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信越本線旧線 (新潟県/塚山-長鳥) 最終回

●目的地、「旧 塚山第二トンネル」西口到着の前に立ちはだかった
「旧 塚山第一トンネル」でしたが、この「塚山第一トンネル」の容赦無い
「水攻め」にもメゲず新兵器「長靴」の活躍で難なく攻略した前回でした(笑)。

そして今回(最終目です)いよいよ目的地への侵攻となるのですが、
我が「長靴隊」の攻撃は今回も有効打を与えることが出来るのか。
ところが思わぬ敵の攻撃に遭い被弾・大苦戦・そして・・・では続きをご覧下さい。
 
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「旧 塚山第二トンネル」を抜けたところで終了した前回でした。
では地図を使って現在地を確認しておきましょう。
 
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ややカーブした「いかにも」という素晴らしい切り通しが続き、間もなく
目的地の「旧 塚山第二トンネル」西口へと到着の筈なんですが・・・
 
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トンネルがなかなか見えて来ません。ひょっとして埋まってしまった?
でも反対
から見た時は、明かりは洩れていたし・・・と、振り返って撮影。
 
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もう間もなく、切り通しの末端部分に着いてしまいます。やはりこの付近は
周囲よりやや高くなっていますし、本当に埋まってしまったのでしょうか。
 
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と、更に近付いてみたその時です!(過剰演出すみません 笑)
トンネルを発見しました。遂に西口坑口がその姿を現しました。
 
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ようやく「旧 塚山第二トンネル」西口の全貌が明らかになりました。
ところが、完全に水没しており水嵩(かさ)も相当に増しているようです。


しかしこの西口入口ですが、良く見ると下には汚泥が溜まっており、
棒で突いてみても、実質の水深自体はそうないことが判明しました。

そこでこの汚泥の「硬さ次第によっては先に進むことが出来るのでは」と考え、
中へ入ることにしました。ところがこの後、「塚山第二トンネル」が牙を剥きます。
 
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先ほど断念した東口坑口の明かりが、やや左、1.1Km先に見えております。
ではいよいよ作戦決行です。左足を沈め
ゆっくりと右足を水中へ沈めます・・・。
 
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沈めた右足はやや耐えていたものの、ゆっくりと更に沈み始めました!
こりゃまずい!と慌てて右足を抜こうとした刹那!一気に左足が沈み・・・
 
ずぼぼぼっ!!!
 
まさにこの音がピッタリくる表現だと思います。
自分の体重が予想以上に増えていたのでしょうか(汗)。沈み始めた右足は

即引っこ抜いて脱出したのですが、結果、残った左足に私の全体重が
のしかかることとなり、絵のように(ヘタクソですみません)一気に沈み込んで
しまいました。そして私の左足はあっという間に水中へ呑み込まれて行ったのです。
「長靴最強!」などと、調子コイていたからでしょうか。悲惨な結末が待っていました。
 
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こちらは合戦跡です。合戦跡は白く濁り、闘いの激しさを物語っています(汗)。
 
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これ以上の抵抗はムリ、完全敗北でした・・・。白い靴下はベージュへと
色を変え、帰り道では重くなった長靴が「グシュッ」と鳴き、気持ち悪いです。

ということで、この戦いはご覧の通り、挑戦者の圧倒的敗北で決着がつきました。
この仕打ちは、雪解け水よりもに遥かに冷たくキツイ仕打ちでした(泣)。

しかし、まだ探索は残っており、左足に靴下を履かず、そして左足ズボンの先を
濡らしたまま次の目的地、「鼻田トンネル」を目指します。では続きをご覧下さい。
 
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では今回最後のプログラム、「鼻田トンネル」周辺の確認をしましょう。
実は新線と旧線が交わり交差するという珍しいパターンでした。
 
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「鼻田トンネル」東口ですが、実はアプローチ先&場所が見つからず
遠目にようやく見つけただけでした。よって西口から攻めることにします。
 
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ということで「鼻田トンネル」西口へやって来ました。注目は左奥です。
「ありました、ありました」。こちらから攻めようという考えは正解・・・
 
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だったのですが、ここでも思わぬ結末が。何と塞がれておりました。
それにしても、これまでで一番見事なトンネルポータルに見えます。
 
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何とかちょっとだけでも覗けないものかと、周囲を右往左往探りましたが、
完璧なまでに僅かな隙間さえ見つからず。何もここまで完璧にしなくても。。。
 
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ということで、ここでも敗北となり連敗。残念ですがこれにて撤収です。
こちらはトンネルの前より、新線へと合流する旧線跡(柏崎方面)です。


以上で「信越本線旧線」塚山-長鳥編の探索は終了となります。
感想ですが、もちろん収穫はあったものの、何か中途半端だった感も
否めない今回の探索でした。まぁ、こういう「予測不可な事態があるから
楽しい」と、気分を切り替えることにします。ご覧頂き、有難うございました。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その1

