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HAWAIIAN T-SHIRTS

HAWAIIAN T-SHIRTS


dowild-ha☆ って、ちょっと無理あるか(笑)


写真はdowild.2ことTsutomuから誕生日に貰ったTシャツ。


この前、masayaがアロハ紹介してた「KAMEHAMEHA」のモノ。


俺のFavorite colorの赤に、草木に花、ウクレレにレイにフラガール、魚に船にカメハメハ大王…と、ハワイの全てがつまってるとても賑やかなお気に入りの1枚♪



HAWAIIAN T-SHIRTS

同じくカメハメハで、胸にハイビスカスとブランドネームがモノトーンで描かれたシンプルなヤツ。


HAWAIIAN T-SHIRTS


そして、クリームイエローのボディにフラガールの絵☆


HAWAIIAN T-SHIRTS

カメハメハのTシャツって、使われてるTシャツ自体もプリントも“ウ゛ィンテージ感”があるのがとてもイイ♪


HAWAIIAN T-SHIRTS

いずれもハレイワにあるほったて小屋(笑)みたいなショップで手に入れたモノ。


いつ行ってもアウトレットもいっぱいあるし、20%オフなんてのも当たり前だ。


次はアロハスタジアムのスワップミートで買った2枚。


HAWAIIAN T-SHIRTS


ヤシの木、カモメ、たたずむトラック…チープな感じの絵がこれまたNice!


HAWAIIAN T-SHIRTS

HAWAIIAN T-SHIRTS

男だから、やっぱりこういうのも手に入れてしまう。消防士になりたかったワケじゃないが…


ワードセンターにある楽器屋「アイランド・ギター」のオリジナルT。


HAWAIIAN T-SHIRTS

月夜をバックに、ヤシの木の下で男が奏でるウクレレにフラを踊る女性のシルエット…ロマンティックだゼ(笑)


HAWAIIAN T-SHIRTS

カイルアビーチの手前にある地元の老舗「KALAPAWAI MARKET」のオリジナルT。おみやげ気分でタンクトップと共に手に入れた。


HAWAIIAN T-SHIRTS

男が「スパーク」着ちゃいけないかい?(笑)


HAWAIIAN T-SHIRTS

ついでにサンセットビーチでゲットしたこんなキュートなのも…


HAWAIIAN T-SHIRTS

Seamaidsにヤラれてしまった☆


ノースの「ストロング・カレント」でもやっぱり“フラガール”がデザインされた1枚をチョイス。


HAWAIIAN T-SHIRTS

あまりに暑かったんで、ウクレレが雰囲気なタンクトップも☆


HAWAIIAN T-SHIRTS

ワイキキでイタリアンしてしまった夜には「Arancino」のオリジナルT。


HAWAIIAN T-SHIRTS

クヒオ通りにあるアンティーク・ショップでは、レトロな感じのお土産Tだったと思われる、オレンジが鮮やかな1枚。


HAWAIIAN T-SHIRTS

ネームタグの「Hanes」のデザインでわかった、やっぱりの70年代製。


HAWAIIAN T-SHIRTS

70年代らしいポップなプリントがcool!


同じく渋いグリーンの「Aloha Airline」モノ。


HAWAIIAN T-SHIRTS

HAWAIIAN T-SHIRTS

こちらはちょい古の90年代製。


チキン・ウィングを頬張り、大量のビールを流し込みながらおバカをやってしまう「HOOTERS」


HAWAIIAN T-SHIRTS

なぜか多目にチップを払うドワイルドメンバーも…(笑)


かなりくたびれた「ABC」も思い出だ。


HAWAIIAN T-SHIRTS

ついでだから、こんなバックも☆


HAWAIIAN T-SHIRTS

ドワイルドな男が使うワケじゃないが、可愛いかったから…^^


Tシャツって、ホント何枚あってもいいよね☆


というか…ハワイ編の中のほんの一部…ドワイルドな全てのTシャツ入れたらウン百枚!?

洋服屋かっ!と時折ツっこまれるドワイルド・エスでした…☆



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Japanese-Hawaiian

Aloha!


すっかり風邪を引いてしまい、ここ数日ヘロヘロ状態のdowild.mです。


なので今日はちょっとトーンを落として、ジックリとハワイの日系移民について触れてみたいと思う。


ハワイを訪れると日本人名が多くの店や企業名に使われているのを目にするよね。


日本人にとって非常に馴染み深い”外国”である。


その実状は過半数を占める人種が存在しない、まさしく「人種のるつぼ」。


現在ハワイ州人口の17%が日系人だそうだ。
(白人24%、フィリピン系14%、先住ハワイ人6.6%!)


