💡「診療に消費税を──?」

――“見えない税”を見える化する医療の新しいかたち

 

最近、医療界のミーティングでこんな議論がありました。

「病院の赤字を解消するには、いっそ診療にも消費税を課すべきでは?医師会も反対しないと思う。

このタブーに切り込むのは?」

 

そうなんです。

えっ、医療に消費税?と思う方も多いでしょう。

でも、これは単なる“課税強化”ではなく、

制度の歪みを正すための発想なのです。

 

もちろん消費税自体がなくなってしまえば、この議論はここで終了ですが、そんなに簡単に無くなるとは思えない。

ですので、仮に消費税が続くと仮定しての、今回のお話しです。

いつものように、自由に妄想してみます。

 

🩺 医療には消費税が“かかっていない”…

 

ご存知のように、日本の保険診療(公的医療)は非課税です。

しかし、病院やクリニックが購入する

医薬品、医療機器、電気・ガス、外部委託サービスなどには、

実は、すべて消費税がかかります。

 

つまり、病院は「仕入れでは消費税を払うが、診療報酬で転嫁できない」。この構造が長年続いています。

 

結果として――

✅ 大病院ほど損失が大きい

✅ 「税金補填」が複雑かつ不十分

✅ 経営努力ではどうにもならない赤字

 

これが、現在の「見えない赤字構造」です。現在、大病院や、基幹病院の赤字が言われておりますが、丁度消費税分10%前後であるのも興味深い。

よって、単純にこの制度を導入した途端に、赤字問題が解決してしまう病院も多いんです。

しかし、制度的・政治的に何かしらの壁があるために、長年非課税のままだったとも言える。

 

患者側にしても、敷居を高くすることで、

楽観的に見れば、“無駄な検査、薬、さらには診察”の削減にも寄与するかもしれない。

 

🧾 一方で、“自由診療”は課税されている

 

美容医療・審美歯科・人間ドック・健康診断など、“治療”以外の医療サービスには、すでに10%の消費税が課されています。

 

つまり、現場ではすでに「課税医療」と「非課税医療」が混在。

医療機関ごとに領収書の設計や税処理も異なり、患者さんにとっても分かりにくい構造になっています。

(いっそのこと、混合診療も解禁にしてしまえば、とさえ思いますが)

 

⚖️ 医療者の立場から見ると

 

課税されることで得られる最大のメリットは、

「仕入れ控除」が使えるようになること。

 

病院が購入した機器・薬剤・電気代などにかかった消費税を控除できるようになれば、経営の透明化と安定化が進みます。

特に、赤字続きの公立病院や中小クリニックには、

“救済”に近い効果をもたらします。

 

👥 一方、国民から見たとき

 

「医療にまで消費税!?」という反発が起きるのは当然です。

海外では、それぞれの対応をしてます。

ただ、ここで重要なのは“誰が負担するか”ではなく、

“どう設計するか”なのです。

 

・診療報酬に税を上乗せしても、患者負担を変えずに調整できる。

・AIと原価管理のデジタル化で、病院ごとのコスト構造を見える化すれば、「本当に必要なコスト」だけを税で補う設計も可能。

 

つまり、課税=患者負担増ではなく、

課税=透明化と再配分にすることはできるのです。

 

 🐤のひとこと:

 

「課税するかしないか、じゃなくて、“どう課税するか”の時代だよ」

 

まさにそれ。

税とは、“取ること”ではなく“流れを整えること”。

AI時代の医療制度は、数字の先に“人の安心”を置くべきです。

 

🕊️ 結論:「見えない税」を見える化する勇気を

 

日本の医療は、表面上は“非課税”でも、実際には仕入れや設備投資で毎年莫大な税を払っています。この“隠れ税”を放置する限り、どれだけ「医療費抑制」「病院再編」と叫んでも、現場の疲弊は止まりません。

 

医療を守るとは、まず“制度を整えること”。そのための第一歩として、「課税の是非」ではなく、「課税のあり方」を議論すべき時期に来ているのではないでしょうか。

 

🪶補記:

 

本稿は、医療現場の視点から制度の可能性を自由に考察した“妄想メモ”の一つです。

政党としての公式見解ではなく、あくまで個人の構想と問題提起の記録としてお読みください。

 

🎙️ 外国人比率「?%まで」という数字“だけ”で議論するのは危うい

 

最近、「外国人住民は10%以下」「総量規制を検討」といった議論が出ています。

でも──Chappyとも話して確信したけれど、数値一発で切る発想はざっくり過ぎて危うい。

 

現在の外国人比率は全国平均で約3%。

けれど、すでに東京都新宿区や群馬県大泉町では10%を超えている。

そして、外国人比率が10%を超えると──

・学校教育(言語・カリキュラム)

・医療・保険制度(翻訳コスト、保険未加入問題)

・住居問題(多世帯・文化摩擦)

が急に噴出し始めることが、欧州でも日本国内でもデータで確認されています。

 

「3%だからまだ大丈夫」と言うのは、数字(平均値)の罠。

外国人比率は“全国の数字”ではなく、“地域の現実”で見るべきです。

 

✅ 数字だけでは見えないもの

 

目安として%を置くのは有用。けれど、肝心なのは“中身”です。

  • 3%→10%の移行プロセスはどう設計する?

  • 地域差(住環境・治安・教育・言語支援)は?

  • 受け入れの形(技能・高度人材・留学生・家族帯同・短期滞在)は?

