Wellness, silence, and the dignity of time.

 

🇨🇭スイスの保養地のニュースから、『YOUTH』を思い出した

 

――老いと若さが交差する場所は、日本ではどんな物語になるのだろう

 

最近、スイスで「富裕層向けの終の棲家が、観光商品として成立している」という記事を目にした。

医療、ウェルネス、自然、そして尊厳。

それらを前面に出さず、しかし確実に組み込んだ、超ラグジュアリーな保養地の話だった。

 

老人ホームではない。

介護施設でもない。

もっと曖昧で、もっと贅沢な場所。

 

それを読んだ瞬間、一本の映画が頭に浮かんだ。

YOUTH(邦題:グランドフィナーレ)。

 

👴『YOUTH』は、老人ホームの物語ではない

 

『YOUTH』を「高齢者の映画」だと思っている人もいるかもしれない。でも、あの舞台は老人ホームではない。

世界的に名のある音楽家、映画監督、アーティストたちが滞在する、超ラグジュアリーなSPA(保養地)だ。

 

そこには、

  • 老いた身体を持つ巨匠たち

  • まだ若い肉体を持つセラピスト

  • 現役の才能

  • 過去の栄光に縛られた人

  • 未来を信じて疑わない若者

が、同じ空間に、同じ空気の中で存在している。

 

だからこの映画は、美しいだけでは終わらない。

どこか禍々しく、居心地が悪く、目を逸らしたくなる。

 

老いと若さが分離されていないからだ。

 

🦅 老いを隔離しない、という残酷さ

 

多くの社会では、老いは隔離される。

施設にまとめられ、

若さとは切り離され、

時間の残酷さから目を背けるように配置される。

 

けれど『YOUTH』のSPAでは、そうはならない。

 

老いは、若さのすぐ隣にある。

若さは、老いの過去としてそこにある。

 

それは癒しであると同時に、

時間、人生の切なさそのものを突きつける装置でもある。

 

だからこそ、あの映画は哲学的で、

そしてどこか残酷なのだ。

 

⛰️スイスの現実は、映画に追いついている

 

最近のスイスの保養地は、

まさにこの『YOUTH』の世界観に近い。

  • 医療は前面に出ない

  • 介護という言葉は聞こえない

  • でも身体は、確実に支えられている

  • 若いスタッフがいて、現役の人も訪れる

  • 老いは、隠されていない

老後のためだけの場所ではない。

人生の途中にある保養地なのだ。

 

老いを「管理」するのではなく、

人生の流れの中にすえ置いたまま、静かに整える。

 

🇯🇵日本でこれを作るとしたら、どんな物語になるのだろう

 

ここで、ふと思う。

 

この哲学は、ヨーロッパのものだ。

では、日本で同じことを実装しようとしたら、

どんな物語になるのだろう。

 

日本には、

  • 温泉

  • 湯治

  • 季節

  • 侘び寂び

  • 老いを完全には忌避しない感性

が、もともとある。

 

日本版『和★YOUTH』♨️をつくるとしたら、

それはきっと、

  • アルプスではなく、山と湯気

  • モダンなSPAではなく、温泉宿

  • 無音のクラシックではなく、風や虫の音

の中で展開される。

 

老いと若さが、

同じ湯に浸かり、

同じ夕暮れを眺める場所。

 

慰めすぎず、

隔離せず、

ただ時間を共有する空間。

 

🗣️老いは、敗戦処理ではない

 

スイスの記事を読み、

『YOUTH』を思い出し、

改めて感じたことがある。

 

老いは、人生の後始末ではない。

言うことを聞かなくなった身体の敗戦処理過程でもない。

 

それは、

”時間”とどう和解するかという、最後の問いなのだ。

 

日本でそれを描くとしたら、

もっと静かで、

もっと湿度があって、

もっと曖昧な物語になるのかもしれない。

 

けれど、

そんな場所があってもいい。

 

老いを隔離せず、

若さを神格化せず、

ただ、時間が流れるのを一緒に引き受ける場所。

 

スイスの保養地の記事は、

そんな想像を、静かに許してくれた。

 

 

💄コスメは文化である——佐賀大学コスメ学部新設に、私は希望を見た

 

正直、嬉しかった。

佐賀大学が国公立で初めて「コスメティックサイエンス学環」を新設するというニュース

である。

DNAの半分が佐賀出身としての個人的な感情を言えば、まず胸が温かくなった。九州、佐賀の血は、私にとって誇りでもある。

 

だが、それ以上に「これは日本にとって重要だ」と感じた。

なぜなら、これは単なる新設学部の話ではない。

美容を“軽いもの”として扱ってきた無意識の偏見を、静かに解体し、「知としての美容」を学問と産業の両側から再設計する動きに見えたからである。

 

