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MERKABA~マカバ~

ヘクサグラムからマカバになるっていいことだよね?

華厳の滝から歩いて中禅寺湖畔に戻る途中のラーメン屋さんのメニュー。



大きい海苔が立ってる。



チャーシューで葵の御紋?

海外からの観光客向けに英語でもメニューが書かれている。しょうゆ味か味噌味かがわかるので良いかも(^^;

メニューを見ただけで食べなかった(^^;


日光東照宮といえば、「見ざる聞かざる言わざる」の三猿(さんえん、さんざる)が有名で、日本語での語呂合わせと「猿」がマッチし過ぎていて、日本発祥のような印象があるが、似たような表現は、古代エジプト、インドやカンボジアのアンコールワットにもあり、英語表現にもある。

日本には『論語』からの引用を天台宗が広く説いたと言われている。

何を見るべきではないのか

何を聞くべきではないのか

何を言うべきではないのか

仏教的解釈となるので、それらは全て「心を惑わすもの」となり、自分にとって都合の悪いことや相手の欠点を見たり聞いたり口に出すことはしないほうが良いとう戒めである。



可愛さのあまり、うっかり手に取ったが、よく考えればサル年というわけでもなので、写真だけ。



戦場ヶ原でハイキングのときには

熊に注意

鹿に注意

の看板がところどころにあったが、中禅寺湖の周辺では、猿が出没するらしく、ホテルのエレベーターの中にも部屋の中にも

猿に注意!絶対にエサをやらないでください。部屋を出るときには、必ず窓は閉めて下さい


...そうなると、ちらっと猿を見てみたいと思ったりもしたけれど、結局猿は現れず。

夕方、湖のほとりで、孤独に草を食む鹿を発見。



奈良公園の鹿なら、鹿せんべいを求めて人に近付いてきたりするものだが、慌てるでもなく、ありげなく、遠のいていった鹿。

若い雄。仲間からはぐれてしまったのかな。
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私はカラー派!

記憶にある限り、夢はいつもオールカラーで、少し妙なのは、自分の意識も入ってる。

夢を見ながら、その夢に対して「なんだこれは?そんなのアリ?」と思いつつ夢を見ているのだった。

海外旅行に行くと、その地での過去世のような夢を見る。そして、その夢の中に親兄弟や知人が出てくる。そのものズバリの顔ではないけれど「あ、これは○○だ」とわかるのだ。

エジプトでは、叔父のキャラバンの隊長だったり、神殿で香料の調合をする神官だったりした。ロシアでは木製のカラクリ箱を作る職人で、中国では自分の研究?をいつも近所付き合いで邪魔されて、男でなく女だったら好きなことをできるのに、とブツブツ...

4日前の朝の夢では、女官達に料理の段取りをあれこれと指示している自分がいて、その女官たちが中世というよりは古代、近頃、韓国歴史ドラマにはまっているせいなのかと思っていたら、身分が高そうな男性がお伴を引き連れてやってきて「今夜は楽しみだ」みたいなことを言った。

その顔が、今の天皇陛下のように見えて「あれ?日本?え?天皇陛下?」と思ったところで、目が覚めた。

国内では前世なのか?と思った夢を見たことはなかったんだけど...う~ん。




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高望王(平高望)が上総介として都を離れたのは898年。3人の息子を伴ったが、高望には、ほかにも息子がいた。

四男・良広(良弘)は、紀夏井(きのなつい)の娘・久米子を妻とした。

紀夏井は第55代文徳天皇の信頼を得た文官で、第56代清和天皇代には地方官として、讃岐(現:香川県)守、肥後(現:熊本県)守を勤め、善政を行い領民にも慕われていたという。

ところが、貞観8(866)年に「応天門(大内裏の内側、朝廷内での政務・重要な儀式を行う場であった朝堂院の正門)の変」が起こり、夏井の異母弟の紀豊城が共謀者として逮捕され、夏井もこれに連座、官職を解かれて土佐(現:高知県)国への流罪となった。

この紀夏井と共に、平良広も流され、都に妻子が残された。

この「応天門の変」では、大納言・伴善男(とものよしお)が首謀者とされた。伴氏は第53代淳和天皇が「大伴親王」であったため、畏れ多いと「大」の文字を外した、古来、大伴氏であった、物部氏と共に朝廷の軍部を担い、第21代雄略天皇代には大連という古い氏族。

また、紀氏も第8代孝元天皇にと木国造(きのくにのみやつこ)の祖・宇豆比古の妹、山下影日売の間に建内宿禰(武内宿禰)が生まれ、その建内宿禰の7人の息子のうちの1人・木角宿禰(きのつぬのすくね)が木臣の祖ということで、古くから木国造系の紀氏と木角宿禰系の紀氏がいるという、これもまた由緒のある氏族なのである。

夏井の家系は辿ることができなかったが、第49代光仁天皇(白壁王)の母は紀諸人の娘・橡姫(とちひめ)だった。父である施基(しき)親王は第38代天智天皇の第7皇子で光仁天皇が8歳のときに亡くなっている。

紀諸人は光仁天皇即位後に太政大臣を贈られ、紀氏はその後、第50代桓武天皇の後宮に女御、宮人が1人ずつ送ったが、女御は子供に恵まれず、宮人の生んだ明日香親王は三品・上野国太守となっている。この明日香親王の母・紀若子(きのわかこ)は『古今和歌集』の編者の1人、紀貫之に続く家系。

藤原氏の策略にはまり、朝廷内での由緒ある氏族・大伴氏と紀氏が朝廷から排斥されたのが「応天門の変」。

さて、平良広は、土佐で新たな妻・物部紗和を得て、木津賀の伊勢宮から外宮稲霊を迎えて長浜宇賀谷に宇賀神社を創建した。祭神・宇賀神は朝廷から神階を賜り、紗和との間にもうけた子供が神職として留まり、四男が宇賀氏を名乗った。良広は土佐で生涯を終えたと宇賀氏の歴史は伝えている...が...年代がマッチしないと思う(^^;

夏井は隷書が得意な人物であったというから、四男・良広は武功を立てるというより文官向きだったのかもしれない。

宇賀神は食べ物の神様↓