しかも60歳以上の高齢者に至っては、38%が日系人によって占められている。


日本人移民の歴史は1868年(明治元年)まで遡る。


当時ハワイ政府は移住民局を設置し、労働力不足を解決するため外国からの労働力を導入しようとしていた。


それまでの外国人労働力として受け入れていた中国人に対しては、アメリカで中国人排斥運動が起きていたこともあり、その代わりとして日本人移民の導入を計画したという。


日本人集団移民第1号となる153人は11日間の渡航の末ホノルルに到着すると、「耕地」と呼ばれる砂糖キビ・プランテーションに就労することになるのだが、現実はそんなに甘くはなかった。


そのプランテーションの労働は、朝6時から夕方5時まで、休憩は昼食時のわずか30分の過酷な11時間労働であった。


炎天下の耕作地は辛く、水すら満足に飲めなかったそうだ。


喉が渇くと水の入った桶を担いだウォーターボーイを大声で呼び、ミルクの空き缶で作られた柄杓で水を一杯だけ飲むことができたのだ。


当時のサトウキビ畑での作業歌、ホレホレ節がその過酷な労働を物語っている。
「はわい はわいと 夢見て来たが 流す涙も キビの中」


その日給は男性が1ドル、女性が75セントときわめて低いものであったそうだ。


このように最初の移民はトラブルが続き、その対策に苦慮した明治政府は海外への移民については慎重な態度をとるようになっていった。


しかし、ハワイ側から見ると日本人移民に対する評価はけっして下がってはおらず、むしろますます日本人移民を必要とするように感じていた。


その事が1885年に労働条件などを定めた約定書「官約移民」に繋がっていく。


その結果、官約移民が廃止される1894年までの約10年間に29,000人の日本人移民がハワイに渡ることになり、ハワイの日本人は急増の一途をたどっていった。


約2割が女性で、移民の出身県はハワイへの移民を積極的に奨励していた広島、山口、熊本、福岡など西日本の各県が多数を占めていた。


官約移民の初期の給料は食費などを合わせて月額15ドルで当時としてはけっして悪い条件ではなく、また日本でのインフレの進行に伴って、契約期間が満了しても日本へ帰国する者が減少していくようになっていった。


1876年に米国・ハワイ互恵条約締結が結ばれ、ハワイからの農産物は無関税でアメリカに輸出できる、その見返りとしてオアフ島の真珠湾のアメリカの軍事利用を認るというもの。


太平洋におけるハワイの軍事的重要性に気付いたアメリカは、ハワイを軍事基地にする事を実現したんだ。


1893年にはハワイ革命により、カメハメハ1世から始まったハワイ王朝は約100年の歴史の幕を下ろすことになる。


そしてアメリカは、このクーデターを待っていたかのように5年後の1898年ハワイを属領にしてしまう。


その過程により、官約移民は中止され、移民事業は政府の手から離れた。


代わって移民事業会社が続々と設立され、移民達は官約移民時代よりも劣悪な労働を強いられるようになる。


その結果、日系移民の中に酒・賭博・麻薬・売春がはびこるようになっていく。


こういった弊害から1900年に民約移民が中止され、渡航費用が自己負担で就職、居住も自己責任の自由移民時代となった。


民約移民時代には約35,000人がハワイに移住し、その結果1900年のハワイ総人口に占める日系人は40%ほどになっていたそうだ。


1904年の日露戦争後、日本は戦後の不況で失業者の多くが北米への出稼ぎを目指すようになる。


低賃金で真面目に働く日本人のために白人労働者の失業を招いているという理由から、1908年日米紳士協約によって新規に日本人移民がアメリカ合衆国へ入国することが禁止されることになる。


しかし、新規移民の制限と例外的に花嫁呼び寄せ制が認められた結果、日系人の間に定住意識が生まれ、日系社会が安定期に向かっていくことになった。


呼び寄せにより多くの花嫁が移住してきたことにより、日系人の男女比率が均衡するようになり、ハワイにおける日系人の社会的地位を高める事になったんだ。


そうした中でハワイに定着化しようとしていた日系移民たちは、プランテーションにおける労働条件の改善に目を向けるようになり、労働争議を起こし、一定の労働条件の改善や賃金の引き上げを実現することができた。


しかし、同時に日系移民が労働争議で見せた団結力や統率力を見て、白人社会は強い警戒感も持つようになり、1924年の移民法の改正-日系移民の全面禁止につながっていくことになる。