① 国公立で“コスメ”を学問にした意味

 

化粧品は、長らく微妙な立ち位置に置かれてきた。

「美容=軽い」「コスメ=商業」「研究=薬や医療のほうが格上」

そうした空気が、どこかに確実にあった。

 

しかし現実はどうか。

私はこれまで長く、コスメのコンサルティングに関わってきた。皮膚科専門医として、化粧品による接触皮膚炎や刺激反応といった「安全面」について助言することはできる。だが、いわゆる機能的コスメ(コスメシューティカル)の領域は、それだけでは到底足りない。

 

香粧品学、薬草学、薬学、化学。

それぞれが中途半端ではなく、きちんと積み重なって初めて成立する世界である。

「美容だから」「コスメだから」という理由で、軽く扱える分野ではない。

 

その領域を、国公立大学が正面から学問として扱う。

これは象徴的である。

そして「学部」ではなく「学環」という設計も興味深い。単一の学問に閉じず、複数領域を横断し、産業・社会実装まで含めて学ぶための形として読み取れる。いま必要なのは、細分化された専門性の“寄せ集め”ではなく、統合の設計そのものだからである。

 

② 「化粧品作りは文化」という言葉の重み

 

記事の中で印象的だったのは、「化粧品を作ることは文化を作るということ」という言葉である。

これはきれいごとではない。かなり本質に近い。

 

化粧品は皮膚科学に直結する。

皮膚は単なる外側の膜ではない。免疫の前線であり、老化の最前線でもある。再生や炎症、バリア機能、神経系とも絡む。さらに言えば、化粧という行為は自己肯定感や社会との関係にも影響する。感性の領域でありながら、科学の領域でもある。

 

つまり化粧品とは、「人間をどう扱うか」という思想に限りなく近い。

だからこそ、文化であるという表現は、軽いポエムではなく、むしろ学問的な宣言に聞こえる。

 

③ 佐賀・唐津という「場所」が最高にいい理由

 

この新設が東京で起きていないことにも意味がある。

佐賀県には、唐津市周辺に化粧品関連企業を集積させ、県産素材の発見やアジア方面への輸出を強化する構想があるという。つまり、原料があり、産業があり、自治体の戦略があり、大学が接続される。最初から「実装」を前提にした配置である。

 

私は、パリのコスメエキスポで知り合った唐津の友人を思い出した。彼は当時こう語っていた。

 

「佐賀に日本版コスメティックバレーを作りたい」

 

フランス中央部Chartres( Eure-et-Loir 県/ Centre-Val de Loire)には、香料・化粧品産業が集積する地域がある。そこは単なる産業団地ではない。文化と学問と産業が同時に呼吸している場所である。

佐賀大学の新設を知ったとき、私はその言葉をふと思い出した。

 

この動きは、部品の話ではない。

最初から「統合」を前提にした設計である。

研究、産業、人材育成、地域資源、そしてアジア接続——これらが“接続される前提”で動き出している点が強い。

 

🍙結び:これは「静かな希望」である

 

これは流行ではない。

これは地方から始まる、知と文化の再設計である。

 

派手な改革ではない。叫びもしない。

だが、方向は正しい。

こういう“静かな実装”こそが、日本を変える。

 

正直に言えば、私はこの動きを心から応援したいと思っている。

(かなり本気で、だ。)

 

For example, imagine the concept of an “Edo OS.”

 

🇯🇵Rebooting Japan — From a Nation of Components to a Nation of Integration

 

There was a time when Japan stood at the very center of global technological imagination.

 

Electronics. Precision manufacturing. Automobiles.

Japan did not merely compete — it defined the standard.

 

Many people I met at CES still remember that era vividly.

Veterans of the industry speak of Japanese companies with a certain nostalgia —

“They used to be untouchable.”

 

And yet, standing in the exhibition halls today, one cannot ignore a quiet shift.

 

Japan is still respected.

But the center of gravity has moved.

 

Not because Japan lost its craftsmanship.

Not because its engineers became less capable.

 

But because the nature of technological leadership itself has changed.

 

🔸From Perfection to Uncertainty

 

Japan excelled in an age where excellence meant certainty.

  • Perfect manufacturing

  • Predictable systems

  • Environments that could be controlled and optimized

This was Japan’s true strength — and remains so.

 

However, today’s frontier technologies operate in a very different domain.

 

Autonomous driving.

Humanoid robotics.

AI systems embedded in society.

 

These are not systems that function in closed, predictable environments.

They are designed to operate amid uncertainty, ambiguity, and constant change.

 

The challenge is no longer achieving perfection —

it is managing probability.

 

🔸The Age of Integration

 

At CES, what stood out was not any single breakthrough technology.

 

What mattered was integration.

 

AI alone does not win.

Robotics alone does not win.

