Kellogg's -Cereals-
健康的な日々を過ごす事において、ビールの次に重要なのが!?朝食だろう。
脳の唯一のエネルギー源であるブドウ糖は蓄えておく事が出来ない。
なので、寝ている間に空っぽになったブドウ糖を朝に補給しないと、脳が上手く働かないんだ。
英語で"Breakfast"はFast(断食)をBreak(破る)、というくらい生活する上で重要な食事なんだよね。
日本ではご飯に味噌汁なんて定番だけど、アメリカの朝食で代表的なのはご存知シリアル食品。
ケロッグなどのコーンフレークに牛乳をかけるだけで簡単に用意ができるソレは、アメリカでの定番朝食メニューなんだ。
幼い頃、朝食にコーンフレークが出てきたら嬉しかったな~。
今考えると、親の手抜きの朝だったんだけど(笑)
何でも、一人当たり年間160食分のシリアルが消費されているというから驚きだ。
つまり、年に半分近くの朝食がシリアルって事だよね・・・。
よく飽きないもんだ(笑)
しかし、アメリカのシリアルは種類が豊富で様々なレパートリーが揃っているから、毎日違う味が楽しめるそうな。
実際にアメリカのスーパー・マーケットやドラッグ・ストアには、シリアルの箱で壁が出来るほど並び種類も充実している。
全米の食材店での売上ランキングでは1位がソーダ類、2位は牛乳、そして3位にシリアルという結果であった。
シリアル食品はトウモロコシ、米、大麦、オーツ麦などを、そのまま食べられるように加工した穀類食。
ご存知のように牛乳をかけるだけですぐに食べることが出来る(しかもドリンクも一緒に)、実に合理的なアメリカらしい発想だ(笑)
そのシリアル食品は19世紀末にケロッグ兄弟が開発した事で有名。
アメリカのミシガン州バトルクリークにあった保養所を監督していたジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士は、菜食主義の病人食を作っていた。
ある日、小麦粉を練ってローラーで引き延ばし薄いパンを作ろうとしていたところ、何らかのトラブルでしばらく放置してしまった。
その結果、パン生地になるはずの小麦が乾燥してしまいフレーク状になってしまったのだが、経済的な理由で患者達に出したところ、これが大好評だったんだ。
兄弟は「グラノース」という名前でこの食品の特許を登録。
その後も研究を重ね、トウモロコシが原料として最適であることを発見した。
そうして設立された会社が現在のケロッグ社。
これにより、アメリカにおける朝食の形態は大きく変化したんだ。
一般的なアメリカ人の認識では、シリアルは「手軽で食物繊維が豊富なうえ、低脂肪、さらにいろいろなビタミンも含まれていて、とてもヘルシー」な食べ物だそうだ。
偏った食生活もどうかと思うが(笑)、自然の穀物で作られた栄養食であるシリアルと牛乳がしっかり摂れる、バランスの良い朝食なのかもしれない。
ドワイルドな一日の始まりにはシリアルを食べて、トニー・ザ・タイガーのように"GREAT!"に行こうゼ!
dowild.m
I'll Be Waiting -Lenny Kravitz-
今日は大雪模様の関東地方☆
寒いね・・・、皆さまいかがお過ごしですか?
