はじめに。今日は語学にたぶん関係ないことを書きますので、以下の文章を読むときは、その点を踏まえて読みましょう。


で、本題。今日わけあって、外出し、帰りがてらに、書店に寄ってきた。その書店で「速読」にかんする新刊本(確か文庫本だったような・・・)を目にした。


これを見て、思ったこと。「はぁ~世の中、不況なんだなぁ~」


 速読に関する本はどうやら周期的にブームになるようだ。恐らく仕掛け人がいるのだろう。そして、ブームになるときは私の経験上、決まって不況の時のようだ。先日などは、かの某国営放送の夕飯時の教養・バラエティー番組にまで取り上げられる始末だ。


 多分この背景には、資格取得をして、何とか不況を乗り切ろうとする心理があるように思われる。つまり、多くの参考書を速読のノウハウによって効率よく勉強し、資格をゲットしよう(そして、あわよくば就職なり転職、昇進につなげよう)という心理があるように思われる。


 私個人としては速読を否定するつもりはない(が、かといって積極的に推奨するつもりもない)。けれども、一昔前の速読ブームの時に、そんなにうまくは事が運ばない、ということを悟ったので、現在の(資格ブームとリンクした?)速読ブームには傍観する立場を採用することにした。


 また、強引に?語学と関連させて言えば、少なくとも速読のノウハウと語学学習のノウハウは、場合によっては、相反するようだ。単語の意味の暗記程度ならば、速読のノウハウが使えないことはないかもしれない。しかし、語学はやはり音読してナンボのところがあるので、この場合、速読の技術は使えない。速読ではなによりも音の読書ではなく、光の読書、イメージと言ったものを重視するからだ。つまり、音を重視する語学と、視覚的情報のみで読書せんとする速読では、要求されるスキルが全く逆なのだ。


 それゆえ、語学と速読の両立は無理だとまでは言わないが、とっても難しいものである、といわなければならない。

 え~っと、この3月末に私、まるちりんぎすとは、とうとう所属していた大学院を退学しました!


 それに伴って、今まで使っていた名刺が使い物にならなくなったので、ここ数日、名刺作成に追われていた。大学にポストを置いていた時代なら、キャンパス内の購買部に依頼すればそれなりのものを作ってくれたのだが、大学院生という肩書きを完全になくしてしまった今となっては、それができない。


 じゃあ、ネットで名刺屋さんに作ってもらおうか?とあちこちのサイトを物色するも、私の都合がよいサイトにはヒットせず!何よりも住所なり電話番号と言った個人情報を打ち込まなければならないので、やたら滅多なサイトで作るには心許ないのだ。


 そこで、考えた。では、パソコンで作ってしまおう、と。


 幸い名刺の作り方を紹介しているサイトは簡単にヒットし、市販品の型紙を使えばラクに出来る、というので、今回は完全にオリジナルで行くことにした。


 で、とりあえず、現在私が使える肩書きで表面を四苦八苦しながら作成し、次に裏面の作成に取り掛かった。


 ところで、名刺の裏面って、読者諸氏はどんなことを書いているだろうか?また、どんなことを書いている名刺をもらった事があるだろうか?


 まるちりんぎすとは、大学院生だった頃、ちょくちょくもらったのは、英語で書かれた裏面だった。表面の英訳版が裏面だった、といってもよいだろう。もしくは、表面にはかけないような、PR情報(例えば、所属学会だとか、系列会社一覧だとか)が裏面に書かれていることも、しばしばあった。


 ここで、素朴な疑問なのだが、裏面に英訳が書いてある場合、何で英訳をつける必要があるのだろうか??? 私の経験上、裏面に英訳が書いてある名刺を使っている人も、大概は日本国内でしか活動しないような人ばかりだったような気がする。つまり、日本人に渡すのに、わざわざ裏面に英訳をつけているのだ。


