TEQUILA SUNRISE
昨日は成人の日、今年成人式を迎えた方おめでとうございます^ ^
(懐かしいな~、成人式って)
そんな成人のお祝いに、ささやかながら今日はお酒の話をしようか(笑)
南国のオレンジ色に染まった夜明けの空・・・
まさに地平線から太陽が昇り、爽快な朝がこれから始まる瞬間の空をグラスの中で描いたカクテルが「テキーラ・サンライズ」だ。
アイスを詰めた細長いグラスにテキーラとフレッシュのオレンジ・ジュースを入れ、軽くステアしてからバー・スプーンの背をグラスの淵に付けグレナデン・シロップを這わせるように静かに注ぎいれる。
すると上部のオレンジ色から底の赤色までの綺麗なグラデーションが完成する。
沈んだ赤いグレナデン・シロップは日の出を思わせる太陽の光、上部のオレンジ色が朝焼けの空のようにグラスの中に小さな世界が現れるんだ^ ^
氷で薄まらないようにテキーラとオレンジ・ジュースをシェイクし、グレナデン・シロップを沈めるレシピもあるんだけど、これが更に美味いんだ。
俺ら酒飲み(笑)にとって、たまにこんなフレッシュの果実系カクテルを飲むと「何となく健康的だな~」なんて思ったりして・・・!?
(ビタミン豊富だし♪)
もともとメキシコのマイナーなカクテルだった「テキーラ・サンライズ」
このカクテルが有名になったエピソードはローリング・ストーンズにあったんだ。
1972年のアメリカ・ツアーの一環でメキシコを訪れた際に、ミック・ジャガーがこのカクテルをすこぶる気に入り大絶賛したという。
その後も行く先々のバーでストーンズのメンバーはこのカクテルを注文し飲みまくる(笑)、そんな姿が雑誌や新聞で紹介され世界中で有名になったそうだ。
また、イーグルスの初期の名曲に「テキーラ・サンライズ」って曲もあるよね。
今やマルガリータと共にテキーラ・ベースのカクテルのスタンダードになるまで、すっかりお馴染みになったこのカクテル。
カクテルにとって重要な美しい色合い、そして飲みやすく美味しい味を兼ね備えている。
また明快なレシピとその手軽さ・・・、単純なレシピだからこそ奥が深くバーテンダーのこだわりが現れるカクテルでもあるんだ。
ローリング・ストーンズが最もノリに乗っていた頃のアルバム「Exile on Main St.」を聴きながら、極上のテキーラ・サンライズを味わう"時"は最高。
ドワイルドな朝日が現れるまでじっくりとネ☆
dowild.m
earth
2003年公開のドキュメンタリー映画「ディープ・ブルー」、そして「プラネットアース」を観たかな?
どうしてもこの手の作品って好きか興味が無いか分かれるところだけど、俺はナゼだか大好きなんだよね^ ^
制作7年、ロケ地200ヵ所、撮影フィルム7,000時間の壮大な海の物語「ディープ・ブルー」
そしてNHKとBBSが5年の歳月をかけて撮影・制作をし、極上の映像で描いた大型自然ドキュメンタリー「プラネットアース」
どちらも、BBCが培ってきた世界第一線の自然・動物カメラマンのクオリティと最先端の映像技術が融合した極上の映像で、地球の素顔が描かれているんだ。
人によっては「退屈で眠っちゃった・・・」なんて意見もあるけど(笑)、どちらもその映像に見入ってしまう俺って・・・?