さて、ここ最近テレビやラジオでよく流れているこの曲♪
いや~懐かしいな、この声。
レニー・クラヴィッツじゃないですか。
1989年のデビュー曲「LET LOVE RULE」に衝撃を受け、サード・アルバム「自由への疾走」あたりまでよく聴いていたんだ。
「黒いジョン・レノン」なんてデビュー当時言われてたっけ(笑)
ドレッド・ヘアーを振り回しながらギターを片手に歌う、そのサウンドはストレートでリアルだった。
同級生であるガンズ&ローゼスのスラッシュとの共演「Mama Said」も最高^ ^
極限までエフェクトしないアナログ機材を使用した音は、俺の大好きな60~70年代の雰囲気を彷彿させたんだ。
当時、武道館まで観に行った来日公演も良かった♪
会場がとってもムーディーな雰囲気に包まれたのが印象的だったよ。
ロシア系ユダヤ人の父とジャマイカ系黒人の母の間に生まれたレニー・クラヴィッツは、ハイスクール時代には音楽的な才能を現し、合唱団に参加したりあらゆる楽器をマスターしていった。
高校中退後はプロミュージシャンになるべく、スタジオに出入りし借金をしてデモテープを作成、レコード会社に売り込んでいった。
しかし、時代はマイケル・ジャクソンやボビー・ブラウン的なブラック・ミュージックが求められていた80年代。
レニーの音楽に理解を示してくれるレコード会社はほとんどなかった。
そんな中で唯一興味を示し、デビューに結び付けてくれたのが設立当初のヴァージン・アメリカだった。
デジタル録音全盛の時代に時代遅れとも言えるアナログ・サウンド、そして"LOVE"というメッセージ。
そして、全く無名の男がほとんどの楽器を一人で演奏しレコーディングした、という事も相当のインパクトがあったんだ。
そう、デビュー当時からレニー・クラヴィッツのテーマは一貫して"LOVE & PEACE"
「ニュースを見ていても決して世界が良く変わってきているとは言えない。
みんな考えるべき時期にきたんだと思う。
もっと関心を持って、世界に存在している悪に対して愛で戦う時なんだ」
と、1月30日に日本先行発売された4年ぶりの新作アルバム「It Is Time For A Love Revolution」をリリースするにあたってコメントしている。
そのアルバムの中からのシングルが「I'll Be Waiting」なんだけど、この曲は2月9日に全国ロードショーされる日本の映画「L change the WorLd」の主題歌になっている。
どうりで、あちこちで流れているわけだ(笑)
バックにストリングスを従えピアノで静かに熱く弾き語る、レニー・クラヴィッツ真骨頂のバラード曲♪
じっくり聴いてみると、ホントいい曲だよね~。
Alden Shoe Co.
欧米の男たちが持つ靴に対する思い入れは、並々ならぬものがある。
日がな足と靴を同化させなければならないライフスタイルは否が応でも、フットウェアの善し悪しを見極める眼力を鍛えるワケだ。
たとえばソレは大戦下の兵士たちにも、そんなエピソードが数多く残されている。
「靴の曇りは精神の曇り」と書かれたスローガンが、シューケアボックスの裏蓋に貼ってあったり、靴磨きの得意な兵士が“闇の磨き屋”を兵舎内で開いたりと…(笑)
そんな男のロマンをくすぐられ、もう10年以上愛用してる靴がある。
「オールデン」の“サービスシューズ”(冒頭の写真)と“チャッカブーツ”だ。
この二足はまとめて購入したんだけど、あの「ザ・リアルマッコイズ」が当時、オールデン社に別注したモノなんだ。
その当時、代官山にあったショップの店長やってたのが俺の友人だったので、ちゃっかり社販で^^;
「オールデン・シューカンパニー」は、1884年“チャールズ・H・オールデン”によりマサチューセッツ州ミドルボロウで創業された。
受注生産を家族でこなす、ほんの小さな靴工場だったんだ。
しかし、頑固なまでの職人気質が産み出すカスタムメイドブーツや紳士靴のそのクオリティは、10年を経たずしてニューイングランドの粋人たちを虜にし、顧客のリストにニューヨーク社交界のそうそうたる面々が名を連ねるコトとなった。
1892年に同州ノースアビントン、1931年にブロックトン、1970年に再び原点のミドルボロウへと、工場は拡張移転されたが、4代にわたるクラフトマンシップにはいささかの陰りも見えない。
