🥼 攻めの予防医療とは何か──検診とその限界、そして次のステージへ
まず大前提として。がんは、もはや一部の人だけの特別な病気ではありません。人生100年時代と言われる今、長く生きれば生きるほど、どこかの時点でがんが見つかる可能性は高くなります。
ただし、それは単純に「2人に1人=50%」というような、均一で直感的な話でもありません。現実には、年間で見れば、100人いればそのうち1人程度が新たにがんと診断される、そうした積み重ねの中で、長い時間をかけて“見つかってしまう病気”でもあります。
かつての「人生50年」の時代には、表に出てこなかった病変が、
寿命の延伸とともに“見つかる”ようになった。そう考えれば、がんの増加は、単なる医療の失敗ではなく、長寿社会の一つの帰結とも言えるでしょう。
しかし―ここで、非常に重要な視点があります。
それは、見つかったがんのすべてが、直ちに命に関わるわけではないということです。とくに高齢者においては、進行が非常に緩やかで、がん以外の原因で人生を終える方が先になるケースも少なくありません。
実際、諸外国では一定年齢を超えると、がん検診を一律に続けるのではなく、年齢、健康状態、既往歴などを踏まえて個別に判断するという考え方が広く見られます。米国でも、検診の種類によっては75歳前後を境に「一律推奨」から「選択的実施」へと変わります。
さらに言えば、がんにはごく稀ではあっても自然消退が知られています。私自身、大学病院の皮膚科で多忙に診療していた時代に、そのような症例を実際に経験したことがあります。だからこそ、見つかった病変のすべてを、ただちに同じ熱量で“叩くべき敵”とみなす発想には、慎重であるべきだと思うのです。
ここで、もう一つだけ、少し立ち止まって考えてみたいのです。
検診を受けなければ、そのまま気づかれずに経過し、あるいは自然に消退していた可能性のある病変も、一定数は存在するのではないか―そうした確率論的な視点です。
検診という仕組みは、本来は問題にならなかったかもしれないちょっとした異常を、「病気」として確定させる側面も持っています。言い換えれば、見つけたことで初めて「病気になる」という現象も、起こり得る。
この視点を持たないまま、「早期発見=常に善」と考えてしまうと、予防医療は簡単にバランスを失います。
ここまで考えてくると、少し不思議な感覚に至ります。
検診とは、単に「存在する病気を見つける行為」なのでしょうか。それとも、見つけた瞬間に、その人を“患者”にしてしまう行為なのでしょうか。
この構造は、たぶんに量子力学的です。
観測されるまで状態が確定しない、というあの考え方に、少し似ているようにも感じます。
もちろん、がんそのものは現実に存在しています。しかし、それが「病気として扱われるかどうか」は、観測―すなわち検診によって初めて確定する側面もある。
そう考えると、私たちは単に病気を見つけているのではなく、ある意味で「病気を定義している」のかもしれません。
つまり、「見つけること」そのものが、必ずしも利益とは限らない。ここに、医療が介入することによって生じる、予防医療の本質的な難しさがあります。
🩺 検診の逆説──早く見つけても、長生きするとは限らない
今回、資料を読み込む中で、非常に重要なポイントに気づかされました。一般的には、検診でがんが見つかった人の方が、生存率は高く見えます。一見すると、「やはり早期発見は正しい」と思える結果です。しかし、ここには大きな落とし穴があります。
まず、検診で見つかるがんの中には、そのがん自体が直接の死亡原因とはならないケースが一定数含まれます。例えば、がんが見つかっても、実際には脳卒中や心疾患など、別の原因で亡くなる。もし検診を受けていなければ、そのがんは診断されることもなく、「がん患者」として扱われることもなかったかもしれません。つまり、
見つけたことで初めて“がん患者になる”ケースも存在する。
そして、もう一つ大事なポイントがあります。
ここで混同されやすいのが、「生存率」と「死亡率」の違いです。
生存率とは、「がんと診断されてから、どれだけ生きたか」を見る数字です。そのため、検診で早く見つければ、それだけ“診断されてからの期間”が長くなり、生存率は良く見えます。しかし、それは必ずしも、寿命が延びたことを意味しません*。
たとえば、検診で早く見つかった人も、症状が出てから見つかった人も、同じ年齢で亡くなるとします。この場合、早く見つかった人の方が「長く生きたように見える」だけで、実際の寿命は変わっていないのです。だからこそ重要なのは、
👉 その検診によって、本当に死亡が減ったのかどうか
見るべきは、「診断されてから何年生きたか」ではなく、「その検診によって、命が救われたのか」なのです。
この視点を持たないまま、「生存率が上がっている=良い検診だ」と考えてしまうと、予防医療は簡単に方向を誤ります。
👁️🗨️ 見つけすぎる医療──偽陽性と過剰診断
さらに見逃してはならないのが、検診の“影”の部分です。
検診は、「見逃さないこと」を優先する仕組みである以上、一定数、問題のないものまで拾い上げてしまう構造を持っています。
これが前回ブログにした偽陽性問題です。
異常ありと判定されても、実際にはがんではない。それでも精密検査へと進み、身体的・心理的な負担を受けることになります。
そして、より本質的なのが過剰診断です。
これは、見つけても本来は一生問題にならなかったがんを診断してしまうことです。
特に高齢者では、進行が極めて遅いがん、他の原因で寿命を迎える方が先のがん、も多く存在します。
しかし一度「がん」と診断されれば、多くの場合、治療が始まります。その結果、本来必要のなかった手術や治療、合併症、QOL生活の質の低下といった、“避けられたはずの不利益”が生じることもあります。
🏥 それでも検診は必要か──現場感覚というリアリティ
もちろん、ここで誤解してはいけません。すべての検診が無意味だという話では決してありません。例えば大腸がんにおいて、便潜血検査で陽性となった場合、内視鏡検査による精査は、臨床的にも十分に意味があります。
むしろ問題は、誰に、どの頻度で、どこまで行うのかが曖昧なまま、“とりあえず広く行う”方向に進んでしまうことです。
ここにこそ、現在の予防医療の限界があります。
🤖 次のステージへ──AIと個別化予防医療
だからこそ、これからの予防医療は、「検診人数を増やすこと」ではなく、「必要な人に、必要な介入を行うこと」へと進まなければなりません。
そのために必要なのは、
・統一された電子カルテ
・長期にわたるデータ保存
・家族歴
・生活習慣
・ゲノム
・エピジェネティクス
これらを統合し、AIによって個人ごとのリスクを評価する仕組みです。全員に同じ検診を行う時代から、その人にとって意味のある検査だけを選び取る時代へ。
ここに進まなければ、どれだけ「攻めの予防医療」と言っても、
それは単なる量の拡大に過ぎません。
🪢 結び──“攻め”とは何か
予防医療とは、単に病気を見つけることではありません。人の人生にとって、本当に意味のある介入を選び取ることです。そのためには、検診の利益だけでなく、その不利益にも正面から向き合う必要があります。
そして何より、「とりあえず検査」という発想から脱却し、知性ある選択へと進むこと。
そこにこそ、本当の意味での“攻め”があるのではないでしょうか。
<脚注>
* 検診の有効性を評価する際には、統計上のバイアスに注意が必要である。代表的なものとして、検診により早期に発見されたことで、実際には寿命が延びていなくても診断後の生存期間が長く見える「リードタイムバイアス」、および進行の遅いがんほど検診で見つかりやすく、結果として予後が良好に見えやすい「長さバイアス」がある。したがって、生存率のみをもって検診の有効性を判断することはできず、死亡率の低下を確認することが重要である。









