WILD HOGS
恋も夢も冒険も、いい歳して何ひとつ諦めきれない大人たちにそれはエールでも贈るような“悪あがき”青春ムービー。
邦題「団塊ボーイズ」が、2月9日よりロードショーされる♪
しかしこの日本語タイトル、もう少しなんとかならなかったものか…
とりわけ悲惨な人生を歩んでいるワケではないが、かなり煮詰まった日々にストレスを感じている、どこにでもいそうな中年男4人組が主人公だ。
ある日、彼らのストレスは忍耐の限度を超え、衝動的に人生をリセットしようとハーレーダビッドソンに乗り、アメリカ大陸横断3200kmの旅へと出る。
自由の風に意気揚々…とはいかず、“中年イージーライダー”を待ってた現実は厳しいモノ。
ハートだけは“ドワイルドにいこうぜ”と雄叫びを上げるが、肉体はすぐ“コワイルドにいこう”みたいな(笑)
それでも彼らは前に進み続ける…
「俺たちはまだ終わっちゃいないぜ」
そのたった1つのコトを証明するために…
“不感”を過ぎてもとことん惑い、青春を捨てきれない少年のような大人たち―団塊ボーイズ。
妻に逃げられ、自己破産までした人生ドン詰まりの実業家ウディ役に、ご存知“ジョン・トラボルタ”
メタボリック症候群に怯える歯科医ダグ役に、コメディ映画界の名優“ティム・アレン”
妻におびえ、娘にバカにされる自称小説家の配管工ボビー役に、コメディからアクションまで幅広い演技で活躍する“マーティン・ローレンス”
運命の恋を夢見るロマンチスト野郎のパソコンおたくダドリー役に、数多くの作品で名脇役として強い存在感を放つ個性派俳優“ウィリアム・H・メイシー”が演じる。
さらに、今もなお語り継がれるロード・ムービーの金字塔「イージー・ライダー」の“ピーター・フォンダ”が、思わずニヤリとさせられる役でカメオ出演するという♪
“少年のような大人たち”に贈る!!
人生は一度きり。
泣いて、笑って、ジタバタしようぜ☆
心のサビを落として、アクセル全開のエキサイティングな珍道中に笑い、爽快なカッコよさに胸を熱くし…ブレーキばかりの人生に別れを告げ、ドワイルドな大冒険に旅立ちたいものだ。
公開が今一番、待ち遠しい映画なんだよ☆
dowild.s
Brokeback Mountain
突然の訃報が入ったね。
2005年の映画「ブロークバック・マウンテン」で、アカデミー主演男優賞にノミネートされたハリウッドスター“ヒース・レンジャー”が22日、ニューヨークの自宅で亡くなった。
享年28歳。
事件性はなく、死因は薬物過剰摂取によるものと伝えられている。
2001年の「ROCK YOU」でブレイクし、「ブロークバック・マウンテン」でのオスカーノミネートで演技力にも太鼓判が押され、次代を担うスーパースター候補として今後の活躍がますます期待された俳優だったのに…
「ブロークバック・マウンテン」は昨年、DVDで観たんだが…
美しいワイオミング州の山々を舞台に、二人のカウボーイが羊を放牧している場面から始まる。
ドワイルドで牧歌的な風景に奏でられるのは、なんと男同士の愛の物語なんだ。
同性愛を描きながら、これほどまでに万人を感動させる映画はかつてなかったんじゃないか?