日本生まれの日系移民、つまり移民一世はアメリカの国籍を取得できない、とも。


こうした流れから、親の移民一世とその子である移民二世の間では日本に対する意識に大きな隔たりが生じ、アメリカの高等教育を受けた移民二世の多くは日本国籍を捨ててアメリカ国籍を選択した。


そんな中、1941年太平洋戦争が勃発する。


連邦政府は日米開戦後、日系人を強制収容し辺境の地に設営されたいくつかのキャンプに隔離するが、ハワイは例外的に日系人の中でも指導的な立場の少数の者が収容されただけで、大多数の日系人はそのままの生活を許した。


ところが日本軍の真珠湾攻撃の後、日系人のうち各団体の責任者や日本語新聞関係者など、日系社会の指導的立場の者たち約2000人が逮捕拘束され、そのうち700人ほどがアメリカ本土の収容所に送られてしまう。


日系一世の中でも指導的な立場にあり、皇民思想を堅持していた保守派の人たちが日系社会から隔離された事により、それまで抑え込まれていた日系二世のアメリカ母国意識、忠誠意識が急速に高まっていくことになっていった。


この流れにより、日系現役兵士による日系現役兵士として第100大隊と第442連隊という部隊が作られ、彼らは精鋭部隊でヨーロッパ戦線にてアメリカ人以上の活躍をしたそうだ。


1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、太平洋戦争は終結した。


アメリカ本土では日系人の抑留が解除され、ハワイから本土に強制収容されていた人たちも帰還を許される。


トルーマン大統領は日系部隊に向け「諸君は敵と戦っただけでなく、差別とも戦い、そして勝ったのだ」と歓迎演説で述べ、感謝状を贈った。


日系兵士たちは血と汗と涙との引き替えで、国家に対するアメリカ市民としての忠誠心を証明したのだ。


ヨーロッパ系アメリカ人に東洋人、特に日本人に対する差別意識があったからこそ、日系人が払わなければならなかった犠牲が必要であったのであろう。


戦中、戦後とハワイの日系市民にとっては経済的にも恵まれ、日系家庭の多くが基地や軍需産業で働くことにより、開戦前の数倍~10倍以上もの収入を得ることができた。


また、ハワイに戻った日系兵士達には「GI権利法」によって政府からさまざまな経済的支援を得て、大学に通ったりビジネスを始めたりする事ができた。


かつて日系人社会の指導者だった一世が一線から退き、その子供の二世たちが指導的役割を持つようになる、世代交代である。


そして完全にアメリカナイズされた三世たちが影響力を持ちはじめ、日系市民社会が精神的にも文化的にもアメリカ社会への同化を果たす事になる。


1949年に日本人帰化法によって、それまでアメリカ国籍を与えられていなかった日系一世たちにも、ようやく国籍が与えられることになった。


そして1959年ハワイはアメリカ合衆国の50番目の州に。


1967年に人種差別を撤廃した新移民法成立が成立し、アメリカ移民での東洋人差別がなくなり平等の扱いとなった。


1972年になると観光収入が軍事、砂糖、パイナップルを抜き初めて首位に躍進し、日本人のハワイ観光が急増することになる。



ざっと駆け足でハワイの日系移民の歴史を振り返ってみたのだが、それは生易しいものじゃない苦労と努力、そして人種差別との戦いであった。


人種差別に慣れていない日本人が遠い外国で受けた差別、辛かったに違いない。


それに打ち勝ったドワイルドな日系人たちが今もハワイで25万人以上暮らしている。


彼らのお陰で俺たち日本人はハワイを快適に過ごせるんじゃないかな?


その辛い日系人の歴史を踏まえた上で、ハワイをより愛してみるのが大切だと思う。


以前乗った白人タクシードライバーは
「ハワイは私達白人よりも、あなた達日本人に優しい島なんだ。」
と少し寂しそうに言っていた。


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Christian Riese Lassen


Christian Riese Lassen


ハワイが生んだ「マリンアートの巨匠」クリスチャン・リース・ラッセン。


以前から日本でも人気が高いアーティストだから、誰もが一度は目にしたことがあるんじゃないかな?


