既にこのブログで告知したように、今回某語学検定を受験するのだけれども、それに伴って私は、普段はパソコン(もっと言うとワードとエクセル)を使って勉強していたのだけれども、いくつかの理由から、パソコンによる勉強はしばらく封印している。そして、その代わりにボールペン、修正テープ、ノートという原始的な勉強道具を使って勉強している。

この方法だとなんといっても時間が掛かり、それと同時に手が疲れてくることが最大のデメリットであり、その次に自分の汚い字を目にしなければならない、というデメリットが存在している。しかし、受験は基本的に筆記試験なので、ひたすらパソコンのキーボードを叩きまくって、いざ本番に挑むよりも、多少なりとも手書きの感覚を取り戻して本番に臨むのとでは、明らかに差があるだろう。

ちょっと、横道にそれるが、たとえばこんな経験をしたことはないだろうか?普段からパソコンを使うことがメインとなってしまったがゆえに、いざ手書きで漢字を書こうとすると、思い出せない、ということ。パソコンONLYだとこれと似たような現象が試験本番でも起きるとも限らない。

また、パソコンを使えば確かに楽ちんモードで大量に情報処理することができるのだけれども、それはあくまでもパソコンの中でのお話であって、「頭脳の処理スピード」が追いついているとは限らない。たとえば、動詞の活用練習をエクセルの表を使って行うと、ゲーム感覚的に楽しくでき、なんとなく活用の傾向は見えてくるのだけれども、いざ使いたい動詞を実際に活用させようとすると、あれほどしっかり練習したはずなのに、その活用形がなかなか出てこない、という経験も私はしたことがある。結局、パソコンでの作業から得られる大量の情報(処理)量は、すべてを脳みそが吸収しているのではなく、確実に取りこぼしている部分が存在しているのだ。

 だから、あえて処理スピードなり効率を落とすことによって、取りこぼしを減らす、という方法を選択するのも1つの方策になる。その代表的な例が「手書き」なのだ。

とはいえ、数日はずっとペンを握りっぱなして、腱鞘炎気味だ。やれやれ…またパソコンに戻るか?

半年ぶりにNHKのラジオ講座のイタリア語のテキストを買った。

ここ数回の「まいにちイタリア語」で開講されている講座は、どちらかと言えば私の好みに合わなかった。たとえば、今年の1~3月までのディクテーション講座は、そういう講座があってもいいとは思うけれど、私個人としてみれば、あえて書き取りをラジオの講座を使ってやる必要はないのではないか?と考えていた。他の講座の録音なり音声教材を使ってもできるからである。また、今年度の前期(4~10)2講座開講されていたけれども、なんともひどいことに、両講座とも入門レベルなのだ!最も初級編と入門編というように別のカテゴリーとして扱われていたけれども、実質的には2つとも応用編ではない、という限りで入門レベルであると言わざるを得ない。結果として中上級者の切り捨て、と言わざるを得ないような講座編成であった。

以前このブログでNHKが語学番組についてアンケートをしていたと書いたけれども、その時私、まるちりんぎすとは、今年の前期の番組編成について上記のような中上級者切り捨てではないか? とアンケートの自由回答欄に書いて送信した。この意見が反映されたのか、それとも、他のまいにちイタリア語のリスナーも同様の意見を持っていたのかは、定かではないが、今回買った10月号の講座の初めの方のページに講座の使い方と称して、「中上級者の方も是非、入門講座を活用してみてください!担当者によって切り口は多様です!!」と言った旨の内容が書かれていた。

 確かに入門講座も中上級者に役に立たないということはないだろう。しかし、いくら切り口は違うとはいえ、押えるべきポイントは大概決まっている。いい加減何度も入門講座を聞いていると、同じことの繰り返しでうんざりしてくる。

それに加えだが、アンコール枠が建前上中上級者救済であったはずなのに、実質的には、すでに「まいにち○○語」の再再放送の枠に成り下がってしまっている以上、しっかり正規枠で、毎回中上級者のための講座も併設してもらいたい。

某語学検定の対策本と過去問を使って演習をしております!

マルつけをするたびに一喜一憂しております。

さて、そんな語学検定の対策の勉強をしていて、ある種の感覚に陥ってしまいました。

それは、まるで受験勉強をしているような感覚です。そんなことを書くと、資格試験とはいえ「試験を受ける」という意味で受験なのだから、そんなのアタリマエじゃあないか、といわれるかもしれない。

それは確かにそうなんだけれども…でもなんだか、やっぱり語学の勉強法には合わないなぁ。選択肢の記述のうちどこが間違っているのかを考えて正当を見つけていく、というプロセスは、間違いなくいわゆる入試と呼ばれるものの受験勉強と瓜二つだ!