そんなBBCのスタッフが結集し、更なる究極のノンフィクション作品がこの度登場した。
2008年1月12日より全国ロードショーの映画「アース」だ。
主演:46億歳、地球
神秘と美しさに溢れるこの星の、まだ目にしたことの無いダイナミックな光景、
これまでのカメラでとらえることの出来なかった、地球上で最も美しいものを目にするこれが最後のチャンスである。
こんなキャッチコピーを聞いたら思わずワクワクしてしまう☆
50万年前、巨大な隕石がまだ若かった地球に衝突した。
その衝撃は計り知れず、惑星そのものを23.5度も傾けてしまう。
しかし、その衝突事故は大惨事どころか、我々が知っている"生命の星・地球"の誕生に重大な役割を果たすことになった。
この傾斜がなければ、今のような驚くほど多様な地形、四季の移ろいもなかっただろう。
そして、生命が生息するための完璧な条件も揃わなかったのだ。
実に興味深い内容じゃないかな?
氷の地から熱帯の森、深海におよぶ壮大な旅路をホッキョクグマ、象、ザトウクジラの親子たちが案内するそうだ。
美しく鮮やかで、そして儚くもある生命の営み、地球の真実がこの作品に描かれているという。
「ディープ・ブルー」「プラネットアース」とどうしても比較してしまうが、前者が世界旅行だったらこの「アース」は地球旅行だそうだ。
もしかすると"今"のこの状態は地球にとっての転換期なのかもしれない・・・。
この映画を何十年後かに観た人に「昔はこんなにキレイだったんだな。」なんて思われたくないな。
ともあれ、俺らが住むドワイルドな地球の姿がリアルに描かれている「アース」、是非とも観なくては♪
dowild.m
John Severson
昨日とは打って変わって気持ちのイイ天気だったね♪
眩しい太陽の光を見るとモチベーションも上がるってもんだ^^
さて、ハワイのマウイ島に、波とサーフィンとワーゲンを描き続ける1人のアーティストがいる。
彼の名は「ジョン・セバーソン」
1933年、L.A生まれのセバーソンは、サーファーにとってバイブル的映画あの「ビッグ・ウエンズデー」の原作を作り、世界初のサーフィン雑誌の創刊編集長として「Surfer」誌を立ち上げた人物だ。
数多くのサーフ・ムービーを手掛けた彼だが、1960年、第3作目の「SURF FEVER」を上映するにあたり、映画の中の名場面とする数々の写真にイラストや説明を加えたプログラムを作成した。
自らのワーゲンに積み込んだソレを上映会に来たサーファーたちに販売し、見事に完売、大反響を得るコトとなる。
コレがサーフィン専門誌を創刊するきっかけにもなったワケだ。
もともとはカリフォルニアのロングビーチで生まれ育ったセバーソンだが、1956年に軍隊の配属でハワイへ滞在するコトに。
所属する陸軍のサーフィンチームに入り、見たコトもない究極の波を体験した。
サーファーとして感銘を受けただけではなく、ハワイの持つ雄大な自然に“アーティスト”としても多大な影響を受けたんだ。
一旦は故郷のカリフォルニアに戻り、サーフ・カルチャーの普及活動を続け、前述の映画や雑誌でサーフィン業界に一大ムーブメントを起こしたが、1971年にそれらの権利を全て後継者に譲り、家族と共にマウイ島へと移住した。
サーフィンを通して様々なジャンルで活躍してきた彼の現在は、更なるアートの追求のため毎日、自宅で波音を聞きながら絵筆を動かしている。
作品に必ず描かれているのは「波」
