0歳児は家庭で教育とか余計なお世話だが,他党のいう保育拡充では現状の子育て問題(本当に問題なのかわからないが)は解決しないだろうとは思う.元をただせば男親の育児不参加,それに伴う母子密着が一番の問題なのだから.そういう意味で,男も育休とれるようにというのは正しいだろう.自民党がそういう意味で言っているのかどうかはさておき.

しかしもはや育休制度はある.取る決意をすれば取れる.問題は「いわゆる空気」.

育休をとれない空気を政治が解決すべきなのかどうか,私にはわからない.直感的にはそうではないと思う.ただ政策上のインセンティブは間違いなく作れるので,法的バックグラウンドをつくるかどうかは争点になりえる.たとえば従業員◯◯人以上の企業では男性の育児休暇取得率を◯◯%にすると法人税が下がるとか.それを争点とするのは非常にミニマルと感じるが.

実際は育休だけでははっきり言ってどうにもならなくて,2歳になろうが3歳になろうが4歳になろうがその時点でそれなりに手がかかるのは間違いない.小学校に上がったら18時とか19時まで見てくれるところはなくなる.そのような現状で子育てに男がどのように・どの程度関わっていくかというのは制度上の問題を超える.政策で男が家事ができるようになるわけではない.

子育てに行政がどこまで介入するかというのは,政治的問題ではなくかなりの部分は個人的問題だと思う.別の議論で言うと,日本の労働生産性のために女性を活用したいから育児環境を云々というのは,倒錯していると感じる.

考える材料としてむかしTV番組でみたことを提示する.USAで奥さんが外科医・お父さんが車のディーラみたいな感じで子供が何人かいて,奥さんはとてつもなく忙しくてほとんど仕事一筋でお父さんはまあなんとか働きながら家事もやってという設定.その後,お父さんは仕事をやめて主夫house keeperになった.

USAはベビーシッターにしても保育所にしてもものすごく高額で,お父さんの給料はほとんど子供の保育費に回っていた.奥さんももちろんかなり稼いでいるから金銭的には回る.ただお父さんは仕事をやめた.奥さんがやめてくれと言ったわけではない.「他人に自分の子供を育てさせるために自分が働くのはおかしい」,が理由.

次に考えることとして,保育費が高いのが問題だから行政が費用を負担するべきという解決はあるかもしれない.そうするのもアリだろう.アリだろうが,自分の子供を他人がほとんど育てているという状況にあまり変化はない.それをどういう問題意識で捉えるかは,政策的問題ではなく,やはり個人的問題だと思う.

私は自分の息子が可愛いからただ関与しているだけであって,他の男もそうしろよとか,そのほうがいいぜとか全く思わない.それはあくまでライフスタイルであって,少なくとも行政はその選択肢をフォローするだけで充分だと思う.
(注:講演の詳細な評価ではなく,あくまで感想です)

今週末,取得していなかった緩和ケア医認定のための講習会に出てきた.2日目であるが佐伯俊成氏(広島大学病院准教授)の「悪い知らせをどう伝えるか」という講義および演習が行われたが,内容・プレゼンテーション方法を含めて非常に感心しない講義だった.具体的な問題点についてはあとでまとめようと思う.

勘違いしないで欲しいのは,我々専門職が講習会に参加することの意義は足りないことを補うことであって,足りないことをあげつらわれることや講師がいかに優秀かとか講師の同業者が講師と比べていかにダメかということを知ることではない.同業者をいくら非難しても,講師の信頼度はなにも上がらない.

私は常々感じていることだが,「導師(グル)の罠」とでも呼べるようなものが専門職ギルドにはある.そこには根拠のない強弁,同業者を排他することによる孤立的優越主義,立場が弱いものに対する強烈な否定を根拠とするグルへの崇拝という循環がある.ちなみにこのグルの罠というのは私だけが言っていることである.

公衆の面前で同業者を非難したり,自分が正しいことを強調することは構わないが,ならば少なくとも自分が正しいという根拠(理想的にはデータ,研究が難しい対照であれば複数の権威の意見)は示して欲しい.「そうじゃないんです!!」「そんなことではあなた,医療者失格です!!!」という命題を立てることは構わないが,その真偽は講師一人が決めることではない.