Sensors, data, energy, healthcare, mobility —

value emerges only when these domains are designed to work together.

 

This is where Japan struggles today.

 

Not because of weak technology,

but because integration is not a technical problem alone.

 

It is institutional.

Cultural.

Structural.

 

Different sectors do not connect easily.

Different systems do not speak the same language.

Responsibility is fragmented.

 

As a result, integration does not merely “move slowly” —

it often fails to materialize at all.

 

🔸Japan’s Forgotten Strength

 

And yet, this is where hope emerges.

 

Historically, Japan has been exceptionally good at integration.

 

Religions were not replaced — they were layered.

Foreign ideas were not rejected — they were edited, transformed, and absorbed.

Chaos was not eliminated — it was shaped into order.

 

Japan has long practiced a form of civilizational integration.

 

The issue is not capability.

It is the absence of modern mechanisms to implement it.

 

🔸Why “Reboot,” Not Reset

 

While observing this gap, a word came to mind:

 

Reboot Japan.

 

Not reset.

Not destruction.

Not starting from zero.

 

A reboot preserves:

  • Data

  • Culture

  • History

While updating the operating system.

 

In contrast, human politics often chooses “reset” —

dissolution, disruption, confusion, starting over.

 

A reboot is harder.

It requires continuity, design, and responsibility.

 

But it is the only way forward.

 

🔸Toward a New Role

 

Japan does not need to become a different country.

It does not need to abandon its strengths.

 

What it needs is a shift:

from a nation of exceptional components

to a nation that designs integration.

 

From certainty

to probability.

 

From isolated excellence

to systemic intelligence.

 

Standing at CES, this felt less like a policy question —

and more like a civilizational one.

 

Perhaps the next chapter of Japan’s global contribution is not dominance,

but architecture.

 

Not louder leadership,

but quieter design.

 

🔸Reboot Japan.

 

The path will reveal itself —

after we begin walking.

 

 

🇯🇵 リブート日本 —— CESで見えた「部品の国」から「統合の国」へ

 

CESで日本ブースを歩いて、まず胸が熱くなった。

日本はまだ、強い。

匠の技で磨き上げた“部品”で、世界シェアを取っている。

ここは疑いようがない。

 

ただ同時に、

少しだけ、切ない気持ちも残った。

 

日本は「部品」で勝てる。

でも、「統合」では、まだ勝てていない。

 

1)日本が得意なのは「確実性」、苦手なのは「不確実性」

 

車の性能も、加工精度も、機械としての完成度も、日本は世界最高峰だ。

それは「確実性の世界」で勝ってきた国の、正真正銘の強さだと思う。

 

ところが、いま時代の主戦場は変わった。

 

産業ロボットのように

「決められた環境で、決められた動きを反復する」世界から、

ヒューマノイドのように

「環境が変わる前提で、動きが変わり続ける」世界へ。

 

自動運転に象徴されるのは、まさにそこだ。

車の”機能性が最高”だけでは、もう足りない。

「予測できないものを、確率で扱う力」が問われている。

 

ここで、日本は少し立ち止まってしまう。

 

不確実性を

“統計と推論”で包み込み、

起きうる未来を前提に制御する。

 

この発想が、日本文化にとって

必ずしも得意分野ではなかった、というだけの話だ。

 

だからこそ、CESで私は思った。

 

日本はこれから、

単に「ものづくり」を頑張る国ではなく、

「確率を扱う国」へ進化する必要があるのではないかと。

 

2)日本の課題は「統合する力」——部品の強さを、全体の強さに変える

 

CESを歩いて見えたのは、日本企業のすごさだけではない。

その“すごさ”が、なぜ世界の覇権になりきらないのか、でもあった。

 

日本の強さは、縦に深い。

一つの領域を極める。

一つの部品を世界一にする。

それは、誇るべき文化だ。

 

ただ、今はそれだけでは勝てない。

 

AI、ロボット、自動運転、ヘルスケア、エネルギー、セキュリティ。

どれか一つが突出しても意味はなく、

全部がつながって初めて価値になる時代になった。

 

勝敗を分けるのは、もはや性能ではない。

「統合の設計」だ。

 

部品はすごい。

だが、統合が弱い。

 

そしてその弱さは、技術というより

制度と文化の問題に近い。

  • 部署が違うと繋がらない

  • 省庁が違うと繋がらない

  • ベンダーが違うと繋がらない

  • 既得権があると止まる

  • 誰が責任を取るかで止まる

その結果、統合が「進まない」のではなく、

統合が「成立しない構造」になっている。

 

ここを変えない限り、

日本はずっと「良い部品の国」で止まってしまう。

 

3)なのに日本は、本当は「統合で新しいものを作る才能」を持っている

 

それでも、私は希望を感じた。

 

日本には、別の強みがある。

カオスの中から秩序を生む才能だ。

 

