🕊️ 認知症「4人に1人」という数字の裏側──“見つける医療”と予防の本質
最近、「65歳以上の4人に1人が認知症または予備軍」という記事を読んだ。確かに、数字としては事実*に基づいている。しかし、この表現には一つ、重要な前提が含まれている。
それは――認知症(約443万人)とMCI(約559万人)を合算しているという点である。
認知症は、日常生活に支障をきたす状態である。一方、MCIはその手前の段階、いわば“変化の途中”であり、必ずしも進行するとは限らない。実際には、元に戻る人、そのまま維持する人、進行する人が混在している。
では、日本は本当に認知症が多い国なのだろうか。
ここに、考慮しなくてはいけない一つの構造がある。
日本は、高齢化が進んでいるのはもちろん、医療アクセスが良く、何しろ検査やスクリーニングが普及している。つまり――「他国よりも見つけている国」でもある。特に後半のMCIについては、他国より広く拾い、ラベリングしている可能性**を考える必要がある。
本来、早期に気づくことには意味がある。だが、私はあえて言いたい。
「見つけたあと、どうするのか?」
“あなたは認知症予備軍かもしれない”そうラベリングされた瞬間、人は次に「何とかしなければ」と考える。そこで登場するのが、いわゆる政府推奨の“攻めの予防医療”である。
たとえば、近年注目されている新しい認知症治療薬***。確かに一定の効果は報告されている。しかし現時点では、進行をわずかに遅らせる程度にとどまるという評価が中心である。
しかもその多くは高額であり、広く適用されれば医療財政への影響は大きい。個人の安心と引き換えに、社会全体の負担が増える構造が見え始めている。
ここで率直に言ってしまえば――「少しだけ効くかもしれない高い薬」を前にして、人は“やらない選択”ができるだろうか。
……なかなか難しい。
これは、かなり強力なトラップである。
もし「予備軍」の段階から広く医療介入が行われるようになれば――個人の不安は軽減されるかもしれない。しかし同時に、医療は“制度としての重さ”(国民への経済的負担)を増していく。
人の名前が出てこない。
少し忘れやすくなった気がする。
それは本当に“病気”なのか。むしろ、人が年を重ねる中で自然に起きる変化なのではないだろうか。
そして、対策として行うべきことは何か。
・食生活を整える
・適度に身体を動かす
・よく眠る
・手を動かし、頭を使う
・人と関わり、社会とのつながりを保つ
これらは、診断の有無に関わらず、誰にとっても変わらない。
つまり――本来の認知症の予防とは、「診断によって変わるものではない」。
検査をし、リスクを可視化し、そして“何か対策をする”。一見すると合理的である。だが、ここで少し立ち止まろう。診断がついても、つかなくても、本質的な予防は変わらないのではないか。
そもそも、誰もが認知症予備軍なのではないか。
老いに伴う変化のすべてを医療の対象としたとき、
私たちは何を守り、何を失うのだろうか。
予防とは、本来、“過剰に管理すること”ではない。生活の中で、自然に整えていくものである。
科学は重要である。データもまた、欠かせない。しかし、 測れるものだけが真実という訳でもない。「4人に1人」という数字の向こうにあるのは、“どこまでを医療介入の対象とするのか”という選択なのかもしれぬ。
医療は人を守るものだが、解釈を広げすぎれば、人を縛るものにもなるのだ。
<脚注>
*厚生労働省研究班による最新推計では、2022年時点で65歳以上の認知症高齢者は約443万人、MCIは約559万人、合計約1002万人とされる。これは65歳以上人口の約27.8%にあたる。また同推計では、2040年には認知症約584万人、MCI約613万人、合計約1197万人に達すると見込まれている。
**WHOの2025年更新ファクトシートでは、2021年時点で世界の認知症患者は約5700万人、毎年約1000万人が新規発症するとされる。
**MCI(軽度認知障害)は国際的に用いられる概念であるが、診断基準や運用は国や医療文化により差があり、日本は比較的広くスクリーニング・ラベリングを行う傾向がある。
***新規抗アミロイド抗体薬(例:レカネマブ)は、臨床試験で認知機能低下の進行を統計的に有意に遅らせたが、効果は限定的であり、費用対効果や適用範囲について各国で議論が続いている。
英国の医療技術評価機関 NICE は、費用対効果の観点から、これら新規治療について慎重な評価を行っており、実臨床での位置づけは引き続き議論が続いている。