プロはどんな権威の見解であれ,一人だけが言っていること,一人だけが経験していることで自分の実践を左右させてはならないと思う.今日の講義では佐伯氏の言っていることがどこまで業界の標準で,どこからが自分の意見なのか全く表明されていないし,正しさを検証する手段も示されていない.

あまつさえ分子標的薬の否定やNEJMの前立腺がんスタディを引き合いに出してドヤ顔で手術を否定する可能性まで言及するあたりは,もはやプロとしての規範を逸脱している.その割に,これは個人的見解であるという留保が一切ない.これでは佐伯氏は自分の意見が全て演繹的に正しいと思っていると解釈せざるを得ない.

私は基本的にどんな講演でも良い所がひとつぐらいあるはずと聴くようにしているが,こんなにも無駄で不快な講義はなかなか経験しない.今回収穫があるとすれば,厚労省の認定証がもらえることと,もう二度と佐伯俊成氏の講演を聞かずに済むということだ.

最後に「先生はグルなのか,それともサイエンティストなのか」と本当に問いただしたかったのだが,残念ながら質問の時間が与えられなかった.

あんなに同業者を馬鹿にするのだから,名指しで批判させてもらいます.

ベスト盤がこれから出るみたいですね.


プレリュード
プレリュード
posted with amazlet at 12.09.29
村治佳織
ユニバーサル ミュージック クラシック (2011-10-05)
売り上げランキング: 4797



まだガリガリ論文を書かなくてはいけないはずなんですが,きちんと土日のリズムがとれてきたこともあり,引越し以来放っておいた楽譜を引っ張りだしてまたさらい始めています.同年の1978年生まれというのは村治さんをはじめ大萩さん益田さん,少し上だと鈴木大介さんとプロギタリストが豊富な世代で10年くらい前まではすごく盛り上がっていました.盛り上がっていた当時はよくわからなかったんですが,いま振り返ると彼らの中でも卓越している村治さんの技術に今更ながら気づくわけです.

彼女の場合,強靭なテクニックに対して性格が普通だったというのがなによりのポイントだったと今では思います.どれくらいのギャップかというとテクニックがマルタ・アルゲリッチなのに性格がNHK女子アナウンサーだったみたいな.この共存は非常に困難です.ちょっと前までなぜ彼女が「ナレーション」という活動にのめり込んでいるのか全くわからなかったのですが,器楽へのめり込むには普通すぎる感性だったのだと思います.

昔はそういうことがわからなくて,なんでこんなに上手いのに空っぽなんだとかおもっていたんです.古くはロドリーゴの多くの作品とか,最新盤ならコユンバンバみたいな空っぽの曲を弾かせたら彼女に右に出るものはまずいません.坂本龍一の曲を非常にうまく弾くのも同じ理由です.しかしバリオスとかビートルズ-武満みたいにウエットで病的な要素が少しでも入ると,とたんに方向感がなくなります.

(空っぽ自体は音楽・芸術にとってひとつの方法です.エリック・サティなどは真空の箱のなかに諧謔と誠意が無限に詰まっています,,,,それだと空っぽではないか...)

ならば歌手が良かったのかというとそうでもないし,バイオリンやピアノだとおそらく途中でやめていたのではないでしょうか.あの業界のステレオタイプへの希求は並大抵ではありません.型の外れ方まで型にはめてきますから.変態にも作法,適切な変態とか.そういった意味でPOPSを弾いても違和感がないギターは良かったのだと思います.

とはいえそろそろ軸を作っても良いと思います.POPSとナイロン弦ギターは確かに相性が良いですが,軸にするにはベクトルが違い過ぎます.なんといってもギターは(かなり近いとはいえ)声が出ませんから.ロドリーゴは弱すぎて軸になりません.武満とバリオスは鈴木大介さんが並ぶ者のない演奏を確立してしまいました.いまから参入しても遅いということはありませんが.

