捨てる勇気
以前にも書いたが、僕は「中学浪人」をしたことがある。
地元(福島県)の進学校を受けて不合格となった僕は、二次募集で他の高校に入学したが、どうしてもモチベーションが続かず、3ヶ月で退学した。
その後、予備校に通ったわけだが、途中から成績が悪くなり、僕が「リベンジ」をしたい「安積高校」ではなく、その次のランクの高校を受けた方がよいのではないか?という話しが出た時があった。
その時の僕は、まだ、生きていた母親との会話において、「前に進む勇気は簡単だけど、僕には一歩退く勇気はない」と言ったことを覚えている。
結果的には、安積高校に合格したが、その時に「退く」勇気を持っていたら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。
ある人と話しをしていて、そのことを思い出した。
それが上記でいう「退く」こととは違うと思うが、僕は丸6年かけて創ったインタースコープという基盤を自分から放棄した。ある意味で過去のことは「捨てた」ということだ。
でも、今の僕には、まだまだ「捨てるべきこと」があるような気がする。
それが何なのか?自分で分かっていることもあるし、気がついていないこともあると思う。
「内なる自分の声に素直に耳を傾ける」努力が、まだまだ足りないのかもしれない。
社会的な価値基準に引きずられていたり、変な見栄やプライドが邪魔をしているところが多々あるんだろう。悟りの境地になれるほど、人生の経験を積んでいないが、まだまだ「捨てる」べきものがあるように思う。
平石郁生という人間の本質を考えて、「優先順位」をもう一度、考えてみようと思う。
地元(福島県)の進学校を受けて不合格となった僕は、二次募集で他の高校に入学したが、どうしてもモチベーションが続かず、3ヶ月で退学した。
その後、予備校に通ったわけだが、途中から成績が悪くなり、僕が「リベンジ」をしたい「安積高校」ではなく、その次のランクの高校を受けた方がよいのではないか?という話しが出た時があった。
その時の僕は、まだ、生きていた母親との会話において、「前に進む勇気は簡単だけど、僕には一歩退く勇気はない」と言ったことを覚えている。
結果的には、安積高校に合格したが、その時に「退く」勇気を持っていたら、僕の人生は大きく変わっていたかもしれない。
ある人と話しをしていて、そのことを思い出した。
それが上記でいう「退く」こととは違うと思うが、僕は丸6年かけて創ったインタースコープという基盤を自分から放棄した。ある意味で過去のことは「捨てた」ということだ。
でも、今の僕には、まだまだ「捨てるべきこと」があるような気がする。
それが何なのか?自分で分かっていることもあるし、気がついていないこともあると思う。
「内なる自分の声に素直に耳を傾ける」努力が、まだまだ足りないのかもしれない。
社会的な価値基準に引きずられていたり、変な見栄やプライドが邪魔をしているところが多々あるんだろう。悟りの境地になれるほど、人生の経験を積んでいないが、まだまだ「捨てる」べきものがあるように思う。
平石郁生という人間の本質を考えて、「優先順位」をもう一度、考えてみようと思う。
期待値
ワールドカップが終わって、各種マスコミの報道が目に留まる。
中には、単純にジーコ監督や選手の批判をするだけのモノもあり、憤りを感じることも少なくない。自分たちの期待が裏切られたことの反動なのか?
ジャーナリズムというものは本来、ある事実に基づき、ニュートラルな立場あるいは自社の立場を明確にした上で、その出来事の社会的意味を広く報じることが役割のはずであるが、ネガティブなことを書いた方が売れ行きがよいというような風潮があり、それがマーケティングと言えばそれまでだが、何とも残念な気持ちになることがある。
しかし、元を質せば、国民のレベルがそのようなマスコミの体質を作っているわけで、それこそ、マスコミの批判だけをしても始まらない。
「教育こそが社会を変え得る」と思う所以である。たまには短く。
中には、単純にジーコ監督や選手の批判をするだけのモノもあり、憤りを感じることも少なくない。自分たちの期待が裏切られたことの反動なのか?
ジャーナリズムというものは本来、ある事実に基づき、ニュートラルな立場あるいは自社の立場を明確にした上で、その出来事の社会的意味を広く報じることが役割のはずであるが、ネガティブなことを書いた方が売れ行きがよいというような風潮があり、それがマーケティングと言えばそれまでだが、何とも残念な気持ちになることがある。
しかし、元を質せば、国民のレベルがそのようなマスコミの体質を作っているわけで、それこそ、マスコミの批判だけをしても始まらない。
「教育こそが社会を変え得る」と思う所以である。たまには短く。
ブランド認知
昨日はETICが主催するインターンシップフェアがあった。
ETICとはインタースコープ時代からの付き合いで、かれこれ6年以上になるが、ドリームビジョンの事業スピードを加速するために優秀なスタッフを採用するべく、現在3名のスタッフ全員で参加した。
そこで、久しぶりにDeNAの南場さんと会った。
こちらから挨拶すると、いつもの明るいノリで、「あー久しぶりですね」と返事が返って来た。
僕が、インタースコープを退任して、新しいビジネスを始めたことを言うと、「えっ、そうだったんですか。社名を変えたのかと思っていました。今度は、どんなことをされるんですか?」という「想定外」のリアクションが返ってきた。
要するに、南場さんにとっては「平石郁生(記号性)=インターネットリサーチ(意味性)」という構造のままだったということだ。
ビジネスにおいて最もマーケティングコストが要るのが「認知と理解」の獲得であるが、そのことを身を以て感じた瞬間だった。
南場さんのところには、毎日それこそ物凄い量の情報が届くだろうから、そのひとつひとつを精読する時間はないだろう。日頃から南場さんと何らかの接点があれば別だが、そうでなければ、僕がインタースコープを退任し、ドリームビジョンを設立したというニュースが届いても、正確に理解しないことは不思議ではない。ロジカルに考えてみると「想定の範囲内」ということだ。
ドリームビジョンとしては初めてインターンシップフェアだったが、「認知と理解とマインドシェア(関心度)」という点では、大きな収穫もあった。
1社3分ずつの全体プレゼンの後、各社の個別ブースにて、興味を持ってくれた学生達と質疑応答をするわけだが、まず、そこに学生が来てくれたこと(正直、ほっとした)、そして、来てくれた学生は僕らが来て欲しい(採用したい)と思っているタイプの人達であり、ドリームビジョンという「知名度ゼロ」の会社のやろうとしていること(意味性)が理解され、興味を持ってもらえたということは、とても嬉しいことだった。
