アヴォイドノートなんてほとんどないに等しい。
アヴォイドノートというのがあります。これは簡単に言うと「めっちゃ不協和なので回避すべき音」です。
アカデミックな説明ではないですが、私の感覚では特定のコードにおける「短九度のインターバル」だと考えています。つまり1オクターブ12音に対する13のインターバルです。たとえばマイナートライアドのオクターブ上のメジャー3rd、みたいなものです。12に対しては11も厳しい数字ですが、1オクターブの中で収束しているので、中でもう1音加えれば協和音にできます。13のインターバルだと完全5度+トライトーンになるので、どうやっても安定しないことは明白です。それ以外のものは大抵理論で説明できると思います。inside the scoreで、ボブ.ブルックマイヤーがこのインターバルについて語ってるところがあるようです(本は持ってるけとまだよく読んでない)。いずれにしても、アヴォイドノートは案外少ないので、臆せずに練習するべきなのです。日本的な教え方だと「〜してはいけない」という指導になりがちですが、これは良くないと思います。アヴォイドを踏むことを恐れて躊躇してしまいがちだから、です。アヴォイドを実際に吹いてしまうと「これはヤバい奴だ」ということが体感的にわかるんです。少ししかないアヴォイドを怖がって躊躇するよりも、アヴォイド踏んでその不協和な感じを体に叩き込む方が絶対に早いでしょう。「間違えてはいけない」という姿勢になると表現が萎縮してしまいます。間違えながら上手くなるのが練習なので、練習でアヴォイドを吹くのは全然構わないのです。この辺りに日本に蔓延る「萎縮させる学び」という問題が横たわっていると常々感じています。
音のデザインとしてジャズを考える。
音楽は音によるデザインなのです。だからこそ時代によってスタイルがはっきりあるし、それはきちんと再演され続けることでスタイルとして残るわけです。クラシックはそうして今も残っているわけです。
ではジャズはどうなんでしょう?
ジャズをやっていると「古いことをやってはいけない」みたいなことが言われたり、「新しくなければならない」みたいなことも言われます。でも世間におけるジャズのイメージはエリントンだったりグレン.ミラーだったりマイルスだったり過去のものなのです。今のジャズシーンの中核人物をリストアップしても世間の人は「?」で終わってしまうでしょう。ジャズにおいても過去のものをきちんとやることは意味のあることのように思えるのです。ところがここで問題が出てきます。ジャズでは譜面が残らないんです。もちろんヒットしたビッグバンドのアレンジは商品になったりもします。が、スモールバンドや中規模編成のアレンジは録音されたら残らないのです。ミュージシャンもその編成はそのアルバム限りだったりしますし。でもそうしたアレンジにはやはり時代のデザインを反映しているのです。リハーモナイズしたりリアレンジしてしまうとそれはすでにオリジナルとは違うものになります。演奏する人間が違うので、テーマなどの書かれた部分はさておき、全体の演奏としては全く違うものが生まれるはずですし、それは尊重されても良いのではないかという気はします。ビッグバンドでは、特にヨーロッパではきちんと再演することというのが案外みられます。果たしてスモールコンボでもそれをやるべきなんだろうか?ということです。私はやっても構わないと思っています。というかそれをやることは案外大事なのではないか、と思えます。オリジナルしか尊重されないのであれば、何十年も前の録音でしかオリジナルデザインを楽しむことができません。それではスタイルは絶対に残らないのです。ここはもっと考察する余地があるように思われます。
クラシックですが、実例を挙げておきます。変奏曲は面白いのですが、それでもなおオリジナルが廃れることはないはずです。それはジャズも同じはずなのです。
音楽は技術だ。
最近はだいぶん減ったけど、一昔前までは
「音楽は技術ではない、ハートだ」
みたいなことを言う人が結構沢山いました。一理あるように見えるけど、そんなのウソです。
音楽を通して自分の気持ちを伝えたい(このフレーズもなんとなく胡散臭い)というなら、その表現力を磨くためには練習が必須だし、そうして身についたものが「技術」だからです。
物事の評価軸には「上手い,下手」と「良い、悪い」があります。上手くて良い演奏が当たり前のようにできないとダメなんだと常々考えています。もちろんヘタウマな魅力もなくはないですが、それだけでは続かないのは自明でしょう。