  • 在留期間・統合状況はどう評価し、どう改善する?

この“質の違い”を無視して「%だけ」を唱えると、政策は空回りします。

 

🧭 日本は“欧州モデル”と土壌が違いすぎる

 

欧州では外国人比率が15〜20%の国も少なくない。けれど、歴史・宗教・言語の多層性移民政策の蓄積が前提にあります。

一方、日本は島国で、独自の共同体文化を長く育ててきた社会。

かつては近所づきあい(鍵をかけない文化)がセーフティネットになり、夜道の安心や落とし物が戻る確率の高さが“当たり前”だった場所も少なくない。

パリに(自分が移民として)長らく住んでおりましたが、スリかっぱらい日常茶飯事、おおよそありとあらゆる犯罪を見聞きしました。土壌が違うのに比率だけを輸入するのは、発想として粗い。

 

さらに、出身地域・宗教・家族帯同の有無でコミュニティへの影響はまったく変わるし、家族・出生による増加は臨界点を超えると一気に加速します。

ここも設計に先に組み込むべき。

 

🌏 忘れてはいけないのは「感謝の視点」

 

今、日本の農業・介護・建設・物流・製造の現場を支えているのは、間違いなく多くの外国人労働者たち。

彼らがいなければ、地方の産業も、都市の暮らしも回らないという現実があります。

 

つまり問題は、「来ること」ではなく、「どう共に生きるか」。

“ありがとう”という敬意と、“制度的な設計”を両輪で持つことが、成熟した国家の姿だと思います。

 

💡 AI×Chappyの提案:数字 × 質で “構造設計” を

 

「10%以下」を“目的”ではなく“設計の基準”に。多次元で管理しよう。

  • 地域別キャップ:大都市・衛星都市・観光地・過疎地で上限と増加率を分ける。

  • 受け入れの質:技能・高度人材・留学生・家族帯同・短期滞在の構成比を政策的に設計。

  • 安全・統合KPI:夜間安心度、通報件数、就学・就業率、日本語教育到達度、地域参加率などを指標化しモニター。

  • タイミング制御:比率だけでなく年間増加率地域スコアを連動させ、自動ブレーキ/緩和をかける。

  • 制度の柔軟性:在留資格・国籍・帯同形態ごとに枠を分けて運用。改善すれば枠を広げ、悪化すれば自動で縮む。

こうすれば、「○%以下」はお題目ではなく、実態に即したガイドレールになります。

 

🕊️ まとめ

 

外国人比率を何%に──数字だけでは設計になりません。

「誰を・どの形で・どこに・どんな速度で受け入れるか」という質の次元が不可欠。

これは変動要因が多すぎるので、

私は、AIによる予測とKPI管理を活用しながら、数と質を両輪で回す「構造モデル」を提案します。

 

🐤「排除の壁」ではなく、「調和を保つ上限」を目標に。

数字と同時に、「質」「統合」「地域実情」を語ろう。

 

“Sex, Sense & Serenity — The Art of Being a Woman — Illustrated by Chappy”

 

🟥 「“プレ更年期”は誰が作った言葉か」

 

──ナオミ・ワッツの記事に感じた違和感から

 

先日、ハリウッド女優のナオミ・ワッツが自身の「プレ更年期」体験を語る、日本語での紹介記事を目にしました。更年期をオープンに語り、タブーを破るという姿勢はとても勇気あるものです。

けれども、医師として、そして女性として、私はこの記事のある一点に強い違和感を覚えました。

 

なぜなら、アメリカには「プレ更年期(pre-menopause)」という言葉や自覚そのものは、一般的には存在していないから*です。

 

ワッツさんのケースは、”early menopause”**に近く、要するに「かなり早めの閉経/閉経前期スタート」という意味では “異例”と言える範囲にあり、だからこそ彼女自身も強く発信しているわけです。

 

🟦 欧米では「閉経」がすべての基準

 

欧米の医学用語体系では、「更年期」という概念はすべて“閉経(menopause)”を軸にしています。

“プレ更年期”という医学用語は、日本にも存在しません。

 

ちなみに──

“更年期(menopause / climacterium)”とは、「卵巣機能の低下により、12か月以上月経が停止した状態」 を指します(WHO基準)。

「更年期障害(climacteric disorder)」は、れっきとした医学用語です。その定義は「閉経前後の女性にみられる、ホルモン変化に伴う心身の症候群」。

 

つまり、「更年期」は医学的にきわめて明確に定義されているのです。その一方で“プレ更年期”は、科学的根拠のない造語にすぎません。

存在するとすれば、それは「医療の言葉」ではなく──「消費社会が作った言葉」です。

 

🟥 “プレ更年期”が危険な理由

 

この話題については、ブログでも複数回取り上げて参りました。

日本で“プレ更年期”という言葉が定着してしまった背景には、

健康・美容・サプリ業界が手を取り合ったマーケティング構造があります。

「30代半ばから始まる女性の不調を、優しく受け止めよう」という表現に見えますが──

一番の懸念点は、不調が普通と感じてしまい、医療介入を遠ざけてしまうことにあります。

 

35歳前後の女性に起きる不調の多くは、

本来なら以下のような明確な医学的原因が存在します。

 

