まずは、

拗ねてるってことに気づこうか!

 

 

 

 

 

こんにちは。

子育て中、これから親になる、

そんな仲間を応援しております。

 

 

食×心のケアで幸福度をアップする

子育てカウンセラー えみです。

 

 

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まずはお知らせをウインク

 

 

今月のおしゃべり会2回目は

6月20日(木)11時~12時半

です。

 

 

詳しくはこちら↓

 

 

 

 

さて本題。

 

 

私はよく自分が拗ねていると

書いてきました。

 

 

今も拗ねることはよくあって、

ああまた拗ねてんな、

おおまた拗ねてんな、

うげまた拗ねてるよ、

と、

よく自己ツッコミしながら生きて

いますイヒ

 

 

でも世の中、

自分が拗ねていることに気づかず

に生きている人もいる。

 

 

自分が拗ねているなんて微塵も

思わずに生きている人が、

いるぶー

 

 

ここに気づいた時、私はハッ!

としました。

 

 

私だってそうだった。

私だって以前は自分が拗ねている

ことに気づかなかった。

気づけなかった。

 

 

これは自己肯定感が低いことに

気づけなかったとか、

自分責めを「自分責め」という単語

知らずにしていたとか、

 

 

と、

同じで、ただ気づいていないままに

生きてしまう。

 

 

それゆえ生き辛さを感じていること

もままあるだろう。

 

 

今日はそんなところを、

私が考えることを、

書きたい。

 

 

 

 

根本にあるのは腹立たしさ

 

 

拗ねていることには早々に

気づいた方がよろしい。

 

 

拗ねていることに気づかずに

相手のせいにして生きているのは

よろしくない。

 

 

先日SNSに投稿されていたものに、

お子さんがいるご家庭の女性が、

ご主人について書かれていたものが

あって。

 

 

食事時、取り皿がないことに気づいたご主人が「取り皿がない」と言った。女性は「ないね~」と言った。持ってきてほしいなら「持ってきてください」と言うべきだと主張する女性。女性は子どもたちにも自分で取ってくるか、取ってきてほしいなら「取ってきてください」とお願いするようにと教えている。女性はご主人にも成長してほしいと思い同じように教えているのだと書かれていた。結局ご主人は何も言わないし取りに行くこともしなかった。なくてもいいということだったよう。女性が「私の分もないからお願いします」と言っても取ってきてはくれなかった。

 

 

↑は引用ではなく私の記憶から

書いたものなのだけど、

だいたい内容はこんな感じだった。

 

 

ご主人がどんな人なのかは分からない

し、普段のお二人の関わり方も

私は知らない。

 

 

どのくらいの仲の良さなのかも

分からない。

 

 

だけれども、

私にはなんだかこの女性の気持ちが

分かるような気もするし

それではなんだかお二人の関係性が

壊れてしまいそうな気もしてならなかった。

 

 

 

 

母になれば、

我が子への教育として親の態度という

のは改めるべきところは改めるべきだ

と考えたりもするものだ。

 

 

だから自分が正しいと思うことを

平気でパートナーに押し付けるなんて

こともできてしまう。

 

 

↑の話では、

「取り皿」と一言いえば取ってきて

もらえると考えるその態度が、

腹が立つし子どもへの教育上問題が

あると考えているわけだよね。

 

 

だけれども、

ここには、

その腹が立つという感情の方が大きく

なっているのではないかなと

私は思うのだ。

 

 

以前にも、

男性が「お茶」と言ったら

「私はお茶じゃありません」

と返されたりとか、

「お茶がどうしたの?」

と返されたりとか、

そんな話が話題になったように記憶して

いる。

 

 

 

 

男性と女性では「察してほしいと思わないで」の意味が違う

 

 

これらを、

「察してほしいのだろうけどやめて

ほしい」と人は言う。

 

 

だから、

「持ってきてくださいでしょ?」

「私はお茶じゃありません」

「お茶がどうしたの?」

 

 

と、返す。

 

 

察してほしいと思うのではなく、

自分で行動したり、

自分がどうしてほしいのかを

ちゃんとお願いするカタチで

発言するべきだ。

それが思いやりというものでしょう?

 

 

と、そんな感じだろうか。

 

 

ここで、

「察してほしい」というワードと、

「思いやり」というワードが、

ひっかかってくるえー?

 

 

 

 

「察してほしいと思わないで」

と言うのが、

女性の場合と男性の場合では意味が

違ってくるように感じてならない。

 

 

これを男性が言う時には、

「事実を言ってほしい」という意味。

 

 

女性が言う時には、

「私をちゃんと大事にしてよ」

という意味に聞こえる。

 

 

男性には、

女性を謎の生き物だと思う人も

少なくない。

 

 

 

 

女性がしてほしいことを言わないで

気づいてほしいと考えていたりする

から、男性はそこに気づけずに女性の

機嫌を損なわせてしまう。

 

 

「言ってくれたらよかったのに」と、

思うし言う。

 

 

言えば

「どうして気づかないの?」と

これまた責められて男性は途方に暮れる。

 

 

自信を失ったり、

逆に腹立たしく感じる男性も

いるだろう。

 

 

男性が言う

「察してほしいと思わないで」

と感じるのは、こういう

 

 

「謎めいたことをしないで事実を

ちゃんと言ってほしい、

じゃないと僕はとあなたのために

行動することができない」

 

 

ということなんじゃないだろうかうーん

 

 

で、

対して女性だが、

その言葉の下には

 

 

私を大事に

扱いなさいよ

 

 

という心が隠れているように

感じるのだ。

 

 

「お茶」と言われたらお茶を入れて

出すと思われている。

まるで召使だし大事にされているよう

な気が全然しない。

そんな扱いされるためにここにいる

んじゃない。

ちゃんと思いやりある態度で接してほしい。

 

 

そんな心が隠れているんじゃ

ないだろうかうーん

 

 

私はここの、女性の

「察してほしいと思わないで」

にはつまり、拗ねる心がある

んじゃないだろうかと思えて

ならない。

 

 

 

 

拗ねていることに気づいてさっさと降参しようじゃないか

 

 

要は、

もっと大事に扱ってほしいのだよね

自分のことを。

 

 

だったらさ、

言えばいいじゃない?