鮮やかな色彩、独自のスタイル、そしてドラマティックな画風はとても神秘的で印象が強い。


1956年にカリフォルニアで生まれたラッセンは、10歳の時にハワイ・マウイ島へ家族で移住する。


その移り住んだ世界”美しい南国の楽園”は素晴らしく、すぐに幼少のラッセンは海の魅力に魅せられたそうだ。


Christian Riese Lassen


サーフィンに熱中するとともに、絵画にも興味のあったラッセンは独自のスタイルと技法を開発していった。


サーフィンやダイビングをしている時に見える海・・・、魚からの視点のような海からの視界で描いた独自の絵画作品を確立したんだ。


そして、1976年より作品を発表しはじめ、マリンアート画家としての地位を確立する一方、プロサーファー、プロウインドサーファーとしても活躍する。


Christian Riese Lassen


1983年には国連”クリーンオーシャンキャンペーン”のイメージアート「サンクチュアリ」を制作。
(後に国連記念切手となる。)


1990年、海の環境保護を目的とした「シービジョン財団」を設立。
-作品の収益金の一部を環境保護活動に役立てる-


1998年、NGO組織「フレンド・オブ・ユナイテッドネーション」の親善大使に任命される。


ラッセンは愛する「海」を守るべく、このような環境保護活動にも情熱を傾けるアーチストなんだ。


その作品はどれもが神秘的で美しく、力強い生命力が描かれている。


LEAP OF FAITH


朝昼夜で表情が変わり、また毎日違ったコンディションが現れる海。


静かな海、激しく荒れる海、波、雲、風、朝日、夕日、月、星、そして海から見える美しい風景と海の生物達。


ハワイの美しい表情をピュアに表現する事ができるドワイルなアーティスト、クリスチャン・リース・ラッセン。


最後にちょっと変わった作品を紹介しよう。


日本の富士山をラッセン流に描いた「Mount Fuji」


Christian Riese Lassen


そこには情緒溢れる、美しい日本が見事に描かれている。


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Misterious Hawaii

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つい1~2週間前までのdowildの志向性と違うんじゃないか?と思われてる諸君、It's O.K! ハワイを愛して止まないのもドワイルドなんだ(笑)

というワケで天気はイマイチだけど、Alo~ha☆

ハワイ諸島があるハワイ州は、アメリカ合衆国で唯一「2つの公用語が認められている州」というのを知ってたかな?

ハワイの島々のいくつかの地域では、今でも先住民の“ハワイ語”が語られ「公用語」として小学校の必須科目にもなっているらしい。

例えばアメリカ、カリフォルニア州南部の人口比率を見ると圧倒的に“ヒスパニック系”が多く、基本的に英語よりスペイン語を母国語としている人々が多く暮らしている。

しかし公用語はあくまでひとつ、「英語」なワケだ。

そしてアラスカ州のエスキモーやアリゾナ州のネイティウ゛・アメリカンのような伝統文化を大切に守り続けている先住民も多く暮らしているが、法律的に彼らの言語が「公用語」となるワケじゃない。

そういった意味でも、ハワイがいかにユニークな場所であるかがわかる。

70年代にわき起こった“ハワイアンルネサンス”と呼ばれる「先住民文化と伝統の復興運動」の影響で、州として2言語が公用語となり、白人を含め多くの人々がハワイ先住民の文化や伝統、習慣をリスペクトするようになった。

そんなハワイアンルネサンスの核になってるのがあの「フラ」だ。

フラには“カヒコ”と呼ばれる「古式フラ」と“アウアナ"と呼ばれる「現代フラ」の2種類がある。

日本人の多くがイメージするフラは後者だと思う。

一説には8世紀前後に興ったと言われる(もっと古いとする説もあるが…)

元来、フラとは“神との関わり"として執り行われていた「聖なる儀式」で、女人禁制だった。

“イプ"と呼ばれる独特な島太鼓をを使ってリズムを奏で踊られる。

緑のレイを身体にまとった男たちが大地と一体化するように舞踏していた。

カヒコ(古式フラ)を踊るときになくてはならないのが「チャント」、朗唱のコトで、日本の民謡を思わせる。

文字もなく、楽器もなかった時代…人々は言葉でいろんなコトを伝承していった。

神々=自然に対するモノが「チャント」として儀式の中で育ってきたと考えられる。

神々への祈りの言葉であるチャント…ハワイのミュージシャンたちは好んで自分の唄や音楽に使うという。

また、ハワイのいくつかの先住民系のラジオ局では、その重要性を意識し、30分に一度は必ずチャントをオンエアしている。

ハワイ在住のぷるめりあさん、ちゃんと感じていますか?(笑)

ドワイルドな神秘溢れる島ハワイ―やっぱり好きにならずにはいられない…

Misterious Hawaii

Today's☆Jimmy

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MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

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写真は映画「ブルー・ハワイ」の中でエルビス・プレスリーが着ていたのと同デザインのアロハシャツ(AVANTIのモノ)

