聞け!大河ドラマの神髄〜先達が語る変わらぬ真実〜 | 天地温古堂商店

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歴史、人、旅、日々の雑感などを徒然に書き溜めていこうと思います。どうぞお立ち寄りください。

今年も大河ドラマが収録を終え、まもなくクライマックスを迎えようとしている。

大河ドラマは2023年で60作品。
還暦になった。
 

なかには故人もいらっしゃるが、かつて大河ドラマを制作し、または演出した先達たちのインタビューや座談の記事を集めてみた。
そこには、60年経って時代や視聴者層が変わっても、変わらぬ真実のようなものがあるのではないかと思ったからだ。
先達こそその移り変わりも栄枯盛衰も見てきている。
その言には値千金たる真実があるはずだ。
いま一度、立ち止まって、それを知りたいと思う。

大河ドラマの先達たちはこの方々。

大原誠氏
昭和35年入局。主な演出作品は『樅ノ木は残った』『元禄太平記』『風と雲と虹と』『草燃える』『徳川家康』『八代将軍吉宗』『元禄繚乱』など。

澁谷康生氏
昭和38年入局。主なプロデュース作品は『おんな太閤記』『徳川家康』『いのち』『春日局』など。


中村克史氏
昭和42年入局。主な演出作品は『春の坂道』『獅子の時代』。『独眼竜政宗』のプロデューサーを務めた。


西村与志木氏
昭和51年入局。『独眼竜政宗』の演出、『秀吉』のプロデューサーを務めた。


◉大河ドラマは今年で60年

澁谷 

それはね、大河ドラマが、本格的な「歴史ドラマ」だということ。
それから、やっぱり日本人論であり日本国家論であるというドラマを貫くテーマ性があるから、ここまでつながったんじゃないかなと思いますね。


西村 
大河ドラマは、現代を映し出す鏡じゃないでしょうか。
『太閤記』は出世物語、ある意味で高度経済成長が始まったころの時代の一種の鏡ですよね。
『おんな太閤記』は、「ねね」が主人公なんですけど、秀吉が言うせりふが、「戦は嫌じゃ」です。つまり高度成長が終わり安定成長時代の鏡です。

そしてずっと後に僕は『秀吉』をやりましたが、そのころの日本はバブル崩壊以後のどん底時代でしたから、明るいものやろうっていう感じですね。
だから、ネタ無尽蔵っていうかな。
歴史的なことを繰り返しやってるように見えるけども、実は時代の感覚と切り方によって、がらっと違ったドラマになるっていうのが大河ドラマのおもしろいところじゃないでしょうか。


西村氏のロジックでいけば、大河ドラマは永遠に持続可能ということだ。

 


西村与志木氏 NHKアーカイブスより

◉大河ドラマをヒットさせる秘訣

澁谷 

やっぱり一言でいうと、いい本(脚本)ができた時ですね。
本がよくなかったら全部駄目。

初期の時代は別として、あとはね、大河っていうのはそんなに大物を持ってこなくてもいい時代が続いたんですよ。
例えば織田信長ってのは、いい役に決まってるじゃないですか。だから新人もってきたって、この役者は織田信長やるんだからいい役者に違いないと思って見てくれるわけ。
つまり役者では視聴率を稼げない。まずどんな本を作るか。
作り手の情念がその本にいかにね、伝わってるか。それを演じる役者がノってやるか。
それを見たお客さんがノってくれるかっていうような本を作ってなきゃ。

本が全てです。

澁谷康生氏 NHKアーカイブスより

◉大河ドラマの意味や価値

大原 
価値はすごくあると思いますよ。

大河ドラマはテレビそのものが社会的認知を受けたという大きな役割を果たしましたよね。
それから、視聴者は日本の歴史というものを映像を通じて学べるようになった。
だからNHKの大河はあんまりうそをしてはいけないと思っているんですよ。