インタースコープの平石の頃から感じていることだが、学生という「マーケット」は「情報(起業家のビジョン)」に対して、極めてビビッドに反応を示す。
学生が興味を持つかもたないかは、「分かりやすい商品やサービス」 and/or 「起業家自身の魅力」の2つで決まる。
興味がない会社のブースには、人は来ない。自社と自分という「商品力」がシビアに試される瞬間である。
あの南場さんでさえ、「いくつになってもドキドキするなあ」と言っていたが、僕にとってもビジネス上のプレゼンテーションやスピーチよりも、大きなプレッシャーと緊張を感じる一日である。
ETICとはインタースコープ時代からの付き合いで、かれこれ6年以上になるが、ドリームビジョンの事業スピードを加速するために優秀なスタッフを採用するべく、現在3名のスタッフ全員で参加した。
そこで、久しぶりにDeNAの南場さんと会った。
こちらから挨拶すると、いつもの明るいノリで、「あー久しぶりですね」と返事が返って来た。
僕が、インタースコープを退任して、新しいビジネスを始めたことを言うと、「えっ、そうだったんですか。社名を変えたのかと思っていました。今度は、どんなことをされるんですか?」という「想定外」のリアクションが返ってきた。
要するに、南場さんにとっては「平石郁生(記号性)=インターネットリサーチ(意味性)」という構造のままだったということだ。
ビジネスにおいて最もマーケティングコストが要るのが「認知と理解」の獲得であるが、そのことを身を以て感じた瞬間だった。
南場さんのところには、毎日それこそ物凄い量の情報が届くだろうから、そのひとつひとつを精読する時間はないだろう。日頃から南場さんと何らかの接点があれば別だが、そうでなければ、僕がインタースコープを退任し、ドリームビジョンを設立したというニュースが届いても、正確に理解しないことは不思議ではない。ロジカルに考えてみると「想定の範囲内」ということだ。
ドリームビジョンとしては初めてインターンシップフェアだったが、「認知と理解とマインドシェア(関心度)」という点では、大きな収穫もあった。
1社3分ずつの全体プレゼンの後、各社の個別ブースにて、興味を持ってくれた学生達と質疑応答をするわけだが、まず、そこに学生が来てくれたこと(正直、ほっとした)、そして、来てくれた学生は僕らが来て欲しい(採用したい)と思っているタイプの人達であり、ドリームビジョンという「知名度ゼロ」の会社のやろうとしていること(意味性)が理解され、興味を持ってもらえたということは、とても嬉しいことだった。
インタースコープの平石の頃から感じていることだが、学生という「マーケット」は「情報(起業家のビジョン)」に対して、極めてビビッドに反応を示す。
学生が興味を持つかもたないかは、「分かりやすい商品やサービス」 and/or 「起業家自身の魅力」の2つで決まる。
興味がない会社のブースには、人は来ない。自社と自分という「商品力」がシビアに試される瞬間である。
あの南場さんでさえ、「いくつになってもドキドキするなあ」と言っていたが、僕にとってもビジネス上のプレゼンテーションやスピーチよりも、大きなプレッシャーと緊張を感じる一日である。
坊主頭のりょうへいさん
彼とは2005年の夏、アタッカーズ(大前研一氏が運営するビジネススクール)のケース発表会で知り合った。
お昼の時間になり、食べ物をトレイに取って、空いている席を探している時に目に留まったのが、彼が座っていたテーブルだった。また、ケース発表会が終わって駐車場に向かったところ、偶然(たぶん必然)にも、また、彼に遭遇した。「どこかまで送りましょうか?」と声をかけ、横浜のあざみ野(だったと思う)から、僕の車で恵比寿駅まで一緒に帰ってきた。
その後、しばらくは何も音沙汰がなかったが、ある時、MIXIで発見され、ネット上で再会した。しばらくすると、今度はGREEでも発見された。そして、現在は、ドリームビジョンSNSでも繋がっている。
僕のブログを読んでくれている人の中にはご存知の方もいると思うが、彼は僕のブログに毎回欠かさず「コメント」を書いてくれている。それも、いつも深い「意味」のあるコメントだ。自分の書いたことの「意味」を再確認することができ、僕自身がとても勉強になっている。
昨夜は、その「坊主頭のりょうへい」さんも、そして、Vivienも参加してくれた「ドリームビジョン交流会@渋谷」なるものが開催された。
当社のスタッフが交流会を企画したことを知った時は正直、「参加者が集まるのかな?」と思っていたが、僕の心配をよそに、金曜日で尚かつ給料日にも関らず、20人以上の人が参加してくれた。
参加者は、ドリームビジョンSNS登録者と先日のトークセッションの参加者だ。「短い人生」の「ある数時間」をドリームビジョン関係者と過ごそうと思ってくれたことが、とても嬉しかった。
僕は今まで、B2Bのビジネスしか経験して来なかったので、「B2C」のビジネスからは学ぶことが多い。
考えてみれば、僕が社外取締役になっているラソナも、今まで9年間やってきたWEBサイトやDB構築等の受託ビジネス(B2B)とはまったく異なる「B2C」ビジネスを展開し始めており、僕自身の人生の「ターニングポイント」であることを感じる。
ラソナが手掛けているB2Cビジネスは、「表参道コムニット」という「地域(街)」をテーマにしたSNSベースのビジネスだ。その街のお店や各種施設とその街に来る人々や居住者の方々の交流を促進しようというものである。
今まで僕がやってきたビジネスの場合、当然のことながら「仕事」上の付き合いが基本であり、プライベートの関係にまで発展する人はそう多くはなかったが、ドリームビジョンで展開していこうと思っているビジネスは、「夢を共有」したり、「自分らしい生き方とキャリアデザイン」ということをテーマとしたコミュニティだったり、カリキュラム運営だったりするので、必然とユーザー(あまり好きな表現ではないが)の皆さんの「人となり(人間性)」を垣間みることになり、自ずとプライベートにおいても交流が生まれていくような気がする。そうなったら、とても幸せである。
以前にもこのブログでさわりは書いたと思うが、来月発売の「Think !(東洋経済新報社)」というビジネス誌で、「WEB2.0時代におけるキャリアデザイン」というテーマで原稿を書かせてもらった。是非、読んでみて頂けたらと思う。
