3度目の起業
ようやく始まった!!!という気がする。
今日は、天王洲アイルのWATERLINE という「船上ラウンジ」で、ドリームビジョン設立記念レセプションを開催した。月曜日にも関らず、ネットベンチャー関連の人達を中心に、120人以上の方達にご出席いただいた。ありがとうございました。
2月からインタースコープを非常勤にしてもらい、3/17(金)に開催されたETICのイベントで「予告編」的に告知をさせて頂いた後、本格的に立ち上げの準備をしてきたが、ようやくお披露目ができた。まだまだ、工事中だらけだが、WEBサイトもカットオーバーできて、いよいよこれからだ。
ドリームビジョン設立の背景や僕の問題意識と絡めて事業内容の話をさせて頂いた後、サンブリッジのアレンマイナーさんにスピーチをいただき、その後、こちらの不手際で集まって頂いた皆さんにグラスが行き届かないままに乾杯の音頭をとって頂いた。
アレンさんのスピーチで印象に残っているのは、ソフィアバンクの田坂広志さんの言葉を引き合いに出して、今日の僕の話(ドリームビジョンの事業説明)にコメントしてくれたところだ。
アレンさんが引き合いに出した田坂さんの話は、僕もライブで聞いていた話で、それは「パーソナリティは最高戦略」というものだ。
その話を引き合いに出して、彼が僕の話にどうコメントしたかというと、「戦略的な話は何もないが、僕の想いが全面に出ているのがよい」ということで、経営者としてはダメ出しをされたのであるが、シリアルアントレプレナーというのは、いくつも事業を立ち上げていくうちに、その人らしい事業を手掛けるようになるものなので、平石さんがやりたいことを、ただ、愚直にやっていけばよいということだった。
僕自身が、今日の発表資料を作っている時に、「これって、ビジョンはあるけど、戦略がないよな・・・」と思っていたので、アレンさんが田坂さんの話を引き合いに出そうとされた時に、「あの話をするんだろうな」と思った。
今日のレセプションでは、とにかく、変にカッコつけずに、自分が考えていることをストレートに言ってしまおう!!!と思っていて、実際にそうすることが出来たし、アレンさんのスピーチを聞いて、何か肩の力が抜けた気がする。
グロービスの堀さんやアタッカーズを運営する大前研一さんのように「R.O.I.」や経営効率をシビアに考えるのではなく、僕が目指すものを、「凡事を非凡にやり続けよう」と改めて考えた。
「船上ラウンジ」ということで、初夏の風が心地よく、とてもステキな夜だった。写真は明日、アップロードしよう。
お花を贈って下さった皆さん。ありがとうございました。
今日は、天王洲アイルのWATERLINE という「船上ラウンジ」で、ドリームビジョン設立記念レセプションを開催した。月曜日にも関らず、ネットベンチャー関連の人達を中心に、120人以上の方達にご出席いただいた。ありがとうございました。
2月からインタースコープを非常勤にしてもらい、3/17(金)に開催されたETICのイベントで「予告編」的に告知をさせて頂いた後、本格的に立ち上げの準備をしてきたが、ようやくお披露目ができた。まだまだ、工事中だらけだが、WEBサイトもカットオーバーできて、いよいよこれからだ。
ドリームビジョン設立の背景や僕の問題意識と絡めて事業内容の話をさせて頂いた後、サンブリッジのアレンマイナーさんにスピーチをいただき、その後、こちらの不手際で集まって頂いた皆さんにグラスが行き届かないままに乾杯の音頭をとって頂いた。
アレンさんのスピーチで印象に残っているのは、ソフィアバンクの田坂広志さんの言葉を引き合いに出して、今日の僕の話(ドリームビジョンの事業説明)にコメントしてくれたところだ。
アレンさんが引き合いに出した田坂さんの話は、僕もライブで聞いていた話で、それは「パーソナリティは最高戦略」というものだ。
その話を引き合いに出して、彼が僕の話にどうコメントしたかというと、「戦略的な話は何もないが、僕の想いが全面に出ているのがよい」ということで、経営者としてはダメ出しをされたのであるが、シリアルアントレプレナーというのは、いくつも事業を立ち上げていくうちに、その人らしい事業を手掛けるようになるものなので、平石さんがやりたいことを、ただ、愚直にやっていけばよいということだった。
僕自身が、今日の発表資料を作っている時に、「これって、ビジョンはあるけど、戦略がないよな・・・」と思っていたので、アレンさんが田坂さんの話を引き合いに出そうとされた時に、「あの話をするんだろうな」と思った。
今日のレセプションでは、とにかく、変にカッコつけずに、自分が考えていることをストレートに言ってしまおう!!!と思っていて、実際にそうすることが出来たし、アレンさんのスピーチを聞いて、何か肩の力が抜けた気がする。
グロービスの堀さんやアタッカーズを運営する大前研一さんのように「R.O.I.」や経営効率をシビアに考えるのではなく、僕が目指すものを、「凡事を非凡にやり続けよう」と改めて考えた。
「船上ラウンジ」ということで、初夏の風が心地よく、とてもステキな夜だった。写真は明日、アップロードしよう。
お花を贈って下さった皆さん。ありがとうございました。
「WEB2.0(ウェブ進化論)」と僕の人生(続)
今朝から悠生の具合が悪くなり、今日のテーマは「初めての子育て」でもよかったのだが、約束?なので、昨日の続編にすることにした。
梅田さんはウェブ進化論の中で、「不思議な人間的魅力を伴う『器の大きさ』と『動物的な強さ』を併せ持つ個性に出会うことは滅多にない」と、はてなの近藤さんを絶賛しているが、僕が今までに出会った中にも、そういう人物がいる。
ひとりは、吉川欣也さんという人で、彼は今、シリコンバレーで活躍する日本人のひとりだ。
やはり、自ら創業したデジタルマジックラボという会社を退任してシリコンバレーに渡り、パートナーの石黒さんという天才的なエンジニアと一緒に、シスコのルーターに対抗するシェアウエアのルーター開発ベンチャーを興した。つい先日、彼とのメールのやりとりで知ったのだが、全株式をアクセスに売却したそうだ。彼は引き続き、創業経営者(社長兼COOだったと思う)として、2回目のEXITとして「IPO」を狙うと言っていた。とにかく、その腹の括り方は凄いの一言である。
もうひとりは、ウエディングプロデュース&ホテル・レストラン運営等を手掛ける野田豊という人物だ。
僕らが結婚する時に、彼が経営するウエディングプロデュース会社に発注したのが縁で知り合い、一時期は頻繁に会っていた。オプトのハチ(鉢嶺氏)なんかと一緒に、よくゴルフに行っていた。最後に会ったのは、僕が社外取締役に就任したラソナ社長の岡村氏(仲間内ではポンと呼んでいる)の結婚式だったが、相変わらず、エネルギーの塊だった。今や一部上場企業となったテイクアンドギブニーズの野尻さんも、以前は野田が経営するプラン・ドゥ・シー(PDS)の社員だったそうだ。因みに、PDSは業績的には充分に上場できるレベルにあるが、資金ニーズがないので上場メリットがないとして、野田はPDSを上場させようとしないカリスマオーナー社長だ。
彼らの才能とエネルギーには敵わないなあと思う。
もうひとつ、梅田さんの言動で印象に残っているのは、9.11以降、自分の生き方を変えて、1970年以降に生まれた若い人達と積極的に会うようにしたということである。
僕の場合、幸いにも、インタースコープにおいて、述べ50人以上の「インターンの学生達」と接してきたことにより、今の若い人達は、僕らの世代が今の彼らの年齢だった頃とは比較にならないほど優秀であることを体感した。
そして、僕は、たまたま若い人達(この表現はとても嫌いだが)と交流することが好きで、仕事はもちろんであるが、食事に行ったり、飲みに行ったりと、彼らとの接点がたくさんあったし、今もある。それは、非常に恵まれていることだと思う。
なので、羽生善治さんが言う「高速道路の大渋滞」の比喩は、皮膚感覚で理解できる。
つい先日、久しぶりにランチを共にしたライブレボリューションの増永さんも、将来が楽しみな1970年以降生まれの起業家である。ドリームビジョンの事業構想について、彼にコメントをもらったのだが、とても参考になった。さすがの一言である。
最後にもうひとつ、ウェブ進化論で僕が「再発見」したことは、そう言われてみれば、吉川さんも野田も(彼らはふたりとも1967年生まれである)、あるいは、増永さんも、確かに凡人ではないのは間違いないが、天才というわけではなく、人よりも「かなり早い時期」に様々な経験をしてきたことが、持って生まれた才能を若くして発揮することになったように思う。
彼らの凄いところは、同じ年齢の人達が遊びまくっている時に、世の中の変化を敏感に嗅ぎ取り、自分が興味を持った何かに打ち込んできたこと、その「嗅覚と実行力」にあるように思う。
話は変わるが、青木功が彼の著作の中で、「プロゴルファーの『旬』」は、一般的には30~35才ぐらいだと思うが、自分は『5年遅れて』旬の時期がやってきたように思う」と言っていた。
僕は、28才から起業家人生をスタートさせたわけだが、高校から大学時代に「サボっていた」ツケが効いているのか、30代半ばまでは鳴かず飛ばずであり、苦労の連続だった。
インタースコープを始めてしばらくした頃、その先の自分のやりたいことを考えながら、30代の最後の3年間は、後で振り返った時、「自分の人生の2番目のピーク」だったと思うようになるような気がしたのと、僕の人生のピークは「54~56才頃」になるだろうと思うようになった。
また、40~42才は、階段でいうと「踊り場」のような時期になるだろうと漠然と考えていた。そして、43~45才は、次のステージに登るための準備期間なのか?子育てなのか?苦労をしそうな予感がしていた。今のところ、見事にそうなっている。
僕の「勘」が正しければ、46才頃から再び上昇気流に乗りはじめ、来るべき僕の人生のピークになるであろう「50代」に向けてのスロープになるような気がする。
自分の「直感」を信じて、焦らず、しかし、着実に、前に進んで行こうと思う。
明日のレセプションで、僕の人生における「夢」を発表するつもりだ。いよいよ決勝ラウンド突入である。もう、言い訳はきかない。
梅田さんはウェブ進化論の中で、「不思議な人間的魅力を伴う『器の大きさ』と『動物的な強さ』を併せ持つ個性に出会うことは滅多にない」と、はてなの近藤さんを絶賛しているが、僕が今までに出会った中にも、そういう人物がいる。
