今や完全な死語となってしまった 文化住宅 という言葉は、それまで台所とトイレが供用だった 長屋 という共同住宅に対し、それらを各戸に配置したことから、「文化的な生活を送れる」という趣旨で作られた造語でした。

 

     

 

さて、わが国は先の大戦で大都市部は空襲によって壊滅的な被害を被りましたが、その後はいわゆる バラック小屋 が立ち並び、何とか雨露は凌げたものの…

 

     

 

昭和30年代に入りますと、前述した 文化住宅や団地の建設が急ピッチで進んだ ことにより、庶民の生活様式は一気に向上したのでした。

 

     

 

 

 

 

ただ、今と大きく違ったのは各戸に 風呂が無かった ことですが、これは戦後急増する人口に対して、出来るだけ早く大量に住宅を供給する目的もあったため、最初から備わっていなかったのでした。

 

しかし、無いから不便かと言うとそうではなくて、住宅街は古くから近所に必ず銭湯がありましたし、大規模な団地では 近隣センター に銭湯が併設されたようでした。

 

     

 

 

 

 

しかし、日々「こまねずみ」のごとくモーレツに働く企業戦士らがクタクタになって帰宅したところで、これまた一旦着替えをし直して銭湯へ出向かなければならず、これが毎日続くとなりますと大きな労力を伴うんですね!

 

そこで、その隙間を埋めるべく、本当にチープな作りだけれど、わが家に安価で風呂が設置できると登場したのが バスオール という商品でした。

 

     

 

実は先日…

「千里ニュータウン情報館」に実物が置いてあるとのことで見学に伺いましたが、俗に言う ユニットバス の派生版で、畳半分程度の小さいお風呂でした。

 

 

 

 

正式名称は、ほくさん簡易設置型浴室ユニットバスオール!

 

     

 

時は昭和38年に登場したものの、爆発的に売れ出したのは 高度経済成長期 に入った昭和40年以降のようで、当時のサラリーマン平均月収が30000円程度でしたが…?

 

なな何と今だけ! 

ジャパネット利益還元祭の特別価格(←ウソ)で、専用ボイラー付きが63000円 ・ なしが46000円ので買えるんですよ皆さん!

 

     

 

 

 

 

ですから、少し切り詰めさえすれば わが家に風呂がやってくる のですから、日々銭湯へ出向くこともなく、かつ銘々が好きな時に入れますから、我も我もと飛ぶように売れたのは当然の成り行きでした。

 

     

 

 

 

 

また、小型ゆえどこへでも置けるメリットもあったようで、例えば台所に横に置く例もあったようですが…

 

     

 

     

 

当然洗い場はおろか脱衣所も無い作りですので、例えば年頃の娘さんが食事中のところに、いきなり 丸裸のフリ珍おやじ が登場!

 

     

 

おまけに、入浴後は綺麗になった一物をブルンブルンと振り回して再登場するのだけでなく、後で入ろうものならおやじの陰毛がプカプカと浮いてる始末ですから、令和の今からしますと阿鼻叫喚の日々!

 

わいせつ物陳列罪 で即逮捕ですね!

 

     

 

     

 

さて、簡易であったとしても我が家で風呂に入れる日常を手にした民でしたが、その欲望はとどまるところを知らず、初期型は単に浴槽だけでしたが、次に登場したのは洗い場を併設したものでした。

 

     

 

※左端が洗い場一体型

※初期型で身体を洗う場合は、浴槽に板を敷いた上にかかんで洗っていました。

 

 

 

 

そして、今なお 現役で可動しているバスオールがある と言うことで、過日某所へ訪問させていただきましたが、こちらは昭和42年に発売された一体型のようでした。

 

      

 

      

 

      

 

今と比較しますとチープでかつ鼻くそほどの湯舟+洗い場ですが、それでも当時の子供たちは親と一緒にお風呂に入ることが至福のひと時であって、湯舟に浸かって1~10まで数えたり、シャンプーハットを使って恐々頭を洗っていたのです!