それに、日本のテレビドラマの中で、日本国論、日本人論を論じるようなドラマはないですよ、はっきり言って、大河以外に。

大原誠氏 NHKアーカイブスより

◉後輩たちへのアドバイス

大原 
プロデューサーとディレクターは死ぬほど勉強しなさいということですね。
作家と対等に話をしなきゃ、いいドラマは出来ない。

だから準備期間の中でね、本当に歴史を含めて、何をやるかを含めて勉強してほしい。

そこがね、勝負ですよ。

澁谷 
NHKほどね、自由に番組を作れる場ってないんですよ。NHKは何よりも内容が一番重要なんですよ。それがNHKらしさですよ。

もちろん視聴率を取らなければだめだっていうこともあるけども、まず内容ありきでしょう。

そこから発想するのと、視聴率から発想するのとでは天と地ほど違うわけです。

大河ドラマの先達たちの言葉の中で、印象に残ったのは、

1,ドラマを貫くテーマがあること
2,脚本がすべてであること
3,あまり史実とちがうことはNGであること


ということだ。
そのうえで制作者として言えば、死ぬほど勉強しなさいと。
死ぬほど本当の歴史を勉強してから、何をテーマにするかを決めろというのだ。
後進の者からすれば、大河を受け継ぐベースラインがこれとはかなり厳しい言葉だろう。

しかし、大河ドラマが作品として高く評価され、高視聴率をあげてきた黄金時代を担ってきた方々の箴言だ。
おそらく変わらぬ真実はそこにあるのだろう。

大河ドラマ第一作『花の生涯』 NHKアーカイブスより

たかが大河ドラマではないか。
時代も変われば大河ドラマも変わるのだ。
いまの大河ドラマが面白くなければ観なければいい。
という見方もある。
それは現実肯定のストレートな正論だろう。

ただ、大河ドラマの黄金時代(というものがあると仮定して)を担ってきた先達たちは、それでも時空を超越する不変な大河の神髄があるのだ、と私たちに洩らしてくれている。
それならばそれらを拾ってみたいと思うのだ。

もう少し、先達たちの言葉を追ってみたい。

◉脚本がすべてであること

これにについては興味深い証言がある。
大河ドラマ史上最高視聴率作品の『独眼竜政宗』について制作指揮の中村克史氏はこういっている。
原作は山岡荘八の『伊達政宗』。
脚本はジェームス三木。

原作は、それほど長い小説ではなかったのですが、ドラマでは「誕生」から「大往生」まで描きます。
そこで下敷きとなったのが、政宗の従兄で重臣だった伊達成実が書いた『成実記』で、演出の吉村芳之ディレクターが半年以上かけて現代語に訳しています。

それをジェームス三木さんは全部読み込んだうえで脚本に取り組まれたのです。

親子の関係、夫婦の関係、さらに家族同様に親身になってくれる周辺の人々。
現代に置きかえると従業員、社員である家来など。
そうした複雑な人間関係を描きながらどの登場人物にも人生を持たせる。

それがジェームスさんは本当に巧みなんですが、その裏では相当勉強されていたと思います。
ただし、そういう姿は決して人には見せない方ですね。


吉村ディレクターの奮闘はこうだ。
大学院で古文書を研究している研究者にマンツーマンで『成実記』の読み解き方を教えてもらいながら、毎日2、3ページずつ現代語に訳していったという。

さらに『伊達治家記録』という伊達家の公式記録の日記もすべて読み、現代語に訳している。
それらをまとめて原稿用紙で400枚ほどの資料を作り上げた。
その資料を読みながら、今回はこういう面白い話があると、三木氏に提供していったのだ。

死ぬほど勉強とは、こういうことをいうのだろう。

 

中村克史氏 早稲田大学演劇博物館ウェブサイトより

◉あまり史実とちがうことはNG

先達たちは、かつての大河のウソについて個別具体的に述べてはいない。

たとえば、現実にあったのはご都合主義の過ぎるストーリーであった。

 

ここではある女性が主人公の戦国ドラマとしておこう。

こんな場面がある。
本能寺の変が起き、織田信長は10歳にも満たないその女主人公を思いながら死ぬ。
徳川家康の伊賀越えに女主人公が同行する。
清洲会議に女主人公が顔を出して、秀吉に説教をする。

また、やがて一国一城の大名となるある戦国武将とその妻が主人公の大河では、これを助けるスーパーな甲賀忍者が登場する。
その忍者は、歴史の行末があらかじめ頭に入っているかのような、物事の先々の展開をすべてよみつくす諜報能力の持ち主として描かれている。
本能寺の変では光秀を謀反へとそそのかす張本人がこの忍者だった。

このように主人公に重みを持たせるための歴史にない展開は、興醒めするほどの無理があった。

◉子役の効果

『徳川家康』のチーフディレクター・大原誠氏はこう証言する。

子供時代に苦労した姿を描くと、主婦の涙を誘います。(略)
大河で大事なのは子役を使って、いかに幼少時代を上手く描くかということです。
親世代の視聴者の関心はやっぱり子に対する教育です。どうやって子供をいい子に育てるか、将来その芽を伸ばすことができるかという関心があるわけです。

