森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

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どうも初めまして森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnです。

人・物・情報あらゆる全てを私があなた
へつなげます。



ごきげんよう どろんnです

いつも いいね並びにフォローありがとうございます

責任者になって担当物件で見積作成から提案から受注 

実施など 8月以降本業に勤しんでいて 気が付けば

はや四か月が過ぎていて驚くのですがwww 

およそ何も(自分に)還元されない下積み時代の頃を

思い出すと 今がどれだけ恵まれているか と目を細めて

いる自分がいるから 人生とは面白いものですwww

 

 

 

 

ーじんせい らくありゃ くもあるさー

 

 

 

と某水戸の黄門様の主題歌も言っておりましたがw

 

 

 

ーこの世界は陰陽のバランスで幸不幸というものは左右される

 

 

 

というのがわかります つまり 忙しく寒い季節だからこそ

温かい湯船につかってゆっくり温まるのが冬の一大癒しに

なるというものでありますw

 

 

また ある程度年数や人生の酸いも甘いもかみ分けなければ

 

 

ーその時の状況如何で 幸不幸というものが簡単に左右され 

つい浅はかな決断 結末を迎えがちである

 

 

というのは誰の胸にも去来するものであるという事です

 

 

某有名投資家のウォーレンバフェットが結局詰まる所

 

 

ー(自分は)運がいい

 

 

というのも 上記のことを踏まえれば中々味わいのある言葉で

あるということです

 

 

 何百何千万も彼が手堅くトレードしてきた中で 最後の言葉が

ー運 というのは 

 

 

ーそもそもの時代背景 生まれた国 教育制度や投資の師

家族や友人 そして健康 寿命に恵まれた

 

 

つまり 先進国であり 世の中に市場がどんどん解放され

投資資源や機会がどんどん広がっていったとき 自分は

 

 

ーその絶好のタイミングで投資が出来たという機会という

確率の希少さを総じて 運がいい

 

 

と言っているということです その中で有名なワードが

 

 

ー複利(指数関数)

 

 

ですが その恵まれた環境がなければ(薄命 恐慌 圧政)
その恩恵には決して預かることができない ということです

よく似た言葉で

 

 

 

ー徳 

 

 

というものが禅の世界においてもありますが

およそこの世の道徳や一般常識を超越した 何らかの私心のない

行いやリーダーシップの上に その人の影響力や発言が

指数関数の様に上がる現象があるということです

 

 

 

ーこの秋は 雨か嵐か知らねども 今日の勤めに田の草を取る

 

 

 

という二宮尊徳の言葉には 目先の利益だけではない

 

 

 

ー人としての行い 道徳 不文律 

 

 

 

が描かれている ということです イエスの

 

 

 

ー隣人を愛せよ や 心を尽くして 思いを尽くして 

知力を尽くして あなたの神を愛しなさい

 

 

 

というのは 同義のことを言っている ということです

その意味で 宇宙的視点で見れば 

 

 

ーこの地球に起こる艱難辛苦 や 生老病死 といった

出来事すべては 自らのために起こっているドラマである

 

 

一見すれば 悪いことも 後の良い行いや分別に繋がっていたり

逆に 良いことも 後の悪い行いや分別に繋がっていたりする

 

 

 

ー人間万時塞翁が馬 禍福は糾える縄の如し

 

 

 

という諺にある様にということです

その意味において

 

 

 

ー 中今(なかいま) や 感謝

 

 

 

というのは 単に

 

 

 

ー良いことや良い出来事があったからその心境 境地に

至れるわけではない

 

 

 

と知るのです

 

 

 

ー(自分の犯した)後悔や犠牲 幼い頃に辛い目に遭った

思い出など それらを踏まえなければ 見えない境地で

ある

 

 

ということがわかります つまり 僕たちはその一見何の価値も

見出せない体験の中で

 

 

 

ーいつかそれが幸せだったと感じる体験の複利を頂いている

 

 

 

ことを知るのです 

 

 

 

ー成功の反対は失敗ではない

失敗とは 目標を持たないことです   鍵山 秀三郎

 

 

 

ー農薬も肥料も使わない

そのあげくに あんなにボロボロのみじめな姿に

させてしまいました 

苦しめたのは私なのに そんな私を救ってくれたのは

リンゴの木でした         木村 秋則

 

 

 

商人とは商い つまり 万年収穫の秋であり だからこそ

飽きが来ない 改善改良を何千何万日重ねて 無限性の

お客様への感謝と御礼に報いる姿勢が 奇跡を生む

 

 

一度は農薬で命を絶とうと試み 首吊ろうと落ちた温かい土に

抱かれて再帰しようとした無農薬の道 

来る日も来る日も浸食され 犯されていく我が子を見届け続け

ようやく見つけたのは自然の愛の偉大さとひたむきな我が子の姿勢

 

 

 