そして、波ほどではないが頻繁に登場するのが「ワーゲン」なんだ。
サーフシーンにもっともマッチするクルマだと考えるそのワケは単純明快♪
カリフォルニアでもハワイでもよく目にしたのもそうであろうが、成功を共にした、彼にとって一番身近なクルマだったからだろう。
波とサーフィン…
そしてサーフボードとワーゲン…
今も昔も最高の組み合わせじゃないか♪
サーフィンの捉え方に対してひとつの答えを導き出したのがジョン・セバーソンだった。
70歳を超えた彼は、今もドワイルドな現役サーファーだ。
dowild.s
American Ride on Tripper
ダメだ、こう天気悪くちゃテンションまで下がってしまう…
降りしきる冷たい雨が寒くするのは体なのか心なのか…
なんてドワイルド男はそんなんで滅入ってなんかられない(笑)
たとえばアメリカにはこんなヤツがいる。
旧いハーレーダビッドソンをほとんど自作に近いカタチで組み上げて作ったチョッパーに跨がり、走る以外、毎日、ほとんど何もしないという男が。
まず、彼は職業を持っていない。
かつては普通の仕事に就いていたコトもあるらしいが、現状は失業保険だとか社会保障やらから入ってくる僅かなお金と、ひと月に通算して1週間ほどもやるアルバイトなどの収入により、自分ひとりの生計は、完全に賄えているという。
浮浪者ではないんだ。
カリフォルニアの外れの、小さな町の、そのまた外れにある、家賃の見るからに安そうな古びた一軒家を借りて。
過去に結婚もしたが、離婚し彼は1人でソコに住んでいる。
苦心の作であるチョッパーが1台ガレージにあり、そこにはエンジンをバラして自分でメンテナンス出来る必要最小限のツールが揃う。
家の中には寝るためのベッド、食べるための冷蔵庫があるのみ。
そして、身につけているブーツが一足、ジーンズが一着、Tシャツが一枚…
コレが全てであり、そしてコレだけで40過ぎ独身の白人男性である彼の世界はパーフェクトなワケだ。
朝は決まって10時頃、目を覚ます。
のそのそっと起きてきて、おもむろにコーヒーを飲む。
着替えなどというコトはなく、わずかなありあわせのモノで食事を済ませ、やおらガレージへいき、チョッパーの各部を点検し、ゆっくりと跨がり、腰を高く上げ、全体重をひと息にかける。
キック一発でエンジンは唸りを上げる。
その様は、まるで年季を積んだカウボーイが馬に乗る時のようだ。
「ドコッドコッドコッ」
大地にへばりついた生き物のような排気音をたて、彼はチョッパーと共にどこへいくともなく走りはじめ、午後も遅くに帰ってくる。
そして夜も11時には眠ってしまう。
こんな生活がずっと続いているんだ。
どうだろう?
ここで重要なのは彼は決して現実逃避したんではないというコト。
核心だけ言うとたぶん彼はストーンされたハイな状態に、いたって日常的に、しかも1日24時間、常にあるワケだ。
いわゆる知性を信じ、カタチを持った物質をよりどころに、つまらない客観の世界にとどまっている人たちからみれば一種の奇人・変人でしかない。
しかし、彼の心はほぼ完全に開かれていて、意識はそっくりとりかえられており、区切られた時間も空間もないドワイルドな無限の中に存在しているんだ。
生き方って、人それぞれだと思う…
彼の精神が果たしてタフなのか、それともただの無神経なのか?
それでも世の中にゃそんなドワイルドなヤツもたしかにいる。
dowild.s
Eddie would go!