症状

可能性のある原因

必要な対応

月経不順・不妊

高プロラクチン血症、甲状腺疾患、卵巣機能低下症、PCOSなど

内分泌チェック

倦怠感・不眠・イライラ

鉄欠乏、睡眠障害、PMS/PMDDなど

採血・生活改善

肌荒れ・乾燥

栄養欠乏、ホルモン低下

栄養療法・HRT検討

 

しかし、“プレ更年期”という曖昧なラベルを貼ってしまえば、

「年齢のせい」「仕方ない」で終わってしまう。

これは、治療のチャンスを奪うことに他なりません。

 

なんたって、35歳はまだ女盛りのど真ん中なのですから。🌹

 

🟦 言葉が女性の尊厳を削ぐとき

 

さらに“プレ更年期”という言葉の響きは、一見やさしく見えて、実は残酷です。そこには、「あなたはもう終わりに近い」という無意識のバイアスが潜んでいます。

女性の価値を「生殖能力」と結びつけるような発想──それこそが時代遅れ。(もちろん、生殖能力自体は35歳から明確に落ちますので、そこはクールな判断力も必要です)

心身の変化を「老化」ではなく「進化」と捉えること。

それがホリスティック医療の基本姿勢です。

 

🟥 フランスでは「揺らぎ」と呼ぶ

 

私が長く過ごしたフランスでは、更年期に実際に入ってきた頃、45歳あたりから、

“déséquilibre hormonal(ホルモンの揺らぎ)”🐤と表現します。

つまり「体が新しいリズムを探している時期」。

“老い”や“終わり”という概念とは正反対です。

 

医師は患者にこう言います。

「あなたの体は、次のステージへの準備を始めています」

 

その言葉の背景には、変化を恐れず、むしろ“進化”として受け止める文化があるのです。

 

🟩 “アフター更年期”を生きる私から

 

私はもう、堂々の“アフター更年期世代”です🤣。

でもね、ここまで来ると、怖いものなんて何もないのです。なんたって、更年期障害を”幸年期生涯”と言い換えるくらいですから。

 

振り返れば、あの時期の不調は「終わり」ではなく、

体が新しいリズムをつくるための通過儀礼でした。

だから今なら、こう言えます。

 

“更年期”という言葉に怯えなくていい。

あなたの体は、次のステージをデザインし始めているだけ。

 

🪶 結語:

 

“プレ更年期”という言葉は、女性の身体を商業的に囲い込み、恐れを植えつける構造の中で生まれました。

 

私たちは、医療の名のもとに、無意識の“文化的暴力”を受けてはいけない。医療とは、恐れを煽るためではなく、変化の意味を教えるためにあるのです。

 

女性の身体変化を、「進化」として診る。それが、ホリスティック医療の原点です。

 

<脚注>

*英語圏・医学領域では「Perimenopause(更年期移行期)」という言葉が使われる時がある。

**“卵巣機能低下症”であったかどうかは不詳。

 

🪶 忘備録:各省庁の概算要求部会を“9回”参加して感じたこと

 

──参政党勉強会・日本人ファーストPTの現場から

 

政治の世界に入ってまだ日が浅いけれど、

だからこそ見えてくることがある。

 

新人だからこそ言えること、気づけること。

だからこそ、「数字」だけではなくその裏にある「構造」を知りたいと思う。

 

🟦 初心忘るべからず。

今日は、自分のための“メモリーノート”として残しておきたい。

(まとまりはないけれど、今この瞬間の“素の思考”として。)

 

<実際の部会の様子:厚生労働省編>

 

🟥 1.前年踏襲主義という名の「惰性」

 

どの省庁も、前年の増減をベースに予算を組む。

「前年度比〇%増▲」と言っても、その根拠となるPDCAもKPIも曖昧なまま。

 

会計検査院が監査しているはずなのに、

実態は“書類監査ごっこ”に終わっている印象。

 

🟦 理想は、AI+DXを導入して「成果監査」型の第三機関を。

これこそ、日本政治の最大の構造的遅れ。

 

🟥 2.サンセットルールが存在しない

 

一度ついた予算は、ほぼ永久機関。一度ついた予算は、ほぼ永久機関のように回り続けている。臨時予算のはずが10年、20年と生き延びている。

本来サンセット(終了)すべき臨時予算が、エネルギーを失わずに永遠稼働する──まるで「政治版・永久機関」だ。

 

🟦 民間なら当たり前の「ゼロリセット思考」を、政治にも!

「政界DX」とは単なる電子化ではなく、

この“ゼロリセット文化”を根づかせることだと思う。

 

🟥 3.AI時代に“5年単位”は遅すぎる

 

AI・防衛・エネルギー・医療──半年で世界が変わる分野ばかり。

「いま3年目だから中間点」という発想自体が、もう化石。

 

🟦 特に国防や医療DXは、半年単位で再設計できる制度に。

 

🟥 4.「DX」と書けば、予算が通る

 

DXという言葉が“免罪符”化している。

中身より看板。しかも省庁ごとに重複。

 

🟦 “縦割りDX”は矛盾の象徴。

 

厚労省は「医療DX」を明確に政策目標とし、電子カルテ標準化やデータ基盤整備を進めている。一方で、総務省の行政DX政策や文科省のAI・科学技術振興政策には、医療DX領域との関わりを帯びているものも散見される。

縦割りDX”(ダブル・トリプル予算)という矛盾を生んでいる。

結果、ベンダー乱立の如く“統合不能DX”という悲劇。

 

🟥 5.厚労省資料は“昭和の電話帳”レベル級(思わず笑ってしまった)

 

厚労省の概算要求資料はまさに“紙の迷宮”。

分厚さも構成も昭和の電話帳級(それも数冊分!)。

 

同じ省内で「賃上げ要求」と「医療費削減要求」が並列。

これはもう、政策の自家矛盾そのもの。

 

🟦 他国のように分けるのは?