ストーリーは1963年に始まり、その後約20年間にわたる、はかなくも切ない愛の苦悩を綴っている。
何より演技が素晴らしかった。
イニスという役を演じるヒース・レンジャーは、素顔の本人とは別の、絞り出すような低音の声で男くささを前面に出しつつ、内に燃えたぎる愛を表現していた。
誰かを愛し、その愛を長い間、心に育んだ経験がおありの諸君なら、この作品の愛に間違いなく打ちのめされたはずだ。
人生にはいろんな岐路に立たされる場面が幾度となくやってくる…
(記事には関係ないが、まさに今の俺がそう)
映画の中では、自分が本当に行きたい路をわかっていながら、その路を手に入れるコトが出来なかった無念も伝わってきた。
“背信の山”ブロークバック・マウンテンが結びつけた…目には見えない絆が永遠となった、静かであまりにも切ないドワイルドなラストシーンは今も目に焼き付いている…
ヒース・レンジャーのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
dowild.s
RMS Titanic
昨日「雪が降らないな~」と書いたら、今朝から見事に雪が降っていた関東地方。
さすがに寒いけど、大粒のボタ雪が舞う朝の風景はやっぱり綺麗だった☆
さてさて、既に10年以上も経ってしまったが(時が経つのは早いね~!)、映画「タイタニック」はとても印象に残っている作品なんだ♪
それまで主に「ターミネーター」など、SFアクション物を手掛けていたジェームス・キャメロン監督が、歴史的事故を題材にしたラブ・ストーリーに挑んだスペクタクル超大作。
原寸大に再現されたタイタニック号をはじめ、総制作費2億ドルをという巨費を投じた実にゴージャスでリアリティのある雰囲気が最高だった。
まだ若きレオナルド・ディカプリオが好演し、全世界興行収入は18億3500万ドル!映画史上最高の興行収入を記録し、この年のアカデミー賞でも11部門を総なめしたドワイルドな映画作品だ。
当時、公開してすぐに映画館に足を運び、涙しながら観たのを覚えているよ(汗)
そのタイタニック号は、ご存知のように20世紀初頭に実在した豪華客船なんだ。
イギリスのホワイトスターライン社が北大西洋航路用に計画した3隻の旅客船のうちの2番船であった。
というのも、それ以前にタイタニック号と同じ装備である旅客船オリンピック号の存在があり、交代に大西洋を航海させる為にタイタニック号が造船された。
当時はこのオリンピック号こそが大型客船の代表であり、タイタニック号の影に隠れた存在だったんだ。
ホワイトスターライン社はゆったりと快適な船旅を過ごせる為に、整備の豪華さと安全対策に重点を置いて設計した。
船底に16区画に分けられた防水区画が設けられ、そのうちの2区画のに浸水しても沈まない構造だった。
そのため、当時タイタニック号は「不沈船」として認められていたのは映画の通り。
1912年4月10日、イギリスのサウサンプトン港から乗員乗客合わせて2,200人を乗せて処女航海に出航したタイタニック号は、フランスのシェルブールとアイルランドのクイーンズタウンに寄航し、アメリカのニューヨークに向かった。
4月14日23時40分、北大西洋のニューファンドランド沖に達したとき、見張りが前方450mに高さ20m弱の氷山を肉眼で発見。
タイタニック号は回避行動をとったが衝突までには40秒とかからなかった。
船首部分は回避したが、右側面をかすめるように氷山に衝突したため、90mにわたる細長く生じた損傷で船体の1部に開いた裂け目から浸水。
防水隔壁の限界を超える船首の5区画に浸水、隔壁を乗り越えて次々と海水が防水区画から溢れ拡大していった。
船首よりゆっくりと沈没をはじめたタイタニック号は、衝突から2時間40分後に轟音と共に船体が2つに大きく割れ、海底に沈んだ。
当時の規定では定員分の救命ボートを備える必要が無く(規定では978人分)、またデッキが見苦しくなるという理由で1178人分・20隻の救命ボートしか用意されていなかった。
中には定員の半数も満たさないまま船から離れたボートもあった。
(この辺は映画でも詳しく描かれていたよね。)
またタイタニック号は遭難信号を発信し付近の船舶に救助を求めたが、わずか20kmほどの距離に停泊中の貨物船カリフォルニアン号は1人しかいない通信士が就寝中で連絡が伝わらなかった。
そして、90km離れたところにいた客船カルバチア号が応答し全速で救助に向かったが、船足の遅いカルバチア号が現場に到着したのは沈没後1時間以上も後になってから・・・。
乗員乗客合わせて2,200人のうち、1,513人が犠牲となった"世界最悪の海難事故"となった。
不運の積み重ねによって沈没した、悲劇のタイタニック号。
今もなお3,560mの海底において、ドワイルドなメモリーと共に静かに眠っているんだ。
dowild.m
ESKIMO
昨日の関東地方に雪が降る、という天気予報にワクワクしてしまい(笑)朝も早起きして窓から外を見ると・・・
雪降ってないじゃん・・・。
ちょっと残念。
去年もそうだったけど、今年もなかなか雪が降らないね~。
今シーズンまだ見ぬ雪を求めて今週にでも時間があったら、ちょっと北方面に雪景色でも見に行ってこようかな?
