大器は早成し、小器は晩成する -12ページ目

大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

橋下市長が、桜宮高校の体育科の入試中止、体育科の先生の移動を主張して、各所から非難を浴びています。


橋元さん、維新のことは好きじゃないですが、今回の主張には賛成です。


昔のことですが、ミュンヘンオリンピックの時にパレスチナゲリラがテロによりイスラエル選手団を襲撃、死者がでました。事件後、選手村で行われた追悼式に日本選手団が出席せず非難されたことを思い出します。


仲間である主将が自殺して間なし、死を悼むこともなく新人戦に出場したがる生徒、それを戒めることもせず、出場の許可を自殺した生徒の両親に求める校長。

バスケットボール部やバレーボール部の制裁を、他クラブのことだと傍観していた体育科の顧問たち、普通科の先生たち。

暴力・制裁が当たり前の高校に入学したがる中学生とその両親。

人を自殺に追いやった教師を、自分たちにとって良い先生だったと擁護するOB。


結局、自殺した生徒が、特別なんだ。弱かったんだ。戦場で脱落した兵隊に手りゅう弾を渡して残していくようなことが、今の日本の高校の現場でも行われているのです。


高校の全国大会で、活躍した高校生が言う、「いろんな人に助けられた、みんなに感謝したい」という言葉がいかに空虚か。


思春期の大事な時期に、目先の勝利という価値観しか提示できない高校スポーツ。未熟な生徒であるからこそ、多様な価値観があり、多様な人間がいる社会であることを教えなければいけないはずです。なのに、金持ち・頭がいい・スポーツができる・喧嘩が強いなどの単純な物差ししかもたず卒業していくのです。


東京大学が、学生紛争の時に、1年、入試を中止しましたが、あれは大英断だったのでしょうか、愚行だったのでしょうか。

日本社会、指導者に厳しく鍛錬された人材は必要としていますが、どうも、自らを厳しく鍛えるようなストイックな人は変わりものとして敬遠されるようです。


人に鍛えられなければやらない人より、誰に言われなくても自らを追い込む人の方が優れていると思うのですが、どうもそのような評価は得られないみたいです。


自らを追い込んで鍛える人は、仙人か変りものとみなされ、社会の一員としてはふさわしくないということのようです。


上位者や目上の人、指導者に厳しく指導され、従順に従う人が、日本の社会では歓迎されています。


厳格な上下関係、情緒的な師弟関係、理不尽な要求、などが日本人は好きなのです。

大学でも体育会を忌避して作ったはずの自由なサークルで、上下関係を厳格にして当たり前だと思っているのが日本人です。


生徒に体罰を加えて自殺に追い込んだ顧問を擁護するOBがいても当然です。

でもそれは、そのような顧問がいて自分は幸せだったというのことでしかありません。


所詮、そういう人たちは、他人の痛みは分からないし、個性も認めないということです。


顧問の先生、体罰を加えた生徒が自殺して、どうして教師を続けられるのか、どうして人間を続けられるのかわかりません。僕のような人間には理解不能です。


もっとも、日本社会の多数派から見れば、僕のような人間こそ、理解不能なのかもしれませんが。

大阪の高校生が自殺しました。バスケットボール部の主将とのこと。


日本の高校生スポーツと言えば、厳しく鍛錬されていることをほめたたえるのが当たり前になっています。

野球でもサッカーでもラグビーでもバスケットでも、他のスポーツでも。


TV中継では、解説者やアナウンサーが、厳しく鍛えられた生徒とそれをおこなった監督を手放しで賞賛しています。


また、そうした厳しい指導を潜り抜けられた生徒は、高校生時代を有意義で懐かしく思い、また指導者を尊敬し慕っていたりするものです。


しかし、そうした指導に耐えられず、好きなスポーツから離れざるを得なかった生徒は、人間的にひ弱であるとかの烙印を押され、挫折を味わい、抗弁する機会も与えられないのであります。


日本社会が、まさに、厳しい指導に耐えた人材を必要としているからであります。


まさに、スターリン時代のソ連と同じで、粛清を潜り抜けた人達のみが高校生スポーツの表舞台で、選手として監督として解説者として活躍しているのであります。


今停滞している日本の経済活動、新たなビジネスに挑戦する人達を渇望する声は強いですが、日本社会がこれまでに必要としていた、鍛錬に耐えうる人達が、そうした創造的な仕事にチャレンジするはずもありません。


日本人がよしとしている人物には、これからの将来を切り拓く能力はないのであります。


安部政権の経済政策は、表では事業の創造を言うのでありますが、実際には、既得権を持った従来型人物(鍛錬に耐える人物)を利するだけなのであります。

安倍さん、野党の時は、尖閣列島で人員の常駐や恒久施設の建設を訴え、竹島では竹島の日の制定、慰安婦問題では河野談話の見直し、など、中国・韓国関係で強硬な主張をおこない、時の政府を批判しました。


前回の首相就任前、小泉政権時代に拉致問題で強硬意見を吐いて、当時の外務省の田中氏を追い詰め国民の喝さいを浴びました。ところが、政権を取ったら一向に拉致問題は進展せず、今回の総選挙では民主党政権では拉致は解決しないと非難していました。


安倍さんのような右側にいる人は、政権当事者でないときは強硬な意見で時の政権や実務担当者を追い詰めるのですが、いざ政権を取ったら現実主義で理想を追わないリアリストとして評価されています。


やるぞ、やるぞと勇ましいことを言ってみんなの支持を集め、当事者になると、やらないことで評価される、こういう人は道徳的に問題があるとおもうのですが。

まあ、国民が良しとしているのなら、しょうがないですけどね。


なんか変だと思うのですが。。。

先ほど、TBSラジオの荒川・・・を聞いておりましたら、デイキャッチャーとかいう世の中のことが多少はご存知という「小西某氏」が、師走の忙しいときに選挙なんかするから、民主党が大敗するのだという話をされていました。

イギリスでは、カミカゼ選挙と言われているとも言ってました。


荒川氏はいつものように何でも同調です。


選挙結果から民意から遠く離れていたことが実証された民主党が政権を維持し続ける方が良かったともいうのでしょうか。


と、その前に、12月は年も押し詰まって忙しいと言いますが、本当に忙しいのでしょうか。


中小工場や商店の人に聞いてみたらどうですか。

逆に暇を持て余していたので、景気を良くするという自民党の選挙に力が入ったという人が多いのではないでしょうか。

僕は、飲食業をやっていますが、投票日(12月16日)まで、慌ただしさを全く感じませんでした。これから、年末に向かって少しは盛り上がってほしいと期待していますが。


また、リタイヤして暇な人や、年末といっても仕事がなくて困っている人も多いのではと思ったりもします。


世の中の実際を見ることなく、自分の凝り固まった長年の考え方をただただ小出しにしてしゃべっているだけじゃないのかな。


この番組、パーソナリティー、デイキャッチャーとも、実際の国民の生活や動向とは関係なく、正義の味方のようなことばっかり言っているとしか思えません。


なんで、こんな番組が続いているのか、不思議ですね。