シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」 -138ページ目

I know my limitation.

今日は、マネックスの松本さんをゲストとしてお招きしての「ドリームビジョン第1回トークセッション」を行った。お陰様で、約200人の方々にご来場頂き、大盛況にて終了することができた。

忙しい合間を縫っていらして頂いた松本さんにはもちろん、月初で忙しいところを参加して頂いた方々に対しては本当に感謝をしている。そして、運営を手伝って頂いたスタッフの皆様にも心からお礼を申し上げたい。

設立後わずか3ヶ月の会社にも関らず、このようなセミナーを開催できたことは、本当に皆様のお陰である。謙虚な姿勢を忘れずに、これからもやっていこうと思う。

ところで、今日の松本さんとのトークセッションで、僕の記憶に強烈に焼き付いた言葉がある。それは、松本さんがご自身の書籍で言っている「I know my limitation.」という一言である。

実は、申し込みの際に参加者の方に任意で書いて頂いた、松本さんへの質問で知ったことである。

「時間は有限だし、自分の能力にも限界がある。それらの制約条件の中で、何を選択し、何を捨てるかだ」ということを松本さんは言っているらしい。

僕も、35才になった時、このままでは何もできずに人生が終わってしまうと思い、何かに「フォーカス」する必要性を学んだが、経営や事業をしていく上では、何をするか?よりも、「何をしないか?(何を捨てるか?)」の方が重要であり、インパクトがあるということを、今日は「実感」として学ぶことができた。

30才でゴールドマンサックスの史上最年少パートナーにまでなった人がそういうふうに考えているのだから、僕のような凡人は、尚のこと、何を取り、「何を捨てるのか?」を考える必要があることを再認識した。

本当にとても勉強になった。

明日から、ドリームビジョンの事業計画精緻化月間にしているが、それに向けてとても参考になった。

「人生は短い」。何かを達成するために、何かを「捨てる勇気」を持とうと思う。

起業家の「倫理観」

昨年の夏だったと思うが、グロービスの堀さんと簡単な議論をしたことがある。それは当時、堅調に推移していた新興市場における「リスク要因」についてだった。

堀さんとはそれまでにも何度か議論をしたことがあるが、彼は必ず、まず最初に相手の意見を聞いてくる。そして、その意見を受け止めた後、自分自身で考えてボールを返してくる。返されたボールを受け取ることで、こちらの思考が促され、結果として、両者にとって有意義な結果を得ることが多い。

「新興市場におけるリスク要因は何だと思う?」と訊かれた僕は、「金利上昇リスク」「基幹銘柄の業績向上による個人投資の資金の流出」「I.T.系ベンチャーの説明がつかないPER(最後はババ抜きになる)」等、いわゆる優等生な回答をした。

すると、それを聞いた堀さんは、しばらく考えた後、「起業家の倫理観はどうだろう? 例えば、堀江さんとかって、自分の株をだいぶ売っちゃったんでしょう?」と言ってきた。

それを聞いた僕は、「確かにそれ(そういうリスク)はあるな・・・」と思った。

その半年後、実際にそういう出来事があったわけだ。

堀さんの考えには同調できないことも多々あるが、こういう「直観力」とも言える思考力は素晴らしいと思う。

話しは変わるが、日経新聞の朝刊で一昨日から始まった連載記事(1面)に「日本を磨く」というものがある。

最初が、経団連の会長に就任された「御手洗冨士夫氏」。2番目が、首都大学東京の学長である「西沢潤一氏」。そして、3番目(今日)がソフトバンクの「孫 正義氏」だ。因みに、亡くなった僕の父も「正義」といったこともあり、孫さんには親近感を感じる。

当たり前の話しだが、いずれの話しも深いものだった。

その中で僕の印象に残っているのは、御手洗さんの「最も大切なのは広い意味でのイノベーション力だと思う」「経済のグローバル化は止めようがないが、国や文化ごとのローカリティ(地域性)は必ず残る(要約)」という発言と、西沢さんの「横並びやめ独創尊べ」というタイトルのもと、「鑑識眼のある人に評価を任せ、有望と思われる研究テーマに資金を優先的に配分する」というもの、そして、孫さんのヤフーBBの時のことを例に挙げての「逆風の中でも挑戦し続けることの大事さを学んだ」という発言である。

孫さんほどの偉大な人であっても、「学んだ」と言っている。その姿勢には、言葉がない。

その孫さんが、記者の方から「ライブドア事件」に関するコメントを求められて、「あつものに懲りてなますを吹いたら、挑戦者が減って元も子もなくなる」と言っている。僕もそう願いたい。