ひとりは、吉川欣也さんという人で、彼は今、シリコンバレーで活躍する日本人のひとりだ。
やはり、自ら創業したデジタルマジックラボという会社を退任してシリコンバレーに渡り、パートナーの石黒さんという天才的なエンジニアと一緒に、シスコのルーターに対抗するシェアウエアのルーター開発ベンチャーを興した。つい先日、彼とのメールのやりとりで知ったのだが、全株式をアクセスに売却したそうだ。彼は引き続き、創業経営者(社長兼COOだったと思う)として、2回目のEXITとして「IPO」を狙うと言っていた。とにかく、その腹の括り方は凄いの一言である。
もうひとりは、ウエディングプロデュース&ホテル・レストラン運営等を手掛ける野田豊という人物だ。
僕らが結婚する時に、彼が経営するウエディングプロデュース会社に発注したのが縁で知り合い、一時期は頻繁に会っていた。オプトのハチ(鉢嶺氏)なんかと一緒に、よくゴルフに行っていた。最後に会ったのは、僕が社外取締役に就任したラソナ社長の岡村氏(仲間内ではポンと呼んでいる)の結婚式だったが、相変わらず、エネルギーの塊だった。今や一部上場企業となったテイクアンドギブニーズの野尻さんも、以前は野田が経営するプラン・ドゥ・シー(PDS)の社員だったそうだ。因みに、PDSは業績的には充分に上場できるレベルにあるが、資金ニーズがないので上場メリットがないとして、野田はPDSを上場させようとしないカリスマオーナー社長だ。
彼らの才能とエネルギーには敵わないなあと思う。
もうひとつ、梅田さんの言動で印象に残っているのは、9.11以降、自分の生き方を変えて、1970年以降に生まれた若い人達と積極的に会うようにしたということである。
僕の場合、幸いにも、インタースコープにおいて、述べ50人以上の「インターンの学生達」と接してきたことにより、今の若い人達は、僕らの世代が今の彼らの年齢だった頃とは比較にならないほど優秀であることを体感した。
そして、僕は、たまたま若い人達(この表現はとても嫌いだが)と交流することが好きで、仕事はもちろんであるが、食事に行ったり、飲みに行ったりと、彼らとの接点がたくさんあったし、今もある。それは、非常に恵まれていることだと思う。
なので、羽生善治さんが言う「高速道路の大渋滞」の比喩は、皮膚感覚で理解できる。
つい先日、久しぶりにランチを共にしたライブレボリューションの増永さんも、将来が楽しみな1970年以降生まれの起業家である。ドリームビジョンの事業構想について、彼にコメントをもらったのだが、とても参考になった。さすがの一言である。
最後にもうひとつ、ウェブ進化論で僕が「再発見」したことは、そう言われてみれば、吉川さんも野田も(彼らはふたりとも1967年生まれである)、あるいは、増永さんも、確かに凡人ではないのは間違いないが、天才というわけではなく、人よりも「かなり早い時期」に様々な経験をしてきたことが、持って生まれた才能を若くして発揮することになったように思う。
彼らの凄いところは、同じ年齢の人達が遊びまくっている時に、世の中の変化を敏感に嗅ぎ取り、自分が興味を持った何かに打ち込んできたこと、その「嗅覚と実行力」にあるように思う。
話は変わるが、青木功が彼の著作の中で、「プロゴルファーの『旬』」は、一般的には30~35才ぐらいだと思うが、自分は『5年遅れて』旬の時期がやってきたように思う」と言っていた。
僕は、28才から起業家人生をスタートさせたわけだが、高校から大学時代に「サボっていた」ツケが効いているのか、30代半ばまでは鳴かず飛ばずであり、苦労の連続だった。
インタースコープを始めてしばらくした頃、その先の自分のやりたいことを考えながら、30代の最後の3年間は、後で振り返った時、「自分の人生の2番目のピーク」だったと思うようになるような気がしたのと、僕の人生のピークは「54~56才頃」になるだろうと思うようになった。
また、40~42才は、階段でいうと「踊り場」のような時期になるだろうと漠然と考えていた。そして、43~45才は、次のステージに登るための準備期間なのか?子育てなのか?苦労をしそうな予感がしていた。今のところ、見事にそうなっている。
僕の「勘」が正しければ、46才頃から再び上昇気流に乗りはじめ、来るべき僕の人生のピークになるであろう「50代」に向けてのスロープになるような気がする。
自分の「直感」を信じて、焦らず、しかし、着実に、前に進んで行こうと思う。
明日のレセプションで、僕の人生における「夢」を発表するつもりだ。いよいよ決勝ラウンド突入である。もう、言い訳はきかない。
「WEB2.0(ウェブ進化論)」と僕の人生
つい先程、ようやく、梅田望夫さんの「ウェブ進化論」を読み終えた。
僕はそれほど読書量が多い人間ではないが、久しぶりに自分の人生や考え方に大きな影響をもたらしそうな本だった。
僕が今までに読んだ本の中で印象に残っているのは、「国富から個福へ(波頭亮)」「日本の時代は終わったか?(ピータータスカ)」「不機嫌な時代(ピータータスカ)」等と、彼の著作はたくさん読んでいるので、どれと言うのが難しいが「田坂広志さん」の本。あとは、大前研一氏の本もよく読んでいるし、堺屋太一氏の「組織の盛衰」、堀 紘一氏の「リーダーシップの本質」も印象に残っている。
さて、では、どういうふうに「ウェブ進化論」が僕の人生に影響をもたらしそうなのか? そのことをひとつずつ整理していこうと思う。今日のポストは長くなると思うので、読んで頂いている方々には予めご了承頂きたい。
彼の本はベストセラーになっているので色々な人が読んでおり、人によってそこから得たものや感銘を受けたところは異なると思うが、僕はまず、彼が「9.11」以降、自分の人生を大きく変えたということに、ある種、共感というか武者震いのような感覚というか、上手く表現できないが、僕の心に響くものを感じた。同時に、彼は非常に「日本という国を愛している」ということと、若い世代に対する「愛情」があり、「教育者」的思想の持ち主であることが伝わってきて、とても勇気づけられた。
彼は「理工系」の頭脳の持ち主であり、僕は極めて「文系」な人間であるという違いはあるが、彼の「思想」と「人間性」と僕のそれらには共通するものがあるように思った。いつか、ドリームビジョンの「トークセッション」にゲストとしてお招きしたい人だ。
彼はウェブ進化論で「若いうちはあまりモノがみえていないほうがいい(小見出し)」と言っているが、僕もそう思う。
僕は、28才で起業家人生をスタートさせたが、それは文字どおり「徒手空拳」であり、事業計画もなければ何の計画性もなかった。
その当時は今と違って、一部の学生ベンチャーを除けば、20代で起業するというのはとても珍しいことであり、周囲の大人達や同年代の人達からは「凄いよね」と言われたりしたが、その度に僕が言っていたのは、「目の前に埋まっている地雷の数を正確に把握できていなかっただけ」ということだ。
もう少し具体的に説明しよう。当時の僕は「A地点」に立っており、「B地点」に行きたいと思っていたが、その間には「地雷」が「10個」埋まっているように見えて、それなら何とかかいくぐって行けるだろうと考えた。幸運にも「B地点」に辿り着き、そこで「ふっ」と後ろを振り返ってみると、そこには地雷が「30個」埋まっていたという意味である。つまり、最初にその「30個」が見えていたら、怖くて渡れなかっただろうということだ。
先々月、僕が創業に携わった保険スクエアbang ! という自動車保険の見積もり比較サイトの運営会社を立ち上げて、その会社を東証マザーズへ上場するまでに育て上げた渡辺さんと、渡辺さんを支えながらずっと一緒に事業をやってきた彼の妹さんが、久しぶりに僕の自宅に遊びにきた。そこで彼も同じようなことを言っていた。彼は、「霧の中を目の前だけを見ながら一歩一歩前に進んできた結果、ある頂きに到着したようなもので、ある時、霧が晴れて後ろを振り返ってみると、自分たちが歩いてきたのは『稜線の上』だったことに気づいて、今更ながら怖くなった。自分たちが稜線の上を歩いているということを知っていたら、ここまで来れなかったと思う」と言っていた。その意味はよく分かる。
僕が尊敬する田坂広志さんが彼のメルマガで、僕らの話とは違う視点で同じことを言っていた。人間は誰でも、幅30センチの上を歩けと言われれば問題なく歩くことが出来るが、それが高さ1メートルの平均台の上になったとたん、歩けなくなってしまう。そんなことを書いていた。
今の僕は、株主や社員の人達に迷惑をかけることを承知の上で、自ら創業した会社を「途中下車」し、次の山を目指して歩き出したわけだが、28才でクリードエクセキュートを始めた時、36才でインタースコープを立ち上げた時と比べると、今は見えているものが随分と増えた。それ故、ドリームビジョンを始める時は、今までに経験したことのないほどに「躊躇」したし、悩んだり迷ったりもした。「失敗する確率」が分かっているからだ。
そんなことを、梅田さんも自分自身の経験を踏まえて言っているのだと思う。
次に、僕が改めて整理(梅田さん流に言えば『再発見』)できたのは、僕がインタースコープでやってきたインターネットリサーチというビジネスのことだ。
今までは「住民基本台帳」という身元が確認できる「特定多数」の信頼がおける母集団をベースに、専門的知識を有するリサーチャーが「質問」を設計し、それを「調査員」の方々が個人の自宅を訪問するか?郵送等して回答してもらっていた超アナログ手法を、基本的な考え方や構造はそのままに、そのプラットフォームをネット上に構築したということである。
これを、WEB2.0的に整理すると、インターネットユーザーという「不特定多数」の人々の「意見(回答)は正しい」という前提のもとに、市場調査という「マーケット情報(顧客情報)の生産工場」を構築したと見ることができる。つまり、既に「従来の手法」として構築されていたものを、「ブラウザ(質問票の代替)」と「サーバ(調査員なり郵送の代替)」と「データベース(住民基本台帳の代替)」に置き換えたということである。