 私が思うに、これは英語圏の人間や、英語でビジネスを行うケースを除けば、はっきり言って、見栄以外の何物でもない。もっと砕けた言い方をすれば、英訳をつけているほうが、「カッコイイ」からに他ならないのだろう。もう少し軟らかくいえば、オシャレということも出来るかもしれない。


 もしも、実用的な意味合い以外にオシャレなりカッコイイと言った理由で英訳をつけるというのであれば、個人のセンスで、何も英語にこだわる必要はないのではないか?そう思い立った時、名刺の裏面には英語以外の別の外国語で訳をつけようと決心し、名刺を作成してしまった。英語以外の裏面の名刺って、なんかカッコイイではないか! 今回は作らなかったが、是非そのうちキリル文字を使うロシア語やウクライナ語あたりの外国語で、名刺を作ってみたいものだ。


 因みに、パソコンで名刺を作ることは、コストパフォーマンスから見て、一見安いようにも作業前は考えていたが、いざ作業をやってみると、型紙こそ100枚で700円程度だが、それを刷るインク代や、レイアウトを修正する作業のための労力や時間を考慮すれば、決して安上がりに済むというものではなく、案外、自作でも、名刺屋さんに頼むにしても、どっこいどっこいになるんじゃないだろうか?(それでも、自作のほうが安上がりにはなるんだろうが・・・)

 最近、昼夜逆転の生活からか、ある悪夢にうなされることがある。


 それは、夢の中で「お前のイタリア語は、使い物にならないぞぉ~」と、告げられるものだ。実に不快だ。


 確かに、最近は己のイタリア語の知識が抜けてきて困っている。かといって、リペアをする余裕もない。


 語学を勉強して、モノになった(ないし、なってきた)と実感する事があるが、しばらく何もしないでいると、また、忘れたり、口が廻らなくなったり、巧く聞き取れなくなったりしてしまう事もある。


 そういう達成感と挫折感を何度か経験している中で、語学の学習や習得に成功はあるのか?と疑問に感じてしまう。


 今、漠然と感じていることは、語学の学習や習得には成功という2文字は絶対に存在せず、あるのは失敗していない状況にあるか、否かということではないか、ということである。つまり、語学がモノになってきたと実感している時は、単に失敗していないというだけであり、成功の水準ではないのだ。反対に、折角身につけた素養が失われていると感じる時は、失敗している水準にあるのではないだろうか?


 そうかんがえると、私にとってイタリア語の学習は決して成功したというものではなく、失敗するかしないかの境目の所を行ったり来たりしているのである。


 また、話を複数言語に拡大すれば、総じて手を出せば出すほど、1言語にかけるコストは少なくなってしまうので、全部が全部失敗してしまうことになるのではないだろうか?? これは、多言語学習者にとってはまことに由々しき問題だ。


 昨年仮面ライダーシリーズの平成仮面仮面ライダーのシリーズ10作品目の作品で、仮面ライダーディケイドってのがやっていたけれど、多言語学習もディケイドみたいにいくつものスキルを文句なしに使いこなす事ができればいいのになぁ・・・


カードをスロット(カメンライド)に入れるたびに

カメンライダーディケイド アタックライド イリュージョン

カメンライダーカブド アタックライド クロックアップ 

のような感じでさぁ・・・。


まるちりんぎすと的には

カメンライダーItaliano アタックライド Ciao!

カメンライダーFrançe アタックライド Ça va?

カメンライダーРусский アタックライド Хорошо!


見たいな感じで・・・(うーん、後半はマニアックかつふざけすぎたか?ま、たまにはいっか?)

