子猫使いのやすしの日々 -4ページ目

老後について考える

今日はいきなり本の紹介です。




明日の記憶 (光文社文庫)/荻原 浩



¥650

Amazon.co.jp









渡辺謙主演で映画化もされたので認知度のそこそこ高い作品だと思います。

一昨年くらいまではこの作家さんの作品好んでよく読んでいたんですが、最近少し飽きてきまして、本屋でまだ未読の文庫本なんかを目にしても「まあなんにも買いたいものがなかったら買うか」レベルになってしまって、少し遠ざかっていました。



こういうことはよくあることで、昔好きだった音楽なんかも今聴くと「重さがない!」なんて聴かなくなったものが多い。飽きっぽい正確なんです。

じゃあそんな飽きっぽいあんたがなぜ一度飽きた作家の作品を手にしたんだ?なんて思われるかもしんないですが、この作品はハードカバーで発売されたときから買うか買わないか迷うほど(挙句買いませんでしたが)迷ったからです。まるで答えになってないですね。



記憶に関する作品が好きなんです。それも徐々に失われていく記憶みたいのが。それに悩んじゃうみたいのが。ほんとに自分なのか?みたいのが。

小川洋子さんの「博士の愛した数式」も好きですし、辻仁成さんの「オキーフの恋人・オズワルドの追憶」なんて鳥肌もんだし、あといろいろあるでしょうが思い付きません。

記憶ってすごい曖昧なもんなんですよね。自分が体験したって記憶があってもそんなものただの妄想かもしれないし、初めて来た場所でも以前来たことがあるような錯覚に陥ることもある。これほど信用ならないものもないのに、これほど信頼されているものもない。ただその信頼している記憶に裏切られたときにはもう何もかもが信じられなくなってしまうんですよね。記憶が否定されるってのはその人の過去そのものが否定されることだからきついですよね。他人もまるで信用ならないし、自分なんてそれ以上に信用ならない。恐ろしいですよね。



この作品の主人公がまさにそんな感じで、記憶が徐々に失われていき、徐々に他人が信用ならなくなり、自分が信用できなくなり、絶望した先に主人公が選んだ道とは?みたいな作品です。ぜひ一読を。

薄い!軽い!(コンドームのCMではありません)

噂どおり出ましたね。Appleの「MacBookAir」が。

前々からかなりちっこめのノートブックが出るだろうとは噂されてましたので、正直たいした驚きはないのですが、あの薄さと軽さは実際に手にしてみたいと思わずにいられないですね。2キロないってちょっとどんだけーのー軽さですかって感じ。

ただこれも噂どおり、光学ドライブは付いてないようですね。別売りで買うか、Remote Discという他のPCのドライブを間借りするという寄りかかり主義的なやりかたでいくみたいですね。だから初めてパソコンを購入する場合は無条件で外付けのドライブを買う以外ないなんてちょっと嫌ですよね。
ジョブズさんは「音楽はiTunesで聴いて、映画は新しくレンタル配信される予定のiTunes Movie Rentalsで見ればいいからドライブは必要ないですよ
」というようなことを仰ったらしいですが、それはちょっと違うだろと思ってしまいます。

でもiTunes Movie Rentalsは楽しみですね。気軽に見たい映画をネット上でレンタルできるなんてサービスが前からあったのか知らないんですが、楽しみです。そうなると新しくなったAppleTVまで欲しくなってくるから大した宣伝効果だなと。そのためには新しいテレビを買わなけりゃならんなんて妄想は膨らむ一方です。

そしてなにより一番興味を惹いたのが「Time Capsule」。レパードの機能はいろいろと使わせてもらってんですが、Time Machineだけはまだ一度も使ったことがない。外付けHDなんてないし、なによりもバックアップをしなければならないような重要なものが我が家のパソコンにはまだない。これからできる予定もない。はっきり言ってぼくのパソコンには不要な機能です。だが、だがしかし、 「Time Capsule」はAirMac Extreme Base Stationとしても使用できる。そりゃ買いだろ。間違いない!速度とかあんまなのかもしれませんが。