ファーイーストの端っこ。

大陸史の末端。

異文化の波を、何度も、何度も受けてきた。

 

それでも日本は壊れなかった。

むしろ、

  • 外来のものを取り込み

  • 編集し

  • 別物にして

  • 自分の秩序として定着させてきた

おおらかな宗教観を見ても、それは明らかだ。

 

日本は、

「統合して新しい文化に変える」ことを、長い時間をかけてやってきた国でもある。

 

だから本当は、日本は統合が下手な国ではない。

統合を「実装する仕組み」だけが、現代に欠けている。

 

設計思想をアップデートできれば、

日本は再び「統合の国」に戻れる。

 

4)そこで浮かんだ言葉 —— リブート日本

 

CESの会場で、

以前、街宣で何気なく使っていた言葉が、

今回ははっきりとした意味をもって降りてきた。

 

リブート日本

 

リセットではない。

ゼロに戻すのでもない。

壊すのでもない。

 

データも、文化も、歴史も保持したまま、

OSだけを入れ替える。

それが、リブートだ。

 

日本に必要なのは、きっとこれだ。

  • 部品は強い

  • 現場は優秀

  • 国民性は本来、統合ができる

それでも進まないのは、

制度と構造が、それを邪魔しているからだ。

 

変えるべきは、根性でも努力でもない。

構造そのものだ。

 

人間の政治は、

しばしば「解散」という名のリセットに逃げる。

混乱を起こし、空気を変え、物語を塗り替える。

 

どうせ変えるなら、

表層ではなく、根元から。

 

だからこそ、

「リブート」がいちばん似合う。

 

🍙 結び:道は、あとからついてくる

 

日本は、部品の国として世界に貢献してきた。

これからは、「統合する国」へ。

 

不確実性を扱い、

複雑さを設計し、

社会のOSを更新する国へ。

 

CESで、私はそれを確信した。

今年のキーワードは、これでいい。

 

リブート日本。

 

道は、あとからついてくる。

 

昨日は、医療DXを中心に、スマートグラスやスマートイヤフォンなどのデバイスを重点的に見て回った。

 

その中でまず感じたのは、純粋な「プロダクトとしての魅力」は、正直に言えば昨年や一昨年の方が強かったという点である。

今年は完成されたハードウェアの新作というより、画像やUIだけでの参加──いわば「インターフェイス提示型」──が極端に増えていた印象を受けた。

 

 

ただし、これは「AI熱が冷めた」という話ではまったくない。

むしろ今年のCESは、昨年・一昨年のAI熱狂が社会の前提として吸収され、見えにくい形でサービスや運用へと変換されていく過程を見せていたように思う。

 

派手なデバイスの新作よりも、重心は明らかに、データ、ワークフロー、運用、体験設計といった「裏側」へ移っていた。

AIはもはや“機能”ではなく、前提条件として組み込まれるインフラになりつつある。

 

 

この傾向は、特に香港・台湾・韓国のブースで顕著であった。

AIが「追加機能」として語られる場面はほとんどなく、最初から実装を前提とした設計思想そのものとして組み込まれている。提示されていたのは個々のプロダクトというより、「業務や産業をどう再設計するか」という問いであった。

 

ロボット領域も同様である。目を引くデモは確かに存在するが、本当に進化したロボットほどBtoBの限定された現場(企業内・施設内・契約先)で完結しており、CESの展示だけでは全体像が見えにくい。展示会で見える進化と、現場で実際に動いている進化が乖離し始めている感覚がある。

 

 

実際、いくつかの大手企業がCESから撤退、あるいは規模を縮小しているようにも見えた。

これは後退ではなく、「派手に見せるフェーズ」から「確実に導入するフェーズ」へ移行した兆候とも読める。

 

今年のCESは、「何が新しいか」を競う場というより、何がすでに産業の血脈に入り、不可逆に動き始めているかを確認する場だったのかもしれない。

 

なお、医療DXに関する具体的な事例や実装の差異については、本稿ではあえて切り分け、改めて論じたい。

 

 

AIは、見せる技術から、すでに組み込まれた社会インフラへ。

その静かな転換点を、今回のCESで強く感じた。

 

 

今回で3年連続、ラスベガスでCESを視察しています。

 

かつての「家電ショー」はこの数年で、AI搭載・AI前提の社会実装を示す場へと大きく変わりました。

 

 

デジタルAI委員・厚生労働委員として、医療DX、介護、労働、生活インフラまで、現地で実際に動いている技術を確認しています。

 

 

ラスベガスの街中では、Zooxなど自動運転のサービスも見かけ、スピード感を肌で感じます。

 

机上の議論ではなく、「すでに実装されている世界」を自分の目で確かめることが重要だと感じます。

見てきたものは、帰国後、整理して共有します。

 

