36.保呂羽(ほろわ)山(横手市大森町)

 

標高:437m

駐車場:あり

トイレ:あり

登り片道:30 分 (駐車場から)

スマホ高低差:180m

おすすめPoint:三角点を集めている人(二等)。山岳信仰の山です。

歴史:

この山にたくさんの鷹が飛んでいたので「保呂羽山」と名付けられた。

山頂の波宇志別神社(はうしわけじんじゃ)の創立は天平宝字元年(757年)8月とされ、『延喜式神名帳』にも記載されている。また、御嶽山(湯沢市御嶽山)神宮寺岳(大仙市)に祀られている神様は姉妹と伝えられている。 昭和40年まで女人禁制であり、子守りをしていた娘が誤って入山し、祀られている神の怒りを買い岩にされたという伝説がある。

山腹には波宇志別神社があり、同神社の神楽殿は1980年(昭和55年)1月26日に国の重要文化財に指定された。なお、同神社において現在は神楽殿での神楽奉納はされていないが、秋田県横手市大森町木ノ根坂にある大友家が里宮を所有し、そこで11月に霜月神楽が奉納され、1977年(昭和52年)5月17日に「保呂羽山の霜月神楽」として国の重要無形民俗文化財に指定された。(ウィキペディア、他)

江戸時代、秋田藩主の佐竹氏が信仰し神社に参拝した。

秋田藩と亀田藩の境界争いの結果、14箇所の「境塚」が設けられた。

(秋田県あきた未来創造部 地域づくり推進課)

*延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に関しましては、神宮寺岳(大仙市)高岳山(八郎潟町)ご参照下さい。延長5年(927年)にまとめられた由緒正しい神社の一つと言う事です。

*秋田にはここの神社の他、副川神社(高岳山(八郎潟町))、塩湯彦神社の三社が現存しています。(岩手は2、青森は0)

しかし、秋田でも700年代から歴史を持つ神社が多数ありますので(三吉神社、薬師神社)、『延喜式神名帳』に記載された神社を「式内社」と区別していますが、あまり意味はありません。

 

《昔話:保呂羽山の夜叉丸》

延暦年間(800年頃)のこと、出羽国保呂羽山に夜叉丸という大盗賊が砦をかまえ、多くの人々を苦しめていた。

麓の男たちが相談し、守屋藤四郎という勇敢で智力に優れた者が名乗り出て、退治することになった。

なかなか機会がなかったが、藤四郎の娘お藤が村の大家に嫁入りすることになり、夜叉丸が奪いに来ることがわかった。

夜叉丸は藤四郎の待ち伏せにあい、手負いのまま、竜頭嶽(高尾山)に逃げ延びた。

高尾山には白石善五郎夫婦と娘米子が住んでいた。そこに夜叉丸があらわれ、傷の癒えるまで逗留し、恋仲になる。しかし夜叉丸は米子にも告げず、奥の日影持窟に逃げてしまう。

その窟に隠れ仲間を集め住んでいるところへ、米子は夜叉丸を慕い尋ねて再会し夫婦となり大嶽丸を生んだ。(米子と鬼夜叉はこちら→高尾山(秋田市雄和):「米子と夜叉鬼」)

坂上田村麻呂が蝦夷征伐に来た時に村人が訴え、田村麻呂が夜叉丸の住み処を囲んで退治しようとした。

夜叉丸は大嶽丸を小脇にかかえながら逃げ回ったが、米子は射られて死に亡骸は石櫃に収めて山中に葬られた。父親善五郎は娘の死を知り、切腹して果てた。

将軍は憐れみ懇ろに弔い、諸国行脚中立ち寄っていた慈覚大師とはかり、一社を建て高尾山大権現と崇めたという。高尾山縁起に記されている。

(秋田の昔話・伝説・世間話 口承文芸検索システム)

 

夜叉丸と大嶽丸(大滝丸)のその後が気になりますね

 (二人とも「鬼」として扱われています)

二人は男鹿に逃げたそうです

 (寒風山(男鹿市脇本)鬼の隠れ里  ってありますよね)

大滝丸は角館で討ち取られたらしいです

 (「鬼壁山」ってあるんですよ)  ヤブがおさまったら調査したいなニコニコ

 

道案内

「参詣の老幼群れをなし、男女社内に充ち溢れる」という御嶽山と「女人禁制」の保呂羽山は正反対のような気がしますが、神様は姉妹なんですね。不思議はてなマーク

 

Navi.で「秋田県立保呂羽山少年自然の家(0182-26-6011)」と検索します。

 

道の途中、カモシカの子供を見かけましたトナカイ お食事中スプーンフォーク

 

 

西から来た場合、少年自然の家にはいかず、右折左差し

 

東から来た場合は、少年自然の家にはいかず、左折右差し (どちらも看板があります)

 