ずいぶんとこの柄求めてハワイ中探したが、完璧なのはやはりこのブランドだった。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

ウ゛ィンテージアロハをデュプリケイトするメーカーとしてつとに有名だ。

シルク100%がココんちの最大のウリ。

一説には、レーヨン素材のモノこそウ゛ィンテージの証と言うが…

ポリエステルの登場によって激減したレーヨンだからこそ、コレクターたちには貴重なんだろう。

しかし、90年代に起こった“ナチュラル志向”によって、Tシャツなんかを中心に「コットン100%」が大きく支持された。

90年代の終わりには、そんなナチュラルブームがさらに進化して“ヘンプ素材”に注目が集まりだした。

カリフォルニアやロンドンでわき起こった「大麻解放運動」と連動して、日本のヘンプブームは今に続いている。

ブームとかコレクターとか別にして、ハワイアンシャツを素材から考えてみると…

答えはシンプル「着心地のよさ」しかない(笑)

湿気の多い日本の夏、リネン(麻)は今も昔も変わらず日本の気候に合った素材だろう。

伝統的なハワイアンシャツからすれば邪道だが…

梅雨入り前もしくは晩夏から初秋の、風も爽やかそして陽射しが強い季節ならレーヨンなんかが最高に気持ちイイ。

シルクは真夏に着てはじめてその価値が分かるんじゃないかな。

洗濯の楽なコットンもなかなかどうして捨てがたい(笑)

アロハシャツに使われてるボタンも様々で着目してみると結構オモシロイ。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

定番のココナッツボタン…最近ではほとんどのハワイアンシャツでこのボタンを使用している。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

コアウッドをイメージしたアクリル樹脂ボタン…大量生産にはコレが一番なんだろう。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

ポリエステル樹脂ボタン…木目の着色を施し、4つ穴にするコトで風合いをだしてる感じかな?

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

バンブー…竹のボタンだが、表面がわずかにカーブを描きかなりイイ風合いがある。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

尿素ボタン…貝の模様に染めたモノが多く、自然の風合いを大切にするハワイアンシャツならではの加工だろう。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

白蝶貝風のアクリル樹脂ボタン…実際に貝を使ったウ゛ィンテージモノなんかはかなり高価。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

黒蝶貝ボタン…4つ穴でしっかり留めているのも、高級な証。光を反射すると、とてもキレイだ。

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

白蝶貝ボタン…ハワイアンシャツの柄を邪魔しないクリアー感がGood!

MATERIALS OF ALOHA SHIRTS

ハワイで生まれた南国の陽射しに映えるドワイルドなシャツ―アロハ

コットンの温もり、リネンの肌触り、レーヨンの柔らかさ、シルクの風合い…

素肌に着るからこそこだわりたいものだ。

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KAMEHAMEHA -Aloha shirts-

ドワイルドな皆さま、ご機嫌いかがですか?
今日もアロハ!な「dowild Hawaii」です。


ハワイに欠かせないアイテムの一つ、アロハシャツ。


KAMEHAMEHA


ハワイ滞在中は毎日ビーチから戻るとシャワーを浴びてお気に入りのアロハを羽織り、夕方から買い物&ディナーに出かけるのがドワイルドのスタイル。


特にこのカメハメハのアロハシャツは日本から何着も持っていき、日替わりで着用しているんだ。


そのレーヨン生地は素肌に柔らかく、また心地よい風を感じることができる極上で贅沢な着心地を味わえる。


またアロハの最も重要なポイントとなる柄も、トラディショナルな多くのラインナップの中から自分好みの一着を選ぶことができるんだ。


アロハシャツの柄も数多く存在するけど、なかなか気に入るデザインを見つけるのって大変じゃない?


派手すぎたり大胆すぎたり、なかなか着こなしが難しかったりとね・・・。


その点、このカメハメハはシンプルで落ち着いたデザインが多く、何着も欲しくなってしまう。


カメハメハ・ガーメント・カンパニーは1936年にハーブ・ブランナー氏によって創業された、現存するアロハ・メーカーで最も歴史の長い企業である。


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-


米フォーブス誌で「アメリカで最も優れたアロハシャツブランド」にも認定されたこともある、アロハシャツの歴史に偉大な功績を残してきたドワイルドなブランドだ。


10年程前には直営店が(確か?)なくて、ワイキキの外れにあるショップで購入していた。


その後、ワード・ウエアハウスやアロハタワー・マーケットプレイス、ハレイワにカメハメハ・ガーメントの直営店ができたので、そちらに足を運ぶようになったんだ。


ところがここ2年程の間で直営店が閉店したり、生産が止まってショップへの入荷も止まったりと・・・。


一般に公言はしていなかったのだが、ここ数年事実上ビジネス活動を停止していたそうだ。


どうしたんだろう?と心配していたのだが、つい先日朗報を耳にした。


Paradise Foundなどのレーベルで知られるPacific Clothing社がカメハメハの独占販売権を取得し、復活することになった!と。


名作の復活を重点に正式なオーダーを取り始め、製作も順調に進んでいるそうだ。


もちろんのMADE IN HAWAII!