 

🌞日光を避けすぎた社会で、心と骨が静かに弱っていく

──ビタミンD不足という「現代型の欠乏症」

 

フランスに住んでいた頃、冬になると街の空気が変わるのを、身体で感じていた。曇天が続き、日が短くなり、太陽の“存在感”が薄れていく。

 

すると不思議なことに、街の人の表情や言葉の温度が変わる。メトロで突然始まる口論。理不尽なイライラ。

“冬のパリ”は、どこか攻撃的になる。

 

当時、在仏の日本人の間でも「日照不足とビタミンD不足」に注意喚起が回った。特に、室内で過ごしがちな人、日光を避ける生活が習慣化している人ほど、体調やメンタルの揺らぎが増える——そんな話が現実にあった。

 

私はあれを「気のせい」とは思えない。

あれは、光が足りない社会で起きる、“生体リズムの乱れ”の一種だったのだと思う。

 

💡ビタミンDは「骨のビタミン」ではない

 

ビタミンDというと、日本ではいまだに「骨」「カルシウム」「骨粗鬆症」のイメージが強い。もちろんそれは正しい。でも、それだけではない。

ビタミンDは、身体のあちこちで働く。

  • 免疫の調整

  • 炎症のコントロール

  • 筋力やバランス(=転倒リスク)

  • 気分や意欲(=うつっぽさ、いらだち)

  • そして、骨

つまり、ビタミンD不足は、骨だけの問題ではなく“全身の余力”の問題になってくる。

近年は、感染症後の体調不良や慢性的な炎症状態をめぐる議論の中でも、ビタミンDの状態が注目されることがある。

もちろん“ビタミンDで全部治る”という話ではないが、不足がある人は、まず不足を正すだけで土台が整うことがある。

 

🌞日光の功罪

ここが、今の日本の“盲点”だと思う。

 

① 「光老化」が先に立つ

 

皮膚科的には、紫外線対策は正しい。しみ、しわ、たるみ。光老化は確かに存在する。でも、ここにホリスティックのジレンマがある。

 

肌を守る

日光を避ける

ビタミンDが作れない

心・筋・骨が弱る

 

これ、皮膚科医としては正直…つらい。

「肌が美しいのは素晴らしい。でもその代償が、心と骨の弱りだとしたら?」そう思う瞬間がある。

 

息をすることが酸化につながるように、生きることには暗黙知の“トレードオフ”がある。老化理論と同じで、単純に「避ければいい」では終わらない。

 

🏠② 屋内生活が増えすぎた

 

在宅ワーク、スマホ、宅配、コンビニ。昔より外に出なくても生活が成立する。

高齢者はなおさらだ。

  • 外に出るのが億劫

  • 介護の都合

  • 転倒が怖い

  • そもそも一人で出られない

    結果として、“光に当たらない生活”が固定化する。

👁️‍🗨️③ 目にも光が必要

 

最近は、日光と近視の関係が話題になることがある。「目も、ある程度の光を必要としている」という視点は、実はとても大事だと思う。

皮膚だけでなく、身体全体が“光の環境”で調律されている

 

💤④ 睡眠にも光が必要

 

睡眠もまた、「夜に暗くする」だけでは整わない。昼間に、きちんと光を認知することが前提になる。

人の脳には、松果体を中心としたサーカディアンリズム(概日リズム)があり、これは「昼は明るい」「夜は暗い」という光の情報によっても毎日リセットされている。

日中に目から入った光刺激は、脳に「今は昼だ」という合図を送り、それによってセロトニンが作られる。

このセロトニンは、夜になるとメラトニン(睡眠ホルモン)へと変換される前駆物質だ。

つまり、

  • 昼に光を浴びない

  • 目が“昼”を認識しない

  • セロトニンが十分に作られない

  • 夜、メラトニンが出にくい

  • 寝つけない/眠りが浅い

という流れが、静かに起きる。

高齢者でよく見られる「昼夜逆転」「夜になると不穏になる」

「眠れないのに昼はうとうとする」といった状態は、加齢そのものより、光とリズムの断絶が背景にあることも少なくない。

 

🌈「肌が美しくても、うつで、イライラして、骨折しやすい老後」は嫌だ

 

私は皮膚科医として、もちろん”日焼け防止”を全否定したいわけではない。むしろ紫外線対策は重要だし、光老化も皮膚癌も現実にある。でも同時に、こう思う。

肌が美しくても、うつっぽくて、イライラして、筋力が落ちて転びやすくて、骨折しやすい——そんな老後は、私は望まない。

 

「肌を守る」だけが健康ではない。

「全身を守る」ことが、本当のウェルエイジングだ。

 

🦄介護・在宅の現場で、ビタミンD不足が怖い理由

 

