シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」 -135ページ目

「影響を受ける」という「才能」。

この言葉は、僕が20代の頃に過ごしたODSというコンサルティング会社で使われていたものだ。

「影響を受ける」という言葉は、時と場合により、ポジティブな意味でも、ネガティブな意味でも使われると思うが、「影響を受けやすい」というと、「自分が確立されていない」とか「ポリシーがない」とか、どちらかというと「ネガティブ」な意味合いで使われるように思う。そんなこともあり、それまでの僕は、「他人の影響を受ける」とか「影響を受けやすい」ということに対して、あまりポジティブには捉えていなかった。

それが、ODSで働いたことによって、その概念は大きく崩れ去った。僕にとっては「衝撃的」だったし、昨日のブログで書いた「Turning point(転機)」のひとつだったと言えると思う。

昨日は、そのODSの先輩にあたる、HRIというコンサルティング会社を経営している野口さんという方と久しぶりに会った。

詳細は後日、改めてこのブログで説明したいと思うが、昨日の野口さんとの「会話」も、僕にとっては「転機」になると思う。僕の中で、どうしてもすっきりしないでいたことが、かなり、すっきりした(整理された)気がする。

ODSでいう「影響を受けるという『才能』というのは、謙虚に他人の意見に耳を傾ける姿勢と新しいことを吸収する柔軟性を指していると僕は解釈している。

会社を経営していると、やれ「一貫性」が大切であるとか、「朝令暮改」は良いとか悪いとか、様々なことを言われることが多い。

確かに、その根底にある思想や理念は揺るぎないものである必要があると思うが、それを踏まえた上で、環境変化に柔軟に対応し、新しい考え方や情報を取り入れ、常に「最適」と思われる意思決定をしていくことは、むしろ、必要なことだと思う。

ビジネスの世界においても、「生き延びるものは強いものではない。変化するものである」というダーウィンの進化論そのものである。

経営者という立場でいうと、そこで問題になるのは、「なぜ、その変化が必要なのか?」「どうして、その変化を選んだのか?」ということを、組織の全員に「わかりやすく」説明する必要があるということだと思う。

ベンチャー企業の創業者経営者の場合、人にもよるが、得てして「直観タイプ」の人が多いので、その人の中では「明確な判断基準」があり、それに則って意思決定をしていても、それを「万人に通じる言葉」で説明することをせずに行動を先行させることが多いので、社内に混乱を引き起こすということだろう。

今になってみれば、僕もこうして冷静に分析なり判断ができるが、インタースコープを経営している頃は、そのことを理解していなかった。

山川さんが、僕と一緒にインタースコープを始める時に、「サラリーマンに戻るということだと思うので、懐かしくもあり、大変だなという思いもあり・・・」と言っていたことの「意味(本質)」を、インタースコープを始めてしばらくした時に気がついた。

会社を船に例えれば、数人で漕いでいる小さなボートであれば、船長(経営者)が、急に右だの左だのと言っても、クルーがそれに反応できるし、その意味も理解できると思うが、それが、100人を超える人々が運航に関与している船となると、運航の機能が高度に細分化されており、システマチックな指示系統がないと情報自体が伝達されないし、船の方向を変えることはできないということだろう。

様々なことから「影響を受ける柔軟性」を持ちつつ、システマチックな経営をする(できる)。

そういう人が偉大な起業家なり経営者になっていくのだろう。

Turning Point(転機)

誰にでも人生における「Turning Point(転機)」と呼べる出来事や時期があると思う。僕自身の人生を振り返っても、そう呼べることがたくさんある。

そう言えば、ある時、パソコンのデータを整理していて、「僕の人生に影響を与えた出来事」というファイルを発見したことがあった。自分自身は、そのような整理をしていたことすら覚えていなかったが・・・。

「僕の人生に影響を与えた出来事」としては、高校受験に失敗したこと、若くして両親を亡くしたこと、28才で起業したこと、そして、36才の時にインタースコープを創業したことなどが挙げられるが、そこまで大きな出来事ではなくても、僕の人生に影響を与えた事や人はたくさんあるし、いるし、日常生活のちょっとした出来事が転機になったこともあった。