さて、今や切実な問題になっている地球温暖化現象。
北極に近いアメリカ最南端のアラスカ州では氷の張りが緩み、ベテランのエスキモーたちでも氷が割れ海中に転落、死亡する事故が増えているそうだ。
永久凍土のツンドラ地帯で生活するエスキモーにとって、彼らにとっての"大地"が次第に溶けていく現実は大きな脅威であろう。
そのエスキモーは北極圏のシベリア極東部やアラスカ・カナダ北部、グリーンランドに至るまでのツンドラ地方で生活する先住民族の事を指す。
ちなみに"エスキモー"の語源は、東カナダに住むクリー族の「生肉を食べる奴」という蔑称からと言われているんだ。
カナダでは"エスキモー"は差別用語とされ、「人々」を意味する彼らの言葉「イヌイット」を使用しなければ失礼にあたるそうだ。
(カナダ以外の地域では「エスキモー」と呼ぶことに何も問題はないそうだが。)
彼らの総人口は約9万人で、そのうちグリーンランド人が約41,000人、アラスカ32,000人、カナダ12,000人、シベリア1,200人。
なお、エスキモーは単一民族を指すのではなく、大きくはアラスカ北東部に住むイヌイット系とアラスカ中西部のユピク系に分かれるんだ。
1年の大半を雪と氷で閉ざされた彼らの住むツンドラ地帯、1日中太陽が昇らないシーズンがあれば1日中太陽が沈まないシーズンもある。
だから"朝"とか"1日"という概念が彼らにはない。
このような厳しい気候条件のもとで、彼らは数千年前から狩猟生活を行ない生活を続けてきた。
陸上で野生のトナカイを捕らえ、海ではアザラシやセイウチ、イルカ、鯨などを捕獲する。
その捕えた食料は生のまま食料置き場に保管し、それを彼らは共有・分配を基礎とするパートナー制度によって分かち合った。
また、トナカイの放牧も彼らの大切な仕事。
雪や氷で造ったイグルー(英語でSnowhouseと呼ばれる、日本でのかまくら)に居住し、犬ぞりやカヤックによる移動生活を送る。
フード付きの防寒ジャケットの事をアノラックやパーカーと呼ぶが、これもエスキモーが起源なんだ。
アザラシやカリブー(野生トナカイ)の革をナイフでこそげとった後、歯で丹念に噛んで柔らかくするという独特のなめしの工程を経て機能性を高める。
その革素材をアザラシの腸をテニスラケットのガットの要領で糸に用い、獣骨製の針で縫って仕立てられる。
植物がほとんど生息しない極地だからこそ、全てが動物由来の素材で作られているんだ。
衣食住に関する生活技術で非凡な才能を発揮したエスキモー。
現代においては原始的で野蛮な暮らしなのかもしれない。
しかし、彼らがドワイルドな極限の地で生き延びる為の、必然的な生活手段なんだよね。
dowild.m
Tasters Choice
今日はシンガポールから帰ってきてる妹分が愛娘連れて家に遊びに来てるので♪昼間っから酒盛りし、現在まだいい感じに進行中のdowild.sです^^;
はてさていったいどれだけのビールが消費されるコトやら…(俺に負けず劣らず飲むんだコレがまた・汗)
ハーフの可愛いい愛娘(3歳)はうちのジミー(愛猫)と戯れ遊んでます♪
ブログ内容は午前中に仕込んでおきました^^
ちょうど3年前のカリフォルニア州グレンデール…
食品大手ネスレUSAの人気インスタントコーヒーのラベルに、顔写真を無断で使われたとして訴えを起こしていた元モデルのラッセル・クリストフという男性が、損害賠償金1560万ドル(約16億円)を勝ち取ったニュースがあった。
1986年に彼はネスレ社の依頼で写真のモデルとなったが、撮った写真が使われるという連絡が特になかったため、自分の写真は没になったんだと思っていた。
しかし時は経ち2002年になって、スーパーでの買い物中、ネスレ社の販売するインスタントコーヒーのラベルに自分の写真が使われているコトに気が付いたんだよ。
ネスレ・カナダが1986年から、ネスレUSAは'97年から'03年にかけて、アメリカ、メキシコ、韓国、日本、イスラエルとクウェートで、無断で彼の顔写真入りラベルのついたインスタントコーヒーを販売してたワケだ。
1967年の発売以来、全米ではフリーズドライ部門でシェアを独占しているインスタントコーヒー。
40年が過ぎた現在も全米No.1の人気を誇るネスレ社が展開しているその人気商品、それが「テイスターズチョイス」だ。
男前の顔がプリントされたラベルを記憶にご存知の諸君も多いのでは?