介護現場でいちばん怖いのは、転倒と骨折だ。一度の転倒から、運命がガラッと変わる。

そして実は、ビタミンD不足は

  • 筋力低下

  • バランス低下

  • 易転倒、骨折のリスク

    に関わる可能性がある。

つまり、ビタミンD不足は「静かに介護度を上げるリスク」になり得る。

 

🗣️ではどうする?(現実的な着地点)

 

ここで大事なのは、「極端にならない」ことだ。

  • 紫外線は、浴びすぎれば害

  • でも、ゼロにすると別の害が出る

このバランスを、生活の中で探していく。

そして、必要なら医療者の手で

  • 状態を評価し

  • 補う

    という選択肢もある。

💡まとめ:光は“美容”ではなく、“生命の環境”

 

パリの冬で私が見たのは、

「光が足りないと、人は不機嫌になる」という、身もふたもない事実だった。

そして日本の今は、別の意味で、光が足りなくなっている気がする。外に出ない。浴びない。遮る。白く、美しくあるために。

 

だからこそ私は、皮膚科医として、こう言語化しておきたい。

 

肌を守ることと、身体全体を守ることは、同じではない。でもよき塩梅、両立は可能だ。

私たちは、もう一度「光」との付き合い方を考え直す時期に来ている。

 

 

🦪亜鉛不足は「皮膚から始まる」

──抗老化内科で見えた、現代型の欠乏症

 

銀座で抗老化内科をしていた頃、栄養検査をよく行っていた。

一般的な血液検査だけでなく、必要に応じて、毛髪や爪を用いた微量元素の評価も組み合わせたことがある。

そこで、私の“体感”として強く残っていることがある。

 

亜鉛が足りな目な人、本当に多かった。

 

もちろん、検査にはそれぞれ限界がある。

血中亜鉛は「不足してから下がる」こともあるし、毛髪や爪の検査も解釈には注意が要る。だから私は「検査値だけで断定する」のではなく、症状と生活背景とセットで見てきた。それでも、臨床の現場で繰り返し出会ったのは、こんな人たちだった。

  • 口角炎がなかなか治らない

  • 口内炎を繰り返す

  • 皮膚が荒れて、治りが遅い

  • 抜け毛が増えた気がする

  • 爪が割れやすい

  • 味覚が鈍い、食欲が落ちる

  • 「なんか調子が悪い」が続く

そして、そういう人ほど、生活の中に共通点があった。「カロリーは足りているのに、微量栄養が足りていない」いわゆる、現代型の欠乏である。

 

🍱亜鉛は、皮膚科にとって“ど真ん中”の栄養素

 

亜鉛は、皮膚科で扱うものすべてに関係する。

  • 皮膚のバリア機能

  • 炎症のコントロール

  • 傷の修復(創傷治癒)

  • 粘膜の維持(口・鼻・外陰部など)

  • 毛髪・爪の形成

  • 免疫機能

つまり、亜鉛が不足すると、皮膚は「持ちこたえられなくなる」。けれど怖いのは、亜鉛不足が“それ単独”で出てくるとは限らないこと。

多くの場合は、睡眠不足、ストレス、タンパク不足、鉄不足、腸内環境の乱れ、加齢…そうした要因と重なって、じわじわと皮膚に出る。だから、見落とされやすい。

 

🖐️亜鉛不足が疑わしい「皮膚サイン」5つ

(現場で使えるチェック)

  1. 口角炎・口唇炎が治らない

  2. 湿疹が長引く/繰り返す(薬が効きにくい)

  3. 傷が治りにくい(褥瘡、かき壊し、手荒れ)

  4. 抜け毛が増えた/髪が細くなった気がする

  5. 爪が脆い・割れる・変形する

さらに、皮膚以外のヒントとして

  • 味覚の低下

  • 食欲低下

  • 易疲労

  • 風邪をひきやすい

このあたりが揃うと、かなり疑わしくなる。

 

👦若い人にも多い理由

(ここが“今っぽい”)

 

亜鉛不足は「高齢者の問題」ではない。むしろ、若い世代にも静かに増えている。

  • 食事が単調(コンビニ、外食、加工食品)

  • ダイエットや偏食

  • ストレスと睡眠不足

  • 炎症体質(ニキビ、肌荒れが慢性化)

「栄養は足りてるはず」と思っている人ほど、落とし穴がある。

 

💉検査をどう考えるか(医療者向けの一言)

 

検査は便利だが、万能ではない。

だからこそ、症状+生活背景+必要なら検査という順番が安全。

 

🐤皮膚が荒れるとき、薬だけで戦わない

 

皮膚科では、どうしてもまず「塗る」「抑える」「治す」に意識が寄りがちになる。もちろんそれは大切。でも、皮膚は“外側”だけで完結しない。

亜鉛不足は、皮膚から見える。

そして気づいて、適当な処置をすれば、治りづらいと言われる皮膚病も回復することがある。

 