正直答えはないっす.ただなんとなくこのアルバムに収録されたマーラー・アダージェット&チャイコフスキー・花のワルツの本当にギャフンな編曲を聞いて,何か彼女の中で変わってきているのかなとは思います.どれくらいギャフンかっていうとアラレちゃんがフルドレスアップでワーグナーのオペラに出ているような感じです.なにか器楽奏者にふさわしい「いびつな情熱」がないと,あれはできません.

個人的には弟子入りしてでも八代亜紀の伴奏やったらいいと思っています.フラメンコもいいとは思うのですが,彼女は生来のビートが浅草なので難しいと思います.シャンソンやカタロニア民謡を研究して発掘するのもいいかもしれません.完全にロジックが飛びますが,最終的にポンセにたどり着いてくれると非常に嬉しいです.彼は少し文化を飛び抜けたところがあって,そういう意味でどの国の人でもある程度平等に挑戦することができます.私の知る範囲で,マヌエル・ポンセの理想的な演奏をしたギタリストはいません.セゴビアも含めて.

自分に対してということもありますが,昔は20代とか30代でそれなりのことをしなければ後はどうにもならないということばかり考えていましたが,最近になってそうでもないんだということに気づいた次第です.人は30歳からも勝負です.40歳からも,50歳からも勝負だと思います.最後になりますが,本当に皮肉ではありません.ガチで期待しています.

600ページを超える読書は久しぶりであった.

日本語のタイトルは「音楽の科学」であるが,訳出には少し悩んだと思われる."Music Instinct"なので,あるいは「音楽の本能」というのが直訳に近い.しかし日本語の「本能」というのは生理的欲求に近い意味合いがあり,かといって「才能」と訳してしまうと英語でのtalentに近くなってしまう.本書は,「人に音楽を音楽として認識できる本能があるように見えるのはなぜか」という問に対する検証可能な実験を網羅した巨大レビューである.

網羅した実験の殆どは査読のある一般的な論文で,最低でも実験心理学的な手法がとられたもののみを取り上げている.fMRIの知見も非常に豊富である.知らなかっただけに非常に面白かった.

音楽を構成するものは音程・音色・リズムの3つである.しかし単語上は自明でありながらも,音程・音色・リズム,それぞれがどのように脳で解釈されるのか,またそれが脳内で音楽として再構成されるのはどのようなメカニズムなのか,非常にわかりにくい.本書はまずこの3つの音楽構成要素が実態としてどういうものなのかを様々な実験をレビューすることによりボトムアップしていく.最終的にはその構成要素が統合され脳内で音楽が形成され,感情を呼び起こすまでにどのような過程が関わりうるのかを述べていく.

多くの有意義な書籍がそうであるように,序文にはこの著作のすべてが端的に語られている.

「音楽とは一体,どういう現象なのか,私たちに対し,どういう作用をもたらすのか,という問に対しては,過去に大勢の人が答えを提示してきた.だが,この問いがあまりに難しくとらえどころのないものであるため,どの答えにも簡単に欠陥を見つけることができる」

これがこの著作の全てである.答えはない.しかしこの結論をもたらすために網羅した知見はどれも興味深く,膨大であるにもかかわらず飽きない.

音程・音色・リズムのうち,音程とリズムは音楽家自身によってもかなり研究されている.特に音程の項目は非常に詳細な研究成果が述べられている.協和・不協和がかなり相対的であること,つまり協和・不協和がそのまま快・不快に結びつかないこと,状況・時代・曲のどこに現れるかによって,非常に協和しているとされる5度ですら不快に感じることなどが慎重に述べられている.

特に前世紀にその意義を終えた無調音楽に対する言及は厳しい.そもそも調性という存在を前提にしない限り無調音楽という概念は存在しないという時点で,無調音楽は調性音楽に依存している.これだけでも論理的に無調音楽の価値は非常に微妙になってくるわけだが,唯一「反調性」以外のルールで存在するために生まれた十二音技法(セリエル)も,内部に生理学的欠陥を抱えていることが明らかにされる.