 以前、古典ギリシャ語の発音は、現代式でも古典式でもどっちでもいいんじゃないの?ってことを書いた。そんなことかいていたら、白○社から「古典ギリシア語のしくみ」という音声付の読本が発売された。ので、早速購入してみた。


現在国内で手に入る古典ギリシャ語の音声教材は(新約聖書ギリシャ語の者は別にして)、すべて白○社からでている


CDエクスプレス 古典ギリシャ語

古典ギリシア語入門

古典ギリシャ語のしくみ(今回買った奴)


の3冊である。既にCDエクスプレスと入門は購入済みだったので、音声教材のレベルも大体分かっていた。両著書とも、ミョウ○ンさんという日本人男性(!)が吹き込みをしている。初めて聞いたときは、「外国語なのに日本人が吹き込んでいるってのは一体どういうことだ!」とも思ったけれど、それでも古典ギリシャ語で音声が聞こえる事自体には、一定の評価と謝意を表わさねばならない、と思うようになった。


 今回買った「しくみ」の吹き込みもミョウ○ンさんだったので、「またか」とも「やっぱり」とも思った。まぁ、同じ出版社から出ているから、当然の帰結といえば、それまでなんだけどね・・・。外国語の勉強をして、音声教材を耳のすることもしばしばあるのだけれども、私の嗜好からすれば、音声教材の吹き込みは、外国人で、標準語で、女性が吹き込んでいたもののほうが、聞いていて爽快だし、勉強の都合上良いので、購入するまで、いくばくかの期待をしていたわけだ。(そのいくばくかの期待は完全に打ち砕かれたのだけれども・・・笑)


 外国語の音声で女性のほうが爽快に感じるのは、わたくし、まるちりんぎすとが男だからなのかもしれないが、女性の声のほうが概して高い音程なので、聞き取りやすいからなのかもしれない。


 ミョウ○ンさんの発音にとやかく文句をつける資格は私にはありませんが、ぜひとも女性で(この際日本人であっても構わない)古典ギリシャ語を喋る(というより発音する)方を育成してほしいなぁ、と思いまぁす!


もっとも、古典ギリシャ語の音読をする方とは稀有な存在だと思うので、なかなかいないとは思うけれど、ぜひともミョウ○ンさんには、(若い?)女性を弟子として育成していただきたいと希望を添えておきます。


 さて、今回のミョウ○ンの吹き込みによるCDだけれど、過去3枚聞いてきた中で、一番気合が入っているような気がした(気合というより感情移入が激しいといったほうが正しいのか)。以前どこかのサイトでCDエクスプレスの吹込みが感情移入が激しい!という指摘があったけれど、それにも増して気合が入っていたようだ。


 とりあえず、その気合だけは1読者(というか視聴者と言ったほうがいいのか?)に伝わったとだけ書いておこう。

私を含めて、外国語を1人で(?)コツコツとやっている人は、N○Kラジオの語学講座を利用している人が多いのではないだろうか?どの講座も大体テキストとCDをセットで購入しても1ヶ月で2000円というコストである。個人的には、も少し安くてもいいんではないかい?っておもうところもあるけれど、それでも語学学校なんかに通うよりはうんと安く付くのが魅力的だ。


私の場合、一番最初はイタリア語講座から聞き始めた。何でイタリア語から始めたのかといえば、いくつかの偶発的要素があってその理由を1つに絞り込むことはできないけれど、気まぐれだけでイタリア語をチョイスしたわけではない、ということだけいっておこう。


さて、そのラジオの語学講座であるが、N○Kのリストラによって、かつて1番組20分放送で週6コマのプログラムだったものが、昨年度から1番組15分、週5コマに減らされてしまった。しかも、英語以外の各語学コースにいたっては、某有名百科事典サイトの記事によれば、応用レベルを削除するような方向で動いているという。事実、いくつかの語学番組ではそのような動向を見て取れるのだけれど、入門編の内容はスキットを別にすればどの番組でも取り扱われる内容に大差はなく(いや、入門編といいつつも、押えられるべき論点が、担当講師によって全く違う、というのも問題だが)、視聴歴の長いリスナーほど不満足を感じてしまうのではないだろうか。それゆえに、やはり以前のようなプログラムに戻して欲しいと思うリスナーは結構多いのではないだろうか?

