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北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その5

●「並松駅」へ到着、しかしここで驚くべき光景を目にしたところで終了した
前回でした。その驚くべき光景とは一体何だったのか。では続きをご覧下さい。
 
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「並松駅」跡へ到着しました。何と、ご覧のように駅一帯が掃除でも
されているのか綺麗な状態が保たれ、かつ遺構の宝庫だったのです。
 
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特に「保存されています」的な案内も無いのに、この状態って・・・。
とにかくせっかくなので思う存分堪能させて頂くことにします(笑)。
 
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恒例、「ホームで列車を待ってみました」シリーズです(笑)。
こちらは「中津川方面」で、ホームの柵まで残っています。
 
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今度は終点「下付知方面」を見ています。
ご覧の通り、二面二線の列車交換可能駅でした。
 
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反対側のホームへ来ました。こちらにも駅舎の跡らしきものが。
前後しますが二枚目の写真は、反対側ホームの駅舎跡です。
 
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「中津川方面」から「並松駅」全景を撮影。何という保存状態の
良さでしょうか。やはり「誰かが綺麗にしている」としか思えませんね。
 
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「廃駅」だから、こんな角度からでも撮影出来ちゃいます(笑)。
ところで、左下に写っている「滑車」らしきものは何でしょう?
 
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そして、少々離れた中津川方面には「謎のホーム」らしきものを発見。
実はコレ、貨物用のホームだと思われ、石材運搬専用だったようです。
 
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今度は「下付知方面」、駅場内の先端部分へ来ました。
先端部分は築堤だったようですが、今は完全に削られ消失しています。
 
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振り返って今度は下付知方面から「並松駅」跡を撮影します。
何やら色々と想像力を掻き立てられる絵です。
 
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十分に「並松駅」跡を堪能、次の目的地「関戸駅」跡を目指します。
と、その移動中に面白そうな場所を発見したので、寄り道します。
 
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築堤上へ登ってきました。何故かここも雑草が殆ど無く綺麗です。
ここも誰かが手入れを? それにしてもかなりの急斜面です。
 
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振り返ってみれば(下付知方面)こちらにも綺麗な下りの廃線跡が続いて
います。延々と続いていそうな感じですが、そうも行かず酷い場所も多いです。
 
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こちらは「関戸駅」到着直前の廃線跡です。見渡せはしますが、これは
冬のせいで葉が無いため。要は枯れ枝ばかりで歩くのは困難です。
 
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やや広くなっている場所へ出ました。この前後は細く歩き辛い廃線跡が
続いていることから、この場所が「関戸駅」跡の可能性大と思われます。
 
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ふと脇を見れば「例のアレ」が顔を覗かせているではありませんか。
「これは良い絵が撮れるかも」と思い撮った絵がこれです。どうでしょう?


以上、北恵那鉄道「並松-関戸」間の廃線跡探索でした。次回は
「美濃福岡駅」経て、生まれ変わった橋梁「福岡ローマン橋」までを辿ります。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その6

●前回は「関戸駅」までの探索を終えましたが、この次の駅「美濃福岡駅」でようやく
「北恵那鉄道」の中間点に達します。かなりの「長編」となってしまいそうですが、
裏を返せばそれだけ「中身が濃かった」ということになります。では続きをご覧下さい。
 
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「関戸駅」を出ると暫く国道257号線に沿って走り、その後は「付知川」の
支流に沿って走り「美濃福岡駅」へ到着となります。写真はその直前です。
 
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「美濃福岡駅」に到着しました。二面二線の交換駅だったため、結構広い
敷地です。駅跡は既に取り壊されましたが、その代わりモニュメントが・・・
 
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あると聞いましたが、どうやらこれのようですね。しかしこのような石碑を
見ると、いつも「惜しまれての廃止だった」と、ちょっと安心してしまいます。
 
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下の部分には現役当時の雄姿が刻まれています。写真はこの
付近でしょうか。撮影には自分の手が写らないように苦労しました。
 
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では「美濃福岡駅」を出発します。駅を出ると国道257号線を跨ぎ、
写真のような高低差のある斜面を急降下して行きました。
 