『並外れて上質な素材でウエルトされた男らしい靴』
『長時間履いていても疲れないトラディショナルシューズ』
オールデンを形容する賛辞は数多くあるが、総てはその頑固一徹なシューメイカーが、弛まなく追求してきた靴の理想像、最も身近な道具としての機能美に帰結するのではないか。
1950年代、甲に革紐の装飾が施されたタッセルローファー…今日ではトラッドスタイルのベイシックの一つに代表されるモカシン靴を、ブルックスブラザーズをはじめとするアメリカ全土の伝統的な洋服店に認知させたのがオールデンだったコトは意外と知られていない。
この二足の使い分けルールが俺にはちゃんとあるんだ(笑)
空軍スタイルの“A-2”を着た時には、パイロットブーツの代名詞だったチャッカブーツを。
海軍スタイルの“G-1”を着た時にはサービシューズってね^^
オールデン=コードウ゛ァン(馬の尻革)という風潮が強い現在のファッションスタイルがあるが(もちろんソレも持ってるが^^;)俺はカーフ素材のコイツらの方が好きだったりする♪
一対のミリタリーラスト(木型)に込められた履き心地と機能美、兵士たちにもそうだったように、俺の足元にはいつもピッカピカに磨き込んだドワイルドな幸運の女神が付き添っている。
dowild.s
EDDIE BAUER
爽やかな良い天気で、早くも2月の始まりだ♪
いつものコトだけど、今月もドワイルドにいきまっせ(笑)
兵士の生命を守り戦果をあげるため、アメリカが国家の威信をかけて莫大な資金と技術力を投入し開発したミリタリーウェアは“究極の既製服”と言われる。
こと戦火の激しかった'30~'40年代は、技術革新と実戦でのテストにより飛躍的な発展を遂げてきた。
国を挙げての戦闘態勢を整えていったアメリカは、優秀な民間企業に対してより機能性の高いスペックを持つ衣類の開発、生産を次々と依頼したんだ。
このシーズンになると俺も愛用してるダウンジャケットを作った「エディー・バウアー」もそんな優れたメーカーの1つなんだよ。
創業したのは1920年のコト。
時は第1次大戦後、戦争の特需によりアメリカが繁栄を極めていた時代。
シアトルにテニスショップとしてオープンしたエディー・バウアーだが、アウトドアスポーツ用品も手掛けるようになり、順調に業務拡張をしていった。
そんな真冬のある日、創業者であるエディー・バウアーは趣味の釣りに出掛けた時に、寒さのあまり凍死しかけたコトがあった。
その体験で、日露戦争にコザック兵として参戦していた叔父から聞いた“羽毛には優れた保温効果がある”という話をヒントに、グースダウンを使ったジャケットを開発したんだ。
高い断熱性・保温性・軽量性を兼ね備えたその製品は、1935年「スカイライナー」というモデル名で発売され、多くのアウトドアマンに愛用されるコトとなる。
俺の愛用してるのもコレ♪
やがて時は第二次大戦下、エディー・バウアーは民間企業ながら、シアトルやアラスカ海軍の一部の将校たちに非公式にフライトスーツを供給していた。
ダウンを用いたソレは、なんとマイナス70度以下の環境に3時間耐えるコトができ、含んだ空気により24時間も海上に浮いていられたと言う。
陸軍のとある少佐がその話を耳にし、すぐさまエディーと面会し、アメリカ陸軍航空隊にフライトスーツを供給するよう依頼した。
エディーは申し出を受けるとともに「Eddie Bauer」のラベルを製品に縫い付けるコトを軍に承諾させた。
生まれた名品が「B-9」というジャケットだ。
ちょっとマニアックだけど(いつも?^^;)その優秀性は後の“N-3”シリーズの原型となった。
B-9は政府支給品に個人製造者のラベルが付いた唯一のモデルで、このコトがきっかけで、終戦後“エディー・バウアー”の名は瞬く間に全米へと広まり、世界規模のブランドへと成長したんだ。
エディー・バウアー(1899-1986)は、釣りやテニス、ハンティング、カヌーなどアウトドアスポーツを愛し、遊び心を持ち、仕事も趣味も充実させて人生を楽しんだ男だったという。
戦争という過酷な中、生まれるべくして生まれた歴史に裏付けされたドワイルドなブランドなんだよ。
dowild.s
carhartt
今日はカリスマ美容師dowild.Tさんのお店に行き、髪をセットしてもらってきたんだ♪
最高にドワイルドに仕上がり(笑)に大満足!
