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オリジナルアレンジに忠実に演奏するということ

時々書いていることですが、音楽というものは「音によるデザイン」なのです。クラシックに古典派とか印象派などとアートとリンクした感じで分類されるのと同じようにスイングやビバップやウエストコーストやモードとかがあるわけですし、時代を反映したっサウンドがするものです。インプロヴァイズのところは奏者で変わりますが、オリジナルのアンサンブルは大事にすることも大事です。ベニー.ゴルソンのアレンジに手を加えたらそこにゴルソンハーモニーはもうないのです。

 

今月6/11のライブでは、ハービー.ハンコックのSpeak like a Childと同じフロントラインで演奏します。この曲はこの3管のアンサンブルがあってこそメリハリのある音楽になるもので、作曲者本人がピアノトリオで演奏してもなんとなくつかみどころのない音楽になってしまうのです。音楽が音のデザインである所以です。そして、譜面の指示通りに演奏すると作曲者の意匠は自然と反映されるのです。クラシックのシンフォニーが指揮者やオーケストラで微妙に違う感じに聞こえるのと同じです。それはビッグバンドであろうとスモールコンボであろうが同じなのです。今回はフェンダーローズを使うので、オリジナルアルバムの音というよりはMwandishi Band的なサウンドスケープが作れるはずです。そしてそのライブは60年くらい前の録音で聴くのとは違う質感を感じられるはずなのです。古いオリジナルの録音でしか楽しめない音楽なんて将来に残るとは思えません。再演されることでその音楽が生きながらえることができるのは、クラシックもそうですし、ビッグバンドだって同じです。そしてスモールバンドも。

リンクした動画の音は去年渋谷でやったものをiphoneを使って記録したものです。ぜひ生音で楽しんでいただけたらと思います。

 

 

音楽の仕事にAIを使わないことを宣言します。

世間はAI礼賛一色で、最近は作曲もしてくれるのがあるみたいですね。

 

「私は絶対に使いません」

 

なぜなら、AIを使って音楽を制作するというなら、その制作には私は関与しないことになるからです。もっと言えば、それならクライアントが自分でAIを使って音楽を作れば作曲家にオファーする必要もなくなりますよね。

もう何十年も前ですが、ブーレーズとクセナキス(ケージだったかもしれない)の間で、確率論を作曲に持ち込むことの是非について論争がありました。ブーレーズは確率論で旋律を作るのは作曲家の怠慢だ、と主張しました。これと同じ問題がAIによる音楽制作にもあります。AIに作らせた音楽にAIを使用した人の著作権なんて発生するのでしょうか?

それこそハービー.ハンコックが言った「音楽がどうでもいいものになった」ことの証左ではないのでしょうか。

AIに音楽制作を委ねるのは「音楽家の創造性の放棄」でしかないと思います。

だから私は音楽制作にAIを使うことを拒否します。

 

「練習したことはない」と言ったプロミュージシャンの話。

私が長年私淑していたLAのモンスタートランペッター、Carl Saunders。この人は、動画にも残ってるんですが、「練習はしたことがない」とよく言っていました。母親がケントンで歌ってた人で、叔父にバンドリーダーが二人いるような家庭環境だったので、音楽的には極めて恵まれていたのでしょうが、なかなか言える言葉ではありません。本人はたくさん吹いたけど、楽しんでやってただけでできないといけない、みたいな目的意識がなかったから練習とは言えない、みたいなことを言っているわけですが(ちなみに彼はメトロノームも所有したことがないと言っています)。これは「学ぶ」ということにおいて理想的だと感じます。私も音楽は独学ですし、特定の師匠もいませんし、やりたいことを好きなように好きなだけやってきているだけなのですが、格が全然違います(笑)。

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