リストラによって、番組の放送時間を短くしなければならない、ということもなんだか納得がいかないけれども、もっと別の方法があるんじゃないのかぁとも考えてしまう。いま、手許に、2009年度後半のラジオ語学番組のプログラムがあるけれど、これを見て思うことは、やはり、英語の番組が優先されているなぁ。という感じが否めない。英語の番組は、基礎英語1~3という中学レベルからビジネス英語まで、選択肢は多い。これほど英語ビジネスが乱立している日本社会では、半ば当然といえば当然であるとは思う。よって、バラエティーに富んだ英語番組があることに関しては、取り立てて異議を挟む事はしない。しかし、再放送枠の使い方に関しては、修正すべきポイント、改善すべきポイントがまだ存在しているように思われる。例えば、基礎英語1~3は、プログラム表によれば、午前の6時台に放送があり(朝早いなぁ~)、その夕方の645分から7時半、さらに9時台に再放送枠が設定されている。つまり、1日のうちで1つの通常放送に対して、再放送が2回されているわけだ。これは他の外国語の番組が再放送が1回であることを考えれば、かなりの高待遇であるといわざるを得ない。いや、何度も同じ内容を放送するわけだから、ある種のムダであるということも出来る。恐らくN○K側としてみれば、「学校が終わり、家に帰ってきて、夕飯までの丁度いい時間に勉強してもらいましょ!!」という意図から6時台のプログラムは組んだのでしょう。ところがどっこい、現代の中学生は塾通いでビジーなので、恐らく6時台のプログラムを聞いているリスナーはいることいるだろうけれど、N○Kが想定しているほど多くはないような気がする。そう考えると、9時台の放送のタイミングもなかなか微妙だ。大体塾なんかでは6時から9時が授業時間なので、それから帰宅するとなると(帰宅時間を30分としても)中学生が自宅に着くのは大体9時半って頃になる。

また、1番組が15分になり、それを主として基礎レベルにしたことから来る視聴者の不満を解消するために儲けられた「アンコール」講座(これは20分のが多い)が結構幅を利かせているのも目に付く。ん?なんかおかしくないかい?番組の放送時間をリストラのために削ったのにアンコール番組を放送するというのは、トータルで見ると放送時間が増えているのではないか?再放送番組は制作費はゼロだから、たいした問題じゃないのかな?でも、番組の放送時間を減らすというタテマエが完全になくなっているような気がする・・・結果として(視聴者としてプログラムが多いことは嬉しいけれど)、この番組の放送時間の短縮は「しっぱい」だったんじゃあないのかなぁ??


 リストラおよび、番組の放送時間を短縮するんだったら、このような事も考えてほしいなぁと私は常々思ってしまう。


では、じゃあお前なら、どのようにするんだ?と問われれば、リスナーという視点から以下の点を要望したい。


1.結果として、時間が延びてしまったN○Kの語学番組をもとの時間に戻す。つまり、週6コマ(入門レベル4コマ、応用レベル2コマ)で20分に戻す。(当然ながら、アンコール講座もやめてしまう)

2.基礎英語の6時台の再放送をやめる。

3.そして、その代わりに、最近台頭してきているアラビア語や、ブラジルポルトガル語、ヒンディー語あたりの番組を導入する。

アラビア語やポルトガル語は、一応僅かばかりではあるとはいえ講座が既に存在しているので、その拡充から始めればよいだろう。で、なんでここにヒンディー語をと言ったのか問えば、要はブリックスの1つとしてインドの存在を考えたらヒンディー語の講座があってもよいのではないのか?と思ったからだ。もっとも、インドは旧宗主国が英国であったために、英語もよく通じるのであえて取り上げる必要もない、というご意見もあるかとは思う。また、インドの言語は必ずしもヒンディー語だけではない、という意見もあるかとは思う。それでもインドならではの言語というものを考えると、学習環境も改善の兆しが見られるヒンディー語を取りあげるのが、妥当なところ、ではないのかと考えてしまう。


おっと、今日はずいぶん長々と書いてしまいました。最期まで読んでくれた読者に感謝。