今後リリースされるであろう新作も楽しみだ。


そんな期待を込めて、俺の愛用しているKAMEHAMEHAのアロハシャツをご紹介。


これは「ORCHID PANEL」


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-

シンプルな中抜きのトーンでありながら存在感バツグン!


上の黒の色違い「ORCHID PANEL」の赤。


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-


派手すぎない絶妙な赤のカラーリングがイイ。


名作オーキッドパネルは一番のお気に入り。


次は「Pineapples」


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-

クリームイエローにブラウンのパイナップルが好配色で意外と渋い一着。


これは「BIRD OF PARADISE」


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-

少しかすんだ感じの赤に大胆なボーダーラインが入った、カメハメハの代表柄。


とても渋い印象の「Hula Girl」


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-

中間色同士の2トーンでまとめられ、柄も細かいので実に着まわししやすい。


そこにはチャーミングなフラ・ガールとウクレレが描かれているんだ。


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-


shigeが愛用しているのを見てイイな♪と思い、真似して買った一着。


そして、これは同じく「Hula Girl」の長袖アロハ。


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-


渋いグレーでこの柄なら、長袖でもとても着易い一着。


ちなみにコレもshigeとお揃い(笑)


そして番外編、シャツではなくカメハメハのサーフパンツがこれ。


KAMEHAMEHA -Aloha shirts-


10年前に購入して以降、廃盤になりショップで目にする事がない。


ずっと愛用しており、とても気に入っているサーフパンツ。


色違いも欲しいんだけど・・・。


(ちなみにshigeは色違いの赤を愛用している。)


カメハメハさん、ぜひとも再販お願いします!


ハワイの伝統と歴史を羽織り、仲間と過ごすハワイの夜は最高の時間だ。


ぜひ、皆さまもハワイに行った時にはアロハシャツでバッチリ決めてハワイアンを肌で感じてみては?


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PURE HAWAII

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写真はオアフ島、西にあるマカハビーチの岩に残した1コマ(笑)

しかし今日はいい天気だねェ。

昨夜の祝杯の気だるさもなんのその、思わず午前中からいつもの約7kmを軽いフットワークでジョギングをキメてしまった☆

毎日流し込む大量のビール…体をイジメてばかりじゃドワイルドも長続きすまいと思い、そんなコトもする(笑)

走ってて、頭をよ切ったのはやはりこの頃熱くなってるハワイのコト。

同じ走るにしてもあのぬるい風がとても心地よく、ギラギラに陽射しが強くても暑さは感じない。

シャワーを浴びたあとの素肌に袖を通す、アロハシャツのあの感触は絶対他では味あえない♪

1年半も遠ざかったハワイ…スケジュールが合ったら今年行こう!どうでしょう?チームドワイルド諸君。

朝早くノースショアへと向かい「CAFE HALE'IWA」でとるブレック・ファースト。

PURE HAWAII

PURE HAWAII

ミートオムレツに朝からヘビー過ぎた失敗談もあるが(笑)

ワイメア・ビーチパークでのんびりし、昼は「KUAAINA」の一番人気アボガドバーガーで空腹を満たす。

サンセット・ビーチまで足をのばし、道路脇に停めてあるステーションワゴン(名前をちょっと忘れてしまったが…)でとる“ロコモコ"“シュリンプ・カナパリ"もまたオツなモンだ。