今日は久しぶりにハワイの話です^ ^
ハワイ・オアフ島のノースショアは、21世紀に入った今でも世界中のサーファーが巨大な波を求めて集う"聖なる地"なんだ。
その聖なる地の中でも、ひときわドワイルドな波が押し寄せる特別な場所、それがワイメア・ベイである。
普段は穏やかなベイだが、遠くアリューシャン列島から届いたグランド・スウェルが強烈にヒットした時のみ、行き場を失ったウネリが凶暴な形をした分厚いリップを炸裂させながら大きく割れる。
それが「The Day」だ。
1967年11月19日、40フィートを超える大波が「ドーン」という地鳴りと共に姿を現した。
ビッグ・ウェイブを求めて集結していた世界中のプロ・サーファーたちは、誰もゲッティングアウトできずに、ただひたすら海を見つめるしかなかったという。
しかしそんな中、波と一体化するようなライディングで見事にモンスター・ウェイブをメイクしたひとりの若者がいた。
それは後に何百人もの人命を救うことになる、伝説のサーフ・ヒーローの誕生の瞬間だった。
彼の名前は「エディ・アイカウ」、当時21歳。
その勇気と高い能力が認められ、エディはワイメア・ベイ初のライフガードとなり、海で助けを求める幾多の命を誰よりも早く飛び込んで助けたという。
また、地元のボーイズたちにサーフィンを教え、まだ若くて技術の高いサーファーにはビッグウェイブに乗るコツを教えた。
彼は技術だけでなく海のすごさ、恐ろしさを敬意と共に伝授していたんだ。
人命救助というライフガードの仕事は彼にとって当たり前のことであり、それを実行するために毎日身体を鍛え、ハワイのNo.1ライフガードとして誇りあるこの職業を全うしていたという。
ライフガードをしながらサーフィンにも積極的に取り組み、1977年には念願のデューク・カハナモク・インヴィテーショナル(The DUKE)を制覇、名実共にハワイを代表するサーファーとなった。
そんなエディに第2回ホクレア号の航海にクルーとして参加するという栄えあるオファーがきた。
太古の昔にタヒチからハワイまで、地図なしで星座だけをたよりにカヌーで航海して渡ってきたポリネシアンの先祖達に敬意を称して行われる「ホクレア号航海」
古文書の記録から伝統的なカヌーを再現し、ハワイの祖先の人々が航海してきた道のりをたどっていく航海だ。
しかし、ここで悲劇が起こってしまった。
1978年3月16日、マウイ島を出航したホクレア号は、わずか数時間後にモロカイ海峡で強烈な嵐に見舞われてしまい遭難。
転覆したカヌーから荒れ狂う夜の海に放り出された16人のクルーたちはカヌーの船底にしがみついていたが、救助が来る様子はまったくなく、絶望の淵に落とされたような不安の顔になっていた。
エディは誇りあるハワイアンとしてそんな悲しい顔を見ていられなく、仲間を勇気づけようと「僕が助けを呼んでくる!大丈夫!」と救助を要請しにサーフボードをパドルして行ってしまったのだ。
はるか遠くに見えるラナイ島のわずかな灯りを頼りに一人で。
それがエディの最後の姿だっだ。
カヌーは翌日、偶然通りかかった船に発見され救助されたが、ハワイ中の人々が必死にエディの姿を捜索したが見つからなかった。
そして一週間後に発見されたのは、サメの歯形がクッキリ残ったエディのサーフボード・・・。
彼の悲劇的な死後、ワイメア・ベイの「The Day」は最大限のリスペクトを込めて「The Eddie」と呼ばれるようになった。
また、その勇気と誇りを象徴しているのが「Eddie Would Go!(エディなら行くぜ!)」という合言葉。
大きな波に挑戦する"勇気"。
また、誰もが躊躇するような荒れた海でも、助けを呼ぶ声が聞こえたらためらいもせずに海に飛び込んでいく"勇気"をエディは持っていた。
その"勇気"こそが本当のアロハ・スピリットであり、「Eddie Would Go!」という崇高なメッセージなんだ。
もちろん俺たちの合言葉は「dowild would go!」なんだけどね(笑)
dowild.m
MAG-LITE
今や日常の生活において完全な暗闇はほとんど経験をしないだろう。