その中でも書いたが、「知識や学びの高速道路」が敷かれた「WEB2.0」という時代においては、むしろ、「知識」以外のことが重要になってくると思っている。
そのことのひとつが「人間力」だと僕は考えている。
「人間力」の因数分解は「Think ! 」誌面でしているのでここでは割愛するが、要するに「他人の成長」を自分のこととして喜べたり、他人に対する「愛情」を持てる人のことを「人間力がある人」と言うのだと思う。
ひとりひとりが自分らしい「夢」を持ち、夢の実現に向けてコミットしていけるように、その「夢の実現」を支援できる会社にしたい。
そして、「自立した個人」により構成され、個人の自由と責任による「生き方」と「職業」を許容し、「チャレンジする人がリスペクトされる社会」の実現を目指して、ドリームビジョンとして僕らが出来ることをやっていこうと思う。
昨日完成した「事業計画書Ver1.0」の「事業への想い」というページに、僕が書いたことである。
お昼の時間になり、食べ物をトレイに取って、空いている席を探している時に目に留まったのが、彼が座っていたテーブルだった。また、ケース発表会が終わって駐車場に向かったところ、偶然(たぶん必然)にも、また、彼に遭遇した。「どこかまで送りましょうか?」と声をかけ、横浜のあざみ野(だったと思う)から、僕の車で恵比寿駅まで一緒に帰ってきた。
その後、しばらくは何も音沙汰がなかったが、ある時、MIXIで発見され、ネット上で再会した。しばらくすると、今度はGREEでも発見された。そして、現在は、ドリームビジョンSNSでも繋がっている。
僕のブログを読んでくれている人の中にはご存知の方もいると思うが、彼は僕のブログに毎回欠かさず「コメント」を書いてくれている。それも、いつも深い「意味」のあるコメントだ。自分の書いたことの「意味」を再確認することができ、僕自身がとても勉強になっている。
昨夜は、その「坊主頭のりょうへい」さんも、そして、Vivienも参加してくれた「ドリームビジョン交流会@渋谷」なるものが開催された。
当社のスタッフが交流会を企画したことを知った時は正直、「参加者が集まるのかな?」と思っていたが、僕の心配をよそに、金曜日で尚かつ給料日にも関らず、20人以上の人が参加してくれた。
参加者は、ドリームビジョンSNS登録者と先日のトークセッションの参加者だ。「短い人生」の「ある数時間」をドリームビジョン関係者と過ごそうと思ってくれたことが、とても嬉しかった。
僕は今まで、B2Bのビジネスしか経験して来なかったので、「B2C」のビジネスからは学ぶことが多い。
考えてみれば、僕が社外取締役になっているラソナも、今まで9年間やってきたWEBサイトやDB構築等の受託ビジネス(B2B)とはまったく異なる「B2C」ビジネスを展開し始めており、僕自身の人生の「ターニングポイント」であることを感じる。
ラソナが手掛けているB2Cビジネスは、「表参道コムニット」という「地域(街)」をテーマにしたSNSベースのビジネスだ。その街のお店や各種施設とその街に来る人々や居住者の方々の交流を促進しようというものである。
今まで僕がやってきたビジネスの場合、当然のことながら「仕事」上の付き合いが基本であり、プライベートの関係にまで発展する人はそう多くはなかったが、ドリームビジョンで展開していこうと思っているビジネスは、「夢を共有」したり、「自分らしい生き方とキャリアデザイン」ということをテーマとしたコミュニティだったり、カリキュラム運営だったりするので、必然とユーザー(あまり好きな表現ではないが)の皆さんの「人となり(人間性)」を垣間みることになり、自ずとプライベートにおいても交流が生まれていくような気がする。そうなったら、とても幸せである。
以前にもこのブログでさわりは書いたと思うが、来月発売の「Think !(東洋経済新報社)」というビジネス誌で、「WEB2.0時代におけるキャリアデザイン」というテーマで原稿を書かせてもらった。是非、読んでみて頂けたらと思う。
その中でも書いたが、「知識や学びの高速道路」が敷かれた「WEB2.0」という時代においては、むしろ、「知識」以外のことが重要になってくると思っている。
そのことのひとつが「人間力」だと僕は考えている。
「人間力」の因数分解は「Think ! 」誌面でしているのでここでは割愛するが、要するに「他人の成長」を自分のこととして喜べたり、他人に対する「愛情」を持てる人のことを「人間力がある人」と言うのだと思う。
ひとりひとりが自分らしい「夢」を持ち、夢の実現に向けてコミットしていけるように、その「夢の実現」を支援できる会社にしたい。
そして、「自立した個人」により構成され、個人の自由と責任による「生き方」と「職業」を許容し、「チャレンジする人がリスペクトされる社会」の実現を目指して、ドリームビジョンとして僕らが出来ることをやっていこうと思う。
昨日完成した「事業計画書Ver1.0」の「事業への想い」というページに、僕が書いたことである。
泉岳寺
何年ぶりだろうか? 本当に久しぶりに「泉岳寺」の駅に降り立った。昨日の午前中のことだ。
車の法定点検を依頼したディーラーが、たまたま泉岳寺の近くだった。
「泉岳寺」には、1998年から1999年にかけて、多い時には毎日のように通っていた。2000年に一緒にインタースコープを創業した山川さんが当時、エムアンドシーという小さな会社を経営しており、オフィスが泉岳寺にあった。
駅はだいぶキレイになっていたが、すぐ横のそば屋は今もあり、周辺の景色は変わっていなかった。エムアンドシーのオフィスが入っていたビルの1階にあったコンビニは無くなっていたけれど。
その頃は、後にウェブクルーという会社を設立した渡辺さん(当時はペガジャッパンというネットベンチャーを岐阜の春日井というところでやっていた)達にシステム構築の面倒をみてもらい、インターネットリサーチの事業化を進めていた時期だった。当時は、僕も山川さんも、そして、渡辺さんも本当に貧乏だった。
渡辺さんは後にウェブクルーを上場させ、今ではヒルズ族のひとりだが、当時は東京に出張に来ると、僕の安アパートに泊まっていた。
今、改めて振り返ってみると、あの頃はあの頃で幸せだったと思う。マスターカードのTVCMではないが、「お金では買えない」何かが、お金がないからこそ、僕らの生活にはあったような気がする。
こうして、ブログを書いていて、それは「物事に感謝する」という姿勢だったのではないかと思った。10万円の売上に、20万円の売上に、心から感謝していた。