ドリームビジョンでは、「夢を実現する」という理念と「自分らしい生き方とキャリアデザインを支援する」というテーマに基づき、テクニカルなことではなく、メンタルな部分での「気づき」を得られる機会を提供することや、キャリアデザインの支援として、ベンチャー企業(僕の強みが生かせる領域)にフォーカスした「職業紹介」を行っていく予定であるが、それに加えて、何気ない日常に潜む「気づき」を提供できたらと思い、「自分らしい生き方」をしている人々を紹介するインタビュー記事を弊社のウェブにて掲載している。「Turning Point」というコーナーなので是非、読んでみていただきたい。

今週の水曜日、そのインタビューで、リンクアンドモチベーションという会社で働いている茂木さんという方と会った。

彼は、東京大学を卒業後、マッキンゼーに就職した。いわゆるエリートである。

しかし、その彼から聞いた話しは、僕にとっては意外な内容だった。彼にとってマッキンゼーに就職したことは、今になって考えてみると「モラトリアムの延長」だったという。

彼はマッキンゼーで2年半働いていたらしいが、マッキンゼーで「生き残る」ことは、マッキンゼーの価値観に順応することであり、それは彼にとっては「自分を曲げる」ことになり、その狭間でもがいていたそうである。自分を曲げて組織に順応する方が楽だったが、それを善しとせず、常に苦しんでいたという。

マッキンゼーでの仕事は、ロジカルに考えて「経済合理性」に則った結論を導き出すことだったそうだが、あるクライアントのある事業部の存続の是非を問う仕事をしていた時、ロジカルに判断すれば、その事業部は「閉鎖」という結論になるのだが、その「答え」を受け入れることに、とても抵抗があったそうである。

その事業部に思い入れを持ち、自分の人生を賭けて仕事をしてきた人達のことを考えると、どうしても経済合理性だけでは割り切れなかったようだ。

そんな彼にとって、マッキンゼーからリンクアンドモチベーションに転職したことは、とても大きな転機であり、自分にとって「初めての決断」だったという。

先日のインタビューで彼は、「それまでは『判断』はしてきたが、『決断』をしたことは無かった」と言っていた。

つまり、今までは、こうするのが良い、こうするべきだという判断はしてきたが、それは「MUST(SHOULD)=そうしなければいけない/そうするべきだ」という「論理的判断」であり、自分がしたい(WANT)と思う「決断」はしたことがなかったという。

マッキンゼーを辞めてリンクアンドモチベーションへ転職したことは、彼にとって初めての「自分がこうしたい(WANT)」という「決断」だったそうである。

彼が何故、そのような「決断」をしたのか? そして、今までは何故、その決断とは異なる生き方をしてきたのか?については、弊社のWeb(Turning Point)にて紹介する予定なので、是非、そちらをご覧になって頂ければと思う。

先日の「Kさん」という方のコメントは、僕にとっては日常の小さな出来事に潜む「Turning Point(転機)」だったような気がする。

お陰で心が軽くなったし、色々なことが整理され、変数が少なくなった。その「気づき」を大切にしたい。

WEB2.0時代の恩恵

昨日のブログに書いたとおり、「Kさん」という読者から温かいメッセージを頂いた。

ドリームビジョンを創業して以来、当社の「企業理念」である「夢を実現する」と「自分らしい生き方とキャリアデザインを支援する」というテーマの体現のひとつとして、自分自身の「夢を実現する」ための日々の営みをブログという形で発信してきたが、まさか、読者の方々から温かい励ましの言葉を頂くとは、想像もしていなかった。

毎日のようにブログを書いていると、自分の精神状態がどのように変化しているか?を自分自身で把握できるので、ここ最近の内容は、このブログを書き始めた頃と較べるとプレッシャーと戦っている様子が如実に表れており、何らかのパラダイムシフトが必要だと感じていた。