●データ 【所在地】岐阜県中津川市 【運営キロ】22.1Km
【開業】1924年(大正13年)8月5日 【廃止】1978年(昭和53年)9月18日
【魅力】廃止から30年以上が経過しているにも関わらず、遺構の多さには
大変驚かされました。比較的辿り易い廃線跡も魅力のひとつです。 
【訪問日】10.03.20


●やって来たのは当サイト最西端となる岐阜県中津川市です。
ちなみに岐阜県初上陸です。今回の目的地は「北恵那鉄道」、
ちょっとした廃線マニアであれば「知る人ぞ知る」廃線跡です。
 
私も事前に「廃線ビデオ」や「他サイト」様で拝見しており、
ずっと楽しみにして来た場所でした。そんな楽しみだった場所ということもあり、
有名どころの映像は自然と頭の中に叩き込まれておりました。
実際に目の前に展開される同じ景色を見ては「あっ!ここは!?」などと
一喜一憂した廃線探索となりました。
 
元々は木材輸送を目的とした鉄道で主に檜(ひのき)を運搬、伊勢神宮のご神木を
輸送したことでも有名な鉄道です。また、廃線から30年以上経っているにも関わらず、
遺構が多いことも魅力の一つとなっています。ちなみに過去最長のレポートとなる
可能性大です。お付き合いのほど、宜しくお願いします。ではご覧下さい。
 
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スタート地点は「中津川駅」南口です。
ここから最初の駅「中津町駅」へとアプローチして行きます。
 
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駅前にガイドマップがありました。ではコレを利用させて頂きましょう。
少々見辛いのですが今回のルート案内をさせて頂こうと思います。
 
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地下道をくぐって反対側の「北口」へと移動します。
この北口、基本的に現役当時から変化はない筈なのですが・・・
 
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地下道を抜けひょいと右方面へ目をやると、いきなりこのような景色が
飛び込んで来ました。ご丁寧に名前の入った境界杭です。嬉しいですねぇ。
 
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では恒例、この周辺の空撮画像を見てみましょう。右下に「中津川駅」、
そこから上部、左側へカーブしている途中に「中津町駅」がありました。
 
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「中津町駅」方面へ数百メートル移動、こちらは「中津川駅」へと向かう
廃線跡です。かなりの急坂なんですけど、大丈夫だったのでしょうか。
 
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振り返って「中津町駅」方面を見ます。「中津川駅」の急坂を降りると
ゆっくりと左へカーブして行きました。では辿ってみましょう。
 
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100メートルほど歩いたでしょうか、突然開けた場所に出ました。
そうです。ここが「えなでん」の起点、「中津町駅」跡でした。
 
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「中津川駅」方面を見て撮影。一面一線のホームだったようですが、
広い敷地です。それもその筈で、幾つかの引込み線が存在したようでした。
 
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では先へ進みましょう。引き続き廃線跡は左へ続いて行きました。
この後、数本の橋梁が待ち受けている筈です。そしてアノ橋梁も。
 
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ようやく直線に入りました。季節がまだ春先だからなのか、それとも
誰かが手入れをしているのか、雑草の少ない廃線跡が続いています。
 
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枕木を発見しました。ウワサには聞いていましたが、
ここにあるとは予想外で、嬉しい誤算となりました。
 
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その後、廃線跡は竹薮の中を進んで行くことになるのですが、
その前に。どうやら左側に何かあるようですね。
 
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しかし分かりやすい境界杭です。これでもう3本目(1本省略)の発見です。
そしてその先にもご覧のように枕木の埋まった場所がありました。
 
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更に進みます。どうやら一旦ここで突き当たりのようですが、
良く目を凝らして見ると、藪の奥に何か見えて来ませんか?
 
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正体はコレでした。こちらは「第一中津川橋梁」です。さてどうしましょうか。

迫力のある「第一中津川橋梁」を目前に、果たして戻るのか渡るのか。ではまた。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その2

●第二回です。目の前に突然現れた「第一中津川橋梁」を
「渡るのか渡らない」のか・・・ご覧頂けるとお解かりになるかと思いますが、
結構目立つし、下を見ればこれが高所恐怖症の自分にはすこぶる高い。

ガーター橋を見れば両端は雑草が絡み付き仮に行ったとしても
通過するのはかなり難しい状況、ということで渡りませんでした。

では第二回をご覧下さい。今回は「アノ橋」が登場します。迫力満点でした。
 
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「第一中津川橋梁」を目前に終了した前回、「(渡るのは)こりゃムリだ」と
早々に諦め、迂回して対岸へとやって来ました。素晴らしい橋梁跡です。
 
