なぜ彼女が毒親のことを書くことにしたのか??

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解毒3「ポイズン・ドーターホーリーマザー」

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今日も当ブログに

お越しいただき

ありがとうございます

 

 

 

 

 

世間には

 

暴力を振るう人と

 

そうでない人

 

いますよね??

 

 

その差は何なのでしょうか??

 

毒父は

体も大きい方で

護身程度の武道を身につけていたので

 

手加減をしなければ

もっと怪我をさせただろうし

 

急所も心得ていたので

簡単に半殺しにすることもできたはずです。

 

沸点は人より低く

気性も

瞬間湯沸かし器な質の人です。

 

 

なので

 

毒母にだけでなく

誰相手にでも

 

よく「キレ」ていました。

 

先日は

 

いとこから

 

「あんたのところは一家離散だろう」

 

と言われ、

 

即ギレ。

 

「なんだと!!てめー

もういっぺん行ってみろ!?ただじゃおかないぞ!

このやろう!」

 

と、胸ぐらを掴み

 

殴ってやったんだと

 

言っていたそうです

 

公衆の面前でですよ??

 

もうどちらも80なのですけれどね・・・

 

いい迷惑ですよね??

 

 

心が弱い人は

 

こんな光景を見ただけで血管が収縮しちゃいますよね。

 

 

 

ぐーで力一杯

殴ることはしないので

 

どこかに保身の冷静さもある「キレ」方なのだろうと思います。

 

20代過ぎた頃

すでに家は出ていたものの

 

 

 

毒母からの

「またキチガイみたいになったお父さんに殴られた・・・」と

 

泣きながら助けを求めにかかってくる電話は頻繁にありましたので

 

 

一人では受け止めきれずにいた日

 

解決はできなくても

 

聞いてもらえるだけでもいい・・・という気持ちから

 

だいぶ年の離れた

 

 

知り合いのお医者様に話をしたことがあります。

 

その方は

 

「それは育った環境に原因があるんですよ」

 

 

指摘してきました。

 

 

 

普通の環境に育った人間なら

 

ちょっとやそっとの事で

 

人様に手を挙げることなどはないのだそうです。

 

 

そこで知っている限り・・とはいえ

 

大して知らない毒父の素性を伝えました。

 

 

そこで

 

 

「それだ!それですよ!」と言われたことがあります

 

 

それは

 

毒父の両親が毒父が幼い段階で離婚している事実です。

 

 

特に母親からの愛情の欠落は

暴力を振るう原因へとなることが多いのだそう。

 

 

それに加え

 

毒父の周りには

毒父に関心を寄せる大人がいなかったと言う事実もあります。

 

 

かわいがっていた妹は戦時中に

ひもじさから

生栗を食し

お腹を破裂させて死亡

 

 

両親は5歳で離婚しますが、

 

 

毒父の話では

 

 

おばあさんが

母親を追い出したのだと言うのを聞かされていました。

 

 

毒父の生家は東京の当時の新興住宅地でした。

 

土佐藩の武士

 

という肩書きだけで

 

武士は食わねど高楊枝

 

 

財産がない状態だったので

 

 

八王子のそこそこ裕福な商家のむすめだった祖母を

持参金目当てで

いただき

 

あととりを

産ませ

 

必要なくなったので

 

追い出した

 

 

毒父の言葉そのままに

彼女は

理解していました。

 

 

どれも毒父の口から聞いただけの

ことですし

 

本当のところはどうかわかりません。

 

 例えば

 

戸籍藤本を見れば

毒父の出生地は日本では見たことがない漢字で地名が記載されていて

 

え?韓国国籍?

 

 

と、

思ったこともありましたし

(後でよく見たら満州でした。

このことについては未だに説明がないそうです)

 

人って

自分にとって

都合の悪いことは

 

話さないものなのです。

 

 

最近出てきた離婚原因情報としては

 

 

戦争が終わり

 

 

商社に勤めていた祖父は

ゴムの採取を命じられ

セイロン島に単身赴任

 

そこで一緒に過ごす秘書とできてしまい

 

祖母が我慢ならずに

 

離婚を申し出たのだとか?

 (ばあさんが

おいだしたんじゃないのかい!)

 

いう話も後から出てきましたし。

 

何れにしても

当時の幼かった毒父には

離婚に至った細かな説明などはなかったのだと思います。

 

 

ただ一つ

 

間違いないのは

 

毒父は

 

 

母親に捨てられた

 

 

 

思いながら生き続けている、

ということです。

 

 

その捨てられたと感じた出来事は2度あったようです。

 

 

1度目は

 

離婚をするときに

 

離婚の事実を伝えられ

 

あなたは残りなさい

 

と告げられた瞬間です。

 

 

「あの時から俺だよ、俺の人生が・・・」と

 

 

 

つぶやく毒父を

 

つい最近になって

 

彼女は見たのです。

 

 

ああ・・

やはり

毒父は

 

自分を置いていった母を恨んでいるのだなぁ・・・

 

甘えたかったのだなぁ・・・

 

抱きしめてもらいたかったのだなぁ・・・

 

そこがすべての原因なのだなぁ

 

と感じたのだそうです。

 

 

 

母親に

 

「捨てられて」と思っていた毒父でしたが

 

跡取りとして

 

 ばあさんから

 

残せ

つれていくな

 

と言われた、

という事実も後から出てきたようです。

 

それでも

「捨てられた」と思いながら生きた

歳月は取り返すことはできないですよね。

 

 

跡取りとして

残した

 

毒父を育てたのは

主に

祖母と叔母でした

 

 

 

父親は商社をやめ

不安定な仕事状況で

遊び人で

不在がち

 

 

祖母は

残せといったものの

 

自分のいい歳の子供を「ぼく」とよび

 

嫁の血が混じった

嫁そっくりの容姿の

 

孫よりも

 

自分の息子や娘の方がよっぽど可愛い

 

当時最先端を行く毒母ぶりだったようです。

 

 

もう一人の母親代わりの

父親の妹にあたる叔母は

 

足が不具な

子供なしの

出戻りで

 

子供が可愛いたちの人種でもなく

 

生き場所もない

生活力もない

なので

出戻り、居候となり

 

兄と母の食事の支度を仕方なく受け持ち

 

そのついでに

 

甥にも食事を分ける

 

その程度の愛情レベルでしかなく

 

母の代わりを意識して

率先して毒父に愛情を注ぐような人はそこにはいませんでした。

 

 

 

 

風呂もない

プライベートもない

 

6畳一間で

 

祖母

叔母

自分

 

での暮らし。

 

おそらく

成長過程で

母親のいない寂しさやひもじさは

かなりのものだったに違いありません

 

物理的にも

精神的にも居場所はなく

 

毒父は

 

高校を出ると

一人で暮らすようになりました。

 

 

 

 

 

同じような境遇の方

 

彼女の言いたいこと

境遇を

理解してくださるようでしたら

 

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