そんな時、とてもタイムリーというか、僕の心に「Kさん」という読者から「優しいストレート(ボール)」が飛んできたわけである。

尚かつ、その「Kさん」の書き込みを読んだとして、「satoさん」という方からも励ましのメッセージを頂戴した。

以前にも紹介したが通称「Joi(伊藤穣一氏)」というブログビジネスの第一人者が言っていた、「Blog is conversation.」というのはこういうことなのだろう。

そして、僕がブログ発祥の米国流に習って「実名」で尚かつ「偽らざる心境と出来事」を書いていることで、そういう「会話(conversation)」が生まれたのだと思う。

会ったこともない人が、僕のブログを読んでくれていて、尚かつ、励ましの言葉をくれる。そして、僕の発信するメッセージから何かをつかんでくれているという。これこそ、僕がやりたいと思っていた世の中の多くの人に「勇気と自信(を持つきっかけ)」を提供することであり、実際には、僕自身が「勇気と自信」を頂いている。

これこそ、「WEB2.0時代の恩恵」ではないかと思う。

追伸:「Kさん」と「sato」さんのお陰で、とても気分が軽くなりました。本当にありがとうございました。

「Kさん」という読者

「Kさん」という読者の方から、昨日の僕のブログにとても温かい示唆に富んだコメントを頂いた。コメントを頂いたのは、2度目だと思う。とてもありがたく思っている。

頂いたコメントは、

「変えられるものは自分の考え(物事の捉え方)と行動だけ。感情(喜怒哀楽)は、それに伴って変化する」。

そのとおりである。

いつだったか、リンクアンドモチベーションの体験セミナーに参加した際に、社長の小笹さんが、同じことを言っていた。

それ以来、僕は、渋滞でイライラすることが殆ど無くなった。一生懸命にイライラしても、状況は何も変わらないと思うようになったからだ。

続きは、また。

「過剰志向」と「過剰反省」

この言葉は、「希望の見つけかた(日経BP社)」という本で知った。

この本は、精神科医にして哲学者である「ヴィクトール・E・フランクル博士(1905~1997)」が唱えた「意味への意志」という概念に基づき、いかにして人生を意味あるものにしていくか?ということを、アレックス・パタコスという人が書いたものである。

何冊かの本を同時並行で途中まで読んでは放置する癖がある僕は、まだ、この本を読み終えていないが、とても多くのことを学んでいる。この本を読み始めたのは、まだ、インタースコープの経営陣として仕事をしていた昨年の秋だったと思う。

明日か明後日にでも、このブログで書こうと思っているが、今更ながら自分がやっていることの「責任の大きさ」に気がつき、ここ数週間、前向きでありながら、やや重たい気持ちに支配されていたこともあり、久しぶりに読みかけの『希望のみつけかた』を手にした。そこで目にしたのが、「過剰志向」と「過剰反省」という言葉だった。

要するに、自分に対しても周囲に対しても「過剰な期待」をしてしまうため、それが実現できないことに「苛立ち」を覚え、また、実現できなかったという「現実」に対して「過剰な反省」をしてしまうということである。

完璧主義者と言ってもよいかもしれない。

以前の僕は、そういう傾向があった。それ故に、自分自身も相手をも責めてしまうところがあり、「心の安定」とは程遠かった。

「過剰志向」と「過剰反省」という言葉を説明しているページは読んでいなかったが、そのことを表す事例を説明しているページは既に読んでいたようだが、改めて読み返してみると、初めてそのことの「意味」を理解したような気がする。つまり、最初に読んだ時には、その本質は理解できていなかったということだろう。

人間は、文字から何かを吸収することは容易いが、そこに込められている「意味」を理解する、その「本質」を理解することは、実は簡単ではなかったりするように思う。

実際に自分が経験をしてみて、初めて気がつくことがあるのだろう。昨日はそのことを改めて感じた一日だった。

「坊主頭のりょうへいさん」がいつもコメントしてくれているように、正しい v.s. 正しくない、すべき v.s. すべきでない、という考え方よりも、「楽しいか? v.s. 楽しくないか?」という尺度で物事を判断した方が、モチベーションが上がり、物事を推進できるような気がした。実にシンプルな話しだ。そのことを考えた。