 

👴👵高齢者の自宅介護現場で、いちばん怖いのは「食べなくなること」

 

高齢者の自宅介護現場では、食べなくなること、食が細くなること――これが何より怖い。食欲があれば、とりあえず食べていれば、それだけで当分乗り切っていける。

 

バランスのいい栄養補給は最低限行いつつも、「本人が大好きなもの、美味しいもの」をとにかく食べてもらう。これが、母の最後の数年、私がいちばん注力してきたところである。

 

さて今回は、私の専門ともつながる 「栄養失調が皮膚に出るサイン」 をまとめてみたい。

介護の現場にいる人にとって、これは早期発見の“武器”になる。

 

🌾「昔の病気」が、これからの日本で戻ってくる

 

ペラグラ、脚気、壊血病。

教科書では「戦時中や貧困の病気」として扱われることが多い。

でも、これからの日本では、形を変えて増える可能性があると思っている。理由はシンプルだ。

  • 独居や社会的孤立

  • 認知症による偏食(同じものだけ食べる)

  • 嚥下障害・義歯不良(噛めるものが限られる)

  • うつ、アルコール

  • 物価高で“食品の質”が落ちる

  • 介護者側の疲弊(料理が回らない)

つまり、「カロリーはあるのに、栄養が足りない」が起きる。

そして、栄養が足りなくなったとき、身体は“静かに”壊れ始める。そのサインが、皮膚など体のサインにわかりやすく出ることがある。

 

まず覚えてほしい「欠乏症3兄弟」

(介護現場で見逃すと危ない)

ここでは、特に“現場で役に立つ”3つを扱う。

 

① ペラグラ(ビタミンB3=ナイアシン欠乏)

キーワード:皮膚+脳(+腸)

  • 皮膚:手背・足背・顔・首などの“日光が当たる場所”に

    左右対称の赤み、鱗屑、痂皮、ヒリヒリ

  • 脳:せん妄、幻覚、抑うつ、認知の悪化

  • 背景:低栄養、独居、アルコール、吸収不良

介護者の目線ではこう見えることが多い。

「皮膚が荒れてきた」

「急に性格が変わった/不穏になった」

「認知症が進んだ気がする」

この“皮膚と脳の同時進行”がヒント。

 

② 脚気(ビタミンB1=チアミン欠乏)

キーワード:神経+心臓

  • 神経:しびれ、足の力が入らない、歩けない、ふらつく

  • 心臓:むくみ、動悸、息切れ、だるさ

  • 背景:白米・麺・パン中心、菓子パン中心、アルコール、利尿薬使用

脚気は「年のせい」「腰のせい」と誤解されやすい。でも、B1欠乏は 治療すると改善することがある。これは、介護現場にとって非常に大きい。

 

③ 壊血病(ビタミンC欠乏)

キーワード:出血+治りにくさ

  • 歯肉出血、口の中が荒れる

  • 紫斑(あざ)が増える

  • 傷が治りにくい、疲れやすい、貧血っぽい

「転んだ覚えがないのに、あざが増えた」

「歯ぐきから血が出る」

このとき、薬や病気だけでなく、食生活も疑ってほしい

 

🗣️介護現場で効く「3つの質問」

(これだけで拾える率が上がる)

 

皮膚や体調の変化を見たとき、次の3つを確認してみてほしい。

  1. ここ1〜2か月、何を主に食べている?

    (米・麺・パン・菓子・カップ麺・酒が中心になっていないか)

  2. 野菜/果物/肉魚/卵/豆乳製品は、週にどれくらい?

  3. 買い物は誰が?噛める?飲み込める?食欲は?

これは医療者だけでなく、

ヘルパーさん、ケアマネさん、家族でもできる“観察”である。

 

🍅「栄養の話」をするときのコツ

(理想論より、現場で回るやり方)

 

ここが一番大事。栄養学的に100点の食事を、毎日続けるのは難しい。特に在宅介護では。だから私は、こう考えている。

  • ベースは最低限(タンパク・水分・微量栄養を意識)

  • その上で、本人が好きなものを“食べてもらう”

  • 皮膚の異変や元気が落ちてきたら、欠乏症を疑う

「食べてくれること」自体が、治療であり予防である。

 

👁️‍🗨️そしてこれからの医療には「補助の眼」が必要になる

 

皮膚の変化は、写真で残せる。だからこそ、AIは相性がいい分野でもある。ただし、AIに診断を丸投げするのではない。

「これは皮膚科紹介レベルか」

「栄養失調のサインではないか」

そういう 仕分けを支える補助の眼 として活かしたい。

 

在宅や介護の現場ほど、この“補助の眼”の価値は大きい。

 

🐤皮膚は、生活の履歴書

 