どうもありがとうございました^ ^
さてさて、今日は天気がいいね~。
そんな日は思わずジーンズを洗濯したくなってしまう(笑)
3本のジーンズと共にカーハートのジャケットも一緒に洗濯機へ。
ブラウンのダック地で作られたタフなジャケット、何年も前にshigeから頂いたものなんだ。
着込めば着込むほどにアタリが出てアジとなるる、デニムやレザーに似た感じが愛用していて楽しい♪
通常の綿より繊維が太く、目が詰っている為、着始めはゴワゴワしているが徐々に柔らかく馴染んでくる。
何より丈夫で風を通しにくいので、何かと重宝する1着なんだ。
もともとデトロイトで家具や手袋の卸売業から始まったハミルトン・カーハート&カンパニー。
創業者のハミルトン・カーハートが「アクティブなシーンで活躍する人のためのウエア」を理念に、ワークウエアの生産を始めたのは1889年になってから。
当初はわずか4台のミシンと5人の従業員での生産だった。
農家や牧場で働く人達や鉄道員、森林伐採者などの土まみれや油まみれになって働く労働者たちに向けてのもの。
そのワークウエアとしての、最初のプロダクツはダック地とデニムで作られたオーバーオールだった。
労働者が求めていた頑強な作業着・ワークウエアは評判を呼び、1910年には8つの縫製工場と2つの紡績工場を抱えるまでに事業拡大していった。
当時カーと呼ばれていた路面電車と、労働者をひきつける中心地ハートランドの意味を自分の名前に掛け、通称"ハートマーク"と呼ばれるロゴを使っていたんだ。
戦後の50年代前半にはさらに耐久性を求め、カーハートの特徴とされるトリプルステッチによる縫製が開発。
1961年からはロゴ・マークを"コーンナコピアC"に変更、それはギリシャ神話に登場する山羊の角で、豊かさを表す円錐形の容器がモチーフになっている。
この頃からワークウエアやアウトドア向けのプロダクツにとどまらず、カジュアルで親しみやすいアイテムが増えてきた。
コンセプトである耐久性、品質、フィット感、着心地の良さを追求すると共に、ファッションの時代性や需要を考慮し、ユーザーからのニーズに柔軟に応えていった。
引き継がれた伝統、そして時代のライフスタイルの変化に適応したアイテム作り、それがカーハートが100年以上に渡って世界中で愛されている理由じゃないかな?
dowild.m
HOT BEER
ここ最近、あちこちで耳にするホットビール。
寒い冬に体があったまる"冬のビール"として話題だよね。
何?温かいビール???
ビールと言えばもちろんキンキンに冷えたヤツが好きなので、温めたビールってちょっと想像がつかなかった(笑)
先日、よく行くバーでその話題になり、バーテンの勧めで試しに飲んでみたんだ。
耐熱グラスに入った温められた黒ビール、角砂糖を入れてシナモンスティックで混ぜて飲む。
(注:粉末の砂糖だと溢れ出してしまうそうだ・・・、必ず角砂糖を使用との事。)
教えられた通りにやってみると、炭酸がきめの細かい泡となって一気に盛り上がる。
見ている俺らも「お~!」って盛り上がってしまった(笑)
その泡や見た目はカプチーノの様な感じかな?
