習い事の落とし穴
私はトランペットに触れてから50年くらいになります。特定の先生に長期間習うことはなかったので、ほぼ独学と言って良いように思えます。独学なので回り道も散々したのですが、常に自分で考え、自分の吹いてる時の状態をモニターしながら練習しています。幸い多くの演奏家やクリニシャンの話を聴き、海外の文献を自ら読み、動画を見たりすることでようやく自分なりの理想的な奏法についての考えがまとまりつつあります。
トランペットは厄介な楽器なので、奏法については百家争鳴で、流派みたいなのができてるようなところがあります。みんな「いかにラクに、自然に吹けるか」を考えているのに、「アレはおかしい、間違ってる」みたいなことになりがちです。
生徒は「先生の言われていることができるようにならないといけない」とつい考えてしまう傾向にあるように思われます。先生の教えは絶対、みたいなことになって「なぜそうすると良いのか」ということをについて思考停止しがちなように思えるのです。
クラウド.ゴードンが、10代の頃既にハイノートもそこそこ出てたのに、習った先生に矯正させられたら音が出なくなって元に戻るのに10年かかったというエピソードがあるのですが、これもまだ若かったクラウドが「先生の言われた通りにできるようにならないといけない」という意識が先行して、その指摘の本質的な意味とかそれの正しさについて自分で検証できなかったというのが問題だったと思えるのです。彼が若かったから故、というのもあるかもしれません。
10年くらい前にボビー.シューさんと2tpのセッションをやった時に色々話をしました。彼はヘルニアで一時期吹けなくなって、「いかにラクに自然に吹けるか」を考えて医学や物理学などいろいろな本を読んで自分なりに考えをまとめて元通りになったわけですが、同じように「いかにラクに自然に吹けるか」を考えていたクラウド.ゴードンはcrazyの一言で切り捨て、ボブ.リーヴスの話を出すと「吹いてない奴の言うことなど信用できるか」で終わっちゃうんです。職人としてあるべき姿の一つではあるけど、同時に「流派ってのはこうやってできるんだなぁ」とも実感したものです。なので、自分の中では様々な文献などに書かれている情報をできるだけフラットに見るようにしました。アンドレア.トファネリとの会話からアルマンド.ギターラを辿るとその先にスティーブンス=コステロメソッドがあり、文献を読んでみるとクラークやゴードンで釈然としなかったことに詳細な説明があり、それを合わせて考えることで自分の中で奏法についての考えがほぼ完結できたのですが、ゴードンのクリニックの映像を見ていると、ゴードンはコステロメソッドを敵対視していたように見えるんです。ここにも流派ができてしまうことについての問題が見え隠れします。もちろん先生の言うことは大事ですが、物事を習うことと先生の言うことを盲信することは違うと思います。これは大きな落とし穴だと思えますし、独学で好き放題やってきた私としては遠回りはしたけど良かったのではないかと考えるのです。
英文法って難しいのかなぁ?
ポルトガルの宣教師、ルイス.フロイスはこう書き残しています。「我々ポルトガル人は24のアルファベットと10の数字で全てを表す。日本人は無限の文字を使う」と。
日本語にはひらがな、カタカナ、漢字があります。漢字の読み方も複数あるし(中国語では一つの文字には一つの読み方しかない)、数字だってアラビア数字と漢数字があって、外国語の単語を挿入しても大丈夫。読み書きについては日本語は地球上で最も難しい言語であると言って良いように思います。日本語って述語が最後だし、助詞があることで文章がアメーバのように自在に変化するんです。それに比べると英語(多分他のインド=ヨーロッパ語族も)って文章の構成が非常にかっちりしてるんです。だから文法は日本語よりはるかに簡単なのではないかと思えてならないんです。例えば中高生に英語の問題を解かせると、並べ替えて文章を作れっていう問題案外できるのに作文ができない。これは文法は理解できてるのに単語力がなくてできない、ということに他なりません。逆にいうとそこそこ文法が理解できてて単語力があれば相当程度やれるってことになりますよね。
英文法って難しいの?
考える余地はあると思います。
