6年生のイベント、修学旅行では
事前に細かく全てのものに記名を命じられ、なかみを教員がすべてチェック。
宿泊先では一括で荷物を取り上げ、
一人一人、スポーツバッグから着替えや歯ブラシを出させる。
と事前説明があった。
行かせることにすら恐怖心が募る。
6年生、付き添い教員。
このなかで、もの隠しが起きれば
他学年や、他の教員、出入りするものは該当しなくなる。
当日病欠と
不登校になってしまった子以外、全員が修学旅行に向かった。
厳戒態勢で、娘ともう一人の女の子に女性教諭が張り付き、手回り品のリュックは監視。
学校からクラス宛の「今、どこにいます」報告メールの他に
個別で「今のところ異常ありません」と学校から電話が来た。
私は、その時、今のように自発的に動くことをしなかった。
正確には「なにをしたらいいかわからなかった」
学校から報告を受ける度に途方に暮れ、
泣く娘に戸惑い、
下の子たちの世話にも翻弄され
塾の送迎やら、受験のための保護者会、面談に追われ
義母は定期的に襲撃に来てかきまわされ、
実母の入退院やら
一気にそれぞれが動く中、
毎日0時を過ぎて帰宅する夫に話す気力もなく。
話せば討論になり、寝る時間がなくなり5時半には起床しなければならない。
完全に疲れと受け身の日々。
ここまで何も動けないでただ、静観するしかないものなのか。と
ひたすら耐える日々。
卒業したらもう関わらなくていい。
それだけが当時の支えだったと記憶する。