再分割を検討すべき時期にきていると思う。

複雑化しすぎた構造を、いったんシンプルに戻す勇気を。

 

🟥 6.「現場感覚の欠如」という構造的病

 

多くの行政官は、“現場感覚”と“肌感覚”が圧倒的に足りない。

現場を知らず、資料の上でしか議論をしない。

本当の政策は、机上ではなく「現地の空気」からしか生まれない。人の声を“ヒアリングする”だけでなく、“自ら感じる”ことが必要だと思う。

 

たとえば──

・沖縄振興予算編成にしても、現地の人々の本当の気持ちをどれだけ肌で聞いたのか?

・デジタル庁であっても、世界最大のテック見本市 CES に行っていない。

 

🟦 世界の中の日本の座標を、自覚していない。

それが今の行政の最大の盲点だと思う。

 

🟥 7.タイトル詐欺型の“まやかし案件”

 

概算要求の中には、「タイトルと中身がほとんど関係ない」案件が平然と紛れ込んでいることがある。

同じ事業が少し名前を変えて複数の省庁に潜り込む──いわば“まやかし系・すり込み型案件”。

この構造が、日本の財政に静かにダメージを与えている。

 

🟦 AIテキスト解析で「類似事業検出」を導入するのは?

まやかし構造は、AIで炙り出せる時代。導入検討を始めても良い時期だと思う🤖

 

🟥 8.国益と外交の“思考の座標”

 

外交は国防の最前線。

にもかかわらず、概算要求の資料には「知能戦(Information Warfare)」の視点がほぼない。

 

外交官や防衛官僚が“AI外交戦略”を持つ時代に、

日本だけが「対面主義」「儀礼外交」に留まっている。

国家の安全は、言葉の設計=情報外交のIQ戦(まさにインテリジェンス)で守るべきだ。

 

🟦 国家の安全は、言葉の設計=情報外交のIQ戦。

外交のDXこそ、AIと人間の協業領域。

 

🟥 9.スパイ防止法──まずは「欧米を徹底的に学ぶ」

 

スパイ防止法の議論では、「感情論」よりもまず構造を知ること。アメリカやイギリスは既に100年単位で知能体系を構築している。

 

🟦 日本はまだ“赤子レベル”。

まずは情報リテラシー教育と制度模倣の徹底から始めよう。

 

🟥 10.JESTA(日本版ESTA)は急務

 

テロ・スパイ・移民・脱税──

これらを一元管理できるのがJESTA(日本版ESTA)構想。

 

単なる「手数料収入」だけではなく(一人1万円とすれば年間3,000億の財源)、

国家データ連携・出入国監視・税務統合・犯罪予防の観点から、

国民防衛インフラとして設計すべき。

 

スパイ防止法を掲げるなら、まずは米国ESTAの構造を徹底研究。

(一部報道では、トランプ政権下でESTA情報が諜報的に活用されたとの指摘もある)

 

🟦 手数料収入に加え、国民防衛インフラとしての意義を。

 

🟥 11.行政資料の“可視化革命”を

 

・概算要求資料のフォーマット統一なし

・PDF/Excel/PowerPoint混在

・単位も桁もバラバラ

 

🟦 「ポンチ絵文化」からAIダッシュボードへ。

省庁ごとに独自フォーマットで、字が小さく、桁も単位もまちまち。億なのか百万円なのか一見して分からないものも多い。

「国民にも見える行政」を目指すなら、最初に可視化すべきはわかりやすい“税金の流れ”。

 

🟩 ✍️ 結語

 

9回の概算要求勉強会を通じて思った。

 

この国の問題は「予算不足」ではなくむしろ「構造劣化」。

お金の問題ではなく、思考のOSが古いということ。

逆に言えば、透明化すれば、無駄の多くは自然に消える。

 

政治とは、数字を動かすことではなく、“数字の意味”を設計すること。その奥にある“命の設計図”こそ、政治が取り戻すべき本質だと思う。

 

日本政治の病は、情報の不統一と目的と成果の不明確さ。

でも、それを素直に指摘できるのは“まだ魔宮に染まっていない新人”だけかもしれない。

 

だから、私は忘れないうちに書く。

次の「再生」に備えて。

 

🟩 最後に、ひと言だけ。

 

この勉強会を企画し、各省庁との対話の場をつくってくださった

参政党本部の皆さまには、感謝しかありません。

新人議員にここまでリアルな現場を体験させてくれる政党は、他にないと思います。

 

🐤 Dr. Mana Iwamoto

参政党・参議院議員/皮膚科専門医/AI医療推進派

「医療を診る目で、政治を診る」

 

📝 本稿は一議員の個人的な忘備録であり、党の正式見解とは関係ありません。

 

🕊 黒塗りの“沈黙”──気づいてほしかった誰かのサインかも?