普段は当たり前のものとして意識することのないが、アウトドアでの活動や災害などの緊急事態では一転して必要不可欠の存在となる"光"。
そんな時に懐中電灯は必需品だが、その中でも多くの人々から高く評価されているのがマグライトである。
マグライトは1955年に設立されたマグ・インスツルメント社の製品だが、その最初のモデルが発売されたのは1979年と比較的新しい。
創始者のアンソニー・マグリカ氏が当時の懐中電灯に疑問を感じた事で生み出されたんだ。
「厳しい状況下で人間が最も必要とするものは光」というコンセプトで開発されたマグライト。
長年にわたる機械加工パーツの製造によって培われた世界最高水準の技術力と、妥協を許さない熟練職人たちの丹念な製品作りによって誕生した。
マグライトには航空機に使用される頑丈なアルミ合金の削り出しに耐腐食特殊コーティングを施した素材を採用し、単なる懐中電灯とは一線を画すタフなボディになっている。
また、ヘッド部をひねるだけで調整できる「ビーム調整」やヘッド部分をテールキャップに取り付けることで周囲を照らす「キャンドルモード」、テールキャップにスペアランプを収納するなど機能的にも充実。
雨や雪、泥、砂塵など、どんなハードな環境でもガンガン使え、回りを明るく照らし出すそのクォリティは信頼されるハンディライトの代名詞になっている。
実際に耐衝撃機能や実用性が非常に高く、アメリカ各地の警察が採用しているのは有名な話だ。
夜間の警備などではボディ先の点灯部(ヘッド)を握り、尾部を肩に乗せて行動する。
これは、ライトが体に固定されているので常に自分の向いている方を照らす事ができ、また暴漢に遭遇した場合まず光で眩惑、即殴打出来るようにするためだ。
このためアメリカの警察では、最低でも単二電池3本を使用するモデルを携行する事を警察官に義務付けている。
(さしずめ暗闇での警棒なんだろうね。)
また、この持ち方は頭と肩に挟むことで両手を自由にすることもできるのだ。
夜間パトロール中に緊急事態が発生し・・・、なんて映画のシーンによく登場するアイテムだよね☆
軍の兵士にも多数の愛用者がいる。
大きくて扱いにくい軍正規の懐中電灯よりも、小型で扱いやすいマグライトの方が好まれるそうだ。
また海軍のダイバーが深度240mの海底にマグライトを1時間置き忘れたが、回収後は何の問題もなく機能したというエピソードもある。
このような堅牢さと信頼性の高さがプロから一般にも伝わり、マグライトはそのシェアを拡大していった。
日常生活の些細なことでももちろん、旅行でもドライブ・ツーリング時においても何かと重宝するマグライト。
俺はいつも携帯しているんだ、ドワイルドな緊急事態に備えて・・・(笑)
dowild.m
Jessee Woodson James
アメリカ西部開拓史上、最も有名なアウトローと云えばビリー・ザ・キッドかジェシー・ジェームズであろう。
いずれも実在した極悪非道の悪党で、ヒーロー神話として偶像化してるコトにはいささか疑念を覚えるが。
後者のジェシー・ジェームズの生涯を描いた映画が今週末ロードショーされる。
「ジェシー・ジェームズの暗殺」
主演はブラッド・ピッドだ。
1847年、ミズーリ州カーニーに牧師の子として生まれたジェシー。
生まれ育ったミズーリ州は、1861年に始まった南北戦争の激戦地となり、4歳年上の兄フランクとともに若干16歳の彼も南軍のゲリラ隊として参加。
やがて南北戦争は1865年に南軍の敗北により終結した。
南側の正規軍は一応の礼節をもって遇されたが、ゲリラは単なる犯罪者という扱いを受けたため、ジェシーとフランクそして一緒にゲリラ隊に参加してた従兄弟のヤンガー兄弟とともにそのまま地下に潜伏し、本物の!?犯罪者への道へと突き進むコトとなったワケだ。
'66年、ジェシーは、兄そしてヤンガー兄弟らとミズーリ州にある銀行を襲撃した。
これが合衆国史上初の平時の銀行強盗といわれる。
客を装い、1人が窓口で両替を頼み、行員が出てきたところで銃を突き付けるという映画でよく見るアレだ。