これを、インタースコープという会社単位で見ると、マクロミルに売上的には5倍もの差をつけられてしまっているが、独自のポジションを構築し、インターネットリサーチの主要プレーヤーとして今までやってこれているのは、僕らが「質問設計・統計・解析・分析」という従来型リサーチビジネスの必須要素を身につけていたからであるが、別の角度から見れば、リサーチビジネスにおける「こちら側」に意識が強くなり過ぎてしまったがために、「あちら側」や「低バジェットの市場」に対する意識が低くなり(実はここにも紆余曲折があったのだが)、マクロミルほどのブレイクには至っていないと言うことも出来る。
その点、梅田さんが取締役を務める「はてな」やMIXIの笠原さん、GREEの田中さん、ドリコムの内藤さんという僕よりも10才以上も若い人達は、I.T.関連のビジネスに対する見方やスタンスが異なるのであろう。
昨年12月の定時株主総会で自ら創業したウェブクルーを退任した渡辺さんが、「20代の人達には敵わない」とよく言っていたが、そのことの意味が「ウェブ進化論」を読んで、とてもよく理解できた。
話は変わるが、来週月曜日に、ドリームビジョンの設立を記念して簡単なレセプションを開催することにした。実はそこに、インタースコープ関係者は殆どお招きしていない。
僕は自分の中でインタースコープ時代の「何かにケジメをつけたい」と思ってそうしたのだが(誰を招くと誰も・・・的な問題も考えたという理由もある)、その「何か」がウェブ進化論を読んで確認できたような気がしている。
それは、僕の「本質はネットベンチャー」ではないということである。
もちろん、インターネットリサーチにしても、保険スクエアbang ! にしても、ネットをキードライバーとして活用したビジネスであることは間違いないが、その発想のベースはマーケティング的なところにあり、テクノロジーではない。そこに戦略的な矛盾があったと思っている。そして、その「垢」を落としたい。
今からもう10年近く前になるが、名古屋に本社を置くユニーというGMSの子会社の社長をされていた、古河さんという方との会話が頭に残っている。
当時の僕は、最初に創った会社を経営している時だったが、ウェブクルーの渡辺さん達と一緒にネットビジネスを始めていた時期だった。古河さんは、おそらく20才は年下だろう僕に色々なことを素直に質問してきて、少しでも頼りにされていることを嬉しく感じていた。
ある時、古河さんから「これからの時代は平石さん達のような人達が創って行くんでしょうね」と言われたのだが、僕は「僕なんかは野球で言えば、中継ぎのような役割であり、僕よりも若い世代には物凄い人達がたくさんいます。僕は、せいぜい勝ち試合の中継ぎを務められるような存在になれれば幸せだと思っています」と返事をしたことがあった。僕はその時、あることがきっかけで知り合った孫 泰蔵さん(現在はアジアングルーブ代表取締役社長兼ガンホーオンライン代表取締役会長)のことを頭に思い浮かべていた。
梅田さんはウェブ進化論の中で、「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される。(中略)これまでの生き方に固執するよりも「リスクが小さい」と、私は強く確信していた。本質的変化に関する一つ一つの直感を大切に、『時間の使い方の優先順位』を無理してでも変えてしまうことで、「新しい自分」を模索していきたいと思った」と書いている。また、「これまでに引き受けた仕事はすべてきちんと続けていくが、もうそういう委員みたいな仕事は新しく引き受けないと決心した」とも書いている。
僕が一度目の起業の後半において、当時の「ドル箱」だったDTPの仕事をバサッと切った時があったが、あの時の判断も「今、変わらなければ淘汰される」という「直感」でしかなかった。
今回は、それなりの裏付けなり、僅かではあるが資金的手当はあってのことだが、それでも「直感」の域を出ないだろう。敢えて言えば、「理念や思想」のようなものに後押しされているとも言えるし、インターネットリサーチ業界のみならず世の中の環境変化を考えた結果、43才という年齢的なことも含めて、今やらなければ一生できないで終わってしまうと思ったということである。
西川さんがネットエイジを立ち上げたのが40才の時、山川さんが僕と一緒にインタースコープを立ち上げたのが43才で今の僕の年齢の時である。
既に、スタートは切ったので、あとはやるだけだ。
このテーマで、もう少し書きたいことがある。「経営者の孤独」に関しては、しばらく先にしようと思う。
僕はそれほど読書量が多い人間ではないが、久しぶりに自分の人生や考え方に大きな影響をもたらしそうな本だった。
僕が今までに読んだ本の中で印象に残っているのは、「国富から個福へ(波頭亮)」「日本の時代は終わったか?(ピータータスカ)」「不機嫌な時代(ピータータスカ)」等と、彼の著作はたくさん読んでいるので、どれと言うのが難しいが「田坂広志さん」の本。あとは、大前研一氏の本もよく読んでいるし、堺屋太一氏の「組織の盛衰」、堀 紘一氏の「リーダーシップの本質」も印象に残っている。
さて、では、どういうふうに「ウェブ進化論」が僕の人生に影響をもたらしそうなのか? そのことをひとつずつ整理していこうと思う。今日のポストは長くなると思うので、読んで頂いている方々には予めご了承頂きたい。
彼の本はベストセラーになっているので色々な人が読んでおり、人によってそこから得たものや感銘を受けたところは異なると思うが、僕はまず、彼が「9.11」以降、自分の人生を大きく変えたということに、ある種、共感というか武者震いのような感覚というか、上手く表現できないが、僕の心に響くものを感じた。同時に、彼は非常に「日本という国を愛している」ということと、若い世代に対する「愛情」があり、「教育者」的思想の持ち主であることが伝わってきて、とても勇気づけられた。
彼は「理工系」の頭脳の持ち主であり、僕は極めて「文系」な人間であるという違いはあるが、彼の「思想」と「人間性」と僕のそれらには共通するものがあるように思った。いつか、ドリームビジョンの「トークセッション」にゲストとしてお招きしたい人だ。
彼はウェブ進化論で「若いうちはあまりモノがみえていないほうがいい(小見出し)」と言っているが、僕もそう思う。
僕は、28才で起業家人生をスタートさせたが、それは文字どおり「徒手空拳」であり、事業計画もなければ何の計画性もなかった。
その当時は今と違って、一部の学生ベンチャーを除けば、20代で起業するというのはとても珍しいことであり、周囲の大人達や同年代の人達からは「凄いよね」と言われたりしたが、その度に僕が言っていたのは、「目の前に埋まっている地雷の数を正確に把握できていなかっただけ」ということだ。
もう少し具体的に説明しよう。当時の僕は「A地点」に立っており、「B地点」に行きたいと思っていたが、その間には「地雷」が「10個」埋まっているように見えて、それなら何とかかいくぐって行けるだろうと考えた。幸運にも「B地点」に辿り着き、そこで「ふっ」と後ろを振り返ってみると、そこには地雷が「30個」埋まっていたという意味である。つまり、最初にその「30個」が見えていたら、怖くて渡れなかっただろうということだ。
先々月、僕が創業に携わった保険スクエアbang ! という自動車保険の見積もり比較サイトの運営会社を立ち上げて、その会社を東証マザーズへ上場するまでに育て上げた渡辺さんと、渡辺さんを支えながらずっと一緒に事業をやってきた彼の妹さんが、久しぶりに僕の自宅に遊びにきた。そこで彼も同じようなことを言っていた。彼は、「霧の中を目の前だけを見ながら一歩一歩前に進んできた結果、ある頂きに到着したようなもので、ある時、霧が晴れて後ろを振り返ってみると、自分たちが歩いてきたのは『稜線の上』だったことに気づいて、今更ながら怖くなった。自分たちが稜線の上を歩いているということを知っていたら、ここまで来れなかったと思う」と言っていた。その意味はよく分かる。
僕が尊敬する田坂広志さんが彼のメルマガで、僕らの話とは違う視点で同じことを言っていた。人間は誰でも、幅30センチの上を歩けと言われれば問題なく歩くことが出来るが、それが高さ1メートルの平均台の上になったとたん、歩けなくなってしまう。そんなことを書いていた。
今の僕は、株主や社員の人達に迷惑をかけることを承知の上で、自ら創業した会社を「途中下車」し、次の山を目指して歩き出したわけだが、28才でクリードエクセキュートを始めた時、36才でインタースコープを立ち上げた時と比べると、今は見えているものが随分と増えた。それ故、ドリームビジョンを始める時は、今までに経験したことのないほどに「躊躇」したし、悩んだり迷ったりもした。「失敗する確率」が分かっているからだ。
そんなことを、梅田さんも自分自身の経験を踏まえて言っているのだと思う。
次に、僕が改めて整理(梅田さん流に言えば『再発見』)できたのは、僕がインタースコープでやってきたインターネットリサーチというビジネスのことだ。
今までは「住民基本台帳」という身元が確認できる「特定多数」の信頼がおける母集団をベースに、専門的知識を有するリサーチャーが「質問」を設計し、それを「調査員」の方々が個人の自宅を訪問するか?郵送等して回答してもらっていた超アナログ手法を、基本的な考え方や構造はそのままに、そのプラットフォームをネット上に構築したということである。
これを、WEB2.0的に整理すると、インターネットユーザーという「不特定多数」の人々の「意見(回答)は正しい」という前提のもとに、市場調査という「マーケット情報(顧客情報)の生産工場」を構築したと見ることができる。つまり、既に「従来の手法」として構築されていたものを、「ブラウザ(質問票の代替)」と「サーバ(調査員なり郵送の代替)」と「データベース(住民基本台帳の代替)」に置き換えたということである。
これを、インタースコープという会社単位で見ると、マクロミルに売上的には5倍もの差をつけられてしまっているが、独自のポジションを構築し、インターネットリサーチの主要プレーヤーとして今までやってこれているのは、僕らが「質問設計・統計・解析・分析」という従来型リサーチビジネスの必須要素を身につけていたからであるが、別の角度から見れば、リサーチビジネスにおける「こちら側」に意識が強くなり過ぎてしまったがために、「あちら側」や「低バジェットの市場」に対する意識が低くなり(実はここにも紆余曲折があったのだが)、マクロミルほどのブレイクには至っていないと言うことも出来る。
