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Thoughts on living with style.      




嗚呼、この頃の和泉雅子はいいねぇ、可愛くて・・・。

冒険家になって以降は詐欺だね。必要以上に劣化してしまった。

「二人の銀座」は1967年の作品。

GSブーム真っ直中で、都電が廃止された年でもある。

やっぱ、デートといえば銀座の時代で、

有楽町の「みゆき座」あたりで洋画のロードショーを観て、

みゆき通りをウィンドウショッピングしたら、

「東京羊羹」であんみつを食べる。

夕刻まで銀ブラしたら、「煉瓦亭」でオムライスを食べて

帰りは都電で彼女を家まで送っていく。

そんな時代だった。

山内賢も和泉雅子も冥土が近い年齢になっているけど、

この映画(「二人の銀座」)を観ていると、

ふたりは永遠に若い恋人同士のままなのだ。


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今夏は浅草のサンバカーニバルが中止された。

夏の恒例行事だったので、ちょっとさびしい。

震災の影響もあるらしいが、ご当地のイベントが重なったためだそうだ。

だったら表参道あたりでやってくれないかな。

それも、夜。カーニバルはリオもそうだけど、やっぱり夜がいい。

夜通し踊って騒いで盛りあがる。

これを昼やるとなると、サンバダンサーがちょっと滑稽に見えてしまう。

昼間っから裸で踊るのはちょっと変だからだ。

今後は、浅草だけでなく、全国津々浦々でやってほしい。

やはりフィットするのはリオと同じような海辺のリゾート・タウンだろう。

海辺の解放的な雰囲気の方が、サンバには似合うと思う。
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以下、北山耕平氏の文章

「これまでしばしば『なぜインディアンと呼ばれるようになったか?』

という素朴な疑問にたいして、

『コロンブスがそこをインドと誤解したから』という回答が

まことしやかに語られてきた。70年代以降のインディアンの活動家や

革新的なジャーナリストはこれに対して疑問を呈する。

コロンブスはそんなにマヌケだったのかと。

彼は1492年の段階で『インド』『インディア』などという名前の国が

存在しないことぐらいは知っていたと彼らはいうのだ。

当時インドはヨーロッパでは「ヒンダスタン(Hindustan)」と呼ばれていた。

もし彼がほんとうにヒンダスタンと間違えたのであれば、

最初の航海で出会うことになった人たちを「ヒンダスタニス(Hindustanis)」と

呼んだであろうというのだ。

最近のネイティブ・アメリカンの人たちはよくジョークとして

『コロンブスがここをトルコだと思いこまなくてよかったな』と言って笑いあう。

そのココロはというと『トルコ人』は英語だと『ターキィ(turkey)』となるし

『ターキィ』とは『七面鳥』とか『阿呆』といった意味だからという」

中略

「おそらく『インディアン』という言葉のはじまりはスペイン語にあるのだろう。

スペイン語で『貧しい』『着るものもない』『丸裸』を意味する言葉は

『indigente(インディヘンテ)』である。英語にも『indigent(インディジェント)』があり、

これから『indigenous(インディジェネス)』が派生している。

英語の『indigent』は『貧乏者』「困窮者』を意味し、

それが結果として『indigenous』(固有の、原住の、先住の、土着の)という単語に

つながっていく。コロンブスが『イン・ディオス』と言ったとしても、

スペイン語の研究者は、それは当時のスペインの俗語で、

『神の姿で生まれた』は、実は『丸裸の人』を意味するのだという説もある」。


・・・・・なるほど。インディアンは差別用語ではないのだ。
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橋幸夫、いいねぇ。コンサート終了間際、

軍刀で襲いかかる暴漢に立ち向かい、

素手で刀を握りしめ難を逃れた。

「握りしめていなかったら、指を全部持って行かれた」

と本人は言う。すごい。それも咄嗟の判断だからすごい。

ところで、この「いつでも夢を」が流れていた昭和30年代は

本当に幸せな時代だった。市井の人々が活き活きと生きていた。

震災時にCMで「上を向いて歩こう」が流れていたが、

「いつでも夢を」の方が好きだ。こっちの方が明るくて平時に戻ろうという

雰囲気に満ちていていい。

いまや橋幸夫は69歳、吉永小百合は67歳。

お二人とも現役であることがうらやましい。


なんて大人なオープニング・テーマなんだろう。

今聴くと、ずいぶんアメリカンな曲だ。

F.シナトラあたりに歌わせたい・・・なわきゃないか。