 

10月9日。

東京地裁が、厚労省による新型コロナワクチン契約書の全面不開示決定を取り消したという報道がありました。

「合理的な範囲に区切って開示・不開示を判断すべき」──

きわめてまっとうな判決です。

 

京都大学の福島雅典名誉教授が代表として訴えていたこの裁判は、医療の透明性を取り戻すための歴史的一歩。

先生には、以前から私も直接ご連絡を取らせていただいており、この結果を心から嬉しく思っています。

 

けれども、ひとつだけ引っかかっていることがあるのです。

 

💭​​​​​​​ なぜ、あの“真っ黒な文書”を出したのか

 

日本の行政は、「原本主義」と呼ばれる厳格な文書管理ルールに基づいています。

行政文書の改ざんや再作成は原則禁止。

なので新たに作ることはできず、原本をなんとかしなくてはいけなかった。

だから、どんなにおかしい内容でも「消せない」。

せいぜいできるのは、「黒く塗る」こと。

 

つまり、黒塗りは隠蔽の技術であると同時に、

「これ以上は触れられない」という制度の限界の表現でもあるのです。

 

🐦‍⬛それでも、“異様な黒”には意志があった

 

行政の中にも、“これはおかしい”と感じながら、

命令系統に従わざるを得ない職員は少なくない、と考えております。

 

文書を黒く塗っていく、その異様な光景を想像しながら、閃きました。

もしかしたら、あれはむしろ「気づいてほしい」というサインだったのではないか。

 

🖊️“改ざん”はできない日本の制度

 

だからこそ私は思うのです。

あの「黒すぎる文書」こそ、

もしかしたら内部の誰かの“沈黙の内部告発”だったのではないかと。

 

「どうか、この不自然さに気づいてくれ」そう願うように、あえて異様な黒を残した。それは、心ある誰かの“最後の仕事”だったのかもしれません。

 

👄民主主義とは、「知る権利」と「知らせる勇気」

 

思えば、私はこの件を以前のブログでも書いています。

➡️ 『1700ページの黒塗り──隠されたワクチン広報と“知らされなかった私たち”』(2025年5月3日投稿)

 

1700ページ以上が黒塗り。「正しい情報の流布」という名の下に、国と民間PRが一体で“情報環境”を設計していた——。

 

あの時も感じました。

“知らされなかった私たち”の背後に、

“知らせたかった誰か”がいたのではないかと。

 

📄黒塗りの下には、良心が眠っているーと信じたい

 

黒塗りは、ただの闇ではありません。

その奥には、

「本当は伝えたかった」

「本当は見せたかった」

そんな良心が、静かに封じられている。

 

私たちがその“沈黙の声”に気づくとき、

はじめて透明性は再生します。

 

行政の信頼を取り戻すということは、

敵を責めることではなく、

「沈黙してきた人たちの声を救い上げること」なのかもしれません。

 

🐤最後に

 

福島先生の勝訴は、単なる法的な勝ち負けではありません。

それは、行政と市民のあいだに再び“光の通路”を開いたこと。

そして「日本の行政を“アメリカ型の公開文化”へ近づける一歩」として、本当に歴史的な意味を持ちます。

 

この国の未来を変えるのは、

いつだって「気づいた人」たちからです。

 

黒塗りの向こうには、

まだ見ぬ真実と、

まだ報われぬ良心がある。

 

だからこそ、私は信じています。

沈黙の内部にも、必ず“味方”がいると。

 

 

🗾 「日本人ファースト」は、排外主義ではなく“順序の倫理”である

 

──法哲学者・安藤馨氏への一診断

 

「日本人ファースト」は差別か?

中央公論11月号に掲載された安藤馨・一橋大学教授の論考が、静かな波紋を呼んでいる。

曰く──

 

「福祉国家を正当化するには、同国民への“偏向的義務”が必要」「だがそれは身内びいき(ナショナリズム)であり、道徳的には不当」

 

ふむ。

なるほど。

さすが法哲学者、理屈は美しい。

──でも、ちょっと“現実”から浮いていませんか?

 

💊 「不偏性」と「責任の順序」

 

確かに、人道の基本は「誰であっても助ける」こと。

医師として、私も道端で倒れている人を国籍で区別することはありません。

でもそれは個人の道徳の話です。

 

国家には、制度としての倫理=責任の順序がある。

医療でいえば、

 

“世界中の患者を治す”よりも、

“まず自分の病院で倒れている人を助ける”のが優先。

 

それを“偏向的”と呼ぶなら、

“母親が我が子を先に抱きしめる行為”も、道徳的に非難されるべきなのでしょうか?

 

🧩 “日本人ファースト”の本来の意味

 

私たちが言っているのは、

「日本人以外を排除せよ」ではありません。

「まず足元を立て直してから、他者を支えよう」ということ。

 

自国の子どもが給食費で苦しんでいるのに、

他国に巨額の支援金を出し、

国民が住めない土地を外国資本に売り渡し、

その結果、国内の貧困が固定化していく──。

 

これを“グローバルな善意”と呼ぶなら、

それはもはや“自己犠牲の宗教”であって、

政治哲学ではありません。

 

🕊️ 「不偏性」は、他者を思う力。

 

でも、「順序のある愛」は、社会を支える力。

 

この2つを混同すると、

“優しさ”が“国家の無責任”にすり替わります。

 

道徳は個人に宿るもの。

政治は共同体を維持するもの。

どちらが欠けても、国は立ち行かない。

 

🩺 医療の現場から見える真理

 

患者を選ばないという医の倫理。

しかし、病院の資源をどう配分するかは、まったく別の判断軸です。

医療も国家も、有限の資源をどう守るかの哲学が必要。

 