僕だけなのか?他の人もそうなのかは分からないが、僕は、楽しかったことよりも、辛かったことをよく思い出す。
それも、楽しく思い出す時と、感慨深くしみじみと思い出すことの両方がある。昨日は「しみじみ」系だった(笑)。それは、もう一度スクラッチから会社を立ち上げることの大変さを、改めて感じているからだろう。
そして、そういう(物事に感謝する)「心」を忘れないように、辛かった頃のことを思い出すのかもしれない。きっと神様が「いい気」になりやすい僕のために、そういうDNAを植え付けてくれたのだろう。
話しは変わるが、今日はインタースコープの取締役会議があった。僕は取締役は退任しているが、創業者ということと、今も尚、大株主のひとりであることから、オブザーバーとして出席している。
取締役会議の後、社外取締役の小林さん(グロービス・キャピタル・パートナーズ)とブログの話しをした。小林さんのブログは、なんと、月間ユニークユーザーが「7,000人」もいるらしい!!! すごいのひと言だ。
では、何故、小林さんのブログを読む人がそんなに多いのかというと、彼のブログは「情報量が豊富」だからだと思う。それも、「旬」な話題や情報が多いからだろう。
デジタルガレージ共同創業者の伊藤穣一氏(通称Joi)が言っていた「ブロガーの影響力」とは、こういうことを言うんだろう。Technorati Japanを設立するために議論を重ねている時に、Joiから米国のブログ事情はよく聞いていたが、こうして身近なところにパワフルブロガーが存在していると、身をもって、その意味を理解でききるようになった。
またまた、話しは変わるが、あるリサーチプロジェクトで、「会ったこのとない有名な専門家」の意見と「自分の知り合いで信頼がおける人」の意見と、どちらが信頼できるか?というテーマがあり、後者の方が信頼できるとする人が実は多い、ということが分かったことがある。パワフルブロガーというのは、ある意味、その両者の中間ぐらいの存在なのだろう。
さすがに7,000人ともなると、小林さんの知り合いよりも、知らない人の方が多いと思うが、僕のブログを読んでくれている人は、半分ぐらいは「知り合い」ではないかと思う。因みに、月間のユニークユーザーは知らないが、デイリーのユニークユーザーは、だいたい「100~200人」ぐらいなので、おそらくそういうことだろう。
小林さんに「平石さんのブログは長いので(読むのが大変です)・・・」と言われた。(ごめんなさい)
僕は小林さんのように「ジャーナリスティック(ビジネス情報誌的)」なブログは書けないが、読んでくれる人に対して、時間の無駄になるような内容では失礼だと思っているので、僕なりに必ず、何らかのメッセージを込めて書いている。多少なりとも何らかの参考になるようであれば幸せである。このブログで1円も稼いではいないが、プロフェッショナルとしての意識を持って書いている。それで短ければより良しということか。頑張ろう。
僕がもし、小林さんのようなジャーナリスティックなブログを書けと言われれば、マーケティングなり、起業にまつわる話しは書けなくはないかもしれないが、要するに、そのことに「価値」を見出すかどうか?なのだろう。
そういうテーマであれば、僕よりも読者の方々にとって有益な情報を書ける人はたくさんいるということと、起業のことならともかく、マーケティングに関する話しを書く(解説する)ことに興味がないのである。
好きこそモノの上手なれということだろう。これからも「自分らしく」生きていこう。
車の法定点検を依頼したディーラーが、たまたま泉岳寺の近くだった。
「泉岳寺」には、1998年から1999年にかけて、多い時には毎日のように通っていた。2000年に一緒にインタースコープを創業した山川さんが当時、エムアンドシーという小さな会社を経営しており、オフィスが泉岳寺にあった。
駅はだいぶキレイになっていたが、すぐ横のそば屋は今もあり、周辺の景色は変わっていなかった。エムアンドシーのオフィスが入っていたビルの1階にあったコンビニは無くなっていたけれど。
その頃は、後にウェブクルーという会社を設立した渡辺さん(当時はペガジャッパンというネットベンチャーを岐阜の春日井というところでやっていた)達にシステム構築の面倒をみてもらい、インターネットリサーチの事業化を進めていた時期だった。当時は、僕も山川さんも、そして、渡辺さんも本当に貧乏だった。
渡辺さんは後にウェブクルーを上場させ、今ではヒルズ族のひとりだが、当時は東京に出張に来ると、僕の安アパートに泊まっていた。
今、改めて振り返ってみると、あの頃はあの頃で幸せだったと思う。マスターカードのTVCMではないが、「お金では買えない」何かが、お金がないからこそ、僕らの生活にはあったような気がする。
こうして、ブログを書いていて、それは「物事に感謝する」という姿勢だったのではないかと思った。10万円の売上に、20万円の売上に、心から感謝していた。
僕だけなのか?他の人もそうなのかは分からないが、僕は、楽しかったことよりも、辛かったことをよく思い出す。
それも、楽しく思い出す時と、感慨深くしみじみと思い出すことの両方がある。昨日は「しみじみ」系だった(笑)。それは、もう一度スクラッチから会社を立ち上げることの大変さを、改めて感じているからだろう。
そして、そういう(物事に感謝する)「心」を忘れないように、辛かった頃のことを思い出すのかもしれない。きっと神様が「いい気」になりやすい僕のために、そういうDNAを植え付けてくれたのだろう。
話しは変わるが、今日はインタースコープの取締役会議があった。僕は取締役は退任しているが、創業者ということと、今も尚、大株主のひとりであることから、オブザーバーとして出席している。
取締役会議の後、社外取締役の小林さん(グロービス・キャピタル・パートナーズ)とブログの話しをした。小林さんのブログは、なんと、月間ユニークユーザーが「7,000人」もいるらしい!!! すごいのひと言だ。
では、何故、小林さんのブログを読む人がそんなに多いのかというと、彼のブログは「情報量が豊富」だからだと思う。それも、「旬」な話題や情報が多いからだろう。
デジタルガレージ共同創業者の伊藤穣一氏(通称Joi)が言っていた「ブロガーの影響力」とは、こういうことを言うんだろう。Technorati Japanを設立するために議論を重ねている時に、Joiから米国のブログ事情はよく聞いていたが、こうして身近なところにパワフルブロガーが存在していると、身をもって、その意味を理解でききるようになった。
