自分だったら、どうしてほしい?
「告知」は絶望や終わりじゃなくて
命を精一杯生きるためのはじまり
私はそう思います
ちゃお~♪
結婚から子育てまで@心屋式心理カウンセラーはまだかよこです!
今日は待ちにまった
人生で一度はのりたい!と思いこがれた
ジムニーMT車がやってきました♪
嬉しいぃ♡
大切な家族の病気や障害について
本人に伝えるべきかどうか…
「告知」について悩んでいる
どうしたらいいですか?
今日はこちらのお悩みについて記事を書きます!
自分だったら、どうしてほしい?
「告知」は絶望や終わりじゃなくて
命を精一杯生きるためのはじまり
私はそう思います
自分だったら、どうしてほしい?
相手のことを思ったら、どうすることがいいと思うか?
自分のだした答えを信じて進んで大丈夫!
決めても、これでいいんだろうか?
あれでよかったんだろうか?と迷いが生じることもあるかもしれない。
自己責任への覚悟と自分を信じることが試されるけれど
自分が導き出した答えを信じて!
正解・不正解の話ではないのだから…
私自身、最初に「告知」に向き合うことになったのは20代後半のときでした。
父が食道がんになり、自分で行った先の知人医師のところで、癌だと告げられて帰宅した父。
本人である父から、自分が癌ということを知らされる・・・という、逆告知といいますか、そんな体験をしたのが最初です。
だから、告知について悩むというよりも、父が癌だと知ってガーンとなった…
これ、渦中の人が見たら怒りがわくかもだけど、ふりかえると本当にそんだかんじだったんです。
そこから、まぁいろいろ体験したのですが
ふりかえると、本人が自分の病名を知り、余命を知っていたのは良かったと思います。
限られた命をどう過ごすか。
父は特別なことをするというよりも、宗教熱心だったのでそれらに関する本を読みふけっていた姿を思い出します。
2年前には、お義母さんが癌になり、このときも本人が聞いてきて、私はあとから知らされる側でした。
もしかして…という予感はあったけれど、現実を言葉にして耳から入れると、父の時のことが蘇り、わたしが病気なわけではないのに、すごくショックを受けたことを思い出します。
だけど、今はいろいろ治療も進化していて、薬があって今は癌と共存しながら元気に暮らせてます!
そして今、「告知」をする側として悩んだ末、「告知」をすると決めて準備を進めているのは、発達障害の診断を受けている、こどものことです。
決してレッテルをはりたいとかじゃなくて、「自分のことを知る」ためです。
自分にはこういうところがある。
自分の研究をするって、発達障害の有無にかかわらず、社会にでて生きていくうえでとっても大切だと思うからです。
社会にあわせる。という意味でもありません。
みんな「違う」ということを知るって、とっても優しくなれる。
あなたはそう思うんですね!
わたしはこう思うんです!
違っても、互いを認めあえるって、とっても生きやすいと思いませんか?
「告知」というと、重いイメージがあるかもしれないけれど
「告知」=終わり ではなくて
「告知」=はじまり と思うんです。
だから、こどもにも「告知」して終わりにするつもりはありません。
信頼する医師と相談し、告知の準備を進めながら、告知後の支援についても話を進めているところです。
夫ハマちゃんも「告知」についてブログを書いてます。
男親目線で感じることを他にも綴っているのでよかったら覗いてください♪
https://ameblo.jp/bueryh/entry-12629850166.html
ウェディングプランナーとして私が書いた記事です
「父に花嫁姿を見せたかった」
http://slapstickphoto.com/ja/wedding/kayokohamada/
あわせて読んでほしい私の過去記事です
↓
発達障がいのことを我が子にどう話すか迷っている時に読む記事。告知について。
我が子が「発達障害」と診断を受け悩んでいた3年前と今のわたしの心の変化