最後にもうひとつ。僕は、御手洗さんが言っている「キヤノンが終身雇用にこだわるのは、それが息の長いイノベーションを生み出す源泉になっているからだ」というところが気になった。

御手洗さんは、「それが世界中どこでもベストといえる仕組みとは限らない」とも付け加えている。

これを拡大解釈すれば、「すべての会社にとってベストな仕組みとは限らない」といえるのではないか?業種によっても、何が「イノベーション」を生み出すのか?は異なるだろう。僕はそう思う。

因みに、ドリームビジョンでは、人々の「生き方」や「キャリアデザイン」においても「イノベーション」があると考えている。「ブレイクスルー」と言い換えてもよい。何かを成し遂げるには、それが大きいことでも、小さいことでも、そこには必ず、何らかの「自己変革」があるからだ。

ドリームビジョン的に言えば、「Innovate your life !!!」である。尚かつ、「その人らしく」。

最後と言いつつ、話しが長くて恐縮だが、梅田望夫さんが「ウェブ進化論(かなり影響を受けた)」の中で「製造業の経済」を経験しているか?否か?ということを言っているが、僕は「それ」を経験していない。社会に出てから、一度も「製造業」に携わったことがないのである。

僕は、「そのことは非常に大きな意味(影響力)を持つ」と感じている。

僕流に言えば「人生はすべて必然」なので、極めてアナログな思考特性の僕が、こうしてネットビジネス(的)なことをやれているのは、そのことに関連があるような気がしている。

「町医者」という職業

「職業シリーズ」というわけではないが、以前から書こうと思っていたテーマだった。

2005年3月に、僕らは今の家(恵比寿)に引っ越してきたが、家から徒歩1分のところに、小児科と放射線科と内科を併設している医院がある。

そこの医師は、既に70代半ばを超えれているが、とても元気な人だ。

その医師が何よりも素晴らしいのは、とても「社交的」なところである。僕たち患者に対して、いつも笑顔で、平易な言葉を使って病状を説明してくれる。悠生が6ヶ月を過ぎた頃(母親からもらった免疫が切れる頃らしい)から、ちょくちょく発熱したり、具合が悪くなったりして、その医院に通うようになった。

妻は広尾の日赤医療センターで悠生を産んだこともあり、僕らも日赤に通っていたが、恵比寿と広尾で近いとは言え、往復の時間や何より病院での待ち時間を考えると、近所の「町医者」の方がいいだろうと思って行ってみたところ、これが「想定外」に素晴らしいお医者さんだった。尚かつ、看護婦の方達も感じのよい人ばかりで、それ以来、何かあると近所のお医者さんに行くようになった。僕の気持ちとしては実名を出したいところだが、僕のプライバシーもあるので(笑)、医院の名前は出さないでおく。

その医師は、僕の推測では、若い頃は大病院に勤務していたのではないかと思う。とても知識・経験が豊富そうで、看てもらっている立場として、安心感がある。僕の父は、総合病院のマネジメントをしていたので、小さい頃からお医者さんに接して育ってきており、お医者さんのことは何となくわかる。その医師には息子さんがいらして、彼も時々、診察している。その方は、ハーバードを出ており、聖路加病院で修行を積んできたそうで、父親の愛情が感じられる。きっと、英才教育を施してきたのだろう。

さて、話しは変わるが、「相田みつを」という人をご存知だろうか?

僕は彼の「言葉」が好きで、トイレに「日めくり」のカレンダーを置いてある。

今日の言葉は、「願」というものだ。

それは、個人的な欲望とは別に、社会全体や周囲のことについて、その平和や繁栄を願うことを言うらしい。相田みつをは、自分自身もそうだとして、個人的な欲望を否定していないが、私利私欲とは別に、地球環境に配慮する心と行動や道徳的な心と行動を伴った「生き方」をしていると、目が澄んできて「深く」なると書いている。なんとなく分かる気がする。

そして、「一隅を照らす人間」になりたいものです、と書いている。

大病院で難しい手術をしたり、最先端の医療に携わることは、医者として、名誉なことだろうし、やりがいがあると思う。

しかし、自分の極身近にいる困っている人を助けることは、それらに劣らない素晴らしい「生き方」だと思う。

僕は、昔も今も「大きな事」や「社会から評価」されることを志向しているところがあるが、自分の中でインタースコープを退任することを決めてから、だいぶ、そういう志向性が弱くなったと思う。