またまた、話しは変わるが、あるリサーチプロジェクトで、「会ったこのとない有名な専門家」の意見と「自分の知り合いで信頼がおける人」の意見と、どちらが信頼できるか?というテーマがあり、後者の方が信頼できるとする人が実は多い、ということが分かったことがある。パワフルブロガーというのは、ある意味、その両者の中間ぐらいの存在なのだろう。
さすがに7,000人ともなると、小林さんの知り合いよりも、知らない人の方が多いと思うが、僕のブログを読んでくれている人は、半分ぐらいは「知り合い」ではないかと思う。因みに、月間のユニークユーザーは知らないが、デイリーのユニークユーザーは、だいたい「100~200人」ぐらいなので、おそらくそういうことだろう。
小林さんに「平石さんのブログは長いので(読むのが大変です)・・・」と言われた。(ごめんなさい)
僕は小林さんのように「ジャーナリスティック(ビジネス情報誌的)」なブログは書けないが、読んでくれる人に対して、時間の無駄になるような内容では失礼だと思っているので、僕なりに必ず、何らかのメッセージを込めて書いている。多少なりとも何らかの参考になるようであれば幸せである。このブログで1円も稼いではいないが、プロフェッショナルとしての意識を持って書いている。それで短ければより良しということか。頑張ろう。
僕がもし、小林さんのようなジャーナリスティックなブログを書けと言われれば、マーケティングなり、起業にまつわる話しは書けなくはないかもしれないが、要するに、そのことに「価値」を見出すかどうか?なのだろう。
そういうテーマであれば、僕よりも読者の方々にとって有益な情報を書ける人はたくさんいるということと、起業のことならともかく、マーケティングに関する話しを書く(解説する)ことに興味がないのである。
好きこそモノの上手なれということだろう。これからも「自分らしく」生きていこう。
競合がいるという幸せ
おそらくこの感覚は普通の人にはわからないと思う。
僕は1991年に初めて会社を設立し、そのちっぽけな会社を丸9年間やってきた。
会社と言っても個人事務所に毛が生えたようなもので、もっとも人がいた時でも僕を入れて5人という所帯だった。
以前にも書いたが、当時の仕事は、最初の3年は「リサーチ&コンサルティング」、次の3年は「DTP(Desk Top Publishing)」、最後の3年間は「新規事業開発支援とネットビジネスのインキュベーション」という具合だった。
お客さんは、ディーシーカード、ISA(留学とホームステイの会社)、東急不動産、伊藤忠商事、野村総合研究所等と立派な会社と取引させてもらっていたが、仕事内容はいずれも「超ニッチ」なものばかりで、尚且つ、とても小さな会社(最も売り上げがあった時で1.5億円)だったので、どこと競合するというわけではなかった。
それが、2000年にインタースコープを創ってからは、インターネットリサーチという市場を創ることにも関わることができて、インフォプラントやマクロミルといった競合が出現し、新聞にまで書かれるようになったことは、僕の人生においては、革命的なことと言っても過言ではなかった。
何せ原宿駅前のマンションベンチャーから、数年で100人の会社になったのだから。
ある時、ODS(コンサルティング会社)時代の同僚で「エフインク 」というデザイン会社を経営している萩原という人間と仕事で話をする機会があった。
その時に彼が、「競合がいるっていうのは幸せなことだよね。うちなんて競合はどこ?って言われてもね(笑)」というようなことを言っていた。その意味が僕には、よくわかった。因みに、萩原はとても良い仕事をしている。ビジネスセンスのあるデザイナーであり、お薦めである。
ところで、ここ数日は、ドリームビジョンの事業計画を作成していた。
コンセプト的には考えられる会社はあるが、事実上、今のドリームビジョンには競合はいないし、誰もドリームビジョンを競合とは思わないだろう。社会的認知がないという意味だ。
インタースコープで成し得たように、ドリームビジョンも数年後には、僕らの事業ドメインにおいて他社から「競合」と言われるような存在になりたい。
追伸:いつもはマッキントッシュ&サファリ(ブラウザ)でブログを書いているので、リンク設定も出来なければ、文字に色をつけることも大きさを変えることもできない。今日はウインドウズ&モジラ(ブラウザ)で書いているので、リンクを貼ってみた。久しぶりに萩原とも会いたい。
僕は1991年に初めて会社を設立し、そのちっぽけな会社を丸9年間やってきた。
会社と言っても個人事務所に毛が生えたようなもので、もっとも人がいた時でも僕を入れて5人という所帯だった。
以前にも書いたが、当時の仕事は、最初の3年は「リサーチ&コンサルティング」、次の3年は「DTP(Desk Top Publishing)」、最後の3年間は「新規事業開発支援とネットビジネスのインキュベーション」という具合だった。
お客さんは、ディーシーカード、ISA(留学とホームステイの会社)、東急不動産、伊藤忠商事、野村総合研究所等と立派な会社と取引させてもらっていたが、仕事内容はいずれも「超ニッチ」なものばかりで、尚且つ、とても小さな会社(最も売り上げがあった時で1.5億円)だったので、どこと競合するというわけではなかった。
それが、2000年にインタースコープを創ってからは、インターネットリサーチという市場を創ることにも関わることができて、インフォプラントやマクロミルといった競合が出現し、新聞にまで書かれるようになったことは、僕の人生においては、革命的なことと言っても過言ではなかった。
何せ原宿駅前のマンションベンチャーから、数年で100人の会社になったのだから。
ある時、ODS(コンサルティング会社)時代の同僚で「エフインク 」というデザイン会社を経営している萩原という人間と仕事で話をする機会があった。
その時に彼が、「競合がいるっていうのは幸せなことだよね。うちなんて競合はどこ?って言われてもね(笑)」というようなことを言っていた。その意味が僕には、よくわかった。因みに、萩原はとても良い仕事をしている。ビジネスセンスのあるデザイナーであり、お薦めである。
ところで、ここ数日は、ドリームビジョンの事業計画を作成していた。
コンセプト的には考えられる会社はあるが、事実上、今のドリームビジョンには競合はいないし、誰もドリームビジョンを競合とは思わないだろう。社会的認知がないという意味だ。
インタースコープで成し得たように、ドリームビジョンも数年後には、僕らの事業ドメインにおいて他社から「競合」と言われるような存在になりたい。