坊主頭のりょうへいさん(その2)

彼は毎回必ず、僕のブログにコメントをしてくれる。必ずである。それが励みにもなって、毎日のようにブログを書いている。

実は、今朝はあまり目覚めがよくなかった。悠生に起こされることはなかったが、この週末にやろうと思っていた仕事ができずに、安田くんや山田くんに申し訳ないという気持ちが強くなり、あまりよく眠れなかったからだ。

自分で言うのも何だが、僕は生真面目な性格で、こういうことに弱い。もう少し図太く生きていくことができたら、人生はもっと楽かもしれないと思うことがある。でも、すべてを受け入れることが大切なので、そういう自分とも上手に付き合っていこうと思う。

今朝、いつものようにマッキントッシュを立ち上げて、メールをチェックすると、やはり、「坊主頭のりょうへいさん」が僕のブログにコメントをしてくれたというメールが届いていた。こうして、彼のコメントを読むのが日課になっている。

彼の書いてくれたコメントを読み、少しは気が楽になった。

今日は銀行に寄ってから、松井さんという人とランチをすることになっている。

それまでの短い時間ではあるが、やろうと思っていた仕事に取り掛かろう。

創業の理念

今日は、7月1日。はやいもので、今日から2006年も後半戦である。

ところで、今日の日経新聞を読んでいたら、三井物産の一面広告が目に留まった。

そこに書いてあったのは、

「眼前の利に迷い、永遠の利を忘れるごときことなく、遠大な希望を抱かれることを望む」。

という、旧三井物産 初代社長 益田 孝氏の「創業の理念」である。

2006年7月1日は、三井物産の前身である旧三井物産の創立から130年目にあたる記念すべき日だそうである。

やはり、100年以上も続く企業を創った創業者は、素晴らしい「理念」を持っていたということだ。

僕の「座右の銘」に加えようと思う。

「言うは易し、行うは難し」。

月曜日に会社に行ったら、紙に書いて、机の前に貼ることにしよう。

組織の盛衰

ALBERT上村 に頼まれて、彼のブログに「2度」に分けてコメントを書いた。

どうやら彼は、「代表者ブログ」を毎日更新するように会社の人達に尻を叩かれたのだろう(笑)。何処も同じである。

彼に書いて欲しいと頼まれたことは、インタースコープが、5人、10人、20人、50人、100人と組織が急拡大していく中で、僕が経験してきたことだ。

彼がこれから経営者として仕事をしていく中で、自分自身が経験した「ケース(題材)」として、整理しておきたいのだろう。少しでも僕のコメントが役に立てば嬉しい話しである。

そのコメントでも書いたが、僕は物事を「概念的(俯瞰的)」に捉える人であり、一部のことを除き「ディティール(細部)」には拘らない人なので、その過程の細かな出来事は覚えていないが、僕がインタースコープの6年間で学んだことは、組織と事業の発展には、「強い想い(理念)」とそれを具現化するための「科学的アプローチ(手法)」の両方が「絶対的条件」として必要であるということだ。

ドリームビジョンでは今、僕がインタースコープでの6年間から学んだ「教訓」に基づき、「明確な理念」とそれを具現化する「仕組みづくり」を一生懸命にやっている。

インタースコープの時と比較すると、立ち上げようとしている事業に関する「知見」にしても、調達可能な「資金」にしても、そして、スタート時点の人数も大きく劣っており、そのスピードは決して速くはないが、たった3人しかいない今しか出来ないことをやることが、規模が大きくなった時に「ブレない」組織を創ることに繋がると思っている。

