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米留学中の残念な大学一年生

せっかく留学しているのにいまいちパッとしない、残念な留学生活を赤裸々に綴ります。週に何度か更新。偶数号は留学に関しての真面目なものを、奇数号は趣味や日頃の楽しい話を、書いていきたいと思います。

コメントいただけるとモチベになります。お願いします(乞食)

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ごきげんよう、アイルランドが想像の四倍温かいカミゴリです。

 

私は現在アイルランドに来ております。

留学先のアメリカの大学の「留学プログラム」で学期中に三カ国を巡るうちの一カ国目なわけですね。

 

普段の滞在先はアイルランド「共和国」の西部の「リムリック」という都市です。こちらの都市はアイルランド国内においては「かろうじて」ゲール語(現地語)話者が2割ほど残っているケルト色の感じられる地域で、8世紀にはカトリックに、12世紀にはバイキングに、そして17世紀にはクロムウェル率いる大英帝国軍に蹴散らされ続けた、負け運の濃い都市です。リムリック条約という「降伏する代わりに宗教(カトリシズム)の迫害は行わない」という条約をものの数ヶ月のうちに反故にされてプロテスタントに蹂躙されたことでも知られています。不名誉すぎて目も当てられませんね。

 

さて本日はこんな負け都市を離れ、「勝ち(?)都市」に一泊二日で赴きましたので、その様子と感想をお伝えします。

 

 

時刻は5時、寝ぼけ眼をこすりながら(あれ?私の眠さの表現って寝ぼけ眼しかない?)、徒歩20分ほどの距離の「リムリック駅」に辿り着きました。相棒の峰を燻らせながら急ぎ足で駅に着くと、始発に向かう人がちらほら見える以外には殆ど人気のない商店街が目に入ります。

 



慣れない手つきでネット予約した切符を印刷し、いざ座席へ。アイリッシュレイル(愛国鉄)は指定席と自由席が混在しています(予約時に座席指定をした場合は座席番号の横の電光掲示板に記載がある)が、幾つか車両を跨ぐと、ガラガラな車両に私の名前がありました。

 

うつらうつらとしながらも景色を流し見て、あっという間(2.5時間)にダブリンはヒューストン駅に到着しました。アイルランドで数か所しかないプレタマンジェ(成城石井みたいなパン屋)でラップ(トルコ版春巻き)を購入し、初めての路面電車へ。峰を燻らせながら(n度目)待っていると宇都宮の路面電車のようなRed Line(黄色い車体)が到着しました。戸惑い、半ば祈りながら乗車しましたが、結果としては無事に到着することができました。

 



エスカレーターを登ると、なんとそこにもプレタマンジェが!電車まで20分ほど時間があり、そこでコーヒーを啜りながら待っていました。

 

やってきたのはダブリン発ベルファスト行きの「国際列車」です。日本で暮らしていると同島に別国が存在することがあり得る、ということはあまり想像がつきにくいですし、非常に楽しみでした。

 

一本目の電車と同様、ひとまずは空いている車内を眺めていました。そして回ってきた車内販売でコーヒーを啜り(コーヒーも啜るとしか言えない自らの語彙を恨みます)、ぼーっとしていると、携帯に通知が。「北アイルランドではローミングをしない限り通信はできません」という携帯会社の通知が。慌ててGoogleマップを開くと、つい先程国境を超えたとのこと。

 

え?もう?

 

運転中の「山梨県ニ入リマシタ」のほうが「越境感」あるぞ?まあ後でこんなにも国境を感じられない理由が判明するのですが、当時はあまりのインパクトの薄さにインパクトを受けておりました。

 

さて、帰りの電車が到着してしまいそうですので今日はひとまず移動編で、一日目の薄い話と二日目の濃い話はまた今度します。

 

では皆さん(多少落ち着いたとはいえ)ありえんほど高いポンドユーロドルにお涙をちょうだいいたしましてお開きといたします。

 

A bientot!!(また今度のフランス語)

 

カミゴリ

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桶狭間の戦いの前に、織田信長は「人生五十年」との言葉を唄として編んだと言われています。それから数百年が経過し、人生百年時代となりました。

 

どうもこんばんは、カミゴリです。今日は少し抽象的な話をします。

 

皆さんは、なぜ生きているのでしょうか。

 

(ネットでちらっと見ただけですが)卒寿あたりの高齢者にとっては「生きている」というより「まだ死んでいない」だけだ、とおっしゃったインタビューを見たときに、面白さと同時に若者や中年にとって「生きている」とはどういった定義で、何の為に生きているのでしょうか。

 