「STRONG CURRENT」でお気に入りのTシャツ&ステッカーをゲットし…

PURE HAWAII

PURE HAWAII

PURE HAWAII

午後早めに「COFFEE GALLERY」でコーヒーブレイクし、ノースをあとにする…。

PURE HAWAII

このコーヒーギャラリー、俺が初めてハワイに行った時すでにあったが、1987年OPENとまだ歴史も浅い。

PURE HAWAII

コナ・コーヒーはもちろん間違いないが、「本日のおすすめ」にもかなりヤラれる。

無論ノースにもいつも車で行ってしまうんだが、足のない諸君も2ドルの“ザ・バス"を利用してでも行く価値があると思う。

必ず違うハワイを垣間見れるハズだ。

コーヒーといえば、ハワイでよく見掛ける「LION COFFEE」―1864年創業と、アメリカ国内で現存する最古のコーヒー会社。

数年前に「ハワイアン・コーヒーカンパニー」に吸収されたものの、古くからの伝統を培ってきたコーヒー作りは今も変わらない。

豆に香りづけをする“フレーバーコーヒー"の元祖もココだ。

マカダミアナッツ、バニラの香りのするコーヒーはホント病み付きになる♪

そうそう、ココんちの売ってるコーヒーのパッケージに付いてる“クリップ"のデザインが意外にオモシロイんだよ。

PURE HAWAII

元々、封を開けたコーヒーの口を留めておくためのモノだが、なかなかキュートなんだ。

PURE HAWAII

現行品はライオンの顔だが、かつてはハイビスカスが描いてあったりとか年代によって色も柄も様々らしく、チープなハワイ土産&思い出としてGood!

そうだTシャツネタも1つ書いておこう。

やっぱりハワイに行っての醍醐味のひとつに(というかアメリカならでは)ショップオリジナルのTシャツがある。

マウイ島にあるレストラン「HULA GRILL」

ココんちのTシャツがめちゃくちゃキュート♪

PURE HAWAII

それがね、一昨年オアフにもやってきた。

アウトリガーホテルの2Fにオールドハワイアンな雰囲気でOPEN!

残念ながらまだ行ってないんだけど…

ハワイの楽しみ方ってもちろん人それぞれだけど、何度行っても違う顔を覗かせるドワイルドな魅力がそこにはある。

dowild.s

The Trademark is Registered

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ドワイルドな諸君にお知らせしよう。

今日、待ちに待った「商標登録証」が届いた。

永田町にある某法律事務所にmasayaと共に向かったのは、昨年の9月6日のコト。

トレードマークである「dowild」のロゴを収めたフロッピーを持って…。

“make dreames for wonderful life”のメッセージに夢と希望が思いっきり詰まった、俺たちの大切な宝モノなんだ。

大好きなアメリカをコンセプトにトレードマークをTシャツに刷り、H.P上でアメカジブランドを展開している。

dowild


雑誌「Free&Easy」にも取り上げられ、おかげ様で人気は急上昇♪

決して傲るコトなく、変わらずドワイルドなペースで歩き続けている。

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待っていても“夢”は向こうからやってはこない、“夢”は自分で作り育てていくモノ。

いくらでも大きく膨らませたっていいと思う。

そして、やるかやらないかなら絶対やった方がいい。

人生という過程において、何のストレスにもならないしマイナスにもならないんだから…。

自分自身を信じ、自分のスピリットを大事にしてれば自ずと結果はついてくるハズだ。

やれ「適当に…」あるいは「人並みに…」そして「ほどほどに…」決して間違ってないし、批判もしない。

でもそこで考えてもらいたい…人生って1回だよ。

今、生きてるコト自体が素晴らしい出来事で、夢を持ち作り上げていくコトでもっともっと素晴らしいモノにも変わる。

スケールを変えて、プラネタリウムを見に行った“aloha-hulaさん”の言葉をお借りして言えば…

『数千億もの星でできた銀河系の中の片隅の

太陽系の中にある地球の中にいる自分…

その宇宙の中に自分も存在している』

壮大な宇宙の星屑よりも、人間の存在なんてホントちっぽけなモンなんだよ。

生きている限りは、ありったけのエネルギーぶつけてみたらいい。

ドワイルドな諸君、今日を皮切りにこう思ってみたらどうだろう…

「今日までの自分の人生はすべて、明日への準備だった…」

人間、誰にとっても人生って本当に素晴らしいモノなんだから。

dowild

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Mai Tai Cocktail

その昔バーテンダー時代の頃、オーダーを受けて気合が入るカクテルの一つがマイタイだった。

ホワイトラム、オレンジキュラソー、パイナップル、オレンジ、レモンをシェイクしてアイスの入ったグラスに注ぎ、ダークラム(もちろんマイヤーズ)をフロートする。
そこにフルーツや生花で華麗にデコレーションをして完成。

とても手間がかかり、また複雑であるがゆえ自分流に趣向を凝らしてアレンジする余地があるドリンクなんだ。

シンプルなカクテルほど繊細で1mlの誤差も許されないが、このマイタイはある意味遊ぶ余地があり、バーテンダーのセンスが問いただされる。

見た目と味、まるで和の生け花とお茶的だよね。

「Mai Tai」というネーミングの由来はタヒチ語の「最高」
これを飲んだ2人のタヒチ人が「Mai Tai-Roa Ae」(この世のものとは思えないほど最高!)と絶賛したとか。