僕は、物事を「概念的に整理すること」や「コンセプトワーク」には絶対的な自信があるが、それをどうやって具現化するかという「方法」になると、今も尚、得意ではない。

やはり、これも「必然」なのだと思うが、創業メンバーとして、ドリームビジョンという「荒野」を一緒に耕すことにコミットしてくれた安田くんという人物は、概念的思考能力は強いとは言えないが、僕が苦手な「量産化・再現性」を前提とした「業務フロー」や「オペレーションシステム」を考える能力とそれを実行する能力に長けており、お互いの長所と短所を理解して、困難に挫けずにやっていけば、必ず、上手くいくと思っている。

また、米国ネブラスカ州立大学を「休学」して、ドリームビジョンの創業に携わってくれている山田くんというインターンは、「概念的思考能力」と現実を踏まえた「業務設計能力」の両方の素地を兼ね備えており、僕と安田くんの両者の特性を理解した上で、的確なアドバイスをしてくれる。現在は少々独善的なところがあるのが気になるが、この先、社会に出て揉まれていけば、人間的幅が広がり、それらは解消されるだろうから、10年後、どこで何をしているかが楽しみな人材である。

インタースコープは現在、約100人。ドリームビジョンは、3人。

規模が成長のバロメーターではないが、自分自身の過去を超えるには、まだまだ時間がかかりそうである。

「柔軟」且つ「強い」組織を創りたい。

「幻想」と「限界」

今日の日経新聞にワールドカップに関する論説が載っていた。電車の中で、自分自身に置き換えながら読んでいた。

ブラジルのサッカーは「アコーディオン」のように「横の収縮」を重ねながら、時折、鋭く内側に切れ込み、ゴールを狙う。

対して、ヨーロッパのサッカーは「トロンボーン」のように、大きなストロークで「縦への前後運動」によってゴールを狙う。

では、日本はどうか?

「横の収縮」はあるが、内側に切り返す際の「スピード」がない。なので、ゴールが狙えない。
では、「縦への前後運動」をしたらどうか?それには、体格的に大きなハンディがある。

つまり、日本はブラジル(ラテン)のような「跳躍的」サッカーは出来ないし、ヨーロッパの強豪国のような「大きな」サッカーも出来ない。出来るのは、チームワークの妙で「熟成」されたサッカーだけだが、熟成させるのはブラジル型でもヨーロッパ型でもなく、試行錯誤の上、日本オリジナルのスタイルを見つけ出す必要があるという論説だった。とても分かりやすい分析だと思う。

話しは変わるが、ある時、2003年だっただろうか?「FFS理論」というチームワークの状況を分析するプログラムをインタースコープの経営メンバーで受けたことがある。インタービジョンという組織に関するコンサルティング会社の創業者である小林さんという方が開発したものだ。グロービスの投資先企業が何社か受けたと記憶している。

小林さんは米国ペンタゴン(国防総省)の顧問を務めていた(いる?)こともあるそうで、戦争の際に最強なチーム編成をするには、どのようなメンバーで構成するのがよいか?という、人材の最適化の権威らしい。

そのプログラム(FFS理論)では、マネジメント層のメンバーを、「タグボート」「リーダーシップ」「マネジメント」「アンカー」の4つに分けている。

「タグボート」とは、小さな船体にパワフルなエンジンを積んでいる船で、大型船を先導したり、自力で動けなくなった船を助けたり、海難救助などで人命や貨物、船体の安全確保などに活躍する船のことを指す。ひと言で言えば、「リスク」の高い仕事をする船である。

この理論で言う「タグボート」とは、リスクを取って「新しいビジネスチャンス」を開拓しようとするタイプを指すらしい。

「リーダーシップ」とは、タグボートが見つけた「魚影」をどうすれば攻略することができるか?を考えて実行する、会社で言えば「売上」を上げることに貢献するタイプの人材を指す。

