music-geek -36ページ目

ポピュリズムとアイドルカルチャーに通底するもの

日本のいわゆる「アイドルカルチャー」的なものって恐らく日本独自のものではないかと考えています。年端の行かない子供を外見だけで売って商売するというある意味芸妓カルチャーの醜悪な生き残りのようなものです。歌唱力や演技力は二の次でルッキズム最優先。本人は直向きなので、そこで人気が出ちゃう。こんなの日本だけです。もちろん神童なんてのは世界中にいるけど、歌の上手い子は歌しかやらないし、天才子役が歌を歌ったりすることもほぼありません。紛い物の上っ面だけなのに評価されちゃうのが日本なんです。芸事とかはある意味どうでもいいわけです。

翻ってポピュリズム。

今回の選挙で「日本人ファースト」を掲げて議席を伸ばした政党がありましたが、これを支持した人達の思考パターンがアイドルカルチャーと同じなんです。あの政党は憲法改正是認派で「創憲」なる案文を公開していましたが、その内容は近代国家のデフォルトである基本的人権や国民主権を否定する独裁国家志向のものでした。ところが支持者はそうしたものを検証すらしないで党首のスピーチだけで支持してしまうんです。本質を見ないで上っ面だけで判断してしまうというパターンはアイドルカルチャーと同じです。実は日本のアイドルカルチャーと政治的なポピュリズムは同質なものに見えるのです。

私はそれが具現化してしまったことに対して危惧を感じます。思考が放棄された状態での判断というのは極めて危険だし、それが政治に波及するというのはかなり危うい、と。

今回の選挙は日本の節目になるか?

選挙が終わりました。今回の選挙ほど今までと比べて異質なものはなかったのではないかと思えます。それは極右政党の台頭。既存の与党のダメっぷりに愛想をつかすと今までは既存野党側に票が流れるのが相場でした。今回は全く違いました。今まで常に与党批判だけを繰り返し、政治を変えようと言いながら結局何も変えられない野党も同時に信用を失ってしまい、結果として新しく出てきた極右政党の方が期待できるのでは?と考えた層が多かったということです。

が、ここに問題があります。彼らは憲法改正是認派で、創憲案文なるものを公表したのだけれどこれが国民主権の規定がなく、国家主権に切り替わっており、他にも基本的人権、思想信条の自由など現行憲法で規定されているものの多くが割愛されており、近代国家憲法の必須要件が抜け落ちたものでした。しかも条文内に義務教育の学校給食についての規定がありますが、これだけで、ブレーンが憲法のなんたるかを理解していないことがわかるんです。ところが支持者はそうしたものを一切気にせず上っ面の演説だけで支持してしまうんです。自分の人権が失われるという意味をほぼ考えずに支持している、もしくは支持者の権利は守られると誤解しているんです。支持者の人権も無くなるのに、です。衆愚政治の典型的なもので、これにはかなり危機感を感じます。有権者のリテラシーがびっくりするくらい低いんです。権力的なものに反抗しているのに、逆に権力を暴走させる可能性が高いところを熟慮せずに支持している感じです。

希望があるとすれば、今回の選挙をきっかけとして、国民が国会議員をきちんと監視するようになるのではないか、ということです。今までは選挙に行ったら投票して、その議員がどんな仕事をしているのかなどなどについて有権者はほとんど無関心でした(政治が変わらない大きな理由の一つです)。政治家任せで有権者が何もしていないんです。ここが変わってきちんと議員の仕事や言動を監視して意見していくことができるようになるのであれば、それは日本の政治のあり方の健全化につながるかもしれないという気がします。というかそこを頑張らないと危ういのかもしれません。

ジャズの理論を勉強する前に知っておいた方が良いこと。

ジャズでアドリブを取りたいという需要は結構あるように見えるのですが、何か敷居が高いとか難しい印象が強いように思えてなりません。単音でメロディを紡ぐだけならさほど難しくないんです。奥はものすごく深いのですが。

音楽の学習は言語のそれとほぼ同じです。そしてジャズを含む西洋音楽の理論は「西洋音楽のスケールに基づいた理論」です。そしてそのスケールはアイオニアン、つまりピアノの白鍵の並びです。このスケールは規則的ですが非対称なので、4つの7thコードが生成されます。非対称なので全てのキーて弾けるようになる必要があります(dtmであればキートランスポーズで処理できる)。コードはスケールを一間飛びに弾けば生成できるので、これの機能性を理解すればよいのです。モーツァルトのジュピターの第一楽章の冒頭は白鍵だけで全て弾くことができます。白鍵だけでどれだけできるかを知る必要があります。それから短音階、いわゆるメロディックマイナースケールから派生するコードとその機能性を学ぶこと。これで大枠は完了しています。


あと不文律ですが、西洋音楽では「拍のアタマにコードノートがあること」が要求されます。とすれば「拍ウラに何を置けるか」と言う話になります。ダイアトニック上にある7つの音でも構いませんが、使ってない5つの音、これをどう上手く使うか、と言ういうところでの便利な方便がビバップ的アプローチになります。


つまり、ダイアトニック内でできること、インサイドでできることをある程度把握した上で様々なアプローチをしていけば良いのです。


いきなり難しいことをしようとすると難しくなります。シンプルなことから始めて徐々に領域を拡張していくのが良いように思われます。