追伸:いつもはマッキントッシュ&サファリ(ブラウザ)でブログを書いているので、リンク設定も出来なければ、文字に色をつけることも大きさを変えることもできない。今日はウインドウズ&モジラ(ブラウザ)で書いているので、リンクを貼ってみた。久しぶりに萩原とも会いたい。
マンションの理事長という仕事
僕たち家族が住んでいるマンションは、2005年3月に竣工した。
僕は初年度の理事会に自ら参加し、管理組合の役員になった。高いお金を出して買ったマンションなので、住み良い場所にするために「当事者意識」を持ちたいと思ったからだ。
初年度は会計担当の役員としてやってきたが、今年度の役員選出にあたり、前理事長の田中さんという方からご指名があり、今年度の理事長になった。正直、まさか僕が理事長に指名されるとは思ってもいなかった。
さて、実際に理事長として管理組合の仕事をしてみると、いろいろなことが分かってきた。ひと言で表すならば「社会の縮図」ということだ。
このマンションには100世帯近い人々が住んでいるが、当然、年齢も異なれば、家族構成も異なるし、仕事も異なる。趣味も違う。
そういう考え方や立場の違う方々と一緒に「ひとつの建物(集合住宅)」に住むにあたっては、様々な問題が発生する。それを「全体最適」と「部分最適」を調整しながら、ルールを定めたり、居住者の方々の意見調整をしていくのが「理事会」の仕事であり、その理事会をまとめていくのが「理事長」の仕事である。
会社を経営するという「直接経済行為(直接的にキャッシュを産むことを目的とする)」とは異なるが、どのようなルールと維持管理のもとに運営していくかによって、このマンション自体の資産価値が異なってくるわけで、とても大きな意味を持っている。
僕は「中学浪人時代」に知り合った友人のお姉さんが言っていたひと言を思い出した。
当時、彼女と僕の友人が一緒に住んでいたマンションが三田(慶応大学の近く)にあり、僕が大学受験の時、そのマンションに泊めてもらっていたのだが、その時に彼女から、「どこの大学に行っても、自分の学校を好きになれれば可愛いものよ(それが一番よ)」と言われたことを思い出した。それから25年もの時間が経つが、とても印象に残っている。
僕がインタースコープを経営していた頃、「自分が所属している組織を好きになることが、自分が幸せになることだ」ということを何度か社員に対して話したことがある。嫌々働いていても自分が辛いだけである。
ODSというコンサルティング会社時代の恩師である三浦さんも、友人のお姉さんと同じことを言っていた。
「当事者意識」を持ち、自分が所属している「組織(団体)」を好きになる。
自分自身が幸せに生きるために最も効果的なアプローチのように思う。
そう言えば、マネックスの松本さんも同じようなことを言っていた。
「好きな仕事を探すよりも、今の仕事を好きになる方が簡単である」。
もうひとつ、紹介したいひと言がある。「自分探しよりも自分創り」。
以前にもこのブログで紹介したことのある「Vivien」というニックネームの女性が、ドリームビジョンのSNSで書いていたことだ。「特に、若いうちは」と彼女は書いている。
追伸:他人の「思考と行動」は変えられないが、自分の「思考と行動」は変えられる。自己変革や組織変革等の本を読むと、必ず出てくる言葉である。
僕は初年度の理事会に自ら参加し、管理組合の役員になった。高いお金を出して買ったマンションなので、住み良い場所にするために「当事者意識」を持ちたいと思ったからだ。
初年度は会計担当の役員としてやってきたが、今年度の役員選出にあたり、前理事長の田中さんという方からご指名があり、今年度の理事長になった。正直、まさか僕が理事長に指名されるとは思ってもいなかった。
さて、実際に理事長として管理組合の仕事をしてみると、いろいろなことが分かってきた。ひと言で表すならば「社会の縮図」ということだ。
このマンションには100世帯近い人々が住んでいるが、当然、年齢も異なれば、家族構成も異なるし、仕事も異なる。趣味も違う。
そういう考え方や立場の違う方々と一緒に「ひとつの建物(集合住宅)」に住むにあたっては、様々な問題が発生する。それを「全体最適」と「部分最適」を調整しながら、ルールを定めたり、居住者の方々の意見調整をしていくのが「理事会」の仕事であり、その理事会をまとめていくのが「理事長」の仕事である。
会社を経営するという「直接経済行為(直接的にキャッシュを産むことを目的とする)」とは異なるが、どのようなルールと維持管理のもとに運営していくかによって、このマンション自体の資産価値が異なってくるわけで、とても大きな意味を持っている。
僕は「中学浪人時代」に知り合った友人のお姉さんが言っていたひと言を思い出した。
当時、彼女と僕の友人が一緒に住んでいたマンションが三田(慶応大学の近く)にあり、僕が大学受験の時、そのマンションに泊めてもらっていたのだが、その時に彼女から、「どこの大学に行っても、自分の学校を好きになれれば可愛いものよ(それが一番よ)」と言われたことを思い出した。それから25年もの時間が経つが、とても印象に残っている。
僕がインタースコープを経営していた頃、「自分が所属している組織を好きになることが、自分が幸せになることだ」ということを何度か社員に対して話したことがある。嫌々働いていても自分が辛いだけである。
ODSというコンサルティング会社時代の恩師である三浦さんも、友人のお姉さんと同じことを言っていた。
「当事者意識」を持ち、自分が所属している「組織(団体)」を好きになる。
自分自身が幸せに生きるために最も効果的なアプローチのように思う。
そう言えば、マネックスの松本さんも同じようなことを言っていた。
「好きな仕事を探すよりも、今の仕事を好きになる方が簡単である」。
もうひとつ、紹介したいひと言がある。「自分探しよりも自分創り」。
以前にもこのブログで紹介したことのある「Vivien」というニックネームの女性が、ドリームビジョンのSNSで書いていたことだ。「特に、若いうちは」と彼女は書いている。
追伸:他人の「思考と行動」は変えられないが、自分の「思考と行動」は変えられる。自己変革や組織変革等の本を読むと、必ず出てくる言葉である。
オフィスの引っ越し
今日はオフィスの引っ越しをした。
今年の2月から4ヶ月半を過ごした宮益坂上(渋谷)のオフィスを出て、月曜日からは南青山のオフィスに通う。Avex が入っているビルの隣のビルだ。