その点、梅田さんが取締役を務める「はてな」やMIXIの笠原さん、GREEの田中さん、ドリコムの内藤さんという僕よりも10才以上も若い人達は、I.T.関連のビジネスに対する見方やスタンスが異なるのであろう。
昨年12月の定時株主総会で自ら創業したウェブクルーを退任した渡辺さんが、「20代の人達には敵わない」とよく言っていたが、そのことの意味が「ウェブ進化論」を読んで、とてもよく理解できた。
話は変わるが、来週月曜日に、ドリームビジョンの設立を記念して簡単なレセプションを開催することにした。実はそこに、インタースコープ関係者は殆どお招きしていない。
僕は自分の中でインタースコープ時代の「何かにケジメをつけたい」と思ってそうしたのだが(誰を招くと誰も・・・的な問題も考えたという理由もある)、その「何か」がウェブ進化論を読んで確認できたような気がしている。
それは、僕の「本質はネットベンチャー」ではないということである。
もちろん、インターネットリサーチにしても、保険スクエアbang ! にしても、ネットをキードライバーとして活用したビジネスであることは間違いないが、その発想のベースはマーケティング的なところにあり、テクノロジーではない。そこに戦略的な矛盾があったと思っている。そして、その「垢」を落としたい。
今からもう10年近く前になるが、名古屋に本社を置くユニーというGMSの子会社の社長をされていた、古河さんという方との会話が頭に残っている。
当時の僕は、最初に創った会社を経営している時だったが、ウェブクルーの渡辺さん達と一緒にネットビジネスを始めていた時期だった。古河さんは、おそらく20才は年下だろう僕に色々なことを素直に質問してきて、少しでも頼りにされていることを嬉しく感じていた。
ある時、古河さんから「これからの時代は平石さん達のような人達が創って行くんでしょうね」と言われたのだが、僕は「僕なんかは野球で言えば、中継ぎのような役割であり、僕よりも若い世代には物凄い人達がたくさんいます。僕は、せいぜい勝ち試合の中継ぎを務められるような存在になれれば幸せだと思っています」と返事をしたことがあった。僕はその時、あることがきっかけで知り合った孫 泰蔵さん(現在はアジアングルーブ代表取締役社長兼ガンホーオンライン代表取締役会長)のことを頭に思い浮かべていた。
梅田さんはウェブ進化論の中で、「大きな環境変化が起きたときに、真っ先に自分が変化しなければ淘汰される。(中略)これまでの生き方に固執するよりも「リスクが小さい」と、私は強く確信していた。本質的変化に関する一つ一つの直感を大切に、『時間の使い方の優先順位』を無理してでも変えてしまうことで、「新しい自分」を模索していきたいと思った」と書いている。また、「これまでに引き受けた仕事はすべてきちんと続けていくが、もうそういう委員みたいな仕事は新しく引き受けないと決心した」とも書いている。
僕が一度目の起業の後半において、当時の「ドル箱」だったDTPの仕事をバサッと切った時があったが、あの時の判断も「今、変わらなければ淘汰される」という「直感」でしかなかった。
今回は、それなりの裏付けなり、僅かではあるが資金的手当はあってのことだが、それでも「直感」の域を出ないだろう。敢えて言えば、「理念や思想」のようなものに後押しされているとも言えるし、インターネットリサーチ業界のみならず世の中の環境変化を考えた結果、43才という年齢的なことも含めて、今やらなければ一生できないで終わってしまうと思ったということである。
西川さんがネットエイジを立ち上げたのが40才の時、山川さんが僕と一緒にインタースコープを立ち上げたのが43才で今の僕の年齢の時である。
既に、スタートは切ったので、あとはやるだけだ。
このテーマで、もう少し書きたいことがある。「経営者の孤独」に関しては、しばらく先にしようと思う。
経営は科学か? 愛情か?
結論から言えば両方が必要だ。
2~3年前、インタースコープの戦略を見直すに際して、株主であるVC(ベンチャーキャピタル)にインタースコープの評価を聞いたことがある。
その時に、あるVCの担当者から、「御社は(しっかりとした)経営はされている。但し、ベンチャーの創業から数年は、もっとメンタルな部分でのグリップが重要だと思う」というコメントを頂いた。
インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により新たな価値を創造する」というもので、経営においても「科学的なアプローチ」がされていたということだと思う。
話は変わるが、先週と今週と2チームに分けて、僕が社外取締役を務めるラソナのマネージャークラスの人達との懇親会を行った。
ラソナは今年が10年目にあたる会社で、今までは外部資本は殆ど受け入れず、創業者であり社長である岡村氏のリーダーシップのもと頑張ってきた会社である。
岡村氏は「画家」出身で、また、彼のオーナー企業としてやってきたということも手伝い、今までのラソナの経営は、決して科学的と言えるものではない。
そのラソナの最大の「資産」は、岡村氏の人柄によるところが大きいのだろうが、主要メンバーが皆、合理性を超えたところでラソナが好きだという点である。これが、あるVCの担当者が言っていた「メンタルな部分でのグリップ」ということだと思う。
その一方、外部資本を受け入れておらず、管理会計や予実管理を厳しく言われる環境ではなかった為、非効率な経営が為されているとも言え、40人を超えたこれからは、科学的な経営が必要である。しかし、科学的視点や手法は「手段」であり、それが目的ではない。そこを間違えると組織に歪みが生じてしまうように思う。
またまた話は変わるが、昨日、僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社で一緒だった友人と、久しぶりにランチを食べた。
彼は先日、僕と同い年にも関らず、ある上場企業の社長に就任した。素晴らしいことである。
「起業」は、そこそこの才能とやる気さえあれば誰にでも出来ると言っても過言ではないが、組織で上り詰めて社長になるというのは、誰にでも出来ることではない。確かに、一般的には、創業社長とサラリーマン社長とを比べれば、その迫力や会社に対するコミットメントには大きな差があると思うが、僕が尊敬する伊藤忠商事の丹羽宇一郎氏のような人もいる。
因みに、僕の友人が社長に就任した会社の前社長は、何事も「論理とパワーと経済合理性」で進めるタイプの人だったようであるが、そのことが災いして社内に歪みや摩擦が生じたらしく、それで退任となったそうだ。
僕は経営を語れるほどの経験も力量も持ち合わせていないが、やはり、何事も根本は「愛情」だと思う。それがなければ、常識の範囲内のアウトプットしか出てこないだろう。何故なら、そこまでして頑張る必然性がないから。経済合理性だけであれば他にオプションはいくらでもあるはずであり、組織にロイヤリティは生まれないだろうから、長期的にみれば生産性が下がると僕は考えている。
ドリームビジョンは、科学的視点と共に、一緒に働く人やお客さんに対する愛情を併せ持っていて、そこで働く人が「物心共に充実した生活が送れるような会社にしたい。もちろん、科学と愛情の順番は逆である。ベンチャー企業では、10年来の友人である鉢嶺氏が経営するオプトは、僕の理想に近い会社である。
2~3年前、インタースコープの戦略を見直すに際して、株主であるVC(ベンチャーキャピタル)にインタースコープの評価を聞いたことがある。
その時に、あるVCの担当者から、「御社は(しっかりとした)経営はされている。但し、ベンチャーの創業から数年は、もっとメンタルな部分でのグリップが重要だと思う」というコメントを頂いた。
インタースコープの経営理念は、「科学的アプローチと徹底した人間主義により新たな価値を創造する」というもので、経営においても「科学的なアプローチ」がされていたということだと思う。
話は変わるが、先週と今週と2チームに分けて、僕が社外取締役を務めるラソナのマネージャークラスの人達との懇親会を行った。
ラソナは今年が10年目にあたる会社で、今までは外部資本は殆ど受け入れず、創業者であり社長である岡村氏のリーダーシップのもと頑張ってきた会社である。
岡村氏は「画家」出身で、また、彼のオーナー企業としてやってきたということも手伝い、今までのラソナの経営は、決して科学的と言えるものではない。
そのラソナの最大の「資産」は、岡村氏の人柄によるところが大きいのだろうが、主要メンバーが皆、合理性を超えたところでラソナが好きだという点である。これが、あるVCの担当者が言っていた「メンタルな部分でのグリップ」ということだと思う。
その一方、外部資本を受け入れておらず、管理会計や予実管理を厳しく言われる環境ではなかった為、非効率な経営が為されているとも言え、40人を超えたこれからは、科学的な経営が必要である。しかし、科学的視点や手法は「手段」であり、それが目的ではない。そこを間違えると組織に歪みが生じてしまうように思う。
またまた話は変わるが、昨日、僕が20代の頃に働いていたコンサルティング会社で一緒だった友人と、久しぶりにランチを食べた。
彼は先日、僕と同い年にも関らず、ある上場企業の社長に就任した。素晴らしいことである。
「起業」は、そこそこの才能とやる気さえあれば誰にでも出来ると言っても過言ではないが、組織で上り詰めて社長になるというのは、誰にでも出来ることではない。確かに、一般的には、創業社長とサラリーマン社長とを比べれば、その迫力や会社に対するコミットメントには大きな差があると思うが、僕が尊敬する伊藤忠商事の丹羽宇一郎氏のような人もいる。
因みに、僕の友人が社長に就任した会社の前社長は、何事も「論理とパワーと経済合理性」で進めるタイプの人だったようであるが、そのことが災いして社内に歪みや摩擦が生じたらしく、それで退任となったそうだ。
僕は経営を語れるほどの経験も力量も持ち合わせていないが、やはり、何事も根本は「愛情」だと思う。それがなければ、常識の範囲内のアウトプットしか出てこないだろう。何故なら、そこまでして頑張る必然性がないから。経済合理性だけであれば他にオプションはいくらでもあるはずであり、組織にロイヤリティは生まれないだろうから、長期的にみれば生産性が下がると僕は考えている。
