北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その5
前回でした。その驚くべき光景とは一体何だったのか。では続きをご覧下さい。

「並松駅」跡へ到着しました。何と、ご覧のように駅一帯が掃除でも
されているのか綺麗な状態が保たれ、かつ遺構の宝庫だったのです。

特に「保存されています」的な案内も無いのに、この状態って・・・。
とにかくせっかくなので思う存分堪能させて頂くことにします(笑)。

恒例、「ホームで列車を待ってみました」シリーズです(笑)。
こちらは「中津川方面」で、ホームの柵まで残っています。

今度は終点「下付知方面」を見ています。
ご覧の通り、二面二線の列車交換可能駅でした。

反対側のホームへ来ました。こちらにも駅舎の跡らしきものが。
前後しますが二枚目の写真は、反対側ホームの駅舎跡です。

「中津川方面」から「並松駅」全景を撮影。何という保存状態の
良さでしょうか。やはり「誰かが綺麗にしている」としか思えませんね。

「廃駅」だから、こんな角度からでも撮影出来ちゃいます(笑)。
ところで、左下に写っている「滑車」らしきものは何でしょう?

そして、少々離れた中津川方面には「謎のホーム」らしきものを発見。
実はコレ、貨物用のホームだと思われ、石材運搬専用だったようです。

今度は「下付知方面」、駅場内の先端部分へ来ました。
先端部分は築堤だったようですが、今は完全に削られ消失しています。

振り返って今度は下付知方面から「並松駅」跡を撮影します。
何やら色々と想像力を掻き立てられる絵です。

十分に「並松駅」跡を堪能、次の目的地「関戸駅」跡を目指します。
と、その移動中に面白そうな場所を発見したので、寄り道します。

築堤上へ登ってきました。何故かここも雑草が殆ど無く綺麗です。
ここも誰かが手入れを? それにしてもかなりの急斜面です。

振り返ってみれば(下付知方面)こちらにも綺麗な下りの廃線跡が続いて

こちらは「関戸駅」到着直前の廃線跡です。見渡せはしますが、これは
冬のせいで葉が無いため。要は枯れ枝ばかりで歩くのは困難です。

やや広くなっている場所へ出ました。この前後は細く歩き辛い廃線跡が
続いていることから、この場所が「関戸駅」跡の可能性大と思われます。
「これは良い絵が撮れるかも」と思い撮った絵がこれです。どうでしょう?
以上、北恵那鉄道「並松-関戸」間の廃線跡探索でした。次回は
北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その6

「関戸駅」を出ると暫く国道257号線に沿って走り、その後は「付知川」の
支流に沿って走り「美濃福岡駅」へ到着となります。写真はその直前です。

「美濃福岡駅」に到着しました。二面二線の交換駅だったため、結構広い
敷地です。駅跡は既に取り壊されましたが、その代わりモニュメントが・・・

あると聞いましたが、どうやらこれのようですね。しかしこのような石碑を

下の部分には現役当時の雄姿が刻まれています。写真はこの
付近でしょうか。撮影には自分の手が写らないように苦労しました。

では「美濃福岡駅」を出発します。駅を出ると国道257号線を跨ぎ、
写真のような高低差のある斜面を急降下して行きました。

アップで見てみると、一部廃線跡が写っています。しかし何度でも
言いますが、本当に高低差の激しい区間が多く、ただただ驚くばかりです。

では只今ご紹介した部分を空撮で確認してみましょう。
見辛いのですが、今でも残る廃線跡が確認できるかと思います。

では二枚上、遠目からアップで撮影した廃線跡を実際に辿りましょう。
やはりかなりの急坂で、写真でお伝え出来ないのが本当に残念です。

約300mの急な下り坂もまもなく終わりを迎える、というところで廃線跡は

しかし、しっかりと「う回路」が設けられていて通ることができます。
ご覧の通り、「元あった部分」がスッカリ削り取られてしまっています。

と言っているうちに、見どころの「福岡ローマン橋」へ到着しました。
もちろん当時からあった訳ではなく、廃線後に設けられたものですが・・・

廃線跡は変わってしまっても、でもこの「付知川」の美しい景色だけは
恐らく当時から「不変」のことでしょう。ちなみに上流方面です。

こちらは下流方面の付知川です。奥には美しい山々が立ち並びます。
ちなみにこの山々は何山脈(?)でしょう?(恵那・多治見方面です)

