今ほど即座に情報が伝わり、世界の出来事が瞬時にわかる時代では無かった昭和の頃は、テレビか雑誌にそれを求めることしか出来ず、また半信半疑ながらそれを信じるしか術が無かったんです。

 

特に、何も知らない小学生時代に注目されたもののひとつは、 少年雑誌の巻末にあった怪しい広告 の類であって、興味津々でその広告を眺めていましたね、当時は。

 

     

 

今から思うと少し半信半疑であっても、近未来的な要素も少し混ぜていたのが魅力的ですらあって、特に磁気治療器とされた ミリクルミー という商品は注目度が一番高く、手に包んでクルクル揉むと磁気の効果で血行が良くなると謳っていたもの、結局は何の効果も無い偽物だったことを知るには、更に10年程の月日を要したのです。

 

     

 

 

 

 

そう考えますと当時も今も 騙し騙されの時代 に変わりは無いのですが、さすがに最近では手口が巧妙になってきていて、大人であってもコロリと騙されてしまうので始末が悪いのです。

 

特に、弊社の場合ですと朝出勤してパソコンを開くのですが、時には一晩で50通以上の 大量の迷惑メール 入っていたりするのです。

 

     

 

もうね…

 

特に多いのが、誰もが馴染みのあるヤマト運輸やアマゾンや楽天のなど偽アカウントからのメールが主で、その内容は荷物が未配のため連絡を…だとか、カードに制限がかかっているので早めに手続きをなどと、新たに情報を入力させてそれを抜き取るのが彼らの目的だそうです。

 

    

 

 

 

まあ、送る側としては 騙して暗証番号などの個人情報を引き出すのが目的 なのですが、変わったところでは「三井住友カード」の偽アカウントからは、8810ポイントが早晩失効してしまうので今すぐ手続きを、なんてのもありましたね。

 

 

     

 

ぶっちけた話し、その他のメールは無視している賢者であっても、こと金銭が絡むと目の色が変わる 銭に卑しい者 をターゲットに絞り込んでいますから、それらの輩はいとも簡単に騙されてしまうのかも知れませんね?

 

     

 

 

あと、こちらが大阪であっても「東京電力」のメールが来たり、はたまた若干日本語が怪しい部分なんかも見て取れますが、要は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」のごとく、10万人に偽メールを送っても数人が騙されたとするのなら、騙す方としては上々の成果なのでしょう。

 

     

 

あと、最近よく掛かってくるのが +1や+01からの国際電話 ね?

 

どうやら、かけ直した際に高額な料金を請求する手口のようですが、頻繁に携帯電話を使う職種であれば、案外コロッと騙される気がしますし…

 

     

 

時には、 「お使いのドコモ携帯電話はあと1時間で使用できなくなります~」 などとメッセージが入るのですが、私の携帯電話はドコモと違うんじゃ! 

 

よっ! 我~~れぇ!

 

     

 

最後に…

メールや携帯電話で警戒していたとしても、彼らはあらゆる手段を使って近づいてきますから、当然 固定電話 にも掛かってくるのです。

 

 

 

で、その手口はと言いますと、 世論調査や選挙の投票無作為アンケート という名目で自動音声のテープが流れてきて、当たり障りのない質問が続いた最後の方で必ず問うてくるのが…

 

お住まいは →→→ 持ち家ですか? 賃貸ですか?

 

持ち家の方は→→→ 戸建てですか? マンションですか?

 

戸建ての方の家族構成は →→→ 何人家族ですか?

 

60歳以上の方は居ますか? などと質問した後に終了するのですが、これは恐らくなんだけれど 強盗に入りやすい家の情報を探している偽電話 ではないかと思うのです。

 

     

 

すなわち、賃貸やマンションで若年層しか居ない家はターゲットから外され、逆に戸建てで高齢者居るということは大半が住宅ローンを完済している層で、かつ退職金などの預貯金がほぼ確実にある比率が高いのですから、彼らにとっては確実にターゲットとなりうるのです。

 

と言うことで、無作為に掛かってくる自動音声の電話であっても、それが 闇バイトの襲撃リスト として彼らに共有されたとしたのなら、もはや世も末と言えるのかも知れませんね。

 

     

 

と言うことで、彼らがよく使う バールのようなもの はバールでは無いのかも知れませんが、それはともかく、こちらとしてはボロい賃貸住みだし、預貯金なんて全く無いカツカツ人生を歩んでいますので、無い袖は振れないので悪しからずです。 

 

ハイ…💦

 

前回の続きである。

 

道頓堀から心斎橋を経て歩くこと約40分…

御堂筋 の約半分にあたる本町付近までやってまいりましたが、ここでは阪神高速道路の下をくぐって交差します。

 

     

 