ドリームビジョンは、科学的視点と共に、一緒に働く人やお客さんに対する愛情を併せ持っていて、そこで働く人が「物心共に充実した生活が送れるような会社にしたい。もちろん、科学と愛情の順番は逆である。ベンチャー企業では、10年来の友人である鉢嶺氏が経営するオプトは、僕の理想に近い会社である。
「希望」という学問。
インタースコープでは火曜日の朝、全体MTGというアルバイトの人も参加するMTGを行っている。
そこでは、2001年から続けてきた「3分間スピーチ」という全員持ち回りのスピーチがある。人前で話すことの練習と、その人の人となりを皆に理解してもらうために始めたものだ。
ある火曜日の朝、人事担当の女性のスピーチが印象的だった。
この話は以前のポストでも簡単に紹介したと思うが、総務省が20代~40代の男女を対象に実施した調査で、小学校6年生の時に「将来の職業」に関する「希望や夢」があったか?と、その「希望や夢」が実現したか?を質問したらしい。
すると、将来の「希望や夢」があったとする人のうち、9割は「叶っていない」という結果だったそうだ。
ここまでは当たり前のように思うかもしれないが、興味深いのは、小学校6年生の時に将来の「希望や夢」を持っていなかった人よりも、結果としてそれが叶っていなくても、小学校6年生の時に将来の「希望や夢」を持っていた人の方が、その後の人生において「充実感や達成感」を覚えた人や「今が幸せ」であると答えた人が格段に多かったということである。
その調査結果を踏まえて、東京大学では「希望」というものを学問として研究することを決めたらしい。
そこでは、2001年から続けてきた「3分間スピーチ」という全員持ち回りのスピーチがある。人前で話すことの練習と、その人の人となりを皆に理解してもらうために始めたものだ。
ある火曜日の朝、人事担当の女性のスピーチが印象的だった。
この話は以前のポストでも簡単に紹介したと思うが、総務省が20代~40代の男女を対象に実施した調査で、小学校6年生の時に「将来の職業」に関する「希望や夢」があったか?と、その「希望や夢」が実現したか?を質問したらしい。
すると、将来の「希望や夢」があったとする人のうち、9割は「叶っていない」という結果だったそうだ。
ここまでは当たり前のように思うかもしれないが、興味深いのは、小学校6年生の時に将来の「希望や夢」を持っていなかった人よりも、結果としてそれが叶っていなくても、小学校6年生の時に将来の「希望や夢」を持っていた人の方が、その後の人生において「充実感や達成感」を覚えた人や「今が幸せ」であると答えた人が格段に多かったということである。
その調査結果を踏まえて、東京大学では「希望」というものを学問として研究することを決めたらしい。
社外取締役の仕事
12年来の友人である岡村氏が創業した「ラソナ」という会社の取締役に就任して、約3ヶ月になる。
商法的な意味であれば今までにも何社かで社外取締役に就任したことがあるが、実際にその責任を果たす(行動を伴う)という意味では今回が初めてだ。これは、僕自身にとっても非常に為になっている。
自分自身を含めて、創業する人というのは当然のことながら自分のやりたいことがある。なので、こちらが社外取締役として色々と意見を言っても聞き入れないことが多く、機能しないことも多いのではないかと思う。いつだったか、グロービス創業メンバーのひとりで当時COOをしていた(現サイバード)加藤さんが、ワークスアプリケーションズのことについて話していたことが印象に残っている。
加藤さんが話をしていたのは、ワークスアプリケーションズの牧野さん達がある会社を買収する際に、その理由として、買収先企業には「優秀な人材がたくさんいる」ということを挙げていたらしいのだが、加藤さんが外部の客観的な目で判断すると、それではペイしないということを牧野さん達に進言したらしいのだが、なかなか聞き入れてもらえなかったということだ。また、加藤さんは、結果的にはフルタイムとしてジョインすることになったサイバードについても、社外取締役の立場で取締役会で色々な進言をするが、なかなか聞き入れてもらえないことがある、ということを言っていたことがある。
僕にとって2度目の起業にあたるインタースコープの場合、僕と山川さんという2人の創業者がいたり、ある時点からは我々創業者よりも外部株主の方がシェアが大きくなっていたこともあり、ワークスやサイバードの事例とは少々異なるかもしれないが、やはり、大なり小なり、そういうことがあったように思う。
さて、話をラソナに戻すと、創業者であり社長である岡村氏は、ラソナを創業する前はスペインで画家として活動していたという非常に変わった経歴の持ち主である。それ故に、ロジカルシンキングだの戦略思考だのという世界には疎いし縁遠い人だが、右脳的な勘で物事の本質を理解する能力に長けており、ある意味で僕と似ているかもしれない。
おもしろいと思うのは、人間は常に「相対的」な関係によって、お互いの役割が決まるということである。
僕はインタースコープ時代、クライアントに対してコンサルティングをする場合には、当然のことながら、論理的に物事を整理して話をする(それが仕事であるので)が、いざ、自分自身のことになると、感覚的な部分が勝り、時として論理性を欠くことが多々あったように思う。
ところが、ラソナにおいては、岡村氏が常に自分の思考パターンに任せて話を展開するので、最初と最後では話のテーマがまったく異なることが日常茶飯事であり、僕は「論理性」によって彼の話を整理し、現実的な解を探ることになる。
言ってみれば僕の仕事は、彼のやりたいことを踏まえつつ、それが論理的に成立するのかしないのか?を整理していくことであり、客観的に判断して、彼のやりたいことには勝算があるかないか?を分析することである。また、事業戦略を考える場合、その内容もさることながら、それを具現化する社内のスタッフのことを考える、つまり、組織デザインと運営面のことや、財務的観点から実現リアリティを検証する必要があり、僕がやっていることは、まさしく「経営企画部」的な仕事である。
今日もドリームビジョンでは、今後の事業戦略についての議論をしていたが、将来的に「投資・育成」機能を持つ必要があるという話をしており、僕が今、ラソナの社外取締役としての仕事をしていることは、その時にとても役に立つように思う。
起業家の意志を尊重しつつ、客観的に状況を分析しながら、どうすれば実現リアリティが増すかを考える。自分自身が起業家であることを活かして、本来の意味でのハンズオン投資をしたいと思う。
商法的な意味であれば今までにも何社かで社外取締役に就任したことがあるが、実際にその責任を果たす(行動を伴う)という意味では今回が初めてだ。これは、僕自身にとっても非常に為になっている。
自分自身を含めて、創業する人というのは当然のことながら自分のやりたいことがある。なので、こちらが社外取締役として色々と意見を言っても聞き入れないことが多く、機能しないことも多いのではないかと思う。いつだったか、グロービス創業メンバーのひとりで当時COOをしていた(現サイバード)加藤さんが、ワークスアプリケーションズのことについて話していたことが印象に残っている。
加藤さんが話をしていたのは、ワークスアプリケーションズの牧野さん達がある会社を買収する際に、その理由として、買収先企業には「優秀な人材がたくさんいる」ということを挙げていたらしいのだが、加藤さんが外部の客観的な目で判断すると、それではペイしないということを牧野さん達に進言したらしいのだが、なかなか聞き入れてもらえなかったということだ。また、加藤さんは、結果的にはフルタイムとしてジョインすることになったサイバードについても、社外取締役の立場で取締役会で色々な進言をするが、なかなか聞き入れてもらえないことがある、ということを言っていたことがある。
僕にとって2度目の起業にあたるインタースコープの場合、僕と山川さんという2人の創業者がいたり、ある時点からは我々創業者よりも外部株主の方がシェアが大きくなっていたこともあり、ワークスやサイバードの事例とは少々異なるかもしれないが、やはり、大なり小なり、そういうことがあったように思う。
さて、話をラソナに戻すと、創業者であり社長である岡村氏は、ラソナを創業する前はスペインで画家として活動していたという非常に変わった経歴の持ち主である。それ故に、ロジカルシンキングだの戦略思考だのという世界には疎いし縁遠い人だが、右脳的な勘で物事の本質を理解する能力に長けており、ある意味で僕と似ているかもしれない。
おもしろいと思うのは、人間は常に「相対的」な関係によって、お互いの役割が決まるということである。
僕はインタースコープ時代、クライアントに対してコンサルティングをする場合には、当然のことながら、論理的に物事を整理して話をする(それが仕事であるので)が、いざ、自分自身のことになると、感覚的な部分が勝り、時として論理性を欠くことが多々あったように思う。
ところが、ラソナにおいては、岡村氏が常に自分の思考パターンに任せて話を展開するので、最初と最後では話のテーマがまったく異なることが日常茶飯事であり、僕は「論理性」によって彼の話を整理し、現実的な解を探ることになる。
言ってみれば僕の仕事は、彼のやりたいことを踏まえつつ、それが論理的に成立するのかしないのか?を整理していくことであり、客観的に判断して、彼のやりたいことには勝算があるかないか?を分析することである。また、事業戦略を考える場合、その内容もさることながら、それを具現化する社内のスタッフのことを考える、つまり、組織デザインと運営面のことや、財務的観点から実現リアリティを検証する必要があり、僕がやっていることは、まさしく「経営企画部」的な仕事である。
今日もドリームビジョンでは、今後の事業戦略についての議論をしていたが、将来的に「投資・育成」機能を持つ必要があるという話をしており、僕が今、ラソナの社外取締役としての仕事をしていることは、その時にとても役に立つように思う。
起業家の意志を尊重しつつ、客観的に状況を分析しながら、どうすれば実現リアリティが増すかを考える。自分自身が起業家であることを活かして、本来の意味でのハンズオン投資をしたいと思う。
あなたの価値観に最も影響を与えたものは何か?