インスタントコーヒーの代名詞とも言えるNescafe(ネスカフェ)とは、NestleとCafeの造語であり、ネスレが製造し、世界的に販売されてる有名なコーヒーだ。
「世界中どこでも、ネスカフェ」のキャッチコピーの示す通り、日本に根を下ろしただけじゃなく、世界的共通言語的なブランドというアピールを展開し続けてきた。
後にオリジナルのネスカフェを“ネスカフェ・エクセラ”と改名、「NESCAFE」ロゴが基本的特徴だ。
発売以来、“通の選ぶブランド”のイメージを固めてきた同社は、数多くの名キャッチコピーを生んできた。
「違いのわかる男の、ゴールドブレンド」
「上質を知る人の~」
「違いを楽しむ人の、ネスカフェ・ゴールドブレンド」とかね♪
個人的には、ネスカフェ・エクセラの“メグ・ライアン”のCMなんか良かったなぁ^^
スペースシャトル・コロンビア号の船内飲料としても採用され、それほどアメリカ人には馴染み深いインスタントコーヒーでもある。
しかしながら、「自分の写真が人気商品のパッケージに使われているコトになぜ長年気が付かなかったのか?」と質問されたクリストフ氏…
「コーヒーは豆で買うから」と答えた、なんともアメリカンな♪あっぱれドワイルドな話でもあった(笑)
dowild.s
BOSS HOSS
陽も落ちて冷え込んできたね。
今夜あたりから関東地方も雪の予報。
皆さん風邪引かないように気を付けて下さいね^^
近頃はバイク乗りにバイク好きと、バイクに興味をお持ちの諸君も多くご覧になっていただいてるドワイルドブログ♪
アメリカを代表するバイクといえば“ハーレーダビッドソン”で異存はないよね?