およそ一朝一夕ではその人の人生は語れるものではありませんが

気の遠くなる歳月と経験に裏打ちされた信念と確信がその人の

人生には必ずあるという事です

毎朝起きる度に 自分が活躍できる場があることを感謝する鍵山さん

ですが 恐らく何度も何度もその生に向かうのに臆したかもしれませんが

だからこそ 体験の複利はいよいよ彼を感謝と栄光の日々に駆り立て

奮い立たせ その成功の礎を比類なきものにしたのかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう どろんnです

いつもいいね並びにフォローありがとうございます

責任者で労務管理をしていると 誰かが休むという

ことは日常ではありますがw 例えば 明朝にメールが

2件入っていてー同じような理由で休む という時には

何か自らの行いを改める必要があるのかもしれないと

勘ぐる節がありますwww

ありがとうは在り難し とも書きますが およそ日常とは

薄氷の上を歩くがごとくであり あらゆるものはその前提を

一つでも失うと成立しえない 実際問題として とても不安定な

存在でかつ 生かされているもの であると日々感じます

 

 

 

 

ー7月5日問題が無事何事もなく過ぎ去った

 

 

 

 

というのは胸を撫でおろすことでありながら 同時に

 

 

 

 

 

ーこのままの人類の波動のままで考えると末恐ろしい

 

 

 

 

 

と考えるのは最近感じることであります

 

 

 

 

若い内というのはあらゆる物事は他人事であり 泡沫的でそれに対して自らの

ー縁 というものは感じることはありませんが 色んな経験と偶然を経て

歳を取ると これは偶然ではなく 日頃の行いが原因ではないかと直感的に

感じる場面も増えてくるものであります つまり 結論的に述べれば

 

 

 

ー人間とはこの世界をただ漠然と生きるというこの世界の住人以上の何か

別のミッションを持っているのではなかろうか 言い換えれば

生まれる前に決めてきた使命があるのではないか 

 

 

 

ということです また

 

 

 

ー現象界

 

 

 

というこの世界の別名がありますが この起こる現象というのはその人間の

今世持ち越したカルマによって その現象がもたらされる といえ それは

 

 

 

ーその事を通して 魂的成長を促すものである ないし その事に対する

執着を体験しきって手放すことにある

 

 

 

ということです それは分け御霊とは 原液を希釈して溶液を作る過程と

希釈した溶液が体験や経験を通して 原液に近づくことで より新たな原液

でいて 濃度の高いそれになっていく壮大な過程のお話しであるという事です

 

 

 

また一般的に 魂状態でそれを計画する魂は楽しんでそれを選んでおり

ある意味でディセンションして肉体自己として体験する方は

 

 

ーそれが何で起こっているかを理解していない

 

 

つまりそれは

 

 

ー自らが起こしたことにせよ 相手が起こしたことにせよ

 

 

 

という事です 多くの場合 人間のエゴによって他責や周囲の意見に

流されることによって 物事の本質から遠のいていくものであり

奇しくもイエスが処刑場で語った

 

 

 

ー父よ 彼らをおゆるしください

彼らは何をしているのかわからずにいるのです

 

 

 

という人類に対する贖罪の名文句になったという事です

その観点から考えると イエスがお示しになった十字架とその贖罪とは

 

 

 

ー人類の使命を思い出させることであり 同時にイエスという人格と

その言葉とは この世界の向き合い方の手本であり ひな形であった

 

 

 

ことを知るのです 

 

 

 

ーあなたがたの天の父の子となるためである 父は悪人にも善人にも

太陽を昇らせ 正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである

 

 

 

言ってしまえば この世の善悪というものは 刹那的なー状態 に過ぎず

ややもすれば エゴの天秤にかけられて 恣意的に捻じ曲げられるものでありますが

 

 

 

ー永遠の命というイエスのその姿勢とは 真理であり命であり愛である 

 

 

 

といった

 

 

 

ーこの世界の成り立ちと存在意義そのものである

 

 

 

ということです ヨガナンダのお話しでは

 

 

 

ー人間は自己の本性を深く悟れば悟るほど 自分の霊的波動によって

全宇宙に働きかける力が増し 自分自身もまた環境の力の影響を

受ける度合いが少なくなる

~私は 人間の誕生時の天宮図が 過去によって決められる逃れられぬ

宿命を意味するものではないということを理解するようになった

 この星の託宣は むしろ人間の慢心を戒める警告の針なのである

 つまり天は人間に あらゆる束縛から自己を解放しようとする決意を

促しているのである 

~そしてそれは 本人が 外的ではなく内的な障害に打ち勝てるか

否かに掛かっているのである

 

 

 

ー天地は滅びるであろう しかし わたしの言葉は滅びることはない

 

 

 

 

仏教ではあらゆるものにはー仏性 が宿っており ナマステという

ネパールの挨拶には 互いの内なる光に敬意を称す という意味があります

そういった意味で 悪人であれ善人であれ みな重要な宇宙の構成要素であり

やがて神となる菩薩であり この行を ー菩薩行 と言います

ー隣人を愛せよ 汝の敵を愛せよ という聖書の言葉にもありますが

艱難辛苦 幸不幸も 全ては現象に過ぎず そのことに気づかせてくれた

と感謝を述べ こうべを垂れるとき 全ては干天の慈雨であった

と気づかされるものかもしれません

 

