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"Love is Wild"~英語の強調の倒置を見ていて気がついたこと

いい歳をして英文法の学び直しをしています。何年か前に買ったCDを回していたら"Wild is Love"という曲が出てきました。ぱっと見違和感ないですが、これは元々はLove is wild.であるはずです。これはSVCが強調でCVSになってる奴です。それを聴いていて、「英語は言いたいことを先に言う言語」であると理解しました。他の強調の倒置って、副詞を先頭に出すときのルールだったりします。つまり、「言いたいことを先に言うための方便」なんです。英語は主語述語を先に言う言葉だし、疑問文であれば基本的に文頭に助動詞がコマンドとして出てくるし、疑問詞を使うのであればそれが疑問文の先頭に出てきます。長文はこの限りではありませんが、言いたいことの大筋は最初の4単語くらいで理解できて、そのあとに不定詞句や前置詞句が追加情報としてくっついてる感じです。あとは名詞の後置修飾に慣れれば良いわけで。

 

 

 

著作権が守るものって何だろう?

これ、難しいんですよね。もちろん人の作品をパクるのは論外なんですが、アレンジする時に厄介なんです。せっかく素晴らしいアレンジがあっても作曲家の権利を持ってる人が拒否すると出版できないんです。
何年か前に、マリア.シュナイダーのThat's Old Black Magicの譜面が欲しかったのでメールで直談判した時に作曲家からの許諾が出ないって話で、「演奏される機会が減ったらその曲自体が忘れられるのだからこれはおかしいよねぇ」などと盛り上がったことがありました。また、ビル.ホルマンのセロニアス.モンクやタッド.ダメロンのアレンジにも素晴らしいものが多いのですが、これまた作曲者からの許諾が下りてないんです。本人が演奏して録音する分には構わないのですが、楽譜を共有できないんです。これはドイツのビッグバンドの人とメールでやりとりして確認しました。楽曲にオリジナルと違う意匠を加えて原曲とは違う側面を見せることはとても魅力的なのですが、それができないのは非常に残念です。Sierra MusicのBob Curnowに問い合わせをしたら彼はGo figure!って言ってくれたのですが、「自分で起こす」ことは構わない(出版しなければ)と言ってると理解しています。
ジャズではアレンジの大半は使い捨てで、録音してライブで使ったら散逸してしまうケースがほとんどです。多色刷りの浮世絵の版画は残るけど版木が残らないのです。デザインなのにそれの再生が為されないんです。それが余りにも残念過ぎるので、コロナをきっかけにして、4〜6管のアレンジを録音から拾い直す作業を時々しています。何十年も前の古い録音でしか聴けない音楽は残らないだろう、という考えと、古い録音でしか楽しめないのは音楽愛好家にとっても不幸だと思うからです。
この辺りには様々な法解釈とかがあるんでしょうが、まずは採譜して演奏はやってみるつもりです。しかし何度考えても、作曲者の権利保護の名目で演奏できずに埋もれるとしたら、その権利は何を守っているのだろう?という疑問だけが残ります。

アンプは何のためにある?

10年ちょっと前の話ですが、娘が中学受験をするというのでいくつかの学校を見ました。そのうちの一つだった共立女子中は弦楽合奏部がそこそこ有名らしく、説明会前に演奏をしました。弦バスは1人しかいなかったのですが、キャパ800くらいの講堂でものすごくよく聴こえたのです。当然生音で。

これを見た時に「ウッドベースって共鳴体の箱が大きいから音量は印象以上に大きいのではないか?」と考えるようになって、自分のバンドでもベースを生音でやる方向にシフトしていきました。電気楽器の発達とアンプの進化、ロックの台頭などによって、「アンプを使って音量を増幅するのが当たり前」になってしまっているようですが、それで良いのか?という疑念を感じています。


ソリッドギターやソリッドベースのように、共鳴体を持たず、アンプによる人為的音量増幅がマストな楽器もあるのでアンプの利用は否定しないのですが、その音量はどこにバランスさせるべきなのかということが見失われているように思えるのです。アメリカ音楽でのアンプの利用の歴史を音源で辿ると、チャーリー.クリスチャン辺りが録音で記録された最も古いものの一つと思えますが、アンプを使ってギターが管楽器同様フロント楽器として活躍した録音は1953年のスタン.ケントンによる「トランペットとギターのためのインヴェンション」ではないかと思われます。恐らくこの頃にアンプの性能がかなり進化したと思われます。以後、レス.ブラウンのバンド.オブ.レナウンではギターがメロディの1オクターブ下をユニゾンで弾くスタイルで一世を風靡したりしています。この時の音量設定は「生楽器とバランスさせる」ものであったはずです。黎明期のロックなどの録音でも恐らくはヴォーカル辺りを音量の基準に置いてバランスを作っていたはずです。このバランスが時代を追うにつれて忘れられているのではないかと思えるのです。1950年台の譜面では、シングルトーンで弾くときはアンプを使い、コードカッティングではアンプを切れ、という譜面があったりもしています(現物を持っています)。これは共鳴体の小さいギターのケースであるように思えるのです。いずれにしても、アンプが出てきた頃の時代のアンプの使用方法は「生楽器とバランスさせる」道具であったと思われるのです。黎明期のロックなどの音楽でもそういう使い方がされていたことが推測されます。

これがいつの間にかアンプは「自分の好きな音量にする道具」に置き換わっていったような気がします。特にアマチュアの方は大抵こうなっちゃってるように思われます。そうするとヴォーカルも聴こえないからマイク使ってモニターに返してもらって大音量になり、ホーンセクションも聴こえないから同様、という現場になりがちなのではないかと。

だから、アンプが必要な楽器を使う時、アコースティックな楽器であってもアンプを使う時には、全体とバランスの取れた音量でやるべきだと思うのです。そこで作られたバランスを会場の条件に合わせてPAさんにお願いすればよい、と。この辺りのことが日本の非クラシックな現場では見落とされているような気がするのです。