昨期の哲学の授業で学んだことの一つに、人の生きる目的は幸福である、という説があります。確かに痛みとは苦であり、人は生まれながらにして苦しみを減らす、すなわち幸せな方へと自らを導こうとする、という論理です。それも一理ありますね。

 

私は、「人生とは死ぬまでの暇つぶし」というパスカルが言ったとされる言葉が好きです。ただ暇をなくすために学び、遊び、休むわけです。

先日終了した六週間のインターンの際にも、同じようなことを思いました。ただ家でぼーっと何もせずに親のスネを齧っているよりは、少し外界に頭を出し、働くとはどういうことかを学ばせてもらう。まさに「暇つぶし」ですね。

 

インターンは都内の中途の人材コンサルで行いました。父親の知り合いということもあり若干の渋々で始まりはしたものの、エクセルを弄り、パワポを作り、AIでライティングをし、たくさんのメールを書き、時には通訳業務をも行いました。どのタスクも学校にいては中途半端にしか行うことがないため、こういった機会に集中して行えたのは誠に光栄でした。「暇つぶし」が(想像よりは)面白く、それでいて自らの血肉となったことは非常にありがたいですね。

 

まあ私が唐突にブログを書いたのは上記の「くだらん前座」の為ではなく、マッジで久しぶりに淑女と飯を食らう機会を賜りまして、それで心此処に非ずな状態をどうにかアウトプットして平常化しようとした結果としての執筆です。

 

まあ以前から何度か話題には挙げさせてもらったアレですが、まあ可愛いんですわ。この世に肖像権がなければ皆様にご賛同いただける証拠をご紹介するのですが。誠に遺憾です。正直向こうを凝視しているとこっちの心を盗られそうで、最早これがハニトラでもひっかかってもいいや、と思えるほどでした。

 

それでもって夜ご飯をかっ込んだあとはサワーを片手に近所を徘徊、彼女の影の部分の話を真面目に聞いたり、それぞれが両親を愚痴ったりと、言ってみれば「下らない」ことを時計も気にせず語らい合いました。

 

幸せな時間というのは一瞬に感じるものですね。結果的にはトータルで4時間ほど喋っていたわけですが(今指を折りながら数えていて魂消ました)、学校の授業の2コマよりも長かったとはとても思えません。

 

暇つぶしとしては少し都合が良すぎましたね。この「夢」からはとてもですが冷めたくないですな…

 

皆さんも是非楽しい「暇つぶし」を探してみてね!!

 

カミゴリ

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皆さんはいかがお過ごしでしょうか。お久しぶりです。カミゴリでござい。

 

私は5月に帰国し、それ以降は6月終わりまでは自堕落な日々を送り、紆余曲折の後に父の知り合いのところで無給インターンを拝命、労働に勤しんでおります。お財布が最近の天気くらいホカホカになることはこの夏はないでしょう。あれ、目から汗が止まりません。。。

 

さて、今日は色々話すことがありますね。都知事選、トランプ狙撃、男子60kg級の永山選手の誤審、高校野球の千葉県大会の決勝での疑惑の判定など、話せと言われたら無限に話せます。ですが久しぶりのタイピングで吐き気がするので今日は全く関係のない『鉄道』について軽く触らせてもらいます。

 

さて、最近よく思うことの一つに、都市と鉄道の関係があります。正確に言えば、都市と『公共交通手段』の関連でしょうか。

 

かつては江戸の主要交通手段には水運がありました。ですから川沿いや海沿いの都市は発展していったわけです。

しかし現代において、関東の都市の中心は鉄道です。まあ一部地域は高速道路も主要な手段ですが総じては鉄道かと思います。

 

都市が生き物であるならば鉄道とは『血管』です。そこを我々『赤血球』が往復をし、労働に勤しむわけです。日本の血管は少し良くできすぎていますから、不整脈が起きれば体は困惑します。

 

私がインターンで毎日乗車している湘南新宿ラインも、宇都宮線での数分の遅れが災いして横浜発の上り線も絶えず遅延しています。

 

私のような怠惰な者は、遅刻ギリギリの時間に家を発ちます。会社に到着するのは、始業の実に2分前とかです。まあ出社前の一服を減らせと言われたらぐうの音も出ませんが、とにかくギリギリのスケジュールで出社を予定します。

 

ですが私よりも怠惰な湘南新宿ラインは、なかなか回復運転を行いません。結局朝の一服は叶わず出社の羽目に合うのでした。残念。

 

 

長文の書き方を忘れました。あとは今朝の芝刈りで指の筋肉を持っていかれたせいでこの煩わしさを早くどうにかしたので、今日はここらへんで。ほなまた

 

カミゴリ