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今回はこういうお題でいきますが、この記事は日本史と
妖怪談義のどっちに入れればいいんですかねえ。やっぱり
妖怪談義のほうでしょうか。さて、猫はもともと日本本土には
住んでおらず、中国から移入されました。江戸時代には、
ペットとして、かなりの数の猫がいたようです。

これはネズミを捕るという実用的な面もあったでしょう。
お寺では、ネズミに経文をかじられないよう、猫を
飼っている場合が多かったようです。ただ、猫が妖異として
みられた話もけっこう残ってるんです。

犬はあんまり妖怪化しないんですが、おそらく、猫が
あまり人に慣れず、気まぐれなところからきてるんでしょう。
さて、猫の怪異として、人の言葉をしゃべるというのがあります。
現在の飼い猫の寿命は15年くらいですが、江戸時代は
栄養状態も悪く、獣医さんもいなかったので



その半分くらいだったでしょう。で、猫が年を古ると
だんだんにしっぽが2つに分かれて猫又という妖怪になる。
この話は古くからあり、鎌倉時代の『徒然草』にも、
ある法師が夜道で猫又に襲われた話が載っています。でもこれ、
正体は自分が飼っていた犬が迎えにきてくれたものだったんです。

さて、江戸中期の旗本で南町奉行も務めた根岸鎮衛が書いた
『耳嚢』には、あるお寺で飼っていた猫が、庭で鳩をねらっている。
住職は、境内で殺生はよくないと思い、鳩を追い払ったが、
そのときに猫が「残念なり」と人間の言葉でしゃべったという
話が出ています。このように人の言葉を操るようになると

もう化け物なので、住職は猫に手ぬぐい一枚を与えて
寺を追い出します。手ぬぐいは、頭にかぶって踊るための
ものです。また、化け猫は行灯の油をなめるとも言われます。
これは実際にあったことで、猫の食性からきていると説明されます。

めめめ

犬は長い間 人間に飼われていて雑食になりましたが、猫は
基本的に肉食です。人間の残り物を与えられていると、
どうしても脂肪分が不足します。江戸時代は仏教の影響で、
獣肉を食べる人は少なかったですから。当時の照明として、
ロウソクは高価だったので庶民は使わず、

菜種油や、それよりも安い魚油を使っていました。          
それを、脂肪分をほしがった猫が立ち上がってなめるわけです。
さて、ここからは、猫にまつわるいろんなエピソードを紹介
していきましょう。まずはこんな話。



江戸の根岸の里の百姓家に、尾が2つに分かれた白黒の猫が
迷い込んできて居ついてしまう。その家の息子がたいそう
かわいがり、猫は毎晩息子の布団の上で寝るようになったが、
息子は体調をくずし、寝込むことが多くなった。両親は
猫のせいだと思い、母親がつきそって息子と捨てに行きます。

息子はしかたなく、猫を抱いて山のほうへ向かいますが、
いつのまにか猫ともども姿が見えなくなってしまう。
いつまでも見つからないので両親は心配していたが、
息子がいなくなった付近の寺の藪から、犬が人の腕を
咥えてきて、それがどうやら息子のものらしい。

そのあたりの捜索を行ったところ、息子の着物の切れ端だけが
見つかり、人々は息子は猫又に食われたのだと噂した・・・
次、江戸中期のこと。ある商家の娘が、家に古くからいる
猫を大変にかわいがり、人々は娘が猫にとり憑かれたと
噂するようになったので、主人は猫を追い出そうとした。



そうすると、ぶち猫は自分から姿を消したが、その夜、
主人の夢に現れ「自分は、お嬢さんをこの家の天井裏にいる
化け鼠から守ろうとずっとついていたのだが、迷惑になると考え
家を出た。もし、〇〇家にいるトラ猫を連れてきてくれれば、
いっしょに力を合わせて、化け鼠と最後の決戦ををしたい」と言う。

主人は、不思議なことがあるものだと思いながらトラ猫を    
借りてくると、いなくなっていたぶち猫も現れ、2匹で
天井裏に入っていった。その夜、天井裏で大騒ぎがあり、
静かになった朝に主人が人を上らせると、犬ほどもある
大鼠にぶち猫が食らいついて死んでいた。

トラ猫も傷ついていたがまだ息があったので、礼を言って
〇〇家に返し、ぶち猫のために猫塚を立てて祀った・・・
次の話、江戸の文政年間、ある武士の年老いた母が、部屋に
引きこもりがちになり、食事も一人で食べるようになった。
武士が部屋の外から様子をうかがうと、四つん這いになり

っっx

食器に口をつけて食べている。また、長年飼っていた猫が
姿を消していたので、武士は年老いた猫は人を食い殺して
その姿に化けるという言い伝えを思い出す。武士は心を決め、
母親に化けたと思われる猫を殺しますが、死体はいつまでたっても
母親のまま。思い違いで親殺しをしたと考えた武士は

切腹しようとしますが、友人たちに止められ、一晩すぎると
母親の遺骸は大きな猫に変わっていて、本物の母親の骨が
部屋の床下から見つかった・・・ 最後です。吉原の有名な花魁
太夫が飼っていた猫をたいそうかわいがり、猫に憑かれているという
噂が出るようになった。ある晩、太夫が厠に行こうとすると

っだs

その猫が裾にまつわりついて行かせないようにする。前々から
猫のことを心良く思ってなかった娼家の主人は、ついに
猫を斬り殺してしまう。ところが、厠を調べると大きな蛇がいた。
猫は太夫を守ろうとしていたのだという話になり、
太夫は猫の遺体を寺に託し、供養のための仏像を彫らせた・・・

さてさて、ということで、猫については いい話と怖い話の
どちらもあるんですね。その習性が持つ2面性を表して
いるんだと思います。まだまだ話はあるんですが、このくらいに
しておきましょう。では、今回はこのへんで。