たぶんMacBookAirは買うことはないです。欲しいけど。だから誰か浮かれすぎて電車に忘れてくれることを熱望しています。箱も小さいし、「あちゃ、手袋忘れちゃった」くらいな気楽な気持ちで置いていってくれる方がいたら感謝して横取りします。
Time Capsuleはきっと買うでしょう。電車には忘れないようにします。

Appleはどこにいきたいんですかね。もうコンピューターの域は優に超えてきてます。電子ブックリーダー出してくれないかな。あ、それもiphoneでいけるのか。じゃあテレビ作ってちょーだい。


現代の教育と出版業についての考察

ここで一つ気になるニュース

自費出版大手新風舎が再生法

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080109-00000011-maip-soci


笑うべきか、怒るべきか、呆れるべきか、叫ぶべきか、悩みます。

というのも昔といってもちょうど1年ほど前の話になりますが、新風舎にて自費出版の誘いを受けたことがありました。誘いを受けるというのはもちろん一つの作品を応募した結果のこと。

思えばあれ以来ちゃんと小説書いていないなー、なんて反省もしたりしますが、そんな話は置いておきまして、大賞には100万円の現金というものに心惹かれて、いや、嘘付きました。大賞は出版できるというところに心惹かれて、カリカリ書いたわけです。もちろんパソコンでですが。

完成した作品はとても満足のいく出来ではありませんでしたが、自分なんてそんなもんだと諦め、投稿しましたとさ。

ここで突然話は変わりますが、最近の小学校の通知表は、クラスなり、学年全体の成績の中での優・良・可ではなく、その生徒個人の能力の範囲内でどれだけがんばったかによって成績が付けられるらしいという話を今日聞きました。だから「先生、おれはおれなりにがんばった!」ということであれば、それは例え算数のテストが30点であっても、本来の能力では10点しか取れないような生徒であれば「おまえにしてはがんばった」ということで優になるらしい。

これも所謂「ゆとり教育」の賜物なのでしょう。生徒の持てる力を最大限に発揮させてやろうという。だけどそんな教育を受けてきた子どもが大人になったときに一体どうなってしまうのか。日本は社会主義ではないのですよ。実力社会の資本主義なんですよ。その実力も自分のキャパの範囲内の実力ではなく、対自分以外に対して自分がどれだけのことをできるかという実力がものをいうんですよ。ぼくが100メートル走で自己ベストを出そうとも、とてもとてもベンジョンソンには適わないのだから誰も評価してはくれないんですよ。「よし、悪かねえ」なんて満足してるのは自分だけなんですよ。

だから若いときに挫折というものが必要になるとぼくは思うんです。どれだけ努力しても適わない人もいるかもしれない。一度挫けるんですよ。常に頂点に君臨していられる人なんて見たこともないし、仮にいたとしてもとんでもない天才か、とんでもない努力家か、とんでもない鈍感か。いずれにしても一度も挫折を知らずに生きていく人なんてそうそういないんですよね。

挫折を味わったときにどうするかでその人のその先の人生は大きく変わると思います。自分の努力が足りなかったと自己を省みて更なる努力を重ねるか、自分なんぞ所詮そんなもんだと諦め(認め)、限界値のボーダーラインを引くか、若しくはそのまま腐るか。

挫折をしたことにより腐ってしまうような人間ならそれはもう仕方ない。遅かれ早かれいつかは腐るんだから。現状維持の人も別にいい。だけど挫折をバネに更なる飛躍をしようとすることのできる人の可能性を奪ってしまうのではないか。そのことがぼくには心配で心配でたまらない。また嘘付きました。自分のことじゃないから別に心配とかないけど、あんまりよくはないのではないだろうかと。

文部科学省が「井の中の蛙大海を知らず」軍団でも作ろうとしているのではないか、なんて訝しく思いますが、このゆとり教育の考え方でいけばぼくの作った作品も大賞を取れた可能性もあるななんて思いました。

だいぶ脱線しましたが、話を現実に戻しますとぼくの作品は箸にもかかりません。「あちゃー」なんて額をポン!と叩いていたのも束の間、自費出版する価値のある本だと褒めちぎられ、一度会って直接お話したいなんて誘いの言葉が。

