Locals -Hawaiian flip flops-
Aloha Spilit
この本の中には、アロハシャツに関して現在手に入る情報すべてがあると言ってもイイ。
何しろ見ているだけで気分がハワイになれるんだ☆
アロハシャツ(ハワイアンシャツ)の醍醐味のひとつに“周囲にいる人を南国へ運ぶ"というコトがある。
周りの人も楽しませてあげる…そんな“GIVE"の気持ちが「アロハスピリット」でもあるんだ。
いつもハワイへの旅はナイトフライトで始まる。
日本航空、全日空、ノースウエスト航空、ユナイテッド航空…どれも利用したが基本的にどの便も午後6時から9時の間に出発する。
そしてホノルル国際空港へは、同じ日の早朝に到着する。
この「朝、着く」という入り方がなかなかいいじゃないか。
楽園への旅はいつだって、朝に始まるんだ。
飛行機は深夜を飛び越え、北太平洋をその日の朝へ向かって、まさに時間を逆行して飛んで行く。
時間が遡り何かトクした気分にもなれる(笑)
やがて東の空の雲の上に朝陽が見える頃、飛行機はゆっくりと楽園へ向かって高度を下げ始める。
目覚めたばかりの島、まだ眠そうな空港に、俺たち旅行者は到着し、アクビと一緒に入国審査の列へと並ぶ。
時間のかかる入国審査、しかも長い列…しかし、なぜだか微笑んでしまうんだ(笑)
首にフレッシュなレイを掛けムームーを着込んだ女性職員たち。
その首元のレイから漂う甘い花の香りと思いきや、実はいたる場所から甘い香りが漂っている。
飛行機から出た瞬間に、すでにそのハワイ特有の香りは始まっているんだ。
プルメリア、ジンジャー、ハイビスカス…この“花の香り"こそが、一番最初に体感するハワイ。
旅人の心を解き放ち、スローに流れる時間の始まりだ。
ハワイ諸島は、花の島々。
遥か古代から花々を愛し、花々と一緒に暮らしてきたポリネシア人たちの魂(マナ)が、花には宿っている。
ニイハウ、カウアイ、オアフ、マウイ、モロカイ、ラナイ、ハワイ…ハワイ諸島の有人島は7つ。
カウアイ島が生まれたのは今から500~700万年前だとか。
カウアイは有人島では最も年老いた島で、現在、年数ミリずつ海へ沈んでいるらしい。
東の端にあるのがハワイ島―通称“ビッグアイランド"最も新しい生まれたての島。およそ50万歳。
まるで地球が凝縮されたような島。
活発な火山活動が続き、島の形が日々変化し、今も天地創造の真っ只中だ。
年老いたカウアイは緑濃く、若いハワイには乾いた溶岩流が広がる。
その自然を見ればハワイの「命」が感じられる。
州都ホノルルがあるオアフ島のオアフとは「人の集まる場所(gathering place)」を意味し、実際、ハワイ諸島の人口の9割以上がオアフ島に暮らしている。
自然と人―ハワイの島々を旅し、その2つを感じるコトはまさに「アロハスピリット」を感じるコトだ。
そして、自然や人がデザインされた「アロハシャツ」を着るコトは即ち島々の連なりとハワイのドワイルドな歴史を纏うコトでもある。
dowild.s
Legend of Hawaian Shirt
ブログを通して知った“ぷるめりあさん"“aloha-momoさん"に刺激を受け、しばらく眠ってたハワイ魂に火がついてしまった(笑)
一昨日、恥ずかしながら載せた自身の写真、あの時着ていたアロハシャツを紹介しよう。
素肌に風を感じる、南国生まれの服―アロハシャツ
遠く南太平洋の島で生まれたプリントシャツだ。
花、フルーツ、樹木や葉など、かの地の自然や風物が鮮やかな色彩で描かれたとてもドワイルドな魅力溢れるシャツなんだ。
花をまとい香りを漂わせ、自然の力まで身につけた気分にもなれる…。
ある人は風を着ると言う。