たった4ヶ月半にも関らず、やはり、創業の時に過ごしたオフィスは感慨深いものがある。机が4つ入ると一杯だったオフィスは青山通り沿いに面しており、外の景色はなかなかのものだった。
荷物を運び出して空っぽになったオフィスの窓から階下を見下ろすと、横断歩道のすぐ手前に止めた軽トラックのハザードが点滅しているのが見えた。
今日はたまたま妻が大学院の用事で夜遅くなる日で、僕が悠生を保育園に迎えにいくことになっていたのだが、引っ越しが長引いてしまい、19時に行くはずが、20時を回ってしまった。
保育園に着くと、既にみんな帰ってしまったようで、悠生だけが保育士さんに抱かれて待っていた。僕が着く前に少々泣いたようで、目に涙が浮かんでいた。
今朝は土砂降りの雨だったので車で悠生を保育園に送っていき、そのまま会社に向かい、いつもの駐車場に車を停めていた。軽トラックをニッポンレンタカーに返し、自分の車で保育園に向かったのだが、こういう時に限って道が混んでおり、マーフィーの法則とはこういうことかと思いつつ、いらいらを抑えて運転をした。
家に帰ってからは、妻が書いてくれたメモを見ながら「離乳食」をあげた。
眠くなっていたせいか少しぐずったが、予定していた離乳食はぜんぶ食べた。えらい!! その後、ミルクを140cc飲みながら、最後の頃には眠ってしまった。
たまに、こういう日があるが、今日は「Think ! 」というビジネス誌に書いた原稿の校正戻しの期日でもあり、悠生が寝たのを見計らって、校正をし、FAXを送った。7月中旬には書店に並ぶらしい。楽しみだ。
引っ越しをしていて感じたが、やはり、20代の2人(僕以外のメンバー)の動きは軽快である。
そういう意味でも、ベンチャーは若いうちに立ち上げた方がよい。人間は年齢が上がるにつれて「分別」がつき、どうしてもリスクを取ることに躊躇するようになるということもあるが、とにかく、ベンチャーは「体力勝負」なので、やるなら若いうちの方がよい。それこそ、失敗してもいくらでもやり直しが利く。
さて、明日はマンションの「理事会」があり、それに向けて「書類」を準備しないといけない(泣)。
3度目の起業、ラソナの社外取締役、インタースコープの顧問、子育て、そして、管理組合の理事長と、ひとり5役はさすがにしんどい(苦笑)が、これだけのことをパラレルにこなすのは僕の人生で初めての経験であり、それによって「時間の使い方」や「物事の優先順位」の付け方が、少しは上手になったように思う。
人間何でも勉強である。
土日は理事会に加えて、月曜日に会計士に出す「経理書類」の整理と「事業計画書」作りが待っている。おまけに、車の法定点検まである。ありがたい週末である(苦笑)。
今年の2月から4ヶ月半を過ごした宮益坂上(渋谷)のオフィスを出て、月曜日からは南青山のオフィスに通う。Avex が入っているビルの隣のビルだ。
たった4ヶ月半にも関らず、やはり、創業の時に過ごしたオフィスは感慨深いものがある。机が4つ入ると一杯だったオフィスは青山通り沿いに面しており、外の景色はなかなかのものだった。
荷物を運び出して空っぽになったオフィスの窓から階下を見下ろすと、横断歩道のすぐ手前に止めた軽トラックのハザードが点滅しているのが見えた。
今日はたまたま妻が大学院の用事で夜遅くなる日で、僕が悠生を保育園に迎えにいくことになっていたのだが、引っ越しが長引いてしまい、19時に行くはずが、20時を回ってしまった。
保育園に着くと、既にみんな帰ってしまったようで、悠生だけが保育士さんに抱かれて待っていた。僕が着く前に少々泣いたようで、目に涙が浮かんでいた。
今朝は土砂降りの雨だったので車で悠生を保育園に送っていき、そのまま会社に向かい、いつもの駐車場に車を停めていた。軽トラックをニッポンレンタカーに返し、自分の車で保育園に向かったのだが、こういう時に限って道が混んでおり、マーフィーの法則とはこういうことかと思いつつ、いらいらを抑えて運転をした。
家に帰ってからは、妻が書いてくれたメモを見ながら「離乳食」をあげた。
眠くなっていたせいか少しぐずったが、予定していた離乳食はぜんぶ食べた。えらい!! その後、ミルクを140cc飲みながら、最後の頃には眠ってしまった。
たまに、こういう日があるが、今日は「Think ! 」というビジネス誌に書いた原稿の校正戻しの期日でもあり、悠生が寝たのを見計らって、校正をし、FAXを送った。7月中旬には書店に並ぶらしい。楽しみだ。
引っ越しをしていて感じたが、やはり、20代の2人(僕以外のメンバー)の動きは軽快である。
そういう意味でも、ベンチャーは若いうちに立ち上げた方がよい。人間は年齢が上がるにつれて「分別」がつき、どうしてもリスクを取ることに躊躇するようになるということもあるが、とにかく、ベンチャーは「体力勝負」なので、やるなら若いうちの方がよい。それこそ、失敗してもいくらでもやり直しが利く。
さて、明日はマンションの「理事会」があり、それに向けて「書類」を準備しないといけない(泣)。
3度目の起業、ラソナの社外取締役、インタースコープの顧問、子育て、そして、管理組合の理事長と、ひとり5役はさすがにしんどい(苦笑)が、これだけのことをパラレルにこなすのは僕の人生で初めての経験であり、それによって「時間の使い方」や「物事の優先順位」の付け方が、少しは上手になったように思う。
人間何でも勉強である。
土日は理事会に加えて、月曜日に会計士に出す「経理書類」の整理と「事業計画書」作りが待っている。おまけに、車の法定点検まである。ありがたい週末である(苦笑)。
洗濯物
妻が朝から大学院に行くときは、僕が洗濯物を干すことになっている。自分たちの物は別として、悠生の物を干す時は、その時々で何かしら感じることがある。
今朝、洗濯物を干していて、「ふっ」と目に留まったのは、襟の内側のタグのところに縫い付けてあった「こばやしだいき」という文字だった。それもとてもカッコ良く。
以前のポストでも書いた梅原(旧姓)さんからもらった、ベビー服のひとつだ。
その「タグ」を見つけて僕は、梅原さんが愛情を込めて育ててきた「だいきくん」が着ていた服なわけで、僕らはその愛情も引き継いでいるんだなと思った。
僕らはだいぶ年がいってから子供ができたので、周囲の友達から洋服以外も含めてたくさんの貰い物をしており、お陰で出費がとても少なくて済んでいる。
妻はプチバブルな僕とは違い、物凄く「コストコンシャス」な人で、悠生が生まれる前から彼女の友達から色々なお下がりを戴いていた。
でも、僕らが友達から戴いたものは、「お下がり」ということを超越して、みんなが自分の子供に注いできた愛情も含めてもらっているんだと思い、なんとも言えない「やわらかい気持ち」になった。そして、モノを大切にするということは、そういうことなんだろうと思った。