もちろん釣られました。自分の位置を知りたかったんですね。まさかこの賞に応募してきた奴ら全員にこんな誘いを掛けるわけはあるまい。きっとおれの作品はそれほど悪くなかったのではないか、なんて乙女チックなユルユルな期待を旨に秘め。

だがもちろん簡単に罠にはかからない。「ついていったらこうなった」みたいな本を書店で立ち読みし、自費出版の現実という項を丹念に読んだ。やっぱりそんなうまい話ないんですよ。もしもここでチヤホヤされて、「ええっ!ぼくなんかがそんな雑誌に載れて、あんなとこに本を置いてもらえるの!?」なんてうまく軌道に乗せられて出版をしてしまったらそれは100%自分の責任でしょ。出版社も商売なんだから、赤字になるようなことはしない。利益になると見込んで本を出しているのだから。よほどの金持ちであるとか、一生の記念に本を出版してみたいという人にならいいかもしれないが、ローンを組んでまで出版するようなものではない。

だから断りました。お金もないし、記念で出版したいという気持ちも今はまだないし。

そんなことがかれこれ1年ほど前にありましたとさ。


で、そんな経緯を経て、今日ニュースを見たわけです。

ただこれはひどいですよね。絵本や自伝を出版した複数の著者から「書店に並べて宣伝、販売するという契約と異なり、わずかな冊数しか店頭に並ばなかった」なんてことで訴訟を起こされているだとか。胸を撫で下ろすことはもちろん撫で下ろしましたが、詐欺じゃん、それ。だから訴訟起こされてんだけど。でも詐欺じゃん。売れないのは仕方ないけど契約通り書店には並べて欲しい。詐欺じゃん。

なんてちょっとココロオドルニュースが目に入ったのでついつい長駄文失礼しました。


大晦日と元旦と初夢と

 いやー、ついに始まってしまいましたね。平成20年度が。平成19年って中途半端な数字な年だったので数字的にはいい感じですね。干支もネズミ。最初からスタートみたいで気分一新リフレッシュ!みたいな潔さがあってなかなかいい。
 平成20年度は今のところなかなかすばらしい年っぽさを感じさせる。これは去年まではなかったことです。

 で、そんなすばらしい年、平成20年をよりすばらしい年とするために、友人と二人でがんばって年明けと同時に明治神宮へ初詣なんぞへ行ってしまいました。
 普段は道行く人と交わりたくても交われない、孤高のオオカミとクマも「大晦日くらーい大目に見てよ」って都合の良い替え歌を歌いながら、大騒ぎができるスポットを探すために閑散とした渋谷の地へ集合した。

 「みんな、ゾンビにやられてしまったのか?」と思うほどの渋谷の活気のなさに先行きに不安を感じつつも、ぼくはハンバーグが食べたくなったので、某バイク屋さんが一階に店を構えるビルの4階のハンバーグ屋さんにエレベータという最高のゾンビスポットで上がることに。
 「チン」という小気味良い音と同時に扉が開き、店内の様子が目に入ってきたが、もう遅かった。客はおろか、店員すら一人もいない。「ここもやられちまったか」なんて残念に思いつつ、一歩踏み出すと店の奥から「すいません、今日はもう閉店です」という声がかけられた。腕時計を覗くとまだ19時にもなっていない。まじかよと思いつつもまじだなと諦め、再び箱に戻るぼく、箱から出てくることもなくすでに1階のボタンを押していた友人。「おまえにはもう少しがんばろうという気持ちはないのか?」という言葉を飲み込み、再び地上へと機械的に降りていった。
 