またある人は歴史を着ると言う。
オアフ島ノースショア―世界中のサーファーたちにとっての聖地のひとつであり、数々の波乗り伝説を生んできた場所。
フリーウェイのH1とH2を乗り継いでノースまで行くとワイキキ=ハワイと思ってる旅行者は、間違いなく驚くだろう。
わずか1時間のドライブで、まったく別のハワイが顔を見せるからだ。
ノースショアの入り口にあるハレイワの町。そのハレイワの町を見下ろす丘の上に、広大なパイナップル畑とサトウキビ畑がある。
かつて世界にその名をはせた“Dole"のプランテーション農場。
これ以上ない青い空の下に広がる独特の赤土。
その赤土からひょっこり顔を出すパイナップルの緑。
この現代ハワイの風景を作り上げたのが、かつて日本から渡っていった移民労働者たちであり、その日本人たちによって「最初のアロハシャツは作られた」というストーリーがハワイにはある。
そう、アロハシャツを作ったのは日本人だった…という物語だ。
1800年代の後半、夢と希望を抱きハワイへ渡った日本人たちは、そこで過酷な重労働という現実に直面した。
熱帯のプランテーション農場で奴隷のように働かせられた彼ら…。
ところが熱帯の暑い気候に合った衣服を持っていなかった。
やがて持っていった着物を切って解体し、見よう見真似で西洋風の開襟シャツを作り上げた―それこそがアロハシャツの誕生だ。
今日紹介するコイツは実はあの「The REAL McCOY'S」のモノなんだ。
16年ほど前にそのデザインに一目ボレして買った。
ずいぶん前に紹介したパイナップル柄の「デューク・カハナモク」のようなウ゛ィンテージモノじゃないが、俺にとっては今も大切にしてる16年モノの“ウ゛ィンテージ"なんだ。
ハワイアンシャツのウ゛ィンテージ―ウ゛ィンテージといっても、たかだか60年前後昔のハナシだから、そんなに古いワケじゃない。
むしろ日本の着物なんて、200年前のモノなんてのもあるからね。
ウ゛ィンテージ ハワイアンシャツとは、1930~50年代に作られたモノの一部とする説と、基本的にレーヨン素材のシャツがウ゛ィンテージになりうるという説がある。
実際、レーヨンのモノは数少ない。戦中から戦後にかけて作られたいたレーヨン素材のモノだが、60年代にポリエステルという新素材が発明され廃れてしまったんだ。
その10年ほどの間に作られていた“レーヨン素材のハワイアンシャツ"を探し求めるコレクターが生まれ、そのコレクターたちの“声"によって「ウ゛ィンテージ」となった。
エラリー・チャンが「アロハシャツ」という名称を商標登録したのが1936年。それより以前からアロハシャツという名のシャツが売られていた事実がすでに確認されている。
初期のアロハシャツの柄には“和モノ"がとても多いコトも事実だ。
JALのアメリカ人パイロットをして「Nice Shirts!」と言わせたコイツはこれから先も大切に着ていきたい。
フラワープリントは実際、ハワイでもよく見かけるプリントパターンだ。
なんせ島中に花がいっぱいあるワケだから(笑)モチーフとして選んで当然の話。
ドワイルドな諸君、この夏気分としては「花を連れて歩く」花の似合う男になりましょう(笑)
dowild.s
The first impression of hawaii
夜の時間を飛行機の中で過ごし、朝の8時にようやく到着をした。
混雑した空港の中、列に並んで手続きを済ませようやく外に出た。
そこに待っていたのは、強烈な日差しの太陽と青い空、そして心地よい独特な香りだった。
10年程前かな?初めて訪れたハワイで、ただそこにある”空気”に衝撃を受けたんだ。
人生観を変える出来事って一生のうちに何度あるのだろう?