この界隈は、元々繊維関係の卸問屋などが並ぶ一角でしたが、1970年頃にこの阪神高速と併せて 中央大通 を建設するために立ち退きとなったため、その救済策として作られたのが 船場センタービル でした。

 

※大阪中心部の幹線道路は南北が「筋」、東西は「通」と言います。 例/御堂筋・谷町筋・あべの筋/千日前通・南港通

 

     

 

すなわち、ご覧のように高速道路の下に無理くり作られた造形は大都市を表すものとして有名ですが、現在も繊維関係のお店やレストランなどが入居していて、それなりに賑わっているようです。

 

 

 

更に北上しますと、左手に田舎の百貨店を連想する古い建物が目に入りますが、こちらは 大阪瓦斯ビルヂング でございます。

 

     

 

その名の通り 大阪ガスの本社 が入る建物ですが、大阪中心部の歴史を少しだけ紐解いてみますと、明治以降は和歌山に向かう 紀州街道を拡張した 堺筋 しかメイン道路が無かったのです。

 

しかし、昭和初期にこの御堂筋が地下鉄とセットで新たに開通したことにより、百貨店をはじめとして大企業の本社などがどんどん集積され、当時の最新かつモダンな建物を次々と建設したことで、その一部が今もこうして残っているのでした。

 

参考ブログ→

※なぜ堺筋と呼ぶのか? → 中心部船場から堺へ出る道だったことに由来。

 

 

 

そして、ここまでまいりますと歩道に何気に佇むオブジェをはじめ、心斎橋までの賑やかさと対照的な雰囲気を醸し出していて、いささか商都大阪には相応しくない印象もするのですが…

 

     

 

木漏れ日から漏れる色どりが演出する都会のわずかな空間は、まさに砂漠の中のオアシスのような気がしましたし…

 

     

 

一本路地を入ると、これまた古民家やレトロな建物が残っているのも興味深いのです。

 

     

 

 

 

さて、更に少し歩きますと、どこからか笛や太鼓のような音が聞こえてまいりました。

 

     

 

よくよく見ますと、近くの 少彦名神社 で神農祭が行われているようでしたが、祀られているのは 「すくなひこのみこと」 という神様で、 我が国の医薬と健康の祖神 として敬われていますから、それゆえ付近の道修町(どしょうまち)などには今も製薬会社や薬問屋が多く集まっている地域でもあるのです。

 

 

 

で、今日はたまたま年に一度の大祭があるようですので少し寄り道をしてみましたが、道中には露店が軒を連ねていました。

 

     

 

ええ感じでございます!

 

まあ、今風のベビーカステラなんぞの店も多くあったのですが、こちらは懐かしの 手打ちレトロパチンコ に…

 

     

 

老人が店番をする輪投げって…

 

     

 

もうこんなん、昭和丸出しで違う意味でテンション上がりまくりましたで、兄貴よ!

 

ところが、露店を見ながら歩きつつ門前まで辿り着いたものの、長蛇の列でしばらくは参拝が難しいようなので、またのの機会に訪問することにして引き返します。

 

     

 

 

 

さて、本来の御堂筋まで戻って再び歩きますと、ほどなくして淀屋橋駅に到着しましたが、ここでは相当古くから土佐堀川に浮かぶドロ船のような飲食店はまだ健在のようでした。

 

     

 

更に進みますと、これまた役目を終えた ミャクミャク様 が、大阪市役所の前で寝転んでおりましたが、現在はクリスマス仕様に変更されているようで、いわゆるプレーンなミャク様の最期の姿になってしまいまいしたが、更に市役所の隣には堂島川が流れています。

 

     

 

すなわち、ここ大阪は「水の都」ゆえ 八百八橋 といわれるほど橋が多いのですが、その中でも堂島川に架かるこの大江橋は、そのレトロな造形と古めかしい街灯が特徴で、まさに大阪を代表する橋のひとつといっても過言ではなく、この散策のクライマックスに相応する 一幅の絵 のような光景が眼前に広がります。

 

     

 

     

 

 

     

 

さて、ここまで約2時間弱で10000歩ほど歩いてまいりましたが、この先で道路は二手に別れまして、真っすぐ行けば 阪急百貨店 に、右に行けば新御堂筋に繋がります。

 

     

 

と言うことで、これで 秋の御堂筋ぶらり散策 は終了するのですが、ここで少し脱線をしまして、かつてお初天神近くにあった 廃墟のようなビル 跡地の裏手に潜入してみました。

 

 

 

 

1970年の大阪万博特需を狙って、当時は大阪の繁華街でビルの建設ラッシュが続いたのですが、途中でトラブルが発生する事案もあってか、長らく建設が中断されたビルここにあったのです。

 

参考ブログ→

 

もちろん、現在はその廃墟ビルも無くなり、跡地には「アパホテル&リゾート梅田駅前タワー」が君臨しているのですが、その裏手の一部に戦後間もない頃に建てられたであろうバラックが少しだけ残っているのてす。

 

     

 

もちろん、人ひとりがやっと通れるほどの通路しかありませんが、勇気を振り絞って進んでみますと…

 

     

 

営業されているのかどうなのか?