黒ビール独特の風味が強調され、麦芽をローストした様な香ばしい香りが広がる。
ビール特有の喉越しは全く無く、まろやかで奥深い味わいなんだ。
どちらかと言うとビールとは別物、砂糖を入れたコーヒーやホットワイン、甘口の熱燗に近い感じ。
これ、意外と美味しい♪
これなら甘いデザートにも合うんじゃないかな?
ホットビールはドイツやベルギーなど寒い地域では、もともとビールを温めて飲む習慣があったそうだ。
ベルギービールには、ホット用の「リーフマンス・グリュークリーク」という銘柄が存在する。
スパイスにアニス、シナモン、グローヴの3種類を使い、そこにチェリーが入っているんだ。
ユニークなビールがあるんだよね、ベルギービールって。
ホワイト、レッド、ブラウン、ゴールドといった色や、カシス、チェリー、フランボワーズなどの果汁入りのフルーツビール、さらにスパイス入りも一般的だ。
ベルギービールを飲み比べると、バラエティ豊かで楽しめるよ♪
寒いベルギーではワインを造る葡萄が育たない為、大麦を使ったビール造りが昔から盛んに行なわれている。
フランス人がワインを愛するように、ベルギーでは個性的で多種多様なビールの銘柄があり、ビールをとても愛しているんだ。
ベルギーやドイツの寒さの厳しい地域では、ビールを温めて飲む習慣が昔からあったそうだ。
さしずめ、日本酒の熱燗ってとこだろう。
普通の黒ビールを電子レンジで50度に温めるだけで簡単に作れるので、ぜひ一度試してみては?
寒い夜にゆっくりとホットビールを味わう。
香ばしい香りが疲れた身体を癒し、リラックスできるんだ。
ホットワインやホット・バタードラムなど、ホットカクテルの定番は馴染み深いが、ビールを温めるホットビール・・・。
でも、やっぱりビールは冷えている方がイイな(笑)
dowild.m
ROCKMOUNT
そんなハッピーな気持ちを引きずりながら、今日はちょいとお気に入りのウエスタンシャツをサラリと着て出掛けてた(イメージカットはスティーウ゛・マックィーンで^^)
天気はイマイチだけど、気に入ったシャツ1枚纏うだけで気分も弾む♪
たとえワークウエアであっても気を抜かないオシャレは俺にとって言わばある種の清涼剤みたいなもんだ^^
さて本題に入ろう。
ランチウエア…いわゆるカウボーイの労働着は、ジーンズがファッションになる以前からオシャレ着としてアメリカンカルチャーに根付いてきた。
ウエスタンシャツといえばスナップボタンとウエスタンヨーク(肩と背中の独特な切り返し)が特徴的なディテールとなるが、そのスタイルの起源となるのが「ロックマウント」というブランドなんだ(まさに今日着てたヤツ)
ロッキーマウンテンの麓にあるからロックマウント(笑)
実に分かりやすいネーミングがいいのかロゴがいいのかロックミュージシャンにも人気のブランドなんだよ♪
エリック・クラプトンやボブ・ディランそしてエルウ゛ィス・プレスリーなんかも愛用者の1人だった。
ウエスタンウエアの起源自体は1870年代に遡る。
リーバイスをはじめとするデニムパンツにワークウエアとして飾りを抑えたシャツを着るのが当時のカウボーイスタイルだった。
そこに1946年“パパ・ジャック”ことジャック・A・ウェイル氏がスナップボタン付きのシャツを考案したのがロックマウントの始まり。
生みの親パパ・ジャックは今年で106歳になるが、デンバーにある本社兼直営店で現役で経理を担当しているというから驚きだ^^;