その質問を最初に受けたのは、J.W.Thompson(現在はJWT)という外資系広告代理店の社長面接だったと思う。僕が27才の時だ。
当時の社長は、アラン・ミドルトンといったと思うが、牛乳瓶の底のような厚い眼鏡をかけた大柄な人物で、広告業界の人間というよりは、中学か高校の校長先生という感じの物腰の柔らかい人だった。
僕は「Parents.(両親だと思う)」と答えた。
何日か前のポストでマネックスの松本さんのことを書いたが、6/1(木)にドリームビジョン主催で行う、松本さんと僕との対談形式のセミナーでどんな質問をするか?を考えるために、今日は、彼のあるインンタビュー記事を読んでいた。
話は逸れるが、今日は悠生(子供)の具合が悪く保育園に預けることができず、また、妻はどうしても休めない授業があって大学院に行ったため(僕の妻は大学院に通っている。因みに、年齢は20代ではない。念のため/笑)、14時過ぎまで、僕が家に残り、悠生の面倒を看ていた。
こういう生活は、普通のサラリーマンだったら出来ないだろうし、インタースコープの常勤取締役を続けていたら出来なかっただろう。そういう意味でも「人生はすべて必然」なのだろうと思う。
松本さんにはお兄さんがいたらしいが、彼が小学生の頃、不幸にも亡くなってしまったという。そのことで松本さんは大きなショックを受けたそうである。
お兄さんも松本さんも開成高校を目指していたらしいが、そのお兄さんの死により、松本さんは「僕はふたり分、頑張らなければならない」と思い、猛勉強をして、開成高校に合格したと語っている。
彼と比較しては大変申し訳ないが、僕にも似たような経験がある。
僕の出身地である福島県には、地元では有名な進学校が3つあり、そのひとつが「結果的」に僕が卒業した「安積高校」である。僕は安積高校の受験に失敗し、仕方なく、二次募集で他の県立高校に入学した。こう言っては大変失礼だと思うが学力レベルの違いにより、その高校に通うのが嫌になってしまい、3ヶ月で中退した。
僕が「退学して、翌年もう一度、安積高校を受験したい」と言ったところ、父親からも当時の担任の先生からも中学時代の担任の先生からも、みんなから反対された。でも、僕はどうしてもモチベーションが続かず、退学したいと言っていた時に、母親が僕にこう言ってくれた。
「ひとつだけ、お母さんに約束してくれる。結果は問わないから、最後まで投げ出さずに予備校に通うこと。そのことを約束してくれるなら、私があなたのお父さんを説得してあげる」。
父親はメチャクチャ頑固な人で、僕には母が父を説得できるとは思えなかったが、僕は母親と約束をした。すると、何と言ったのかは分からないが、母は本当に父を説得してくれたのである。
それから僕の予備校生活が始まった。当時の言葉で言う「中学浪人」である。
でも、その8ヶ月は、僕の人生の中でも最も楽しく充実していた時間だったと言っても過言ではないかもしれない。本当に楽しかった。
この話は以前に受けた取材でも話したことがあるように思うが、予備校で知り合った連中は皆、「挫折」した少年達であり、何もカッコつけるものもなく、また、その必要もなかったことが、その背景にはあったように思う。その頃に知り合った連中とは、今も「心の中」で繋がっている。なかなか会えないけど。中には、プロ野球の選手になった奴もいた。
さて、頑固な父親を説得してくれた母だが、実は、僕が翌年、安積高校を再受験する2週間前に亡くなってしまった。肺ガンだった。
その時の僕は、母が生きていたら、たまたま不得意な問題ばかりが出たとか、体調が悪かったとか、言い訳も出来るだろうが、「亡くなってしまった人には言い訳はできない・・・」と思い、その母のためにも、絶対に合格する必要があると思った。結果的には無事、合格した。一度も僕を褒めたことのなかった父が、その時ばかりは僕を褒めてくれたことが印象に残っている。その父は、僕が24才になってすぐに亡くなってしまった。
悪い癖でまたしても話が長くなってしまったが、僕は両親から大きな影響を受けたと思う。そのことに、後になってから気づいた。
松本さんもお父さんから大きな影響を受けたと言っているが、そのお陰で「反体制」的になったそうである。詳細は省略するが、あることで納得がいかずに先生に直談判したことが原因で、小学校(私立)を2ヶ月だったか、3ヶ月だったかで退学なったそうである。偉業を成し遂げる人は、やはり、やることが違う(笑)。
彼は、成功したベンチャー企業の創業経営者としては非常に珍しく、人に対する威圧感を感じさせない人だ。物凄い才能と努力の持ち主でありながら、とてもソフトでカジュアルであり、尚かつ「崇高な理念」を持った人である。
6月1日が楽しみだ。
当時の社長は、アラン・ミドルトンといったと思うが、牛乳瓶の底のような厚い眼鏡をかけた大柄な人物で、広告業界の人間というよりは、中学か高校の校長先生という感じの物腰の柔らかい人だった。
僕は「Parents.(両親だと思う)」と答えた。
何日か前のポストでマネックスの松本さんのことを書いたが、6/1(木)にドリームビジョン主催で行う、松本さんと僕との対談形式のセミナーでどんな質問をするか?を考えるために、今日は、彼のあるインンタビュー記事を読んでいた。
話は逸れるが、今日は悠生(子供)の具合が悪く保育園に預けることができず、また、妻はどうしても休めない授業があって大学院に行ったため(僕の妻は大学院に通っている。因みに、年齢は20代ではない。念のため/笑)、14時過ぎまで、僕が家に残り、悠生の面倒を看ていた。
こういう生活は、普通のサラリーマンだったら出来ないだろうし、インタースコープの常勤取締役を続けていたら出来なかっただろう。そういう意味でも「人生はすべて必然」なのだろうと思う。
松本さんにはお兄さんがいたらしいが、彼が小学生の頃、不幸にも亡くなってしまったという。そのことで松本さんは大きなショックを受けたそうである。
お兄さんも松本さんも開成高校を目指していたらしいが、そのお兄さんの死により、松本さんは「僕はふたり分、頑張らなければならない」と思い、猛勉強をして、開成高校に合格したと語っている。
彼と比較しては大変申し訳ないが、僕にも似たような経験がある。
僕の出身地である福島県には、地元では有名な進学校が3つあり、そのひとつが「結果的」に僕が卒業した「安積高校」である。僕は安積高校の受験に失敗し、仕方なく、二次募集で他の県立高校に入学した。こう言っては大変失礼だと思うが学力レベルの違いにより、その高校に通うのが嫌になってしまい、3ヶ月で中退した。
僕が「退学して、翌年もう一度、安積高校を受験したい」と言ったところ、父親からも当時の担任の先生からも中学時代の担任の先生からも、みんなから反対された。でも、僕はどうしてもモチベーションが続かず、退学したいと言っていた時に、母親が僕にこう言ってくれた。
「ひとつだけ、お母さんに約束してくれる。結果は問わないから、最後まで投げ出さずに予備校に通うこと。そのことを約束してくれるなら、私があなたのお父さんを説得してあげる」。
父親はメチャクチャ頑固な人で、僕には母が父を説得できるとは思えなかったが、僕は母親と約束をした。すると、何と言ったのかは分からないが、母は本当に父を説得してくれたのである。
それから僕の予備校生活が始まった。当時の言葉で言う「中学浪人」である。
でも、その8ヶ月は、僕の人生の中でも最も楽しく充実していた時間だったと言っても過言ではないかもしれない。本当に楽しかった。
この話は以前に受けた取材でも話したことがあるように思うが、予備校で知り合った連中は皆、「挫折」した少年達であり、何もカッコつけるものもなく、また、その必要もなかったことが、その背景にはあったように思う。その頃に知り合った連中とは、今も「心の中」で繋がっている。なかなか会えないけど。中には、プロ野球の選手になった奴もいた。
さて、頑固な父親を説得してくれた母だが、実は、僕が翌年、安積高校を再受験する2週間前に亡くなってしまった。肺ガンだった。
その時の僕は、母が生きていたら、たまたま不得意な問題ばかりが出たとか、体調が悪かったとか、言い訳も出来るだろうが、「亡くなってしまった人には言い訳はできない・・・」と思い、その母のためにも、絶対に合格する必要があると思った。結果的には無事、合格した。一度も僕を褒めたことのなかった父が、その時ばかりは僕を褒めてくれたことが印象に残っている。その父は、僕が24才になってすぐに亡くなってしまった。
悪い癖でまたしても話が長くなってしまったが、僕は両親から大きな影響を受けたと思う。そのことに、後になってから気づいた。
松本さんもお父さんから大きな影響を受けたと言っているが、そのお陰で「反体制」的になったそうである。詳細は省略するが、あることで納得がいかずに先生に直談判したことが原因で、小学校(私立)を2ヶ月だったか、3ヶ月だったかで退学なったそうである。偉業を成し遂げる人は、やはり、やることが違う(笑)。
彼は、成功したベンチャー企業の創業経営者としては非常に珍しく、人に対する威圧感を感じさせない人だ。物凄い才能と努力の持ち主でありながら、とてもソフトでカジュアルであり、尚かつ「崇高な理念」を持った人である。
6月1日が楽しみだ。
起業家は尊敬されない?