渡りきって側道へ降り、横から撮影しました。
ちなみに両サイドの築堤は現役当時のもののようです。

しかし両端に(築堤が)残ってはいるものの、その先はどうかというと、
このようにブッタ切られてしまっています。まぁ、しょうがないですね。、
以上、「美濃福岡」~「福岡ローマン橋」の廃線跡探索でした。
次回は少々ペースアップし、「美濃下野駅」手前までの廃線跡を辿ります。
北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) その7

「ふくおかローマン橋」を過ぎた場所から再開します。
橋を渡り終えると、遊歩道化・整備された廃線跡へと変わります。

こちらは整備された廃線跡ですが、ぶっちゃけすれ違った人は 1人・・・。
どうも「有効利用されていない感」が否めない感じでした。勿体無い。。。

こちらは恐らく短いガーター橋が架かっていたのでしょう。
橋は架け替えられたようですが、橋台跡はそのままのようです。

すると右手の「付知川」に架かるつり橋を発見。「栗本橋」ですか。
次の駅名と同じですね。せっかくなので寄り道して行きましょう。

すると何とも言えない絶景をカメラに収めることが出来ました。沖縄の海と

ご覧の通り、透明度が高く水質はかなり良いように映ります。
これは「魚が居たらモロバレ」なんて思いましたが発見は出来ず(笑)。

では寄り道終了、廃線跡探索へ戻ります。「遊歩道化」されている
区間のお陰か、歩き易い廃線跡が続きます。おや?アレはひょっとして?

やはり駅跡でした。「栗本駅」跡です。ご覧の通り一面一線の駅で、

今度は反対側、「中津川方面」を見て撮影しています。
丸石を積んだ駅です。これまで現存していた駅とは少々違いますね。

では「恒例」、「ホームで列車を待ってみました」シリーズです(笑)。

そして「下付知方面」を見れば、未だに埋まったままの枕木が続いています。

では先へ進みます。ここから先は(車が入れないため)

すると、「釣り人」を発見。やはり「魚」が居るのですね。
ちなみこの回では人に逢ったのは、これでようやく 2人目(汗)。

それから約1.5kmほど進み、間もなく次駅「美濃下野(しもの)駅」跡へ到着と
いうところですが、その前に一つ見所が。それがこちらの廃橋梁跡です。

橋梁名は「柏原川橋梁」といい、読み方は「かしわら」と読みます。
ちょっとオジサン入ってたら「かっしわばら」って読んじゃうかもね(笑)。
手前には枕木の乗っていた跡が。やや左にカーブしていますね。
その7は以上にて終了です。そして次回はいよいよ完結編で、
残す 4つの駅「美濃下野・田瀬・稲荷橋・下付知」駅の探索を行います。
北恵那鉄道 (岐阜県/中津川-下付知) 最終回
「美濃下野駅」から終点「下付知駅」までの探索を行います。ではご覧下さい。

現存する「美濃下野(しもの)駅」跡に到着です。一見、「ドコに?」と
なりそうですが、良く見るとしっかり健在。半分土に埋もれています。

奥へ行き振り返って撮影。二面二線の駅でしたが、今写っているホームは
実は貨物用のホームということで「交換駅」という訳では無かったようです。

では先へ進みます。こちらは次の駅「田瀬駅」跡まであと僅かの廃線跡です。
中津川方面ですが、この辺りの廃線跡はジャングルと化しています。

では振り返って次駅、「田瀬駅」を目指しましょう。ここから駅までは
誰かが手入れでもしているのか、綺麗な廃線跡が続いています。

「田瀬駅」跡に到着しました。事前調査通り、現存していました。
右手にはこれまで通り、四角い石積みのホームが見えています。

この「田瀬駅」跡、一見右側にしかホームが無いように見えますが、実は

では「ホームで列車を待ってみました」シリーズ、行ってみましょう(笑)。
それにしても反対側のホームは何故埋められてしまったのでしょう。

「駅入口」と思われる階段が。立派な石造りの階段です。

「下付知方面」から、駅全体を見渡して撮影。
理由は分かりませんが、これまでの中で一番長いホームです。

北側にも階段が。恐らく右側道路からのアクセス通路だったのでしょう。
またこの角度からだと、左へカーブしているホームというのが分かります。

いきなりですが間もなく次の駅、「稲荷(いなり)橋駅」へ到着致します。
既に遠目に赤い鳥居が見えていますが、これが駅名の由来だそうです。

「稲荷橋駅」跡へ到着です。こちらもご覧の通り現存しており、
ホーム中央には木造の待合室があったそうです。

では再び恒例「ホームで列車を待ってみました」シリーズです(笑)。
今回の探索は(「ホームで~」を)いっぱい出来てうれしい限りです。^^;

