🕊️ なぜ英国はコロナワクチンの「NNV」を公表したのだろうか
――医学統計学から見えてくる、もう一つの「有効性」
最初にお伝えしたいことがあります。
私はこれまで、新型コロナワクチンの安全性についても、国として十分な検証が必要であると繰り返し述べてきました。しかし今回は、その議論には触れません。
今回取り上げたいのは、医学統計学という、もう少し基本的な話です。
ワクチンに賛成か反対か。
mRNAワクチンをどう評価するか。
そうした立場とは切り離して、「医療の数字を、私たちはどのように理解すればよいのだろうか。」 という視点から考えてみたいと思います。
同じデータでも、見る角度を変えると、まったく違う景色が見えてきます。今日は皆様にその景色🗻をご覧いただこうと思います。
🇬🇧英国という国が育んできた「数字で考える文化」
先に少しだけ、英国という国のお話をさせてください。皆さんは、現代のコンピューター科学の礎を築いた人物の一人をご存じでしょうか。
英国の数学者、アラン・チューリングです。
彼は1930年代、「計算するとは何か」を数学的に定式化し、現代コンピューター科学の理論的基盤を築きました。そして第二次世界大戦中には、英国・ブレッチリー・パークで、ドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読プロジェクトに携わります。そこでは、限られた情報の中から、確率や統計、そして計算を駆使して、最も可能性の高い答えを導き出す研究が行われていました。
一方、医学統計学の世界には、もう一人忘れてはならない英国人がいます。
統計学者 ロナルド・A・フィッシャーです。
分散分析、最尤法、実験計画法など、現在の医学論文で当たり前のように使われている統計手法の多くは、彼の業績の上に成り立っています。もちろん、統計学やコンピューター科学は英国だけで発展したものではありません。
けれど英国には古くから、
「複雑な現実を、数字と確率によって理解しようとする文化」
が根付いているように感じます。
そんな英国が2024年、新型コロナワクチンについて、これまであまり一般には紹介されてこなかったある一つの指標を公表しました。
🧮「95%有効」という数字だけでは見えないもの
新型コロナワクチンについて、「95%有効」*という数字を覚えている方は多いと思います。この数字自体は間違いではありません。臨床試験で用いられた相対リスク減少率(Relative Risk Reduction:RRR)です。
ここで誤解してはいけないのは、
95%の人に効くという意味でも、
95%の確率で効くという意味でもありません。
95%とは、接種群と非接種群を比較したときの「相対リスク減少率」を表した数字です。
しかし、それだけでは分からないことがあります。
それは、「1人の入院や死亡を防ぐのに、何人の接種が必要となるか」 といった視点です。
👤英国が公表したNNV
英国保健社会福祉省(Department of Health and Social Care)は2024年(Appendix A) **で、この点を評価するために、
NNV(Number Needed to Vaccinate)という指標 を公表しました。
NNVとは、先ほど触れたように「1人の入院・重症化・死亡を防ぐために、何人へ接種する必要があるか」 を表す数字です。
例えば、NNVが100なら、100人接種すると1件のイベントを防ぐことが期待されます。逆に、NNVが10万人なら、10万人接種して初めて1件防げる計算になります。
つまり、NNVが大きいほど、その集団では絶対的な利益は小さい
ということになります。
📈英国のデータが示したこと
英国では、年齢や基礎疾患の有無ごとにNNVが算出されています。この表を見ると、とても興味深いことが分かります。
高齢者や基礎疾患のある方では、NNVは比較的小さく、接種によって得られる利益が大きいことが分かります。
一方、健康な若年者ではNNVは急激に大きくなります。例えば、
健康な15〜34歳では、重症入院を1件防ぐためのNNVは500万人以上と推計されています。
これは、「ワクチンが殆ど効かない」という意味ではありません。若い健康な人では、もともとの重症化リスクそのものが非常に低いため、接種によって得られる絶対的な利益も小さくなるということを示しています。
💊相対リスクと絶対リスク
ここで重要なのは、相対リスクと絶対リスクは、どちらも必要な指標 だということです。
相対リスクは、「接種群と非接種群を比べて、どれだけ減少したか」を見る指標です。
一方、NNVや絶対リスク減少(ARR)は、「自分自身にとって、どの程度の利益があるのか」 を考えるための指標です。
どちらか一方だけでは、医療の全体像は見えてきません。
🇬🇧英国はなぜNNVを公表したのか
英国がNNVを公表した背景には、限られた医療資源を、どの集団へ優先的に届けるべきかという政策判断 があります。
高齢者。免疫不全の方。基礎疾患を持つ方。こうした集団では、接種による利益は大きくなります。
一方、健康な若年層では、利益は小さくなります。
英国がNNVを公表したことは、相対リスクだけでは政策判断には十分ではなく、絶対的な利益も合わせて評価しよう 、という姿勢の表れなのだと思います。
🇯🇵日本でも、もっと示されてもよい情報ではないだろうか
日本ではこれまで、母数関係なく「○○%有効」という数字が広く紹介されてきました。もちろん、それは重要な情報です。
しかし、年齢、基礎疾患、さらには流行状況に応じたARRやNNVといった絶対的な利益 も合わせて示されれば、国民一人ひとりが、自分自身にとっての利益を、より具体的に理解できるようになるのではないでしょうか。
そして医療では、利益だけを見ても十分ではありません。
薬にも、手術にも、検査にさえ、必ずリスクがあります。
だから本当に必要なのは、利益(Benefit)とリスク(Risk)の両方を理解した上で、自分自身で考え、選択すること。 それこそが、本来のインフォームド・コンセントではないでしょうか。
私は、日本でも相対リスクだけではなく、絶対リスク、ARR、そしてNNVのような指標が、もっと分かりやすく公表されることを期待しています。科学とは、一つの数字を信じることではありません。複数の数字を理解し、自分の頭🐤で考えること。
AI時代だからこそ、私たち一人ひとりにも、その力が求められているように思います。
<脚注>
*英国DHSC/JCVIの2024年資料では、NNV算出に用いる基礎発生率について不確実性を考慮し、発生率が想定の2倍または半分であった場合の感度分析も行っている。発生率が高くなればNNVは小さくなり、低くなればNNVは大きくなるため、NNVは流行状況によって変動する指標である。
なお、Pfizer社の初期臨床試験では、発症予防効果は相対リスク減少率(RRR)で約95%と示された一方、同じ試験データを絶対リスク減少(ARR)でみると約0.84%ポイントであった。これは両者が矛盾するという意味ではなく、同じデータを異なる尺度で表したものである。個人にとっての実際の利益を理解するためには、相対リスクだけでなく、ARRやNNVなどの絶対的指標も併記することが重要である。
**Department of Health and Social Care (UK). COVID-19 autumn 2024 vaccination programme: JCVI advice, 8 April 2024. Appendix A: Estimating the number needed to vaccinate (NNV) to prevent a COVID-19 hospitalisation in autumn 2024 in England.