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アップで見てみると、一部廃線跡が写っています。しかし何度でも
言いますが、本当に高低差の激しい区間が多く、ただただ驚くばかりです。
 
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では只今ご紹介した部分を空撮で確認してみましょう。
見辛いのですが、今でも残る廃線跡が確認できるかと思います。
 
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では二枚上、遠目からアップで撮影した廃線跡を実際に辿りましょう。
やはりかなりの急坂で、写真でお伝え出来ないのが本当に残念です。
 
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約300mの急な下り坂もまもなく終わりを迎える、というところで廃線跡は
突然荒れ始め、更には途切れてまいます。手前には枕木がありますね。
 
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しかし、しっかりと「う回路」が設けられていて通ることができます。
ご覧の通り、「元あった部分」がスッカリ削り取られてしまっています。
 
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と言っているうちに、見どころの「福岡ローマン橋」へ到着しました。
もちろん当時からあった訳ではなく、廃線後に設けられたものですが・・・
 
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廃線跡は変わってしまっても、でもこの「付知川」の美しい景色だけは
恐らく当時から「不変」のことでしょう。ちなみに上流方面です。
 
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こちらは下流方面の付知川です。奥には美しい山々が立ち並びます。
ちなみにこの山々は何山脈(?)でしょう?(恵那・多治見方面です)
 
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渡りきって側道へ降り、横から撮影しました。
ちなみに両サイドの築堤は現役当時のもののようです。
 
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しかし両端に(築堤が)残ってはいるものの、その先はどうかというと、
このようにブッタ切られてしまっています。まぁ、しょうがないですね。、
 
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では当時の様子を空撮で確認しましょう。もう一目瞭然、橋を渡ると
緩やかに下る築堤が写っているのがお分かりになると思います。

以上、「美濃福岡」~「福岡ローマン橋」の廃線跡探索でした。
次回は少々ペースアップし、「美濃下野駅」手前までの廃線跡を辿ります。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その7

●長編となっている「北恵那鉄道」編もようやく終盤に入ってきました。
今回は「ふくおかローマン橋」~「美濃下野駅」手前までの探索です。
 
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「ふくおかローマン橋」を過ぎた場所から再開します。
橋を渡り終えると、遊歩道化・整備された廃線跡へと変わります。
 
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こちらは整備された廃線跡ですが、ぶっちゃけすれ違った人は 1人・・・。
どうも「有効利用されていない感」が否めない感じでした。勿体無い。。。
 
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こちらは恐らく短いガーター橋が架かっていたのでしょう。
橋は架け替えられたようですが、橋台跡はそのままのようです。
 
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すると右手の「付知川」に架かるつり橋を発見。「栗本橋」ですか。
次の駅名と同じですね。せっかくなので寄り道して行きましょう。
 
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すると何とも言えない絶景をカメラに収めることが出来ました。沖縄の海と
錯覚しそうな美しいエメラルドグリーンが目に焼き付きます。これは凄いです。
 
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ご覧の通り、透明度が高く水質はかなり良いように映ります。
これは「魚が居たらモロバレ」なんて思いましたが発見は出来ず(笑)。
 
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では寄り道終了、廃線跡探索へ戻ります。「遊歩道化」されている
区間のお陰か、歩き易い廃線跡が続きます。おや?アレはひょっとして?
 
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やはり駅跡でした。「栗本駅」跡です。ご覧の通り一面一線の駅で、
ホーム上には木造の待合室があったそうです。
 
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今度は反対側、「中津川方面」を見て撮影しています。
丸石を積んだ駅です。これまで現存していた駅とは少々違いますね。
 
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では「恒例」、「ホームで列車を待ってみました」シリーズです(笑)。
恐らく電柱を除いて、それ以外はほぼ現役当時の景色そのままかも。
 
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そして「下付知方面」を見れば、未だに埋まったままの枕木が続いています。
 
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では先へ進みます。ここから先は(車が入れないため)
対岸より廃線跡を眺めることにします。
 