 それでもぼくのハンバーグを食べたい欲求は消えることなく、むしろ先延ばしされたことにより一層強くなった。続いてのハンバーグスポットはニューヨークを彷彿させる赤いフォルクスみたいな店だった。店はニューヨーカー達と渋谷の生き残り達で大いに賑わっていたが、あまり待たされずに席に案内された。メニューが配られるのと同時にビールを注文し、メニューを見始めるとハンバーグがないという事態に思わず「ああ、詰みだこれ」と某先生のような早くも諦めムードが漂ったが、よくよく見るとハンバーグステーキならあった。というかそれ以外ハンバーグ的な食べ物はなかった。次のハンバーグスポットに行きたいななんてことを考えると同時に店員がビールを運んできた。手錠をかけられてしまったのだ。
 仕方なくハンバーグステーキを頼むと、友人はなんたらチーズバーガのチーズを抜くことは可能か?なんて「ダブルチーズバーガのチーズ抜き」みたいなそこからチーズを抜いちまったらあとになにが残るんだと思ったが、まあ嫌いなものはそりゃ仕方ないのでなにもコメントはしなかった。
 お通し的な意味合いなのか、テーブルの上にはどす黒く染まったパンが置いてある。友人が食べようぜと言ったので、安心してナイフで切り始めた。勇気のあるやつだ。パンは甘い。

 何の気なしにエントランスに目を向けていると入ってくる客はニューヨーカー達ばかりだ。渋谷はいつから六本木のようになってしまったのかなんて残念に思っていると注文したハンバーグステーキが届けられた。
 求めていたものとはそうとうかけ離れた「残念!」と言わざるを得ないような「残念ですから!」的な一品だった。値段の割に量が少ないし、味もそれほどでもない。そうかこれがハンバーグステーキなのかと納得はしたが、目の前で男らしく食らい付いている友人のハンバーガーがとてもおいしそうに見えた。

 食事も終わりメンタル部分は満足しなかったが、ボディは満足したようだったので、明治神宮にどの程度の熱気があふれているか確認するために原宿へと足を進めた。屋台が軒を連ねる中、ある一つの屋台の前がすごいウンコ臭かった。ウンコ焼きみたいな匂いがする屋台。誰も気にしないのだろうか、と歩いている人たちの顔を観察するとみんな楽しそうな顔をしている。楽しくてウンコに気付きません、幸せな人たちだ。
 明治神宮もまだ弱かった。人はまばらにしかいない。ここでもない。一体みんなどこで「3!2!1!!イイェーイ!!!ハッッピーーニューーイヤアーーーー!!!!!」みたいなことをしているのだろうか。お台場か、六本木なのか。お台場は遠いしめんどい。なら六本木だ!なんて熱気を求めて六本木まで歩いていくことにした。青山のプラダだのカルティエなんぞの高級なとこを妬み100%の視線を向けつつ歩いていくと、いつのまにか辺りに人は一人もいなくなっていた。一緒にいるととろけちゃうくらいに好きな女の子と一緒だったら「この激しく脈打つ心臓の音が聞こえたりしないよな?」なんてドキドキするかもしれないが、あいにく隣を歩くのは孤高のオオカミだ。ドキドキ感はまるでない。あったら困る。
 青山墓地を歩いているあたりでぼくの腹が急激に冷え始めた。「あ、これやばい感じだ」と思うと同時に、きた、ウンコ感が。六本木ヒルズはまだ遠そうだ。タクシーも通らない。このままでは明治神宮のウンコスポットと同じ匂いになっちまうと不安に襲われるが、コンビニもなにもない。あたりは閑静な住宅街だ。
 急に言葉数の減ったぼくを訝しく思ったのか、友人が「どうした?」と訪ねてきたのでぼくは正直に「うんこしたい」と最小の言葉でこのピンチを伝えた。どうにかこのやばさを伝えられたか。
 手を腹に押し当てながら歩いていると六本木の界隈にようやく到着した。六本木はやはり外人が多く、パワフルな熱気を余すことなく放出していたが、そんなのはどうでもいい。トイレだ。
 コンビニを発見し、急ぎ足で向かう。店内に入り「←トイレ」という案内を発見し安心してトイレに入ると無情にもノブ部分が赤くなっている。もう勘弁してくださいと泣きの言葉をつぶやくつつ、清涼飲料水のコーナーで体をクネクネさせているぼくを周りの人はどう思うのだろうか?なんて思うけど止まったら死んじまうとクネクネさせ続けているとようやく先客が出てきた。くねくねさせたままトイレに入り、ようやく生き返った。途中外人が「ノー」と言いながらノックをしてきたが、どうすることもできなかった。彼の命運を祈る。