皮膚は、食事の履歴を正直に映す。そして高齢者では、皮膚の異変が「命の余力」の警報になることがある。

 

「最近、食が細い」

「皮膚が荒れてきた」

「急に不穏になった」

 

この3点セットを見たら、“年のせい”で片付けず、欠乏症を一度思い出してみてほしい。

 

👉次回は、高齢者だけでなく若い世代でも起きやすい「亜鉛不足」と「ビタミンD不足」──皮膚・免疫・筋力に出る“静かなサイン”をまとめます。

 

💯国家試験問題を、AIと一緒に解くということ

 

国家試験問題や最新論文の結果、専門科目問題を、AIとともに解く。

一部はクイズ形式で。

 

ここ数年、毎日というわけにはいかないけれど、断続的に──

気づけば 1000問近く、この作業を続けてきた。

同時に見てきたのは、AIの進化そのものだった。

 

Chappyの初期(GPT-3.5の頃)から。最初は、正直ツッコミどころも多かった。でも、問いを重ね、文脈を与え、議論を続けるうちに、「これは単なる検索装置ではないな」と感じる瞬間が増えていった。

 

👁️‍🗨️政治の世界に入って、一度やめた理由

 

昨年2月末から、政治活動を本格的に始めた。

正直に言えば、勉強量がまったく別次元だった。当選後は、正真正銘異次元に突入した。

法律、制度、財政、行政文書(アナログ)、会議資料(アナログ)……

医師としての勉強とは、脳の使う場所が違う。

(そして、どれも“人の命”に直結する重さを持っている。)

 

そのため、国家試験問題や論文をAIと解く習慣は、しばらく中断せざるを得なかった。「今はそっちじゃない」

そう思ったのも事実。

 

🗣️それでも、政治の現場で気づいたこと

 

ところが、政治の世界に身を置いて、

思いがけず強く感じたことがある。

専門性というのは、やはり宝だということ。

そして、経験こそが最大の財産だということ。

 

他党のドクター議員と話す機会が増えた。

内科、外科、基礎系──

専門は違っても、そこには 共通言語 がある。

 

その共通言語が、議論をどれだけ速く、どれだけ深くするか。

「少しでも医学的な糸口を共有できるかどうか」で、

議論の質がまったく変わる。

これは、今までの人生でも感じてはいたが、

政治の世界でも同様であった。

 

🏥だから、医学の勉強を再開する

 

というわけで、年の初めからまた、医学の勉強をしっかり再開する。たとえ臨床現場に立つ時間が限られていても、たとえ机上の勉強が中心になろうとも。医学は、離れると鈍る。

でも、続けていれば、必ず身体のどこかに残る。

 

そして今は、AIという大変に心強い 「第二の視点」 がある。

 

🔬皮膚科の問題で、はっきり見えたこと

 

今回、過去にスキップした問題の中に、たまたま自分の専門である皮膚科の問題が出てきた。

 

皮膚科専門医なら、画像を見た瞬間に「これだ!!」とピンとくる。でも、正解率は 約30%

 

多くの医者の卵や、他科の医師が、

  • もっと悪性のものではないか

  • 他に頭に浮かぶ鑑別診断が気になる

と迷い、外していく。

 

ここに、皮膚科標榜科の怖さがある。

そしてその怖さは、最終的に 患者さんの不安や、不要な侵襲として返ってくることがある。

 

🕳️「見える診療」の落とし穴

 

皮膚は、見える。

写真にも残る。

だから「医者なら普通に診られる」と思われやすい。

 

でも実際には、

  • 構造を見る目

  • ダーモスコピーや顕微鏡などミクロの読み

  • 汚さとリスクの区別

  • 経過を含めた判断

これらは、経験の積み重ねでしか身につかない。

「見えているつもり」が、いちばん危ない。

 

🤖だからこそ、AIは“補助の眼”として使うべき

 

ここで大事なのは、AIに診断を任せることではない。

そうではなく、専門医の眼を、補助するためのAIとして使うこと。特に、

  • 非皮膚科医が最初に触れる場面

  • 健診

  • 在宅医療

  • 地方や人手不足の現場

ここで「これは皮膚科紹介レベルかどうか」を仕分けるだけで、

医療の質は大きく変わる。

特徴量がはっきりした病変は、むしろAIが得意な分野でもある。

 

💻専門医 × AI = 誤診を減らすための二重知性

 

AIは万能ではない。

そして敵でもない。

専門性と経験を軽くするものではなく、

それを広げ、支える道具として使う。

 

国家試験問題をAIと解く、という一見ささやかな作業の中に、

これからの医療のヒントが、たくさん詰まっている気がしている。

また少しずつ、続けていこうと思う。

 

🐤「正解率30%だった皮膚科問題の正体」はまたいつか。