その勇ましいパワーにしろ、圧倒的な存在感にしても、ハーレーは長らく他の追随を許さずモーターサイクル界の頂点に君臨し続けている。
ことアメリカにおいては特にその至上主義的な色合いは凄まじいほど濃い。
かつてその揺るぎない地位を誇るキングに挑戦を叩きつけたドワイルドなヤツがいた^^
実際に乗ってる諸君から言わせるとソレはある意味、邪道なのかもしれない。
けど、創造は人それぞれだし、なんたってソコは自由の国アメリカだ♪
『ハーレーを超越するため、V8エンジンを組み込んだバイクを創り出すコトは出来ないか?』
とある青年のそんな発想のもと誕生したのが「Boss Hoss Cycles」なんだよ。
彼が街のバイク屋にそのアイデアを切り出すとすぐさま嘲笑いされたという。
エンジンがかかり、クランクが回った瞬間に横への反動でぶっ倒れてしまうに決まってるだろうと…
しかし彼はそのオリジナリティ溢れるアイデアを胸の中で温め続けた。
農薬散布の会社を興し、モーターレース場の経営にも参加し、資金を蓄えやがて長年の夢の実現へと動き出したんだ。
1991年3月、デイトナバイクウィーク“BOSS HOSS”のプロトタイプ「BOSS HOG」が発表されたコトでその歴史は幕を開けた。
当初、名前は“ボス ホグ”だったが、先に述べたような「絶対至上主義」のハーレーの団体から猛反発にあい、現在の“ボス ホス”になった経緯がある(H.O.GとはHarley Owners Groupの略)
最大8200cc級のシボレー製V8エンジンを搭載したモンスターマシンは、とにかくデカイ♪
日本にも“ワルキューレ”というバイクがあるが、迫力はケタ違いだ。
その巨大さを拝んだコトのある人の中には「だったらクルマに乗ればいいんじゃない?」なんて思う者もいるだろう^^;
けど、理屈じゃないんだな(笑)
いくつになってもそんな“大人のおもちゃ”を、どうしようもなく求めてしまうのが男なんだよね(*^_^*)
このボス ホスには基本的に年式は存在しない。
なぜならキットカーとして販売され、オーナーの好みでエンジンから外装、外観まてカスタムされ販売されるからだ♪
映画「アメリカン・グラフィティ」に出てきたホットロッド“デュース風”に、あるいは旧きよき時代の“ピックアップトラック風”にカスタムしたトライクなんてのもボス ホスならではの醍醐味^^
アメ車のハイパフォーマンス・エンジンを搭載し、ハーレーを追い抜くために生まれた究極の怪物バイク…
男の人生を豊かに彩る小道具として(笑)いつかは走らせてみたい、ニヤけてしまうほどにタフ&ドワイルドなバイクなんだ☆
dowild.s
Phill Spector
ポピュラー音楽界において「ウォール・オブ・サウンド(音の壁)」と呼ばれる音作りの手法を築き上げ、成功し完成させた一人の男がいる。
彼の名は「フィル・スペクター」
「Be My Baby」のヒット曲でお馴染みのロネッツ、クリスタルズ、ライチャス・ブラザーズなどオールディーズで馴染み深いグループをはじめ、ティナ・ターナー、ラモーンズ、そしてビートルズをプロデュースした事でも知られている。
フィル・スペクターは、当時アレンジャー兼アーティストとされた音楽プロデューサーの役割を、最終編集権を持つディレクターのような地位にまで高めたと言える。
「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれたサウンド、
例えばギターを何重にも重ねて音に厚みを増したり、ピアノを高音と低音に分けて演奏したり、パーカッションに特色を持たせて深みを出したり・・・
現在のデジタル多重録音ではあたり前のオーバーダビングを30年前のアナログ・モノラルの時代に気の遠くなるような手作業で作りだしたんだ。
技術や手法の乏しかった時代での"音の壁"、当時としては非常に斬新なものであった。
当時はまだ録音技術が発展途上だったゆえ、この手法での録音作業は完成までかなりの時間と労力を要したが、彼は偏執的なまでに理想とするサウンド作りにこだわっていた。
そんなフィル・スペクターは1940年にニューヨークで生まれる。
9歳の頃にL.A.に移住し、音楽関係者の輩出で知られているフェア・ファックス高校に入学。
(ちなみにこの高校からはガンズのスラッシュ、レニー・クラヴィッツ、レッチリのアンソニー・キーディスとマイケル・バルザリーも卒業している!)