 体が軽くなり、六本木界隈を散策するも求めていた熱気は少なく、熱気を求めて彷徨うが時間だけが刻一刻と過ぎていき、クラブにでも行くか?という逃げの考えを持ち始めるようになった。石野卓球かEYEか。EYEだな。という結論に達したが、明治神宮の初詣だけは済ましてから行こうということで落ち着いた。プランを練った結果、渋谷駅前で元旦を迎え、その足で明治神宮で初詣を済まし、気が向いたらイベントに行くということになった。
 六本木からタクシーで渋谷に向かう中、タクシーで紅白の中継が流れていた。家で紅白を一人で見ているよりはいい、年越しができればいいなと願いつつ、ラジオから流れるスマップの歌を聴いていた。
 渋谷に着くとさっきまではゾンビに荒らされた後みたいになっていたが、どこから集まってきたのか、いつの間にか人であふれていた。今年も残り一時間を切った。ボルテージは上がる。一番の盛り上がりスポットを探しているうちにもう新年は目前となっていた。Q-FRONTの前でお祭り男的な男達が集まってきたので、もうここしかないと腹を決め、運命のときを待つことに。叫び声は上がり続ける。ハイタッチの嵐だ。嬌声が上がるたびに「明けたのか?」ときょろきょろするがまだのようだ。そのとき!渋谷を広告目的で流していたビジュアル系のやつらの車にカウントダウンの文字が。あと20秒。歓声が沸き上がる。すぐに残り何秒かわからなくなった。たぶん誰もわかっていなかった。しかし、歓叫は止まらない。

 誰かが言った「ハッピーニューイヤー」

 ジーマを思いっきり頭にかけられた。外人とハイタッチとハグの嵐。みんな最高に笑顔だった。ぼくも最高に笑顔だった。なかなかいい年明けを迎えられた。

 しばらくお祭り騒ぎは続いたが、その場を抜け、明治神宮へ向かうことに。紅白の帰りだろうか。中年の女性の姿がよく目に付く。
 明治神宮はすごい人になっていた。去年は入り口だけで断念したが、今年は気合いが違う。行けるところまで行こうかと猿岩石のように歩を進める二人。



 2時間かかりました。


 
 駅前の蕎麦を食らい、じゃあ帰りましょうかと電車の本数に感謝しつつ家路へ向かった。

 家にようやく辿り着いたのはもう5時近かった。初夢をいいもの見れますようにと願いつつ寝たが、初夢はもうおぼろげにしか憶えていないが、カマキリとバイクの夢だった。なんぞそれ。

 

パーマネント

 今日で休み2日目。もう残すとこあと4日のみ。やばいですね。

 仕事がまた始まるのはもちろんやばいですが、それ以上にやばいと思うのは切れるカードが少なすぎること。結婚を発表したジョー様のみたいに「どうするの?おれ!」って手札が少なすぎる。

 いや、もちろん何種類かあることはあるんだけど、現時点で所有しているカードは普段の週末も持っているカードだからありがたみがないんです。

 1、パチンコ
 2、ネット
 3、テレビ、ゲーム

 ダメ人間じゃないですか(笑)


 やばすぎます。明日はもう大晦日。ほんとどうするの?おれ!って感じです。

 こんなとき休みをとても有意義に使うことができるおとなな男(男版スイーツ(笑)みたいな)に憧れたりしますが、普段はそういう人のことを「はっ、気取りやがって」なんて馬鹿にしてるから、そういう人たちがどんなことをしているのか、いまいちよくわかっていないんです。
 
 で、今日はなんか珍しいことがしてえって約5年ぶりくらいに美容院へ行きました。パーマをあてに。
 前の日記(ブログ)にも書いたんですが、最近たむけんに似てきてるって評判だから「脱・たむけん」計画として手始めに髪の毛いじってみました。体型とかは時間かかるし、大変だから金で解決できる簡単な手段を選びました。

 久しぶりに行く美容院はひどく緊張しました。昔は美容師さんと談笑なんぞできたもんですが、なにを聞かれても「ええ、まあ」とか「別に」とかしか言えませんでした。ノリの悪い客ですみません、って最後に謝りたくなるくらいノリの悪い客でした。
 
 明日は初詣行ってきます。