ごきげんよう どろんnです
いつも いいね並びにフォローありがとうございます
もはや2月ですがwww 年を取ると若い内の
余分な心持ちというか 曖昧な心持ちの余白がなくなり
気づけば サイボーグの様にタスクと予定をこなしている
自分と家に帰り風呂につかりつつ優雅に読書を愉しむ自分もいて
その意味ではこの齢にしてようやく余分な肩の力が抜けて
緊張と緩和の調和がとれるようになった気がしております![]()
ーDont think、Feeeeeel! (考えるな 感じろ!)
とはブルースリーの映画における名言ですがw
彼が気の遠くなる歳月の鏡の前の自己観察の結果
ーLike a water (水の様に融通無碍)
という境地を某Youtubeで見つけてシェアしようとしている
次第でありますwww
一般的に人間は正しい 間違い といった二元論の世界で
自分や他者 物事をジャッジする傾向にありますが
彼曰く
ー物事には必ず静(陰)と動(陽)の二面性が存在し
その調和した状態が 水 の状態である
とされます それは
ー燃え盛るような怒りの中には 悲しみや無力感 が
ー大笑いの笑いの中には ジャッジと共感
といった2種の大まかな感情が少なくともその背後に
渦巻いているという事です また 般若心経にある
ー色即是空(色即ち是空也) と 空即是色(空即ち是色也)
とは 物質 と 非物質 の曖昧な境界性を述べており
全ては原子によって構成されており それが石のような固形物で
あろうと微細に見れば 空間が存在し その粒子はあるないを行き来し
固有の振動数を有している さらに
ー無有恐怖(むうくふ)・遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
・究竟涅槃(くきょうねはん)
とは「色即是空」の道理を理解し、すべては空(実体がない)であるとわかれば、
死への恐怖や失う恐怖はなくなり(無有恐怖)、逆さまな考え方(執着や妄想)が
消え去り、本当の平穏(涅槃)が得られる、という教えです(by AI )
故にブルースリーは
ーLike a Water (水(気体 液体 固体を行き来する)のようだ)
と述べているという事です それは単に得意な武術の稽古や
奥義のためではなくつまり究極的には
ー自分を知るという事だ
という彼の発言からもわかることです
聖書のラザロの死において ヨガナンダの師 ユクテスワが述べました
「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子が
それによって栄光を受けるためのものである」。
ーイエスはここで 自分を神の子と呼んでいる
イエスは 自分自身実際に神と一体であったが 彼がここで言っている
神の子という言葉には もう一つの深い非個人的な意味があるのだ
先生は説明された
ーすなわち 神の子とは人間に内在する聖なる意識 キリスト意識のことを
言っているのだ 早晩死んだり朽ち果てたりするものには 神の栄光を
現すことは出来ない 人間が自分の造り主たる神の栄光を現すために
なすべき唯一の事は
ー神を求め 神を知ることだ
奇しくも 当時を ー私はただの土塊同然であった と振り返ったヘレンケラーが
盲目の世話役のアンサリバンが 井戸に手を入れ 手のひらにーW-a-t-e-r と
綴ったサリバン先生の機転により それが呼び水の様にヘレンのキリスト意識を
目覚めさせた回顧を思い出させます さらにユクテスワは
バラムブラッマ(神 至上霊)は 始まりもなく終わりもない
不生不滅の存在であり 完全無欠である それは 一体にして
不可分のものである
不生不滅の存在であるスワミ パラムフラッマ(父なる神)は
実在する唯一の真の実体(サット)であり 宇宙のすべての
すべてである
人は生来 直感的に 目に見えない一つの実体の存在を
信じており これに対する信仰心を内に宿している
われわれの五感(視、聴、嗅、味、触)の対象である眼前の世界を
構成しているもろもろの事物は その”一つの実体”があらわす
様々な属性(現れた形相)であるが 人間は この属性によって
構成された肉体の中に自己意識を没入させているために
この不完全な肉体の器官が認識する”同じ次元の属性”しか
理解することが出来ず それらの属性が起因とする”実体”については
実際に体認することができない それゆえ この物質界の人間は
”マーヤ”と呼ばれる”神の幻術”によって映し出されているその”属性”
の中から自己意識を引き上げて 本来の神性を取り戻さない限り
この唯一の実体(父なる神)を識ることはできないのである
ーそもそも信仰心は 願い事を実現する実体であり 隠れた事実を明かす
証人である
そこでイエスは言われたーあなたがたは 人の子(自我意識)を
引き上げた時 初めてわたしがそういう者(世の光り 上の世界から来た者
真の実体)であることを知るであろう
その(パラムプラッマ)の中に 全ての知識と愛の起源があり
あらゆる力と喜びの根源がある
人は根源的にこの”もう一人の存在”に気づいており 同時に生かされ感謝している
というのは どこの国の伝統文化祭りを見ていても共通項であります
ーアメリカ先住民がアボリジニーなどの先住民文化の継承者たちは
時代の流れにつれて神話を変化させる柔軟性を持っています
つまり彼らの神話は現在でも生きています
一方 西洋文明の社会は 日常生活から神話を排除してきました
これによって彼らの生活は 硬直化と空虚化の一途をたどりました
硬直化した社会において その社会基盤となっている神話に
構造的な変化をもたらすことは かなりの無理があるでしょう
しかし もし人々が従来とはまったく異なる新しい神話を生み出せた
のならば 神話のエネルギーは新しい息吹を得て蘇るでしょう
つまりそれは硬直した現実に封印されていたエネルギーが解放される
ことを意味します いったんこれが起こると 現実に
柔軟性が生まれます すると人間は現状から解き放たれて
新しい本来へと前進することができるのです
この感覚的に”硬く ゴツゴツした”現実に対し 現在 こと日本においては
スピリチュアルの台頭 アニメの転生シリーズ等が人気であるのは疑いのない
事実であり本質的な実感 歓び 慈しみをどこか探し求めているものかもしれません
ー(悟りを開いた行者にとって)死とは愉悦(柔)であり 覚悟(剛)するものではない
とはヨギーの成瀬さんの言葉ですが
ー 覚悟とは本質的に ー嫌なもの
というジャッジが存在していると指摘されます
しかしながら カスミを食べる仙人にとっては
ーそれは肉の衣(嫌な事から)をただ脱ぐだけ(解放される)であり
ただの愉しみである
ーこの融通無碍の境地に至る理由はただ一つ ー己を知った からこそであり
大抵の恐怖や憎しみとは それと向き合わなかったからであり 無知蒙昧の結果である
水の様に人は怒り固くなるときもあれば その体が焼かれて煙に
なることもある しかしながら 本質は水の様に軟らかい性質のものであると
知った時 この世界をもっと愉しみながら 変化という進化を怠ることなく
その歩みの中に 神の意志が自ずと地上にもたらされるものかもしれません
最後にババジの愛の教えで笑って終わります
ー(聖者は)その人の持っている固定観念を壊すために その人の信じていることと
違うことをわざと言う