家康の子供時代は悲惨なんですよ。
そこを丁寧にやったから、『徳川家康』も視聴者が見てくれたんだと思います。



大河ドラマ『徳川家康』の竹千代 NHKアーカイブスより

 

私も覚えているが、幼き竹千代を雪斎和尚が教える場面がある。
孔子の教えを例えにして、〝兵にあらず信のみ〟を説いているシーンだ。

これはこれで、子役でなくてはできない見事な一幕だったと思う。

 

 

◉登場人物の去り方

ナレ死、ということばを最近聞くようになった。ひとりの主人公の一生を50話の尺でやり終えなければならない苦心は想像に難くない。フェードアウトは多めに見てほしいところだ。が、およそナレ死などという概念など知る由もない先達たちは、こう考えていた。

『独眼竜政宗』では、伊達輝宗(北大路欣也)は自らの息子に討たれていった。
伊達家の老将・鬼庭左月(いかりや長介)は負け戦の退路を作るために単騎で敵陣に斬り込んで討ち死にする。
家老・遠藤基信(神山繁)は輝宗の後を追って墓前で殉死。
そういう劇的な死の場面、去り方をきちんと描いていた。

 

『青天を衝け』家臣・平岡円四郎の死を嘆く一橋慶喜 まんたんウェブより

中村氏はいう。

役者にとっては、大河の中でどう終わるかが非常に大事なんですね。
プロデューサーとしては、その役者がいつの間にかいなくなっていたというのが一番失礼なんですよ。
たまにあるんです、『彼はどうなったんだ』と思われるような消え方をすることが。

だから、きちっと始末をつけてピリオドを打ってあげるというのがやっぱり、一年間のドラマの基本だと思います。

去り方とはその人の「死」であることが多い。

死にざまが、自分とは何者であるかの表現とされる時代もあったくらいなのだ。

近年のドラマは人の死の表現を避ける風潮があるのだろうか。


◉ 合戦シーンは編集がいのち


大河ドラマは戦国モノがもっとも多い。戦国といえば合戦シーンだ。
最近の調べでは、意外と合戦シーンで視聴率が下がるともいわれているようだ。
とはいえ、合戦シーンをまったく避けて通ることもできまい。

『徳川家康』の演出を務めた大原氏は、合戦シーンについて独特の撮り方している。

桶狭間、姉川、三方ヶ原、小牧長久手、関ヶ原、大坂の陣。
これを順番どおりに撮っていては時間も予算も不足してしまう。
だから、これら合戦シーンはドラマ撮影にさきがけて、まとめて撮影したという。
この時点で全話の台本は揃っていない。
大原氏は合戦シーンの撮影用の台本を原作にのっとって自分の手で書いたという。
撮り方の信念としてあったのは、ロングショットはNGということだった。
馬やエキストラはそんなに多く集められない。ロングで撮ると画面に空間がうまれ迫力に欠けてしまう。

そこでアップカットを多く撮りだめた。
馬から落ちる、槍で突き刺される等々、さまざまなアップを撮りまくった。

それらを編集時に短いカットでつなげていくことで、スピード感を出し、馬や人の少なさをごまかすことに成功した。

合戦シーンは編集がいのちです。僕がすべて自分で編集しています。『草燃える』も『徳川家康』も全部。
編集によって、作品が生きるも死ぬも決まるんですよ。


『草燃える』の合戦シーン NHKアーカイブスより

果たして。
先達たちの声は、大河ドラマのベースラインの宣明なのか?
あるいは大河ドラマの逸脱への警鐘なのか?
私はその両方なのではないかと感じている。

保守とか革新ではなく、時代の変化でもなく。

大河ドラマには時代が変わっても先達たちの語る神髄がある、と私は信じている。
新しい挑戦者たちは、先達たちの声を聞き、その山を登ってから、自分の道を切り拓いていただけたらと思う。
もし、そうでないとしたら、そのときはやむを得まい。

私は、大河ドラマでない違うドラマでそれらを体現する日がくるのをひたすら待つことにしたい。

 

【参考】

大河ドラマ制作者座談会(NHKアーカイブス)

春日太一『大河ドラマの黄金時代』(NHK出版新書)

春日太一『時代劇はなぜ滅びるのか』(新潮新書)