まだまだ煩悩の塊であり、それを無くすには、まだまだ若いとも思っているが、心の片隅でもいいから、「一隅を照らす」という気持ちを持ち続けたいと思う。

「弁護士」という職業

僕の弟は、実家の福島県郡山市で「法律(弁護士)事務所」を開業している。

「弁護士」というと、高給取りのようなイメージがあると思うが、一部の「渉外弁護士(企業の交渉事をまとめる弁護士)」を除けば、それほど割の良い仕事ではない。特に、弟のように地方都市で弁護士事務所を開業している場合は、尚更である。

いつだったか、ある事件について弟と話しをしていた時、彼が言ったことが印象に残っている。

それは、どこからどう見ても「凶悪犯」としか思えない容疑者の弁護を引き受ける時というのは、いったい、どういう心境で引き受けるのか?また、何故、引き受けるのか?という質問に対する、弟の回答だった。

「一人の冤罪(えんざい)を救うためには、多数の凶悪犯の弁護を引き受ける必要がある」。

一言一句は別として、弟は、僕にそう答えた。僕は、なるほどなあ・・・と思った。

僕は、堀江さんを擁護するつもりはないが、今回のライブドア事件に関するマスコミの報道を見ていて、ふっと、そんなことを思い出した。

弟の話しは、僕らの仕事にも通じることがあるような気がする。

「想い」は削れない。

今週末は「原稿Weekend」だった。

6/5(月)午前中必着で依頼されている、あるビジネス誌の原稿がある。昨日、約10,000字のボリュームのその原稿の「骨子」を考えて、編集長にメールを送った。

2003年だったと思うが、グロービスが編集を担当し、ダイヤモンド社が発行していた「Globis Management Review」というビジネス誌に約13,000字ぐらいの原稿を書いたことがあったので、今回の原稿は、編集長の期待値に応えるには、どのぐらいの難易度で、どのぐらいの集中力と時間が必要か、ある程度、読めていた。しかし、原稿のテーマが自分にとっては初めてのもので、尚かつ、5/22(月)の弊社設立記念レセプションと、6/1(木)に予定しているマネックスの松本さんとの対談形式のセミナーとが重なっていたことで、かなりのプレッシャーを感じていた。幸いなことに、天候にも恵まれてレセプションが無事に終わったことで、だいぶ気が楽になっていた。この後も、まだまだチャレンジはあるが、あとは、とにかく締め切りに間に合うように原稿を書くだけだ。

もうひとつ、今週末に書かなければならない原稿があった。それは、6/1(木)のセミナーで配布する会社概要(パンフレット)に載せる「企業理念」と「代表者挨拶」だ。

「企業理念」も「代表者挨拶」も既にWebサイトに掲載しており、今から原稿を書くわけではないのだが、パンフレットに載せるために「字数」を調整する必要があり、その原稿を書く必要があった。

「企業理念」は特に苦労もなく、デザイナーが指定した字数に調整できたが、理念という「論理体系」ではなく、僕の「想い」を字数を調整して書くのは、それも、約2,700文字の内容を「450字」にまで削減するという作業は、苦痛を伴う。

論理的に説明すればよいものであれば、いわゆる「要約」の手法で済むが、自分の「想い」は削れないのである。

ところで、今日のBlogだが、最初は「清原」の「逆転満塁サヨナラホームラン」のことを書くつもりだった。

松井やイチローの方が、選手としてのパフォーマンスや実績は優れいてると言えると思うが、僕の「心」を揺さぶるのは、松井でもイチローでもなく、清原である理由を書こうと思っていた。田坂さんの言う、「パーソナリティは最高戦略」ということの意味を、清原にも感じるからだ。

彼は、何かと問題も起こすし、数字的には彼以上の選手はたくさんいる。でも、彼の存在感はとても大きいと思う。それは何故か?彼はいつも「本音」で生きており、いつも「ありのままの自分(素の自分)」をさらけ出しているからだと思う。日経新聞で清原の記事を読んでいて、僕は目頭が熱くなった。

さて、話しを「想い」に戻すと、そんなことで原稿を書けないでいたので、自分の気持ちをリセットするために、TBSの「情熱大陸」という番組を見ていた。今日の「情熱大陸」が取り上げていた人は、小西真奈美だった。透明感のある人だと思った。

「情熱大陸」を見ていて、思い出したことがある。それは、グロービスの小林さんのことだ。

彼は自身のBlogで、「昔はアサヒビールのスーパードライのTVCMに出たいとか思っていた(出れるような人になりたいと思っていた)」と書いていた。今は、NHKのプロフェッショナルとかに特集されるようになりたいそうだ。

いわゆる、フツーの人であれば、心の中ではそう思っていても、実際に口にはしないだろうし、ましてや、Blogには書かないだろう。でも、素直にストレートに書いてしまう彼のその行動に、僕はある種の「共感」と「好感」を覚えた。

そう、人間、素直に生きるのが一番なのである。

それが出来ないのは、「羞恥心」や「見栄」や「プライド」があったり、「他人の目を気にしている」からだろう。僕は、そういう「お澄まし」な生き方は、インタースコープを退任すると同時に、もう止めることにした。

ソフトバンク・vodafone は成功するか?