さらに'69年、やはり同じミズーリ州での銀行強盗、この時に無抵抗の行員1名が射殺されたが、被害者は元北軍兵士で、この少し後に起こした駅馬車強盗では元南軍兵士から何も盗らなかったコトからジェシー一味は南部人の共感を得たなんてエピソードもある。
'73年にはアメリカで最初の列車強盗も敢行。
この時「ご婦人と労働者からは盗らず、金持ちの紳士からのみ奪う」の名台詞を吐いたとも言われている。
たぶん伝説であろうが、敗戦の南部大衆は、北部資本に挑戦するジェシーの強盗団に「失われた南部の大義」を見たのだろう。
そして'82年、ミズーリ州政府がジェシーに懸けた10,000ドルを狙った、のちに強盗団に加えたボブ兄弟に射殺された。
強盗生活16年、銀行強盗11回、列車強盗7回、奪った金の総額は20万ドル、殺した人間は少なくとも16人。
敬虔なキリスト教徒で甘いマスクの美男子、そしてフロンティアの郷愁を漂わせる名前…ジェシー・ジェームズ
1世紀たった今でも世界一有名な強盗としてその名を轟かせている。
そして無法者の重罪人にもかかわらず、その悲劇的最後は人々の同情を集め、強者に立ち向かうロビン・フッドのイメージに重ね合わせる者もおり、ジェシーはドワイルドに伝説化した。
dowild.s
Little Children

傍からみたら立派な大人なのに、心の底にコレは本当の自分の姿ではないという気持ちを抱えたり、社会常識から逸脱した子供じみた行動をついとってしまったりした経験、ドワイルドな諸君もおありじゃなかろうか?
私的意見だが、恐らく世間の大半の人がそうなのでは?
俺自身、子供の頃感じた30代40代の大人は、そりゃあもうすっごいオジサン、オバサンで(笑)
しかし、いざ自分がその年に到達しても実は精神的な成長がほとんどないコトに気付いたりする^^;
不思議と今の自分は“本当の自分ではない”という気持ちはいくつになっても収まらないものだ。
そんな思いも胸に秘めながら何気ない日常に潜む虚無と退廃、じわじわと忍び寄る孤独と不安を感じたりしたなんてコトありますか?
人間の嫌な部分、欠点をえぐり出すコトで、今の自分に“大切な何か”を気付かせてくれたというか、見終わったあとにスッキリするようなモノではなかったが、見て良かったと感じさせてくれたそんな映画を昨夜観た。
「リトル・チルドレン」
まさに未熟な大人たちへの共感と哀れみを描いた作品だ。
―ボストン郊外の住宅街の公園。
幼い子供と主婦のグループの群れに、子育てのために大学院卒のキャリアを辞めたサラ(ケイト・ウィンスレット)もいた。
公園デビューしても地元の主婦たちと話が合わない。
そこへ“プロム・キング”と主婦たちが噂する、子供を遊ばせに連れてきた“主夫”ブラッド(パトリック・ウィルソン)がやってきた。
司法浪人中のブラッドは、TV局勤務の妻キャシー(ジェニファー・コネリー)に養ってもらってるが、失敗続きで勉強にも身が入らない。
妻に、夫に、互いに物足りなさを感じた2人が、新しい相手を求めて不倫へと走っていく…
傍から見ればどちらも、家も持ち子供もいて幸せな生活を満喫しているように見えるんだけどね^^;
悲しいかな、100%満足な生活などそうそう存在しないワケだ。
サラは3歳の娘ルーシーが言うコトを聞かなくてウンザリ、さらには夫のリチャードが自分よりもネットのエロサイトに夢中になっている。
ブラッドも完璧すぎる妻を持つがゆえに、その存在が煩わしくなってしまう。
そんな不満が2人を不倫に追いやったんだが、それを文学作品になぞらえて正当化するとこなんかまるで子供なワケだ^^
割愛するが、ロニー(ジャッキー・アール・ヘイリー)が元性犯罪者という重要な役柄で登場している。
最後の心の叫びには心を締め付けられた。
そして母の残した手紙に書かれた「Please be a good boy」には恥ずかしながら涙が溢れてしまった(*^_^*)
欲望のまま不倫に走ったり、性犯罪者を蔑視したり、追い詰めたりと、未熟な大人たちが繰り広げる現代人の欝屈した内面。
判然としない漠とした時代の空気の中で見えてくるのは幸せなのか?不幸せなのか?