今日は、その梅原さん達と一緒に、僕らが大変お世話になっている方のご昇進のお祝い(会食)をしてきたのだが、家に帰ったら必ず、この話しを書こうと決めていた。
以前の僕は、家事の中でも「洗濯物を干す」のが一番嫌いだったが、これからは、少しは楽しんでできそうだ(笑)。
何事もちょっとしたきっかけで、変わるんだろう。とても嫌いなことでもね。
今朝、洗濯物を干していて、「ふっ」と目に留まったのは、襟の内側のタグのところに縫い付けてあった「こばやしだいき」という文字だった。それもとてもカッコ良く。
以前のポストでも書いた梅原(旧姓)さんからもらった、ベビー服のひとつだ。
その「タグ」を見つけて僕は、梅原さんが愛情を込めて育ててきた「だいきくん」が着ていた服なわけで、僕らはその愛情も引き継いでいるんだなと思った。
僕らはだいぶ年がいってから子供ができたので、周囲の友達から洋服以外も含めてたくさんの貰い物をしており、お陰で出費がとても少なくて済んでいる。
妻はプチバブルな僕とは違い、物凄く「コストコンシャス」な人で、悠生が生まれる前から彼女の友達から色々なお下がりを戴いていた。
でも、僕らが友達から戴いたものは、「お下がり」ということを超越して、みんなが自分の子供に注いできた愛情も含めてもらっているんだと思い、なんとも言えない「やわらかい気持ち」になった。そして、モノを大切にするということは、そういうことなんだろうと思った。
今日は、その梅原さん達と一緒に、僕らが大変お世話になっている方のご昇進のお祝い(会食)をしてきたのだが、家に帰ったら必ず、この話しを書こうと決めていた。
以前の僕は、家事の中でも「洗濯物を干す」のが一番嫌いだったが、これからは、少しは楽しんでできそうだ(笑)。
何事もちょっとしたきっかけで、変わるんだろう。とても嫌いなことでもね。
サッポロビール
妻が妊娠して以来、家では殆どビールを飲まなくなった。
正確に言うと、外でもあまりお酒を飲まなくなった。家に帰った時に、悠生が熱を出していたり、妻が具合が悪かったりした場合に、酔っぱらっていたのでは「仕事」にならないからだ。
僕の妻は、そもそも、僕よりもお酒が強い人なのだが、悠生を妊娠してからはお酒を飲まなくなり、昨年の9月に悠生が生まれてからも、母乳に出てしまうため、お酒は殆ど飲まない生活が続いている。そんなこともあり、僕も彼女に付き合って、家ではビールを飲まなくなったというわけだ。
それでも、ふたりともお酒が好きで、特に「ビール」が好きなので、ノンアルコール・ビールを飲むようになった。
色々と試してみると、「バクラー」か「レーベンブロイ」(ふたつとも輸入品)がおいしいことがわかり、僕らはバクラーを飲んでいる。不思議なもので、その味に慣れてしまうと、ビールよりも美味しいと感じるようになる。
それでも、たまには「ビール」を飲もうと思い、スーパーのビール売り場に行くことがある。
僕は昔から、特定の銘柄に統一せず、常に複数の銘柄を飲んでいるが、選ぶ銘柄はその時々で変化する。
ここ最近で買ったことのあるビールは、サッポロビールである。銘柄で言うと、「黒ラベル」と「畑の見えるビール」だ。
それは何故かというと、ふたつとも「LOHAS」なビールだから。
協働契約栽培や契約農家で栽培した麦芽やホップのみを使用しており、なんともヘルシーな装いに惹かれたからだ。
サッポロビールはここ数年、あまり売れ行きが良くなく、不動産会社と化した(グループ会社が恵比寿ガーデンプレイスの運営をしている)とか揶揄されることがあったが、最近のマーケティングは世の中の流れを上手くつかんでいるように思う。
ブラインドテストをすると、殆どの人がビールの味を飲み分けられない(どれがどれだか分からない)というし、ビールに限らずアイスクリーム等でも「パッケージ」を変えると評価が変わることが実験で証明されており、そういう意味でも、どんな「価値提案」をするかがポイントになる。マーケティング用語でいうところの「情緒的ベネフィット」である。
商品開発担当者の思惑にハメられていると思いつつ、「畑の見えるビール」を買ってしまった。
パッケージの影響か?原材料の違いか?は分からないが、美味しいビールである。
正確に言うと、外でもあまりお酒を飲まなくなった。家に帰った時に、悠生が熱を出していたり、妻が具合が悪かったりした場合に、酔っぱらっていたのでは「仕事」にならないからだ。
僕の妻は、そもそも、僕よりもお酒が強い人なのだが、悠生を妊娠してからはお酒を飲まなくなり、昨年の9月に悠生が生まれてからも、母乳に出てしまうため、お酒は殆ど飲まない生活が続いている。そんなこともあり、僕も彼女に付き合って、家ではビールを飲まなくなったというわけだ。
それでも、ふたりともお酒が好きで、特に「ビール」が好きなので、ノンアルコール・ビールを飲むようになった。
色々と試してみると、「バクラー」か「レーベンブロイ」(ふたつとも輸入品)がおいしいことがわかり、僕らはバクラーを飲んでいる。不思議なもので、その味に慣れてしまうと、ビールよりも美味しいと感じるようになる。
それでも、たまには「ビール」を飲もうと思い、スーパーのビール売り場に行くことがある。
僕は昔から、特定の銘柄に統一せず、常に複数の銘柄を飲んでいるが、選ぶ銘柄はその時々で変化する。
ここ最近で買ったことのあるビールは、サッポロビールである。銘柄で言うと、「黒ラベル」と「畑の見えるビール」だ。
それは何故かというと、ふたつとも「LOHAS」なビールだから。
協働契約栽培や契約農家で栽培した麦芽やホップのみを使用しており、なんともヘルシーな装いに惹かれたからだ。
サッポロビールはここ数年、あまり売れ行きが良くなく、不動産会社と化した(グループ会社が恵比寿ガーデンプレイスの運営をしている)とか揶揄されることがあったが、最近のマーケティングは世の中の流れを上手くつかんでいるように思う。
ブラインドテストをすると、殆どの人がビールの味を飲み分けられない(どれがどれだか分からない)というし、ビールに限らずアイスクリーム等でも「パッケージ」を変えると評価が変わることが実験で証明されており、そういう意味でも、どんな「価値提案」をするかがポイントになる。マーケティング用語でいうところの「情緒的ベネフィット」である。
商品開発担当者の思惑にハメられていると思いつつ、「畑の見えるビール」を買ってしまった。
パッケージの影響か?原材料の違いか?は分からないが、美味しいビールである。