シャープ「AQUOS」の液晶モニター付きケイタイ電話が本日(5/27)、ソフトバンク傘下となったvodafoneから発売された(ということを日経新聞の全面広告で知った)。

僕は社会人になってからずっとマーケティング畑を歩んできたので、昔から僕を知る人の中では、起業家という属性以外に、マーケターなりマーケティングコンサルタントとして認知されている。

そんなこともあり、今後、このBlog でも、たまにはマーケティング的な話しをしてみようと思う。

ある時、ある人と、ソフトバンクのvodafone買収と今後の事業展開に関する話しをしたことがある。

僕は、デジタルガレージの共同創業者である「伊藤穣一氏(みんな彼のことをJoiと呼ぶ)」と仕事をする中で「Blog」というモノの本質を理解してきたという経緯があり、日本のBlog文化には少々違和感を抱いている。

Blog発祥の地、アメリカでは、基本的に実名で書くのがBlogである。それ故に、事実と異なることがあれば他のBloggerからクレームが飛んでくることを覚悟で書いている人が多いし、そのお陰で下手なマスコミ(記者)よりもクオリティの高い記事(コンテンツ)が生まれているということを、Joiから教わった。

そんな背景により、このBlogにおいても、基本的に、すべてのこと(書く対象の人やモノ事)を「実名」で書いているし、自分自身の顔写真もデカデカと公開しており、逃げも隠れもするつもりはない(笑)。しかし、今回は、僕が話しをした「ある人」の社会的影響力の大きさを考えて、変な誤解が生じるリスクを避けるため、その人の名前は伏せたままにしたい。

「孫さんがvodafoneを買収したのは正しいと思うし、新会社の社長に孫さん自らが就任したのも正しいと思うよ。何故かというと、今のソフトバンクにとって、ケイタイ電話事業は最も大切な事業だと思うし、それをドライブできるのは孫さんしかいないと思うから。だけど、孫さん、あるいは、ソフトバンクが『コンシューマーブランディング』が出来るか?というと、そこはわからない。だってさ、これからvodafoneショップに二本線が入ったSonfbankのロゴが入るんだよ? 買いたいと思う? 俺だったら、au by KDDI みたいにするな」と、その彼は言っていた。

僕も全くの同感である。

ケイタイ電話の「機能的価値」は「通話・通信・記録」がメインであるが、購買に際する「選択基準」となると「デザイン」や「イメージ」という属性が上位に来るはずである。

成熟した商品は、むしろ、「情緒的価値」の方が重要であり、新しいテクノロジーも機能もそのすべてが、提供すべき「情緒的価値」に集約されていなければ機能しない。

B2Bブランドとしてのソフトバンク、あるいは、「孫さん」という偉大な「起業家ブランド」や「企業」としての存在感があるのは言うまでもないが、そこにあるイメージは「無骨に力強く、世の中を変革して行く」というものであり(ひとりの人間として僕はそう感じている)、ケイタイ電話という「プロダクト(カテゴリー)」に求められるイメージとは、かなり乖離しているように思う。

孫さんにそういう概念や認識があるか?もし、無ければ、孫さんが全幅の信頼をおけるマーケティング責任者をおくことが、成功のカギを握るのではないかと思う。

僕はある時、孫さんの講演(90分)を、3メートルと離れていない距離で拝聴させて頂いたことがある。隣には偶然、ネットエイジの西川さんが座っていた。

孫さんの講演が終わった直後、西川さんと「30分ぐらいにしか感じませんでしたよね!!!」と、どちらからともなく言ったことを覚えている。

そのぐらい、孫さんの話しには「説得力」があったし、起業家としての彼の話しには引き込まれるものがあった。特に、そのスケール感の大きさには、何とも表現し難い感動を覚えた。