マイタイ・カクテルの誕生には色々な説がある。

1950年にロイヤル・ハワイアン・ホテル(マイタイ・バーがある)でフレッド・ミヤケ氏が創った・・・、数多くのカクテルを生み出したトレーダー・ビック氏が17年もののラムを使い生み出した・・・、サンフランシスコでビクター・J・バーロジン氏が考察した・・・。

バーテンダー時代「実は日本で生み出された」なんて言うのも聞いた事がある。

これに関しては永遠の謎であろうが、ハワイで飲むマイタイが最高!というのは断言できるよ。

ここ日本ではまず甘いカクテルは飲まないが、ハワイのビーチバーでは必ず最後の一杯にマイタイをオーダーするのが俺らのスタイル。

特に日中の太陽の下で飲むマイタイは最高なんだ♪

遊び疲れた身体にはこの甘さがちょうどイイ感じ。

マイタイの最大のポイントは、フロートされたダークラムだと思う。

見た目にも南国の夕焼け空をイメージさせる美しいグラデーションを演出するが、このテイストにも欠かせない。

もちろんダークラムを入れなくても無難に美味しいが、そこにダークラムが加わる事で更に深み・パンチが出る味に変身する。

もしこのカクテルにダークラムが入っていなかったら、ここまで愛されるマイタイにならなかったのでは?

ビーチバーのパラソルの下で波の音を聞きながら、心地よい風を感じながら・・・。

ハワイに最も似合うドワイルドなカクテル「Mai Tai」、まさしく最高だ!

ところで南国で飲むトロピカル・カクテルにはフルーツや花と共に、必ずといっていいほど小さい傘が乗っかっている。

前から疑問に思っていたんだけど、何故だろう?

花の代わりで使い出したのだろうか?それともエキゾチックをイメージしたのだろうか?

日本ではほとんど使われていないしね・・・。

dowild.m

★dowild's Baton ★

ドワイルドなライフスタイルに、いつもほのぼのとした心の安らぎを貰ってる“そらさん"から「バトン」なるモンが回ってきた。

ちょっとガラじゃないんだけど、これもドワイルドな1ページ(笑)

やってみようじゃないか☆

ルールが2つあるそうだ。

Rule 1:気に入らなかった質問1つを削除し、好みの新しいモノに変える。

Rule 2:自分が何代目かをカウントする。

そらさんが☆196代目☆というコトなので…

俺は★197代目★なワケだ(笑)

Q1.携帯の待ち受けは?

A .もちろんコレ☆

dowild


ドワイルドのシンボルマークだ☆

Q2.好きな飲みモノは?

A .悩む必要ナシ(笑)Beer☆

メイン・ランド行った時は“Miller"

ハワイでは“Budweiser"

いつもは…★SAPPORO黒ラベル★

Q3.今、使っている携帯は?

A .DoCoMo☆ 15年位前からずっとコレです。ドコモだけ(笑)

Q4.好きなモデルさんは?

A .う~ん、ちょっと質問から外れてしまうけど、女優で答えさせて下さい!ジェニファー・ロペスなんかイイと思います☆映画「エンジェル・アイズ」でのポリス姿なんて特に☆

Q5.今すぐ会いたい人は?

A .アメリカが好きでハワイをこよなく愛してる石川次郎さん☆古い話だけどTV「トゥナイト」で司会やってた時の姿を見て何か安心し、コメントを聞いて心安らぐモノがありました(笑)

Q6.最近、よく聴く曲は?

A .もちろん“Steppen Wolf"の「Born to be wild」(笑)

サイモン&ガーファンクルをカバーした“エルビス・プレスリー"の唄う「明日に架ける橋」もGood♪

しかし…今一番の気分は同じくプレスリーの「ブルー・ハワイ」かな☆

Q7.今、一番欲しいモノは?

A .現実的なトコではやっぱり「Harley-Davidson」☆

夢のある話すれば「タイムマシーン」(笑)

Q8.削除→1番の宝モノは?

A .「命」なんて世俗的なコト言っても何だから…やっぱり、友=仲間かな☆


Q9.次バトンを回す人は?

A .今、ハワイが待ち遠しくて仕方のない“aloha-momoさん”

どうかバトンを受け取って下さい☆

そらさん、なかなかドワイルドで楽しかったです♪こんな感じでよかったですか!?

ありがとうございました☆

dowild.s