「日本人ファースト」とは、その現実への覚醒。

“順序を取り戻す思想”です。

 

✍️ 結語:

 

「同胞を先に守る」というのは、

“誰かを排除するための壁”ではなく、

“他者を支えるための土台”である。

 

哲学者が机の上で語る“普遍的道徳”も大事。

でも、現場で血と涙に触れている者にしか見えない“現実の倫理”がある。

 

だから私は、あえて言います。

 

日本人ファースト──それは、優しさの順序である。

 

🌸 岩本麻奈(皮膚科専門医・参議院議員)

「国家にも、医療にも、“順序ある優しさ”が必要だと思う。」

 

 

🕯️ 「医療が忘れた見取り」──沖縄離島に残る“命の還り道”

 

人工呼吸器も、点滴も、モニター音もない。

聞こえてくるのは、波の音と、うちなーぐち(沖縄の言葉)で交わされる

「いままで、ありがとねぇ」という柔らかな響き。

「なんくるないさ(きっと大丈夫よ)」と、そっと返す声。

 

ここは、八重山の小さな離島。

終末期医療と呼ばれるものが、まだ“医療”になる前のかたちで息づいている場所。

 

🌺 「死ぬこと」は、悪いことではない

 

この島では、“死”を本土の病院で迎える人は少ない。

多くの人が自宅で、家族や隣人、ノロ(祈り人)に囲まれて最期を迎える。

延命ではなく、“帰る”準備を整える時間。

「マブイ(魂)を見送る支度」とも言われる。

 

亡くなる前に泡盛を少し唇にあて、

「これで旅路もあったかいさ」と笑う。

三線の音が鳴り、家の中を風が通り抜ける。

 

聞こえてくるのは泣き声ではない。

その代わりに、“風に還る”という言葉が静かに繰り返される。

 

🫶 医療が遠のいた場所に、医療の原点がある

 

離島の医療現場は、設備も人手も足りない。

けれど不思議なことに──

当事者の「満足度」と「安心感」は、都会よりも高い。

 

それはなぜか。

“誰かに生かされている”のではなく、“自分の命を生ききる”ことを選べるから。

 

医療の手が届かないのではなく、

人の手がちゃんと届いている。

医師が介入しない分、

家族の「手」と「声」と「祈り」が、すべての処方箋になる。

「うやふぁふじ(ご先祖)」に手を合わせるように。

 

🌿 「死を避ける」から「死を迎える」へ

 

本土では、“延命”という言葉が

医療の倫理と結びついてきた。

一分一秒でも長く生きることが正義であると。

 

けれど、沖縄の離島では、

“延命”よりも、“ありがとうを言える時間”が大事にされる。

“生かす”よりも、“共に過ごす”を選ぶ。

最後の一日を「生き延びる」より、

「生ききる」ことのほうが尊い。

 

与那国出身の看護師がこう語った。

 

「あの人は、亡くなったんじゃない。

ちゃんと“帰っていった”のさ。」

ニライカナイに。

 

この一言に、終末期医療の哲学がすべて詰まっている。

死を敗北としない。

それは、科学よりも深い“人の知恵”の形。

 

🕊️ 終末期医療の未来は、「古い未来」にある

 

私たちは最先端医療の中で、

いつのまにか“死なせる勇気”を失ってきたのかもしれない。

 

けれど、離島の古来の見取りには、

テクノロジーもマシンもない代わりに、

「命を信じる」という力がある。

 

そして、それは決してノスタルジーではない。

むしろ未来医療の方向性を示している。

 

科学で命を延ばし、

祈りで命を見送る。

 

そのあいだにあるのが、

“人としての医療”なのだと、

沖縄の風が教えてくれる。

 

 

🧠 どうせ反抗するなら、哲学的に。──高校生に“思索の時間”を

 

🧩反抗期は、実は“思考期”だった

 

これは政策でも提案でもありません。

ただの、私の忘備録(妄想)です。

 

──もし日本の高校の教科に「哲学」があったら。

きっと、今とは少し違う大人が育つのではないかと。

もっと希望を言えば、アメリカの(打ちまかし系)ディベート教育、そしてフランスやドイツの哲学的外交術に、対等に渡り合えるようになるのではないかと。😆

 

🎭 ティーンエイジャーという“思考の反乱期”

 

高校生くらいって、親にとってはほんとうに厄介な時期ですよね。言葉は通じないし、理由もなく反抗するし、

「なんでそうなるの!?」って日々が続く。

 

でも、私は思うんです。

あれって実は、“思考の筋トレ”をしてるんじゃないかって。

 

社会の矛盾に気づき、大人の言葉の中に“穴”を見つけてしまう。

──つまり、「なぜ?」と問う準備が整った時期なんです。

 

だったらいっそ、どうせ反抗するなら、哲学的に。

そんな時間をつくってあげてもいいんじゃないかしら。

 

🏫 哲学って、実は“生き方のシミュレーション”

 

哲学というと「デカルト」「カント」「ニーチェ」なんて堅苦しい印象がありますが、本質はもっとシンプルです。

 

「どう生きるか」「なぜ悩むのか」を、考え抜く練習。

 

つまり、哲学は人生のリハーサルなんです。

たとえば──

  • 嘘をついても人を救えるなら、それは正義?

  • AIに心があったら、人間と何が違う?

  • “努力”って、強要されるもの?