しかし、ケイタイ電話は成熟市場であり、B2Cのビジネスだ。偉大な孫さんにとっても、チャレンジだと思う。

因みに、ブランド・マーケティング的には、こんな説明が成り立つ。

「記号性と意味性」の一致。

これは僕が20代の時に働いていたODSというコンサルティング会社でお世話になった森行生さんから教わったフレームワークである。

VOLVO(ボルボ)という車をご存知の方は多いと思うが、一時期のVOLVOが徹底して訴求していたのは「安全(な車)」というコンセプトである。

事実、車に関するイメージ調査をすると、VOLVOに対して抱かれている「イメージ(意味性)」としては「安全」という項目が高いスコアを示していたが、「安全な車は?」という質問をすると、必ずしも「VOLVO」が想起されるわけではなかった。メルセデス・ベンツなり、BMWなり、当時であればクラウンなりの名前が挙がっていた。

別の事例を挙げれば、「コーヒーを飲みたい(意味性=ベネフィット)」と思った時、ドトールか?スターバックスか?エクセルシオーレか?タリーズか?という選択肢の中から「選ばれる」必要があるということだ。

要するに、人間というのは自分が求めるもの、マーケティング的に言えば「ベネフィット」を満たしてくれる商品やサービスを購入する。

そのときの「思考回路」は、「VOLVO(記号性)」と言えば「安全(な車)」ではなく、「安全な車(意味性)」は何か?という構造になる。

つまり、VOLVOであれば、様々な高級車がある中で、自社のターゲットとしている顧客が求める「ベネッフィット」に「最もフィットしたブランド」になれるか?が、勝負なのである。

企業というのは必ず、創業者やトップの「人間性」が表れる。

僕にとって「初めてのB2Cビジネス」となるドリームビジョンの理念やコンセプト、そして、やろうとしていることをを考えた時、その「イメージづくり」には可能な限りの投資をしたいと思っている。

僕を直接知っている人なら別であるが、何も知らない人からみて、ドリームビジョンから発信される情報やサービスが「ダサイ」ものであったら、説得力はないと思うからである。

「夢を実現する」にはイノベイティブである必要があるし、僕自身が「セナ」や「カズ」や「伊達公子」から「勇気」をもらってきたのは、彼らの生き方が「イノベイティブ」であり、尚かつ「カッコよい(絵になる)」からである。

もちろん、イメージ(表面)以前に、上に挙げた彼らのように「中身(事業)」がしっかりしていなければ機能しないは言うまでもない。

「夢を実現する」ことを理念としている会社の創業者である僕自身が「夢を実現する」ことなくして、より多くの人の「夢の実現」を支援できるはずがない。

最後になって、今回のテーマである「マーケティング」の話しから少々逸れてしまったが、要するに、企業というのは「人」がやるものなので、同じ事業をやるにしても「誰がやるのか?」ですべてが決まる。

マーケティングの世界で「(ブランド)パーソナリティ」という概念がある。まさしく、それが重要なのである。

追伸:僕のBlogの読者である「マーケティングジャンクション」の「吉澤さん(秀逸なマーケティングプランナー/コンサルタント)」のコメントが(あるか?)楽しみでもあり、怖くもある(笑)。

これからは「右脳」の時代

僕が20代の頃に勤めていたODSというコンサルティング会社がある。

ODSには、類い稀な天才肌の「三浦さん」という方がいた。僕が所属していた部署の担当役員をしていた人で、ソニーの出井さんと親しかった。ソニー以外にも、錚々たる会社のトップから信頼されいたが、2004年の冬、亡くなってしまった。まだ、56才だった。

当時は珍しかった「人材紹介会社」に登録していた僕のレジュメに三浦さんが関心を持ってくれたのがきっかけで、僕はODSに入社することになった。三浦さんから「薫陶を受けた」三浦チルドレンのひとりである。

その三浦さんと最後に会ったのは、2004年の夏だったと思うが、その時に三浦さんに言われた言葉が印象に残っている。

それは、「右脳は弱い。だから、(組織として)守る(大切にする)必要がある」というものだ。

いつだったかのポストで書いたが、ここ10年ぐらいの日本社会は、ロジカルシンキング真っ盛りで、「論理思考が出来ない人=ビジネスが出来ない人」という「ロジック」だったが、違う視点でみれば、「右脳的センス」のない人=「マーケティングセンス」がないとも言え、その「弱点を補うための手法」であったとも言えると思う。

僕は元々は極めて「右脳」人間であるが、仕事柄、一生懸命に「訓練」をしたことによって、それなりの論理性を身につけたと思っている。論理というのは、右脳的「閃き」がない人が「合理」でもって新しいアイディアを考えたり、あるいは、大組織において、マジョリティ(過半)の人に「納得」してもらうために、誰でもが「理解」できる方法で「説明責任」を果たす際に必要な手法であり、スキルであると思う。つまり、最大公約数的に「理解」を得るための方法ということである。