悪戦苦闘する“リトル・チルドレン”たちは、過去にとらわれず、未来をどう生きるか迷走し、ラストでそれぞれ今に折り合いをつけようとするのだが…
子供のまま成長が止まってしまった!?頼りなくも同情すべき大人たちのドワイルドな心象風景をそこに見た。
いくつになっても大人になりきれない男…まったくもってこの俺こそそうだったよ(笑)
dowild.s
GRAND CANYON
ここ日本を象徴的する風景と言えば"富士山"を真っ先に思い浮かべてしまう。
では、アメリカを象徴する風景とは?
それは"グランド・キャニオン"じゃないかな。
そこには想像を遥かに超えるドワイルドで広大なスケール、美しく雄大な景色、そして大自然の驚異が存在している。
その渓谷の深さや岩壁の地層が生み出す絶景の美こそ、アメリカの母なる大地の姿なのだろう^ ^
渓谷や地層、鍾乳洞など、ここ日本でも自然の作り上げた美しい神秘を目の当たりにできるが、グランド・キャニオンはまずスケールが違う。
グランド・キャニオンは平均深度1,200m、最大幅29kmもの巨大な渓谷が長さ446kmにも渡る広大さ。
観光の中心となっている南側のサウスリムで標高2,000mの高地、北側のノースリムでは標高2,500mにも及ぶ。
そのリムと呼ばれる崖の上から谷底を流れるコロラド川へと、最大1,600m以上も切れ込んでいるそうだ。
また時間の経過と共に太陽の向きにより様々な表情を見せている。
そんなグランド・キャニオンは、途方もない長い月日と想像を超える自然の力によって作り上げられた芸術なんだ。
今から7,000万年前!に、この一帯を含む広い地域で起こった地殻運動"構造プレートの大衝突"により地表が隆起したことに始まると言われている。
まだこの辺りが海であった大昔、海底で静かに積もっていった火山灰などの堆積物が地層として表れているんだ。
その後、この地域が海から陸の時代に変化をし、その陸の大地が幾本もの川が流れるようになった。
それが今のコロラド川である。
約4,000万年前から雨水を集め、流れ出るコロラド川により大地の侵食が始まった。
今の様な渓谷になったのは200万年と言われ、今もなお侵食は続いており形が変化しているそうだ。
この地域には1万年前には人類がいたとされ、ネイティブ・アメリカンは4,000年前には生活していたとされている。
1540年にスペイン人がグランド・キャニオンに初めて訪れた外国人だった。
(当時この地域はスペイン領)
スペインの軍人ガルシア・ロペス・デ・カルデナスはゴールドを求めてこの地を探索した。
しかし先住のインディアン・ホピ族がここには金は出ない事を教えたために、彼らは去りこの地は忘れ去られていった。
もしも、この地で金が発掘されたなら・・・、今の姿は保たれていなかったんだろうな。
地球の歴史を秘めている価値と共に、その雄大な景観からアメリカ初期の国立公園であり、1979年には世界遺産に登録された。
まだ実際に訪れたことはないが、TVで紹介されていたグランド・キャニオンの姿はまさにドワイルドだった(笑)
いつかはこの目で見たいんだ・・・。
グランド・キャニオンは単なる渓谷を超越した存在。
色とりどりに重なる沈殿物の結晶、不思議な形に孤立する崖が造形した大自然の奇跡じゃないかな?
dowild.m
Hanes
この寒い冬にTシャツの話も何だけど(笑)、特に男性にとってはアンダーウェアとしても1年中活躍してくれるTシャツは必需品だよね?