こういう問いを語り合う時間が、

きっと高校生には必要なんじゃないかと思うんです。

 

⏳ 「移行期」があっていい

 

もちろん、すぐに全国導入なんて無理。

先生たちも混乱するし、親も「また新しい科目を…?」となるでしょう。怪しい予算ももれなくついちゃいます。

 

だからまずは、数校の実験的導入くらいからで十分。

AI・芸術・心理など、さまざまな視点を混ぜた“思索の時間”。

 

最初は成績もテストもいらない。(というか、できない。そもそも教師が養成されていないし💦)

ただ「考えた記録」だけ残す。

 

そして──

教師不在の分、哲学王国フランスやドイツの授業をZoomで“共修”すればいい。

今の自動翻訳機能は、まじに目を見張るものです。

むしろ、テクノロジーを“思索の架け橋”にできる好機。

画面越しでも、「考える文化」は確実に伝わります。

 

それだけで、きっと何かが変わる。

“正解”ではなく、“考えた過程”を誇れる教育。

それが、成熟社会の第一歩だと思うんです。

 

🤖 哲学とAIは、実はとても相性がいい

 

AIは一瞬で答えを出してくれる。

でも、人間は“なぜそれを問うのか”を、何度かの“問い返し(プロンプト)”で、考えることができる。

 

つまり、哲学はAIの補完回路なんです。人間がAIと共存していく時代に、“考える力”こそが最大の知性になる。

 

🌸 おわりに

 

哲学の授業があったら、

きっとある日こんな会話が生まれるかもしれません。

 

👦「お母さん、それってカント的に矛盾してるよ」

👩‍🦰「……カント的に、って何!?」

 

ムッとしつつ、ちょっと笑う。

そんな親子の風景が、実は一番の“哲学教育”なのかもしれません。

 

哲学とは、“自分と世界をつなぐ会話”。

そして、そこにユーモアがあるうちは、人間はまだまだ大丈夫。

 

✍️ Dr. Mana Iwamoto

(皮膚科専門医/たまに妄想する議員)

 

💊 無価値医療を斬る──ホリエモンに足りない“もう一つの真実”

 

 

「日本の医療費は年間50兆円。そのうち5〜10兆円が“ムダ医療”だ」堀江貴文氏(ホリエモン)のこのフレーズ。

 

──実は、内容そのものには私も大いに共感します。

 

風邪で抗菌薬、意味のない検査、形骸化した“念のため医療”。

まさに「寝かせた方が治る」ケースが、現場では日常茶飯事です。

この構造こそが、私がずっと訴えてきた“無価値医療”の本丸です。

 

🧩 医療費50兆円のうち「ドブに消える10兆円」

 

日本の医療費はすでにGDPの1割を突破。

OECD諸国でもトップクラスのコスト構造を誇ります。

そのうち10〜20%、つまり5〜10兆円が「科学的根拠の乏しい医療」に費やされている──

ホリエモンの指摘は、決して誇張ではありません。

 

・風邪に抗菌薬(ウイルスには無効)

・低リスクの術前検査

・不要なCT・MRI

・漫然投与されるサプリ・漢方

 

どれも「昔からやっているから」「患者が望むから」という惰性で続いているもの。

医師も患者も、“行為こそが安心”という錯覚から抜け出せない。

──でも、本当の問題はそこではありません。

 

💉 「なぜワクチンだけは例外なのか?」

 

ホリエモンの主張は一見、徹底した合理主義。

ところが不思議なことに、ワクチンだけは「ムダ医療」リストの外側に置かれているのです。

 

それどころか、「予防医療に投資を」という提案の中に、“ワクチン強化”まで含めてしまっている。

しかし、予防医療の本質は“医療に頼らずにすむ体をつくること”にあります。

 

食事、睡眠、運動、ストレス管理、環境整備──

これらは身体の恒常性を支える“自然免疫的予防”。

いわば、「一次予防」=生活習慣による自律的な防御力の維持です。

 

一方でワクチンは、外部からの人工的介入=医療処置。

つまり、「二次予防(介入的予防医療)」に分類されるもの。

目的は似ていても、手段の哲学がまったく異なります。

 

ワクチンを“予防医療”の中核とする発想は、

「健康=医療の介入によって保たれるもの」という誤った前提を固定化させ、結果的に“自分の体に向き合う文化”を失わせてしまうのです。

 

📉 それでも触れられない「mRNAの実効性」

 

医療費を削るなら、

まず最も費用対効果が低く、安全性が確立されていない施策から──

それが“mRNAワクチン”です。

 

発症予防効果(ARR)はわずか0.2〜0.7%。

1件の発症を防ぐのに数百人の接種が必要。

副反応報告・救済申請は戦後最多。

 

これで「科学的根拠がある」と言い切るのは、あまりに都合が良すぎませんか?

 

「エビデンスに基づく医療」を掲げながら、

“見たくないデータ”だけが検証されない。

そこに、現代医療の構造的な歪みがあります。

 

🧠 「科学的」とは、誰のための科学か?

