一番好きなアニメは『一休さん』 | 物語の面白さを考えるブログ

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「好き」の定義にもよりますが……「心に刻まれている」という意味に解するなら、該当する作品は『一休さん』になります。

子供のころに視聴していて、しっかり心に刻まれました。

 

小坊主の一休さんが頓智で無理難題を解決したり、悪い大人をやり込めたりするお話。

一番有名なエピソードは、屏風に描かれた絵の虎を捕まえろと言われて、じゃあ屏風から追い出してくれと屁理屈で返すやつでしょう。相手が「忍法・超獣偽画」の使い手なら終わっていました。

他に有名なのは、「この橋わたるべからず」の立札を無視して、橋をわたり、「端じゃなくて真ん中を通りました」と駄洒落でコンプライアンス違反を正当化するエピソードでしょうか。子供のころは納得してしまいましたが、分別のつく大人になってから思い返すと、駄洒落で法解釈していいわけないだろと言いたい。

アニメの一休さんのモデルは、室町時代の禅僧・一休宗純。

リアル一休さんのエピソードも、なかなかひどい。

一休さんが、女性をおんぶして川をわたしてあげた際、お尻を触ったのです。

それを見ていたお弟子さんたち、ショックを受けたものの、お師匠さまのやることに、おいそれとケチはつけられない。しばらくしてから、やっぱりこのままにはしておけないとなり、「あれ、セクハラじゃないっすかね、よくないっすよ」と意見したところ、「バカモン! いつまで過去を引きずっとるのじゃ!」と一喝されたという。

〝いまここ〟に在ることを至上命題とするスピ的には正しいのかもしれませんが、過去に縛られたまま生きていかざるを得ない凡夫には、セクハラされた事実はトラウマになるかもしれない大問題なわけでして。スピは許しても、世間は――いいや、儂は許さぬ。尻を触ったご婦人に謝罪せんかこのクソ坊主! と一喝してやりたい。

 

一休宗純(この画、長渕剛味があるなと昔から思っていました)

 

一休さんをディスるつもりはなかったのに、つい筆がすべってしまいました。ごめんなさい。

さて、全296話のうち、憶えているのは、たったの2話です。他は忘れました。

その2話こそが、「心に刻まれている」と私が言う所以です。

うちひとつは、一休さんが、力自慢の大男と、「糊作り」で勝負をするお話。

昔の糊は、炊いた米粒をすり潰して作っていました。

臼いっぱいのご飯を、どちらが早く、すべて糊に変えることができるかの勝負です。

大男は、杵で勢いよくペッタンペッタンご飯を潰していく。

対する一休さんは、ヘラでご飯を数粒ずつ、すり潰していく。

大男、あっという間にご飯を糊に変えてしまったように見えたが、検分役が調べると、まだご飯粒が残っている。一粒でも残っているうちは、「すべて糊に変える」という終了条件を満たしていないので、作業続行となるルールである。大男は、また、力まかせに、杵でペッタン。

そうこうしているうちに、一休さんが作業を終えました。検分しても、ご飯粒はひとつも残っていません。当然です。臼から数粒ずつ摘んでは、確実にすり潰していったのですから。取り残しはゼロです。大男の方は、何度検分を頼んでも、その度にご飯粒がどこかに残っていて、いつまでたっても終了しない。一休さんの勝利で決着がつきました。

このエピソードで、私は、地道に仕事をこなすことの大切さを教わりました。

一見、遅いようでも、ひとつひとつの仕事を着実に確実に終了させていくことで、二度手間をなくし、長い目で見ると仕事を早く終わらせることができます。

大男の方は、雑な作業をしたために、仕事を完了させることができませんでした。

 

もうひとつは、一休さんの所属する安国寺の小坊主たちが、日ごろの修行の成果を試すべく、他のお寺の小坊主たちと「お掃除勝負」をするお話。

一休さんをはじめとする安国寺チームは、素早く庭を掃き、廊下に雑巾がけをし、所定の掃除を早々と終わらせました。相手チームはまだ掃除をしています。

対戦相手のお寺の和尚さんが、さすがは安国寺と褒めると、安国寺の和尚さんは、自分たちの負けだと返しました。

掃除の仕上がりを確認すると、庭には掃きもらした落ち葉が散在し、雑巾がけをした廊下は、雑巾をよく絞っていなかったため、水でビショビショです。これではとても「掃除をした」とは言えません。

相手チームの掃除した場所は、塵ひとつ落ちておらず、水気もきれいに拭き取られています。

安国寺チームは、勝負に勝とうとするあまり、「掃除をする」ことの本質を忘れ、作業が粗雑になっていたのです。その心がけの未熟さを指して、和尚さんは自分たちの負けだと言ったのでした。

このエピソードによって、私は誠実に仕事をすることの大切さを学びました。

現実社会においては、上記のエピソードとはちがって、巧遅より拙速が尊ばれる場面があるかもしれませんが、根底に「誠実さ」がなければ、どのみち信頼を失って仕事が成り立たなくなるのではないでしょうか。

 

アニメ一休さんから教わったことが心に刻まれていたおかげで、大人になってから、どうにか仕事をしてこられた気がしています。

幼少期に形成された信念って、侮れませんね。