 

     

 

こちらは、東南アジアの下町に似た感じですが…

 

     

 

ほんまに強烈です!

この僅かな一角だけを切り取りますと、あたかも戦後間もない頃を彷彿とさせる雰囲気が漂っていました。

 

おわり

 

「収穫の秋」と言われ、その自然の恵みである農作物の収穫に感謝する 新嘗祭 を控えた過日…。

 

     

 

観光地などは連休によって大賑わいの様子でしたし、私としてもどこかへ 紅葉見物 でも出掛けたいんだけれど、ここのところ売上が全く芳しく無いので、無い袖は振れぬとばかりに内心忸怩(じくじ)たる思いがしていました。

 

しかし、さほど遠くへ行かずとも紅葉ならぬ 黄葉(こうよう) であれば楽しめるスポットが大阪にはありますので、今回はそちらに皆様をお連れしようと思います。

 

 

 

 

と言うことで、スタートは 大阪ミナミの萬田 ではなく…?

 

     

 

ミナミの道頓堀 からスタートいたしましょう!

 

     

 

ウインドショッピングがてらぶらぶら散策するのであれば、一本お隣の「心斎橋筋商店街」が良いんだけれど、今回はあくまで秋を肌で感じる 黄葉の散策 ですので、これより御堂筋をゆるりと徒歩で北上してまいります。

 

     

 

しかし、11月と言うもののまだまだ暖かい日があったりするので、イチョウの黄葉は今ひとつ早い印象が否めませんか、それでも日中のポカポカ陽気は散策するのにもってこいの天候でございます。

 

 

 

少し歩きますと 道頓堀川 を渡ります。

 

     

 

ご存知、一本向こうの道は大阪ミナミを代表するスポットでございまして、この日も観光客らで相当混雑しているようでしたが、こちらはそこそこの人出ですからゆるりと進めるものの…

 

一帯は昨年頃より、元々あった車道5車線から3車線へと改良されたため、それによって 歩道がずいぶん拡張 されたことで至ってスムーズに歩けるのですが、その反面ドライバーらにとっては渋滞するスポットとして敬遠されているのも現実なのです。

 

     

 

と、ほどなくして 大丸百貨店心斎橋店 が見えてまいりました。

 

     

 

時は戦前の 大大阪の時代!

 

当時は斬新だった「ヴォーリズ建築」として竣工したものの、惜しくも1945年3月14日の 大阪大空襲 で上階が焼失し、戦後は進駐軍に接収されたという目まぐるしい歴史を持つのが手前の旧館でして、、現在も当地の老舗ランドマークとして不動なき地位を保っています。

 

     

※黒崎そごうメモリアルより引用/右が大丸

 

 

 

続いて、更に北上して交差する長堀通りを渡ります。

 

     

 

かつてはその名の通り「お堀」だった訳ですが、現在は地上が主要幹線であるものの、地下には クリスタ長堀 という誠にバブリーな地下街がありまして、これは負の大阪時代に建設された負のハコモノに他ならず、後に破綻したにもかかわらず現在も細々と経営が続いています。

 

そしてそして、少し見づらいのですが、右側のビルの奥にはかつてSONY商品のショールームだった ソニータワービル があったのですが、若き日に超絶美人だった 東ちづるさん が受付嬢などをされていたのも有名で、いずれのスタッフさんもべっぴんさん揃いだったため私も足しげく通った思い出が蘇ります。

 

     

 

 

 

さて、ここを越えますと一気に閑散としてまいりますが、実はそれまでの商業ゾーンから一転、この先は ビジネスゾーン へと入りますので、周りの建物なども一変するのです。

 

     

 

世界的な有名ブランド店もあったりしますが、ここから先は本来の5車線の戻りますので、銀杏(イチョウ)の木々も増えて色付きも良いような気がします。

 

     

 

ほどなくしますと、左手に 難波神社 が見えてまいりましたので、前途の安全を祈願すべく鳥居をくぐることに…。

 

     

 

ところで、この地域から先は 船場 という地名でございまして、「ぽぉ~~!」のギャグでお馴染みの船、場太郎…

 

     

 

いや、また間違いました。

その名の通り、大昔に船着き場が多数あったことに由来しているのですが、後に大坂城の城下町として形成が進み、現在は大阪屈指のビジネス街となっているのです。

 

 

 

そのためか、休日ともなると人影も少なく閑散としていますから、秋空の下で色付く 黄葉 は一層のまばゆい輝きを放つのでした…。

 

     

 

つづく