インタースコープで言うところの「伝説のインターン」で、大手の広告代理店に就職した人間がいる。
久しぶりに彼と会った時に、彼が言っていたことが印象に残っている。
「平石さん。うちの会社の同期でベンチャーに転職したいと思っている奴は、ひとりもいないと思いますよ」。
僕は大手の広告代理店からベンチャーに転職した人を何人も知っているので、ひとりもいないというのは大げさであり、学生時代に統計を選考していた彼にしては誇張した表現だと思ったが、彼の発言の本質は、これだけベンチャーが注目されるようになった現在でも、まだまだ、ベンチャー企業に対しては「君子危うきに近寄らず」という認識が根強いのだろうということだ。
もう少し具体的に論じてみると・・・
彼(はそうでもなさそうであるが)のように一流大学を出て、一流企業に就職できた人間は、余程、自分でやりたいことがない限り、その「ブランド」と「経済的恩恵」を捨ててまで、自分では想像も出来ない荒野?へ行こうとは思わないということだろう。
俗に言う一流企業に就職できた人にとっては、その会社では実現できない、どうしても自分でやりたいことが無い限り、実際に享受している恩恵を捨ててまでベンチャーに飛び込む経済合理性がないし、そもそもベンチャー企業のカルチャーが社会に認識されていない、つまり、常識的に考えて「リスク」は想像できても「リターンとベネフィット」は想像しにくい状況では、「飛び込む」に値するか否かの判断自体が難しいのだろう。
上記のことに関連するエピソードがある。
ドリームインキュベータの堀さんの講演会で聴いたことだ。
ベンチャー企業(を起こす人)にとって現在の日本の良いところは、「上場しやすい」「資金調達しやすい」という点。
一方、悪い(ハンディになる)ところは、「アントレプレナーシップを尊敬する文化がないところ」と言っていた。
数字を挙げると、「起業家を尊敬するか?」という質問に対して、いつの調査結果かは分からないが、「尊敬する」と答える人が日本では「10%」しかいないそうである。今は多少は変わっているかもしれない。
諸外国はどうか?というと、アメリカ:90%、ドイツ:70%であり、ジェントルマン(別の見方をすれば階級社会)の国と言われるイギリスでも40%が「起業家を尊敬する」と言っているという。
お隣りの韓国はどうか?というと、具体的な数字は忘れたが、過半数を超える人が「尊敬する」と言っているそうである。
僕の知り合いで早稲田大学に通う女性のエピソードを紹介しよう。
彼女は大手企業からの内定を取れる実力はありそうだが、そもそも、大手企業に就職する気がなく、インターンをしていたベンチャー企業に就職しようと思っているが、両親は世間体?を気にしてか、頑に「大手企業の内定をもらいなさい」と言っているそうである。
僕の両親は、父親は総合病院の事務長、母親は教師をしていたが、僕に「一流企業へ就職しろ」とは一度たりとも言ったことがなかった。諦めていたのかもしれない(笑)。
父はその代わりに、「俺が幼稚園を創ってやるから、お前はそこの園長先生になれ」と言っていた。おそらく、僕という人間の個性や価値観を見抜いていたのだろう。
母親はいつも僕に対して、「結婚する時は、自分と似ている人だけは止めなさい。電流もプラスとマイナスだから流れるのであり、プラスとプラス、マイナスとマイナスではぶつかり合うだけで、上手く行かないから。あなた達(僕は父とよくぶつかっていた)はそっくりよ」と言っていた。
自分の両親ながら、素晴らしい指摘であると思う。
話を元に戻すと、日本を進取の気質に富んだ社会にするためには、価値観を変えて行く必要がある。
僕が教育的な観点の事業を立ち上げたいと思う理由は、そこにある。
久しぶりに彼と会った時に、彼が言っていたことが印象に残っている。
「平石さん。うちの会社の同期でベンチャーに転職したいと思っている奴は、ひとりもいないと思いますよ」。
僕は大手の広告代理店からベンチャーに転職した人を何人も知っているので、ひとりもいないというのは大げさであり、学生時代に統計を選考していた彼にしては誇張した表現だと思ったが、彼の発言の本質は、これだけベンチャーが注目されるようになった現在でも、まだまだ、ベンチャー企業に対しては「君子危うきに近寄らず」という認識が根強いのだろうということだ。
もう少し具体的に論じてみると・・・
彼(はそうでもなさそうであるが)のように一流大学を出て、一流企業に就職できた人間は、余程、自分でやりたいことがない限り、その「ブランド」と「経済的恩恵」を捨ててまで、自分では想像も出来ない荒野?へ行こうとは思わないということだろう。
俗に言う一流企業に就職できた人にとっては、その会社では実現できない、どうしても自分でやりたいことが無い限り、実際に享受している恩恵を捨ててまでベンチャーに飛び込む経済合理性がないし、そもそもベンチャー企業のカルチャーが社会に認識されていない、つまり、常識的に考えて「リスク」は想像できても「リターンとベネフィット」は想像しにくい状況では、「飛び込む」に値するか否かの判断自体が難しいのだろう。
上記のことに関連するエピソードがある。
ドリームインキュベータの堀さんの講演会で聴いたことだ。
ベンチャー企業(を起こす人)にとって現在の日本の良いところは、「上場しやすい」「資金調達しやすい」という点。
一方、悪い(ハンディになる)ところは、「アントレプレナーシップを尊敬する文化がないところ」と言っていた。
数字を挙げると、「起業家を尊敬するか?」という質問に対して、いつの調査結果かは分からないが、「尊敬する」と答える人が日本では「10%」しかいないそうである。今は多少は変わっているかもしれない。
諸外国はどうか?というと、アメリカ:90%、ドイツ:70%であり、ジェントルマン(別の見方をすれば階級社会)の国と言われるイギリスでも40%が「起業家を尊敬する」と言っているという。
お隣りの韓国はどうか?というと、具体的な数字は忘れたが、過半数を超える人が「尊敬する」と言っているそうである。
僕の知り合いで早稲田大学に通う女性のエピソードを紹介しよう。
彼女は大手企業からの内定を取れる実力はありそうだが、そもそも、大手企業に就職する気がなく、インターンをしていたベンチャー企業に就職しようと思っているが、両親は世間体?を気にしてか、頑に「大手企業の内定をもらいなさい」と言っているそうである。
僕の両親は、父親は総合病院の事務長、母親は教師をしていたが、僕に「一流企業へ就職しろ」とは一度たりとも言ったことがなかった。諦めていたのかもしれない(笑)。
父はその代わりに、「俺が幼稚園を創ってやるから、お前はそこの園長先生になれ」と言っていた。おそらく、僕という人間の個性や価値観を見抜いていたのだろう。
母親はいつも僕に対して、「結婚する時は、自分と似ている人だけは止めなさい。電流もプラスとマイナスだから流れるのであり、プラスとプラス、マイナスとマイナスではぶつかり合うだけで、上手く行かないから。あなた達(僕は父とよくぶつかっていた)はそっくりよ」と言っていた。
自分の両親ながら、素晴らしい指摘であると思う。
話を元に戻すと、日本を進取の気質に富んだ社会にするためには、価値観を変えて行く必要がある。
僕が教育的な観点の事業を立ち上げたいと思う理由は、そこにある。
仕事、子育て・・・ときどきゴルフ
久しぶりにゴルフに行ってきた。
メンバーは、ネットエイジの西川さん、元GMOの廣末さん、オプトの福岡さんと僕の4人。太平洋クラブの成田にあるコースで、とても素晴らしいところだった。
今年になってから2度目のゴルフということもあり、フロント9は全くダメだったが、バック9に入ってからはショットが切れてきて、180ヤードの2nd を5番アイアンで2オンし、パーを取ったりと、かなりの手応えがあった。自画自賛だが、特に、アイアンの切れ味は抜群だった。
2004年8月から、片山晋呉プロのコーチを務める谷将樹さんのところへ通い出しスイング改造に取り組んできたが、結果がようやくショットに表れて、その効果を自分自身で実感した。今日はドライバーは使わずのラウンドだったので、これでドライバーを打てるようになれば、かなりのスコアが期待できそうである。
ところで、最近、物事の優先順位というか、限りある時間の中で何を優先するか?ということをよく考えるになった。
以前に、DREAM GATE という起業家排出プロジェクトでBlogを書いていた時に、マーケティングジャンクションの吉澤さんという方が言い出した「落とし前マーケティング」という概念を紹介したことがあるが、彼のマーケティング的視点はシャープだと、改めて感じる。
