森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnのブログ

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どうも初めまして森羅万象をつなぐスーパーコネクターどろんnです。

人・物・情報あらゆる全てを私があなた
へつなげます。



ごきげんよう どろんnです

いつもいいね並びにフォローありがとうございます

今年ももはや折り返しにさしかかろうとしていて

呆然としますがw 半面記憶力や持久力は昔に

比べて上がっている(一日が早いという意味で)

気がしていてwww

ーええ感じに仕上がってるな~ と喜んでいいような

悲しんでいいようなおっさんの気持ちです笑い泣き

 

 

 

ー肌に合う 水に合う 腑に落ちる

 

 

と古(いにしえ)の言葉がありますが 現在の

 

 

ー左脳優勢の世界から見れば 落ち葉の溜まった

古道のような存在感

 

 

であります

 個人的にはローマの剣闘士時代の様に 文明が

ある程度成熟し 目的を失った社会は政治の腐敗やその市民の

不平不満のやり場として 

 

 

ーそういった享楽的な娯楽や退廃的な思想が跋扈(ばっこ)する

 

 

ものですが つまりそれこそが

 

 

ー左脳に支配された社会

 

 

といえます 

 社会実験の一例としてネズミを使った”ユニバース25”

というものがあり 無制限に食べるものやその住処を与え続けた結果

 

 

ーおよそ毛づくろいだけしてメスも追わないコロニーから外れたオス

が急増し 最後はコロニーごと全滅するという

 

 

ーユートピア構想が結果としてディストピアになった

 

 

事例を彷彿とさせます

 また昨今のSNSを使った闇バイトや詐欺といった一連の事件も

人間が頭でっかちになり欲をかいた結果 簡単にひっかかる構図であり

 

 

ー人間の直感といった第六感などの自己防衛本能も著しく落ちている

 

 

というのを目の当たりにしているものであります 

 

 

三島由紀夫も愛読した”葉隠”の文の中に

 

 

ー武士道とは 死ぬことと見つけたり

 

 

とありますが その精神とは

 

 

ー死と向き合う中で 初めて迷い躊躇いなくその刹那(瞬間)に 

その命を全うできるもの

 

 

といえます 物理的に考えても

 

 

ー武道の世界では そういった脳で考えて行動すれば 油断となり

隙となり たちまちの内に相手の刀のサビとなること必定であり 

感覚を研ぎ澄まして”肌”で反応しなければおよそ対処し切れない

 

 

ということであり 勝海舟の言うように

 

 

ーいちいち事を為すのに”頭”に来るようじゃ 天下の大計はとても

成し得ない 

いちいち俺は”呼吸”でやってのけるのだからな

切れるなら切ってみろ勝は大人しく切られてやる! というと相手は

必ずにげていったっけ 中々どうして”胆力の修養”が必要だよ

 

 

 

弓と禅のオイゲンへリゲルの師 阿波研造も

 

 

ー(頭で考えて)的に当てようとしないで下さい

 

 

ーその力みやその意識が”完全なる射”を阻害する

 

 

ということを暗に示しているということです

また昨今の病気や入院に関する内容でも

 

 

ーそれをどうにかすることを悩まなくなったら

治った

 

 

ーこれまで囚われていた世界以外にも こんな優しい人たちが

いたことを初めて知り 人に優しくなれた

 

 

など 自分の頭の迷いや頭にきていることが病や神経症として

現れていることを思い知るものです

 

 

この関係性は顕在意識と無意識 脳波のベータ波 シータ波

に分類されますが スキンドライブの新井さんによれば

 

 

ー脳は出来て間もない器官にすぎない でも肌はその何倍もの

歴史を経ていて 膨大なトライ&エラーの結果 ほとんどミスをしない

 

 

としていて 

 

 

ー脳だけで判断するよりかは太古の細胞から進化したヒューマノイド

としての人間自体の経験はそれを遥かに凌駕する

 

 

とします つまり 

 

 

ー無意識領域で為された行動は 結果として脳であれこれとわめき散らしてw

行ったものよりも 遥かに優れ 生存する確率が高い 

 

 

ということです それを踏まえて冒頭の

 

 

 

ーあの人は肌に合わない この場所は水が合わない この教えが腑に落ちた

 

 

 

というのは 脳で考える以前に発動する

 

 

 

ー無意識で感じる”警告”や”納心”であることがわかります

 

 

 これまでの経験という膨大な体験を通して この場所の雰囲気や湿気 

匂いの感じはどうも自分には合わない

 また禅の道場で膨大な時間 座禅して沈思黙考して頭で理解する

のではなく 初めて腑に落ちた というのは

 

 

ー今世という時間軸だけに限られるものではないのかもしれない

 

 

ということです

 

 