まさにその瞬間はそんな感じだった。
初の海外、初のアメリカ、初の飛行機・・・。
初めての出来事ばかりのハワイ旅行だったんだ。
shigeと出合った当時の頃で、その時は残念ながら一緒に行くことは出来なかったんだけど、ハワイの事を色々と教えてもらい飛行機に飛び乗ったんだよね。
その時は、初めてのハワイ言いながら7泊8日の日程でホノルル空港を飛び越えてAlohaエアラインに乗り継ぎマウイに行っちゃったんだ。
ホテルは「WESTIN MAUI」でマウイならではのリゾート感を思いっきり満喫できた。
昼間はホテルのビーチとプールでノンビリと、夜は怖いもの知らずに好奇心旺盛でラハイナに繰り出したりと。
夜のラハイナはかなりヤバイよ・・・。(要注意!)
白い砂浜、青く澄んだ海、灼熱の太陽、本場で飲むマイタイ、ハンバーガー、アメ車、そしてUSA。
全てが新鮮で感動だった。
そして、名残惜しい気持ちのままオアフ島へ戻ったんだ。
その時はレンタカーも借りなかったんだけど、The BUSでハナウマやカイルア、アロハスタジアムのスワップミートなどいろんな所に足を運んだ。
夜はワイキキからアロハタワーやダウンタウンまで、残りの時間を惜しむように遊びまくったんだ。
夢のような時間はいつか終わる。
帰りの切ない飛行機の中では「また必ず行こう!」なんてね。
それからはチーム「dowild」で何度も行くようになってね。
俺達にとってハワイはそんなドワイルドな場所なんだ。
最後にその初ハワイの時の写真を見せちゃおうかな?
昨日のshige同様、意味は無いんだけど・・・。
春だから・・・。
しかもヌード!?
dowild.m
srow start
いろいろなご意見おありかとは思いますが、胸にしまっといて下さい(笑)
今日はそんなdowild.sの秘密をお教えしよう。
…なんて、そんな大袈裟な話しじゃないが(笑)
ここ一週間位の期間で「ペタ」なるモンを覚えた。
ドワイルドブログも9ヶ月位やってきて今だよ、今^^;
一昨日、masayaにも話したんだが「ペタ知ってるか?」
「知ってるけど、よくわからないんですよね…」
内心ちょっと安心した。「何ですか?ソレ」なんて言わないで(笑)
もちろんあの足跡マーク、目には入ってたが、あまり気にもせず俺たちのドワイルドスタイルをせっせとブログに書いてきた。
本日のランキングなんか「おっ、ずいぶん上がってきたな、たくさんの人が読んでくれてんだな!」なんて脳天気に話しながら…
けど、俺たちのブログってほんの一部の仲間が時折ポツリ、ポツリ、コメント入れてくれるだけで「コメント全然入んねーな?」なんて話も。
で、今更ながら気付いたワケ。そりゃそうだ、より多くの人とコミュニケーション取らなきゃコメントのひとつも入るワケもない。
まぁ俺たちのブログって、読んでくれてるドワイルドな諸君はご存知だと思うが、ちょっとマニアックな面も多くとっつきづらいトコもあるけど…
それはそれで一生懸命こだわりやってきたが、ここにきてまた新たな方向性も見えてきた感じかな。
明日のネタ何にしようと考えてる時間を、他の人のブログたくさん読ませてもらってコメントで会話してみたりにも費やしている。
しかしながら時代遅れのアナログな自分が笑えてしまう(悲)
パソコン自体はmasayaにまかせっきりで、日々のブログはケータイから投稿しているんだ。
ゆえにトップの写真1枚は投稿と同時に入るが、途中挿し込みの写真はあとからいつもmasayaにパソコンから挿入してもらってる(なんと原始的なコトか…)
mixiなるモンも何件か誘いをとっくに受けてはいるが、なかなか…?