しかし、そこには、大きな落とし穴がある。

短期的には「経済合理性」に反する行動も、長期的に見れば「経済合理性」があると見ることができる事象もあるが、人間はそもそも「感情」の動物であり、時として「経済合理性」に反する行動を取ることがある。左脳的アプローチである「論理性」だけでは物事は解決できないことが多々ある。

今朝(5/25)の新聞に、大前研一氏が翻訳された「ハイ・コンセプト」と題する本の広告が掲載されていた。

一言で言えば、これからの時代は「右脳タイプ」が活躍するということだ。自分が「右脳」人間だからというわけではなく、そう思う。

随分昔になるが、クリティシズムの国、米国では、MBAを揶揄して「Murder of Brand Assets(ブランドの殺人者)」と言ったそうだが、要するに、「BS に載らない資産=定量化が難しい資産(=Intangible Assets)」は理解できないということを指している。

大前氏が訳した書籍には、

第一部: 1.なぜ、「右脳タイプ」が成功を約束されるのか  2.これからのビジネスマンを脅かす「3つの危機」  3.右脳が主役の「ハイ・コンセプト/ハイ・タッチ」時代へ

第二部: 1.機能だけではなく「デザイン」 2.「議論」よりは「物語」 3.「個別」よりも「全体の調和」 4.「論理」ではなく「共感」 5.「まじめ」だけではなく「遊び心」 6.「モノ」よりも「生きがい] という項目が、「六つの感性(センス)」として、あなたの道をひらくと書いてある。

インタースコープの共同創業者である「山川さん」は、極めて優秀なエンジニア故、左脳的能力が優れいているのは論を待たないが、実は「右脳」的に優れていると思うのは僕だけではないと思う。何故なら、彼の「開発」は、すべて「インスピレーション(閃き)」に基づいており、彼から理屈(論理性)で攻めて行って何かを開発したという話は聞いたことがない。

こんな話もある。インタースコープの株主であるグロービスが提携していたApaxという国際的なVCがあるが、その創設者のアラン・パトリコフ(といったと思う)が来日した際に、グロービスの投資先経営者を集めた会合があった。そこで、僕が彼に対して「投資判断は?」と質問したところ、「インスピレーション(閃き)」という答えが返ってきた。

彼のエピソードの後に僕の話をするのは大変おこがましくて恐縮だが、僕が何社か投資しているベンチャー企業に関しても、もちろん財務諸表や事業計画は見るが、最終的な判断は、その起業家が信頼できるかどうか?相手の「目」を見て決めている。要するに、事業に投資するのではなく、「人物」に投資するのである。

ところが、組織(VC)になると、投資委員会に諮らなければ投資が出来ないので、自ずと「左脳的」説明が余儀なくされるのである。しかし、JAFCOやJAIC等の大手VCも、数年前から一定金額までは「チーム判断」で投資ができるように権限委譲をしており、チームリーダーの「才覚と責任」で投資が出来るようになっている。非常に良いことだと思う。

「右脳」という能力に対する僕の「定義」は、「全体を俯瞰する能力」であり、「パターン認識力」であり、「感受性」である。

つまり、実際には「ロジカル」に整合性が取れていることであっても、それが「無意識」であるが故に、「論理的説明能力」がないと人に伝えられないので、「右脳だけ」の人は、組織では理解され難いし、いわゆる「出世」は難しくなるのである。

三浦さんは当然のことながら、そのことを理解していたので、「右脳は弱い。だから、(組織として)守る(大切にする)必要がある」と言ったのだろう。

ODSの頃は、なかなか「論理思考」というスキルを習得できず、とても苦労をしたが、そのお陰で今の僕がある。

自分の「右脳的」閃きを「論理的」に説明することができるようになってからは、だいぶ仕事ができるようになった。

「志」の意味

松下幸之助は、「『志』とは『自分が見届けられないことに本気になれること』」と言ったそうです。ステキなことですね。ロマンを感じます。

「パーソナリティは最高戦略」の意味

この言葉は、ETICが主催する「STYLE」という「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)ビジネスプラン・コンテスト」の最後に、審査委員長を務める田坂広志さんが「書いた」メッセージだ。

各審査委員がその日一日(ほぼ一日がかりのイベントであり、毎回、僕も審査委員のひとりとして参加させて頂いている)を通じて感じたことを、参加者の皆さんに対するメッセージとして発表するというセレモニーで、田坂広志さんが書かれたものである。

