記者と当事者が精神科における拘束について考える会に参加しました | 女医の国際精神保健

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精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
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大学院での研究テーマを「強制入院と当事者の自己決定支援モデル」に設定しているので、その界隈の会合に出席する機会を増やしております。

例えば、 こちら  こちら

 

今回は、記者と当事者が精神科における拘束について考えるという設定でしたが、一般公開ということで、伺いました。

全体として、強制的な精神医療への反対・嫌悪感が強い集まりでしたが、記者はセンセーショナルな発言が多く、当事者は必要な精神医療をどう安心して受けるかという発言が多かったように思います。

 

ー 拘束が年間1万人を超えた

ー 日本の身体拘束は平均2400時間(最長は2万4000時間)。世界は数時間単位で行っていることを日本は数週間単位で行っている

ー 保護室で患者を踏みつけて患者を死亡させた看護師が無罪になった

ー 病棟で医療者に暴行を受けている患者の映像があっても警察の捜査が始まらないこと

ー 指定医不正取得

などの指摘があり、問題意識として私も共有いたします。

 

しかし、多剤大量投与(化学的拘束)の話題は、なくなったとは言いませんが、少し古い話題でしょうか?

年配の医師とか地方の医師とか難治例では続けているのかな??

10年前は私も感じましたが、昨今は私の周囲ではスッキリした王道な処方を見かけます。

 

また、ベンゾジアゼピン処方による依存は、他科の医師にこそお伝えしたい内容でした。

安易にデパスとか危険です。

高齢者も増えていますし。

ここのトーンは十把一絡げに精神科医を責め立てている感じで、事実を踏まえて、深い分析を加えてから、意見を提示してほしかったです。

 

診断や治療に関するガイドラインがだいぶ発達している話題も心強かったです。

当事者が使えるガイドラインも開発段階にあるようです。楽しみです!

 

また、「12時間以内の隔離は0630調査に数えられていないのではないか」とか「今回は精神科病棟の拘束が中心であるが、一般病棟や介護の場面での拘束はどうなっているか」などの指摘もあり、重要な点だと感じました。

 

拘束が増えるのには、「転んだら危ない」という医療者や家族の保護的な発想も大きく関わっており、本人が本人らしく過ごすことを優先しある程度危険があることを承知で取り組むという考え方・捉え方の変革が大事であるとの指摘もありました。これは私も同意します。周囲の人の技術向上、環境整備に加えて、本人・周囲でどう過ごすかの共通意識を形成しておく必要があるのだと思いました。

 

精神科特例、診療報酬などにおいて、精神医療は構造上不利な状況に置かれており、その中で成績を評価したり、できる範囲を検討するのは意味がないとの指摘もあり、この意見にも私は賛同します。

例えば、人材は一般病棟の三分の一で良いという精神科特例の中で、現在のマンパワーできることできないことの話をして現状が最善であると諦めるてはいけません。

 

当事者たちのCBTやopen dialogueへの関心の高さも伺われ、この技術の発展にも私はとても興味があります。

 

他には、下記も話題にあがりました。

ー イタリアで精神科病院がなくなった例

ー 国連の虐待防止や障害者権利の条約

 

拘束を切り口にした会でしたが、最後は「どうやって安心して精神医療を使うか」という話題になっており、「安心してかかれる医師・診療所の探し方」などにも話題はおよび、会の終わりに私もちょっと発言し、「医師として当事者の希望や疑問は是非知りたいし、そこから現実的な選択肢を一緒に探していけるし、その時に希望や可能性を最大限に保てる医師を私は勧めたい」とお伝えしました。そこに出向いた医師がいたことが非常に歓迎され、医師側の意識も伝わり何かのお役に立てたようでした。これは、これまでの会合で「針の筵」感全開だったのとはだいぶ違いました。

 

会の終わりは「患者・当事者が取り組むことにより改善が進む」と結ばれました。

私の研究もそれに役立つものとしたいです。

(研究は「強制入院」に絞ろうと思っておりましたが、「隔離・拘束」は強制入院した当事者の経験から切り離せないものと助言を受け、絞らずに進めることとしました)