 

 

 

 

 

ー人はたえず”おのれとは何者か”と自らに問いかけるべきである

 

 

 

 

 

 

ー二元論も三位一体説も 何かの上に支えられている

支えがなければ それは存在しえない

その支えを見極めようとするとき それらはおのずとくずれさる

そこに不動の真理があらわれる それを見る者は もはや迷うことはない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげよう どろんnです

いつもいいね並びにフォローありがとうございます

春眠暁を覚えず という言葉がありますが

一度眠ると意識がゴソっと持っていかれてw

その分目覚めの深淵がいつもより深い気がしていてw

ややもすれば 再び沈んでいく感覚があって

毎日うっすらとした危機感で起きております笑い泣き

 

 

 

 

 

平家物語の冒頭で

 

 

 

ー祇園精舎の鐘の声

 

 

諸行無常の響きあり

 

 

~驕れるもの久しからず

 

 

ただ春の夜の夢に同じ

 

 

 

という 暗に無念という三味線の旋律と共に

過去世の追体験を胸に巡らすものであります

 

 

 

ー阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて 

また立ち帰る 阿字のふるさと

 

 

と亡き空海に向けて 弟子が唄ったはなむけの言葉が

あるそうですが 本質的に

 

 

ー人間はあくまでー行(ぎょう)という この世界の二元論では到底

推し量れない魂としての経験のために輪廻している

 

 

といえます それはある意味で

 

 

ー愛という本質を理解するためには そのものがあたかも存在しえない

世界に入らねば そのものを理解することができない

 

 

という荒療治のようにも思えます その意味で ある種の救いは

 

 

ーこの世界で個人として亡くなった本人がどれだけ無念さや その反対に

仮初めの愛に包まれて亡くなったとしても その経験自体に差はない

 

 

ということです 

 

 

ー地を這いその世界を蹂躙するアリも その様を見て本当の世界の

支配者であると自惚れる人間も大差はなく 全く異なる価値観でその

世界に生まれてきた 

 

 

つまり ー次元が違う からこそ 

 

 

ー今生においてその真の理由を理解することができない

 

 

といえます その意味において

 

 

ーアリがアリとして振舞うのも 人間が人間として振舞うのも

そういうものであるからだ 

 

 

とその性質を理解した別の次元の存在は理解しているものです

 

 

 

ある意味で イエスが神の子として 福音を伝えたように

 

 

ーあらゆる人生において その存在(見える世界)は比喩的であり 

その体験は物語的である 

 

 

まるで ー乳幼児に渡す絵本のような世界である

 

 

と知り得ます つまり

 

 

ー絵本の中の登場人物としてそれを体験しているんだ 

 

 

というおとぎ話や寓話は この世界そのものであったと

知りえるのです   

 

 

 

ヨガナンダのババジとの話の中で

 

 

ーこの建物が一夜にしてここに出来上がったことについては
別に不思議はありません 宇宙の万物は 創造主の想念が
具象化したものです 宇宙空間に浮かんでいるこの地球という
重い土のかたまりも 実は神の夢にほかなりません 
 神はすべてのものを ご自分の心から作り出されたのです
 それはちょうど われわれ人間が 夢の意識の中で
いろんなものを創造し かつ 活動させているのと全く同じです
 

 

また 別の表現として

 

 

ー物理的な世界は最高度の現実ではない 夢を見ているときは

それが現実のように感じる

(しかし 粗い現実の世界でまた目覚めそれを現実と認識する)

 

 

 

ー人は生来 直感的に 目に見えない一つの実体の存在を
信じており これに対する信仰心を内に宿している 
われわれの五感(視、聴、嗅、味、触)の対象である眼前の世界を
構成しているもろもろの事物は その”一つの実体”があらわす
様々な属性(現れた形相)であるが 人間は この属性によって
構成された肉体の中に自己意識を没入させているために
この不完全な肉体の器官が認識する”同じ次元の属性”しか
理解することが出来ず それらの属性が起因とする”実体”については
実際に体認することができない それゆえ この物質界の人間は
”マーヤ”と呼ばれる”神の幻術”によって映し出されているその”属性”
の中から自己意識を引き上げて 本来の神性を取り戻さない限り
この唯一の実体(父なる神)を識ることはできないのである

 

 

 

つまり 端的に述べると この世に良いも悪いも存在しない

およそ人智を超えた理由で あじのこが 逆流をよじ登るサケの

群れの様に ひたすらその生命を燃やし尽くし 朽ち果てて

行く場であるといえます その無限性の生の営みは一つの大きな

渦となり 溶け合って混ざり合い 再びアジのふるさとに帰っていく

その意味において救いとは その生とは 優にその次元を超えたものであり

そのもの自体が愛であり 尊いことであるという生きとし生ける者に

対し ー天上天下唯我独尊 と生まれながらにして礼拝した仏陀の

御言葉とお姿のとおりであると思えます