田坂さんがその言葉を提唱されたのは、フェアトレードをテーマにコロンビアからコーヒー豆を輸入し、カフェ・スローというお店を出していた(出そうとしていた?)「藤岡さん」という大学生(だったと思う)のピュアで飾らない「パーソナリティ」に、周囲の大人達が魅せられてしまい、自分から「おせっかい(支援)」を買って出てしまうという姿をみてのことだった。

ドリームビジョンのお披露目レセプションで、アレンさんが僕のことを見ていて同じことをイメージしたということは、僕という「大人」は、大人のくせに「危なっかしく」て、周囲が「おせっかい」をやいてしまうということだろう。

実は、「パーソナリティは最高戦略」ということを僕の脳裏により強く焼き付ける話があった。それは、昨日の講演会で聴いたアントレプレナーセンターの福島さんの話である。

福島さんの話(講演会)を聴くのは2度目だが、初めて福島さんに会ったのは、彼が、まだ30代の頃、「就職予備校(その後、アントレプレナーセンターに改称)」という会社を経営されていた時だった。月並みな話で恐縮だが、時の経つのは速いもので、僕の記憶が正しければ、あれから既に13年になる。

福島さんは「シルベスタ・スタローン」にまつわる逸話を教えてくれた。

シルベスタ・スタローンは売れない役者時代に、役者志望の友達から飲みに誘われても、「明日、ハリウッドの超大作への映画出演の依頼が来るとも限らないので、早く帰って(演技の)練習をする」と言って、一度も?飲みに行かず、毎日練習していたらしい。

ある時、その話を聞きつけた大物映画プロデューサーが、「それはおもしろい。そのまま映画にしよう」と言って出来上がったのが「ロッキー」だそうだ。

そのストーリーは、いつか世界チャンピオンと戦うことを夢見て、毎日、ボクシングの練習に打ち込む青年がチャンスを得て、実際にチャンピオンと試合をし、結局は敗れ去る(僕はロッキーを観ていないので正確なストーリーはわからない)というものらしいが、シルベスタ・スタローンは「大根役者」であり、ロッキーは「演技ではなく」、彼の「素」のままだというのである。

シルベスタ・スタローンの「パーソナリティ」をモチーフにしてボクシングという世界を題材にし、演技が下手な彼が「地」で臨んだ映画を撮ったことが、人々の感動を呼び、商業的成功を生んだということだ。

「パーソナリティは最高戦略」とは、「自分らしさを思いっきり出す」ということである。そのことが人々の感動を呼び、人でもモノでも「ブランド」に繋がる、ということだろう。

「戦略」という概念については、もうひとつ、とても印象的なことを田坂さんはご自身のメルマガで紹介している。

「戦略」とは「戦い」を「略す」と書く。つまり、戦いを「避ける」ことを意味するということだ。

マーケティング的に言えば、自社なり自社の商品の「USP(Unique Selling Proposition)」を明確に打ち出し、独自のポジショニングを構築することができれば、そして、そのUSPが「魅力的且つ顧客が求めているもの」であれば、他社との「戦いは無くなる(顧客から選ばれる)」のである。

かのマイケル・ポーターが言う「選択と集中」とは、そういうことも含んでいるのだろう。

What's the USP of Dreamvision ? This is what I've been thinking of.

マクロミルの杉本さん

杉本さんと初めて会ったのは、2000年12月27日に開催された「次世代インターネットリサーチ・フォーラム」というイベントだった。

ネットレイティングスの萩原さんが音頭を取っていたイベントだったが、まさにインターネットリサーチが世の中に認知され始めたばかりの頃で、200人以上の人が集まっていた。

イベントの内容は主要なインターネットリサーチ会社の経営者が壇上に座り、萩原さんが司会をするというパネルディスカッション形式のものだったが、杉本さんは、客席から向かって一番左側に座っていた(残念ながら、僕には声が掛からなかった/笑)。その時の杉本さんの印象は「神経質そうな人」というものだった。

しかし、付き合っていくうちに、「この人は相当に手強い人だ」というふうに考えが変わった。そして、特に「財務戦略」的分野においては、様々なことを杉本さんから学ばせて頂いた。

杉本さんの右側が、GBネクサイトの女性(申し訳ないがお名前は覚えていない)、その右側がインフォプラントの大谷さん、その右側がビートレンドの井上さん、そして、一番右側にインターネットリサーチのユーザー側ということで、当時は三和総研にいらした谷内さんというメンバーだった。

