ジャズの和声の理論が難しく見える理由について考えた
私は常々「ジャズの和声の理論は難解ではないけど奥が深い」と考えています。なんで難しく見えるのかを知りたくてユーラシア大陸の民族音楽まで幅広く聴いたりしてきたわけですが、それを通じて今考えていることを書きます。
ユーラシア大陸の民族音楽は全てモーダルミュージックです。どのスケールを使うかで地域性がはっきりします。ざっくり分類するとヒマラヤから東では様々な組み合わせの5音音階、中近東からインドでは微分音を含むマカームやシンズ、ラーガといったものがあり、ギリシャ辺りから西になると7〜8音のスケールになります。全ての音楽は「スケール」の上で展開され、そこから逸脱することはありません。ギリシャの伝統的な音楽では、一つの曲は全て一つのスケールの上で書かれて逸脱しません。そして多くの伝統的民族音楽のスケールは自然倍音由来なので転調することもありません。いわゆる平均律的な音楽ではありません。ドローンの上で演奏され、複雑なコードの進行はありません。
他方、いわゆる西洋音楽、または平均律以降の音楽では、1オクターブ12音を均等に12分割して半音階を規定しています。そしてドイツ〜オーストリア音楽の和声の法則はいわゆるアイオニアンスケール上での和声の機能性についてのルールです。純正律であれば転調は不可能ですが、平均律になったことで転調が可能になりました。しかもアイオニアンスケールは(他の全てのユーラシア大陸民族音楽も同じ)非対称な音列なので、12のキー全てでそれを活用する必要が出てきます。これが物事を複雑にさせています。非対称なスケールなので、7つのコード、もしくは4種類の7thコードが生成されます。もしも対称的な並びのスケールであればこうはなりません。例えば全て全音のインターバルを持つホールトーンスケールでは一間飛びでコードを弾いてみるとどこから弾いてもオーギュメントしか弾けません。動きのある和声にはならないのです。逆に言うと、制約の多い非対称スケールに対称系のスケールを組み合わせると、平均律であるがために和声の展開に対して非常に柔軟な対応ができるのです。これも一つのパターンではありますが、アイオニアンスケールが非対称な規則性を持つスケールなので、12の音全てに対応しないといけないことが非常に複雑に見える根拠ではないかと思えるのです。平均律で半音階を数学的に12分割していることで、対称的なスケールと組み合わせることができる、即ち他の伝統的民族音楽と違って「複数のスケールを組み合わせることができる」わけです。だから難しく見えるのではないかというのが現時点で私が考えていることです。12音を均等に分割する、すなわち平均律は倍音列による響きを犠牲にするという側面も持ちます。ピアノを擁さないオーケストラでまれに神がかりな演奏が生まれるのは全ての楽器が自然倍音由来で純正律的に「合ってる」状態が多いものなのではないか?とも考えたりしてしまいます。雅楽の呂律などもそうではないかと思われるのですが、伝統的民族音楽のスケールは自然倍音由来なので、ピアノの音程がハマらないことが多々あると推測されます。この辺りは調律法の違いと倍音列などの問題で解決させることはほぼ不可能なのではないかと思えるのです。
ともあれ、西洋音楽理論が複雑にみえるのはこういうことなのではないか、と考えるのです。
西洋音楽は長音階と短音階から派生するコードとその機能性を把握することとトライトーンサブスティテューションの仕組みを把握してそれを12キーで対応できることができたらほぼ終わりと見ています。これはあくまで音楽の中でシングルトーンを紡ぐ場合であって、コードのコンピングにはもう少しルールがあるように思えます。drop2などの技術がそれを暗示しているように思えますが、私は管楽器奏者なのでそこまで掘り下げて考えることはほとんどしていないことを申し添えます。
Feel it!
去年知り合いになった人で、アメリカ育ちで高校時代はビッグバンドなんかででもトランペットを吹いてたという人がいます。彼とおとといくらいに話をしてたら高校生時代にカウント.ベイシーと直接話したことがあったそうです。彼らは「どうやったらそんなにすごい演奏ができるんですか?」みたいなことを聞いたらしいんですが、ベイシー御大は一言「Feel it!」と言ったそうです。そのとき彼らは呆然としたそうなんですが、その話を聞いていて、長い友人だったカール.サーンダースがグルーヴのことについて語ってる映像を思い出しました。言ってることがほぼ同じなんです。その人はLA育ちなんだけど、カールがLAに引っ越したのは1984年なのでカールのことは知らないかもしれません。今度会ったら聞いてみようと思います。ベイシーのその言葉を彼の口から聞いたときに「ああ、やっぱり」って感じました。
out of sight, out of mind.って言うけど決してそんな事はないという話
世間では「去る者日々に疎し」って言いますが、必ずしもそんなことはないよなぁ、という話です。というかミュージシャン周りだと10年ぶりくらいのスパンなんてどうと言うことはないという事態が時々発生します。昨日メキシコのFBフレンドから突然メッセージが来て、今東京だから会いたい、どこかで男出せるところはないか?と言ってきたので、じゃあイントロのジャムセッションで会おうか、という話しになってます。メッセージの履歴を見ると2013年にちょっとやりとりしてました。もちろん会ったことはありません。何年か前には25年くらい前に譜面のトレードをしたことのあるオーストラリアのミュージシャンが十数年ぶりにメッセージ送ってきて、この人もやっぱり「覚えてる?東京に行くから会おう」ってパターンになりました。海外のミュージシャンとはこういうことが時々あります。そう言えばジェイムス.ゾラー(在NYCのジャズトランペッター)も10年ぶりくらいだったのに前回のあれこれを覚えててこっちの顔を認識した瞬間に「!」ってなったこともありました。 どうもミュージシャンには「去る者日々に疎し」は通用しないみたいです。