またイエスの言葉にある様に

 


ー自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために
命を失う者は、かえってそれを得るのである
 

 

ー自分可愛さで脳を使い相手を裏切るものは その感覚を失い

愛の為に命を捨てる覚悟を持つものは その感覚を得るのである

 

 

というのは 

 

 

ー脳で考えるか 愛で行うか というのは第六感を修養するにあたり

大きな違いを産む

 

 

そう考えると イエスの予言とはこういった無意識領域の直感が

研ぎ澄まされた結果 量子コンピューターの様に過去現在を計算して

その未来をただ予言として述べているだけにすぎないのかもしれません 

さらに

 

 

ー永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、

あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

 

 

とありますが 歴史上の忠臣と呼ばれる存在はその主君の為に 

誓いを立てそれを全うすることを誉(ほまれ)としてきた 

というのは それは連綿と続くその国家を守護してきた存在や文化 伝統

そのものに与(くみ)したことを意味し それは過去の偉人たちの

体系の一つとなる いわば 永遠の命という系譜の一つに

なるという事です そしてその能力を加護として遺憾なく

その大義に使えるとすれば 脳で考えて己の命を惜しむのが

良いか または永遠の命としてその伝説の一柱となり その大義を

全うするのか というのは歴史を通して示されたあなたへの神による

招待状という試練なのかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう どろんnです

いつも いいね並びにフォローありがとうございます

もはや2月ですがwww 年を取ると若い内の

余分な心持ちというか 曖昧な心持ちの余白がなくなり

気づけば サイボーグの様にタスクと予定をこなしている

自分と家に帰り風呂につかりつつ優雅に読書を愉しむ自分もいて

その意味ではこの齢にしてようやく余分な肩の力が抜けて 

緊張と緩和の調和がとれるようになった気がしております立ち上がる

 

 

 

ーDont think、Feeeeeel!  (考えるな 感じろ!)

 

 

 

とはブルースリーの映画における名言ですがw

彼が気の遠くなる歳月の鏡の前の自己観察の結果

 

 

 

ーLike a water  (水の様に融通無碍)
 

 

 

という境地を某Youtubeで見つけてシェアしようとしている

次第でありますwww

 

 

 

一般的に人間は正しい 間違い といった二元論の世界で

自分や他者 物事をジャッジする傾向にありますが

彼曰く 

 

 

 

ー物事には必ず静(陰)と動(陽)の二面性が存在し

その調和した状態が 水 の状態である

 

 

とされます それは

 

 

 

ー燃え盛るような怒りの中には 悲しみや無力感 が

 

 

 

ー大笑いの笑いの中には ジャッジと共感

 

 

 

といった2種の大まかな感情が少なくともその背後に

渦巻いているという事です また 般若心経にある

 

 

 

ー色即是空(色即ち是空也) と 空即是色(空即ち是色也)

 

 

 

 

とは 物質 と 非物質 の曖昧な境界性を述べており

全ては原子によって構成されており それが石のような固形物で

あろうと微細に見れば 空間が存在し その粒子はあるないを行き来し

固有の振動数を有している さらに

 

 

 

ー無有恐怖(むうくふ)・遠離一切顛倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)

・究竟涅槃(くきょうねはん)

 

 

 

 

とは「色即是空」の道理を理解し、すべては空(実体がない)であるとわかれば、

死への恐怖や失う恐怖はなくなり(無有恐怖)、逆さまな考え方(執着や妄想)が

消え去り、本当の平穏(涅槃)が得られる、という教えです(by AI ) 

 故にブルースリーは
 

 

ーLike a Water (水(気体 液体 固体を行き来する)のようだ)

 

 

と述べているという事です それは単に得意な武術の稽古や

奥義のためではなくつまり究極的には

 

 

 

ー自分を知るという事だ

 

 

 

という彼の発言からもわかることです

聖書のラザロの死において ヨガナンダの師 ユクテスワが述べました

 

 

「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子が

それによって栄光を受けるためのものである」。

 

 

ーイエスはここで 自分を神の子と呼んでいる 
イエスは 自分自身実際に神と一体であったが 彼がここで言っている
神の子という言葉には もう一つの深い非個人的な意味があるのだ
先生は説明された 

ーすなわち 神の子とは人間に内在する聖なる意識 キリスト意識のことを
言っているのだ 早晩死んだり朽ち果てたりするものには 神の栄光を
現すことは出来ない 人間が自分の造り主たる神の栄光を現すために
なすべき唯一の事は 

 

 

 

ー神を求め 神を知ることだ 

 

 

 