杉本さんとはその後も交流が続き、その翌年のある日、初めて食事を共にしたが、その帰りの西麻布の交差点の横断歩道の上で、「将来は何か一緒にやりましょう」と握手をした。また、あれは2002年だったと思うが、杉本さんと彼の奥さん(とてもキレイな方だ)と我々夫婦の4人で代官山のレストランで食事をしたこともあった。何を話したかは覚えていないが、とても楽しい時間だった。因みに、僕の妻は、かなりの杉本さんファンだ(笑)。

杉本さんとインフォプラントの大谷さんは、一緒に「インターネットリサーチ業界」を創り上げてきた「盟友」のような存在で、ビジネスの上では「競合」であるが、そういう関係を超えて、親しく付き合ってきた。

昨晩の弊社のレセプションにはネット業界の錚々たるメンバーが集まってくれたが、その中でも、杉本さんが出席してくれたことは、僕にとっては特に嬉しいことだった(残念ながら大谷さんは所用があり出席されなかった)。


男(女もそうか?)という生き物は、どうも見栄っ張りというか虚栄心が強いのか、マクロミルを一部上場企業にまで育て上げた杉本さんに対して、「レインチェック(雨天試合の代替チケット)」を切って3度目の起業をした僕は、何となく引け目のような感情を抱いていたが、昨日のレセプションのアレンマイナーさんのスピーチで、そういう感情もだいぶ無くなったような気がする。

さて、昨晩、その杉本さんに言われたことがある。僕がこのBlogに「BMW Z4」に乗っている写真を掲載していることについて、「Z4の写真は出さない方が(ドリームビジョンに対して)お金が集まるんじゃないの?」ということだ(以前のBlogにも書いたが、Z4は妻の妊娠に伴い売却して、今は中古で買った330i に乗っている)。

そのことは、もちろん僕も考えた。経営者として、果たしてどうしたものか?と。でも、今回は敢えてそうした。

実は、Z4 を買った時、山川さん(インタースコープの共同創業者)からも同じようなことを言われたことがある。それは、「会社には乗ってこない方がいいと思う」というアドアイスだった。

BMW Z4 は、同じマンションベンチャーからスタートした渡辺さんが立ち上げた「保険スクエアbang !(後に、ウェブクルーという会社になる)」というネットビジネスに僕も創業メンバーとして参加させてもらったことで、ウェブクルーの上場に伴い得ることができたキャピタルゲインで買ったもので、インタースコープで高い役員報酬を取っていたわけでもなく、貧乏な頃から額に汗して頑張ってきた結果、得たお金で買ったものなので、誰の目を気にする必要もなかったのだが、まだまだ、ろくに利益も出ていなかったインタースコープの株主や社員の人達への配慮として、そういうアドバイスをされたのだと理解している。

しかし、その一方で、夫婦の年収が300万円もないという貧乏にも負けずに頑張っていれば、いつかこういうこともある!!!ということを社内に示すことができるという想いもあり、僕自身、かなり悩んだが、結局、インタースコープ時代は会社には乗っていかなかった。厳密に言えば、会社の駐車場には停めなかった。

では、何故、このBlog に、Z4 に乗っている僕の写真を掲載したのか?

それは、僕はとにかく、Z4が好きだったということや、僕は既にインタースコープの経営者ではないということと、ドリームビジョンには外部株主は入っていないこともあるが、それよりも、僕の考えとして、特に、これからの時代は、「清貧」という生き方ではなく、「崇高な理念」と併せてそれなりの「財力」がある人でないと、社会に対して「プラスの影響力」を与えることが出来ないと考えるようになったからだ。

つまり、海外旅行に行くにもお金はかかるし、オシャレなレストラン(昨日の船上ラウンジも)で食事をするにもお金はかかるし、子供を大学に入れるにもお金はかかるわけで、いくら崇高な理念を唱えても、ある程度の財力が伴わなければ何も実現できない。

今日の午後、あるところが主催する講演会に行ってきたのだが、そこで紹介された言葉が印象に残っている。

一言一句は覚えていないが、「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上。しかし、財なかれば事業は保たれず、事業なければ人は育たない」というものだった。

なので僕は、正々堂々とBMWに乗ろうと思うし、3年後にポルシェに乗ろうと思う。

3年後にポルシェに乗ることに意味があるのではなく、ポルシェが買えるほどの経済的余裕があるようになっていること、つまり、会社としてドリームビジョンが成長しているということが大切だということだ。

僕よりも優秀な素晴らしいスタッフがたくさんいて、みんなが楽しく元気に自分らしく働いている会社にしたい。