今はとりあえずまたちょっとだけ前進したペタの仕組みとかに集中です。
「☆」マーク使うコト覚えたりしたし…
どうぞ皆さま、こんなドワイルドな男たちですがこれからもヨロシクお願いします!
dowild.s
History of Waikiki
誰もが南へ…
19世紀のヨーロッパでは、そんな旅への憧れで溢れていた。
中でも“ハワイ" “タヒチ"といった南太平洋の島々への憧れは特別強く、彼らにとってそこは、ユートピア=楽園だった。
けど、そんな思いは当時のほんの一握りの冒険家位しか実現出来なかったという。
そんな間口が広がり始めたのは19世紀末のコト。
仲間どうしで船をオーダー出来るような貴族が、ハワイ、タヒチへと向かうようになった。
彼らは遠い過去に捨ててきてしまったモノを守り続ける現地の人たちの姿を見て、畏敬を込めて「高貴なる野蛮人」と呼んだそうだ。
当時、ワイキキはハワイアンが作った“タロの水田"と、日本から移民した人々が作った“稲の水田"が延々と広がっていた。
ハワイ語で「ワイ」は“真水"を表し、「キキ」は“湧き出づる"という意味がある。
つまり「Waikiki」とは“真水の湧き出づる場所"で、タロや稲を育てるのに最適だったワケだ。
オモシロイのが、山や谷側に雨が降っている時でも陽射しが差し込むコトの多い不思議な気候。
もちろんそれは現在でも体感できる。
ゆえに、当時早くからハワイ王朝の王族たちが保養の為の別荘を建て、プライベートリゾートとしていた。
ちなみに1795年にハワイ全島を統一して大王の座に就いたカメハメハ1世の妻の1人“カアフマヌ"彼女の別荘が建っていたのが、現在“ザ ロイヤル ハワイアン"の建ってる場所だ。
19世紀の末までは、ホテルなんて一軒もなかったんだ。
やがて1901年、まさに20世紀の始まりの年にワイキキに初めてホテルが完成した。
「モアナ ホテル(現在のシェラトン モアナ サーフライダー)」
“On The Beach" ビーチの上に建ち、中庭からそのままビーチに出ていくコトが出来るスタイル。
これはその後、世界各地に出来るビーチリゾートホテルの原型と言われる。
ハワイ旅行を熱望するアメリカ人も次第に増え、ハワイの5財閥のひとつ“キャッスル アンド クック社"が「マトソン汽船」を設立。
1925年にはサンフランシスコとロサンジェルスからホノルルへの定期便が就航した(もちろんこの時代は船だ)
そんな時代のワイキキには、一人の伝説的なヒーローも誕生した。
2mの巨体を持ったハワイアン、超人的身体能力を持ったウォーターマン「デューク カハナモク」だ(ワイキキビーチには悠々と彼の像が建ってる)
アメリカの代表として都合4度のオリンピックに出場し、3つの金メダルと1つの銀メダルを獲得したドワイルドな男だ。
凱旋すると巨体を揺らしながら優雅にワイキキビーチに現れ、のんびりと過ごしていた旅人たちを魅了したという。
地元のハワイアンにとっても彼はヒーローで、デュークを慕う男たちが連日集まった。
やがて彼らは各ホテルと契約し“ワイキキ ビーチボーイズ"と呼ばれた。
旅人にサーフパフォーマンスを見せ、サーフィンスクールを開く一方、ライフガードとして旅人の安全とビーチの環境を守る役目を果たしていたんだ。
望むなら一度、デューク・カハナモクに会ってみたかったなぁ…
そして時代は汽船から飛行機、やがてそれはジェット機さらにはジャンボジェットに変わった。
汽船時代とは比較にならないほどの旅人がハワイへとやってきた。
現在、ハワイには毎年600万人もの旅人が世界各地から訪れ、その多くがワイキキに滞在する。
大体は一週間ほどの短い滞在だが、この“ワイキキ"というビーチリゾートでは様々な体験が出来る。
ビーチリゾートというと人間が作り出した“人工楽園"みたいに揶揄する諸君もいるだろうが、実際に行ってみれば必ずわかるはずだ。
時代さえ変わってしまったが、そこに残るドワイルドなアロハスピリッツを…。
dowild.s
Coca-Cola
その後、コカ・コーラはドイツからヨーロッパ全土に広まり世界的な”Coca-Cola”ブランドとなった。
C.P.O.SHIRTS -U.S.NAVY-
アメリカ海軍の上等兵曹を意味しており、第二次世界大戦時の海軍下士官たちが艦上で着たユニフォームが、C.P.O.シャツのルーツになっているんだ。
PEPSI-COLA
一重にコーラと言っても「ペプシ・コーラ」、「コカ・コーラ」、果ては「ドクター・ペッパー」なんてのも。
世間一般“コーラ"で通るのはやっぱり“コカ・コーラ"、ペプシはあくまで“ペプシ"な感じ?