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更に別角度より撮影。良ーく見てみればカーブしていますね。
そして渡るのは「余りにも危険過ぎる」ということも悟りました。
 
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ではこの先の廃線跡へと進みましょう。橋を渡った後は少々地形を
崩されていますが、その後はご覧のような辿れる廃線跡が続きます。
 
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するとここでも埋まったままの枕木を発見。
この先でも何本かの枕木が埋まっているのを発見しました。
 
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更に先へ進みます。ところがこれまで綺麗だった廃線跡が突然
荒れ始め歩行困難に。雑草や小枝を掻き分けながら進みます。
 
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次の「第二中津川橋梁」へ到着する筈でしたが、歩き易い場所を選んで
進んだらズレちゃいました。雑草が酷くて、辿り着くのは無理でした。
 
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仕方がないので対岸へ移動し撮影。しかしまたしても雑草が邪魔をして
良い絵が撮れず。この調子だと夏場の撮影なんてとんでもないかもねぇ。
 
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では次の場所へ移動します。お待たせしました、遂にアレの登場です。
手前の築堤の先に既に見えています。物凄い風格です(自分比 笑)。
 
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到着しました。これが「木曽川橋梁」です。全長134m、
DVDやネットで見た映像が今、目の前に展開、感動です。
 
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角度を変えて撮影。実はこの場所、現在は「採石場」が稼動しており、
立ち入るには「断り」が必要です。もちろん、断ってから撮影です。
 
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隣に架かる「玉蔵大橋(県道)」を経て木曽川を渡り対岸へ到着。
対岸にも僅かではありますが、築堤が残っていました。
 
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その築堤上へ到着です。しかし「とりあえず設けた」ような柵があるのみ。
そしてここにも枕木が数本、眠っていました(写真手前)。
 
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では「とりあえず設けられた柵」を突破して撮影開始です(笑)。
一番手前のガーターはやや曲がっている? しかし素晴らしいです。
 
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アップで撮影。それにしても廃線から30年以上が経過、これだけ目立つ
巨大遺構が未だに残っている理由とは? やはり意図的なんでしょうか?
 
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ではそろそろ先へ進みたいと思います。振り返って撮影します。
築堤が残っているのはこの部分のみ、その先は削られ道路となりました。
 
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しかし未練がましく、角度を変えてもう一枚撮影します(笑)。
これで気が済みました。次の目的地へスッキリ進めます。


その2は以上です。次回は「恵那峡口」駅を経て
山の田川に沿って進む「渓谷ステージ」へと入って行きます。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その3

●第三回目です。今回は「恵那峡口」~「山之田川」駅間、山の田川沿いに走る
「渓谷ステージ」をご紹介致します。ところが、想定外の事象が発生
無念の決断を迫られることになってしまいました。では、とりあえずご覧下さい。
 
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感動の「木曽川橋梁」探索を終え、次の目的地「恵那峡口駅」へと
やって来ました。駅跡は画像の位置にありました(もう少々奥へ長いかも)。
 
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道路脇の斜面にはこのような駅の基礎か、或いは土台のようなものが。
近くのおばあちゃんにお話を伺ったところ、比較的長い駅だったようです。
 
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では先へ進みます。廃線跡はいよいよ山の田川沿いに進む
森の中へと入って行きますがその前に。前方にナニかあるようです。
 
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これは何でしょう? こんな目立つ橋台跡、見逃す筈もありません。
この上に神社があるようですが、何か関係があるのでしょうか。
 
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通り過ぎ振り返って撮影。ご覧のように反対側にも大部分を
失ってしまったようですが、橋台根元の部分が残っていました。
 
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では先へ進みます。遂に舗装部分は終了、深い森の中の様相を
呈してきました。この先に「見事なアレ」が待ち受けている筈です。
 
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そのアレのある場所へ到着しました。先にガーター橋が見えます。
画像に映らないような細い小枝が行く手を阻みますが、負けません(笑)。
 
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到着しました。「第一山之田川橋梁」です。渡る?止める?

結論。またしても渡りません(笑)。この先にはあと3つの橋梁が待ち受けていますが、
かなり高さもあり危険過ぎます。行きたい気持ちはエベレスト(標高8848m)よりも
高かったのですが(笑)、ここはムリをせず反対側の「山之田川駅」方面から
攻めることにします。ところが、この決断が大後悔の決断となってしまいます。
 
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ということでとりあえずは迂回をして、橋の下へ降りてきました。
こちら側から対岸へアプローチ出来ないかとも思いましたが無理でした。
 
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この「第一山之田川橋梁」の画像はネット上には多く存在しますが、
「このアングルは無かったよなぁ」とご覧の角度から撮影してみました。
 