 

      

 

 

 

今と違ってクーラーはおろか、スマホやパソコン以前に電話すら無かった時代でしたがね…

でも、狭いながらも今と違って家族だんらんの空間があって、常に家中に笑い声が絶えなかったのが、昭和のあの時代だったのです。

 

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俗に言う 民族の大移動 と言えば、正月とお盆にGWと言ったところでしょうが、今から54年前の1970年には3月から9月までの6ヶ月間の長期に渡り、その大移動が連日繰り返されました。

 

すなわちこれは、 「人類の進歩と調和」 をテーマに掲げ、世界77か国が参加した一大イベント 日本万国博覧会 が開催されたことに伴い、全国各地から大阪千里への観光客らの行動に起因するものでした。

 

 

     

 

 

 

当時の一般家庭を振り返ってみますと、まだスマホはおろか固定電話すら無いだけでなく、クーラーも電子レンジも無かった時代でしたが、日々向上する生活様式の変化と、それに伴う所得の増加も相まって、 「だったら近未来が体験できる万博に行ってみようか?」 という風潮が後押ししたのです。

 

 

 

さて、そうなりますと主たる旅客需要は対東京圏であって、これは当時開通していた東海道新幹線で捌けましたし、早朝に東京を発てば 日帰りが可能 だったのです。

 

     

 

しかし、当時はまだ航空機での移動は一般的では無く、例えば対九州からの旅客などは 必ず大阪で一泊以上 しなければ、万博を見学することは出来ませんでした。

 

そこで、それらの観光客を見越して大型ホテルなどが次々と建設されてものの…

 

♪はぁぁぁ~ 民泊ねえ! ビジホもねえ! 東横インとは何者だぁ?♪  という状況でしたし、そもそも圧倒的に宿泊施設が不足しているだけでなく、物見遊山的な観光旅行がまだまだメジャーで無い時代でした。

 

 

     

 

 

 

 

さて、ここで少し時系列を戻してみましょう。

 

一面が竹やぶだらけで未開の地であった千里の村に、突如として万博建設が持ち上がったことで全国から建設業者が集結したため、当然彼らが寝る場所と胃袋を満たす飲食店が必要になってきたのです。

 

     

 

そこで、そこに目を付けたのが、大阪道頓堀で大食堂を起業した方で、すぐさま現地に作業員用の食堂を建設するや否や大大大繁盛したのでした。

 

     

 

 

 

もうね…

このような一大イベントが開催されるとなりますと、頭の回転が早くレスポンスに優れた一部の業者は「濡れ手に粟」のごとくぼろ儲けに至るのですが、これに気を良くしたその業者は、万博会場に近い竹見台北側に 簡易宿泊所を建設 し、前述の宿泊難民らで更にひと儲けしようと企んだのでした!

 

※以下の記事は「千里タイムズ」より引用。

 

     

 

建設予定地?

 

     

 

 

 

詳細はこうだ!

 

収容人数は3500人。

料金は1人1泊2500~3500円。

構造は簡易プレハブ。

万博へのアクセスは桃山台駅→万博中央駅 5分!

 

要は、大阪市内中心部のホテルなどからあぶれた観光客向けに建設されたものの、昭和40年代のペラペラなプレハブ住宅だったため居住性は劣悪で、おまけにクーラーがまだまだ高価な時代だったので、間違いなく客室は非冷房だったと想像できましょう。

 

     

 

加えて、当時の帝国ホテルが1泊5000円だったことを考えますと、完全な ぼったくり料金 を設定していたのにも注目ですね!

 

 

 

 

さて、時は戻って実際に万博が開催されますと、宿泊難民らが公園などにテントを張って野宿したり、はたまた路上に勝手に駐車したりと、いわゆる 万博公害 が噴出したのです!

 

     

 

     

 

 

そして、その最大の元凶とされるのがくだんの 簡易宿泊所 であって、法律上は「簡易」であるため建築法には触れないものの、クーラーすら無い真夏の夜に3500人の宿泊客らが涼を求めるために付近を大挙して闊歩したり、はたまたゴミや騒音などの諸問題も撒き散らすことが予想されたため、地域住民らが一斉に反発したのです。

 

     

 

そして、後に住民らの意見が勝るようになり、ほどなく簡易宿泊所は撤去されるに至ったのでした!