ダイヤモンド型のスナップボタンは今でもロックマウントを象徴するディテールポイント。
現在は3代目のスティーブン・E・ウェイル氏がシャツのデザインを手掛けているが、イギリスでビスポーク(テーラード=オーダーメイド)のシャツ作りを経験し、その良さをウエスタンシャツに転用、ドレスシャツにも引けをとらないクオリティを誇っている。
たとえば50年前のシャツでも今も充分通用するほどカッコいいのがロックマウントだ♪
スタイルは当の昔に完成型を迎えてたというワケだよ。
ウエスタンシャツは数あれど、時を超えてもクールでカッコいいシャツはロックマウントにしかない。
世界的に知られるドワイルドなウエスタンシャツの代名詞、コレを知らずしてウエスタンは語れない。
dowild.s
American standard life
アメリカ合衆国は、人種、信条、宗教ではなく、主義(イズム)に乗っとった国だ。
・すべての人間が平等で
・侵害されるコトのない生活と自由
・また幸福を追い求めていく権利を有している
この厳格で美しい主義こそ俺がアメリカを好きな理由のひとつでもある^^
しかしながら国内の失業率が高まっても、健全な労働者の数はこれといって減らない…それがアメリカの摩訶不思議だ。
健全な彼らの労働意欲は、1776年の建国以来、基本的には変わっていない。
それこそ広大な土地と鉱物しかなかったこの国で、彼らの祖先はエイブラハム・リンカーンのメッセージにより明確になった…
「子孫を増やし、人々の暮らしを富めるために働く」そんなウ゛ィジョンを継承しながら、自由という名の下、黙々と土地を耕したんだから。
そして様々な産業を生み、製品を売り捌き、ドルの貨幣価値を高めていった。
そのフロンティア・スピリットは、230年以上経った今の世にもしっかりと受け継がれていると思う。
健全なアメリカ人労働者のほとんどは、職種にも階層にも興味がなく、そのプライドは仕事をしていて自分たちがハッピーかどうかというコトに重点を置いているからだ。
職業に対する偏見は、一部のエスタブリッシュとヒルズ系の連中にしかなく、それよりも恥ずかしいコトは「いま楽しい仕事が出来ていない」というコトだろう。
不毛の大陸で、彼らの祖先が市民権を得るためには、懸命に働き、労働を明日の生活の糧にするしかなかったんだし。
そのほとんどは移民であり、彼らにとっては最後の聖地でもあったから…
この聖地で死ぬまでハッピーに生きたいという願いは、日本に住む我々よりもはるかに強いんではなかろうか。
多くのアメリカ人は子供の頃からプライドを持ち、ゴールを目指して働くために楽しむコトが大切だと教育される。
親が子供にかける「グッド・ジョブ!」の言葉は、早い時期からアメリカ人として生きる“義務”への関わりを持たせる国民性の表れだろう。
ときに夢を見失うコトだってあると思う。
しかしそのたび、DNAに記憶してる開拓精神が何のために自分が働いているかを思い出させ、新たな夢に向かって再生するコトを目覚めさせるワケだ。
そのドワイルドな支えになっているのはきっと、仕事のあとの一杯のビールであり、仲間であり、家で待つ家族に他ならない。
dowild.s
The South Pole
本格的な冬らしくとても寒い日が続いているけど、皆さんいかがお過ごしですか?