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すると、「釣り人」を発見。やはり「魚」が居るのですね。
ちなみこの回では人に逢ったのは、これでようやく 2人目(汗)。
 
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それから約1.5kmほど進み、間もなく次駅「美濃下野(しもの)駅」跡へ到着と
いうところですが、その前に一つ見所が。それがこちらの廃橋梁跡です。
 
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橋梁名は「柏原川橋梁」といい、読み方は「かしわら」と読みます。
ちょっとオジサン入ってたら「かっしわばら」って読んじゃうかもね(笑)。
 
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「下付知方面」から撮影。奥には未だに枕木が乗っています。
手前には枕木の乗っていた跡が。やや左にカーブしていますね。


その7は以上にて終了です。そして次回はいよいよ完結編で、
残す 4つの駅「美濃下野・田瀬・稲荷橋・下付知」駅の探索を行います。

北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) 最終回

●過去最長の8回構成となった「北恵那鉄道」の探索も、今回でいよいよ最終回。
「美濃下野駅」から終点「下付知駅」までの探索を行います。ではご覧下さい。
 
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現存する「美濃下野(しもの)駅」跡に到着です。一見、「ドコに?」と
なりそうですが、良く見るとしっかり健在。半分土に埋もれています。
 
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奥へ行き振り返って撮影。二面二線の駅でしたが、今写っているホームは
実は貨物用のホームということで「交換駅」という訳では無かったようです。
 
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では先へ進みます。こちらは次の駅「田瀬駅」跡まであと僅かの廃線跡です。
中津川方面ですが、この辺りの廃線跡はジャングルと化しています。
 
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では振り返って次駅、「田瀬駅」を目指しましょう。ここから駅までは
誰かが手入れでもしているのか、綺麗な廃線跡が続いています。
 
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「田瀬駅」跡に到着しました。事前調査通り、現存していました。
右手にはこれまで通り、四角い石積みのホームが見えています。
 
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この「田瀬駅」跡、一見右側にしかホームが無いように見えますが、実は
二面二線の交換駅。左側のホームが土で埋もれているのが分かります。
 
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では「ホームで列車を待ってみました」シリーズ、行ってみましょう(笑)。
それにしても反対側のホームは何故埋められてしまったのでしょう。
 
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「駅入口」と思われる階段が。立派な石造りの階段です。
 
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「下付知方面」から、駅全体を見渡して撮影。
理由は分かりませんが、これまでの中で一番長いホームです。
 
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北側にも階段が。恐らく右側道路からのアクセス通路だったのでしょう。
またこの角度からだと、左へカーブしているホームというのが分かります。
 
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いきなりですが間もなく次の駅、「稲荷(いなり)橋駅」へ到着致します。
既に遠目に赤い鳥居が見えていますが、これが駅名の由来だそうです。
 
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「稲荷橋駅」跡へ到着です。こちらもご覧の通り現存しており、
ホーム中央には木造の待合室があったそうです。
 
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では再び恒例「ホームで列車を待ってみました」シリーズです(笑)。
今回の探索は(「ホームで~」を)いっぱい出来てうれしい限りです。^^;
 
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では次の駅へ出発します。次はいよいよ終点、「下付知駅」です。
事前調査によれば「危なく消えかかっている駅」ということでしたが・・・
 
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ということで終点、「下付知(しもつけち)駅」跡へ到着しました。
駅跡の判別は分かり辛いかと思いましたが、すぐに分かりました。
 
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ホームの大部分は埋もれて失われてしまったようですが、でもこの
四角い石積みと来ればもう「えなでん」のもの。僅かですが、階段も現存。
 
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ただし南側のホームを除いては、全て土の中となってしまったようです。
しかし北側に僅かにホームが覗いていたお陰で、全体像が掴めました。
 
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現役当時は木材輸送のターミナル駅として活躍、貨物用の引き込み線等
多く存在し大きな敷地を構えていた駅でした。しかし残す遺構は今や僅かです。


