なんでも否定から入る人がいる。

お願い事をすると
必ずと言っていいほど
「◯◯だからできない」
て言う。
でもそのあとに
「できるけどどーすんの?」
て覆す。
最初は
ありがたいなって思ってた。
予定を変更してくれるんだって。
だけどいつもじゃなくても
この回数が増えていけば
だんだん
「あれ?」
て思えてくる。
そして
この人は
最初は絶対否定しないと会話ができない人なんだ。
て思えてくる。
そうすると
もうお願いすること自体が
私にとって負になる。
だって
「また聞いてもらえなかった」
て思うから。
結局、聞いてもらいたいって
聞いてもらえるかもって
期待をしてるんだ。
だからダメだった時の負が大きい。
じゃあ最初から期待しなきゃいいってなる。
だけど近しい存在なら
どこかにその期待は自然なことのように剥がれなくてそこにある。
そしてまた
聞いてもらえなかったことに
残念がる。
信頼もなにもなくなる。
その蓄積が
今のこの関係にあると
なぜわからないんだろうか。
聞き方ももう自分を守る聞き方になってる。
「…できるかな?」
…という溜めが最初に入る。
だけど相手は変わらず
「無理」
て即答する。
考える余地も本当にないくらい即答。
何にも変わらない。
そしてそれはこの人にとってなんらおかしなことではないし、これがこの人の当たり前。
悪気があるわけではない。
この人は
会話力がない人。
人に否定的なわけではなく
ただ単純に
会話、対話というものが欠落しているだけ。
それだけ。
だけど、この人にとってはそれだけ。のことが
人間関係にどんな悪影響を与えるのかを考える頭もついでに欠落してる人。
そんな人にわざわざこっちの心をざわつかせる必要なんてない。
あ、そーですね。
そーゆーひとでしたね。
で終わらせればいい。
期待しない、諦めることは自分を守ることという捉え方をしていたけど、最初からないものなんだ。
ないものをねだっても、ない袖は振れない。
そう思うと少し心が落ち着く。
頼み事をする。
「サッカー見るから無理」
あー、そうですか、はいはい。
数分後
「できるけどどーするの?」
きたきたきた。
いりませんそーゆーの。
サッカー楽しんで見てください。
終わり。
欠落人ってほんとにいる。
現にここにいるから。
世の中の、この欠落人が身近にいる人へ。
あなたと違ってその人にはその大事な部分がもともとないです。
それはある日突然、形成されるものではありません。
長年の私の経験上。
離れることが可能なら離れるべき人なんだけどそれが無理だとしたら
私とは持っているものが全く違う人。
最初からないものを求めるだけ無駄。
そこに気づける自分がどれほど人間性があるかを知ってください。
その人にないものを私たちはたくさん持ち合わせている。
それはその人にでは無く、会話力対話力のある人に使いましょう。