 

“科学的根拠”という言葉は、

今や「製薬主導の免罪符」と化してはいないでしょうか。

 

Choosing Wisely や NICE(英国国立医療評価機構)のように、

「やってはいけない医療(Do Not Do)」を明文化する取り組みは素晴らしい。

しかし、その前提には研究データの公正性が欠かせません。

 

ところが日本では、

・研究資金の多くが製薬企業依存

・臨床データは非公開または加工済

・メディアも広告主に逆らえない

 

──そんな状況で「エビデンスに基づけ」と言われても、

医師も国民も“情報の操り人形”を演じるのみ。

 

💬 「合理的な医療」と「人のための医療」は違う

 

ホリエモンの主張は、一見正しい。

でも、どこか“魂が抜けている”のです。

 

医療とは、数字を最適化するための産業ではなく、

命のゆらぎを受け止める文化でもあります。

 

“ムダを削る”という言葉の裏で、

その「ムダ」の中にある“人の希望”や“安心”をどう扱うか。

そこに哲学がなければ、医療は単なるマネーゲームになります。

 

🕊️ 結論:ムダを削るなら、ワクチンも例外にするな

 

本当に「ムダ医療」をなくしたいのなら、

まずはワクチン政策と医療データの透明化を進めるべきです。

 

・接種後死亡・副反応報告の全件開示

・製薬・行政・学会の利益相関の可視化

・ARR(絶対リスク低下)とNNV(必要接種人数)の併記義務化

 

これこそが、“賢く選ぶ医療(Choosing Wisely)”の第一歩です。

理屈は立派。けれど、そこに“魂”が感じられない。それが、私が今回の記事に覚える最大の違和感です。

 

岩本麻奈 🩺

 

※本稿は特定の個人を批判するものではなく、

医療の構造改革とデータ透明化の必要性を訴えるものです。

 

🗣️アンコンシャス・バイアスの本丸はどこか――知識ではなく“前提設定のクセ”のお話

 

1️⃣ 導入:醤油の色はズレた例

 

教育イベントでの「醤油は何色?」という問い。子どもが「黒」「茶」と答え、講師が「透明もあります」と種明かし――これを“アンコンシャス・バイアス”と呼ぶのは、正直ちょっと違う。

それは単に「知らなかった」「見たことがなかった」だけ。つまり“知識ギャップ”の話です。

 

2️⃣ 本題:アンコンシャス・バイアスとは何か

 

アンコンシャス・バイアス(無意識の思い込み)は、文化や慣習がつくる“前提設定”が、本人の気づかぬうちに判断を曲げること。知識の有無とは別軸にあります。

 

例:

  • 「親がトラック運転手」→ 無意識に父親を思い浮かべる(実は母かもしれない)

  • 「親が幼稚園の先生」→ 無意識に母親を思い浮かべる(実は父かもしれない)

  • 「孤独で可哀想」→ 実はひとりが好きなタイプもいる(私)

ポイントは、対象が“人・集団”に対する自動的な評価や役割付けだということ。特に日本では「みんなと同じであること」に安心を感じる社会的同調バイアスが強く働きます。

 

🌍 国と文化にも潜む“思い込み”

 

ジェンダーや職業と同じ構造を、国や文化に広げてみると――“出羽の神(ではのかみ)”(「○○では~」と言い切る思い込みの神😇)に登場してもらう場面が増えます。

  • 「フランス人=センスがよく、カフェで洒落た哲学談義」

     実はフランスは有数の農業大国。地方には豊かな農村ライフがある。

  • 「日本人・ドイツ人・スイス人=時間に正確」

     印象はあっても、現実は個人差。日本の“遅刻恐怖”は文化的プレッシャーの産物かも。

  • 「アメリカ人にはヴィンテージワインがわからない」

     ところが『パリスの審判』(1976)では、米国ワインが仏を打ち破った。文化的優位の思い込みが覆された瞬間。

ほかにもたくさん:

  • 「北欧人=みんな幸福」→ うつ病率も高く、“幸福”の定義が違うだけ。

  • 「アメリカ人=外交的」→ 地域差が大きく、内向的文化も普通にある。

  • 「イタリア人=陽気で恋愛体質」→ 家族第一主義で、慎重で真面目な人も多い。

  • 「フランス=ロマンの国」→ 実際は“恋愛”より合理性を重んじる場面も多い😆。

3️⃣ 「知らない」と「思い込む」のちがい

  • 知らない:新情報であっさり更新される(透明醤油を知れば「へぇ」で終わる)。

  • 思い込む:前提に組み込まれているため、指摘されてもすぐには変わらない

授業や職場でやるべきは、“透明醤油の紹介”ではなく、自分の前提に気づく練習

 

🐤明日からできる3ステップ:

  1. 一拍置く:即断の前に1秒だけ間をつくる。

  2. 言い換える:「本当にそう? 他の可能性は?」と自問する。

  3. 確かめる:相手に聞く・データを見る(推測でラベルを貼らない)。

    (医療なら:症状表現の男女差、肌色で変わる所見、AI学習データの偏り――前提を一拍疑うだけで見落としが減ります。)

🍙結び:視点を増やすという“優しいアップデート”

 

アンコンシャス・バイアスは、「間違っていること」ではなく、見えていない前提のこと。

悪意ではなく“考える前提のクセ”にすぎません。

 

そのクセに気づいた瞬間、世界は一色増えて見える。

偏見をなくすのは難しいけれど、視点を増やすことは今日からできる。

それが、いちばん優しいアップデートです。

 

そして――

国家レベルの“前提の固定”は、やがて反感情や対立を生むこともある。

医療で言えば「誤診」のように、データを見ずに感情で判断し、

「たぶんこうだろう」で処方してしまう危うさ。

その先に、取り返しのつかない副作用(戦争や分断)がある。

 

この点は非常に重要なので、また時間のある時にじっくり深掘りします。