お前はどっち派?コーラ派?ペプシ派?なんてね(笑)
アメリカで生まれた黒い炭酸飲料たち。
正直、大人になってからは炭酸といえばもっぱらビールなワケで、ほとんど飲む機会もないコーラ…。
それでもやっぱり好きなんだな、このアメリカの味。
で、最近TV見てたら福山君、妻夫木君、沢尻ちゃんなんかが爽やかなCMやってるじゃない。
「おいしいけど、カロリーゼロ」なんて、ドワイルドな炭酸好きレディたちにとっては嬉しい限りだね(笑)
味は?なんて思い、今「PEPSI NEX ZERO」飲みながらこのブログ書いてんだけど…
なかなかどうして「ウマい!」
「あと味すっきり」にも偽りナシ。
俺にはちょっと甘いけど、不思議だね“ゼロカロリー"なのにこの甘さ(?)
気になる成分表示見てみたら“レモンフレバー"も入ってるんだね。そういえば最近このテのドリンクにレモンフレバー入れてるの多いね。
しかしオモシロイもんで「消化不良の治療薬」がペプシ・コーラのルーツだって、ドワイルドな諸君も知ってた?
1898年、ノースキャロライナ州の薬剤師“キャレブ・ブラッドハム"が消化促進剤を作ってたところ、その味が大衆受けするモノで「Brad's Drink(ブラッドの飲み物)」と呼ばれるドリンクとして薬局で製造、販売され愛飲されるようになったんだ。
今でさえ世界中で目にするペプシだけど、数々の波乱を乗り越えてきたんだよ。
第二次世界大戦が始まると、物資統制が敷かれ、原料の配給制が導入された。
この時、最大のライバルの“コカ・コーラ"が軍需品指定を受け、政府の資金で工場をいくつも稼働させていたんだ。
世界大戦の影響で世界各地に広がったコカ・コーラに対し、ペプシコーラは国内での需要拡大に集中するしかなかった。
本格的に世界中で知られるようになったのは1960年代以降のコト。
広告にスポーツシーンを多用、積極的にスポーツイベントなどに協賛、そのイメージ戦略が成功へと繋がった。
その背景にはテニスのジミー・コナーズや現在ではイチロー、ベッカムなどの起用がある。
1970年代には全米でNo.1の評価も獲っている。
「ペプシ・チャレンジ」と題したコカ・コーラとの飲み比べキャンペーンで、高い評価を受け一気にシェアを拡大、初めてコカ・コーラを抜いたんだ。
その後もアスリートだけじゃなく、スーパースター“マイケル・ジャクソン"の起用、オリジナルキャラクター
“ペプシマン"の登場と大人気ドリンクの座を射止めた。
逆境に立たされたときに、庶民のハートを掴み、拡大を続けてきた「ペプシ・コーラ」
100年以上続くドワイルドなアメリカン・トラディショナル・ドリンクは、これまでの100年同様に、これから先の100年だって変わらず愛されるコトだろう。
dowild.s
KEVIN COSTNER
最もアメリカ人たる俳優「ケウ゛ィン・コストナー」を紹介しよう。
その風貌からはやさしく温かい人柄が強く伝わってくる。
1955年1月18日、カリフォルニア州のリンウッドという町で三人兄弟の末っ子として生まれた。
父親は日雇いのブルーカラーワーカー(肉体労働)で家族を養っていたが、やがて電気工事会社に定職を得る。
仕事柄、一家は南カリフォルニア一帯の工事現場を転々とするコトになり、転校また転校で彼には友達もほとんどいなかったそうだ。
そんな少年時代がゆえ、詩に親しみ一人で空想にふけるような、おとなしい子供だったという。
そんなケウ゛ィン少年もハイスクールに入ると、持って生まれた運動神経が開花し、小柄ではあったがバスケット、フットボール、ベースボールにと活躍した。