 

     

 

まあ、記事の 悪徳は追放された という見出しは、いかにも昭和まるだしで現在なら完全に炎上している案件であろうけれど、こうして濡れ手に粟を企んだ業者は、地域住民の団結により駆逐され、ついぞや幻と化したのでした。

 

今は、静かで穏やかな千里竹見台周辺ですが、かつてはこんな騒動もあったのですね…。

 

過日発生した 宮崎日向灘地震 は、単なる局地的なものではなく、それに続く南海トラフと繋がっているため、今後一週間程度は広域に巨大地震が発生する可能性が高いと言います。

 

     

 

すなわち、これは静岡県辺りからの太平洋側一帯の地域を指すものであって、その地震発生時の揺れはもちろん、津波による被害も心配されるので、できる限り 防災対策 を取って行動してほしいと言うものである。

 

 

 

 

しかし、本日から多くの企業が お盆休み にはいっており、いわゆる民族の大移動と時期が重なるため、多くの民がどうしようかと混乱しているようだが…?

 

     

 

すでに帰省で指定券を取っている者、はたまた観光旅行で旅館を予約している者にとっては泣き面にハチでもあるけれど、今年は更に東北付近に 台風5号 が接近しているため、フェリーや航空機にも影響が出るであろうから、こうなると北も南も四面楚歌であって、正に 「♪後ろから前からどうぞ♪」 状態なのである。

 

     

 

 

 

さて、こうした気象庁の発表を受けて過敏に対応した企業もあって、それが 紀勢本線 を受け持つJR西日本と東海なんだけれど、あろうことか 特急くろしお号 と 南紀号 を全面運休にしてしまったのである。

 

     

※くろしお号は和歌山以南が運休

 

     


 

これは辛いぞぉ~! 横山!

 

     

 

 

 

まあ、ぶっちゃけた話しがマイカー時代になったとは言え、白浜と言えば温泉に海水浴にアドベンチャーワールドもあるので、この時期は増結した9連+臨時も走りますし…

 

紀伊勝浦も温泉と世界遺産なんかがありますから、どちらも観光事業としては 夏はかき入れ時 なのに、大阪や名古屋からの特急が運休となりますと、帰省や旅行そのものを諦める者が続出するじゅあ~りませんか?

 

     

 

そうなりますと、当地は 濡れ手に粟シーズン 真っただ中と申しましょうか、1泊すると1人5~60000円が当たり前の超ぼったくり期間ですので、特に宿泊施設をはじめ土産物屋さんにも大きな影響どころか、大打撃となるでしょう?

 

     

 

 

 

 

発端は気象庁の会見であって、本来なら強制では無いんだけれど、いわゆる自粛ムードが勝っていると取る層も確実に居ますから、時期が時期だけに 軽率な発言 のようにも思いますし、はっきり申し上げて今回の発言は経済的に大きな損失を被ることは必至なのです。

 

 

 

まあ、それでもどうしても 列車で南紀を訪問したい方 がいらっしゃるのなら、その行程を少しシュミレーションしてみましょうか?

 

     

 

まずは新大阪から白浜に行く場合、和歌山までは特急が走っていますので、以遠は普通列車に乗り継ぎますと、約プラス5時間を要し…

 

※紀伊田辺での乗り継ぎが2時間半以上ありますが、当駅前からの明光バス(14:25発)に乗りますと、白浜バスセンター(ホテルむさしの前)には15:06に着きます。

 

 

 

対、名古屋から紀伊勝浦ですと、プラス3時間半も余計にかかってしまうのです。

 

 

 

蓼食う虫も好き好きと申しましょうか、部類の鉄道好きであってもこの行程であれば苦行以外の何者でもありませし、よしんば大人一人でどうしても帰省しなければならないう方でしたら、お好きにどうぞとしか申し上げられませんが、考えることは皆同じですので、普通列車も超満員であることをお忘れなく!

 

     

 

 

 

 

と言いますか、例えばファミリーで白浜温泉に出向いたところで、白良浜は 遊泳禁止 になっていますし、万が一巨大地震が襲ってきた場合、地元民のみのキャパシティしか持たない避難所に、観光客らが大挙として押し寄せて来たのなら、お互い迷惑以外の何者でもないでしょう。

 

     

 

 

明日に登山を楽しもうとした時、晴れ時々曇り+ところによりにわか雨という予報を聞いて登山そのものを諦めるか? それとも雨具を持ってでも決行するか? はたまた、「そんなん当たる訳ないやん」と、意気揚々と出発するのかは貴方次第なのです。

 

全ては自己責任で恨みっこ無しでね!

 

まあ、私の場合はどこへ行くアテも無いので、自宅でゆるりと 寝盆 でもしておきましょうか…?