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横から撮影します。ここをゴトゴトと走っていた訳です。ちなみに
川底までの高さは約15m・・・渡るのが怖いの、分かるでしょ(笑)。
 
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ということで先ほどのご説明の通り、反対側「山之田川駅」方面から
攻めることにします。画像は「山之田川駅」手前の廃線跡です。
 
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では現地へ行く前に空撮で確認しましょう。廃線直前(1978年廃線)の
画像ではこのようにハッキリと廃線跡が見ることができますが・・・
 
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現在となっては川の部分は判別出来ますが、廃線跡の区別は30年以上
という歳月が重くのしかかり、ほぼ自然へと還ってしまっている感じです。
 
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ではお待たせしました、反対側から進みましょう。この辺りは築堤だった
ようですが、手前の築堤は分かるものの、その先は完全に消失していました。
 
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しかし廃線跡は再び復活、そこから再アプローチをしますが、危惧して
いたことが現実となります。廃線跡はやはり森へと還っていたのです。

ということ結論です。皆様既にお察しのこととは思いますが、残りの3橋梁を
確認できず、無念のリタイアとなりました。むろん、悪路のためです。
ただし「絶対にムリ」という訳では無く、進むには「それ相当の準備」が必要
だったということです。そして私が見た限り、廃線跡上を進むのは相当に
厳しいでしょうが、川沿いに進むのならば可能かも知れないということでした。
 
生憎この時に私にはそのような準備は出来ておらず、この探索は
断念しましたが、もしご興味があり、この地へ行かれる場合には
それ相当の対策・準備をされることをお勧め致します。
 
では次回は「山之田川駅」から「上苗木駅」までの探索を行います。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その4

●予想以上の悪路により、探索を断念した前回の「恵那峡口」~
「山之田川」間の「渓谷ステージ」でしたが、まだまだ先は長いですし
「なぁ~に、まだこの先にもいいことあるさ!」と気を取り直して先へ進むことにします。

今回は「渓谷ステージ」の次、「山之田川(やまのたがわ)駅」から
「並松(なみまつ)駅までの探索を行います。それではご覧下さい。
 
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「山之田川駅」到着直前の廃線跡です。大きく雰囲気が残ります。
この緩やかな左カーブの直後に駅はありました。
 
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駅へ向かう途中、ふと下の方に目をやると、やはりありました。
これまでにも散々登場した「北恵那鉄道」、境界杭の登場です。
 
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「山之田川駅」に到着です。右手、一段高くなっている部分が駅跡です。
当初は石材等も扱っていたため、かなり広い敷地を構えていたようです。
 
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ではこの「山之田川駅」周辺を空撮で確認してみましょう。
どのように変わったのか、ご自分の目で確かめてみて下さい。
 
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今度は「中津川方面」を見て撮影。こちらの方が分かり易いでしょうか。
ホーム跡がハッキリと見てとれます。少々嵩(カサ)上げされたでしょうか?
 
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では先へ進みましょう。駅を出て100m少々、廃線跡はここで消失します。
しかしここは「事前調査」の勝利、見失うことはありませんでした(笑)。
 
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それにしてもこの区間を見て思ったことは、「なんという高低差なんだ」と。
画像では分かり辛いのですが、本当に電車が進めたのか?という感じです。
 
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と、高低差の激しい区間を過ぎると「苗木(なえぎ)駅」跡へ到着します。
とはいっても今はもう取り壊されてしまい、住宅地へと変わっていました。
 
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振り返って「中津川方面」を撮影します。手前・駅跡の敷地とその先へ
続く廃線跡の具合が何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
 
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こちらは「苗木駅」跡を出て直後、小さな橋があったと思われる場所です。
「やはり何も残っていないか」と諦めかけたその時です。
 
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良く見ると橋の架かっていた部分に橋台跡らしきものが。
見辛いのですが、右側には枕木らしきものもあります(未確認)。
 
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では続きまして「上苗木駅」跡へと参ります。ぶちゃけ駅跡は完全に失われ
正確な位置も掴めせんが、この付近ということだけは間違いありません。
 
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この廃線跡上左側に残るスペースが駅跡濃厚と思われます。
誰か居れば聞いても良かったのですが、何故か誰とも接触出来ず。
 
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ではこの付近の「激変ぶり」を空撮で確認してみましょう。
今となってはこの「上苗木駅」より先の部分はもう無いに等しいです。
 
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駅を出て約500m、ようやく復活した廃線跡も再び消失してしまいます。
この先は築堤があった筈なのですが、跡形も無く辿ることも不能でした。
 
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それにしてもこの区間も、激しい高低差が続く区間に驚かされました。
と、関心しているうちに次駅「並松駅」跡へ到着しましたが・・・ナニコレ !?


さて、この「並松駅」跡に残されていたものとは一体? 次回へ続きます。