高校時代にバンド活動を始め、それに並行してテープ・レコーダーを用いたオーバーダビングの手法を研究し始めた。
そして、その手法を試すべく結成したのが"テディ・ベアーズ"だった。
1958年にデビュー・シングルのB面に収録された「To know him is to love him(会ったとたんに一目惚れ)」が全米1位の大ヒット。
これは彼が16歳の時に書いたというセンチメンタルな曲、いい歌だよね♪
この成功に自信を持ったスペクターはバンドでの演奏ではなく、自分で作り出したサウンドを再現するプロデューサーとしての役割りに目標を見出すようになっていった。
デディ・ベアーズを解散させたスペクターは有名な音楽プロモーターのレスター・シルにつき、そのノウハウを学び始めた。
1963年にロネッツの「Be My Baby」をプロデュースするんだけど、このレコーディングには4時間のリハーサルが行なわれ、スペクターは42回の取り直しを要求したという。
その演奏を何回もオーバーダビングし、ややこもり気味なエコーがかかった独特のスペクター・サウンドが創られた。
さらに、スペクターはロネッツの歌い手であるロニー・ベネットの歌声に魅了され、最初の妻アネットと離婚しロニーと再婚したのも有名な話。
その後、1964年にイギリスに渡ったスペクターはビートルズと親交を深めていった。
ビートルズのメンバーがTV番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演の為、初めてアメリカに渡るときには不安な気持ちからスペクターに一緒にニューヨークに行くように頼んだという。
彼の生みだした手法は、多くのフォロワーを生みながら60年代半ばにはほぼ完成の域に達したと言える。
しかし、ちょうどその頃からポピュラー音楽の世界はバンド・サウンドを基本とするロックの時代の到来により大きく変わり始めた。
それはコンサートで生み出される生の音を重視する流れでもあり、そのおかげでスペクターの存在はしだいに過去のものになっていった。
ところがビートルズがライブ活動を止め、スタジオ・ワークに徹するようになって再び脚光を浴びるようになる。
ビートルズの1967年のアルバム「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」とかね♪
スペクターは1970年のアルバム「Let It Be」をプロデュースを手掛け、解散寸前の散漫なセッション録音集を一作品として短期間のうちにまとめ上げた手腕にジョン・レノンとジョージ・ハリスンは高く評価、彼ををそれぞれのソロ作品でプロデューサーとして起用している。
(ポール・マッカートニーは、そのオーバー・プロデュースに強い不満を持っていたようだが・・・)
ところでこのフィル・スペクター、様々な奇行でも有名な人でさ(笑)
麻薬の常習や、レコーディング中ジョン・レノンの頭越しに拳銃を発砲、出来が気に入らないマスターテープを勝手に持ち帰って雲隠れしたり・・・(汗)
最近の話では、2003年2月彼の自宅で女優ラナ・クラークソンを殺害した容疑で逮捕されている。
(事件当時フィル・スペクター62歳)
ラナ・クラークソンは勤めていたナイトクラブで初めてスペクターと出合い、数週間後にはスペクターの自宅で顔を撃たれ死亡した。
話題になったこの裁判、警察はスペクターによる殺害と断定、しかし殺人罪で起訴されたがスペクターは「彼女の自殺だった」と反論。
4年に渡る長い審理が重ねられたものの陪審員の意見が一致することはなく、去年の9月に"判決不能"というかたちで終了した。
ロサンゼルス裁判所は、さっそく再審の準備に取り掛かる見込みだという。
たった一人で「ウォール・オブ・サウンド」を創造し、ロックの殿堂入りを果たしているドワイルドなプロデューサー"フィル・スペクター"
「曲作りはワーグナーの歌劇のように構築されていく。最初はシンプルだけど最後にダイナミックな力と意図と目的を持ったものになる。」と言う。
その天才的な手腕は、彼の"偏執狂的"な性格から生み出されたものかも知れない。
果たして、その真相はいかに?
dowild.m
FIAT NUOVA 500 -CINQUECENTO-
2007年に誕生40周年を迎えた「Lupin the 3rd」、そう"ルパン三世"はみんなも大好きなアニメじゃないかな?