では次の駅へ出発します。次はいよいよ終点、「下付知駅」です。
事前調査によれば「危なく消えかかっている駅」ということでしたが・・・

ということで終点、「下付知(しもつけち)駅」跡へ到着しました。

ホームの大部分は埋もれて失われてしまったようですが、でもこの
四角い石積みと来ればもう「えなでん」のもの。僅かですが、階段も現存。

ただし南側のホームを除いては、全て土の中となってしまったようです。
しかし北側に僅かにホームが覗いていたお陰で、全体像が掴めました。
多く存在し大きな敷地を構えていた駅でした。しかし残す遺構は今や僅かです。
という訳で長らくのご乗車、有難うございました(笑)。これにて「えなでん」こと
これまで私が訪問して来た廃線跡の中では、勾配の多さや角度的にもまず
とにかく満足の探索で、ずっとずっと残っていて欲しいと思えた廃線跡でした。
東野鉄道 (栃木県/西那須野-那須小川) その1
【開業】1918年(大正7年)4月17日 【廃止】1968年(昭和43年)12月16日
【魅力】廃止から約40年が経過しているにも関わらず
現在においても比較的多くの遺構を発見できる。
廃線跡もそのまま道路になるなど辿り易い路線。 【訪問日】10.01.16
●「とうの」ではありません。「とうや」と読みます。栃木県那須塩原市にやって来ました。
・・・これが「東野鉄道」を知るキッカケでした。ちなみにこのパターンは「 弥彦線 」の

栃木県「西那須野駅」の東口へやって参りました。
東北新幹線の停車駅でもありますが、今回は車でやって来ました。

この駅前一帯が「東野鉄道」の駅スペースだったと思われます。
廃止時期も古く、新幹線完成時に環境が激変したのか遺構は発見できず。

では恒例、空撮画像にて確認をしてみましょう。非常に見辛いものの、
なんとなくですが、1947年の方には駅があるのが分かるかと思います。

JR東北本線「西那須野駅」の構内です。右側のスペースが
気になりますが、今となっては知る由もありません。

恐らくこの付近も駅構内の一部だったと思われます。今は見る影もありません。

これ以上駅に居ても何も発見できませんので、出発することにします。
もう少し左側だったかも知れませんが、こちらが廃線跡となります。

駅を出て約 500mは、東北本線と併走していたようです。
もう間もなく廃線跡は右側へと折れて行きます。

こちらは国道 400号線とのオークロス地点です。
この付近は「ぽっぽ通り」として整備されております。

ガード下にはこのような絵が書かれていました。
いかにも廃線跡らしくて、こういうのは良いですね。

ガード下を抜けるとすぐに「ぽっぽ通り」の案内図が。
廃線跡にありがちな「自転車と歩行者」に通行区分されています。

既にJR東北本線と別れ、緩やかな右カーブを描いています。
このカーブが終わると最初の駅、「乃木神社前駅」の筈ですが・・・

ありました、ありました。こちら(右側)が「乃木(のぎ)神社前駅」跡です。

レールや駅跡まで復元されています。周辺は小公園となっています。
しかしこれは当時のものではなく、位置も本来の位置とは違うようです。

でもそれはそれ。こうやって当時を偲ぶ記念碑などを建ててもらえる
駅が圧倒的に少ない訳で、貴重なことには変わりありません。

では、本来の駅があった場所はというと、こちらになります。
数十メートル「西那須野駅」寄り、機関車のモニュメントのある付近です。

しかしこういうものを見る度に、何故かホッとする自分が居たりします。
以上、その1でした。次回は「ポッポ通り」の末端、
そしてこの路線唯一となる「トンネル」の探索記をUPの予定です。