23.高尾山(秋田市雄和)
標高:383m
駐車場:高尾山荘付近に広い駐車場あり
トイレ:高尾山荘にあり
登り片道:17 分
スマホ高低差:100m
おすすめPoint:高尾山荘からの眺めがいい。(山頂は雑木林です)
信仰の山ですので修行のつもりで登る。
歴史:霊亀元年(715年)、百合若大臣(ゆりわかだいじん:歌舞伎の英雄)の物事のもとを伝え開かれた。
延暦年間(782年~806年)には金宝山保量大権現を分霊し移して祭った。
更に大同元年(806年)、坂上田村麻呂将軍東征の際、当地の悪鬼を退治し、蔵王権現を分霊し祭ったと伝えられている。
昔は9ヶ所の道場を有する山伏・修験の霊場として籠山(ろうざん)修行の場となり、天下国家の泰平を祈願していた。(秋田県神社庁より) |
1200年前の、坂上田村麻呂が鬼退治のお話は
《物語:米子(よねこ)と夜叉鬼(やしゃおに)》
昔、保呂波山(大森町の式内社がある山)から「夜叉鬼」という鬼(山賊)が高雄山に逃げてきた。
白石善五郎の家に身を寄せ、その娘の「米子」(美しい大女)と親しくなり、結婚し、「大滝丸」が生まれた
夜叉鬼はここら一帯に勢力をふるうようになった。しかし坂上田村麻呂の征討にあい、夜叉鬼は大滝丸を抱え、男鹿の山へ逃げた。
米子は矢を射られ死んだ。
山麓の「女米木(めめき)」と言う地名は、もともと「女米鬼」であり、米子伝説に由来する。
その血が山路を赤く染めたので、その地を「赤坂」とよんでいる。
また、田村麻呂が夜叉鬼へ射たのが鷹の尾で作った矢であったことから、「鷹尾山」と名づけられ、現在の高尾山になった。
(秋田市教育委員会)(秋田の昔話・伝説・世間話 口承文芸検索システム)
高尾山は、昔、修験道の山伏が修行を行う山でした
「女人結界門」の名前が残っているのも歴史を感じますね
高尾山には二年前に来たことがあります。
なので「田園風景を見るなら、田んぼに水がはってから」と思っていましいた。
「高尾山」と言えば、東京都八王子市が有名ですが、全国各地にあります(ざっと26個位)
Navi.で「高尾山」地域「秋田」と検索します。
または「高尾山レクリエーション施設(018-886-2961)」と検索します。
この施設が、通称「高尾山荘」です。
変な形(2枚のテーブル)の鉄塔(電波塔)がある山が高尾山ですが、山頂は少し外れた所。
おそらく、神社の聖域に電波塔を建てさせなかったんでしょうね?
では、地図をご参照ください。
雄和と天鷺村をつなぐ国道341号線上に「高尾山荘」はありますが、登り坂は車がすれ違えないほどの細道。気を付けてください
起点には看板があります。
対向車が来ないことを祈ります
あれ、道を横切るニョロニョロくん マムシではありません
「高尾山荘」に着きました。すかさず管理人さんが話しかけてきます。
人のいいお爺さんで、飴ちゃんをもらいました。
さて、景色は?
ちょっと早かったか? 中央に見えるピラミッド型の山が「神宮寺岳」です(大曲方面)
駐車場はこんな感じ。一番奥に停めます。2枚のテーブルの電波塔
少し先に、赤い⛩があります。
ここから登り始めます。
ゆっくり歩いて「35分」で奧宮(山頂)に到着予定です。
登りはじめは、杉の落ち葉のフカフカ道です
第一の難所です
階段は99段、ここを一気に登ります
登り終えた所で、右を見ると、何か人工の物が? タバコの喫煙所みたいにも見えます
ちょっと寄り道してみると、小さなお社でした
「9ヶ所の道場」の一つでしょうか?
石段はまだあります。さすが、信仰の山ですね。整っています
(もう数えません)
ニリンソウが咲いてました(一つの茎に2輪の花)
階段を登りおえると、見えてきました。あれが奥宮
立派な彫刻ですね、獅子の阿吽と象さん
右の柱の貯金箱みたいな所にお賽銭を入れてお祈りいたします
しかし、山頂はもう1個 小屋(おやしろ)がありますので探してください
少し手前のこの石段です
ありました
一礼して扉を開けてみます。古めかしいお社がありました
高尾山には三角点がありませんので、ここが山頂です
新しい奥宮まで戻り、お社の裏に回ってみると左右に道があります。
左は車が通れる道ですが、どこに繋がるかはわかりません(電波塔に行くらしい?)
右は「四阿(あずまや)0.2km」
すれ違った登山客に眺めを聞くと、「日本海が見える」というので行ってみました
四阿はこれ? この場所は高尾山荘の看板では「鬼の相撲取り場」というらしい
高尾山荘と反対側の景色が見られます
雄物川と男鹿半島が見られます。この平野は秋田市です
このまま周遊する散策路もありますが、以前来た時、何も見処がなかったように記憶していましたので、来た道を戻りました
この後「太平薬師」と言う雄和最高峰(424m)の山に登ります
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2022年秋の朝、撮影した写真です(高尾山荘より)