彼の出演作品の中でも役柄の多いベースボールモノを見ても、投球フォームもキレイだし、手慣れた感じにその片鱗が伺える。
が、自身が一番好きなのは“ウエスタン"だというのが、とても御愛敬だ(笑)
そんなコストナーが演技の面白さに目覚めたのは、カリフォルニア州立大時代。
ビジネスを専攻していたが、地元劇団の活動に参加するうちに俳優という職業を意識するようになったという。
しかし、ガールフレンドのシンディ・シルウ゛ァと結婚して安定した人生を送るつもりだった彼は、78年、卒業すると予定通りにオレンジ郡のある会社に就職し、サラリーマンになった。
実際、Yシャツにネクタイのスーツ姿でサラリーマンやってても素直に溶けこんでしまうような容姿だよな(笑)
早いモノであの「アンタッチャブル」で人気スターになってから20年。
正直、大スターのオーラというか、大物感はない。あまりにも一般的なアメリカ人らしいからか…しかしそれこそが彼の最大の魅力だ。
そのままサラリーマンをしていても、それはそれで納得した平穏な幸せを築いていったに違いない。
そんなサラリーマン時代のある日、たまたまメキシコへ遊びに行った帰りの飛行機で名優“リチャード・バートン"に出会ったのが、運命への導きだった。
勇気を奮って話し掛け、実は自分も俳優になりたかったコトを話したらしい。
答えはシンプル…。
バートンは「それなら何故そうしないんだい?」
コストナーは答えに詰まって目が覚めた。
そりゃそうだ、無難と思える道を歩んでも人生なんて何が起きるかわからない。
あのとき、こうしておけば…そういう心残りって、一生消えないモノ。
何かをしなかったコトで悔やむコトより、ソレをして失敗するコトの方がよっぽど価値がある。
若さも情熱もあったコストナーは、それをキッカケにわずか一ヶ月あまりで会社に辞表を出し、妻シンディとハリウッドへ。
そこから先は、様々な苦節がありながらも、諸君もご存知のハリウッドスターという夢を成功させたんだ。
コストナーの出演作品のどれもこれも好きだが、「西部劇が好きだ」という彼の初の監督作にしてアカデミー賞を席卷した「ダンス・ウィズ・ウルブス」なんて最高だ。
ネイティウ゛・アメリカンの真実を伝えて、開拓の歴史をフェアに描いた作品。
政治劇のイメージもあり。アメリカの“良心"を気取ってるとも言われたが、原野で生きる孤高の主人公と狼やスー族との交流の場面に温かい空気が流れるあたり、さすがコストナーの世界観だと思う。
クリント・イーストウッド監督、コストナー演じる犯罪者と少年の交流を描いた「パーフェクト・ワールド」もはずせない。
映画の中でわびしくラジオから流れる「ビッグ・フランズ・ベイビー」は、なんとイーストウッド自ら作曲したモノだ。
レイバンのウェイファーラー、真っ白のTシャツにカットオフしたネルシャツ、そしてブルージーンズ姿、まさにドワイルドの世界観でもある。
長くなってしまったが、とことん悪に徹した「スコーピオン」コストナーも“エルビス"のコスチュームで登場するんだが、狂気の冷血漢という役まわりが、彼の新たな一面を知れる。
カート・ラッセル、クリスチャン・スレーターも共演し、最高にクールな映画だ。
演技より柄が魅力の“ケウ゛ィン・コストナー"そのやさしく温かい、普通の人間らしさがとびっ切りドワイルドなアメリカン・ヒーローの一人だ。
dowild.s
