「マネジメント」とは、「攻めと守り」をバランスさせ、「利益」を出すことに長けているタイプだそうだ。最も経営者的と言ってもいいかもしれない。

「アンカー」は、「撤収」を決断するタイプだそうだ。

僕はどのタイプかというと、「タグボート」らしい。要するに「起業家」タイプということだ。

このタイプは、組織が大きくなっても、常に「新しい何か」を探して行動するので、自分の影響力の大きさに気づかず、周囲に迷惑をかけてしまう傾向にあるようだ。まさしく、当たっている(笑)。

因みに、マネジメントメンバーで「タグボート」だったのは僕ひとりで、ある種の窮屈さを感じてたのはそういうことか?と妙に納得したりもした。

インタースコープは、創業期のベンチャー企業にしては「タグボート」や「リーダシップ」が少なく、マネジメントが多い組織だったようだ。

ところで、僕の周りには、同じように「起業」して、同じように「VC(投資家)」からお金を集めて、その結果、上場を果たした人が大勢いる。

では、誰でもが株式公開できるのか?できたとしても、その後も成長を続けていけるのか?というと、それは明らかに「NO」である。

1990年代のネットバブルやここ数年の「プチバブル」は、誰でもがベンチャー企業を創業し、VC(投資家)からお金を調達し、株式公開ができるかのような「幻想」を生んだところがあるように思う。
しかし、現実は全然違う。

自分自身はどうか?と考えると、正直な話し、とても悩んでしまう。

数年前までは一緒に汗水を流していた人達が、今では「ヒルズ族」になったり、ヒルズには入居しないまでもセレブな生活をしている姿を見ると、正直に言って、自分は随分と遅れをとってしまったと思うこともある。

でも、「起業家」にも、色々なタイプやスタイルの持ち主がいる。

バカな「幻想」は捨て、自分の「限界」を知り、尚かつ、自分ならではの「可能性」を見出し、そこに情熱を傾けられる人になりたいと思う。

仮に「周回遅れ」となっても、「自分らしい生き方」を大切にして。

シリアルアントレプレナーで行こう!!! 巨万の富みは築けなくても。

3種類の風

先日、僕が最初に起業した頃からお世話になっている伊藤忠商事の塩見さんという方と、塩見さんの元部下や現在の部下の方と一緒に食事をする機会があった。塩見さんの昇進祝いをしようということで、塩見チルドレンが集まった。

その時に塩見さんが仰っていた言葉が印象に残っている。

「フォローの風が吹いている時と、風が吹いていない時と、逆風の時がある。自分にとって今、どんな風が吹いているのかを理解して、取り組むことが大切である」という趣旨のことを仰っていた。

僕が28才で起業してから今までの人生を振り返ると、最初の起業の時は、実際にはどうだったかは別として、僕にとっては常に「逆風」だった(と感じていた)。

多少は儲かっていたという意味では、4年目から6年目にかけては、そこそこのフォローの風だったと思うが、大半はアゲインスト(逆風)だったように思う。フォローの風が吹いていたとしても、当時の僕には、その風に乗る実力が無かったということだ。

フォローの風が吹いて来たのは、1998年の秋頃だったと思う。山川さんと一緒に「インターネットリサーチ」を始めてしばらくした頃だ。渡辺さんが立ち上げようとしていた「保険スクエアbang !」というネットビジネスに参画したのもその頃だった。

あの時は、インターネットバブルというフォローの風に上手く乗れたと思う。

では、今はどうかというと、フォローの風が吹きそうな「予感」はしているが、実際には「無風」に近いような気がする。

そんな話しを塩見さんに言ったところ、「必ず、『隙間』が出来る瞬間がある。なので、その時にズバッと行けるようにしておくこと(が大切)」と教えられた。

インタースコープを立ち上げた時も、それまでに準備(努力)をしてきたからこそ、フォローの風が吹いた時に、うまくその風に乗れたのだと思う。

何事も「原因」が無ければ「結果」は出ない。

実はここ数日、気持ちが重たい状態にあったのだが、今日のある出来事により、その重たい気持ちが薄らいだ。

フォローの風が吹いた時に、その流れにうまく乗れるよう、日頃から準備(努力)を怠らないようにしよう。