奇しくも 当時を ー私はただの土塊同然であった と振り返ったヘレンケラーが

盲目の世話役のアンサリバンが 井戸に手を入れ 手のひらにーW-a-t-e-r と

綴ったサリバン先生の機転により それが呼び水の様にヘレンのキリスト意識を

目覚めさせた回顧を思い出させます さらにユクテスワは

 

 

 

バラムブラッマ(神 至上霊)は 始まりもなく終わりもない
不生不滅の存在であり 完全無欠である それは 一体にして
不可分のものである

 不生不滅の存在であるスワミ パラムフラッマ(父なる神)は
実在する唯一の真の実体(サット)であり 宇宙のすべての
すべてである

  人は生来 直感的に 目に見えない一つの実体の存在を
信じており これに対する信仰心を内に宿している 
われわれの五感(視、聴、嗅、味、触)の対象である眼前の世界を
構成しているもろもろの事物は その”一つの実体”があらわす
様々な属性(現れた形相)であるが 人間は この属性によって
構成された肉体の中に自己意識を没入させているために
この不完全な肉体の器官が認識する”同じ次元の属性”しか
理解することが出来ず それらの属性が起因とする”実体”については
実際に体認することができない それゆえ この物質界の人間は
”マーヤ”と呼ばれる”神の幻術”によって映し出されているその”属性”
の中から自己意識を引き上げて 本来の神性を取り戻さない限り
この唯一の実体(父なる神)を識ることはできないのである




ーそもそも信仰心は 願い事を実現する実体であり 隠れた事実を明かす
証人である



 そこでイエスは言われたーあなたがたは 人の子(自我意識)を
引き上げた時 初めてわたしがそういう者(世の光り 上の世界から来た者
真の実体)であることを知るであろう

 その(パラムプラッマ)の中に 全ての知識と愛の起源があり 
あらゆる力と喜びの根源がある

 

 

 

人は根源的にこの”もう一人の存在”に気づいており 同時に生かされ感謝している

というのは どこの国の伝統文化祭りを見ていても共通項であります

 

 

 

ーアメリカ先住民がアボリジニーなどの先住民文化の継承者たちは 

時代の流れにつれて神話を変化させる柔軟性を持っています 

つまり彼らの神話は現在でも生きています

 一方 西洋文明の社会は 日常生活から神話を排除してきました

これによって彼らの生活は 硬直化と空虚化の一途をたどりました

硬直化した社会において その社会基盤となっている神話に

構造的な変化をもたらすことは かなりの無理があるでしょう

 しかし もし人々が従来とはまったく異なる新しい神話を生み出せた

のならば 神話のエネルギーは新しい息吹を得て蘇るでしょう 

つまりそれは硬直した現実に封印されていたエネルギーが解放される

ことを意味します いったんこれが起こると 現実に

柔軟性が生まれます すると人間は現状から解き放たれて 

新しい本来へと前進することができるのです

 

 

 

この感覚的に”硬く ゴツゴツした”現実に対し 現在 こと日本においては

スピリチュアルの台頭 アニメの転生シリーズ等が人気であるのは疑いのない

事実であり本質的な実感 歓び 慈しみをどこか探し求めているものかもしれません

 

 

 

ー(悟りを開いた行者にとって)死とは愉悦(柔)であり 覚悟(剛)するものではない

 

 

 

とはヨギーの成瀬さんの言葉ですが

 

 

 

ー 覚悟とは本質的に ー嫌なもの 

 

 

というジャッジが存在していると指摘されます 

しかしながら カスミを食べる仙人にとっては

 

 

 

ーそれは肉の衣(嫌な事から)をただ脱ぐだけ(解放される)であり

ただの愉しみである

 

 

 

ーこの融通無碍の境地に至る理由はただ一つ ー己を知った からこそであり

大抵の恐怖や憎しみとは それと向き合わなかったからであり 無知蒙昧の結果である 

 

 

 

水の様に人は怒り固くなるときもあれば その体が焼かれて煙に

なることもある しかしながら 本質は水の様に軟らかい性質のものであると

知った時 この世界をもっと愉しみながら 変化という進化を怠ることなく

その歩みの中に 神の意志が自ずと地上にもたらされるものかもしれません

最後にババジの愛の教えで笑って終わります

 

 

 

 

ー(聖者は)その人の持っている固定観念を壊すために その人の信じていることと
違うことをわざと言う 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごきげんよう どろんnです

いつも いいね並びにフォローありがとうございます

責任者になって担当物件で見積作成から提案から受注 

実施など 8月以降本業に勤しんでいて 気が付けば

はや四か月が過ぎていて驚くのですがwww 

およそ何も(自分に)還元されない下積み時代の頃を

思い出すと 今がどれだけ恵まれているか と目を細めて

いる自分がいるから 人生とは面白いものですwww

 

 

 

 

ーじんせい らくありゃ くもあるさー

 

