大阪の高校生が自殺しました。バスケットボール部の主将とのこと。
日本の高校生スポーツと言えば、厳しく鍛錬されていることをほめたたえるのが当たり前になっています。
野球でもサッカーでもラグビーでもバスケットでも、他のスポーツでも。
TV中継では、解説者やアナウンサーが、厳しく鍛えられた生徒とそれをおこなった監督を手放しで賞賛しています。
また、そうした厳しい指導を潜り抜けられた生徒は、高校生時代を有意義で懐かしく思い、また指導者を尊敬し慕っていたりするものです。
しかし、そうした指導に耐えられず、好きなスポーツから離れざるを得なかった生徒は、人間的にひ弱であるとかの烙印を押され、挫折を味わい、抗弁する機会も与えられないのであります。
日本社会が、まさに、厳しい指導に耐えた人材を必要としているからであります。
まさに、スターリン時代のソ連と同じで、粛清を潜り抜けた人達のみが高校生スポーツの表舞台で、選手として監督として解説者として活躍しているのであります。
今停滞している日本の経済活動、新たなビジネスに挑戦する人達を渇望する声は強いですが、日本社会がこれまでに必要としていた、鍛錬に耐えうる人達が、そうした創造的な仕事にチャレンジするはずもありません。
日本人がよしとしている人物には、これからの将来を切り拓く能力はないのであります。
安部政権の経済政策は、表では事業の創造を言うのでありますが、実際には、既得権を持った従来型人物(鍛錬に耐える人物)を利するだけなのであります。