私は西から登って、東に降りたのですが、西側はけっこう荒れてますショボーン(東の方がいいよ)

ちなみに、少年自然の家からも登れるそうです

 

坂道をどんどん登っていくと、登り終えた所に広場があります

ここにトイレがありますが、

電気のつけ方がわからず真っ暗でしたので、ヘッドライトがあると便利かもはてなマーク

水道はありません(私は、手を洗う水を積んで行きました)

 

さて、登山口に看板があります

 

注目目すべきはこちらの看板、少し書き足してみました

 

登り始めは、コンクリートの道路です。すぐに、山の全貌を見ることができます

やる気が出ますよね~(あの山に登るんだって爆  笑)

 

交差点がありました。おそらく表参道との合流点

 

ここから道は細くなりますが、整備されています口笛

 

佐竹の殿様が籠を降りた所:「かご立場」です

 

女人禁制の山のため、女性が登っても良い位置にある参拝所が「下居(おりい)堂」

「普賢堂」と書いてありました

 

「木村敏郎大神」は謎ですね

 

鎖があります。これは100年以上前のものらしいです

中国から取り寄せたものだ とか(ほろわをゆく 保呂羽山波宇志別神社 より)

 

子守に夢中になって、女人禁制の場所まで登ってしまった女性が神の怒りで石にさせられたという「子守り石」ですガーン

子供を背負って、あの鎖場を間違って登るとは? 

 

「一夜盛」佐竹藩が峰と峰の間をもった所

そのおかげで登山しやすくなりました

 

「岩割りの木」 盛岡にある「石割桜」のブナ バージョンですねニヤリ

 

遠くに、赤い屋根が見えます

ここで登山客とすれ違いました。今日、初めて人に会いました

この人は「少年自然の家」から登ってきたそうです

ホッとしますね。思わず後ろ姿を撮ってしまいました

さすが武器を持ってますくまはてなマーク

 

波宇志別神社につきました照れ

「保呂羽山」「波宇志別神社」と書いてあります

注目すべきは、神社の屋根を支えている4人の彫刻です

どれも怖い顔をしてますね、きっと魔除けなんでしょう

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同じ、軒を支える彫刻は、フォロワーさんから教えていただいた雄和町の「新波(あらなみ)神社」にもあります。本日寄ってきたのですが、こちらはユーモラスな8対の彫刻でした。ブログの一番下に画像を加えておきます下差し

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さて、御参拝です。扉を開けると、スリッパはてなマーク

登山靴は脱ぐのが厄介でしたので、お賽銭を投げ入れ「熊に会いませんように」とお祈りお願い

 

さて、山頂ははてなマーク 神社の裏に道があります

 

少し、眺めのいいところに出ました

 

ここが山頂です。二等三角点があります

虫さんがすでに三角点に到達していました(たぶんハエ🪰)

 

帰り道は、別ルートです。そのまま進んでいきます

けっこう急勾配、ロープが設置されています

 

おっと下矢印これは私にもわかる毒キノコでしょうね

 

後で調べると「タマゴタケ?」実は食べられる美味しい食用きのこ上矢印

いやいや、Net.(右)では卵の殻がありますので、素人は近寄らない方がいいでしょうオエー

 

おっ、開けた所に出ました

この切り株から若い木が生えているのわかりますか?

 

この道は「下山」専用なんですね

確かに、登りはいろんな案内板があって楽しかったなあ、、、

逆に登ったら、案内板は見れなかったかも?

 

ここの十字路はまっすぐ森の中へ

「下山」の案内があるから安心です

 

舗装道路に出ました

駐車場まで道路を登っていきます

 

「坂部の境塚」がありました。登り口が秋田藩、下り出口が亀田藩かなはてなマーク

 

さて、下り道路は東に進みました

写真は民家のアジサイですが、見事ですね

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この後「式内社 保呂羽山波宇志別神社 神楽殿」に立ち寄りました。

波宇志別神社神楽殿は、本殿のある保呂羽山の東方4kmの位置にあります。太い円柱・舟肘木などの形式から室町時代後期の建築とされ、母屋の前後に庇を延ばす両流造りは東北唯一の貴重な建築物です。
1980年(昭和55年)1月26日に国の重要文化財に指定されています。平成2年10月から平成5年3月にかけての大修理を経て、中世往時の姿を今に伝えており、毎年5月8日の例祭では、巫女舞の神楽を行っています。(横手市公式サイト)

その他、波宇志別神社に興味がある方は「里宮」「本宮」「仁王門」などもあるようですので行ってみてください。

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新波(あらなみ)神社(通称:お不動さん):秋田市雄和新波字樋口16番。宮司  福原紀子。

大宝年間(701年~704年)草創。亀田藩の崇敬社。

軒を支える立派な彫刻がとてもユーモラスです

 

 

 

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