 

 

と某水戸の黄門様の主題歌も言っておりましたがw

 

 

 

ーこの世界は陰陽のバランスで幸不幸というものは左右される

 

 

 

というのがわかります つまり 忙しく寒い季節だからこそ

温かい湯船につかってゆっくり温まるのが冬の一大癒しに

なるというものでありますw

 

 

また ある程度年数や人生の酸いも甘いもかみ分けなければ

 

 

ーその時の状況如何で 幸不幸というものが簡単に左右され 

つい浅はかな決断 結末を迎えがちである

 

 

というのは誰の胸にも去来するものであるという事です

 

 

某有名投資家のウォーレンバフェットが結局詰まる所

 

 

ー(自分は)運がいい

 

 

というのも 上記のことを踏まえれば中々味わいのある言葉で

あるということです

 

 

 何百何千万も彼が手堅くトレードしてきた中で 最後の言葉が

ー運 というのは 

 

 

ーそもそもの時代背景 生まれた国 教育制度や投資の師

家族や友人 そして健康 寿命に恵まれた

 

 

つまり 先進国であり 世の中に市場がどんどん解放され

投資資源や機会がどんどん広がっていったとき 自分は

 

 

ーその絶好のタイミングで投資が出来たという機会という

確率の希少さを総じて 運がいい

 

 

と言っているということです その中で有名なワードが

 

 

ー複利(指数関数)

 

 

ですが その恵まれた環境がなければ(薄命 恐慌 圧政)
その恩恵には決して預かることができない ということです

よく似た言葉で

 

 

 

ー徳 

 

 

というものが禅の世界においてもありますが

およそこの世の道徳や一般常識を超越した 何らかの私心のない

行いやリーダーシップの上に その人の影響力や発言が

指数関数の様に上がる現象があるということです

 

 

 

ーこの秋は 雨か嵐か知らねども 今日の勤めに田の草を取る

 

 

 

という二宮尊徳の言葉には 目先の利益だけではない

 

 

 

ー人としての行い 道徳 不文律 

 

 

 

が描かれている ということです イエスの

 

 

 

ー隣人を愛せよ や 心を尽くして 思いを尽くして 

知力を尽くして あなたの神を愛しなさい

 

 

 

というのは 同義のことを言っている ということです

その意味で 宇宙的視点で見れば 

 

 

ーこの地球に起こる艱難辛苦 や 生老病死 といった

出来事すべては 自らのために起こっているドラマである

 

 

一見すれば 悪いことも 後の良い行いや分別に繋がっていたり

逆に 良いことも 後の悪い行いや分別に繋がっていたりする

 

 

 

ー人間万時塞翁が馬 禍福は糾える縄の如し

 

 

 

という諺にある様にということです

その意味において

 

 

 

ー 中今(なかいま) や 感謝

 

 

 

というのは 単に

 

 

 

ー良いことや良い出来事があったからその心境 境地に

至れるわけではない

 

 

 

と知るのです

 

 

 

ー(自分の犯した)後悔や犠牲 幼い頃に辛い目に遭った

思い出など それらを踏まえなければ 見えない境地で

ある

 

 

ということがわかります つまり 僕たちはその一見何の価値も

見出せない体験の中で

 

 

 

ーいつかそれが幸せだったと感じる体験の複利を頂いている

 

 

 

ことを知るのです 

 

 

 

ー成功の反対は失敗ではない

失敗とは 目標を持たないことです   鍵山 秀三郎

 

 

 

ー農薬も肥料も使わない

そのあげくに あんなにボロボロのみじめな姿に

させてしまいました 

苦しめたのは私なのに そんな私を救ってくれたのは

リンゴの木でした         木村 秋則

 

 

 

商人とは商い つまり 万年収穫の秋であり だからこそ

飽きが来ない 改善改良を何千何万日重ねて 無限性の

お客様への感謝と御礼に報いる姿勢が 奇跡を生む

 

 

一度は農薬で命を絶とうと試み 首吊ろうと落ちた温かい土に

抱かれて再帰しようとした無農薬の道 

来る日も来る日も浸食され 犯されていく我が子を見届け続け

ようやく見つけたのは自然の愛の偉大さとひたむきな我が子の姿勢

 

 

 

およそ一朝一夕ではその人の人生は語れるものではありませんが

気の遠くなる歳月と経験に裏打ちされた信念と確信がその人の

人生には必ずあるという事です

毎朝起きる度に 自分が活躍できる場があることを感謝する鍵山さん

ですが 恐らく何度も何度もその生に向かうのに臆したかもしれませんが

だからこそ 体験の複利はいよいよ彼を感謝と栄光の日々に駆り立て

奮い立たせ その成功の礎を比類なきものにしたのかもしれません