そんな数ある"ルパン三世"の作品の中でも最高傑作として名高いのは、宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」だろう。
この作品がきっかけで、ルパン三世の愛車として知られる車は・・・、そう、あのいつも窮屈そうに乗っているキュートな黄色いヤツ^ ^
その車はイタリア・フィアット社のヌォーバ 500"チンクェチェント"。
("チンクェチェント"は500を意味する)
ジャック・マイヨールの伝記映画「グラン・ブルー」で、ジャン・レノ演じるエンゾがこれに乗って登場するシーンも印象的だよね。
丸みのあるユーモラスなデザインをした小さな車体に、愛嬌のあるフロントの表情・・・、ヘッドライトがつぶらな瞳のようで(笑)
たまにこの車が元気に走っている姿を見かけると、何か嬉しい♪
そんなNOUVA 500は1957年の発売以来、イタリア庶民の足として長年愛され可愛らしい名車として知られている。
その誕生の背景には、戦後インフレで苦しんだ当時のイタリア経済があった。
敗戦を迎えた当時、小型大衆車として戦前から生産されていた「FIAT 500A TOPOLINO」とその後継の「FIAT 600」がイタリア国民車として親しまれていた。
ちなみにこの初代500は"トポリーノ"ハツカネズミという愛称で呼ばれ、べスパと共に映画「ローマの休日」に登場している^ ^
しかし、これらの小型車も戦後の痛手を受けたイタリア経済の中では贅沢なものと位置づけられ、人々の足はより廉価な移動手段である二輪スクーターへと移行した。
今の東南アジアのように、その当時イタリアでもべスパに家族全員(3~4人)で乗り移動をしていたそうだ(汗)
こうした市場の動向に対処すべく、フィアット社が新たに発表し、以降イタリア庶民の足となったのが「NUOVA 500」なんだ。
「より小さく、より安く、市民の足となる車作り」をコンセプトに技術者のダンテ・ジアコーザの手によって開発された。
初代500の"トポリーノ"と区別する為"NOUVA(新)"と称されている。
FIAT 600の基本設計を受けついた小型版として発表されたヌォーバは、これを引き継ぎモノコック・ボディのRR車として設計されている。
スペース的にかなり窮屈ではあるが、リアシート付きの5人乗りを実現。
ちなみに"窓も開かない、リアシートも無い"という半年間しか製造されなかった初期型も存在するんだ。
空冷直列2気筒OHV 479ccのエンジンからはドワイルドな13馬力を絞り出し(笑)、最高速度は軽量な車体と相まって85km/hにまで達した。
パワーは無いからいつでも全開で走らなければならない・・・、この車の発想としては4輪のスクーターだったんじゃないかな?
またやかましく振動の激しいエンジンであったため乗り心地は非常に悪く、車内にこもってしまう騒音を防止する対策として屋根をオープンできるキャンバストップを標準装備している。
この開閉式のキャンバストップはルパンで大活躍だが、騒音を車外に発散させる為に必須の機能であったのだ。
人や荷物を運ぶ"トランスポーター"として誕生し、イタリアの庶民の足として愛されたヌォーバ チンクェチェントは1977年の生産終了までに通算で約400万台が製造された。
また去年、NOUVA 500発売50周年にちなんで、3代目となる「FIAT 500」の名を冠した新型車が登場した。
内容的にはもちろん全くの別物だが、NOUVA 500の雰囲気を残すデザインで嬉しくなる^ ^
イタリアだけでなく世界各国にNOUVA 500の熱心なファンが存在し、古い車体をレストアして愛用する者も多いことで知られている。
車として必要なサイズと装備しか備えていないが、車を走らせる楽しさ・車との対話をドラーバーに伝えてくる、愛すべきプチ・ドワイルドな車なんだ。
dowild.m
MONKEYPOD
昨晩、外にいたちょうどその時(別に徘徊してるワケじゃないよ^^)雪がチラチラ降ってきた。
初雪だ♪
ほんの少しの、僅かな時間だったけど、なんか…地球は生きているそして頑張っているんだなぁって、ややセンチメンタルな気持ちにもなったdowild.sです^^;
昨日のブログを引きずってるか?!