僕は今、このBlogのタイトルのとおり、「3度目の起業」と「初めての子育て」に奮闘中であるが、それ以外にやりたいことがいくつかある。
ひとつは、ゴルフ。もうひとつは、英語である。
ゴルフの話はさておき、英語に関しては、僕は一度も英語圏に住んだことがないが、このBlogを書いたり、プレゼンテーションをしたり、もちろん、日常会話には事欠かないレベルにあり、自分が持って生まれた才能の中では唯一自信がある。レベルチェックを目的に、トライアルのふりをして英語学校に行ってみることがあるが、普段は英語を話していないにも関わらず、常に上達していることを実感する。
「落とし前マーケティング」的に解説すると、僕は10代~20代前半の頃、英語の習得と異文化での生活を目的として留学をしたいと思っていたが、諸事情(単に時間とお金とやる気の問題)により、それを実現できずに今まで来た。
そろそろ、その「落とし前」をつけたいのである。人間、40才を過ぎて、この先の人生を考えるようになると、自分自身も含めて、本当にやりたかったことに「時間とお金」を使うようになるようである。中高年に「オープンカー」が売れているのは、吉澤さん流に言うと「落とし前マーケティング」的ニーズということになる。
今日のラウンド中に西川さんも言っていたが、若いうちじゃないと良いスコアも出せないし、語学も上達しないので、身体が動くうち、脳が新しいことを覚えられるうちに、ゴルフも英語もやる必要がある。
そういう意味では、ゴルフは仕事と子育ての合間を縫って毎週レッスンに通っており、それなりの時間とお金をかけているが、英語に関しては、今は何も出来ていない。
身体(運動神経)が動くうちか?脳が言語習得力があるうちか?というと、今現在、どちらに「時間とお金」を投下するべきか?(自分ひとりでも出来ることと、人に習わなければ出来ないことという視点で判断すると良いかも?)は何とも言えないが、いずれにしてもやりたいことはたくさんある。
そう、「人生は短い」のである。
メンバーは、ネットエイジの西川さん、元GMOの廣末さん、オプトの福岡さんと僕の4人。太平洋クラブの成田にあるコースで、とても素晴らしいところだった。
今年になってから2度目のゴルフということもあり、フロント9は全くダメだったが、バック9に入ってからはショットが切れてきて、180ヤードの2nd を5番アイアンで2オンし、パーを取ったりと、かなりの手応えがあった。自画自賛だが、特に、アイアンの切れ味は抜群だった。
2004年8月から、片山晋呉プロのコーチを務める谷将樹さんのところへ通い出しスイング改造に取り組んできたが、結果がようやくショットに表れて、その効果を自分自身で実感した。今日はドライバーは使わずのラウンドだったので、これでドライバーを打てるようになれば、かなりのスコアが期待できそうである。
ところで、最近、物事の優先順位というか、限りある時間の中で何を優先するか?ということをよく考えるになった。
以前に、DREAM GATE という起業家排出プロジェクトでBlogを書いていた時に、マーケティングジャンクションの吉澤さんという方が言い出した「落とし前マーケティング」という概念を紹介したことがあるが、彼のマーケティング的視点はシャープだと、改めて感じる。
僕は今、このBlogのタイトルのとおり、「3度目の起業」と「初めての子育て」に奮闘中であるが、それ以外にやりたいことがいくつかある。
ひとつは、ゴルフ。もうひとつは、英語である。
ゴルフの話はさておき、英語に関しては、僕は一度も英語圏に住んだことがないが、このBlogを書いたり、プレゼンテーションをしたり、もちろん、日常会話には事欠かないレベルにあり、自分が持って生まれた才能の中では唯一自信がある。レベルチェックを目的に、トライアルのふりをして英語学校に行ってみることがあるが、普段は英語を話していないにも関わらず、常に上達していることを実感する。
「落とし前マーケティング」的に解説すると、僕は10代~20代前半の頃、英語の習得と異文化での生活を目的として留学をしたいと思っていたが、諸事情(単に時間とお金とやる気の問題)により、それを実現できずに今まで来た。
そろそろ、その「落とし前」をつけたいのである。人間、40才を過ぎて、この先の人生を考えるようになると、自分自身も含めて、本当にやりたかったことに「時間とお金」を使うようになるようである。中高年に「オープンカー」が売れているのは、吉澤さん流に言うと「落とし前マーケティング」的ニーズということになる。
今日のラウンド中に西川さんも言っていたが、若いうちじゃないと良いスコアも出せないし、語学も上達しないので、身体が動くうち、脳が新しいことを覚えられるうちに、ゴルフも英語もやる必要がある。
そういう意味では、ゴルフは仕事と子育ての合間を縫って毎週レッスンに通っており、それなりの時間とお金をかけているが、英語に関しては、今は何も出来ていない。
身体(運動神経)が動くうちか?脳が言語習得力があるうちか?というと、今現在、どちらに「時間とお金」を投下するべきか?(自分ひとりでも出来ることと、人に習わなければ出来ないことという視点で判断すると良いかも?)は何とも言えないが、いずれにしてもやりたいことはたくさんある。
そう、「人生は短い」のである。
強く、そして、濃く。
昨日、子育ての合間を縫って、ドリームビジョンの企業理念と代表者挨拶を書いた。
今月22日に行うドリームビジョンのお披露目レセプションと6月1日にマネックスの松本さんをお招きして開催する「Talk Session」にあわせて、Webサイトをカットオーバーすることになっている。
そのWebサイトに載せるために、今までの僕の人生で経験してきたこと、温めてきたことを、改めて文章にした。
そこには新たな発見は無かったが、これからの自分の人生において、何を成すべきか?を言語化できたことは、とても意義があった。おそらく、何らかの選択を迫られた時、岐路に立たされた時、迷うことなく、自分の進むべき道を決める上で、力になってくれそうな気がする。
ところで、5/3(水)の昼前から昼過ぎにかけて、ドリームビジョン創業メンバー3人で議論をした。
ドリームビジョンが目指すべきものは何なのか? そして、それを具現化するサービスは何なのか? という、根源的且つ本質的な熱い議論をした。
そのことにより、3人の共通理解が更に深まったと共に、この先の事業展開のフェアウエイを明確に出来そうな気がした。
僕に関して言えば、確かに子育てで体調がボロボロになっており、体力的にも気力的にもシンドイという理由はあったにせよ、今まで溜めに溜めていた仕事に「具体的」に着手する気持ちが芽生えた。
そして、途中何度も「おむつ交換」や「ミルク」や「あやす」ことで仕事を遮られても、集中力を維持することができ、とても効率よく仕事が捗った。
やはり、正面から仲間とぶつかり議論をすることが、カオスの渕から何かを生み出す唯一の方法なのだと思う。そして、その前提として、価値観を共有できていること必要だということを再認識した。
これがなければ、何も始まらない。
今月22日に行うドリームビジョンのお披露目レセプションと6月1日にマネックスの松本さんをお招きして開催する「Talk Session」にあわせて、Webサイトをカットオーバーすることになっている。
そのWebサイトに載せるために、今までの僕の人生で経験してきたこと、温めてきたことを、改めて文章にした。
そこには新たな発見は無かったが、これからの自分の人生において、何を成すべきか?を言語化できたことは、とても意義があった。おそらく、何らかの選択を迫られた時、岐路に立たされた時、迷うことなく、自分の進むべき道を決める上で、力になってくれそうな気がする。
ところで、5/3(水)の昼前から昼過ぎにかけて、ドリームビジョン創業メンバー3人で議論をした。
ドリームビジョンが目指すべきものは何なのか? そして、それを具現化するサービスは何なのか? という、根源的且つ本質的な熱い議論をした。
そのことにより、3人の共通理解が更に深まったと共に、この先の事業展開のフェアウエイを明確に出来そうな気がした。
僕に関して言えば、確かに子育てで体調がボロボロになっており、体力的にも気力的にもシンドイという理由はあったにせよ、今まで溜めに溜めていた仕事に「具体的」に着手する気持ちが芽生えた。
そして、途中何度も「おむつ交換」や「ミルク」や「あやす」ことで仕事を遮られても、集中力を維持することができ、とても効率よく仕事が捗った。
やはり、正面から仲間とぶつかり議論をすることが、カオスの渕から何かを生み出す唯一の方法なのだと思う。そして、その前提として、価値観を共有できていること必要だということを再認識した。
これがなければ、何も始まらない。