ごきげんよう どろんnです
いつもいいね並びにフォローありがとうございます
ベタになりますがw 今年も早くも折り返しに
差し掛かろうとしており 時の過ぎる早さに
おっさんはおののいておりますが
チャレンジ精神さえ忘れなければ 人は常に
若く謙虚で居続けられる と言い聞かせて
塩沼亮潤さんのー人生生涯小僧の心を
模範としていきたいと思う所存であります
ーのびやかで かろやかで あなたのままで
という聖フランチェスコの愛の三原則の言葉がありますが
斎藤一人さんの言葉にも
ー面白くて 楽しくて 涼やかで
という似たような言い回しが存在します
この言葉はー普通はつらいよ という一人さんの講演の中で
出てくるのですが
ー人生ってさ そのまま感情のままに 心の思うままに
任せて生きてると つらいよね だから ふつうはつらいよね
というw お話しなのですが
で日本一ツイテル人の考え方としては
ー考えを常に下に向けない この起こったこと(困難 問題)で
神は俺に何を与えているのか その答えがわかったとしたら
俺はやっぱり日本一ツイテルんだよ
というw 思考回路であるという事です
小林正観さんや斎藤一人さんの挿絵で有名な
柔和な菩薩の絵でお馴染みの斎灯サトルさんの別の解釈では
ー縁起のいい演技をしている
ということですw
思い出すのは 勝海舟の逸話で閑古鳥の鳴く料亭で客もいないのに
店の者一同で大掃除をしている その姿に教訓を得て海舟はその女将に
餞別を渡すのですが その心は
ー気を滞らさず 活気をたやさないようにしている
そうしていると客足も次第に戻り 元の繁盛店になっている
ということです
また イエローハットの鍵山さんの逸話で
ずっと売れ残って埃をかぶっているチャイルドシートがあり
店の人間に指示して 綺麗にラッピングしてリボンもつけさせたら
売れた という話しもあり
ー神は出した問題に対して うまずたゆまず努力して知恵という
工夫をする人に味方する
ともいえます そしてそんな人たちの在り様を形容すると
冒頭の
ー面白くて 楽しくて 涼やか(のびやかで かろやかで あなたのままで)
ということです
Toland Vlog で資本社会の興隆と衰退 狩猟民族から農耕民族に変わった後の
今に至るまでの動画が出ておりますが
狩猟採集時代というのは ー明日食べるものが当然あるというわけではない
という中で 人類は何十万年も生きてこれた時代があったという中で
わかることは
ー別に貯めこまなくとも 当然お金がなくとも 生きられる神のシステムがあった
というそのシステムの頑丈さと近世およそ8千年の文明時代の既に綻びが出ている
その脆さに気づくものです
その中で 毎月の支払いで増える食費や税金 少しでも残して老後に貯めようと
爪に火を点す日々 そういった喪失感や無価値感に苛まれる現代病の一端は
この社会システムの在り様そのものであると気づくものです イエスは
ー野に咲く花を見よ 空を飛ぶ鳥を見よ 刈り取りもせず 種を蒔くわけでもない
それでいて主は彼らを着飾らせ 今日も彼らを養っているではないか また
ー明日のことまで思い悩むな 今日の苦労は今日で十分である
と述べているのは 人類が恐れの為に作り出したそのシステムの欠陥と行く末を
既に見通していたからに他ならない様に思えます
一方で柔和な人として イエスの話しに無心に耳を傾けるマリアや その足に
高価な香油を塗りその別れを惜しむマリア その兄弟ラザロの死を嘆くマリアが
普段はー柔和で優しくて飾り気のない 女性であり イエスに最も愛された女性で
ある というのがわかります
一人さんの話しで 酒蔵の寺田さんとのエピソードがあり
ー寺田さんは面白いんだよ おれがさ あーしたらこーしたらって
言ったら誰よりも早くそれをして こうなったんです って
とっても感謝して喜んでくれる
でさ 寺田の若いのに寺田さんが良い話しをするとするじゃない
いくら寺田さん 親身に情熱的に話したとしても それ やらないんだよ
良い話し聞いたで終わるんだよな たいてい
良い話し聞いたじゃないんだよ 例えば 寺田の酒を買うとか そこでしか
買わないとか そういう与えてもらった恩に対して報いる心意気が大事だよな
でさ そういう人には ー神はそれを活かすチャンスをあたえないよ
それで思い出すのは イエスの奇跡の話しで出てくるイチジクの話しです
ある日イエスは飢えを覚え 近くにあったイチジクによると葉ばかりで実がなく
ー今後一切その実のならない様に と枯らしてしまう という事です
季節外れともありますが 神通力のある神の奇跡(愛)が通用しなかった
木を枯らしてしまう というのは 現代の人間に対する警告の逸話の様に
聞こえてしまいます
西郷隆盛の言葉でー敬天愛人 というものがありますが
ー天は人を愛するがゆえに 私もそれに倣い人を愛するのだ
とした時に 今人類はそれが出来ているのか とした時に 非常に
困難な状態であると言わざるを得ない という事です
真の救世とは この地に受けた恩をどう神に報いるか ということ
ですが その答えはー涼やかで 面白くて 楽しく 生きる
という事です
そういった姿勢でいれば やがて活気が徐々に取り戻され 景気も
良くなり 神武やイザナギを超える大景気になる というのは
神の見えないシステムによるものであるからに他なりません
ー産めよ 増えよ 地に満ちよ という言葉は 偽らざる真実の
在り様であり 常にあなたは味方されている という中で
もう一度自分の在り様を見直し 日本一ツイテル人になろう
ゲームに参加してみてはいかがでしょうか
人間だって自然の一部。自然はいろいろな命が繋がり合っている。
誰もがいろいろな命の中で生かされているんだ
みんな、背伸びしたくなるの。自分の力以上のことを見せようと思って、
ええかっこしようとするから、ちょっと足元すくわれただけでスコーンといっちゃう。
自分の身の丈にあったことを、毎日毎日、一生懸命やることが大事じゃないの
一歩ふみだすためにどうしたらいいかって?どうしようかと
思うこと自体がおかしいんだよ。
やりたいことがあるならやればいい
ありのままの姿を、そのまんま正直にとらえればいい。
物事には真実以外に何もないんだから
仏さんは人生を見通している。仏さんは「道は開いてやるけれど、
後は自分でもって考えなさい。」って言うんだな。
簡単には人生の答えはくれない
人生って、こっちが疲れたら全部「しんどい」ってことになってしまいがち。
考えを辛いことの一点に集中しすぎちゃう。
しんどいところは休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる
(亡くなる3日前に)ただ、感謝だな……
千日回峰行 酒井雄哉