温かい格好の基本は肌着類・・・、直接肌を保護するインナーの役割は重要であり、かつ柔らかな肌触りでないと不快になってしまう。
最近では冬用防寒肌着なんていうのも多数リリースされているが、やっぱり日常でいつも着るのは白のシンプルなTシャツなんだ。
特に物心が付いた頃から愛用し続けていたのは王道のヘインズ、3Pパックのやっぱり綿100%の赤の方^ ^
繰り返し洗っても型崩れのしにくいポリエステル混の青ラベルも捨てがたいが、ついつい肌触りの良い赤ラベルを手にとってしまう。
その独特のクタり感も大好きだ☆
今までいったい何枚着てきたことだろう?
ビニールのパックを空けて三枚重なって畳んであるピュアなTシャツを広げるときは、いつもワクワクしてしまう(笑)
ヘインズの3PパックのTシャツや下着類は、今やアメリカを始め世界中にすっかり浸透し、不動の地位を確立している。
ここ日本でも衣料店やスーパー、ディスカウントストアなどの店で必ずといっていいほど販売され、良心的な価格で気軽に"まとめ買い"が出来るのは嬉しい事だ。
ヘインズは世界最大の衣料品メーカー・庶民の生活に根ざしたブランドなんだよね。
ヘインズ発祥の地は、かつてタバコとコットンの栽培で栄えたアメリカ南部のノースカロライナ州。
1872年に創始者プレザント・ヘンダーソン・ヘインズが弟のジョン・ウェズリーと共に噛みタバコの製造工場「P・H・ヘインズ社」、ここから今のヘインズ社が生まれた。
その後タバコ工場を改造し、メンズのニットシャツとアンダーウェアを作る会社「P・H・ヘインズニッティング社」を1901年に設立。
1913年には画期的なワンピース・タイプのアンダーウェア「ユニオン・スーツ」を、そして1920年には現在のブリーフの原型となるニット素材の紳士用ブリーフ「スポーツ」を開発した。
これらがブランドの成功を語るに重要な製品となったんだ。
今もお馴染みの赤ラベルのヘインズのロゴ・マークが生まれたのは1924年のこと。
「選ぶならヘインズ」等、全米での広告展開がしきりに行なわれ、「ヘインズ」の名は世の中に浸透していった。
1947年に現在でも継承されているヘインズの代表アイテム「3P・Tシャツ」が発売。
時の流れと共にTシャツはアンダーウェアからアウターへと変化していったこの時代。
1950年代になりマーロン・ブランドやジェームス・ディーンといった俳優がTシャツにジーンズ姿で登場し、Tシャツが肌着という枠を超えアウターとして認知されるようになっていったんだ。
白の無地Tシャツにジーンズ、もちろんパンツ・イン(笑)
また、1970年代にはヒッピー文化の象徴であったプリントTシャツのボディーとして、肉厚で丈夫な"BEEFY-T"が誕生。
古着のTシャツのボディでよく使われているよね^ ^
1994年にはアメリカ・ワールドカップの、そして1996年のアトランタ・オリンピックでのオフィシャル・Tシャツに抜擢、当時のイメージキャラクターだったマイケル・ジョーダンも記憶に新しいところ。
ところで数年前から首もとに付いているタグが無くなり、ロゴがプリントされる"タグレスTシャツ"に変化した。
これにより不快だった首筋の違和感を解消、より快適な着心地を味わえるようになったんだ♪
毎日着るものだからこその着心地や肌触り、品質、スタイル、価格など、様々な条件を満たす製品作りを100年以上に渡り取り組んでいるヘインズは、アメリカのライフスタイルと共に歩み続け、身近で親しみやすいブランドとして世界中に愛されている。
日常生活にドワイルドな"All-American Comfort"を提供してくれるんだ♪
dowild.m






