それともう1つ。マルつけをして解説を読むと、「この動詞は自動詞だから…、××と一緒に使えない」とか、「この選択肢は形容詞ではなく副詞です」といったような記述に出くわす。解説に文法用語を使わなければならないのはしょうがないにしても、普段外国語を使うときにイチイチ動詞が自動詞であるか他動詞であるかとか、形容詞であるか副詞であるか、と言ったことを意識している外国語の達人はどの程度いるのだろうか?

何が言いたいのかと言えば、現実に使用される次元での外国語と、試験で問われれている外国語の間に、大きなスキマがりそうだ、ということを言いたいのだ。敢えて試験問題で出題されている内容と、現実に運用されている語学の間にミスマッチがあるとは主張しない(それは仮に事実だとしても、負け犬の遠吠えのようだからだ)。

 

 何はともかく、受験日まで僅かなので、やれるだけのことをやって臨もうと思います

勉強に必要なもの、それは「お金」「時間」それともう1

今日はのんびり語学検定のための勉強に取り組むはずだった…

はずだったというのは、実際はできなかったことを意味する。

昼飯を食って、過去問を解いている最中で、1本の電話がかかってきた。どうやら間違い電話のようだったのだが、問題はその内容である。

相手方はこちらから女性(奥さんだとか母親だとかを想定しているのだろう)から車のこと(おそらく交通事故でも起こったのだろう)について電話があり、確認のためにこちらに電話をかけてきたという。ところが、その時に家にいたのは私一人で、相手方から女性に私の方から連絡できないかどうかと、尋ねられた。私はボカして(=できない)、ひとまず夕方には戻ってくると思うと伝え、電話を切った。

その後結局電話はかかってこなかった(一応ここ数日は用心する必要があるとは思うけれど、恐らく相手方が間違いであるということに気付いたのだろう)。

私は車の運転はどちらかと言えば得意ではなく、恥ずかしながら過去に(と言ってもずーっと昔)ジコったこともある。そんなこともあって、こういう間違い電話にビクッとさせられる。結局ずっとそのことが気になり、勉強どころではなくなってしまった。

 このことから、勉強に必要なものは「お金」と「時間」に加えて「良好な精神的コンディション」を挙げておこう。全く、試験前の重要な時に、こういうアクシデントはマジ勘弁!である。

余談だが、私は電話とカメラ(自分が被写体となる場合)はあまり好きにはなれない。電話に関して言えば、大概私以外に用があるにもかかわらず、そういう時に限って私が対応しなければならないし、本当に私に用があるならば、ケータイにダイレクトにかかってくるからだ。もっとも、どういうわけかたまにそのケータイにさえ、何らかの勧誘の電話がかかってくることもあるのだが…

写真に関しては、撮影者が撮影するまでの時間を待たされるのが大嫌いだ。集団で取るときはもとより、私個人を撮影する場合も、微調整やらなんやらで時間をとられていらいらさせられる。これがたまらなくイヤなのだ!

本日、発売が遅れていた某語学検定の過去問を買ってきた。1か月以上の遅れでの発売だったのに、扉ページにも、編集後記にも、どこにも発売が遅れたことに対するお詫びの一言すらも書かれていなかった。

ページをぱらぱらと何気なく見ていて一つ気になることを発見した。それは受験者集と合格者数の推移についてのページである。いわゆる合格率に関するデータのページである。

合格率が低いこともさることながら、年々受験者数が減っているのだ。

確かに、私が受験する語学検定の語学とは、(英語以外の言語という意味での)2外国語のうち、メジャーな言語でこそない言語である。しかしながら、辞書もあり、入門書や文法書、会話集、そして検定の対策本まである、いわゆる勉強する環境の整った言語である。

で、あるにもかかわらず、合格率の低さと受験者数の減少はちょっと気になる。受験者数の関係で採算が取れないからだろうが、受験料や過去問集の値段の高さも気になる。今までこの検定に投資した金額(受験料+過去問集)だけでも、優に2万は超える。

しかし、簿記検定や法律系の資格とは異なり、受験料は別にしても過去問集や対策本がすぐに使えなくなることはないのが、せめてもの救いである。(余談だが、これが簿記検定(1)になれば、毎年変わる商法などの法律の影響で処理方法がごろごろ変わり、次年度には使えなくなってしまうこともままならないのだ。受験料と対策教材(過去問集を含めて考えれば)だけで、軽く4万は吹っ飛ぶ。それと比べればまだマシ…といった程度のお話である)

現在対策本を使って勉強している中で気づいたのだが、この検定の筆記試験部門では、確かに良く使われる部分が問われているのだろうけれども、であるにもかかわらず、いわゆる教科書には載っていないような事項が多いようだ。

常識的に考えれば、良く使われる部分というのは教科書や入門書には頻出するはずである。しかし、この検定では、良く使われるのに関わらず教科書に載っていない、いわゆる重箱の隅を突くような問題が出題されるのだ。その限りで常識破りな検定なのである。