 

 

「そんな言い方をされるとまるで

召使にされているようで、あなた

に大事にされているように感じる

ことができない。だから、

そんな言い方しないで、

取り皿をとってきてほしいと言って

ほしいの」

 

 

と、

言えばいいんじゃないか?

 

 

「あなたに大事にされたい」と、

言えばいいんじゃないか?

 

 

子どもの教育上とかかこつけない

で、盾にしないで、武器にしないで、

正直な気持ちをさらけ出して

言えばいい。

 

 

言えない?

だから、それが

 

 

拗ねてんだってばよ

 

 

拗ねてるから言えない。

その拗ねているというのは、

 

 

  • どうせ私の言うことなんで聞かないでしょ?
  • どうせ私のお願いなんて却下するでしょ?
  • どうせ私のことなんか大事じゃないんでしょ?

 

 

と考えている状態のことだ。

そんなことを無意識にでも考えて

はいないか?

そして、

 

 

  • 優しくしたら負けだ
  • こっちがお願いするなんて恥ずかしい

 

 

そんな

 

 

負けたくない

恥ずかしい

 

 

という気持ちが、ある。

 

 

拗ねる心の根底にある究極の感情、

ではないだろうか。

 

 

思いやってほしいんならそんな

負けたくないとか恥ずかしいとか

言って大事なこと言わないで、

どうして相手はあなたを思いやる

ことができると言えるんだい?

 

 

とうてい無理な話じゃないだろうか。

 

 

それこそ、

子どもにそんな関わり方を教えたい

のか?

という話でもあるえー?

 

 

子どもには、

思いやり合うということの真実を

教えたくはないか?

逆を教えているよ逆を。

 

 

相手に大事な自分の本音を伝える。

自分がどうしたいのかを伝える。

 

 

これは文句でも注意でもなくて、

ただただ自分が大事にしている

自分の心にある柔らかい繊細な部分

を相手に見せるという行為。

 

 

超絶恥ずかしい

 

 

でもここができずに相手といい

関係を築くとか、

パートナーシップを結ぶとか、

できないわけだよ。

 

 

これはそんな、

文句言うだけ、

注意するだけな表面上のやりとりで

できるもんじゃない。

 

 

それはちゃんと、

子どもにも伝えていきたいことだと

私は思うがね。

どうだろうね。

 

 

あなたはどう思う?

 

 

子どもに伝えるってのは、

言葉で説明するんじゃなくて、

自分が実践する背中を子どもに

見せるってことだよ。

 

 

さっさと拗ねている自分を認めて、

恥ずかしいとか負けたくないとか

考えていることも認めて、

すべて受け入れて

 

 

さあこれから

どうしたいか?

 

 

ここをよく考えて行動しようじゃ

ないか。

 

 

「持ってきてくださいでしょ?」

「私はお茶じゃありません」

「お茶がどうしたの?」

 

 

とか言ってる場合じゃない

んじゃない?

 

 

残念ながらこの負けたくないとか

恥ずかしいとか、

そんな嫌だと感じる感情は無くなり

はしない。

 

 

悲しきかな無くなりはしない。

 

 

だから無くそうとしなくていい。

 

 

負けたくないとか恥ずかしいとか

感じたまま負けに行くし恥をかき

に行くのだ。

 

 

それが必要なのだ。

今のあなたに。

 

 

ここを無視し続けて今ある問題は

解決せんよ。

 

 

この時役に立つ情報がある。

それはね、

 

 

夫は妻を愛したい

 

 

という事実にやり

 

 

おそらくほぼ全ての既婚男性が

持っている想いではないだろうか。

 

 

だからね、

安心してあなたも愛されに行けば

いい。

 

 

どうせ愛されないなんて思い込み

はもう必要ない。

 

 

あなたの夫もあなたを愛したい。

だから愛させてあげてくださいませ。

 

 

 

 

ちなみに

「じゃあ男は何もしなくていいわけ?」

「女はずっと我慢してろってこと?」

 

 

なんて声も聞こえてきそうだが、

もちろんそうじゃない。

もちろん男性側にも問題はある

だろうけども、

そんなもん、

 

 

お互い様じゃ!!

 

 

相乗効果って知ってる?

女がつんけんしていれば、

男もつんけんしだす。

 

 

女が幸せそうにしていたら、

男も幸せな気持ちになる。

 

 

幸せな者同士がお互いを想いあえ

ば、その幸せはどんどん大きなもの

になっていくよキラキラ

 

 

逆も然り。

 

 

どっちの相乗効果で生きるかは、

自分で選べるってことでもある。

 

 

さあ、あなたはどっちで生きたい?

 

 

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こちらも参考になれば↓

 

 

知ったかぶりたくないし、

偉そうにしたくない。

 

 

その怒りは自分が生み出して

持ち続けているにすぎない。

 

 

結局何がしたいのだろうか?

 

 

「行く」でいい。

 

 

 

自分の今の心も体も愛して生きませうラブラブ

 

 

 

 

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