人間は自然と共存していかなければいけないんだ、それには環境問題しかり自然を大切にしなければと、しみじみ感じた夜でした☆
さて、ドワイルドな諸君はもちろん知ってるよね^^
♪この木なんの木 気になる木~のCMソング♪
1975年から実に30年以上にわたりオンエアされてる日立グループのCM。
現在のあのCMは、なんと9代目(楽曲のアレンジは3代目)
最初の頃はまだ例の大きな木じゃなくて、アニメだったんだよね^^
いわゆる本物の「この木なんの木」は、ハワイはオアフ島にある公園“モアナルア・ガーデン”にあるんだ。
名前は「モンキー・ポッド」
そのまんまで、猿がこの木になる実を好んで食べたコトからその名が付いたらしい。
中南米原産で亜熱帯地域に分布している種類の木だ。
気になる木だけあって^^実際に見に行ったコトもあるが、実はこの木、ハワイではあちこちで見かける(*^_^*)
しかしながらCMに使われたその木には、さすが日本で有名になっただけあって人だかりが絶えない(オンリージャパニーズ)
高さ約25m、広がる枝の幅約40m、幹の周囲は約7mという巨木だ。
ねむの木のような、俗称では“アメリカネム”と言うそうな。
木の下に入ると、樹齢120年を超える力強い生命力と自然の神秘、その偉大さを感じる。
ついつい歌っちゃったりなんかしてね(^o^;
この木なんの木 気になる木
名前も知らない 木ですから
名前も知らない木になるでしょう
この木なんの木 気になる木
見たこともない 木ですから
見たこともない花が咲くでしょう
いつか葉が繁って 幹が大きく育って
根を広げて 森になる日が未来
その日を その日を みんなで待ちましょう
夢見て 夢見て その日を待ちましょう
CMは最初の三行の繰り返しだから、途中のフレーズは口づさめないけどね^^;
もうすでに親から子へと引き継がれるくらい長く放映されてるよね。
自分の子供がこのCM見た時に「どこにあるの?」なんて聞かれる存在…
ずっとずっとそんなドワイルドに“気になる木”であってもらいたい。
dowild.s
GLOBAL CHANGE in ONE SECOND
“時”って目には見えないけど、もの凄い勢いで目の前を通り過ぎている…おわかりだよね?^^
先日、TBSでやってた「新地球ミステリー 1秒の世界Ⅲ」ドワイルドな諸君もご覧になりましたか?
今、俺のそして諸君の心臓が1回鼓動するそのたった1秒間の間にも世界のあらゆるモノは動いている。
そう、何気なく過ごしてるその瞬間にも、俺がこうやってブログ書いてるこの瞬間にもだ。
その変化を“1秒”という単位で切り取ってみると…
この地球上でダイナミックに鼓動してるあらゆる命の力強さ、様々な苦悩、幸せ、不幸せ、その真実が見えてくるんだ。
たった1秒のされど1秒の重みを感じさせられた驚きを、番組の受け売りにはなってしまうがココに書き記してみよう。
僅か1秒の間に…地球上から、2,318㎡の森が失われている…それはなんとテニスコート10面分にもなるという。
たった1秒間に…0.002種、7分間に1種の生物が絶滅している。
たった1秒間で…サウジアラビアでは15,000リットルもの石油が生産され、日本ではその半分の7,500リットルの石油をたった1秒間で使いきってしまう。
たった1秒間で…世界では420万円ものお金が戦争のために使われている。
たった1秒間で…日本では600キロもの食べ物が捨てられ、世界ではその1秒間に0.3人、4秒に1人が飢えにより命を落としている。
そんな1秒間で…世界では0.07個、14秒に1個の地雷が撤去され、日本ではその1秒間でペットボトル370本がリサイクルされている。
その1秒間で…世界ではテニスコート3面分の緑が再生されている♪
そして今この1秒間に…4.2人の新しい命がこの星で生まれているんだ^^
このほんの1秒この瞬間にも数え切れないほどの命が生まれ、そして滅んでいる…
考えてみよう…当たり前のように日々、生活しているコトが実は幸せだったりする。
けど、その当たり前に過ごしているコト自体が今、地球を蝕んでいるんだよ。
地球が危機に瀕している今こそ『命の大切さ』を実感しなければならない。
命の重さ、生命の尊さを考えたなら必然的に今、自分が何をすべきか?答えがきっと見つかるだろう。
皆さんのそのドワイルドな1秒が必ずや地球の命を救うはずだ。
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