんが、お金に愛情を込めることはできます」と言ってたと思う。
ところで、「村上さん(ファンド)」の「お金」は、「温かい」のか?「冷たい」のか?、それとも、「ゆるい」のか?
「村上ファンド」に出資するには、最低金額が「10億円」だそうである。
ファンドの平均パフォーマンス(利回り)は、たしか、20~30%(期間は覚えていない)だったと思うので、10億円が12~13億円になって返ってくるということだ。悪くない話しである。株式やマーケットに関する知識が豊富でない人が、それだけの利益を上げることは簡単ではない。ましてや、10億円単位のお金となると、投資する銘柄によっては、マーケットに与える影響も出てくるだろうから、自分の行為が株価を上げることにもなってしまい、「安値で買って、高値で売る」ということが、簡単には出来なくなってしまうからだ。だから、大きなお金を動かす場合は、時価総額の大きな銘柄に投資して、尚かつ、「確実に」値上がりに結びつく情報を「事前に」入手できれば、大きな利益を上げられるわけである。それを、非合法な手段で行ってしまうとインサイダー取引になってしまう。意図的であるかないかに関らず。
あるパーティーで、村上さんのスピーチを聴いたことがある。自己紹介で自分のことを、「上場企業の『敵』と言われている村上です」と挨拶をしていた。問題は、彼が何故、「敵」と言われるのか?だと思う。
僕は不勉強で詳しくは知らないが、金融の世界にいる人であれば誰でも知っている「ウォーレン・バフェット」という人がいる。「バークシャー・ハサウェイ」という投資会社を経営している人物だ。
ある人から教わったことであるが、彼は「50年持つつもりがない会社の株は、5分たりとも持つな」と言っているそうである。同じ投資家でも、彼のことを悪く言う人はいないのではないだろうか?
また、彼は「周囲の人からそれなりの評判を得るには20年かかる。だが、その評判はたった5分で崩れることがある。そのことを頭に入れておけば今後の生き方が変わるはずだ」とも言っているそうである。
身につまされる話しである。
その時に一緒だったメンバーの何人かとは、今も親交が続いており、先日も、僕も「3度目の起業」をお祝いしてくれるということで、集まってくれた。
このメンバーで集まると、何かしら「記憶に残るフレーズや言葉」が出てくる。
「温かいお金、冷たいお金、ゆるいお金」というのが、先日の会合で生まれたキーワードだった。
インタースコープの時もそうだが、今回(ドリームビジョン)の起業に際しても、僕のことを応援してくれて、お金を出してくれるという人が何人かいる。とてもありがたいことだ。
ある日、その中のある人に、当然の礼儀として、道半ばにしてインタースコープを退任することになった理由を説明をした。眺望のよい日本料理レストランでランチを食べながら話しをした。
その時に彼に言われたことは、「平石さん、僕だけでなく、インタースコープに出資した人達(平石さん関係者)は、平石さんに『夢』を託したんですよ。ご理解されているとは思いますが、そのことだけは改めて言っておきます」いうことだった。そして、彼は今も尚、以前と変わらず、僕のことを支援してくれている。
何とも言えない(申し訳ない)気持ちでいっぱいになった。
さて、話しを今回のテーマである「温かいお金、冷たいお金、ゆるいお金」に戻そう。
その彼が出資してくれているのは間違いなく、「温かいお金」である。そのことの「重み」は、この先の人生を歩んで行くに際して、改めて考える必要があると思っている。2度と「不義理」をしてはいけない。絶対に。
では、「冷たいお金」というのは、どういうお金だろう?
話しは脱線するが、僕は「日本生命」のコマーシャル(現在、流れているもの)が好きだ。時々、涙が出てくる。「愛情はお金では買えませんが、お金に愛情を込めることはできます」と言ってたと思う。
ところで、「村上さん(ファンド)」の「お金」は、「温かい」のか?「冷たい」のか?、それとも、「ゆるい」のか?
「村上ファンド」に出資するには、最低金額が「10億円」だそうである。
ファンドの平均パフォーマンス(利回り)は、たしか、20~30%(期間は覚えていない)だったと思うので、10億円が12~13億円になって返ってくるということだ。悪くない話しである。株式やマーケットに関する知識が豊富でない人が、それだけの利益を上げることは簡単ではない。ましてや、10億円単位のお金となると、投資する銘柄によっては、マーケットに与える影響も出てくるだろうから、自分の行為が株価を上げることにもなってしまい、「安値で買って、高値で売る」ということが、簡単には出来なくなってしまうからだ。だから、大きなお金を動かす場合は、時価総額の大きな銘柄に投資して、尚かつ、「確実に」値上がりに結びつく情報を「事前に」入手できれば、大きな利益を上げられるわけである。それを、非合法な手段で行ってしまうとインサイダー取引になってしまう。意図的であるかないかに関らず。
あるパーティーで、村上さんのスピーチを聴いたことがある。自己紹介で自分のことを、「上場企業の『敵』と言われている村上です」と挨拶をしていた。問題は、彼が何故、「敵」と言われるのか?だと思う。
僕は不勉強で詳しくは知らないが、金融の世界にいる人であれば誰でも知っている「ウォーレン・バフェット」という人がいる。「バークシャー・ハサウェイ」という投資会社を経営している人物だ。
ある人から教わったことであるが、彼は「50年持つつもりがない会社の株は、5分たりとも持つな」と言っているそうである。同じ投資家でも、彼のことを悪く言う人はいないのではないだろうか?
また、彼は「周囲の人からそれなりの評判を得るには20年かかる。だが、その評判はたった5分で崩れることがある。そのことを頭に入れておけば今後の生き方が変わるはずだ」とも言っているそうである。
身につまされる話しである。