風邪を引かないように体調管理だけはしっかりとね☆
さて、昨日書いたスノーボードの帰り道の車の中、FMラジオで印象的な2つのニュースを聞いたんだ。
一つは
「北極の海氷面積が、2005年からわずか2年で日本の国土の3倍以上もの面積が無くなった」
2005年には530万平方kmだったのが、去年9月の段階で413万平方kmになってしまったそうだ。
たった2年で80%以下の面積に・・・。
さらには「今年夏にはさらに100万平方kmが失われる恐れもある。」と。
全く恐ろしい現実になってしまったよね。
もう一つのニュースは、反対側の南極から。
「日本人女性初の南極点到達」
スキーで歩いて南極点を目指していた登山家の続 素美代さんが日本時間の24日午前、南極点に到達した。
続さんはアメリカ・イギリス・カナダの男性と4人チームの一員として去年11月28日にハーキュリーズインレットを出発。
約100キロの荷物を積んだそりを引きながら、スキーで南極点に向けて歩き始めた。
雪の上でのこの荷物、さぞかし重い一歩一歩なんだろうね。
極地の寒さと強風、目の前が見えないほどの吹雪にも見舞われ1人はリタイアしたが、57日間・約1,200kmの行程を経て南極点に到達した。
「予定より日数が延び、食料を切り詰め、最後はきつかった。荷物を軽くするため衣類も減らしたので、着るものがなく、不安で恐怖感も強かった。」
と続さんは語った。
また、
「エベレストよりはるかに大変だった。」
「最低は零下35度を記録し、体力も低下してつらかった。」
と元気そうな声で東京に電話したそうだ。
南極点に到達した時の写真はそれまでの苦労があってこその、嬉しそうな笑顔をしているよね♪
続さんは1990年以来ヒマラヤなどの登山隊に参加し、98年に世界最高峰エベレスト登頂に成功。
2004年にはグリーンランドを23日間かけて、スキーで590キロ横断した経験があるそうだ。
根性があるというか、とにかく凄い人だよね。
続さんはこれからもドワイルドな目標を達成させ続けるに違いない。
dowild.m
SNOWBOARD
先日、今シーズン初めてのスノーボードに行ってきました。
まだ外が真っ暗な早朝に出発し、爽やかな朝日を浴びながら高速道路をひた走ること2時間。
高速を降りて山道に差し掛かると雪が降り出し、山道に入ると道路もすっかり真っ白な雪道になっていた。
これはコンディションが期待できるな~♪
と、ワクワクしながらも慎重に雪道を走しりスキー場に向かった。
ところが、ゲレンデの駐車場に到着すると風が強く雪が舞っている。
俗に言う"吹雪"って状況か?(汗)
今回はウォーミング・アップの体慣らし的な軽い気持ちで来たのに・・・。
寒さに身体が負けないように慎重にストレッチをして、いざ出陣!
リフトに乗ると更に強い風と雪が身体を突き刺し、超・寒い☆
でもね、俺はもっぱらパウダー・ジャンキー。
フカフカのパウダー・スノーさえあれば幸せなんだ♪
こんなコンディションだったら、キッカーもパイプも何も要らない。
ひたすら、あの浮遊感を味わいながら滑るのがスノーボードの醍醐味なんだよね。
ハードなバーンならアルペンボードで高速カービングするのも気持ちイイが、やっぱりパウダーの雪を見るとワクワクしてしまう^ ^
吹雪で凍える位に寒く視界も悪い中、膝上のフカフカ・パウダーに夢中で滑走。
こんなコンディションでは急斜面こそ楽しい♪
浮遊感を味わいながらも腰を落とし、エッジを鋭く大きくターンしながら思いっきりシュプールを描く・・・。
これだよ、これ!
このフィーリングがあるからこそ、毎年ゲレンデに足を運んでしまうのかもしれない。
しかし、この日の吹雪は凄かった~。
滑走中に視界が真っ白、何も見えなくなることしばしば(汗)
ソールで状況を判断しながら、その場に応じて柔軟に滑り降りないとならない。
でも決してビビってはダメ、ちょっとでもビビっちゃうと腰が引けて変な力が入ってしまい危ない転倒をしてしまうんだ★
スノーボードを始めた頃はビールを飲んで勇気を出したっけ(笑)
コース外滑走だとか、雪や自然をバカにするのはもちろんNGだけどね。
それにしても寒かった・・・、こんな事を言うと雪国に住んでいる方に笑われてしまうかもしれないけど(笑)
リフトに乗っている写真を撮ろうと、グローブを外して10秒も経つと指先が痺れて感覚が無くなってしまう。
身体を突き刺す吹雪と寒さに自然のパワーを感じたよ(汗)
ドワイルドな白銀の世界の中、フカフカのパウダー・最高のコンディションで遊べて楽しい1日でした。
dowild.m


























