music-geek -95ページ目

””「響き」を取り戻そう。””

”NYCでタクシーに乗って驚いたこと。”

「会社人間から地域人間へ」〜父の仕事を振り返る。

先月に父が亡くなり、彼の残した足跡を辿ってみています。一番大きなものは常磐道の反対運動で、これはつくば万博の開催も大きかったんですが、反対側の住民の要求がかなり取り入れられたもので、既存の政党に頼らずに地方行政に参画し主張しつつ対峙した極めて珍しい事例であったと思います。これは膨大な話になるのでおいおいまとめますが、80年代中期にやったことがこれまた実にユニークだったのでざっくり書いておこうと思います。

 

この時期は「来るべき高齢化社会」について様々な問題提起がなされていました(当時の番組を見るに、問題提起はされていたけど大した政策はなされずにズルズル流されて現在の状況になっているという感覚は否めない)。この時父は「会社人間から地域人間になるために会社を起こして地域サービスをする」というアイディアを実行しました。週末限定で灯油の配達、公園の草刈り、街灯の交換などなどをほぼ無給でやってました(当時のサラリーマンの副業という問題もあっただろうし、メンバーほぼ定年前で週末しかやれなかった)。常磐道のことで近隣の人たちとも交流の密度が濃かったこともこれが上手くいった理由の一つではありました。これはメディアにも注目されて結構テレビやら新聞で紹介されたようです。過去の番組の映像を見返してみると、「会社人間から地域人間へ」という発想はユニークでかつ重要なものですが、この辺りの映像を見ているとこうした発想は80年代前半に流山市に開業した医師の故・庭瀬康二氏が自身のクリニックを活用して行った様々なムーブメントに共鳴した部分が大きかったようにも見えます。地域というコミュニティの中で人が孤立しないシステムの模索というのがはっきりあったように見えますし、これは現在でも極めて重要な問題なのではないかなぁ、と。流山氏は今の市長になってから「子育てするなら流山」というコピーで非常にポジティブなイメージができた街ですが、会社と自宅の往復だけの人生をリタイヤした時に地域で孤立高齢者にならないためのシステム(行政の直線的なものでないもの)のあり方も模索されても良いのかもしれません。