という訳で長らくのご乗車、有難うございました(笑)。これにて「えなでん」こと
「北恵那鉄道」の訪問記は終了となります。最後にまとめです。
 
まず第一印象ですが、「なんとも急勾配の多い路線なんだ」ということでした。
これまで私が訪問して来た廃線跡の中では、勾配の多さや角度的にもまず
No.1は間違いないでしょう。また小さく非力そうな車輌(車輌のことは
詳しくないので分かりませんが、あの多くの急勾配を「うんしょ、うんしょ」と
進んだということも、この急勾配の多さを強く感じさせます。
とにかく満足の探索で、ずっとずっと残っていて欲しいと思えた廃線跡でした。

東野鉄道 (栃木県/西那須野-那須小川) その1

●データ 【所在地】栃木県那須塩原市~那珂川町 【運営キロ】24.4Km
【開業】1918年(大正7年)4月17日 【廃止】1968年(昭和43年)12月16日
【魅力】廃止から約40年が経過しているにも関わらず
現在においても比較的多くの遺構を発見できる。
廃線跡もそのまま道路になるなど辿り易い路線。 【訪問日】10.01.16


●「とうの」ではありません。「とうや」と読みます。栃木県那須塩原市に
やって来ました。
この「東野鉄道」を知ったキッカケですが、既に掲載終了した「 矢板線 」の予習を
している時でした。PC上の地図で「矢板駅」を出そうとした時に、少々ズレて
「西那須野駅」行ってしまいました。その時です。「・・・ナンだ?コレは !?」。
 
「西那須野駅」から出る線路跡であろう独特のカーブを発見しました。
・・・これが「東野鉄道」を知るキッカケでした。ちなみにこのパターンは「 弥彦線
」の
発見パターンとも同じです。「西那須野駅」からの出発となります。ではご覧下さい。
 
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栃木県「西那須野駅」の東口へやって参りました。
東北新幹線の停車駅でもありますが、今回は車でやって来ました。
 
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この駅前一帯が「東野鉄道」の駅スペースだったと思われます。
廃止時期も古く、新幹線完成時に環境が激変したのか遺構は発見できず。
 
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では恒例、空撮画像にて確認をしてみましょう。非常に見辛いものの、
なんとなくですが、1947年の方には駅があるのが分かるかと思います。
 
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JR東北本線「西那須野駅」の構内です。右側のスペースが
気になりますが、今となっては知る由もありません。
 
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恐らくこの付近も駅構内の一部だったと思われます。今は見る影もありません。
 
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これ以上駅に居ても何も発見できませんので、出発することにします。
もう少し左側だったかも知れませんが、こちらが廃線跡となります。
 
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駅を出て約 500mは、東北本線と併走していたようです。
もう間もなく廃線跡は右側へと折れて行きます。
 
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こちらは国道 400号線とのオークロス地点です。
この付近は「ぽっぽ通り」として整備されております。
 
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ガード下にはこのような絵が書かれていました。
いかにも廃線跡らしくて、こういうのは良いですね。
 
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ガード下を抜けるとすぐに「ぽっぽ通り」の案内図が。
廃線跡にありがちな「自転車と歩行者」に通行区分されています。
 
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既にJR東北本線と別れ、緩やかな右カーブを描いています。
このカーブが終わると最初の駅、「乃木神社前駅」の筈ですが・・・
 
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ありました、ありました。こちら(右側)が「乃木(のぎ)神社前駅」跡です。
 
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レールや駅跡まで復元されています。周辺は小公園となっています。
しかしこれは当時のものではなく、位置も本来の位置とは違うようです。
 
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でもそれはそれ。こうやって当時を偲ぶ記念碑などを建ててもらえる
駅が圧倒的に少ない訳で、貴重なことには変わりありません。
 
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では、本来の駅があった場所はというと、こちらになります。
数十メートル「西那須野駅」寄り、機関車のモニュメントのある付近です。
 
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この角度から見ると、「大型トラック」に見えなくもないですが(笑)。
しかしこういうものを見る度に、何故かホッとする自分が居たりします。


以上、その1でした。次回は「ポッポ通り」の末端、
そしてこの路線唯一となる「トンネル」の探索記をUPの予定です。