音程・協和・不協和の大脳による解釈を踏まえながらセリエルの根本的な欠陥を実験結果により暴いていく過程は非常にスリリングである.かといってセリエルが無価値だとか,シェーンベルクの音楽家としての能力に疑問を呈することはない.シェーンベルクがセリエルを開発せざるを得なかった事情についても抜かりなく述べている.

また「音色」という音楽家自身によっても殆ど研究されていない分野へも,可能な限りの言及がある.実は20世紀のロックあるいはパンクというのはそのメッセージ性はさておき,音楽的には音色の追求であったのではないかという新鮮な指摘がなされる.例示としてはザ・ビートルズ,レッド・ツェッペリン,セックス・ピストルズ,ザ・フー,ピンク・フロイドなどがあげられるが,気付いてみればこれらは全て英国のバンドである.直近で非常に話題になったロンドンオリンピックの閉会式にも通じるものがあるが,実は20世紀音楽は英国で最も強烈に花開いたというべきかもしれない.

音程・音色・リズムの組み合わせがなぜ感興をもたらすのか,という最終段階では非常に議論が込み入っている.その前段までで人は音楽を聞くときは,実はかなり保守的なルールに基づく「予測」をしているとういことが明らかにされる.どうやらその予測を裏切ることにより,音楽的感興がもたらされそうだということがひとつの可能性として挙げられるが,それは可能性かあるいは何種類かある解答の一つでしかないことも示されている.

これは西洋古典音楽(日本語でクラシックと呼ばれるジャンル)の本ではない.純粋に音楽の本である.通読しなくても面白い.ただもしこの著作のハイライトを比較的深く理解したいのであれば,音程・音階・調性の知識はあったほうがよりスリリングとは思える.また知識がなくとも1000時間以上の楽器演奏経験があれば,自ずとスリリングになる.

音程・調性についてかじりたいのであれば,池辺晋一郎著「面白く学ぶ楽典」がオススメ.一度絶版になったように見えたが,今は時間はかかるがアマゾンで手に入る.



音楽の科学---音楽の何に魅せられるのか?
フィリップ ボール
河出書房新社
売り上げランキング: 53483


おもしろく学ぶ楽典―音楽指導ハンドブック (音楽指導ハンドブック)
池辺 晋一郎
音楽之友社
売り上げランキング: 246133


FB上で勝手にラヴェルの話題になって当直中というのもあって久しぶりに録音を聞いてた.

「クープランの墓」が結構好きでよく聴くのだが,パスカル・ロジェのものすごい録音を聞いてしまうとなかなか他のに目が移らない状態が長年続いていた.ついにそれを打破してくれたのがこの方.最近はYouTubeでものすごい録音が見つかったりして楽しい.

山崎亮汰 (12歳 2011年)

Ravel-Le Tombeau de Couperin(Toccata),Ryota Yamazaki(12 years old)



ちょっと洒落になってない感じがします.さすがに中学1年生でToccataはパワー的に厳しいものがあるが,しっかり頭で弾いていることに対し尋常じゃない知性を感じる.フレーズの刻み方とか右手と左手のバランス感覚とかマジで異常なレベル.完全に脳で弾いています.

ピティナの録音だが,つい最近今年の開催もあったようでそれもアップされていた.明らかにコンクール用の演奏で13歳でそれはまずいんじゃないかと思ったが,今年は国際ジュニアで優勝していたようで.

ジーナ・バックアゥワー国際コンクール(2)ジュニア部門・山崎亮汰さんが優勝!

7歳でピアノ始めたとかいうのがジャンルカ・カシオーリみたでいいじゃないですか.ウンベルト・ミケーリとかあったら出て欲しいところではあるが,とりあえず通常のコンクールのレベルを早くも超えているので15歳までに取りやすいコンクールで入賞して飛び級でヨーロッパの大学へ行ったほうが良いと思う.

日本の指導者が悪いというわけではなくて,日本にいると耳が悪くなるんですよ.理由は湿気と電子音.海外には向き不向きもあるし,内向きでかえって良いということもあるから一概には言えないけど,特に海外が異常に怖いとかいうのでなければさっさと行ったほうが良いと思う.間違ってもピティナや毎日で優勝してからとか変なこと考えない方がいい.そういうレベルじゃありません.